第23話 すずちゃん
翌朝――と呼ぶには、いささか時刻が進みすぎていた。
障子越しの光はすでに柔らかさを失い、庭の影は短く、風もどこか昼の気配を帯びている。
だが、そんな外の移ろいとは無縁に、貴丸の部屋だけは、まだ朝の続きを引きずっているかのような緩さに満ちていた。
昨夜の騒ぎを、都合よく理由に据え、勝手に「遅起きの日」と決めている貴丸である。
目は閉じているが、完全に眠っているわけでもない。ただ、起きる理由がないから起きない――それだけの、いかにも貴丸らしい理屈だった。
床の上に敷かれた寝具は半ば崩れ、掛け布は足元へと追いやられている。
その中央で、当の本人は横向きに転がり、片膝を抱えるようにして、ぴくりとも動かない――いや、正確には、何かを抱え込むようにして眠っていた。
それは、長い布を筒のように丸めた奇妙な代物である。わざわざその形に縫ってあるのだ。
形だけ見ればただの寝具の一部にも見えるが、決定的に異様なのは、その片端に描かれた“顔”だった。
墨で描かれたそれは、人の顔のつもりなのだろうが、どこか歪で、目は左右で大きさが違い、口はやけに裂けている。
見る者によっては、夜中にふと目が合えば、思わず息を呑むであろう不気味さを備えていた。
(今日は……もっと寝ててもいいだろう)
そんなものを胸に抱き、頬をすり寄せるようにしているあたり、この少年の感覚はやはりどこかおかしい。
――ちなみに。
この奇妙な代物には、れっきとした名がある。
『抱き枕の”すずちゃん”』
貴丸がそう呼んでいるだけであるが、本人はいたって真面目であり、むしろこれを抱かねば熟睡できぬ体になったと言っている。
ちなみに、なぜ”すずちゃん”なのか、その根拠はこれといってない。強いていえば、前世のときに、好きだった映画が”海街diary”だったことが起因しているのかもしれない。(……キモっ)
もとはといえば、この奇妙な寝具は、貴丸自身が父・慶久に対して執拗に求め続けた末に生まれた代物であった。
はじめは当然のごとく一蹴された。
「訳の分からぬものを欲しがるな」の一言で片づけられ、取り合う気配すらなかったのだが、貴丸は引かなかった。
引かぬどころか、日を改め、角度を変え、理屈とも屁理屈ともつかぬ言い分を並べ立て、「こういうものが必要なのだ」と飽きもせず繰り返した。
「これがなければ、俺は一生眠れない」(嘘)
その言い様が妙にもっともらしく、しかも本人は一切引く気がない。
やがて慶久も、呆れと疲労を滲ませながら、まともに相手をするのが面倒になりつつあった。
それでも決定打となったのは、ある夜のことだった。
夜も更け、館がすっかり静まり返った頃合いを見計らい、貴丸はぬるりと起き出した。そして迷いなく父の部屋へ向かい、ためらいもなく襖を叩く。
中から慌ただしい気配がし、襖を開けると、母の閨から父が飛び出して来た。衣は乱れ、明らかに何かをしていた所を叩き起こされた様子だった。
「……何事だ、このような刻に」
低く押し殺した声で問うたその瞬間、貴丸は待っていましたと言わんばかりに口を開いた。
「父上、やはりあの抱き枕は必要です。必要なのです」
一切の前置きなく、本題である。
「は?」
慶久の眉が寄る。だが貴丸は構わず続けた。
「人は眠りにおいて、無意識に安心を求める生き物であり――」
そこから先は、理屈なのか思いつきなのか判然としない言葉が、途切れることなく流れ出した。腕の位置がどうだの、体の支えがどうだの、精神の安寧がどうだのと、もっともらしい単語だけは揃っている。
慶久は途中で何度も口を挟もうとしたが、そのたびに貴丸が間を与えず畳みかける。
やがて――
「……もうよい、分かった、分かったから帰れ」
そう言って打ち切ろうとするも、貴丸は頷かない。
「まだ肝心の点を申し上げておりませぬ」
そして、さらに続く。
結局、そのやり取りは夜半から夜明け近くまで続いた。
途中、慶久は完全に観念し、半ば座り込むようにして聞き流していたが、最後には深く息を吐き、ほとんど投げるように許しを出した。
「……好きにせい」
「では、そのように。お楽しみのところを、申し訳ありませんでした。次も妹が欲しゅうございます」
貴丸は満足げに一つ頷き、それだけ言うと静かに立ち上がった。
言うだけ言って去っていく背を、慶久はしばらく無言で見送っていた。
翌朝、母が貴丸を恨めしそうに睨んでいたが、貴丸はあえて気付かぬふりを通した。
その被害を被ったのは……いや…製作を任されたのは、侍女頭の敏である。
布を選び、中に詰め物をし、形を整え――最後の“顔”だけは、貴丸自身が描いた。
慶久は完成品を見たときに一度だけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
関われば、また夜が長くなると知っていたからである。
そして、結果が、これである。
抱き心地だけは妙に良く、使い込まれた布は程よく体温を含み、腕の中に収まる形も絶妙だった。
そういう意味では、確かに“道具”としては完成されているのだが、見た目に関しては、誰も評価しようとしない。
もっとも、当の本人はまったく気にしていない。
むしろその奇妙な顔に、どこか安心すら覚えている節がある。
そうして今も、貴丸はその『すずちゃん』をしっかりと抱き込み、外の世界から切り離されたかのように、ごろごろと転がり続けていた。
そこへ、遠慮の欠片もない足音が廊下を走ってくる。
襖が、勢いよく開いた。
「ねぇ、貴丸! 遊ぼうよー!」
真っ先に飛び込んできたのは希丸だ。朝の空気を丸ごと連れてきたような勢いで、ずかずかと部屋に入り込む。
「昨日さ、おじいさんに何かもらってたろ? あれ開けようよ! ねぇ、貴丸〜!」
声がやたらと近い。
(某シンジ君のように心の中で貴丸は唱える。起きちゃダメだ、起きちゃダメだ、起きちゃダメだ…)
貴丸は動かない。顔だけ少し背け、耳を片手で押さえ、聞こえぬふりを貫く。
(無視だ。これは無視で押し通せるはずだ)
そう判断した瞬間だった。
後ろから、もうひとつの気配が忍び寄る。
「希丸、こういう時はね……」
敦丸の、妙に落ち着いた声。
次の瞬間、貴丸の脇の下に、ひやりとした指先が差し込まれた。
「――っ!」
体がびくりと跳ねる。
「ここをこうして……」
容赦なく、くすぐりが始まる。
「希丸は足の裏!」
指示が飛ぶや否や、希丸が勢いよく足元へ回り込む。
「よーし!」
ぺしぺしと足を掴み、そのまま容赦なくくすぐり始めた。
畳の上で、貴丸の身体が小さく震える。
(……耐えろ)
歯を食いしばる。
(これは精神の問題だ。耐えろ俺!)
ゆっくりと、息を整える。
そして――貴丸は今まで隠していた、チートである必殺技『無心』を発動した。
「心頭滅却すれば火もまた涼し……心頭滅却すれば火もまた涼し……」
呪文のように、ぶつぶつと繰り返す。
「心頭滅却すれば――」
ぴくり、と口元が揺れる。
「――っ、心頭……」
次の瞬間。
「ぎゃはははははははは!!」
耐えきれず、腹の底から笑い声が弾けた。
身体をよじり、逃げようとして、そのまま勢いよく起き上がる。
「やったー!」
希丸が歓声を上げる。
敦丸は満足げに手を引いた。
貴丸は肩で息をしながら、しばし固まる。そして――
「……不本意だ! 俺の無心が破られるとは」
開口一番、それだった。
誰に対してでもなく、ただ事実として宣言する。
だが起きてしまった以上、もう戻れない。
貴丸は渋々と立ち上がり、髪も整えぬまま、のそのそと部屋を出た。
廊下を抜け、厨へ向かう。
炊き立ての匂いはすでに薄れているが、それでも温もりは残っていた。台の上には、いつものように、貴丸の分として用意された握り飯が置かれている。
雑穀の粒がわずかに色を混ぜる飯の中に、ほぐされた魚の白身やら漬物やらが無理やり詰められている。
貴丸発案の”ごちゃ握り”を無言で手に取り、ひとくち頬張る。
(うまいな)表情には出ないが、咀嚼は確かに進む。
横では希丸が、じっとその手元を見ている。明らかに食べたそうな顔だ。
だが貴丸は構わない。
二口、三口と食べ進め、最後の一欠片まで自分の口へ運ぶ。
残った指先に、わずかに飯粒が付いていた。
それを、ふと希丸の顔の前に差し出す。
「ほら」
希丸は一瞬だけ目を輝かせ、それをぱくりと食べた。
満足げな顔をする。
貴丸はそれを見て、小さく頷いた。
「……ふむ」
それだけ言うと、顔も向けずに、声だけを奥へ投げる。
「ごちそうさん」
お宏がいるであろう方角へ、適当に。
そのまま、何事もなかったように踵を返し、部屋を出ようとする――そのとき。
別の方向から声がした。
「あら、貴丸様。”おそよう”ございます」
振り向けば、いつの間にかお宏が立っている。
手にはまだ湯気の残る椀を持ち、柔らかく微笑んでいた。
貴丸は一瞬だけ目を瞬かせ、それからいつもの調子で返す。
「……おそよう」
それだけ言うと、再び歩き出す。
廊下には、もう昼の光が満ちていた。
貴丸君の朝の日常です。
あーー、話が進まない。。
くだらない話で1話使ってしまいました。。。
ちなみに、希丸(11歳)、貴丸(10歳)、敦丸(8歳)。
この三人は普段はお互いを呼び捨てで呼んでいます。
ちなみに、個人的にはこの第23話が一番好きな話ですw




