第24話 希望の種と厠の神様
うおっ!
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昼餉を終えると、館の空気は緩んでいた。
障子を透かして差し込む光はすでに柔らかさを抜き、白く乾いた明るさとなって縁側へと広がっている。
庭では風に揺れる草が細かな影を床へと落とし、その揺らぎが一定の調子で続くせいか、場のすべてに薄い眠気がまとわりついていた。
結局のところ、希丸も敦丸も腹が満ちればそれで満足らしく、つい先日までの勢いはどこへやら、今は貴丸の脇に転がるようにして、だらりと手足を投げ出している。
希丸は仰向けに寝て片足をぶらつかせ、敦丸は横向きに丸まりながら、時折瞼を重たそうに瞬かせていた。
その中央で、貴丸もまた同じように寝転がっていたが、ふと何かを思い出したように片目を開ける。
「そういえば――小瓶のあれ」
気の抜けた声とともに、ゆっくりと上体を起こす。懐に手を差し入れ、取り出したのは、元伯から渡された小ぶりの陶の瓶であった。
掌に収まるほどの大きさで、口は布で軽く縛られている。
指でこつりと叩けば、乾いた軽い音が返り、中に何かが入っていることだけは分かる。
その気配に、半ば眠りかけていた希丸がぱちりと目を開けた。
「なになに! 昨日のあの小瓶か!」
身を乗り出すようにして覗き込み、さっきまでの気だるさはどこへやら、顔だけはすっかり目を覚ましている。
敦丸もつられて体を起こし、不安と好奇心の入り混じった目で瓶を見つめた。
ちょうどその時、庭先の砂利を踏む足音が近づいた。静かな音だが、規則正しく、無駄がない。
やがて縁側の端に影が差し、二人の人影が上がってくる。
一人は僧衣をまとった若い男――空然。だが貴丸は、初対面の時から勝手に“くうちゃん”と呼びつけている。
理由は単純で、「空だからくうちゃん」。それ以上でもそれ以下でもない。それに、なぜ「空」で「こう」と読むのか納得できなかったというのも理由だ。
もう一人は、相変わらず印象の薄い顔立ちの男、風間影盛。だがこちらもまた、本来の名で呼ばれることはほとんどなくなりつつあった。
「銀四郎さん」
貴丸がそう呼び始めてからというもの、その名がじわじわと周囲に浸透している。
その由来は、本人たちには知る由もないが、貴丸の前世の記憶にあった。
蒲田行進曲という古い映画で、風間という役者が演じていた役の名が「銀四郎」。ただそれだけの理由である。
もっとも、貴丸なりに別の思惑もあった。風間という姓は、この時代においてはそう多くない。
ゆえに、下手に名を広めれば、北條の風魔の者と結びつけて勘繰る者が出ぬとも限らない。その点、「銀四郎」という名であれば、ただの渾名として流れていく。
実際、館の中でも徐々に「風間殿」ではなく「銀四郎殿」と呼ぶ声が増え始めていた。
これこそが貴丸の狙い通りであったが、彼の中にはもう一段階、密かな「企み」がある。
(そのうち、どさくさに紛れて『銀ちゃん』と呼んでやろう……そして、あの階段落ちを………敦丸にでもやってもらうか…そう、敦丸。彼こそが『ヤス』なのだ!)
そんな不敵な、思いが貴丸の胸中をかすめたが、今のところはまだ、その一線を越えずに言葉を飲み込んでいる。
相手がいくら訳ありとはいえ、風間も一廉の武士である。
この時代において、いきなり愛称で呼ぶのはさすがに無礼が過ぎる…かもしれない。
貴丸なりに、そのあたりの「武士の面目」に対する遠慮が、まだ辛うじて働いているようだった。
そんな事情など露ほども気にした様子もなく、当の本人は無言で縁側に腰を下ろし、貴丸の手元にある瓶へと静かに視線を落とす。
空然もまた、その隣で興味深げに覗き込んだ。
「それが、例のものですか」
穏やかな声が落ちる。
貴丸は瓶を軽く振り、からりと鳴る音を確かめながら、遠い目をしながら、にやりと口元を歪めた。
「じいさんの置き土産だ。今となっては、どこに行ったのやら…」
そういうと希丸は「朝食の時、一緒に食べたぞ」と言う声をあえて、貴丸は無視した。
今日は慶久とで、今後元伯が起居する寺を建てる場所を見に行くと話していたらしいが、遅起きの貴丸には知る由もない。もっとも、知ったところでさほど気にも留めなかっただろうが。
そして、木で硬く封をされた口を解きにかかる。
縁側には、先ほどまでの気だるさとは別の、静かな期待の気配が流れ始めていた。
「ほう、元伯様から話は聞いておりましたが、中身を見るのは、はじめてですね」
縁側に腰を落ち着けた空然が、やわらかな声でそう言いながら身を寄せる。
風間――銀四郎と呼ばれ始めた男もまた、無言のまま視線だけを落とし、貴丸の手元を見据えていた。
貴丸は応じるでもなく、瓶の口をひねる。木の栓を抜き、軽く傾けると、ぱさりと乾いた音とともに中身が掌へとこぼれ落ちた。
小さな粒がいくつも転がる。丸いもの、細長いもの、白い繊維をまとったもの――形も色もまちまちで、一纏めにされていることが、むしろ雑さを際立たせていた。
「じいさんに聞いたらな、覚えがあやふやだったんだよ」
指先で転がしながら、貴丸は気のない調子で言う。
「にんじんと、白ごまと黒ごま、それに……お茶っぽいやつと、あとは綿だと言っていたけど、どれがどれやら」
「……それは、また随分と」
空然が小さく苦笑する。
貴丸は鼻を鳴らし、無造作に種をより分けていく。
「ごまは見りゃ分かる。他は……」
つまみ上げたのは、白い繊維をふわりとまとった種だった。それを目の前で揺らしながら、少しだけ考える素振りを見せる。
「これは木綿だろうな。たぶん」
「他は分かりませんか」
「分からん」
あっさりと切り捨てる。
空然も肩をすくめるように首を振った。その横で、ただ一人、銀四郎だけが一粒の種を指に乗せ、じっと見つめている。
「……恐らくですが、この丸みのある大きめの種は、茶の木に似ておりますね」
低く、抑えた声が落ちる。
貴丸の目がわずかに細まる。
「へぇ。これがお茶か……」
一瞬だけ興味が浮かぶが、それもすぐに薄れる。
「どっちにしろ、あのくそジジィ、持ってくるならちゃんと調べてこいって話だな。育て方もわからんしな」
言い終えた、その瞬間だった。
ぺしん、と軽い音が頭に落ちる。
「誰がくそジジィじゃ」
振り向けば、元伯がいつの間にか背後に立っていた。片腕を腰に当て、にやりと口の端を吊り上げている。
貴丸は頭を押さえながら睨み返す。
「これ以上馬鹿になったらどうすんだよ、この烏枢沙摩明王ジジィ」
さらりと言い放つ。
元伯は目を瞬かせた。
「……それは何じゃ?」本気で分かっていない。
貴丸は口元を歪め、してやったりとばかりに鼻で笑う。
その隣で、空然がついに堪えきれず、肩を震わせた。
「空然、何を笑っておるのだ」
問われ、空然は目尻に涙を滲ませながら応じる。
「いえ……お孫様は、ほんに物知りであられる。烏枢沙摩明王とは――厠の神にございます」
そして貴丸がぼそりと呟いた。
「厠には、それはそれは『麗しい』神様がいるんやでぇ……」
「……なんじゃ、その妙な節回しは。罰当たりなことを申すな!」
ごつん、と容赦ない拳が貴丸の頭に落ちた。
「痛いなぁ……」
貴丸は頭をさすりながらも、まるで応えていない。
「まあいい。試してみるか」
そう言うなり立ち上がり、ぱたぱたと部屋の奥へ消えていく。
暫くして、再び足音が戻ってきた。貴丸は小皿をいくつも抱え、さらに白いふわふわしたものを持っている。
「これでいいだろ」
それは綿だった。それも、どこか見覚えのある上等な手触りをしているが、誰も口にはしない。
貴丸は手際よくそれをちぎり、小皿に敷いていく。水を含ませ、軽く押さえる。
「こうして――」
ぽとり、ぽとり、と種を落とす。
「様子を見る。この黒いのは時間かかりそうだな。あと、綿のやつは水を弾くかもな」
ぶつぶつと呟きながら並べ終えると、今度は庭へと降り、土を手で掘り始めた。
いくつかはそのまま畑へ。さらに別に分けた分を指さすと、貴丸はふと思いついたように呟いた。
「……あとは、実右衛門さんに植えてもらうか……」そう呟いた。
その様子を見て、空然が問いを落とす。
「なぜ、植え方を変えるのですか?」
貴丸はしゃがんだまま、土をいじりながら答えた。
「どこで一番育つか分からんからな、水捌けのいいとこ、湿ったとこ、いろいろ試す。試さなきゃ分からん」
気負いのない声だった。
だが、その言葉に、元伯も空然も、そして風間までもが、わずかに目を細める。
理にかなっている。それが分かるだけに、この少年の在り方はなおさら掴みどころがなかった。
その種植えがひと段落した頃、貴丸はふと何かを思い出したように顔を上げた。
少しだけ首を傾げ、それから何気ない足取りで敦丸のもとへと歩み寄る。
「なぁ、敦丸」
呼びかける声は、いつもの気の抜けた調子だった。
「右手でこうやって手を動かして、『うちのこれが、これなもんで』って言ってみてくれ」
あまりにも脈絡のない頼みに、敦丸は一瞬きょとんとする。
だが、問い返すほどの疑問でもないと思ったのか、言われた通りに手を動かして、そのまま口にする。
「うちのこれがこれなもんで」
その様子を、貴丸はじっと見ていた。
やがて、小さく頷く。
「……ふむ」
それだけ言うと、満足したように手を伸ばし、敦丸の頭をくしゃりと撫でた。
ぽつりと添えられた一言のあと、何事もなかったかのように、そのまま踵を返して去っていく。
敦丸はしばしその場に立ち尽くし、自分が何をさせられたのかもよく分からないまま、ただ頭に残る手の感触だけを確かめるように瞬きをした。
だが――褒められた、らしい。それだけで十分だった。
「……まあ、いいか」小さく呟き、すぐに貴丸の後を追う。
そのやり取りを少し離れて見ていた希丸が、じっと口元を引き結び、こらえきれぬようにうずうずと肩を揺らす。
やがて、誰に聞かせるでもなく、「うちのこれがこれなもんで……」と小声で呟いてみせると、どこか満足したように頷き、そのまま貴丸たちの後を追っていった。
――そして、その夜。
館の奥、慶久の部屋から怒声が響いた。
「おぉっ!? わしの陣羽織が――!」
ばたばたと襖が開き、慶久が衣を広げる。
「裏綿がごっそり抜かれておるではないか! 何だこれは!」
琴が、わずかに目を伏せて息をついた。
「琴、この家にネズミがおるぞ! しかもこの量の裏綿を食べるとは、かなりの大物じゃ!」
怒声は夜の館に虚しく響く。
「あなたの顔に似ているネズミでしょう」そういって呆れた顔をした。
その頃――当の“大物のネズミ”は、縁側にて腹を出し、無防備に眠りこけていた。
昼の続きのような顔で、何事も知らぬ風を装いながら、ただ静かに寝息を立てている。
もっとも、装う必要すらなく、本当に何も気にしていないだけであったのだが。
実際には風魔という名称は、
この時代では北條氏の敵対勢力ではない限り、
一般にはそれほど浸透はしていませんでした。
しかし、この世界観ではそれなりに広まっていたこととしています。
あと、今更ですが、この時代にありがちな諱や官途名を呼ぶ云々は省略しています。
※作中に某楽曲を連想させるフレーズが登場しますが、ただの偶然です。。
あの程度のフレーズでも、念のため歌詞を変えないと。。
蒲田行進曲、、知ってる人は少ないだろうなぁ。。




