第22話 元伯の願い
なんと!!
歴史[文芸]部門の日間(すべて・連載中)で6位に入りました!!
すげー!!
嬉しいので、頑張ってもう1話投稿しました!
居間の空気がひと息ついたところで、元伯は膝の上に置いた左手を軽く叩き、にやりと口端を上げた。
「ひとつ、頼みがある」
その声音に、慶久が自然と姿勢を正す。
「わしのことは、当面は周囲に秘しておけ」
さらりと言い放たれた言葉に、場の空気がわずかに張る。
「もう当主はお前じゃ。わしは表に出るつもりはない。それに――」
視線だけで貴丸の方を示す。そこでは当の本人が、すでに半ば横になりかけて、柱にもたれかかっている。
「この孫と、のんびり転がっておる方が性に合うておる」
くつくつと喉で笑う。
「それにな、隠しておけば使い道もある。ここは富岡との最前線じゃ。いざというとき、敵を欺くには都合がよいであろう?」
その言い方には、いまだ戦場の理が染みついていた。
慶久は短く息を吐き、ゆっくりと頷く。
「……承知いたしました」
元伯は満足げに目を細め、続ける。
「それともうひとつ。この盛影――」
隣に控える風間盛影へと顎を向ける。
「この男を、この地で雇うてやってはくれぬか」
問うというより、半ば決めているような言い方だった。
慶久は一瞬だけ考え込む。だがすぐに、何かを思いついたように顔を上げた。
「……父上が連れて来られた御仁であれば、信は置けましょうな」
そのまま視線を風間へと向ける。
「風間殿。もしよろしければ――我が嫡男、貴丸の傅役をお願いできぬだろうか」
空気がわずかに動いた。
「本来であれば、傅役とは重臣が務めるもの。だがな……」
言いかけて、慶久はちらりと貴丸を見る。
当の貴丸は、もう完全に横になり、片手で頬杖をつきながら天井を眺めている。
「……ご覧の通りだ。このような不精者ゆえ、誰も引き受けたがらぬのだ」
諦めと苦笑が混じった声だった。
風間は静かに一礼し、慎重に言葉を選ぶ。
「私で、よろしいのでしょうか」
風間が顔を上げる。
「傅役とは、本来主君の嫡男の命と教育を預かる重責。最も信頼厚く、実務にも人格にも優れた者が就くべき役目かと存じます」
そして慶久の目を見て言う。
「それに……お気づきかもしれませぬが、某は乱破・素破の類の出。世間では卑しき身と見られることも多いのです」
低く、しかし誤魔化さずに言い切る。
その言葉を受けて、慶久はかぶりを振った。静かに、しかしはっきりと告げる。
「普通は、な。だが、見ろ、この息子は普通ではない。ならば、普通の者では務まらぬのだ」
視線を向ける。
「むしろ、そなたのような者でなければ扱えぬのではないかと、そう思うておる」
言葉に偽りはない。
風間はしばし黙し、やがて深く頭を下げた。
「……承知いたしました。私に務まるかは分かりませぬが、全力にて貴丸様をお支えいたします」
その応えに、慶久は満足げに頷く。
一方の貴丸は、片手だけをひらりと上げた。
「よろしくー!」
それだけ言って、すぐに興味を失ったように視線を天井へ戻す。まるで話題そのものがどうでもよいかのようだった。
その様子に、風間――盛影は思わず苦笑を浮かべる。
(なるほど……これは確かに、普通では務まらぬ)
胸の内でそう呟いた。
そこへ元伯が、もうひとりへと目を向ける。
「それと、この空然もな」
若僧へと顎をしゃくる。
「しばらくこの地に置いてやってくれぬか。寺の中ばかりで育っての、世のことをあまり知らぬ。見聞を広めさせたいのじゃ」
気軽な口ぶりだが、その実、どこか試すような響きがあった。
「いずれ何かを見つければ、勝手に旅立つじゃろう」
空然は静かに進み出て、深々と頭を下げる。
「未熟者ではございますが、しばしの間、どうかお世話になります」
その所作は端正で、どこか育ちの良さを感じさせた。
それを見ていた貴丸が、ふいに顔だけを向ける。
「空然さん、か」
少しだけ目を細める。
「いい名前だな。空みたいで、とらわれがない感じがする」
ぽつりと言う。
「空のようにとらわれのないって名前、雲みたいでさ。どこにでも行ける感じ。俺もそういうの、ちょっと羨ましいな」
思いのほか真っ直ぐな言葉だった。
空然は一瞬、言葉に詰まり、それから控えめに笑う。
「いえ……そのような大層なものではございませぬ。ただ、空虚で、ぼんやりとしているという意味で付けられた名にございます」
自嘲気味に言う。
だが貴丸は肩をすくめた。
「どっちでもいいよ、そういう名前、なんかいいじゃん。素敵やん?」
軽く言い放つ。
その一言に、空然は思わず目を瞬かせた。
慶久は呆れたように息を吐く。
「また訳の分からぬことを……」
だがその声も、どこか力が抜けている。
その横で、貴丸はすでに視線を天井へ戻し、小さくぶつぶつと呟いていた。
「……僕の中では世布だと思っていたのですが……」
意味のないような、どこか妙に納得した調子の独り言だったが、誰もそれにはもう構わない。
やがてその声も、部屋に満ちる別の会話に溶けていく。
外では風が木々を揺らし、静かな午後が、何事もなかったかのように流れていた。
貴丸の呟き、、、
素敵やん?




