第224話 京の街
注釈が多くなってしまいました。。
そして、街中へ戻ると、すれ違う人々が貴丸たちを見て、ぎょっとしたように足を止めた。
無理もない。
貴丸の顔は血を拭ったように赤く、腹と背の着物には大きな穴が開いている。その周囲には赤い血飛沫のような跡まで残っており、どう見てもまともな姿ではない。
当の貴丸はというと、そんな周囲の視線などまるで気にしていなかった。頭の後ろで両手を組み、鼻歌でも歌いそうな顔で、のんびりと歩いている。
一方の元伯は、そうはいかなかった。
道行く人々がこちらを振り返るたび、元伯は気まずそうに顔をしかめる。とはいえ、貴丸の姿を隠すこともできない。
結局、好奇の目に晒されながら、しぶしぶ孫の後を歩くしかなかった。
しばらくして、元伯がとうとう口を開く。
「……貴丸は、人の目というものを気にせぬのか?」
すると貴丸は、両手を頭の後ろに回したまま、いたって気楽な様子で答えた。
「安禅必ずしも山水を頼らず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し、だよ」
元伯は思わず貴丸の横顔を見た。
「杜荀鶴『夏日題悟空上人院』か……お前は時々、妙に難しい言葉を知っておるのう」
少し感心したように目を細める。
「孫ながら、ほんに不思議な童だのう」
「へへへ」貴丸は得意そうに笑った。
だが、次の瞬間には自分で言った言葉を思い返したのか、首を傾げる。
「……心頭滅却すれば、火もまた涼し?」
「なんじゃそれは?」
「信玄さんが、どっかの和尚さんを燃やした時の台詞?」
元伯は眉を寄せた。
「はぁ? やはり、お前は時々よく分からぬことを言うのう」
貴丸はけろりとした顔で前を向く。
元伯はしばらくその横顔を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
二人はそのまま妙心寺へ向かっていたが、さすがにこの格好では人目を引きすぎる。そこで途中にあった古着屋を見つけると、貴丸が足を止めた。
「じいさん。あそこで着替えようよ」
「そうするしかあるまいな……」
二人は店へ入り、戸を開ける。
すると、店番をしていた老爺が顔を上げ――その瞬間、目を丸くした。
目の前に立っているのは、顔を赤く染め、着物を大きく破いた童。そして、その隣には同じように着物を汚した老人。
店主はしばらく二人を見つめたあと、おそるおそる尋ねた。
「だ、大丈夫でございますか……?」
すると貴丸は、まるで大したことではないように笑った。
「いやー、賊に襲われちゃってさぁ。もう駄目だと思ったから、このじいさんと一緒に腹へ刀を突き刺して自害したんだよ。そしたら、なんとか助かってね」
「ひ、ひいっ!」店主の顔が引きつった。
その瞬間、元伯が貴丸の頭を軽く小突く。
「店主を驚かせるでないわ! 本当のことでも、言い方というものがある!」
「ほ、本当のことでございますか……?」店主は一層驚いた顔をする。
元伯は呆れたように貴丸を見てから、店主へ向き直った。
「すまんのう。この童は少々、人を驚かせるのが好きでな。賊に襲われそうになったのは本当なのだが、赤い顔料を身にかけて死んだふりをしておったのよ」
「は、はあ……」店主は何とか頷いた。
だが、事情を聞いても、すぐには納得できないらしい。
「賊に襲われて……死んだふり、でございますか……」
「まあ、細かいことは気にしなくていいよ」
「細かくないわ!」
貴丸の言葉に、元伯がすかさず突っ込む。
店主は二人を交互に見たあと、何とも言えない表情で小さく息を吐いた。それでも商売は商売である。
「そ、それでは……お召し物をお探しで?」
「うん。できれば、これより赤くないやつ」
「……それは、もちろんでございますな」
店主は苦笑しながら店内を見回し、貴丸には身体に合いそうな着物を、元伯には少し大きめのものを何着か見繕った。
二人はその中から適当なものを選び、代金を支払う。
こうして血と赤い顔料で汚れた着物を着替え、ようやく人目を引かない姿になると、二人は古着屋を後にした。
店主は去っていく二人の背中を見送りながら、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……賊に襲われて、死んだふり……か」
店の中には、何とも釈然としない店主の声だけが残った。
そのあとも、貴丸は妙な言葉遊びを始めた。
「……それは、解釈(介錯)次第でしょう! おあとがよろしいようで……」
「なんじゃ、それは?」
元伯は呆れた顔をしながらも、貴丸と並んで歩いていた。貴丸がいくつか謎かけを口にしていると、やがて元伯もその仕組みに興味を持った。
その仕組みを聞いた元伯は感心したように頷き、ふと思いついたように貴丸を見る。
「ほう……なるほどのう。貴丸、そのお題とやらを言ってみろ。わしも一つ考えてみたい」
貴丸は少し考え、ニヤリと笑った。
「じゃあ、『都に関すること』で考えてみてよ」
元伯は歩みを緩め、真剣な顔で考え始めた。しばらくして、やがて口元に笑みを浮かべる。
「では――大江山の鬼とかけまして、四条中納言と解く」
貴丸が尋ねる。「その心は?」
元伯は、ゆっくりと口を開いた。
「どちらも、一首で討た(歌)れるでしょう」
貴丸の目が輝いた。
「…うまいねぇ! 山田君、座布団一枚!」
そして、元伯を見上げる。
「大江山の鬼と、四条中納言――藤原定頼。どっちも、一首で討た(歌)れるってことか!」
「やまだくん? まあ、そういうことよ。うまいであろう!」
元伯は怪訝そうに眉を寄せたが、満足げに鼻を鳴らした。
「しかも『一首』には、歌と首の意味もある。うまいなぁ、じいさん!」
「ふふん。たまには、わしも貴丸を唸らせてみたいからのう」
「さすが、俺のじいさん!」
貴丸は嬉しそうに笑い、二人はまた京の町を歩き始めた。
そして、しばらく歩いたところで、貴丸はふと足を止めた。
「……そうだな…」
何かを思いついたらしい。貴丸は少し考え込んだあと、三兵衛へ目を向けた。やがて三兵衛に近寄ると、貴丸はその耳元へ顔を寄せ、声を潜めて何やら小声で告げた。
「…………」
三兵衛は黙って聞いていたが、やがて口元ににやりとした笑みを浮かべる。
「……なるほど」
貴丸も満足そうに頷いた。
「やられっぱなしってのも、嫌じゃなぁい?」
「それはそうですな」
二人は顔を見合わせる。その様子を少し離れたところから見ていた元伯が、怪訝そうに眉を寄せた。
「……おい、貴丸。三兵衛と何を話しておったのだ?」
貴丸は振り返ると、にっこり笑った。
「内緒!」
「……内緒?」
貴丸は楽しそうに笑う。元伯はますます怪訝そうな顔をした。
「お前たちは……一体、何を企んでおるのだ」
「さあ?」
貴丸はとぼけたように肩をすくめる。
三兵衛も何も答えず、肩に担いでいた大きな袋を持ち直した。
「では、私は行ってまいります」
「うん。よろしくね、三ちゃん」
三兵衛は小さく頭を下げると、そのまま人の往来する京の町へ歩いていった。
やがて、その姿は行き交う人々の間へ紛れ、街並みの向こうへと消えていく。
貴丸はその背中をしばらく眺めていたが、やがて元伯へ振り返った。
「さて……俺たちは帰ろっか」
「……お前は本当に、何を考えておるのやら」
元伯はそう呟きながら、貴丸と並んで歩き始めた。
杜荀鶴『夏日題悟空上人院』:
唐代の詩人・杜荀鶴の詩。
暑さの中でも心を静かに保てば、暑さを苦にすることはないという趣旨の句が詠まれている。
「安禅必ずしも山水を頼らず、心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」は、
その詩の趣旨を表す句として日本で広く知られている言葉。
「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」は、どのような苦境でも心を乱さなければ、
それを苦痛と感じなくなるという意味。
心頭滅却すれば、火もまた涼し:
戦国時代、甲斐の武田信玄が恵林寺を焼き討ちした際、
快川紹喜和尚が山門で火に包まれながらこの句を唱えた、という逸話が有名である。
ただし、信玄自身が和尚を直接焼き殺したという話ではない。
大江山の鬼:
大江山に住むと伝えられた鬼、酒呑童子のこと。
源頼光らに討伐された際、毒酒を飲まされて酔い伏したところを襲われ、首を討たれたとされる。
藤原定頼:
四条中納言とも呼ばれる、平安時代の公卿・歌人。
歌合の席で小式部内侍に対し、
「母である和泉式部に歌を作ってもらったのではないか」とからかったところ、
小式部内侍は即興で、
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立※」と詠み返した。
これにより、定頼はこの一首で見事にやり込められたと伝えられている。
※小倉百人一首の第60番として選ばれている、有名な歌。
【謎かけの意味】
元伯は、大江山の鬼・酒呑童子が刀で首を討たれたことと、
藤原定頼が小式部内侍の和歌一首で見事にやり込められたことを掛けている。
「一首で討た(歌)れる」とすることで、酒呑童子の「首を討つ」と、
定頼が「歌で討たれた」の二つの意味を重ねた謎かけである。
「信玄さんが、どっかの和尚さんを燃やした時の台詞?」:
貴丸としては、かなりあやふやな記憶でつぶやいている場面です。
「甲斐の国のお寺だったよな。じゃあ信玄かな? 信玄が坊さんを焼き殺したんだっけ?」
くらいの感覚で、適当に言っているイメージです。




