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戦国不精で何が悪い〜米作りとか面倒なのでやめました〜 ―神様のチート、無意味でしたよ。人口比10対1の東北なのに、なぜか天下が見えてきたかも―  作者: 犬童好嬉


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第216話 使者・細川右馬頭尹賢

部屋へ入ると、そこには細川高国から遣わされた使者が、すでに待っていた。


年は五十をとうに過ぎているであろう。白髪の混じった髪はきっちりと整えられ、衣服にも一分の乱れがない。


背後には四人ほどの従者を従えており、その者たちも皆、隙のない立ち姿を見せている。


中央の老人の目つきは鋭かった。長年、武家社会の中で生きてきた者特有の威圧感があり、一目見ただけで、細川高国の側近、それもかなり高位の武士であろうことが察せられる。


元伯を先頭に、貴丸が続いて入室する。二人は上座から少し離れた場所に並んで座り、使者へ向かって一礼した。


まず元伯が口を開く。


「細川右京大夫高国様よりのお使い、ご苦労にござりまする。某、元伯と申す者にございます」


元伯が丁寧に頭を下げる。


その名を聞いた瞬間、尹賢の眉がほんのわずかに動いた。どこかで聞いた名か――そう思ったようだったが、すぐにその考えを切り上げる。


「細川家家臣、細川右馬頭尹賢(ただかた)である」


名乗りも簡素だった。尹賢は元伯を一瞥しただけで、すぐにその隣へ視線を移す。


「……して、どれが敦丸なのだ?」


その言い方には、相手を尋ねるというより、そこにいる者を品定めするような響きがあった。


元伯は気に留める様子もなく、貴丸へ目を向ける。


「こちらが、高国様がお尋ねの敦丸にございます」


「ほう」尹賢の目が貴丸へ向いた。


貴丸は背筋を伸ばし、少し緊張しながら頭を下げる。


「お初にお目にかかります。敦丸と申します」


だが、尹賢は返礼もしなかった。ただ貴丸の顔から足元まで、じろじろと眺めている。その視線につられるように、後ろの従者たちも貴丸へ目を向けた。


――この童が、本当にあの元長軍を手玉に取った策を講じたというのか。


尹賢には、とても信じられなかった。どうせ、この童自身ではなく、周囲にいた誰かが策を考えたのであろう。


噂では、この者のそばには「朝比奈泰能」と名乗る者がいたという話もある。高国の他の側近から、今川家にその名の重臣がいると聞いたことがあった。


もし、それが本当なら厄介な話だ。今川は、すでに京での争いから手を引いたはずである。それなのに、今川の重臣が高国方の戦場で策を弄したなどと広まれば、「今川が再び京へ色気を見せ始めたのではないか」と、余計な憶測を呼びかねない。


だからこそ、この童が「敦丸」と名乗ったのも、今川との関わりを隠すためではないか――尹賢はそう考えていた。


そもそも尹賢は、三淵孫三郎にもこれ以上、高国陣営で目立ってほしくなかった。


孫三郎は正直すぎる。武勇にも才覚にも恵まれているが、この管領家を巡る権謀術数の渦中に置くには、あまりにも真っ直ぐすぎる男だった。


だからこそ今回の戦では、できる限り高国軍の到着を遅らせ、その間に孫三郎の兵を少しでも減らしておきたいと考えていた。


戦の成り行き次第では、孫三郎自身が討たれることになっても、それはそれで構わない――尹賢は、そこまで考えていた。


ところが、その思惑は崩された。


この童なのか。それとも、朝比奈泰能と名乗った男なのか。


いずれにせよ、元長軍を翻弄した策によって、尹賢の考えていた筋書きは大きく狂わされてしまった。そのことを思い返すほど、目の前の童への苛立ちは強くなっていく。


やがて尹賢が、鼻で小さく笑う。


「……本当に、この童なのか? この童が、三好元長の軍を相手に策を巡らせたと?」


元伯が答える。「……そのことは、某には分かりませぬ」


「なんと。知らぬとはな。ならば、お主は何者だ?」


尹賢はそこで初めて元伯へ視線を戻した。


「……某にございますか?」


「そうだ。さきほどから童より先に入ってきたが、そもそもお主は何者なのだ」


「これは失礼いたしました。某は元伯。この敦丸の祖父にございます」


「祖父?」


尹賢は、初めて少し興味を示したように元伯を見た。だが、それも束の間だった。


「なるほど。童一人、まともに躾けることもできぬ祖父殿か」


空気が止まった。忠家がわずかに目を見開く。


元伯も一瞬、言葉を失ったように尹賢を見つめたが、すぐに表情を戻した。


「……高国様の御使者とはいえ、いささか――」


「祖父は関係ありませぬ」


元伯の言葉を遮ったのは、貴丸だった。


先ほどまで黙っていた貴丸が、まっすぐ尹賢を見ている。その顔から、いつもの軽さが消えていた。


尹賢も貴丸へ視線を戻す。


「ほう。童が口を挟むか」


「祖父がどういう人間であるかと、俺が何をしたかは別の話でございましょう。祖父を悪く言われる筋合いはございませぬ」


「……ふん。大層な口を利くものだ」


尹賢は鼻を鳴らした。そう言って、貴丸の顔を改めて眺める。


「そなたの智謀、神算のごとしと聞いておる。三好元長の大軍を翻弄したのも、そなたの策であるとな」


尹賢は口元を歪めた。


「だがな、そなたのその童じみた顔を見ておると、とてもそのような才があるようには見えぬのう。武辺の鍛錬をしている体にも見えないし、その顔つきも、寝ぼけておるのか?」


貴丸はしばらく黙っていた。


やがて、ふっと小さく息を吐く。そして、にこりと笑った。


「なるほど」


「何がなるほどなのだ?」


「ご使者殿は、”有眼如無(ゆうがんじょむ)”のようでございますな」


尹賢の眉が寄った。「……ゆうげんじょむ? なんだ、それは?」


貴丸は、にこやかな笑みを浮かべたまま答える。


「私は大和田の”阿斗”と呼ばれて有名でござりますゆえ、その意味まではしかとは、分かりかねまする」


そう言って、貴丸は深々と頭を下げた。


「……」


一瞬、部屋の空気が固まった。


元伯は何も言わない。ただ、目を閉じて小さく息を吐いた。


尹賢は貴丸を睨みつけている。


「……」


どういう意味なのか、完全には分からない。だが、何かを馬鹿にされた。それだけは、さすがに分かった。


「……ふん!」


尹賢は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、従者へ顎をしゃくった。


「書付を」


従者の一人が進み出て、両手で書付を差し出す。


尹賢はそれを乱暴ではないものの、いかにも慣れた様子で受け取ると、折り畳まれた書付を開いた。


そして、貴丸ではなく元伯へ向けて言う。


「細川右京大夫高国様よりの御意である」


そこで一度言葉を切り、書付へ目を落とした。


「大和田敦丸。その方、先の戦において三好元長の軍勢を相手に種々の策を弄した由。高国様におかれては、その働きについて直々に聞き及びたいとのことじゃ」


尹賢は書付を閉じる。


「よって、敦丸殿には速やかに高国様の御前へ参上いたすよう、仰せ付けられておる」


それだけ告げると、書付を従者へ返した。


「以上だ」


まるで、これ以上話すことなどないと言わんばかりだった。


元伯が静かに頭を下げる。


「承知いたしました。高国様よりのお召しとあらば、ありがたく――」


「ならば、早々に支度をなされよ」


尹賢が元伯の言葉を遮った。


「高国様をお待たせすることのなきようにな」


元伯は一瞬、尹賢を見た。しかし、それ以上は何も言わない。


「……承知いたしました」


「では、某はこれにて失礼する」


尹賢はそう言うと立ち上がった。


最後まで貴丸へ向けた視線には、疑念と侮りが残っていた。


「本当に、そなたが神算鬼謀の童子なのか。いずれ化けの皮を剥いでくれよう」


「……」


貴丸はじっと尹賢の顔を見る。


元伯が答える。


「この者は必ずや、高国様の御前へ参上させまする」


「ならばよい」


尹賢はそれだけ言うと、従者を引き連れて部屋を出ていった。


襖が閉じられる。しばし、誰も口を開かなかった。


元伯は、先ほど貴丸が口にした「有眼如無」の意味を知っていた。


「お前は……」


元伯が呆れたようにため息を吐く。だが、その口元には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。


「しかし……あの男、相当に怒っておったぞ」


貴丸は尹賢が出ていった襖を見つめたまま、急に目を見開いた。


「――でさぁね〜!」


そのまま顔をぐっと前へ突き出し、口元をにやにやと歪める。両手を奇妙に曲げてくねくねと体を揺らしたかと思えば、今度は勢いよく首をかしげた。


「なぁ〜んにも分かってないんでさぁね〜!」


「……何をしておる」


元伯の冷たい声にも、貴丸はけろりとしている。


「さっきのハリウッド・尹賢さんの真似?」


「全くこれっぽっちも似ておらぬ。なんだその”はりうっど”とは……」


貴丸は一瞬きょとんとしたあと、再び尹賢が出ていった襖を見つめた。


そこで、ほんの少しだけ表情を曇らせる。


「まあ、俺のことを馬鹿にするのはいいんだぁけれどねぇ。じいさんまで馬鹿にされるのは、ちょっと嫌だったんで…」


元伯はそんな貴丸を見つめ、ふっと息を吐いた。


「……まったく。そういうところだけは、妙に真っ直ぐなのだな」


「そうけ?」


元伯はそう言って、立ち上がった。


「さて……高国様の御前へ行かなくてはな、敦丸。なのであろう?」


「はいはいはいはい」


「返事くらい、もう少し緊張せぬか」


「だって、さっきのじいさんよりは、高国様のほうがまだ話が通じそうじゃなぁい?」


「……その言葉、高国様の前では絶対に口にするなよ」


「了解です。了解です。了解道中膝栗毛!」


元伯は「なんなのだ、その返事は」そう言いつつ、また深いため息をついた。


襖が閉じられると、しばらく誰も口を開かなかった。先ほどまでの尹賢の横柄な態度が、まだ部屋の中に残っているようだった。


やがて元伯が深々と息を吐き、貴丸へ目を向ける。


「……さて、高国様の御前へ参らねばならぬな。いずれ高国方から案内の者も来るであろう」


「本当に行くんすか?」


「行くに決まっておろう。わざわざ細川高国様から使者が参ったのだぞ」


「でも、あの爺さん、俺のこと全然信用してなかったなぁ」


「だからこそ、余計に会っておく必要がある。高国様ご自身がどうお考えなのか、それを確かめるよい機会でもあるからな」


元伯はそう言って立ち上がると、貴丸の姿を改めて見た。


「それより、まずは身なりを整えよ。高国様の御前へ出る以上、先ほどのような格好ではならぬぞ」


「えー……」


「文句を言うな。高国様にお会いするのだぞ」


「はいはい……」


貴丸は渋々立ち上がった。


それからほどなくして、妙心寺と細川方との取次を務める者が部屋へやって来た。先ほどの尹賢とは違い、こちらは物腰も穏やかで、丁寧に一礼してから口を開く。


「細川様より申し付かっております。明朝、こちらへお迎えに参りますゆえ、それまでに御支度を整えておかれますようにとのことでございます」


「承知した。して、高国様は今、どちらに陣所を置かれておるのであろうか?」


「相国寺にございます。寺の一角を陣所としてお使いになっております。こちらからであれば、道の具合にもよりますが、二刻ほどを見ておけば十分かと存じます」


「ご苦労。では、明朝に参る支度を整えておこう」


元伯が答えると、貴丸もその隣で頭を下げた。


「よろしくお願いしまっす」


取次の者が退出すると、元伯は貴丸を振り返る。


「明日は遅れることのないようにせねばな」


「分かってますって」


「……本当に分かっておるのか?」


「大丈夫、大丈び」


貴丸は軽く笑ったものの、その胸の内には、これから会う細川高国という人物への興味と、先ほどの尹賢とのやり取りからくる僅かな警戒が入り混じっていた。


そして、ふっと口元を歪める。


「この日の本の管領が、どんな人間なのか……ちゃんと見定めないとね」


不敵な笑みを浮かべる貴丸に、元伯は思わず眉をひそめた。


「逆であろうが。本来は、高国様がお前を見定める場であろうよ」


「まあ、どちらにしろ――」


貴丸は肩をすくめ、それでも笑みを崩さなかった。


「お手並み拝見、かな?」


その笑みを見た瞬間、元伯はわずかに息を呑んだ。


孫が何を考え、明日どのような振る舞いを見せるのか。長く共に過ごしてきた元伯でさえ、時折まったく読めなくなることがある。


しかも今の笑みには、かすかな怒りのようなものが混じっている気がした。


――この童は、明日、何をするつもりなのだ。


孫でありながら、ほんの少しだけ恐ろしい。


元伯は、目の前で不敵に笑う貴丸を、複雑な思いで見つめた。


翌朝、貴丸は戦場で名乗った偽名――大和田敦丸として、細川高国の待つ相国寺へ赴くことになる。









有眼如無:

目があっても、まるで目がないかのようであるという意味。

目の前にあるものを見ながら、その本質や真実に気づかないことを皮肉る表現。

転じて、「見る目がない」「物事を見抜けていない」といった意味合いで用いることができる。


相国寺:

室町幕府三代将軍・足利義満が創建。

京都御所の北に広大な寺領を持つ大寺院。

広い敷地とその格式から、戦国時代には武将が上洛した際の

宿所や陣所としてもよく利用された。





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