第20話 久々の家族団欒
なんと、歴史(文芸)部門で10位に入ってました!!
快挙。 しばらく毎日更新に!!!
できるかな。。
居間に通されると、外の潮の匂いがすっと遠のき、代わりに木の温もりが場を包んだ。
障子越しの柔らかな光が、座に並ぶ顔ぶれを静かに照らしている。
主座には本来、客であるはずの老人が座るべき位置が空けられていたが――
「父上、こちらへ」
慶久が自然とその席を譲ろうとすると、片腕の老人はゆるく首を振った。笑みは変わらず、しかしその声音には、かつて家を率いた者の揺るがぬ芯が残っている。
「よい。儂はもう隠居の身じゃ。主はお前であろう」
軽く顎で促され、慶久は一瞬だけためらったが、やがて深く息をつき、正面へと座り直した。
その動きに合わせて、場の空気もまた落ち着きを取り戻す。
「……父上。もう、十二年ぶりでございますか」
言葉は抑えられていたが、その奥には長く積もった時間が滲んでいた。
元伯――かつての大和田慶虎は、静かに頷いた。
「うむ。長く空けすぎたな。……お前には、迷惑をかけた」
短い詫びだった。だが、余計な言葉を重ねぬその一言に、かえって重みが宿る。
慶久は何も言わず、ただ黙ってその言葉を受け止めた。
やがて元伯は、視線を少し遠くへやるようにして、ゆっくりと語り始める。
「お前に家を譲ったあとでな……どうにも、じっとしておれん性分でな。せめてこの身の動くうちに、日の本を見ておこうと思ったのじゃ」
苦笑がひとつ落ちる。
「白河の関で、宗長殿という連歌師に出会っての。その方は、駿河今川殿の使いも務める人物でな……気がつけば、そのまま各地を連れ立って歩いておった」
語られる名は、並ぶ者たちの顔色をわずかに変えさせるに足るものだった。
「結城政朝殿、今川氏親殿、北條早雲様、大内義興殿、足利義稙様、三条西実隆殿、島津忠隆様、細川高国殿……まあ、縁というやつじゃな」
淡々とした口ぶりであったが、そのひとつひとつが、時代の中心にある名であることは、ここにいる誰もが理解している。
「宗長殿とは、ついに薩摩まで下ってな。……そこで船に乗ったのが、運の尽きよ」
わずかに肩をすくめる。
「嵐に流されての。気づけば高山国(台湾)よ。まったく、笑えぬ話じゃ」
場に、かすかな苦笑が広がる。
その高山国という言葉を聞いた瞬間、縁側に寝転がっていた貴丸の目がわずかに細くなる。
「……首狩族か」
ぽつりと落とされた呟きは軽いものだったが、場の空気が一瞬だけ変わった。
元伯は片眉を上げ、すぐに愉快そうに笑う。
「ほう、よく知っておるな。そうじゃ、高砂族という連中よ。何度か遭遇したが……あやつら、容赦なく首を狙ってきおるのだ」
言いながら、失った右腕の袖を軽く揺らす。
「首狩り包丁を振りかざしてのう。まぁ――返り討ちにしてやったがな」
こともなげに語るが、その裏にある凄絶さは、火の明かりに浮かぶ横顔の皺の奥に沈んでいる。
敦丸は小さく身を縮め、希丸は「へぇ……」と興味半分で聞いているが、貴丸だけは別のところに意識を向けていた。
しばらくして、ふと顔も向けずに口を開く。
「……なぁ、じいさん、緑で、熟すと黄色くなる……細長くて、ちょっと曲がってる実、なかったか?」
問いは妙に具体的だった。
元伯は少し考え、すぐに頷く。
「ああ、あったな。実のなる芭蕉じゃな。そこら中に生えておったぞ」
その瞬間、貴丸の瞳がわずかに開く。小さく呟き、次いで、体を起こして心底残念そうに言った。
「……バナナ、えー……それ、食べたかったなぁ……」
元伯は肩を揺らして笑う。
「一度食うてみたがな、えぐみが強いし、種もでかい。とても食える代物ではなかったぞ」
その言葉に、貴丸は「ふーん」と気のない返事を返すが、その目はすでに別の思考へ沈んでいる。
(ああ……俺が前世で食べてたのは品種改良後のやつなのか)
前世で当たり前のように口にしていた甘く柔らかな果実を思い出しながら、今聞いた話との差を頭の中で繋げる。
(ってことは、原種はそんなもんか……)
視線は庭の方へと流れる。冬を越えた土、潮気を含んだ風、冷えの残る地面。
(……この請戸じゃ無理だよな。なら、温室……いや、この時代で?)
即座に切り捨てる。一瞬だけ考え、すぐに別の方向へ飛ぶ。
(ガラスがいるよな……確か珪砂だったか。この辺で取れるか……?)
脳裏にぼんやりと材料の記憶が浮かぶ。そこまで考えて、完全に外界から意識が切れた。
囲炉裏の火の音も、元伯の声も、遠くへと押し流されていく。
「――それでな、その地の者どもは……」
元伯は語り続けているが、貴丸は微動だにしない。まるで興味を失ったかのように静かで、ただ一点を見つめている。
空然はその横顔を静かに観察し、風間は何も言わず、ただわずかに目を細めていた。
――この童は、何を考えているのだ。
元伯はちらりとその様子を見て、ふと眉をひそめた。
(……今日はやけに静かじゃな)だが、すぐに気を取り直し、話を続ける。
「そこからどうにか博多へ戻り……縁あって、また早雲様のもとで世話になった」
その名を口にしたとき、ほんの一瞬だけ、声に温度が宿る。
「だがな。早雲様が亡くなり、氏綱殿が家督を継いでからは……どうにも折り合いが悪くての」
ちらりと、脇に控える浪人――風間盛影へと目をやる。
「この男も、似たような境遇でな。ならばと、共に出た」
風間は軽く頭を下げるのみで、余計なことは語らない。
「その道すがら、鶴岡八幡宮で空然殿と出会い……こうしてここまで戻ってきた、というわけじゃ」
語り終え、元伯は静かに息を吐いた。
そのときだった。
慶久の視線が、ふと、元伯の右側――本来あるべき腕の位置へと落ちる。
そこには、何もない。
袖は静かに折られ、空虚だけが残っている。
その視線に気づいたのだろう。元伯は苦笑を浮かべ、自ら口を開いた。
「これか」
左手で、失われた右の袖を軽く叩く。
「早雲様の手伝い戦の折にな。少々、無理をした」
言い方は軽い。だが、その裏にあるものは、軽くはない。
「この腕を失ってな……ようやく思い知ったわ」
ほんのわずか、声が低くなる。
「もう、戦場に立つ身ではないとな」
そして、すっと背筋を伸ばし、どこか吹っ切れたように笑った。
「だからこそ、こうして名を改めた。一介の僧――岐秀元伯としてな」
その言葉に、部屋の空気が静かに張り詰める。
武を捨てた男の言葉でありながら、そこに漂う気配は、いまだ衰えてはいなかった。
ただ――その力の向かう先が、変わっただけである。
宗長は歴史に埋もれている人物ですね。
一休宗純に参禅して、後の今川氏(主に氏親)の元で暗躍した人です。
実際に文中の人たちと親交があったようです。
外交面では太原雪斎の前任者というポジションですかね。
「急がば回れ」を唱えた人とされています。
この方は実際に島津氏の要請で薩摩まで行ったこともあるそうですね。
文中の殿、様の使い分けは
意味がありますので、間違いではありません。




