第205話 双六遊び
翌日、早速貴丸は三兵衛を連れて山科邸を訪れた。挨拶もそこそこに長松丸に案内され、三人は彼の部屋へと移る。
部屋へ入ると、長松丸は大切そうに木箱を開き、中から漆塗りの盤を取り出して広げた。盤の上には黒と白、それぞれ十五枚ずつの駒が整然と並べられている。
「貴丸殿、盤双六はご存じでしょうか?」
貴丸は盤を覗き込みながら首を横に振った。
「うーん、分かんないかも」
長松丸は慣れた様子で駒を手に取ると、盤の上へ置きながら説明を始めた。
「では、説明しましょう。これは盤の上で遊ぶ勝負事です。二つの賽を振り、その目の数だけ駒を進める。相手より先に、自分の駒をすべて盤の外へ出した者の勝ちとなるのです」
説明を聞いた貴丸は、ぱっと表情を明るくした。
「……あぁ、なるほど。バックギャモンみたいなもんか」
「……ばっくぎゃもん?」千代が不思議そうに聞き返した。
貴丸は心の中で舌を出す。
「あ、えっと……西洋の遊びだったかな。前に読んだ書物に、そんな遊びが載っていたような……」
その言葉を聞いた途端、千代の目が輝いた。
「その書物とは、どのような本なのですか? もしや、この京へお持ちなのですか? 是非、私もその本を読んでみたいです」
思いがけない勢いに、貴丸は苦笑いを浮かべた。
「いや、持ってきてないよ。えーっと……何ていう本だったかな。忘れちった」
「そう……ですか」
千代は少し残念そうに呟いた。長松丸はそんな二人のやり取りを苦笑しながら眺めていたが、やがて賽を手に取った。
「それでは、さっそく勝負と参ろうか」
三兵衛は部屋の隅へ腰を下ろし、腕を組んだまま静かに見守ることにしたようだった。
賽が転がり、駒が進む。最初こそ戸惑っていた貴丸だったが、数手も打てばすぐに要領を掴み、笑い声を上げながら勝負を楽しんでいた。
しかし、勝負となれば話は別だった。
長松丸は慣れた手つきで着実に駒を進め、千代も盤面を冷静に読みながら、次々と勝利を重ねていく。貴丸も善戦こそするものの、最後にはことごとく敗れてしまった。
それでも誰一人として本気で悔しがることはなく、何度も賽を振るううちに、部屋には四人の笑い声が絶えず響いていた。
何度目かの勝負を終えた頃、長松丸が少し誇らしげに胸を張る。
「父上は、もっとお強いのだ。一度も勝てたことがない」
「えっ、本当に?」貴丸は感心したように声を上げた。
「ねえ、他にも双六ってあるすか?」
貴丸が尋ねると、長松丸は少し考えるように顎へ手を当てた。
「他には……少し難しいけれど、『浄土双六』というものがあるな」
「やってみたい!」
貴丸は目を輝かせると、ふと思いついたように笑った。
「それとさ、もう俺たち友達なんだから、そんな堅苦しい話し方はやめない?」
その言葉に、長松丸と千代は思わず顔を見合わせた。
「友達……?」
公家の子として育った二人にとって、身分を越えて気軽に「友達」と呼ばれることなど、ほとんどなかった。ましてや、出会って間もない相手である。
それでも、貴丸の笑顔には打算も遠慮もなかった。長松丸は思わず笑みを浮かべた。
「そうだな。ここには父上たちもいないし、そのくらいなら構わない」
そう言って千代を見る。
「千代姉上も、いいですよね?」
千代は一瞬ためらったものの、やがて柔らかく微笑み、小さく頷いた。
「……はい」
「やった! じゃあ、これからは長さんと、チーちゃんだね!」
貴丸が嬉しそうに笑うと、長松丸と千代はそろって目を丸くした。これまで「長さん」や「チーちゃん」などという愛称で呼ばれたことは、一度もない。
二人が思わず顔を見合わせる。貴丸は何の悪気もなく、ただ親しみを込めて二人を見つめていた。
やがて長松丸が小さく吹き出し、千代もつられるように微笑む。
「……好きに呼んでくれて構わないよ」
「ありがとう、長さん!」
貴丸は満面の笑みを浮かべると、今度は千代へ顔を向けた。
「チーちゃんも、よろしくね!」
「……はい」
千代は少し照れくさそうに微笑み返す。その様子を見て、長松丸もまた笑みを深めた。
「それじゃあ、浄土双六を持ってくるよ」
そう言って長松丸は立ち上がり、棚から浄土双六を取り出した。
「これは浄土双六。大切なものだから、扱いには気を付けてね」
広げられた双六には、美しく彩色された仏や人々の姿、そして数多くの文字が描かれていた。先ほどの盤双六とはまるで違う趣に、貴丸は興味深そうに身を乗り出す。
長松丸が指で双六を示しながら説明した。
「賽を振り、ここから始めて極楽浄土を目指す遊びなんだ。途中には六道や諸仏の枡があって、書かれている教えや指示に従って進む。戻されたり、ひととき足止めされたりもするけれど、最初に極楽浄土へぴたりとたどり着いた者の勝ちだよ」
「へぇ……面白そう!」
貴丸が双六を覗き込んだ、その時だった。隣にいた千代が、わずかに目を細めていることに気付く。
「チーちゃん、どうしたの?」
声を掛けると、千代は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「私……遠くの小さな文字は、霞んで読みにくいのです」
(本をよく読むからかな……)そんなことを思いながらも、それ以上は聞かなかった。
やがて四人は浄土双六を囲み、賽を振って遊び始める。教えの書かれた枡に一喜一憂し、極楽へ近づいては戻され、また笑い合う。
だが、勝負となればやはり長松丸と千代は強かった。貴丸も最後まで一度も勝つことはできなかったものの、誰もそれを気にすることなく、笑顔の絶えないひとときを過ごした。
こうして浄土双六を終える頃には、貴丸と長松丸、千代の三人はすっかり打ち解けていた。
そろそろ部屋を辞する頃、貴丸がふと思い出したように口を開く。
「ねえ、長さん。この浄土双六以外にも、まだ別の双六ってあるの?」
長松丸は少し考え込み、腕を組んだ。
「うーん……私が知っているのは、盤双六と浄土双六くらいかな。他には、あまり聞いたことがないな」
「そうなんだ……」
貴丸は少しだけ考え込んだ。だが、次の瞬間にはぱっと顔を輝かせる。
「じゃあさ、次は俺たちで新しい双六を作ってみない? うん! きっと面白いと思うよ!」
長松丸は目を丸くしたが、すぐに興味を引かれたように身を乗り出した。
「新しい双六か。それは面白そうだ!」
千代も嬉しそうに微笑む。「私も作ってみたいです」
二人の反応に、貴丸は満足そうに頷いた。
「よし、決まりだね! じゃあ、明日か明後日も遊びに来てもいい?」
「ああ、もちろん! 楽しみに待ってるよ」
長松丸は笑顔で力強く頷いた。
千代も優しく微笑みながら、「はい。ご一緒できるのを楽しみにしております」と答える。
「やったね!」貴丸は嬉しそうに両手を上げた。
こうして貴丸と長松丸、千代の三人は、後日また顔を合わせる約束を交わした。
この何気ない約束が、やがて山科家と大和田家の縁を深く結ぶ始まりとなることを、この時はまだ誰も知らなかった。
――ただ一人、貴丸だけは、その笑顔の奥で何かを思い描いていたようでもあった。
もっとも、それが未来を見据えてのことだったのか、それとも無邪気な思いつきに過ぎなかったのかは、誰にも分からない。
えっへっへ、、
やはり前話の「武将、誰が好き?」は、みなさん反応しますよねぇ。。




