第203話 貴丸の問いかけ
山科言綱は、泰能へ穏やかな眼差しを向けた。
「それにしても……なぜ陸奥の御一行と今川様の家臣の方が、ご一緒に京へ上られたのでしょうかな」
その問いに、泰能は居住まいを正し、頭を下げる。
「此度、陸奥の相馬殿と大和田殿が船にて駿河へお立ち寄りになり、氏親様へご挨拶に参られました。その折、帝へ献上の品を奉るため上洛されると伺い、氏親様が今川からも供を出すとお決めになり、ご一緒させていただくこととなりました」
泰能は一度言葉を区切ると、静かに続けた。
「それゆえ氏親様より、『この上洛、相馬殿と大和田殿の後ろ盾となり、しかと支えよ』との仰せを賜りまして、今川よりは私一人が同道しております。また、私自身も義父であります中御門宣秀様へ、これまで正式にご挨拶を申し上げる機会がございませなんだ。此度の上洛を機に、ご挨拶をと思うております」
その話を聞き終えると、言綱は感心したように頷いた。
「なるほど……そういうことでございましたか」
しばし考えるように目を伏せる。応仁の乱より幾十年。
都はようやく戦火こそ遠のいたものの、その傷跡はいまだ深く残っている。朝廷もまた例外ではない。
公家の多くは困窮し、禁裏においても御所の修繕や年中の儀式を執り行う費えにさえ事欠くことが少なくなかった。
そのような世にあって、陸奥という遠国から、帝へ献上のためだけに都へ上って来る。しかも、それは天下に名高い大名ではなく、相馬、大和田という奥州の領主たちであるという。
言綱は、その志に素直な敬意を覚えた。(このような武家が、いまだ遠き陸奥にもおられるとは……)
帝を敬う心は、都だけにあるものではない。名誉や利益のためではなく、遠く離れた土地から主上へ敬意を示すために京へ赴く。
それは、まさしく帝を敬う武士の姿であった。
「今の世において、わざわざ陸奥より帝へ献上のため上洛されるとは……まことに殊勝な心掛けでございますな」
長松丸も、父の隣で静かに頷いていた。ただ、言綱には一つ気になることがあった。
自然と視線が、一行の中に座る幼い童へ向かう。まだ十ほどにしか見えぬ童が、何故この一行に加わっているのか。
しかし、その疑問は胸に留めたまま、言綱は話を続けた。
「して……帝への御献上となりますと、御取次はどなたへお願いされておりますかな?」
その問いに泰能が答えようと口を開く。しかし、その前に小さな声が響いた。
「万里小路秀房様にございます」
答えたのは貴丸だった。言綱は少し意外そうに童へ目を向ける。幼いながらも、はっきりとした口調で答えてみせた。
言綱は頷いた。
「なるほど。万里小路殿であれば、禁裏との御縁も深い。良き御方を頼られましたな」
「でも……少し困っております」貴丸が、ぽつりと言った。
「困っている?」言綱が聞き返す。貴丸は素直な顔で答える。
「はい。我らは陸奥から参りましたので、持ってきた銭にも限りがあります。秀房様へは陸奥の品々と十貫文をお渡しいたしました」
貴丸は少し言いづらそうに続けた。
「ですが……どうやら、それでは少し足りぬようでございます」
泰能が慌てて口を開く。
「貴丸殿、そのようなことを口にするものでは――」
「いや、よい。続けなされ」しかし、言綱は手を上げて止めた。
貴丸は慌てて付け加えた。
「もちろん、秀房様がお悪いということではございません」
その言葉に、言綱は静かに目を向ける。
「京の公家の方々も、決して楽な暮らしではないと聞いております。人を動かすには、人手も時間も必要でございます。御取次をお願いする以上、そのお手間が掛かることも分かります」
そこで貴丸は、ふと首を傾げた。「ただ……少し、分からないことがあるのです」
「分からないこととは?」
言綱が促すと、貴丸は答えた。
「我ら陸奥の者は、寒い土地で田を耕し、山へ入り、海へ出て、手間をかけて育て品を作ります。そして、それを主上へお届けしたいと思って、ここまで持って参りました」
貴丸は少し考えるように言葉を選んだ。
「でも……その気持ちを届けるためには、まずどなたかへお願いをし、お礼をし、その先でもまた人の手を借りねばなりませぬ。それは……なぜなのでしょうか?」
「なぜ、と?」言綱の表情がわずかに止まる。
「だって、我らは主上へ何かをお願いしに参ったのではございません。ただ、陸奥にも主上を敬っている者がおります、とお伝えしたかっただけなのです。その心ばかりの証として、陸奥で採れたものを、ほんの少しお納めいただきたくお持ちしただけなのです」
貴丸は少しためらうように視線を落としてから、静かに口を開いた。
「なのに、その気持ちを届けるまでに、こんなにも遠い道を通らねばならぬのだな、と……少し不思議に思ったのでございます。
もちろん、京には京の決まりがあるのでしょう。昔から続く大切なこともあるのでしょう。それを壊した方が良い、などとは思っておりません。
ただ……これから申すことは、不敬に当たるのかもしれませぬ。帝のお心を、私のような童が勝手に推し量ることなど、本来あってはならぬことと存じます。
ですが、私は勝手ながら、主上は日の本の民皆のことを思ってくださっているのではないかと思うのでございます」
部屋が静まり返った。泰能も、三兵衛も、言葉を挟めなかった。言綱はただ、黙って貴丸の言葉を聞いていた。
貴丸は穏やかな口調で続けた。
「だからこそ、我らも『ありがとうございます』という一つの思いをお届けしたくて、遠い陸奥から参りました。ですが、その一つの思いを届けるためには、二つ、三つ、四つと、さらに多くの銭や手間が必要になるのでございます。それは……本当に主上がお望みになる形なのでしょうか。もし、遠い土地に住む者が、主上へ感謝を伝えたいと思った時に、その道があまりにも遠くて諦めてしまうことがあるのなら……それは、少し寂しいことではないのかな、と」
言綱はただ、貴丸を見つめていた。貴丸の言葉は、公家の事情を何も知らぬ者の綺麗事ではなかった。
京の困窮も、人を動かすには銭と手間が要ることも理解した上で、それでもなお問い掛けている。
「民の思いは、どこへ届くのか」と。
言綱は視線を落とした。格式は必要である。先例も守らねばならぬ。長き年月をかけて築かれた仕組みには、それ相応の意味がある。
だが――。目の前の童が口にした疑問もまた、否定できなかった。
その者たちが思いを届けようとした時、あまりにも多くの壁が立ちはだかっている。その現実を、言綱も知らぬわけではなかった。
だが、長く朝廷に仕えるうち、それを「そういうものだ」と受け入れてしまっていた。
言綱は、改めて貴丸を見る。小さな体に、幼い顔立ち。どこにでもいる童にしか見えない。だが、その口から出た問いは、長年朝廷に仕える者ですら簡単には答えられぬものだった。
(……これは、童の無邪気な疑問なのか)
一瞬、そう思う。しかし、貴丸の表情には得意げな様子も、相手を責める意図もない。ただ、本当に不思議に思ったことを尋ねているだけだった。
だからこそ、余計に言綱には重く響いた。
長い年月の中で当たり前となり、誰も疑わなくなっていたものを、外から来た童は、ただ一言、「なぜ」と問い掛けただけだった。
言綱はしばらくの間、何も答えることができなかった。
その時だった。千代が静かに声をかける。
「叔父上、少し難しいお話になってしまいました。よろしければ、貴丸殿と書庫で本を読んでいても構いませんか?」
言綱は一瞬、貴丸へ目を向け、それから穏やかに頷いた。
「うむ。構わぬ。貴丸殿も、書庫をご覧になりたいのであろう?」
「はい。ぜひ読みたいでござるでござーる!」
貴丸が嬉しそうに答える。すると、長松丸が泰能へ目を向けた。
「では、私はこちらに残ります。泰能様から、菫殿が嫁がれてからの様子を、もう少しお聞きしたいので」
「私も聞きたいところだ。菫の近況は文で知るばかりだからな」
言綱も頷く。すると泰能が穏やかに笑った。
「それでしたら、私も言綱様にお尋ねしたいことがございます。私は菫の幼い頃を存じません。幼き日の菫は、どのような子だったのでしょう?」
「そうか。それなら、互いに聞きたいことがあるというわけだな」
言綱は笑った。「では、こちらはこちらで菫の話をするとしよう」
「はい。ぜひお願いいたします」泰能が頭を下げる。
「では、参りましょう、貴丸殿」
千代が立ち上がると、貴丸も嬉しそうに続いた。三兵衛も二人の後に続き、三人は書庫へ向かって部屋を出ていった。
残った三人は、さっそく菫の話を始めるのだった。
山科家での話はどうかなぁ。。
会話だらけだなぁ。。




