第198話 散策
そして、京へ入り、妙心寺へ身を寄せて数日が過ぎた。
戦場から戻った貴丸は、当然のように元伯から毎日のように説教を受けていた。
朝から晩まで繰り返される祖父の小言に、さすがの貴丸も少しは反省している――ように見えた。
しかし、貴丸という少年は少々面倒な性格をしていた。
何もしないでごろごろしている時間は大好きである。昼寝も好きだし、縁側で寝転がって空を眺めているのも苦ではない。
だが、それは「自分で選んだ暇」であれば、の話だった。
誰かに「大人しくしていろ」と言われ、ただ待つだけの時間ほど、貴丸にとって苦痛なものはない。怠け者なのか、落ち着きがないのか、自分でも分からないような因果な性分であった。
その日も昼前になると、縁側に座っていた貴丸は大きく伸びをした。
「……暇だなぁ」
隣で茶を飲んでいた泰能が、呆れたように息を吐く。
「貴丸殿。京へ来て早々、戦に巻き込まれた御仁の言葉とは思えぬな」
「いや、だってさ。じいさんは寺で大人しくしてろって言うけど、寺ってずっと座ってる場所だよね」
「少なくとも、貴丸殿の場合は少し座っていた方がよろしいかと」
横で控えていた三兵衛も静かに頷いた。
「俺、そんなに問題起こしてる?」
その問いに、泰能も三兵衛も答えなかった。
ただ、泰能と三兵衛が顔を見合わせたまま黙ったことこそが、何より雄弁な答えだった。
「……まあいいや。せっかく京のお寺にいるんだし、少し見て回ろうよ」
貴丸が立ち上がると、泰能は一瞬迷った。
しかし、ここで無理に止めても別の騒ぎを起こしそうだと思ったのか、小さくため息をついて付き添うことにした。
寺の建物を出て境内へ足を踏み入れると、貴丸は思わず足を止めた。京の町とは、まるで別の世界だった。
外では商人の呼び声、荷車の音、人々の足音が絶えず響いている。だが、その先にあるのは、風が木々を揺らす音と、遠くから聞こえる読経の声だけだった。
広い境内には堂宇が並び、僧たちは足音も立てずに行き交っている。そこは華やかな公家屋敷とも、活気あふれる堺の商家とも違っていた。
人に見せるための華やかさではなく、長い年月を耐え抜いてきたものだけが持つ、落ち着いた風格が境内全体を包んでいた。
「……なんか、不思議な場所だねぇ。弥太さんや」
貴丸が呟く。
泰能はゆっくり頷いた。
「そうだな。元伯殿から聞いた話では、この妙心寺はただ古い寺というだけではないそうだ」
泰能は境内を見渡しながら続ける。
「もとは花園上皇様の離宮があった場所だそうだぞ。この辺りには昔、公卿の屋敷があり、美しい花が咲く場所だったことから花園と呼ばれるようになったらしい」
「じゃあ、昔は帝が暮らしていた場所なの?」
「そうだな。その後、花園上皇様が仏門へ入り、離宮を禅寺へ改められたのだ」
貴丸は周囲を見回した。今は多くの僧が修行に励む禅寺である。
しかし、ここにもかつては帝に近しい人々が集い、長い年月の歴史が積み重なっていたのだと思うと、不思議な感覚がした。
「でも、こんなに大きな寺なのに、派手じゃないね」
泰能は少し笑った。
「それが妙心寺なのだろうな。大徳寺などと同じく、林下と呼ばれる禅の流れに属している。幕府の権威や格式を誇るよりも、修行そのものを重んじる寺なのだそうだ」
そして、少し奥へ目を向ける。
「それに、この寺は元伯殿にとっても縁深き場所なのだろう」
貴丸は境内をゆっくり見渡し、目を細めた。
いつも怒ってばかりいる祖父にも、心を落ち着ける場所がある。それが少し意外だった。
「じいさんにも、こういう場所があるんだね」
だが、この寺も平穏だけを歩んできたわけではない。
泰能の表情が少し変わる。
「ただ……この寺も昔から無事だったわけではないぞ。応仁の乱だ。妙心寺もその時に大きな被害を受けたらしい」
その言葉に、貴丸の足が止まる。
泰能は穏やかな口調で続けた。
「元伯殿も仰っていたであろう。『四十年も経ったと言うべきか、まだ四十年しか経っておらぬと言うべきか』とな」
貴丸は境内へ目を向けた。立派な堂宇や整えられた庭、黙々と行き交う僧たち。
しかし、その景色も、一度は失われ、人の手で積み直されてきたものだった。
「四十年あれば、町って戻るんじゃないの?」
泰能は少し考えてから答えた。
「建物だけなら戻るかもしれぬ。しかし、人や技、失われた記憶まで戻すには、もっと長い年月が必要なのだろう」
貴丸は黙って境内を眺めた。堺には、新しいものを生み出す勢いがある。
だが京には、失われてもなお残り続けるものがある。そんな違いを感じた。
「でも、これでも昔より良くなったんだよね?」
泰能は頷いた。
「そうだな。少し前までは、細川高国様が京を押さえ、その後ろ盾として大内義興殿が上洛されていた。大内殿は将軍様を支え、細川高国様とともに京の政を安定させた。乱れていた治安も少しずつ戻り、公家や寺社の暮らしも以前より落ち着いていったのだ」
泰能は京の方角へ目を向ける。
「だから今の京は、まだ傷跡を残してはいるが、応仁の乱直後とは比べものにならぬほど戻っている」
そこで泰能は、少しだけ苦い顔をした。
「もっとも……今川家も、かつてはこの京の争いに深く関わっていたのだがな」
貴丸が振り向く。「え? そうなん?」
「ああ。応仁の乱より後も、将軍家や管領家の争いには、多くの大名が兵を率いて加わっていた。今川もその一つだ」
泰能は小さく息をつく。
「だが、氏親様は見切りをつけられた。都で誰が勢力を広げようとも、争いはまた繰り返される。それよりも、駿河や遠江を豊かにし、国を安んずる方が遥かに大切だ、とな」
「だから京へ兵を出さなくなったの?」
「そういうことだ。武名は立つやもしれぬが、兵も銭も失うばかり。勝っても国が疲れ果てては意味がない。氏親様は、それより領国を治める道を選ばれた」
泰能は少し空を見上げて続けた。
「無論、都を見捨てたわけではない。必要とあれば手を貸すこともあろう。だが、かつてのように政争へ身を投じ続けることは、もうなさらぬだろうな」
貴丸は静かに頷いた。
貴丸には、京が少し分かった気がした。華やかなだけではない。一度は壊れ、多くを失い、それでも人々が積み重ねてきた町なのだ。
話を終えると、三人は境内のさらに奥へ足を向けた。
歩きながら、貴丸は道端に落ちていた木の枝を何気なく拾った。二十寸ほどの長さがあり、手遊びのようにくるりと振り回しながら歩き出す。
古びた堂の前では、若い僧が黙々と庭を掃いていた。誰に見せるでもなく続けられるその姿は、この寺そのものを映しているようだった。
やがて三人は寺の外へ出た。
妙心寺周辺は、京の中心ほど華やかではない。
門前には小さな店が並び、僧や参詣者を相手に茶や餅を売る者の姿がある。
薪を運ぶ者、野菜を売りに来る者、行き交う人々を相手に商いをする者――そこには、都の華やかさとは異なる、暮らしの息づくもう一つの顔があった。
貴丸は寺の屋根を見上げた。
応仁の乱で焼け落ちた町。それでも人々は戻り、崩れた寺を建て直し、今なお都を守り続けている。
(堺とは違うな)堺が未来へ向かって走る町なら、京は過去を背負い、それでも歩みを止めない町だった。
そんなことを話しながら寺の門を出ようとした、その時だった。
外れの道から、一人の少女が何冊もの書物を腕に抱え、こちらへ歩いてきた。
貴丸は何気なく、その姿へ目を向ける。
この時の貴丸は、まだ知る由もなかった。
この何気ない出会いが、やがてまた一騒動を巻き起こすことになるとは。
むむむ、、「第197話 妙心寺での挨拶」を、2026年8月7日19時に書き換えました。。
それでも、、うまく描写ができません。。
ぐぬぬぬぬぬ。。。。




