第5話 それぞれの思い
※ 金、プラチナの地金価格に関する会話は当時の価格に準じております。(今はプラチナの主な用途である工業需要が減少しプラチナの価格が金より安い様です)
勝二と乱れた翌朝にいつも行う儀式……眠っている勝二に気付かれない様に用心しながら、美穂子は自らの“白磁の”裸体を清拭する。
しかし昨日は激し過ぎた。
体には勝二が付けた跡があちこちに残っている。
「会社で着替える時に気を付けなきゃ……」とため息混じりに独り言ちる美穂子。
そして昨夜の……執拗に攻めて来た勝二に対して感じるのと同じ位に……あんなにも“オンナ”になってしまった自分にウンザリとする。
そして美穂子は思い出してしまった。
カバンの中の“松越百貨店”の包装紙が掛かった細長い小箱の事を。
彼女は忍び足でカバンから小箱を取り出し、包装紙は丁寧に折り畳んでカバンへ戻した。
鏡台の前で、丁寧な造りの小箱を開けて見ると、アパートの少々おぼつかない蛍光灯の灯りの下でさえ、そのネックレスは宝石の様に輝いた。
「銀って!こんなにも輝くものなの?? それはこの繊細なカットや美しい編み方のお陰なのかしら……」
キラキラ光るネックレスを指に掛けたまま……美穂子は鏡台の前でしばし逡巡し、結局ネックレスを身に着けた。
その輝きを鏡に映し確かめた時、首筋に勝二が付けた跡も見つけてしまった。
美穂子は深いため息で涙目になりながら、その跡に絆創膏を貼った。
◇◇◇◇◇◇
「とにかくお礼を言わなければ」と嶋本の部屋を訪ねたが、嶋本は既に出掛けた後で……美穂子は今日は独りで満員電車に乗った。
「嶋本さんの居ない車内はこんなにも疲れる物なのか……」
嶋本が自分の事をいかに護ってくれていたかを今更ながらに実感し、今、身に着けている“銀の”ネックレスを買ってくれた嶋本の気持に思いを馳せる。
「私の事を妹の様に思って下さる……なんて、都合が良すぎるわよね……でもカレは……きっと私と勝二さんの関係に気付いている。昨日、私が乱れた事も……」
美穂子はこれらをどう解釈してよいか分からないまま会社の更衣室へ入り、着替え始めた。
◇◇◇◇◇◇
保子は首元で美しく光るネックレスと首筋の絆創膏でおおよその事は察した。
『ああ、同棲しているカレといい誕生日を迎える事が出来たんだな』と思った。
しかし次の瞬間、ネックレスの留め金に『Pt950』と刻印されているのが見えた。
「あの、美穂子ちゃん!」
「はい」
「そのネックレス。お兄さんからいただいたの?」
「ええ……このあいだの保子センパイとの会話を兄に話したら買ってくれたんです」
「銀のネックレスを?」
「はい」
「でも、それ……銀じゃないわよ」
「えっ?!」
「それはプラチナと言ってね」言いながら保子は自分の金のネックレスを示して「この金と同じか……どうかするとこれより価値のある物なのよ」
「えええ??!!」
「お兄さん、それをどこで買ったか分かる?」
「松越百貨店だと思います」
「じゃあ、メーカーの保証書があるかもしれないからお兄さんに聞かなきゃダメよ!」
◇◇◇◇◇◇
「どうしよう??!!!」
高価な物に違いないとは思っていたけど、ここまで高価な物だとは……
「とにかく嶋本さんにお会いしなければ!」と長い一日を過ごし、アパートの部屋で嶋本の帰りをひたすら待った。勝二は今日も遅い様だ。
やがて隣の部屋の鍵を開ける音がして美穂子は夢中で部屋を飛び出した。
左手にカバンを持ち右手で鍵を開けようとしていた嶋本は少し驚いた様だ。
「……こんばんは」
「お帰りなさい……あの!ちょっとよろしいでしょうか? 狭いですけど私の部屋で……」
その言葉に嶋本は相好を崩した。
「今木さんのお部屋が狭いのなら私の部屋もそうなります。作りが同じなのだから」
「そうでしたね。でも私は兄と二人暮らしですから嶋本さんよりは手狭です」
「なるほど、では少しお待ちいただければ私の部屋を片付けます」
「それには及びません。兄は……今日は遅いようですし、お茶の支度もしていますから」
「では、お言葉に甘えてお邪魔する事にしましょう」
◇◇◇◇◇◇
「どうして……あの様な高価なものを下さったのですか?」
ちゃぶ台を挟んで美穂子は嶋本へにじり寄った。
「それをお聞きになられますか?困ったなあ……」
「嶋本さんを困らせる様な事は申し上げたくないのですが……こんな高価なものをいただく事も出来ません!!」
「それはもっと困ります! 弱ったなあ……では、白状しますが……笑わないで下さいね」
「もちろんです!!」
「今木さんがなさった銀のアクセサリーの話を伺って、私は考えたのです『あなたの幸せとは何だろう?』と」
「私の幸せ?」
「ええ、で、私はこう考えたのです。あなたの幸せとはお兄さんのご成功で……その願いは私も同じだと。だからお兄さんのご成功についての“願掛け”の思いで……あの日、あなたと別れた後、私は銀のアクセサリーを買おうと百貨店へ向かいました。」
「でも……」
「そうなんです。私は高校生の時分に同じ高校の女性と“おままごとの様な”付き合いをした事しかない無粋な輩なので……アクセサリーのプレゼントと言っても、デザインの良し悪しはおろか銀とプラチナの違いもあやふやです。なので店員の勧めるまま、あれを買ってしまいました。恥ずかしながらこれが顛末です。だからどうかお受け取り下さい」
この話を聞いて美穂子はアクセサリーをお返しするのは無理だと感じた。しかし私の様な女がこれを付ける資格など無いとも思った。そんな思いが彼女を俯かせ、言い訳の様に急須にポットのお湯を注ぎ足した。
「そうだ!不意打ちでお兄さんの激励会をやりましょう!……お兄さんを驚かせるんです!」
「えっ?!」
「デビュー間近で……新曲とか色々考える事の多いお兄さんの気分転換になるのでは?ついでにミニコンサートをやっていただけたら私としては無上の喜びなのですが……」
嶋本さんが……俯いている自分の気持ちを慮って言ってくれているのが痛い程分かる美穂子は努めて笑顔を作った。
「そうですね!お任せください!奮発してビフテキを焼きましょう!」
「それは凄い!楽しみにしていますよ」
◇◇◇◇◇◇
街角に座り込んでギターを掻き鳴らしている勝二。
目の前には開いたギターケースが置いてあり、そのビロードの上には1円玉、5円玉、10円玉が数枚投げ込まれている。と、新たに100円玉が投げ込まれた。
「相変らずシケてんね」
「カオリか……」
「その言い草はないよね!100円恵んであげたのに」
「オレは乞食じゃねえ!」
「ハイハイ未来の大歌手さん!」
「チャカすなよ」
「明日はどう?」
「ん?!」
「アンタの部屋」
「平日だからアイツは居ねえよ」
「じゃ、シようか」
「おう!」
「アンタ、昼飯作れる?」
「誰が作るかよ!」
「じゃあ、アンパン買ってくよ」
「オレはラリるつもりはねえよ」
「バカ!ホントのあんぱんだよ」
◇◇◇◇◇◇
昼休み時の喫茶店。日替わりランチのプレートが下げられ、嶋本は相手の女性にお代わりのコーヒーを勧める。その女性とは……保子だった。
「そうですか。美穂子さんは今日はネックレスを着けていませんでしたか……」
「えっ?! ひょっとしてあのネックレスを贈ったのは嶋本さんなんですか?どうしてあんな高価な物を?!恋人と同棲しているあの子に……」
嶋本は肩を竦める。
「美穂子さんにも同じ事を言われました。あなたには正直にお話した方が良いですね」
そう言ってコーヒーをひと口飲むと嶋本は語り始めた。
「私は美穂子さんの隣の部屋に住んでいます。そして“お兄さん”が転がり込んでくる前から……密かに彼女に対し恋心を持っていました。 しかし転がり込んで来た“お兄さん”と彼女が男女の仲なのはすぐに分かりました。“お兄さん”の本当の名前が『佐野勝二』と言うのも……それだけアパートの壁は薄く、何もかも筒抜けなんです」
「それなのになぜ?!」
「そうですね。でもこうは思いませんか?『自分に振り向くはずが無いと分かっているからつまらないものしかプレゼントしない……そう考えるのなら端からしない方が良い』と……私も男の端くれですから……二人が愛し合うのが聞こえてしまうのは正直、とても辛いのです。だから自分の家を持つ事にいたしました。ちょうど“お兄さん”がミュージシャンとしてデビューするとも聞いていましたし……それを確かめて……彼女が幸せになるのを見届けてから引越ししようと……ところが、私のツテで音楽業界を辿ってみても『佐野勝二』という名前が一向に出て来ないのです。私はやむを得ず伯父の力を借りる事にいたしました。伯父は警視監をしており、反社会的な立場の者達の情報は見聞きする機会がございます。『佐野勝二』が事もあろうに……とある暴力団幹部の情婦に溺れていると言う情報は自ずと入ってまいりました。」
「あの……ひょっとしたら私の事も?」
「あなたの事は伯母のツテから……あなたのお勤めの会社も『等々力実業』と言う会社と取引がお有りでしょう?伯母は『等々力実業』を一から立ち上げたオーナーなのです。」
「ええ??!!あの立身出世伝説の??!!」
「はい、私には母同然の優しい伯母ですが……つまり、そのツテであなたが美穂子さんの良き先輩であられる事を知り、こうして二度に渡りお願いに上がったのです」
「でも私は何もお役立て出来ませんでした……だからこの……結婚のお祝い金としていただいたお金もお返しいたします」
「そんな事は言わないで下さい。ご結婚のお祝いと美穂子さんの事はまったく別です。私の純粋なお祝いの気持として、どうかお受け取り下さい。それに私は……美穂子さんがネックレスを着けなくなられて良かったと思います。それだけキチンと物事を考えられる人に私は恋したのだと思えるから……でも恋は盲目でもあります。聡明な美穂子さんですら、その目を曇らせてしまった……私自身はどんなに嫌われても憎まれても構いませんが……あのダニだけは美穂子さんから遠ざけたい!」
「それは絶対にいけません!!」保子は思わず立ち上がり嶋本に懇願した。
「あなたが美穂子ちゃんを幸せにしてあげてください! これ以上の不幸に陥らない様!あなたがあの子を抱いてあげて下さい! あなたなら必ずそれが出来る筈だから!!」
その言葉に嶋本は深く頭を下げた。
「お言葉ありがとうございます。お陰で勇気が湧いて参りました。明日の件、宜しくお願いいたします。」
「“お兄さん”の激励会の準備の為に……美穂子ちゃんが早く帰れる様、後押しすれば良いのですね」
「ええ」
「あなたの事だから何かお考えがお有りになるのでしょうけど……どうか美穂子ちゃんを幸せにしてあげて下さい」
「はい!命に代えても……時に、あなたの未来のご主人は酒造会社をお持ちになられているとか?」
「はい」
「まだ5年ほど先の話なのですが……アメリカへ個性ある日本酒を紹介する事業計画がございます。あなたの“ご主人”にもぜひご教授を願いたいのですが……」
「ご希望は間違いなくお伝えいたしますわ」
◇◇◇◇◇◇
最寄り駅で落ち合った美穂子と嶋本はまるで恋人同士の様に商店街で買い出しをし、アパートへ向かった。
「ふふふ、嶋本さんったら!玩具屋さんでクラッカーまでお買いになって、まるで子供みたい」
「だって、せっかくだからにぎやかにやりたいじゃないですか! そう言えば“お兄さん”はもういらっしゃいますかね」
「“兄”なら今日はずっといる筈ですわ」
「それは好都合ですね」
アパートの扉の前で美穂子は嶋本に荷物を預け、鍵を取り出した。
そしてドア開けた美穂子は……見てしまった。
ここであざとくも続きでございます(^_-)-☆
明日はちょっとクライマックスになれるよう頑張ります!




