5 リミダ村の日々
アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。
ベータ(レスター):学者。
ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。
デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神官。
イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。
松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられ、レイラとして産まれる。
ロキス:旅をして売りさばく商売人。妻ミザリーと共に殺された。
ミザリー:パステルピンク色の髪に水色の瞳をした、ロキスの妻。
レイラ:ロキスとミザリーの娘。ストロベリーブロンドの髪、青と緑に見えるグレイの瞳。
マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。がっしりとした大柄な男。妻モイラと娘リリエルを殺された盗賊。
リリエル:薄い水色の髪と青い瞳。レイラは、その殺されたリリエルの色合いだけを纏い、同じ名をつけられた。
ロード:リミダ村(盗賊村)の村長。
キリア:ザイの姉。同じリミダ村の男と結婚している。
ザイ:ロードの長男。濃い緑の髪に灰色の瞳。
ローリー:ロードの次男。
リネア:黄緑色の髪に赤い目をした、マイオスの隣家の奥さん。夫はガンス。
ミルド:学者をしていたが、権力闘争に敗れて田舎へと落ち延び、やがてリミダ村の女と知り合い、暮らすようになった。ザイに勉強を教えている。
クユル:ミルドの息子。
リミダ村で与えられたのは平屋建ての、ちゃんと庭や畑もついている家だった。前に住んでいた夫婦は亡くなってしまったそうだ。だが、しばらく使われていなかった家は埃臭かった。家具や食器などは残されているが、このままでは使えない。
「まずは掃除しなきゃな。リリエルは外で遊んでこい」
「ううん。リリエルも手伝うの」
たしかにこの体はまだ小さくて疲れやすいが、成人女性の記憶があるリリエルは掃除の手順も分かっている。マイオスが全ての扉を開け放し、庭の植木に寝具や布地を干す間に、テーブルや椅子を拭いていくことにした。
(箒は私の体じゃうまく使えないし、洗い物も手が小さすぎるんだよね。こうやって拭き掃除しかできないけど)
幼児の体はすぐばててしまう。だから体に負担を掛けぬよう、それでいてマイオスの助けになるようにと考えれば、やれることも限られてしまうのだが、これまでもリリエルなりにマイオスとの二人三脚生活を頑張ってきたつもりである。
(マイオスパパに拾われてから、もう三年ぐらいかぁ。足手まといな筈なのに、結局私のこと捨てなかったな)
自分の為に、赤ちゃんのご飯は何をどうすればいいのかと、その辺りの女性に頭を下げて教えてもらい、そして時には作ってもらったご飯に何度も頭を下げてお礼を言い、・・・マイオスはそうやってリリエルを育ててくれた。
(髭もじゃで恐ろしい顔してるけど、・・・パパぐらい素敵な人なんていないよ)
こんな時、子供である事実が辛い。大人の体を持っていれば、もっと家の中のこともしてあげられたのに。
それは今までもずっと感じていたことだった。
――― どうだ、リリエル。うまいか?
――― うんっ。
マイオスの作るご飯は、正直に言えば全く美味しくなかったけれど、子供のご飯も分からないなりに頑張ってくれたのが分かったから、我が儘を言わずに美味しそうに食べてみせた。そんな時、ぼさぼさの髪と髭に隠れて分かりにくかったけれど、ほっとしたように笑ってくれるマイオスの顔を見るのがとても嬉しかった。
(だけど、まさか盗賊村かぁ。大丈夫なのかなあ。だけど、旅してる人って流れ者とか呼ばれて、あまり信用してもらえないし、かなり待遇も悪いんだよね。それを考えると、パパにとっては良かったのかも)
様々な村で雇われ仕事をしながら流れ歩き、そうしてこの村にやってきた。ここでようやく落ち着けるのだろうか。それともうまくやれずに出ていくことになるのだろうか。
今までは小さなリリエルを一人にさせられないというので、マイオスの請け負う仕事も限られていた。マイオス一人なら、何とでも身の処し様があっただろうに。
そんなことを考えながら、リリエルはせっせとすぐに使うであろう家具を重点的に拭いていく。
「まあま、マイオスさん、こんな小さな子しかいないんじゃ大変でしょう。家の中の洗い物や掃除なら手伝いますよ」
「え・・・。はあ、ありがとうございます」
リリエルが外の井戸まで行き、そこにマイオスが予め汲み上げていた水で雑巾を洗っていると、隣に住んでいるリネアが声をかけてきた。
黄緑色の髪に赤い目をしたリネアは、まさに肝っ玉母さんといった感じの、お腹もでっぷりとして貫禄のある女性だ。
「リリエルちゃんも偉いわねえ、ちゃんとお手伝いできるんだから」
おおらかな調子で笑いかけられて、リリエルは小さく頭をぺこりと下げた。
男の人と違って女の人は怖くない。だが、リリエルを連れていることで、リリエルにはその意味が分からないと思うのだろう、女の人からはマイオスに様々な言葉がかけられた。
――― 男の人が女の子をまともに育てられる筈ないでしょう。悪いことは言わないから、ちゃんとした里親に預けた方がいいですよ。
――― 子持ちなの、あんた? その子、どっかにやってくれれば、結婚してあげても良かったけど。
――― やっぱり男の人だからしょうがないのね。こんな汚れた服なんて着せて。女の子の髪をこんなに短くしてたら可哀想じゃないの。
――― 手間がかからないようにって、男の子の格好させてるだなんて非常識な。世話も出来ないなら、子供なんて持つもんじゃありませんよ。
反論はせずに受け入れるマイオスに、いつもリリエルは悲しい思いをしていた。だけど、自分がそこで父親の為に何かを言おうとしたら、余計にマイオスが責められるのだ。
――― パパは、悪くないっ。これは、リリエルが好きでしてるのっ。
――― こんなこと言わせて。子供に気を遣わせるもんじゃありませんよ。
最初はうまく話せないなりにマイオスを庇おうとしたリリエルだが、そうしたら余計にマイオスが詰られるだけだと学んでからは、何も言わずにやり過ごすようになっていた。
(ここは、母親がいなくなった子は孤児院に渡すのが当たり前の世界なんだから)
リネアはこれからのお隣さんだ。ここでうまくやっていく為にも心証を良くしておかなければならないだろう。
(こういう時は、黙って笑うようにしておくか、俯いていた方がいい)
そんなリリエルの様子に、リネアは少し心を痛めた。
(男やもめだから、こんな小さな子でも手伝う癖がついちゃったのね)
自分にも子供がいるから分かる。こんな年の子供は、そんなに家の手伝いなどしない。それをするというのは、余程今まで苦労してきたからなのだろう。
「リリエルちゃんは拭き掃除したのね。何を拭いてくれたの?」
「えっと、台所のテーブルと椅子、です。今から、部屋のベッドとか物入れとか、拭きます」
「あらまあ。ちゃんと言葉も言えて賢いわねぇ。じゃあ、おばちゃんがやるのを手伝ってくれる?」
「・・・はいっ」
だが、リリエルの予想に反し、リネアはとてもいい人だった。てきぱきと家の中に入るや否や、全てを仕切っていく。
「マイオスさん。ちょっと家具は出せるだけ出してくださいな。ガンスも手伝ってちょうだい。どうせ明日も晴れですからね。家全部を掃除していきますよっ」
「おう、分かった。マイオスさん、まあ、手分けしてやろうや」
「ほらほら。皆、この布で鼻と口元を覆って。凄い埃が出るんだから。ガンス、マイオスさんと一緒に家具の点検をしといてくださいな」
今日は畑仕事をしていたらしい夫ガンスまで動員し、リネアはちゃっちゃと家の中を空っぽにすると、まずは家そのものをチェックする。
「ブレス、このガタついている扉も直してちょうだい。ホーリーは、リリエルちゃんを連れて食器を洗ってきて。それが終わったら使える布とそうじゃないのを仕分けてから洗って干して」
「へーい。お袋、この床も直しとくよ。ちょっと家から木材持ってくらぁ」
「あ、お母さん。だけどここの食器、リリエルにはちょっと大きいんじゃないかな。うちの使わなくなった食器、持ってきてもいい?」
「いいわよ」
ガンスとリネアの息子であるブレス、そして娘のホーリーも快く手伝ってくれる。
(うわぁ。どっちも葉っぱの色なんだ。・・・こっちの世界の人ってカラフルで面白いよね)
そんなブレスとホーリーは、黄緑色の髪に緑の目をしていた。まるで草や木々の色を映したかのようだ。
「あのっ、・・・ありがとうっ」
慌ててリリエルがお礼を言うと、そばかすの目立つブレスが鼻をこすりながら笑いかけてくる。
ブレスとホーリーは双子だそうで、年齢は十四才だとか。その割にはしっかりしている感じだ。
「何だ、小さいのにリリエルは偉いな。いいってことよ。な、ホーリー?」
「そうよ。リリエルってば小っちゃいのに偉いわね」
「あんた達も見習いなさい。リリエルはまだ四才なのに、もうこんなにしっかりしてるのよ」
最初はリリエルちゃんと呼んでいたリネアは、てきぱきと仕切っている間にリリエルと呼び捨てるようになっていた。どうやらリリエルは、リネアにおける、「自分が世話してあげる子」というカテゴリ内に入ってしまったらしい。
(小っちゃいって、・・・そりゃ小っちゃいけど)
まさかローティーンに小さい子扱いされる日がこようとは。
トホホな気分になりながらも、その日はガンスやマイオスも一緒になって床や家具の修理をしていた為、気が緩んでしまったのだろう。リリエルは洗い物の手伝いをしている内に、うとうととし始めてしまった。
(あ、リリエル。なんか首がカクカクしてる)
洗い物をしながらうつらうつらし始めたリリエルを、そうと気づいてホーリーがベンチの上に寝かせる。
「ふふ、かーわいいの。・・・あら、ザイ。どうしたの?」
「やあ、ホーリー、ブレス。リリエルの様子を見に来たんだ。人が怖いって言うから、怯えてんじゃないかと思ったんだけど、大丈夫そう?」
そこで、家の前までやってきていたザイに気づいて、ホーリーが声をかける。どうやら何か用事でやってきたらしい。何かバスケットを提げている。
「ああ、そういう話だったな。けどよ、別に問題なかったぜ。ちょこまかちょこまかと手伝いもしてたしな。人と話す前にはちょっと泣きそうな顔になるけど、そこは人見知りなんだろうし、ま、いいんじゃねえの。それよりザイ、お前、昨日、この子と一緒に寝てたって? 聞いたぜ」
「うん。リリエル、シャマーみたいで可愛いから。あ、ブレス。だからリリエル、とらないでよ。この子、僕のだから」
「・・・けっ。なーにが『この子、僕のだから』だ。まあ、小さい子の面倒みんのはいいことさ。可愛がってやんな」
「うん」
ザイはまだ十才だし、リリエルも四才だ。ザイも弟はいるが妹はいなかったのでリリエルが気に入ったのだろうと、ブレスもザイの頭を撫でる。そんなザイは、母親に持たされたバスケットをリネアに差し出した。
「はい、これ。母さんが持ってけって。リネアさんに渡しといたらマイオスさんとリリエルにも食べさせてくれるだろうって言われたんだ」
「ありがとうよ、ザイ坊。じゃあ、休憩にしようか。ザイ坊も食べておゆき。ガンス、マイオスさん、一休みしましょう」
皆に声をかけて、リネアがバスケットの中にある挽き肉入りのパイを切り分けていく。
ばてて眠ってしまったらしいリリエルの頬をツンツンと突きながら、ザイはその寝顔を覗きこんだ。
(ちょっと目を離したら、もうブレスやホーリーと仲良くなってんだから。所詮、人見知りったって、慣れてしまえばそれまでなんだよな)
これは皆に徹底しておかねばと、決意する。
だって、こんなにも可愛らしい子、初めて見たのだから。男のマイオスでは気が回らなかったのだろう、リリエルの髪はぼさぼさであまり手入れもされていなかった。
だから顔立ちも目立ちにくいけど、きちんと髪を綺麗に整えたら、リリエルが可愛いことなんてすぐ分かる。
一番に自分が見つけたのだから、一番自分に懐かせなくては意味がない。
初めて鷹の雛を見つけた時のようなワクワクする気持ちを、ザイはリリエルに抱いていた。
「リリエル、起きなよ。挽き肉パイ、食べよう?」
「・・・あれ? ん、・・・ザイ?」
「うん。お寝坊さんだね、リリエル」
リリエルが目覚めたら、なぜか自分は地面に座ったザイに抱っこされていた。目を擦り擦り周囲を見渡せば、皆も車座になってパイを食べている。いつの間にか自分の手も綺麗に濡れた布で拭かれた後のようだ。なんだかさっぱりしている。
「はい、あーん」
「自分で食べれるっ」
「うん、いい子だね。じゃあ、口開けて」
ザイは全くリリエルの話に耳を貸さない。
なんで自分がこんな小さな男の子に、「あーん」などと言われねばならないのかと、リリエルはムッとした。
「パパッ、パパッ」
「わはは、良かったなぁ、リリエル。さっきから皆に可愛がってもらって」
マイオス以外の人間に抱っこされているだなんて冗談じゃなくて、リリエルは父に助けを求めた。だが、どうやら皆にペット感覚で可愛がられているらしいリリエルを見ていて、これならリリエルも安心だと、ほっとしていたマイオスは笑って取り合わない。
(良くないっ。パパっ、何言っちゃってんのっ!)
何かと里親や孤児院を勧める人達に、無理矢理リリエルを連れて行かれるのではないかと、自分をいつも傍から離そうとしなかったくせに、いきなりのこれとはどういうことかっ。
リリエルは起きぬけの動かない頭のまま、なぬっと衝撃を受けた。
だが、今まで可愛い娘には不自由な思いをさせていたが、こんなにも皆に面倒をみてもらえるなら安心だと、マイオスは安堵していたのだ。
「ガンスさんちのおかげで本当に今日は助かりましたよ」
「何言ってんですか、水臭い。ねえ、ガンス」
「ああ」
マイオスはガンスとリネアに頭を下げる。
今まで盗賊あがりなどとは口にもできず、生きてきた。変にぼろを出してもと思い、どうしても深く人と付き合うことはできなかった。
やっとありのままに付き合える仲間ができるのかと、その厳つい顔に涙も滲む。
面倒見のいいリネアと違い、ガンスも口数は少ない方だが、その気持ちが分かったのだろう。バンッとマイオスの肩を叩いた。それだけで通じ合う何かがある。
住んでいた盗賊村を壊滅させられ、流浪の日々を送ってきたマイオスは、ガンスにとっても明日の自分だ。この村だって同じことが起きればそうなりかねない。その気持ちがあるから分かりあえる。
「リリエルにも友達なんて作ってやれもせず・・・」
「そんなこと。これから沢山お友達もできますよ。それにマイオスさんは立派ですよ。奥さんを亡くしてから男手ひとつで頑張っていらしたんですから」
そうしてマイオスは、ガンスやリネアと大人達だけで話しこみ始めてしまった。リリエルがザイの腕から抜け出そうと頑張っているのに気づいていても知らんぷりだ。
(いつまでも俺の脚にしがみついてるより、リリエルも友達ができた方がいいからな)
リリエルは精神年齢二十うん才のつもりだったが、傍から見ればただの四才児だ。十才のザイも、十四才のブレスとホーリーも、子犬扱いで可愛がるのは当然である。
(パ、パパの・・・、パパの人でなしぃーっ)
いつもなら目が合うだけで分かってくれるマイオスなのに、あえて知らんぷりされたことに、リリエルはショックを受けた。
何ということだろう。自分がマイオスを求めているというのに、当のマイオスはその自分を見捨てて、こんな子供達にポンとくれてやってしまうとは。
(ひどいよ、マイオスパパ。今は、別に宴会でも大人のつきあいがあるわけでもないのにっ)
目の前で恋人から「君、だあれ? 知らないコだね」とでも言われたかのような気分に、リリエルは陥ってしまった。
それを見て、ブレスとホーリーが、
「あ。リリエルってやっぱり甘えっこだな。なんかショック受けてる」
「小っちゃい子ってママが全てだもんね。この場合はパパだけど」
と、ひそひそと囁き合う。
かなりリリエルの表情は分かりやすかった。
「だって。本当にリリエルったら可愛いね。はい、口開けて」
「自分で、・・・むぐっ」
しかし、そこで一口サイズに小さく千切られたパイが口に放り込まれる。
リリエルがそれをもぐもぐと食べれば、野菜と一緒に煮込まれた挽き肉の味が口いっぱいに広がった。
「美味しい?」
「・・・うん」
そうしてリリエルは、ザイにニコニコと勧められるままにパイを食べさせられてしまったのである。
(食べ物に罪はない・・・。このパイ、とっても美味しいーっ)
差し入れと言っても、世話焼きで定評のあるリネアだって食べるのだ。やはり、料理が下手だと思われたくないザイの母親は、一番美味しく焼けたパイをザイに持たせていた。
(母さんの十八番を頼んどいて良かった)
既に、ザイの餌付け計画は始まっていたのである。
次の日も、ザイは「こんにちはー」と、にこにことしてリリエルの家の玄関に現れた。
「おはよう、リリエル」
「おはよう。・・・何すんのっ」
「え? おはようのキス。するだろ、普通?」
「・・・・・・」
「リリエルはしてくれないの?」
「・・・したげるけど」
お返しにと、自分もザイの頬にキスしながら、何だか釈然としないリリエルである。
(そりゃ、最初の日は泊めてもらったから仕方ないけど、どうして今日もうちに来るの、この子ってば)
別に子供に好かれるのは悪い気分ではないが、それは自分が大人の姿をしていたらの場合だ。幼児の自分では、たかがこんな子供にすら敵わないのである。
リリエルの中では警戒警報が発動されていた。
(本当ならっ、それこそ私がザイの頭を撫でて、「いい子ねー」とか言う立場なのにっ)
しかし、そんなザイをマイオスは気にせず受け入れる。家の奥から現れたマイオスは、ザイの頭を撫でて話しかけた。
「おっ、ザイ。昨日はありがとな。奥さんにもよろしく伝えてくれたか?」
「うん、マイオスさん。はい、今日は蜂蜜。ミルクに入れたげたらリリエルが喜ぶだろうからって。あ、小屋が修理できたらヤギも持ってくるって言ってたよ。畑の草も食べてくれるし」
「そりゃすまないな」
そんなマイオスに、リリエルはちょっとムカムカしている。
(パパッ。大事な一人娘に、変な虫がつこうとしてんのよっ。何でそういい顔をするのっ)
ここはビシッと言ってあげなければいけない場面だ。二人とも女の気持ちというのを全く分かってない。
こんな時、父親というのは、娘の男友達には世界で一番心を狭くするべき立場なのだということを、この私が教え込んでやるのだ。
「うちのリリエルも、ザイが面倒みてくれて助かるよ」
「そんなことないです。僕の方が面倒みてもらってる感じかも?」
そんなことを言って、てへっとザイが笑ってみせる。
やんちゃ盛りなザイだが、親しいわけではない人間の前で猫をかぶるぐらいは朝飯前だ。
だが、フッとリリエルは小さな黒い笑みを浮かべて、玄関の隅っこに視線を向けた。
なんということだろう。ザイは子供のくせに、「自分の方が面倒をみてもらってます」を言ってのけたのだ。
そう、思ってもないセリフあるあるで上位ランキングな、社会人の建前セリフ(※ 独断と偏見チーム調べによる)。
それを言える奴は、基本的に外面がいいのだと、・・・あれ? 誰が教えてくれたのだろう? それが思い出せない。
だが、ここはきっぱりと言ってやろう。変な虫を追い払う為にも。
そんなことを考えているリリエルに、ザイが微笑みかける。
「ねえ、リリエル。リリエルはとてもしっかりしてるから、かえって僕の方が頼りないぐらいだよね。恥ずかしいな」
顔立ちがいいからだろう。まだ少年にもなりきれていない子供だけに、はにかむようなその表情が、とても可愛らしい。
(私が大人ならノックアウトされてた天使の微笑み。・・・だが、幼児の私には無効ってものよ)
嘘をつくんじゃない。まさか六才も年下の子供より頼りないなんて、あんた、絶対に思ってないでしょう。そんなの、小さなお子様をいい気にさせようと持ち上げてるだけだって、誰だって分かる。
そんなあからさまなセリフ、騙されるのは本当の幼児だけだ。体は子供でも、心は大人の私には通じない。
さあ、言ってやるのだ、リリエル。
「そんなことないよ。ザイ、親切だもん。とっても頼りになる」
だが、リリエルから出た言葉は全くもって本心とは裏腹なものだった。
するとザイは嬉しそうに笑った。
「本当にいい子だね、リリエル。小さいのにしっかりしてるし、難しい言葉も言えるし、素直だし」
「そうだろう、自慢の娘なんだ」
ガハハとマイオスが笑い、リリエルの頭を撫でてくる。
(何を言ってるの、私っ。ああ、マイオスパパに心配させない為に、いつも演技していた弊害がここで出るなんてぇっ)
外面がいいのは、リリエルも一緒だった。反射的に、一番好感を呼ぶであろう言葉を、勝手に脳がチョイスしてしまうのだ。
桜を見に行こうと神谷にデートに誘われて墓場まで連れて行かれても、そこで怒って帰ることすらできなかった自分を、リリエルは過大評価しすぎていた。
「だけどリリエルはまだ子供だから、危ないことはしちゃ駄目だよ。ちゃんと手伝ってあげるから、何かあったらまずは僕に言ってね」
何かあったらと言う言葉をかけてくる人に限って、いざという時には何もしてくれない。だから気をつけろと、・・・誰が教えてくれたのだろう? やはり、思い出せない。
「良かったなあ、リリエル」
「うん。ありがとう、ザイ。本当のお兄ちゃんみたい。リリエル、とっても嬉しい」
マイオスの笑顔を曇らせたくなくて、必要以上に可愛らしい笑顔を作ってしまう。しかも、どうして自分はそこまでリップサービスを振る舞っているのか。
(ああああっ、私のばかぁーっ)
こうしてザイは、父親公認のリリエルのお友達第一号に見事納まってしまったのである。
マイオスにしてみれば、ザイがリリエルを本気で可愛がってくれている様子なのは、瓢箪から駒といったものでもあった。
(よそから来た以上、警戒されてる筈だ。ザイがお頭の長男である以上、うちで変な動きがあればすぐ気づくだろうし、いざとなったらリリエルを人質にもとるといったことも踏まえて近づいてきているとみた方がいい。ならば自分達はこの村に対して全く害意はないのだと示す為にも、受け入れておこう)
村ぐるみで後ろ暗い稼業をしている以上、その秘密が漏れたら村全てが討伐対象となる。マイオスとて新参者だ。村に不利益をもたらすのではないかと、リミダ村の人々も油断はしていないだろう。
人を陥れたりしようと思わないリリエルには全く考えもつかないことだったが、マイオスには自分達の置かれた立場が分かっていた。以前の自分がいた集落でも、新参者が入ったら皆で行動を見張っていたからだ。
同時にザイはザイで、そんなこととは関係なく、単に皆が目をつける前にリリエルを真っ先に手懐けようとしただけである。
本当の監視人は、隣家のガンスとリネアだった。
当初こそ、マイオスにポイされたようでショックを受けていたリリエルだが、マイオスが忙しそうなので諦めるようになっていた。
(マイオスパパだって、この村の人達に認められなきゃいけないんだもん。一緒にいてって、我が儘なんか言えないよね)
リリエルが本当の赤ん坊状態でマイオスに拾われていたなら、そして幼児並に周囲が分かっていなかったなら、父親が自分を他人に預けることで泣き喚いても迎えに来てくれたらすぐに機嫌を直して、そういった状況に慣れていったことだろう。
マイオスは村の男達に混じって働くようになり、そしてリリエルは隣家のリネアや、お頭の息子であるザイに面倒をみてもらうようになっていた。
「今日は猪の罠を皆で見に行くからな。調理にはリネアさんも駆り出されるだろう。リリエル、今日はザイの所へ行っておいで」
「・・・うん、パパ」
リネアはともかく、ザイは子供でも男の子だ。どうしてマイオスは自分を、他の男の子に簡単に渡してしまうのかと、かなり内心では不貞腐れていたリリエルは、複雑そうな表情で頷いた。
自覚こそしていなかったが、美冴の意識を持つリリエルは、自分の為に様々な人に頭を下げ、小さな自分を一人で放置できないからと安い賃金の仕事でも真面目に働き、そうやって懸命に自分を育ててくれていたマイオスにひそかな淡い恋心を抱いていたのである。
その形にもなっていない、自分でも分かっていない淡い想いは、自分を育ててくれる父親に対する思慕と、自分ならこんなにも必死になって赤の他人を育てられないという成人女性ならではの敬意が混じったものでもあった。
「どうした、元気がないな。具合でも悪いのか?」
「ううん、そんなことないよ。パパ、頑張ってね」
「ああ。ちゃんとザイの言うことを聞いていい子にしてるんだぞ」
けれどもマイオスを心配させたくなくて、リリエルは満面の笑顔を作ってみせる。
そうしてマイオスを見送れば、ザイもやってきた。
「おはよう、リリエル」
「ザイ。おはよう」
おはようのキスも、五回目となれば慣れたリリエルだ。
普通のおうちではおはようのキスをするのかと、リネアにこっそり尋ねたリリエルは、
「可哀想に。今までそんなことも知らなかったんだねっ」
と、リネアからほっぺたにキスされまくって終わってしまった。
どうやら、そういうものに憧れていたと思われたらしい。
従って未だに引き続き、それが一般的なのかどうかが分かっていないリリエルである。
「今日は、村のみんなと遊ぼう? みんなね、リリエルと会いたがってるんだよ」
「・・・うん」
正直、子供達と遊ぶだなんて面倒臭い。これでも自分は大人なのだ。今更、泥んこ遊びに夢中になる年でもない。
しかし、そんなことも言えずにリリエルは曖昧に頷いた。
なぜなら自分は四才児。ここで、
「私はいいわ。家の仕事をしておくから。ザイはみんなと遊んでいらっしゃい。危ないことはしないのよ」
なんて言えるわけもない。
とぼとぼと、ザイに手を引かれて連れて行かれれば、村の子供達が物珍しそうにリリエルを取り囲んだ。
「うわぁ、この子が新入りかぁ。マイオスさんには全く似てねえのな」
「へえ、まだ小っちゃいんだぁ。リリエル、おいで。あっちにお花畑があるのよ」
「そんなのより、小川に連れてってやるよ。沢蟹だっているんだぜ」
「それなら皆で山に行きましょ。美味しい実がなってるのよ、リリエル」
「えー。それなら川で泳ぎに行こうぜ。な、リリエル。その方が楽しいよなっ」
「それなら追いかけっこしようよ。ちゃんとリリエルはみそっかすで入れたげるからさ」
「やめとけって。こんなトロそうなリリエル、すぐこけて泣くのがオチだっつーの」
「・・・・・・あのさ、みんな。その前にリリエル、びびってない?」
いきなり集団に囲まれて、わいわい言われてしまったリリエルは、頭がフリーズしてしまい、ザイの手を握ったまま固まっていた。
(こ、怖いよおぉっ)
大人の体なら何ということもなかったが、今の自分は小さな子供。村の子供達といえども、今の自分より背も体格も大きく、上から覗きこんでくるのだ。
そもそもアスファルトの道路が当たり前の、地面だなんて学校のグラウンドや公園といったもの程度しか馴染みのなかった美冴である。遊ぶのだってお部屋の中でお友達と二、三人程度と、そう育てられてきた彼女に、この世界の子供達はあまりにも野性的すぎた。
「あ、本当だ。なんかブルブルしてる」
「えっ? なんか泣きそうになってない?」
「うん。唇、噛んじゃってるよ、この子」
「うわぁ、本当だ。よっしゃ、いいものをやろう、リリエル」
そう言って、一人の男の子がポケットに手を突っ込む。そうして、大切そうにそれを差し出した。
「ほら、リリエル。プレゼント。見つけたばかりの子ども蛇さ」
「っ!!!!!」
目の前にそれを突き出されて、渡されそうになったその現実に・・・。
「っわあああぁぁんっ! パパぁ、パパーッ」
リリエルは耐えられなかった。
あまりの恐怖にリリエルは泣き叫んで後ろへ逃げようと駆け出し、・・・そして派手にスっ転んだ。
「リリエルッ、いきなり僕の手を離すなよっ。ああ、もう、鼻から地面に激突しちゃって」
「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・」「・・・」
慌ててザイが駆け寄って助け起こす。
しかしリリエルは先程見たものが恐怖で、そんな言葉も聞いていなかった。
「帰るぅっ、おうちに帰るぅっ。パパぁーっ」
「・・・やれやれ。リリエルは蛇、駄目みたいだ。ロクム、ちょっと隠してやって」
「も、逃げた」
ザイが呆れながらもロクムに取り成せば、ロクムも両手を広げて肩をすくめてみせる。
「そっかぁ。リリエル、小さな蛇、駄目なんだ。じゃあ、ウシガエル、あげるよ。これね、おっきくて鳴き声も、ブモォーッ、ブモォーッて、面白いんだよ」
「っ!! っぎゃああっ!」
「・・・フィルグ。悪いが、その蛙も隠してやって」
フィルグが差し出したウシガエルは、顔面よりも大きなサイズで、リリエルは再び恐慌状態に陥った。
通常の幼児ならそもそも蛙や蛇に対して怖がる認識がまだないので喜ぶのだが、リリエルは美冴の価値観が根底にあった。
「本当にリリエル、弱い子なんだな」
「こんなんで生きてけるのか?」
「まあ、まだ小さいしな」
「じゃあ、お花をあげる。ね、リリエル。お花なら大丈夫でしょ?」
そう言って差し出されたピンクの花は可愛くて、リリエルも手を伸ばしそうになった。が。
「虫ぃーっ」
受け取った時にその茎についていたアブラムシに気づき、リリエルが絶叫する。
「虫がぁっ、潰れたぁーっ」
受け取った時に潰してしまった虫が怖くて、ザイの服で指をせっせと拭いたが、気持ち悪さが拭いきれない。
都会育ちの美冴は、花は綺麗に整えられて売られているものという認識しかなかったのだ。
「・・・え? 虫も駄目なのか? 悪い、リジー。リリエル、虫も怖いみたいだ」
ザイもまたもや呆れ顔である。
だが、ここでは自分を抱え込んでいるザイしか頼れる人はいない。
リリエルはザイのお腹に顔を埋めて、ひしっと抱きついた。
「虫も怖いってどんなんだよ」
「本気で駄目な子なんだな、リリエル」
「小さいんだから怖がりなのは仕方ないよ。その内、リリエルだって強くなるさ」
結局、その日はずっとザイにくっついてリリエルは過ごした。少なくともザイは先にリリエルに尋ねてくれるし、いきなり怖いものを見せて脅かしたりはしないからだ。
(い、今まで、お部屋の中でお留守番しかしたことないから分からなかった。なんで蛇とか蛙とか、あの子達、平気なのよぉーっ)
しかも子供というのは大人と違い、一度言ったら理解するというわけではないらしい。
「リリエル。これぐらいなら大丈夫?」
などと尋ねながら、にゅっと目の前にミミズや幼虫を差し出してくるのだ。
「・・・っ!!!」
「やめとけって、レウロ。リリエルは、多分、・・・生きてるもの全てが怖いんだよ」
と、ザイが止めてくれなかったら、遠慮なくそれを手に握らされていたかもしれない。
(ザ、ザイに引っ付いておこう。この中でまだ安全なのはザイだ)
リリエルは、今まで警戒警報発動中だったザイが子供達の中では一番の保護者になり得るのだと、この僅かな時間で強く認識させられていた。
(何であんなの、平気で触れるのよぉっ)
さすがの子供達も、リリエルが本気でビビッて泣いてしまったとなると、諦めるしかない。
「じゃあ、リリエルはそこでザイと一緒に見てるのよ」
と、声をかけて自分達だけで遊んでいた。
そうしてザイに手を引かれて家に帰ってくる頃には、リリエルの心は完全にザイを保護者認定して受け入れていた。
「どうした、リリエル。何で、そう手を洗ってばかりいるんだ?」
「・・・怖いから」
「?」
そしてその日は、家に帰ってきてからせっせと何度も何度も手を洗っているリリエルに、マイオスは首を傾げたのである。
リミダ村の子供達は、自然が遊び相手だ。山にも入るし、湖や池、川での遊びも何でもござれである。
「ザイ、珍しいな。今日はリリエルのお守りじゃないんだ?」
「ああ。朝の内に遊んでやってたら、疲れきっちゃったらしくてさ。だから寝かしてきた」
「へえ。なら、これから狩りに行こうぜ。巣穴らしいのを見つけたんだ」
「いいな」
それぞれに弓矢や槍を持って用意をする。
リリエルは自分と遊んでくれるザイもまた、家の中で静かにしているのが好きな子だと思い込んでいたが、本当のザイは全く違っており、木にも登れば、川で銛を使って獲物を仕留めたりもする、かなりの腕白坊主だった。
「大体、リリエルじゃつまらなくねえの? あの子、こないだ、道で蛇見つけて震えてたぜ。蛇はいなくなっても、足がすくんで動けなかったらしくてさ。別に毒もないっつーのに」
「そうだよ。しかも畑の土を掘り返してたら幼虫が動いてたってんで悲鳴あげてたって?」
「大きな蛇は仕方ねえだろ。女の子なんだから怖くても仕方ねえって。・・・けど、幼虫まで怖がるのはなぁ」
「こないだ、セミが顔に止まったってんで、泣いてたけど」
「叩き落とせばいいだけだろ」
「怖くてできなかったみたいだ」
「どんなんだよ」
しかし、そういう少年達もリリエルが嫌いなわけではない。ただ、あまりにも怖がりがすぎるので、何にも誘えないのがちょっと悔しいだけなのだ。
リリエルは小さいなりに可愛い女の子だった。
「なら、ドルー達も家の中で一緒に遊んでやりゃあいいのさ。お話をしてあげるだけなら、懐いてくるぜ」
「そう言いながら、ザイがリリエル独占じゃねえか。そんなに気に入ったのかよ」
「ああ。だって何を見ても涙目になって震えてしがみついてくるんだ。うちのローリーじゃ、あんな可愛さはねえしな」
弟のローリーもまた、ザイに似て元気な男の子である。ザイにとって、リリエルはあまりにも弱々しいところが、変にかまいたくなるツボに入ったのだ。
「さ、犬も連れて行こうぜ」
「ああ」
それでもリリエルに付き合ってばかりでは、冒険を求める体が疼く。だからザイは、リリエルの前では大人しい少年を演じながらも、こうして体力を発散させていた。
リリエルがその事実に気づかなかったのは、他の男の子はリリエルが泣き顔になるのが可愛くて、ついつい虫や蛙などで脅かしてくることが多く、・・・仲良くするに至らなかったからである。その点、ザイは大人びていたのだろう。
他の男の子達は可愛い女の子を見たら、からかっていじめてしまう本能に忠実だったのだ。
戦争には金がかかる。
しかし、民心を集め、熱狂させ、そして国として一丸になるにはぴったりの作業だ。
「いずれ確実にあの街を落とすようにと、そう内示が届いている」
「だが、あそこは手強い。これ以上、兵士を失い続けては、帝国の屋台骨が揺らぎかねんだろう。内々にだが、そういったことも聞いている。かなり深刻な問題だとか」
「・・・ほどほどの所で終わらせてくれれば良かったものを。どうしてこんなにも戦い続ける日々へと突入したのか」
「そんなことを言っても仕方あるまい。結果を出す。全てはそれだけだ」
どんな戦争も無条件で勝てるのであれば、誰も苦労はしない。
互いに探り合う視線が絡んだ。そこで、一人の男が手を挙げる。
「だが、まだ急ぐわけではないのだろう? ならば、提案があるのだが・・・」
そうして男は語り始めた。
先日、ふと気が向いて入った酒場で大言壮語を吐いていた兵士のことを。
「まさかその場に私がいるとも知らず、その男は自分ならもっと簡単にやってみせると言ってのけたのですよ。さすがにその後で気づいて震えておりましたがね。ま、ただの虚言ながらも、この際だ。責任を取らせてもいいでしょう」
どうせ、捨て駒だ。
なるほどと、皆も同意する。
「こっちがこれ程に苦悩しているというのに、下っ端は言いたい放題言ってくれるのだからやっとれん。いい機会だ。見せしめ代わりにさせてみては?」
「全くだ。駄目で元々と思えば腹も立たぬ」
「そうだな。こんなことを本気で採用しようと思ってしまうのだから、・・・我らも戦に飽いてきたというものなのか」
そこに自嘲の笑みが浮かぶ。
長引くそれに、誰もが同じ思いを抱いていたのだ。
やがて、皆がその場を解散していく。
手を挙げて提案した男は、一人の兵士を呼びつけた。
「例の奴を呼べ」
兵士は、その命令を即座に遂行した。
マイオスとリリエルのリミダ村生活は、リリエルのカントリーライフにおける適応問題はともかくとして、おおむね順調にいっていた。
「今年も豊作だな。今年の冬越しはかなり楽になりそうだ」
「そうだな。小麦の収穫量もそうだが、山の獣もかなり肥えてて、毛皮も高く売れた」
「果実も鈴生りだったしな」
そんな会話がなされている横を通り過ぎながら、ザイは僅かに目を伏せた。
こうして村の中を歩いていると、数年前とは段違いで実りが豊かになったと感じる。
(結局、収穫高の問題なんだよな。盗賊をするかどうかってのも)
物心ついた時から、この村は盗賊で稼ぐしか生きていく術はない村だった。自分もいずれそうなるのだろうと思いつつも、心の中で叫ぶ何かがあった。
(誰だって金がなけりゃ生きていけない。だから、ある所からもらうしかない。・・・だが、それをいつまで続けられる?)
ザイは村長の長男だったからなのだろう。ミルドという名の、リミダ村の女と結婚した学者崩れの男がザイの教育に当たったが、その男に勉強を教えてもらいながら、ザイは色々と考えずにはいられなかった。
ミルドの息子であるクユルが、やはり思慮深い性格だったこともある。クユルは完全に家の中で書物を眺めているのが好きな子供だったが、ザイは外で体を動かす方が好きだった。
――― よう、クユル。何、持ってんだ?
――― やあ、ザイ。肥料の本だよ。いつも家の中にいるなって追い出されたから、野原で読もうと思って。
――― ふーん。肥料、ねえ。それ、読んだら後で分かりやすく教えてもらえるか?
――― いいよ。これぐらいなら、そうだな、夕方前までには読めると思う。あ、だけど、あまりこの村の役には立たないよ。だって、これ、牛糞とか鶏糞を使う奴じゃないし。
――― いいんだよ。だって、違う肥料を使ってる地域もあるってこったろ。
だが、クユルは父親のミルドから様々なことを教わっていたからだろう。ザイはクユルと話すのも嫌いではなかった。
リミダ村のお頭であるロードに気兼ねしてザイに教えないことも、ミルドは自分の息子には教えていたからだ。
(学者崩れっつっても、ミルドさんは単に出世競争で敗れて都落ちしたってだけで、馬鹿な人じゃない。そのミルドさんは、既にこの村が盗賊で暮らし続けていくのは、いずれドン詰まると考えてるってことか)
クユルと話していると、そういう自分には教えなかったミルドの視野を知ることができる。そして恐らく、それは間違っていないのだ。
(なら、どうやったらこの状況から抜け出せる? そもそも盗賊家業をしなくちゃならないのは、畑や山で収穫できるものでは食っていけないからだ。税だって厳しい。それをどうすれば改善できる?)
だが、まだ子供の自分に力などない。
けれどもザイは、元々、勘のいい子供でもあった。
何となくやってみたら良い結果に繋がることが多いというのだろうか。
釣り糸を全て食いちぎる魚がいるというので、何となく頑丈な網を投げてやってみたら、大きな魚であるシャマーを捕まえることができたように。
いつもは持ち歩かない斧を持って山に入ったら、熊に襲われ、その斧で命拾いしたりしたように。
「あーっ、どうしろってんだよっ」
考えれば考える程、難しすぎて分からない。ザイはぐしゃぐしゃっと頭を掻きむしった。
子供の自分が考えたぐらいで村の生活が豊かになるなら、とっくの昔になっている。
頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったことで叫びながら、ザイはブルブルと頭を振って気分をリフレッシュした。
以前は小さな魚しかいなかった小川でも、最近は様々な魚が泳いでいる。おかげで魚料理もよく食卓に上る。また、村で飼っている牛や豚などの成長もかなり良い。
(だが、リリエルのことだけは隠さねえと)
人馴れしていない野生の小鳥を懐かせようと思う気持ちで近づいた、小さな女の子。
けれどもある日、確信した。
彼女が来てから、少しずつリミダ村が豊かになっていっていることを。
(今日はリリエルを、村の外れのシャーリー婆さんの畑に連れていって遊ぶか)
ずっと使われていなかったにもかかわらず、マイオスとリリエルが世話している畑の成長が良いことに気づいたのが、ザイが気づいた始まりだった。
そこでおかしいと思ったのも、ミルドに土の見方と植物の成長について教わっていたからだ。マイオスがいかに手入れをしようと、最初の一年はまず貧しい実りにしかならない筈だったのに。
(リリエルの異常さは隠さなくては。知られたら取り上げられる)
六才になったリリエルは、皆からおさがりのスカートやワンピースをもらったりして、可愛い格好をするようになった。髪の毛もちゃんとザイが切り揃えてあげている為、とても可愛くなってきている。
「ザイ兄さんだけ、リリエルと遊んでるのは狡いよ。僕だって遊びたいのに」
「ならお前もリリエルと遊べばいいじゃないか、ローリー」
ある時、弟のローリーに対してそう答えたザイだったが、ローリーはザイ程に思考を巡らせるタイプではなかった。
「リリエル。これ、綺麗な色だろ?」
「・・・やだあぁぁっ、ザイーっ、ザイ、どこぉーっ!?」
と、エメラルドグリーンの毛虫をプレゼントで渡して以来、リリエルから完全に避けられている。
(なんでローリーって馬鹿なんだろな。蛙やミミズが駄目な子が、毛虫なんて大丈夫な筈ないのに)
そんなリリエルだが、ザイにはいつも駆け寄ってくるようになった。
――― 前はリリエル、何かというと、「パパ、パパ」って泣き叫んでたのに、最近は僕の名前ばっかりだね。
――― そっ、そんなことないもんっ。
――― そお? けど、何かあったら僕を呼ぶんだよ?
――― うんっ。
最初は警戒していたからだろう、毛を逆立てて威嚇してくる感じだったリリエル。ザイがマイオスにリリエルの世話を任された時には、泣きそうな顔で落ち込んでいた。
けれどもいつだってリリエルが泣かされる時にはザイが傍にいたものだから、今のリリエルが助けを求めて呼ぶのはいつもザイの名前だ。
「狡いよ、兄さんばっかり。プレゼントだって兄さんならリリエルは喜ぶんだから」
「ローリーみたいに毛虫なんてやらないし」
その辺り、ザイの方が要領はいい。毛虫ではなく、それが孵化して蝶になってからプレゼントしたのである。
「はい、リリエル。綺麗な蝶だろう? 籠に入れてあるけど、君が見たらお花の上に放してあげるといいよ」
「うわぁ。ありがとう、ザイ。とっても綺麗な青色。お日様にあたってキラキラ輝いてる」
「そうだろ? この蝶の翅をむしって飾りにしたりもするぐらいさ」
「え・・・? だけど、翅、とったら可哀想だよ」
「なら、リリエルが見たら、放してあげるといいよ」
ちゃんとリリエルに花を渡す時だって、その前には虫を全て取っているものだから、信頼はばっちりのザイだ。その蝶もとても喜ばれた。
ザイがリリエルを独り占めすることを、最近では誰もが諦めて受け入れている。
シャマーの時もそうだったが、ザイは気に入ったら周囲が何を言おうとどこまでも可愛がるのだ。
しかし、ザイにはザイの思惑があった。
(色々な場所に連れていって遊んでいるからだろう、様々なところでの収穫量が上がってきている。やはりこれは偶然じゃない)
おかげで、最近は盗賊業も皆がサボりがちだ。それでも大丈夫なぐらいに、この村の実りは豊かになってきている。
だが、これを続ける為にはずっとリリエルをこの村に留めておく必要があるだろう。
(けど、俺だってまだ子供だし、リリエルも子供だしな)
それに、それが一生続くという保証もない。
ザイもまだ十二才だ。分からないことは多い。
(なるべくリリエルには誰も近づかせないようにしよう。こういうのは、知られたら終わりだ)
初めはただの独占欲だった。
けれども今はリリエルを守る為に。
ザイは、その晴れた青色の空を見上げて溜め息をつく。リリエルの髪より少し濃い色の空は、どうしてリリエルにそんな力があるのか、その謎を語ってはくれないけれど。
それでも誰にも相談してはならないことを、ザイは既に気づいていた。
様々なカードを床にぶちまけ、彼は吐き捨てた。
「あんの尻軽がっ」
だが、それを言っても仕方がないのは分かっている。それに彼女が悪いわけでもない。
その不実を責められないのも分かっていた。
そこへ、トントンとノックの音が響く。
「はい」
すると、「入るぞ」と、声が掛けられる。
「なんぞここには不似合いな言葉が聞こえたように思ったのだがの」
「・・・失礼しました。私事にございます」
だが、扉を開けて入ってきた老爺はニコニコとしていた。
「腹が立つことでもあったか。まあ、何にしてもそなたが感情的になるのは珍しい。良いことだ」
「・・・・・・聞こえてたくせに、イヤミったらしいことをおっしゃらないでください。大したことではありません」
不本意そうに言えば、老爺は更ににこやかになる。
「いやいや。・・・ところでのう、今すぐではないのだが」
「はい?」
彼はとても嫌な予感がした。
この老爺は、自分を可愛がってくれるのはいいのだが、・・・人生修行とか称してとんでもないことばかり押しつけてくる傾向がある。
それでもこの老爺に師事している以上、逆らえないのが辛いところだ。
「そうさな。茶葉を買ってきてもらいたいのだ」
「・・・別に構いませんが。明日の朝でよろしゅうございますか?」
「いやいや、そこまで急ぐ必要はない。ゆっくり用意してからでいい」
たかが店に茶葉を買いに行くのに、何の用意をしろというのか。
彼は、視線だけで、「寝とぼけるじゃねえぞ、このクソジジイ」と言ってのけた。だが、口にはしない。いつでも彼は人に対しては丁寧な口調と仕草を心がけていた。
「やはり茶葉は産地のものに限る。まあ、行く時は一年分ぐらい買い付けてきてくれればよい」
「どこの国まで買いに行かせる気ですかっ」
抹殺してもいいだろうか、この爺。
彼はほんのちょっぴりの本気を混ぜてそう思った。
自分ならできる。ついでにこの老爺の跡継ぎは自分と決まっている。ならば早いか遅いかの違いしかないではないか。
その気配を感じ取ったのだろうか、老爺は呆れたような視線になった。
「これこれ。短気は損気じゃぞ。情けないことよ。それだけの資質がありながら、それを活かしきれぬとは、未熟者とそしられても仕方あるまい」
「私のこれを資質とおっしゃいますか」
彼はクッと皮肉気に笑った。
しかし老爺はその若さをたしなめるかのように頷く。
「そうだとも。・・・焦らないことを学ぶのも大事なことだ」
「・・・はい」
「自分を信じるがいい。無駄なことはない。その悩みも苦しみも、いずれ全ては結果に結びつく」
老爺は、そこで穏やかに笑った。
「お前が幸せにならぬ筈がない。さあ、ちょっと今夜は目が冴えておるのだ。星を見ながら昔話にでも付き合ってくれんかの」
「・・・年寄りの昔話はいつも同じことばかりで、聞くだけ無駄だと常に感じております」
「いずれそなたも年寄りになる。そうしたら、その時の若いもんに同じ思いをさせてやればよい。歴史は繰り返すと言うではないか」
「わざと使い方、間違えていらっしゃいますよね」
文句こそ言ってはいたが、彼はその老爺を嫌いではなかった。
手際よく、屋上に持っていく茶器と水差しとをまとめてトレイに載せる。屋外での茶会は、湯をゆっくり沸かす時間も含めて楽しむものだ。
「いつも同じ話ばかり聞かされるのは苦痛です。今日は私が違う話をいたしましょう。・・・そうですね、違う星の話でもいかがでしょうか」
「それは楽しみだ。そなたの話はいつも面白い」
そうして二人は部屋を出て屋上へと向かった。
その日は星が綺麗に見える、とてもよく晴れた夜空だった。




