4 水色の髪のリリエル
アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。
ベータ(レスター):学者。
ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。
デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神官。
イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。
松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられ、レイラとして産まれる。
ロキス:旅をして売りさばく商売人。焦げ茶に近い金髪と黒に近い灰色の瞳。
ミザリー:パステルピンク色の髪に水色の瞳をした、ロキスの妻。
レイラ:ロキスとミザリーの娘。ストロベリーブロンドの髪、青と緑に見えるグレイの瞳。
マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。がっしりとした大柄な男。妻モイラと娘リリエルを殺された盗賊。
リリエル:薄い水色の髪と青い瞳をした女の子。
ロード:リミダ村(盗賊村)の村長。
キリア:ザイの姉。同じリミダ村の男と結婚している。
ザイ:ロードの長男。濃い緑の髪に灰色の瞳。
ローリー:ロードの次男。
リネア:黄緑色の髪に赤い目をした、マイオスの隣家の奥さん。夫はガンス。
産まれたばかりの赤ん坊は、まさに無能だ。泣き喚くことしかできない。
感情もコントロールできないのだ。おしっこで濡れてしまった股が不愉快になっても、ぐずるしかできない。
「ふぎゃぁっ、ぎゃっ、ぎゃあぁっ」
「あらあら。今度はなあに? おっぱいかしら? ・・・あら、おしっこしちゃったのね」
股を覆っていた布が外されたら、とっとと逃げる。床を這うように転げていくのだ。
何故なら、布を巻きつけられるのが不愉快だから。
「あっ、こらっ、待ちなさい、レイラ」
だが、彼女はすぐに母親に捕まってしまった。そう、かつて美冴と呼ばれていた彼女は、今はレイラと呼ばれる女の赤ちゃんになって産まれてきたのだ。
しかし、母親に待ちなさいと言われて待つ赤ん坊はいない。
(だって何もつけてない方が気持ちいいんだもーんっ)
あんな布を巻きつけられていたら、お尻が蒸れてしまう。気持ちが悪いのだ。トイレに行きたい時はちゃんと教えるから、おむつはやめてほしい。せめて普通のパンツでよろしく。
「あぎゃ、あば、あわぎゃっ」
「はいはい。そうね、じゃあ大人しくして」
「ふっぎゃーっ」
ただ、問題は自分の意思を母親に伝えられないことだ。何といっても、・・・口が回らない。しかも自分はかなり視力が悪いようだ。周りのものがよく見えない。
(ああっ。最近、あぎゃーとか、ふぎゃーとか、そんなことしか喋ってない気がするっ)
言葉をうまく喋ることができないなら、身振り手振りで示せばいいのだろう。だが、・・・この体はかなり不器用なのだ。立とうと思ったらこける。歩こうと思ったらつんのめる。手で示そうとしたら短い上にうまく動かない。
(あ、ダメだ。もう寝る・・・)
しかも、長くは起きていられない。すぐに眠くなってしまうのだ。一日のほとんどを寝ているのではないだろうか。
「寝ちゃったみたいね、レイラ。・・・しばらく寝ててちょうだいね。さすがに私も疲れたのよ」
そんな言葉を聞かされては、さすがにお腹が空いたと泣き喚き、お漏らししたと泣き喚き、更には見事に歩いてみせようとしたらつんのめって頭から床に激突し、あまりの痛さに泣き喚いた覚えがあるレイラも、それなりの罪悪感を覚えずにはいられない。
(ご、ごめんなさい・・・。だって、だってこの体、我慢しておきたくてもすぐにトイレしたくなるし、すぐにお腹がすいちゃうんだものぉーっ)
しかも、この体はかなり使い勝手が悪い。座ることすら上手にできずに後ろへ倒れてしまう。体と比較して頭が重いからだろう。すぐ後ろへとひっくり返っては頭を打って泣き喚いてしまう有り様だ。
だが、自分だって好きで手間を掛けさせているわけではない。
しかし罪悪感はそれなりにあるので、せめて今はいつもよりちょっと長めに寝てあげようと、彼女は思った。
(ああ。スーパー天才赤ちゃんになれると思ったのに、まさかこんな・・・)
天才どころか、自分ではできるつもりでやろうと思っては失敗し、思った通りの結果にはならずに落ち込む日々だ。
そんなレイラと名付けられて暮らしている日々は、いささかプライドなど影も形もなくなっている有り様だったが、それなりにのんびりとしたものだった。
(だけどママはともかくとして、パパはどこかな。見たこと、ないんだよねえ)
そんな疑問を抱かないわけではなかったけれど。
お手伝いさんも通いで来てくれているらしい家は、身分が高いわけではなさそうだが、それなりに裕福そうだ。
母親も優しげでおっとりとしており、お手伝いさんとも仲良くやっているようだ。地球では考えられないパステルピンク色の髪に水色の瞳をした、可愛い感じの女性である。体はスレンダーで、ちょっとおっぱいは小さめだ。できればもっと大きい方が嬉しいのだけど。
(い、いやいや。そんな変態親父みたいなことを本気で考えてるわけでは・・・っ。ただ、あとちょっとつかむところが大きいと嬉しいなぁって)
やはり大きいおっぱいの方がミルクの量も多いのではないだろうか。今、そんなことを考えずにはいられない。
赤ちゃんというのは皆に抱っこされるのがお仕事のようなものらしく、他にもまさにミルクタンクと言わんばかりの胸の持ち主がいた為、レイラはその胸をわしわしと触って飲ませろと主張してみたのだが、
「あらあら。もう、おばちゃんのおっぱいは出ませんよー」
と、笑われてしまった。
(そうなのか。やはり出ないのか。ならばどうして、そんなにもボインを見せつけるのだ)
今のレイラにとっては顔の美醜や体型よりも、あくまで胸の大きさこそが一番のチェックポイントである。人間は、置かれている状況によって価値観も変化するのだと知った。
かつて贅肉のない細いウェストに憧れていた美冴の価値観など、レイラの食欲の前には塵にも等しいくだらなさだ。
腹が三段でもいい。顎が二重でも構わない。大事なのはそんなことじゃない。
(女の価値はおっぱいだっ。ママー、頑張ってもっと育ててっ)
魅力たっぷりな大きな胸の持ち主からはノーを突きつけられるという理不尽な目に遭わされ、結局スレンダーで胸も控え目な母親にミルクをねだるというのが、レイラの日課になっていた。
(もしかして私、体に精神年齢も引きずられてないかなぁ。なんか、そんな気がするんだけど)
涎を垂らして眠る自分の口元を、優しく拭き取ってくれたのは最初の内だけで、最近はいささかゴシゴシといった拭き方をされていることに、不満もないわけではないが。
それでもレイラは幸せに毎日を過ごしていた。
よちよちと歩けば、旅装を解いてもいない父親が喜んで受け止めてくれる。
産まれたばかりの時は、あまりよくものが見えなかったが、少しずつ見えるようになってきた。どうやら赤ん坊というのは本気でスペックが低いらしい。成長しながら機能が発達していくのだろう。
(赤ちゃんの時は、ほとんど分からなかったけど、少しずつ視力も良くなっていってるよね)
そんなレイラは、今も引き続き赤ちゃんである。
最初は一歩も歩けず転んでいたけれど、今ではこうやって一メートルぐらいは歩けるようになった。
「よーし、頑張ったなぁ、レイラ。凄いじゃないか。とっても綺麗に歩けてたぞ」
そう褒めてくれる父親が嬉しい。
(ほんと? やっぱり私、天才よねっ?)
ぐふふふふと、ほくそ笑む。
いずれ自分は頭角を現し、スーパー赤ちゃんとして君臨する予定なのだ。何といっても、通常の赤ちゃんとはスタート地点から違うのだからして。
(だって私、中身は大人なんだもんっ。誰もが驚く天才児だよねっ)
だが、現時点においてまともに喋ることもできず、発育具合も通常程度のレイラを、天才児だと思っているのは本人だけだ。
彼の有名なアメリカの発明王トーマス・エディソンですら、
「Genius is 1% inspiration,99% perspiration」
と、天才になる為には閃くインスピレーションが必要だとのたまってみせたが(韻を踏んだ言葉遊びとみる人もいる。また、大事なのは努力であると解釈する人もいる。同時にどれだけ努力してもインスピレーションがなければ無駄とする人もいる。様々な解釈がある為、引用する人によって違いがある。尚、ヂーニアスとは天才、インスピレイションは霊感、パースパィレイションは汗(つまり努力)という意味)、そもそも美冴だった時ですら真理に対する探究心などなかったレイラである。
眠りながらでも喋る練習をしていたなら話は別だっただろうが、通常の赤ちゃんライフを満喫していたレイラは普通に育っていた。
どんなにスタート時点で先行出発していても、それはもうゴールに着く前にのんびり昼寝をしているウサギとカメの競争みたいなものだ。
「ロキス、お帰りなさいっ。・・・ロキスってば、やっぱりレイラの所に来てたのねっ。ひどいわ、帰ってきた途端、レイラの所へ直行するなんて。私だってずっと待っていたのに」
そこに、部屋に積み上げられた荷物と飼い葉を与えられている馬を見て、夫の帰りを知ったミザリーがバタバタと駆け込んでくる。
「やあ。ただいま、ミザリー。それは誤解だよ。まずは君のいそうな台所に行ったのに誰もいやしない。だからきっとレイラの所に君がいるだろうと思って、やってきたのさ」
そう言うと、ロキスはレイラを片手で抱っこしながらミザリーにキスした。
「どこに行ってたんだい、ミザリー?」
「裏の畑よ。お帰りなさい、ロキス」
「ただいま、ミザリー」
焦げ茶に近い金髪と黒に近い灰色の瞳を持つロキスは、顔立ちも優しげである。だからだろう、ミザリーと寄り添えばほんわかとした空気が漂う。
「埃だらけでしょう? すぐにお湯を沸かしますわ。お待ちになってね」
「ああ。だけど急がなくていい。簡単に手足だけは拭いたから」
レイラの父であるロキスは、商売人だった。様々な物を持って旅をしながら売り、そして売った先では違うものを仕入れてまた違う場所で売るのだ。だから、旅に出る度に様々な物をお土産にと持って帰ってきてくれる。
今の時点で、レイラにとって魅力的なのは、物などより遊んでくれる父との時間でしかなかったが。
「ほーら、レイラ。高い高―いっ」
「きゃううーっ、きゃうっきゅっ」
「・・・泣いてるのか? 笑ってるのか? 怖いのか楽しいのか、レイラの顔と言葉は今いち分からんな」
まあ、喜んでいるなら止めるのも可哀想だしなと、ロキスも考える。ぎゃんぎゃん泣きだしたら止めればいいことかと呟き、ロキスは更にくるくると回転まで加えて家族サービスに努めた。
妻が産んでくれた初めての赤ん坊はあまり夜泣きもせず、手がかからない。こうして久しぶりに帰ってきた父親に怯えることもなく、人懐っこく甘えてくる。
「きゃいいーっ、きゃいっきゃうっ、きゃうううーっ」
「・・・本気でお前の言葉は分からん」
小さな口を目いっぱい開けて声を発している愛娘にロキスは当惑しながらも、女の子なのだし怖がってるのかもしれないと考えこみ、肩車に切り替えて庭へ連れていってやろうと思い立った。
ちなみにレイラは父親が自分を落とす筈がないと分かっていたので、「わーいっ」と叫んでいるつもりだったし、ぐるぐると高い位置で父親を見下ろすのも、肩車してもらって庭に連れていってもらうのも、全て楽しいと感じていた。
(お庭っ? 私ねっ、お花も欲しいなっ)
泥だらけになるからと、庭を歩くのはあまりさせてもらえない。だけど肩車をするには、母親のミザリーでは華奢すぎるのだ。だから肩車してもらって庭の散歩だなんてできるのは、父親が戻ってきた時だけとあって、今のレイラはウェルカム・パパ状態にある。
「うきゅっ、ほにゃっ、きゃっ」
「・・・顔立ちは可愛いのに猿だな、レイラ」
ロキスにしてみれば、まだ赤ん坊だから仕方ないとはいえ、こんな猿みたいなセリフしか言えない愛娘の未来がちょっと気がかりにもなる。それとも赤ん坊とはこういうものなのだろうか。
所詮、新米パパのロキスも赤ん坊の発育など、よく分かってはいなかった。
「だが可愛いから許すっ。レイラはミザリーそっくりのべっぴんさんだからなっ」
レイラが嬉しそうに小さな手で葉っぱを掴もうとしては、しなやかな枝にするっと逃げられて、ぶもーっとむきになっているのを見るのは楽しい。旅の疲れも吹っ飛んでいく。
ロキスは笑いながら、愛娘を応援した。
「よぉーしっ、そこだっ、頑張れレイラッ」
「ぶむっ」
「いてっ、・・・お前、空振りして俺の頭をはたくんじゃないっ」
そこで葉っぱは取れなかったけれど父親の頭を自分の手が叩く音が楽しかったのか、レイラが更にペチペチとロキスの頭を叩く。
(猿じゃないもんっ、猿じゃないもんっ)
遅ればせながら自分が猿呼ばわりされたことに気づいたレイラだ。その反応の遅さはレイラなればこそなのか、前世の美冴譲りのものなのか、そこはよく分からない。
「レイラ。お前なぁ・・・」
赤ん坊の力など全く問題ないとはいえ、さすがにそう叩かれるとロキスも閉口してしまう。
どうやらレイラはかなりおかんむりのようだ。よほど葉っぱが欲しかったのだろう。
「こらこら。・・・しょうがないな。ほら、枝を引き寄せてやるから、頑張ってとるんだ」
「・・・んぬっ」
「よおーし、偉いぞレイラ」
とても綺麗な、傷一つない大きな葉っぱ。自分の顔ぐらい大きい。
レイラは、それを両手でもって太陽の光に透かす。すると葉っぱを通して黄緑色に世界が輝く。
(とれたのは嬉しいんだけど、私ってば一体、何を楽しんでるんだろう)
舌がまわらないから仕方ないとはいえ、父親に猿扱いされながら葉っぱをとって喜ぶ自分。
(本来、私ってこのパパと同い年ぐらいだったんじゃ・・・)
深く考えたらいけないような気がする。そんなことを言っていたら、フルヌードだって見られている。おしっこしたおしめまで交換されている。うんちだって・・・・・・。
(ああ。私ってば、こんな赤ん坊の内から、なんてアブノーマルプレイを・・・)
赤ん坊なのだから仕方ないが、それでも中身は成人女性が入っているのだ。
(顔は思い出せないけど、お父さん、お母さん、お兄ちゃん。美冴は今、特殊プレイとされるそれらを簡単にクリアした魔性の女になってます。デートとか、お付き合いとか、うまくできずに失敗してきた私なのに、どうして体が変わった途端、こんなにもスキルアップしてるんでしょう)
そんなことを思ってしまうと、レイラは少しブルーでアンニュイな気分になった。
やはり赤ん坊の記憶が、成長過程で忘れ去られていくというのは大事なことだ。どんな反抗期の少年、そして親に反発する青年も、赤ちゃんの時におしっこやうんちを漏らしてパパやママに交換してもらった記憶が残っていたら、親に対して何も言えなくなってしまうだろう。
「どうした、レイラ? 疲れたか?」
愛娘が、子供の成長と親との係わりあいについて深刻な考察をしているとも知らず、ロキスが首を傾げる。
(なんか目がうつろになってる・・・)
だが、レイラは自分なりに角度も計算して、大人びた表情を演出してみせたつもりだった。
(ふっ、パパ。やっぱり私、そこらの赤ん坊とは違う、・・・何て言うのかしら、落ち着きってのがあるわよねっ? ミステリアスな雰囲気ってゆーのっ?)
しかしロキスに、レイラがこの幼さで家族の存在論について思考を巡らせているのだという事実は全く伝わっていなかった。
「あなた。お湯の用意ができたわ。さあ、どうぞ。レイラもロキスに遊んでもらえて嬉しかったのね。まあ、綺麗な葉っぱ。良かったわねぇ」
そこへミザリーが出てきて声をかける。
「ああ。じゃあレイラを頼む、ミザリー。なんだかレイラ、目がいっちゃってるんだが」
「あらあら。いらっしゃい、レイラ」
父親から母親の腕へと移されて、柔らかな胸に抱かれれば眠くなるレイラだ。
どうやら柄にもなく黄昏てしまったのは、その体が眠気を訴えていたことも影響していたらしい。
「うふふ。あなたが戻って来てくれて、嬉しくてはしゃぎすぎたのね。レイラったら」
「ああ、ミザリー。ところで、夜になったら話がある。もしかしたら次の旅にはお前達を連れていくことになるかもしれん」
「・・・え? だけど、レイラはまだ赤ちゃんなのに」
「後で詳しく話そう」
そこで一度眠ってしまったレイラだったが、両親の話はかなり深刻そうな感じだった。
通いの女中も帰ってしまった家の中、レイラを籠に入れて寝かせながら、両親が小さな声で話している。
「帝国軍が攻めてくるだなんて・・・」
「様々な国や地域を攻め滅ぼしている。ミザリー、ここからもっと南にある国へ行こう。奴らが来るという噂が届いてからでは遅い。家財を処分して逃げなくては」
「・・・分かったわ」
「どうせ商売人だ。妻と離れがたくてやはり一緒に連れて行くと言えば、皆もあまり疑わないだろう。・・・へたにこんな話をしようものなら、騒乱を招いたとして俺達が処罰されかねない」
「だけど、そうしたら・・・」
ミザリーの脳裏を、仲の良い人達の顔がよぎる。
「村が平和か焼かれたかで、攻めてきた奴らの侵攻目安になる。だから貴族たちは村人を守らない。ミザリー、噂が立った時点で、様々な道が閉ざされ、通れなくなるんだ」
「ロキス・・・」
「ミザリー、危険だと分かっている旅に君とレイラを連れて行きたくなどない。だが、・・・帝国軍はもっと危険なんだ」
「分かったわ、ロキス」
夢うつつに、レイラは思い出していた。
(帝国軍・・・。ロムルス、青みを帯びた黒髪と黒い瞳の騎士。私に青いドレスを着せてくれた人。イプシロンの名前さえ出せば助けてくれる・・・・・・前に私っ、言葉が喋れないじゃないのぉぉーっ)
よくよく考えたら、その前にロムルスはその帝国軍のどの地位にいるのだろう。ついでに彼は、今、何才なのだろう。
(しまったぁっ。ロムルスってば今何才っ!? 見た時は二十代っぽかったけど、年の差ってば凄いわよねっ!?)
どちらにしても自分がまず言葉を話せるようにならなくてはお話にならないのだが、赤ん坊の自分に向かって、「私の姫君」などと言って大事にしてくれる二十代の騎士がいたとして、・・・その騎士に周囲からかけられる言葉は、「ロリコン」ですむ問題なのだろうか。
それこそ騎士としての資質不適格で、そのまま出世街道から脱落しそうだ。
(そこで周囲に何も言わせないだけの権力持ちなら、やっぱり王子様? そうよね、そうかも。ここはライジード王子に助けてもらうべきっ? ところでジード、エスリーダ王国ってどこにあるのぉっ!?)
いくらレイラがこの世界に不案内でも、侵攻とかがあれば無辜の民こそが踏みにじられていくばかりだということは分かる。両親は良い人だ。だけど武力など持たない。
(パパ、ママ。私、これでもすんごいコネを持ってるのよっ? ただ、そのコネにどうやってツナギをつければいいのかが・・・)
半分寝こけながらそんなことを考えて悩んでいたレイラは、その夜は、うんうんと魘されてしまっていた。
「なんか今夜はレイラったら寝苦しそう。やっぱり赤ちゃんって敏感だというし、この不穏な空気が分かるのかしら」
「そうかもしれない。ここに迫っている危険を、赤ん坊ながら感じ取っているんだろう」
レイラが魘されている原因は、その両親の会話によるものだったが、ロキスとミザリーは、愛しい娘の頬を撫でながら、「大丈夫、怖くないよ」「そうよ、レイラ。大丈夫」と、小さな声で語りかけていた。
終わりは、あまりにも早かった。
ミザリーは優しすぎた。慌ただしく夫と共に旅に出ると説明したものの、それを不審に思った女友達に問い詰められ、帝国軍が攻めてくるらしいことを話してしまったのだ。
様々な人々が行き交うこの村は大きな街道の通過点であり、侵攻してくるとなれば帝国軍がここを通過することは分かっていた。友達を見殺しになど、どうしてできるだろう。
「だけど内緒よ? あなたも今の内に逃げられる場所があるなら・・・」
「ありがとう、ミザリー。大丈夫、少し離れた場所に親戚の人がいるの。そこを頼るわ。教えてくれてありがとうね」
「いいの。だけど秘密よ、ローラ。こんなこと、言ったってばれたら、こっちがご領主様のお怒りをかうわ。だけどローラ、どうか無事に逃げて。こんな街道筋じゃなく、少し離れた村にいれば安全な筈よ」
「ええ。誰にも言わないわ。ミザリー、あなたもどうか無事に旅立って」
だが、その話してしまった女友達のローラは、村の警備にあたる男と結婚しており、妻からその話を聞いた男は、すぐに妻子を少し離れた村に住む親戚の家に預けた。だが、そんな誰も知らない話を知った以上、それを利用することだって考えつくというものである。
その話を少し離れた城に住む領主の所へ注進しに行ってしまった。
そんなまだ誰も知らない話を領主に教えれば、褒美だってはずんでくれるだろう。
そう考えたのだ。
どうせなら、少しばかりの小遣いを稼いでもいいではないか。
ローラの夫は、妻の女友達であるミザリーに対し、さほど思い入れはなかった。
「なんと。帝国軍が・・・」
「さようでごぜえます、ご領主様。こんな大変なこと、まずはお知らせにあがらねえとと思いまして」
「そういうことであれば、突然に面会を申し入れてきたことも許そうというもの。お前はとても忠実で賢い男だ。だが、その話、どうやって知った? 村の警備をしている人間が知り得るとはおかしなこと」
「へえ。実は・・・」
そうして、様々な場所へ出向いて商売をしていたロキスのことを、その男は話したのだ。そのロキスが既に村を発って逃げたことも。ロキスとミザリーの容貌についても。
(お、おいらは悪くねえ。だってご領主様が尋ねたら答えるのは当たりめえだろ? おいらはただ、訊かれたことに答えただけだ)
その結果として何が起こるかなど分かりきっていたが、そのことについてローラの夫は気づかぬフリをした。
ミザリーのおかげで自分の妻子が避難できたことも、金目のものを先に持ち出せたことも、それはそれである。
自分はただ領主に対して忠実だっただけである。そして、ちょっとした褒美をもらいたかっただけだ。
「なるほどな。・・・よし、これを持ち帰るがいい。そうだな、他にも似たような話を聞いたらすぐにやって来るがいい。悪いようにはせぬ」
「へえっ」
思った通り、領主は金が入っているらしい小袋を渡してくる。
それをありがたく受け取りながら、かなりの手応えに、やっぱり来て良かったと、男はほくほくしながら村へと戻った。
(今日はいい酒が飲める。ローラ達もいねえことだし、ちょっとした豪遊をしてもええ)
どうせ妻と子供達は家を離れている。多少の羽を伸ばしたところで構わないだろう。
そんな男が帰っていった後、領主は領主で考え込んでいた。
(なるほどな。商売人となれば様々な情報にも触れ、機を見るにも敏かろう。だが、その商売人に、よそでも同じ話をされて、民に浮き足立たれても困る。帝国軍に怖じ気づいて村人達が慌てて逃げ出したりなどしたら、うちの兵士達すら逃走しかねん)
ミザリーとローラは自分の家族を大事にしたいだけだったが、ローラの夫には違う思惑が生まれたように、領主にも全く違う視点から出る思惑があった。
(何の恨みもないが、食い止めねばならぬものがある。それが領地を守るということだ)
そこは様々な場所に出入りしていたロキスが一番賢かったのだろう。ロキスがミザリーに口止めしていたのは、秘密は決して秘密のままでは終わらないと知っていたからだ。
ただ、ロキスは妻の女友達に対する思いまでも読み取っているわけではなかった。そしてミザリーはローラとの間に信頼関係もあり、お互いを信用はできたが、・・・ローラの夫まではその人間性を把握していなかった。また、ローラもまさか自分の夫がそういうことをするとは考えつかなかったのだ。
その代償はあまりにも大きすぎた。
慌ただしく家を引き払って出発したロキスとミザリーは、この辺りの盗賊のねぐらを襲って退治したという兵士達がその残党を捜しているところに遭遇していた。
そしてその兵士達に、早馬の連絡が届いているとも知らずに。
「なんだ、商人なら色々な場所に行ってるだろう。腕に覚えはあるのか?」
「いや、ありませんよ。どうせ小さな商人ですからね。兵士さん達も、盗賊退治とはお強くていらっしゃる」
それでもロキスとて様々な場所へ赴いている男だ。そこそこの腕が立つのは、兵士もロキスを見れば分かった。
「まあな。他にも被害に遭ってる奴らがいないかを調べねばならん。せっかくだ、隣村まで俺達と一緒に行けばいい」
「ありがとうございます。妻と赤ん坊もいますので、心強いです」
一本道なので一緒に進んでいたのだが、人気のない場所に差しかかった途端、何も言わずに兵士達は背後からロキスとミザリーを突き殺した。
(パパッ、ママッ!?)
レイラの小さな全身に、赤い血しぶきが降りかかる。それはミザリーのものだった。ものも言わずに倒れたミザリーは、レイラに覆いかぶさるようにして、その赤黒い血を娘にしたたらせた。
「すまんな。お前さん達に恨みはないが、これもご領主様の命令だ。良い奴だったのに、残念だよ」
まともにやり合うよりも、背後から隙を狙った方がいいと、ロキスを見て兵士達も判断したのだ。さすがのロキスも、不意を突かれてはどうしようもなかった。
「どうせ盗っ人の仕業で落ち着く。で、この赤ん坊はどうする?」
「放っておけ。いずれ飢え死にするだけのことだ。・・・運が良ければ、誰かが拾ってくれるかもしれん。赤ん坊の命まで奪えとは言われておらん。さ、行くぞ。まだ、残党狩りもある」
「そうだな。こっちは逃がした奴らを追いかけるので手一杯だってのに、変な仕事まで増やされて。大体、ご領主様もどうしてこんな命令をされたんだろうな」
「ああ、どう見てもいい奴だったのに。できればもっと早く進んでくれていたら殺さずにすんだが。こんな赤ん坊を残してなんざ、死んでも死にきれんだろうよ」
どうして両親が殺されたのか、レイラには分からなかった。だが、兵士達も好きで両親を殺したのではないことは分かった。兵士達も理由は知らない様子だった。
(ご領主様って、どうして・・・)
けれども赤ん坊の自分には何もできない。ここで大泣きすれば、うるさいと言って殺されるかもしれない。だから怯えながらも、何も分からない赤ん坊のように黙って兵士達を見上げるしかない。
「そんな目で見るなよ。・・・こっちだって殺したくて殺したわけじゃねえ」
それでも死体に金は必要ない。
嫌な仕事をさせられた代わりにと、ロキスの懐を探り、兵士達はその金を皆で分け合った。
(嘘・・・。どうして兵士さん達がパパを殺してお金をとるの? ・・・立派なこと言ってたくせに、この人達も盗賊だってことなの?)
やがて兵士達が立ち去り、動かない父親の所へヨタヨタと這って近づけば、・・・即死だったのか、ロキスも全く動かなかった。
(大怪我でも実は生きてましたって、・・・ないもんなんだね。パパ、ママ・・・)
優しい人達だった。自分を愛してくれた。なのにどうして、こんな殺され方をしなくてはならないのだろう。
(これって、夢じゃないのかな。だって、こんなこと、あるわけないよ)
放心したまま、どれぐらいの時間がたっていたのか・・・。空腹も辛かったが、あの優しい両親が殺されたことを心が受け入れていなかったのだろう。
二人が殺されたのは朝だった筈なのに、気づけば真っ暗な夜になっていた。
(私も・・・・・・。殺してくれれば良かったのに)
二人に取り残されて生きるぐらいなら、いっそ一緒に殺してほしかった。自分だけ生き残る辛さを抱えて生きるぐらいなら、共に逝きたかった。
目を閉じることもできず、ただ、瞬く夜空の星を見上げながら血にまみれた両親の指を握り、涙だけ流す。二人を寄り添わせてあげたくても、自分の力では手を少し動かすぐらいしかできなかったのだ。
そんな状態でどれぐらいの時間がたったのか・・・。
ジャリッと、人の足音がした。
「こいつら、殺されてるのか? まさか、・・・仲間かっ?」
そんな言葉と共に、男が持っていた灯りを両親の顔に近づける。そして、レイラに気づいた。
「仲間じゃなさそうだが、・・・こんな赤ん坊のいる夫婦を。ひでえことをしやがる」
そうして両親の血をかぶり、その血も乾いてカピカピになっているレイラを、その男は抱きかかえた。
「俺の妻も子供も殺された。・・・これも何かの縁かもな」
その時のレイラは、あまりにもショックが強かったせいか、心がぼんやりとしていた。自分の心では受け止めきれない大きな衝撃に、感情が閉じていたのかもしれない。
見知らぬ男が自分を抱きかかえていたのも分かっていたが、何も考えたくなかった。
けれども男が自分を片手で抱いた状態で、その場を離れようとしていることに気づき、そこでハッと正気に戻る。たとえもう死んでいても、両親と引き離されたくなどなかった。
「うぎゃっ、・・・わっ、あぅっ」
「ああ、泣くな。俺だってなぁ・・・」
その場から離されたくなくて、両親と共にいたくて泣き喚こうとしたレイラだったが、それよりも先にぼたぼたと落ちてくる涙がある。
(え・・・?)
気づけば、その髭もじゃの見知らぬ男はレイラを抱きしめて泣いていた。
「モイラ、・・・リリエルッ」
「・・・ふっ、ぎゃああっ、わあぁっ」
男と赤ん坊の慟哭がそこに響き渡る。
共にかけがえのない存在を奪われ、・・・そうして二人は互いに奪われたものを補い合うかのように、その日から親子となった。
そうしてレイラがマイオスに拾われ、リリエルという名前の女の子として生きるようになって、数年がたった。
「パパッ。お帰りなさーいっ」
「よしよし、いい子だな、リリエル。ほら、お土産だ。幸せを運んでくれるお守りだとよ」
「わぁーいっ、ありがとうっ」
小さな水色の石がついた革紐の首飾り。それはどこかの神殿が売り出しているものだそうだ。マイオスが懐からそれを取り出して渡してくる。
リリエルは、喜んでそれを首にかけた。
「似合うっ? 似合う、パパ?」
「ああ、似合う。お前の髪と瞳にぴったりじゃないか」
春の空を思わせる水色の髪と青い瞳をしたリリエル。
産まれた時は赤みを帯びた金髪にグレイの瞳だったレイラだが、今の父親に拾われてリリエルと名づけられてから色が変化し、今ではそんな、水色の髪と青い瞳の子供に育っていた。
(私の目には、今もこの髪ってストロベリーブロンドなんだけど、皆には水色の髪って思われてるのよね)
だけど、その理由は分かっている。
それは今の父マイオスにとっての本当の娘、リリエルがそういう色合いだったからだ。マイオスが赤ん坊の自分に語る、殺された妻モイラと娘リリエルの話を聞きながら育ったレイラは、自然と自分の色合いを本来のリリエルに近い色に変化させていった。
(こういう使い方ってのもいいのか悪いのか分からないけど。マイオスパパには苦労させた分、せめて本当のリリエルちゃんを思い出してもらえたらって思うんだよね)
実際、赤ん坊のレイラを連れて逃げるのも育てるのも、マイオスにとっては苦労の連続だった。
なるべく手がかからないようにはしていたつもりだが、それでもマイオスとて逃亡している身である。マイオスは、兵士達が討伐に向かった盗賊団の一員だった。
本当のリリエルは、赤ん坊ではなく幼い女の子だったらしい。だからきっと顔立ちは違うのだろう。それでもレイラはマイオスに、色合いだけでも本当のリリエルを偲ばせてあげたいと願ってしまった。
そのせいだろう、段々と色合いが変化していったのだ。
(職業が盗賊のパパってのもアレなんだけど、もう、そこは考えないようにしよう)
本当の父親であるロキスとは似ても似つかない、焦げ茶の髪と青い瞳をしたマイオスは、かなりがっしりとした体格の大男だ。だが、娘の自分にはとても優しい。
(神様なんていないって言ってる割に、私の為にはこういうのを買ってきてくれるんだから、マイオスパパってば本当に甘いんだよね)
きっとそれは、わずか数才で殺されてしまったリリエルに対する償いの思いもあるのだろう。愛していれば愛している程、生き残った家族は自分を責めるものだ。
今となってはレイラと呼ばれることのないリリエルだが、どちらの名も気に入っていた。レイラと呼ばれる時も、リリエルと呼ばれる時も、どちらも名付けた親の愛がこめられていたからだろう。
きっと自分達は互いに失ってはいけないものを失い、それを互いの存在で埋めようとしたのだ。
いつの間にか色合いが変化していった赤ん坊に首を傾げていたマイオスも、相談した相手から
「子供は成長に従って段々と色が変わることがある」
と、教えられて、そんなものかと思っていた。尚、通常は色が濃くなるか薄くなるかといったものであって、赤っぽい金髪から水色の髪になるといったことはありえないのだが、単に色が変わっていったとしかマイオスが言わなかったので、相談相手もその不自然さに気づかなかったのだ。
「あのね、パパ。お頭がね、パパが帰ってきたら顔を出してほしいって。お話があるんだって」
「そうか。じゃあ、顔を出して来よう。そうだ、今日のご飯はちゃんと食べたのか?」
「うんっ。リネアさんちで食べたっ」
リネアというのは、隣の家に住む、やはり盗賊団の夫を持つ女性だ。リネアの所にも息子や娘がいる為、マイオスが留守にする時にはリリエルの面倒をみてくれる。マイオスも何かあればリネア一家の力になるように、そうやって盗賊団の一味で結成されたリミダ村は、お互いに協力し合って生活していた。
「そうか。じゃあ、これをお土産だってリネアさんに渡しておいで。パパはお頭の所まで行ってくるから」
「えー、やだぁ。リリエルも行くのっ。ザイと遊ぶから」
「そうか。じゃあ待ってるから、先に行っておいで」
「うんっ」
ザイというのは、お頭の息子のことだ。緑色の髪に灰色の瞳をしている、リリエルよりも少し年上の、のんびりとした大人しい男の子である。
自分が属していた盗賊団を兵士達によってほとんど壊滅させられたマイオスは、逃げ延びた先でリミダ村の盗賊団に襲われ、しかし金になるものを持っていなかった為、理由を問われて事情を話して仲間になり、そしてこのリミダ村に腰を落ち着けていた。
そんな盗賊村のお頭の長男なのに、ザイは意気地もなくいつも引っ込み思案でニコニコとしている優しい男の子だ。それ自体は美徳だが、盗賊としてはどうしようもないだろう。きっと活発で元気なザイの弟ローリーが、いずれこの村を率いていくのだろうと、リリエルは勝手に思っていた。
(だけど、いいじゃない。男の子だって大人しいぐらい、何よ)
リリエルにしてみれば、そういった個性を認めてあげるべきだと思う。ザイはとても優しい男の子だし、顔立ちだって悪くない。きっと素敵な青年に育つ筈だ。
だから、他の子供達がザイのことを、つまらない弱っちい奴だと思って仲間外れにしても、リリエルだけはザイと仲良くするのだ。まあ、仲間外れというのとはいささか違うような気もするのだが。
(えへへ。今日はザイにスカート、穿かせてみよう)
嫌がるザイにおねだりしまくって髪も伸ばしてもらった。きっとワンピースを着せたら素敵な女の子になるに違いない。そして二人でおままごとをするのだ。
(ああ、ザイみたいなお嫁さんが欲しい)
優しくて穏やかで控えめなくせに甲斐甲斐しくて、・・・まさに自分が男なら唾をつけておきたい物件だ。ザイが女の子なら。
そんなことを考えながらリリエルはリネアの家に行って、
「リネアさーんっ、これねぇっ、パパからのお土産なのぉっ」
と、玄関に入る前から用事を叫んで、家にあるテーブルに包みを置き、
「じゃっ、今からパパとザイん所行ってくるっ」
「あっ、リリエルッ、・・・しょうがないね、マイオスさんによーくお礼を言っといとくれ」
「うんっ」
と、超特急で帰ってきた。どうやらリネアは家の外にいたらしい。
あまりにも元気に叫びながらおつかいをすませてきたものだから、全ての会話が待っているマイオスにも筒抜けである。
「行こっ、パパ」
「ああ。・・・リリエル、別にパパはお前を置いてったりしないんだから」
ちゃんと待っていると言っているのに、どうしてこの子は置いていかれると言わんばかりに落ち着きがないのだろう。
マイオスは呆れた顔になった。
(女の子は男の子に比べて大人びるというが、うちのリリエルはどうも子供っぽすぎる気がしてならんな。あのザイが面倒をみてくれてるからいいようなものの)
それでもリリエルはマイオスの小言など、聞く耳を持たない。その腕にしがみつき、並んで歩き始めた。手を繋ぐにはマイオスの手は大きすぎて、リリエルが両手でしがみつくぐらいでちょうどいいのだ。
それに、両手でしがみついていると、マイオスはリリエルをぶーらぶらと吊り下げたりもしてくれる。それが楽しい。
「パパッ、パパ、もう一回っ」
「いいぞっ。ほーらっ」
力持ちのマイオスは、リリエル一人ぐらい持ち上げるぐらいにまで腕を上げながら歩いていく。その肘に両手でぶら下がりながら跳ぶようにぴょんぴょんと足を地面に跳ねさせていけば、自分で歩くよりもはるかに早く動けてしまうのだ。
「パパ、すごーいっ。ザイだって、こんなの、できないんだよっ」
「そりゃザイはまだ子供だからな」
リリエルとて、ロキスとミザリーのことを忘れたわけではない。今でも思い出すと体が震える。
あんなにも簡単に人の命は消えるのだと知った。この村だって、いつ兵士達が討伐しに来るかと、怖くて仕方なかったりもする。
(私はまるで、郭公の雛)
本来の卵を排除して入りこむ、郭公の卵。ホオジロやモズの巣から卵を一つ取り去り、郭公は自分の卵を代わりに一つ置いていく。そして孵化した郭公の雛は、本来の巣で育つ筈の他の卵を全て巣から落とし、自分だけを育てさせるのだ。
自分は本当にレイラだったのだろうか。本当はレイラの居場所を奪って産まれ、ロキスとミザリーに育てさせていた、ただの松岡美冴ではないのか。
今のリリエルも、マイオスに自分を育てさせるための仮の姿・・・。
(やめよう。そんなことを考えても仕方ない)
子供だけに俊敏性は劣るが、いざとなったら様々な隠れる場所をチェックしてある。いつか、兵士達が剣を持って襲ってきたとしても逃げられる場所を常に確保しておかねばと、リリエルはマイオスに頼んで家の中にも隠れる場所を作ってもらった。
マイオスも自分の妻子を殺された時の経験があったからだろう。自分とリリエルが隠れることのできるスペースをすぐに作り上げた。
「本当にリリエルは、あの子が好きだな。なんだ、パパのお嫁さんになってくれるってのは嘘で、ザイのお嫁さんになっちゃうのか」
「ううん、パパ。リリエルがザイをお嫁さんにしてあげるの。パパはリリエルのお婿さんにしてあげる」
「そうかそうか」
マイオスはレイラが実の親を覚えているとは知らない。赤ん坊だったレイラは実の親など覚えておらず、マイオスを父親だと思い込んでる筈だと信じていた。
だからだろう。今もワハハと笑って、がしがしとリリエルの頭を乱暴に撫でていく。
(こんなベタなセリフ、お父さんには言わなかったよね。・・・人間、かえって本物の幼女よりも演技の方がなりきっちゃえるのかも)
強面のマイオスだが、それでもリリエルにとって頼りがいのある大好きな父親だ。
こうやって子供らしく甘えられると嬉しいようだと気づいてから、遠慮なくマイオスにはパパ大好きっ子を演じている。半分以上、本気だが。
(私は結局、誰なんだろう。美冴だった前世を知るレイラ? リリエル? それともこれは、美冴が見ている夢の世界なんだろうか)
この世界に神様がいるならば・・・。
どうして自分の記憶をそのまま維持させているのだろう。美冴だった時の記憶はほとんど残っていないが、不思議な部屋で五人の男達と会った記憶は残っている。
(女神の娘。彼らの姫君。・・・だけど、私はもうそんなもの、望まない)
普通に、盗賊の娘リリエルとして、優しい父親と温かい人達に囲まれて、ただ生きて死んでいきたいと、彼女はそう思うようになっていた。
(あれ? そういえば、美冴ってどうして死んだんだろう。事故? 病気? 全く思い出せないんだけど)
産まれたばかりの時は、この世界を面白そうだと思っていた。全てが幸せだった。
けれども目の前で殺された両親に、どんなに揺すっても声をかけても動かないその事実に、そんな思いも消え失せた。
普通にこうやって父親を出迎えて笑いあえる、そんなありふれた日常こそがとても大事なことだと気づいたから。
どうせ彼らは自分がいなくてもそれなりの肩書きもあれば、十分に幸せに生きていける力がある人達だ。だから自分はこうして名もなき人として生きていこうと、彼女は思っていた。
街道から少し外れた場所にある、山間に広がるリミダ村。
普通に穀物を育て、糸を紡いで布を織り、山に入り、獣を狩り、行商に行き、村の自警をも行い、彼らは質素に暮らしている。だが、それは村の一つの姿にすぎない。彼らは村人でもあり、盗賊でもあった。
リミダ村は盗賊村といっても、自分達で自活することも優先している。だからだろう。リミダ村を怪しいと思う人はいない。だが、それでもよそ者が度々来るようであれば、村の副業にも気づかれてしまう為、この村は徹底的に閉鎖した人間関係を築いていた。
そんなリミダの、山道を通る旅人に向かって
「ここを通してもらいたかったら、有り金を置いていけ」
をやりに出ていた村人達が、私掠的通行税を払うどころか、
「金がないから金稼ぎの為の仕事を紹介してほしい」
と言い出したマイオスとリリエルを連れて戻ってきたのは、もうすぐ秋も終わりになろうかという季節のことだった。
様々な場所で短期仕事を請け負い、終了したら移動するというマイオスに連れられていたレイラは、その頃にはすっかりリリエルという名を受け入れ、四才になっていた。
「お前らなあ。金を巻き上げに行っといて反対に連れ帰ってくるたあ、どういう了見だ」
「だがよぉ、お頭。同業者で、しかもあちこち渡り歩いてたんなら、ある意味仲間じゃねえっすか。お頭だって新しいのを入れたいって言っとったし、だから連れてきたんでさぁ」
「まあ、そりゃそうだがよ」
そこでお頭と呼ばれたリミダ村長ロードは、マイオスの後ろに隠れている水色の髪をした幼女を見た。
「どれ、嬢ちゃん。こっちに来な」
だが、ロードが手招いても、リリエルはびくっと体を震わせてマイオスの脚に顔を埋めてしまう。
「悪いが、うちの娘は怖がりでな。目の前で兵士達に母親を殺されたのがショックだったんだろう。特に剣を持った男を怖がる」
マイオスは妻と娘が盗賊団の討伐にあたった兵士達に殺されたことを話したが、連れているリリエルが自分と全く血の繋がりがないことは言わなかった。
血が繋がっていないと言えば、金儲けの為に売り払われる恐れがあったからだ。
「・・・目の前で殺されたか」
「ああ。その血を全身に浴びたんだ」
マイオスとて、まだ小さな赤ん坊が母を殺された意味など分かる筈もなかろうにと、思わなかったわけではない。だが現実に、リリエルと名づけた赤ん坊は兵士の姿を見れば怯えた。剣を持っている男を見れば、すぐにマイオスの姿を求めて泣きそうになった。
(この子の親は、強盗に殺された筈だ。なのにどうして兵士に怯える?)
それはまるで、兵士に殺されたモイラとリリエルの魂が乗り移ったからだとも思えて、だから、この拾い子を手放せなかった。
マイオスは兵士が善良な商売人を襲ったのだと思いもしない。あの商売人夫婦は強盗に襲われたのだろうと信じていた。
それだけに、兵士に怯えるというその違和感が、実の娘が味わったであろう恐怖を体現しているように映ったのだ。
根無し草ゆえの逃亡生活は苦しいものだった。
孤児を集めている神殿か、子供のいない夫婦にでも渡そうかと何度も考えた。それでも水色の髪、青い瞳へと変化したリリエルの寝顔を見れば、亡くなったリリエルが乗り移っているかのようにも思えて、何度も涙を誘われる。
(モイラ、リリエル。許してくれ。もっと違う安全な場所にお前達を住まわせておけば・・・)
よそに出向いていたが為に生き延びてしまった自分。必死の思いで家に辿り着けば、妻子の亡骸があった。それを埋めてやることもできずに逃げ出すしかなかった自分を、二人はきっと恨んでいることだろう。
自分を呪い、世界を憎み、眠れない夜を重ねながら。
それでも小さな手で必死に自分にしがみつき、よたよたと危なっかしい足取りでも一番に自分へと寄ってくる拾い子の存在に、マイオスこそが生きる力をもらっていた。
「そりゃ可哀想にな」
「ああ。今も夜になると泣くんだ。だから、この村で暮らさせてもらうなら仕事はするが、なるべくこの子を一人にはしたくない」
盗賊村といえど、ロードとて情を知らぬわけではない。
「お前さんの働き次第だ。だが、ちょうどガンスの隣が空き家だったな。そこを使えばいい。ガンスの女房のリネアは面倒見のいい女だし、子供もいるから、隣の女の子ぐらいみてもくれるだろう」
「ありがとうよ、お頭」
「いいってことよ。さ、よその話を聞かせてくれ」
「ああ」
閉鎖的な村だけに、客人は珍しい。ましてやこれから仲間になるとあれば、尚更、皆が見物にやってくる。
「野郎どもっ、新入りの歓迎だっ」
「おおっ!」
一気にどんちゃん騒ぎが始まった。お頭であるロードの家は、村で一番広かったが、やはり皆で集まることもあるからだろう。皆の集会場も兼ねているようだった。
「マイオス、こっち来いよ。力比べしようぜ」
「その前にフィギーラの話をしてくれ。あそこの兵士は凄いって話じゃねえか」
「だが、帝国軍に領主が靡いたと聞いたぞ」
そうして呼ばれれば、マイオスも席にリリエルを置いてそっちへと向かう。
(おとなしく座っていよう。だってこういうの、大事なことだし。マイオスパパがうまくやっていけないと、居辛くなっちゃう)
リリエルが大人しく部屋の隅に座って干し肉を齧っていると、横にひょいっと男の子が座って、顔を覗きこんでくる。
「リリエルって言うんだね。こんにちは。男の人が怖いって聞いたけど、僕も怖い?」
それは緑色の髪に濃い灰色の瞳をした男の子だった。リリエルより年上だろうが、まだ子供だ。そんなの、怖い筈がない。
だが、人見知りする癖がついていたリリエルは黙って下を向いた。
(別に・・・。人攫いもいるから、男の人には特に用心していただけだもん)
自分では普通にしているつもりだったが、やはりロキスとミザリーを殺されたのはトラウマになっていたのだろう。剣を見れば体が震えた。優しい言葉をかけられても、兵士だというだけで怖くなった。
理屈じゃない恐怖があったのだ。
けれどもリリエルはそれを認めたくなかった。成人した記憶もある自分がそんなに弱い存在なのだと、思い知らされたくなかった。
(べ、別に小さな男の子ぐらい、怖くなんてある筈がないしっ)
そんな唇を引き結んだリリエルに、男の子は手を差し出した。
「僕はザイ。言ってごらん?」
「・・・ザイ」
「そう。リリエル、この後、大人だけで凄い騒ぎになるからさ。僕の部屋に行こうよ」
言われて周囲を見渡せば、ゲラゲラと笑い転げて騒がしい酔っ払いがもう出てきている。この分じゃ、ここにいる方が怖いことになりそうだ。
ザイが手を差し出したのは、一緒に行こうというお誘いだったらしい。
「ちょおっと待てや、ザイ。その子は置いてけ。ほーら、お嬢ちゃん。怖くないでちゅよー」
酒で顔を真っ赤にした男が、そう言ってのしのしと近づいてきて、ぶちゅーっと唇をとがらせてリリエルの唇を襲おうとした。
(やだ、キモいっ)
リリエルはザイの右腕にしがみついた。ザイも、その男の額を左手で押しのけている。
「駄目だってば。リリエルは子供なんだから連れてくよ。おいで、リリエル」
見れば、マイオスも男の人達に囲まれてリリエルに構う余裕はなさそうだ。だからリリエルはザイにしがみついたまま、ついていった。この部屋にいる子供はザイとリリエルだけだったこともある。きっと、大人の飲み会に子供は参加しないものなのだろう。それを思えば、行く場所があるならそちらに行っておいた方がいいと、そう思えた。
ザイはリリエルの手を引いて、奥の部屋へと入っていく。そして一つの扉を開けた。
「客人なんて久々だからさ。朝まで続くかもしれないし、帰る頃には、えーっと、マイオスさんだっけ? 君のお父さんもここに迎えに来てくれるよ。だからゆっくり座っておいで」
「・・・うん」
置かれていた寝台に腰掛ける。
面倒見のいい少年だと、リリエルは思った。
だけど両親を殺した兵士達もそうだったのだ。それまで笑顔で面倒見もよく声をかけてくれていたのに、人気がない場所に差しかかったら無言でロキスとミザリーを殺した。何のためらいもなく・・・。
人は、人を騙せる生き物なのだ。
そんなリリエルの頬に、ザイの手が伸ばされる。
ビクッとよけるように後ろへ体をのけぞらせたリリエルを見て、ザイは目を細めた。
「僕が怖い?」
黙って俯くリリエルに、ザイの手が伸ばされる。逃げようとしたリリエルだが、それよりも早くザイに抱きしめられていた。
「すごい震えっぷりだね。本当に怖いんだ。・・・だけど、僕は何もしないから慣れてみなよ」
がちがちと歯が震える。
他人が怖かった。たとえ子供でも、人は武器さえ持てば簡単に人を殺せる。
そんなリリエルを抱きしめたまま、ザイは寝台に寝転んだ。リリエルを抱えたままで。
「大丈夫。ずっと震えてることなんて、できない。このままじゃ、君を残して仕事ができないってことになって、お父さん共々、追い出されちゃう。・・・リリエル、まずは人に慣れよう?」
すぐには、その意味が分からなかった。
だけど理解した途端、リリエルもはっと気づく。
(そうか。パパの足を、私が引っ張っちゃうんだ)
ザイは何もせず、本当にリリエルを抱きしめて横になっているだけだった。
やがてリリエルもザイの腕に慣れ、少しずつ緊張がほどけていく。
「本当に子供って体温たけえ。眠くなってきちまった。寝よう、リリエル。酔っ払いにつきあってられっか」
なんだかいきなり口調が荒っぽくなっているのが不可解ながらも、リリエルは目を閉じた。
(大丈夫。怖くない。私は平気。そうよ、大丈夫)
やがて、ギィッと扉を開ける音がして、
「あらあら。ザイったら新入りの女の子を連れ込んじゃって」
「かっわいー。ザイも寝てると天使よね」
「マイオスさんに伝えとかなくちゃ。まあ、これなら心配ないでしょ」
などと話す女性の声が聞こえてくる。だが、もうリリエルも目を開けられないぐらいに眠かった。ザイと名乗った少年からも寝息が聞こえる。
ランプが消されたのだろう、周囲が暗くなったことが分かった。
そして扉を閉じる音がして、リリエルは本格的に寝入ってしまった。ザイと一緒に。
リリエルが目覚めたら、自分は片足をすぐ横に眠っている少年の腹の上に乗せていた。そんな少年も寝相はあまりよくないらしく、大の字になって寝ていたが。
どうしようかと思いながら足を少年の上から下ろして寝顔を見ていると、小さな目くそがついている。それをとってあげようとしたら、ガチャっと扉が開いた。
「なんだ、起きてたか。リリエル、そこの坊ちゃんも起こしてやれ」
「パパぁ」
ひょいっと顔を出したマイオスだったが、もうリリエルが起きていたとみて、そのままどこかに行ってしまう。仕方ないのでザイを手でゆさゆさと揺り動かしたリリエルだが、かなり寝起きも悪いのか、ザイは目覚めない。
「起きてっ、起きてったらぁっ」
「んー。あとちょっと」
ザイはそんなことを呟きながら、ずり落ちていた毛布を深く掛け直すとその中にリリエルをも閉じ込めてしまう。よほど起こされるのが嫌なのだろう。リリエルを下にして、自分の体で覆ってしまったのだ。
「んもうっ、パパ、パパ、助けてぇーっ」
ザイの体が邪魔でくぐもった悲鳴をあげても、毛布があるせいか、扉の外まではリリエルの叫びもなかなか届かない。
(ああっ、どうして男の子って寝相も寝起きも悪いのよぉっ。人を押し潰す気っ!?)
そういえばお兄ちゃんもなかなか起きなかったと、そこで思い出す。名前は思い出せないが、兄もまた起こしに行ってあげた小さい頃の美冴を抱え込んで寝ようとしたものだった。さすがに年頃を過ぎたらしなくなったが。
そんなバタバタと暴れるリリエルに、さすがのザイも実は段々目が覚めてきていたのだが、面白いのでそのまま抱え込んでいた。
(昨日はあんなにブルブル震えてたくせに、もう人のこと蹴ってきてやがる。さて、どうやって懐かせよっかな)
いきなりやってきた小さな女の子。人が怖いだなんて、それこそ腕が鳴るというものだろう。
野生の獣に餌をやって懐かせても食料にされてしまうだけだが、女の子なら取り上げられはしまい。他の奴らにも手は出さないように言っておかねば。
そんなことを考えながら、ザイはリリエルが根負けするまで寝たふりをしようとしていたのだが、
「いつまで寝てるの、ザイッ」
「げっ、母さんっ」
と、バタンと扉を開けたかと思うと毛布を剥ぎ取ってきた母親に、それは中止を余儀なくされてしまった。
「全くザイもリリエルちゃんもお寝坊さんなんだから」
「・・・(ええっ!? 私は起きてたのにっ)」
「分かったよ。起きるってば。だけど、昨日はどんちゃん騒ぎがうるさくて眠れなかったんだから仕方ないだろ」
「嘘おっしゃい。さっさと寝てたじゃないのっ」
ザイと一緒のお寝坊さん扱いされたことでリリエルが不本意そうに唇を突き出しているのに気づいていたが、ザイはそれを無視することにした。
「さ、リリエル、起きよう? おはよう」
「・・・おはよう」
その不本意そうな口調にも気づかなかったフリをして、ザイはリリエルのほっぺたにキスをした。
「なっ、何すんのっ」
「おはようのキス。するだろ、普通?」
「・・・・・・」
どうなのだろう。
マイオスに抱きつくことはあってもキスなどしたことのないリリエルだ。しかも、マイオスもそんなことを娘にねだるタイプではなかった。
(そういうもん、なのかな?)
けれども男親では普通に育てられやしないのだろうと、今までにも言われた言葉が胸をよぎって、リリエルは何も言えなかった。
変なことを言って、マイオスを馬鹿にされたくない。この世界について、自分はやはり何も分からない子供でしかないのだ。
「リリエルはしてくれないの? まあ、いいけど」
「したげるもん」
だから、リリエルもザイの頬にキスをする。
「さ、ご飯、行こ。多分、朝ごはんが終わったら、リリエルの新しい家に案内してくれると思うよ」
「うんっ」
朝ごはんと聞いて、リリエルも元気に返事する。やはり、まともな食事は嬉しい。
(そういえば、ザイってザイファスとかってオチじゃないよね? だけどザイファスって、緑がかってはいたけど黒髪だったし、目も真っ黒だったしなぁ)
ザイは緑の髪と灰色の瞳だ。たしかに、その灰色の瞳は黒に近くて、墨色とも言うべきなのだろうが、それでも真っ黒ではない。
それに、このザイは少年というのもあるのだろうが、まだ紳士的だ。ザイファスなんて、かなり最初の品性は下劣だった。・・・それでも嫌いじゃないけど。
(このザイも顔立ちは悪くないんだよね。ハンサムな女の子にも見える)
よそ者が珍しいからか、ロード一家に何かと話しかけられては答えているマイオスを尻目に、子供であるリリエルはザイに面倒を見てもらいながら朝ごはんを食べた。
「このスープは子供には辛いからパンを浸すといいよ、リリエル。チーズも振りかけたげる」
「あ、ありがとう」
マイオスの傍に行きたくても、マイオスが皆と話すことに手一杯だと見て分かる以上、我が儘も言えない。結局、リリエルはザイと一緒にいた。
ザイの姉らしい女性が、そこで二人に笑いかけてくる。
「あらまあ。ザイったらリリエルちゃん、本当にお気に入りね」
「うん。リリエルってば水色の髪だろ。まるでシャマーみたいだし」
「・・・・・・根にもってるわね。いいじゃない。ザイだって美味しく食べたんだから」
シャマーとは誰なのか、リリエルはちょっと怖くなった。
「あ、あの・・・。シャマーって?」
まだ人に話しかけるのは怖かったが、同じ寝台で寝た仲だ。しかも、こうして朝ご飯を食べるのも何かと世話されている。だからリリエルは小さな声でザイに尋ねた。
「ああ。シャマーっていうのはね、僕の最愛の、・・・いや、最愛だった」
そこでザイはパクリとゆで卵を食べる。
(最愛って、・・・ザイ、あんた、まだ子供だよね?)
さすがにリリエルはそう思って呆れてしまった。まだ思春期もきていないであろう彼は、誰から見ても子供だ。
惚れた腫れたを言い出すには、いささか早すぎるのではないだろうか。
(ま、男の子って大人に見せようと背伸びしたくなるもんだけど)
二十数年生きたであろう美冴と、更に四才になるリリエルを合算した人生を歩いてきた自分から見れば、ザイは顔立ちも悪くない男の子にすぎなかった。
だからちょっと微笑ましく思う。
「水色の鱗をした魚だったんだ」
「・・・・・・(魚かいっ)」
もぐもぐと卵を食べ終えてからザイはそう言った。
(魚が最愛の存在だっただなんて、ザイってばインドアっていうか、根暗な男の子なんだ)
そこでリリエルは、魚に餌をやりながら語りかける、ちょっと一人ぼっち系なザイのワンシーンを想像してしまった。それは魚を飼う人間というのは神経質で、水温にもこだわったり、水草がどうとか、pHがどうとか、美冴には理解不能なレベルで何やらぶつぶつ呟いていたなという、そういうぼんやりとした記憶が残っていたこともある。
(そんな可愛がっていた魚を、きっとザイは何らかの理由で食べなくちゃいけなかったのね。他に食べる物がないとか、そういったことがあって・・・)
リリエルは、鯉みたいな魚を可愛がっていたザイを想像してそう思ったが、ザイが捕まえて養殖池に放したシャマーが、実は一メートル近い大魚だと知ったなら、そんなことも思わなかっただろう。
ザイは村人全員が驚く大魚を捕まえた為、これは伝説の魚に違いないと思って更に大きくしようとワクワクしていたのだが、それは村の収穫祭で見事な魚ステーキとなって皆に振る舞われた。
――― 俺のシャマーがぁっ。
――― 諦めろよ、ザイ。大体、お前のシャマー、食い過ぎなんだよっ。
――― そうだよ。シャマーのおかげで他の魚なんて、ほとんど食べられちゃったじゃないか。
――― それがどうしたってんだよ。ああ、シャマー。・・・あんなにも綺麗で大きくて可愛い魚だったのにっ。
――― あの凶悪なツラの魚を可愛いだなんて言えるのはザイぐれえだっつーの。
しかし村の友達は、ザイの悲嘆に対して全く同調しなかった。
誰もがそのシャマーの餌になる魚獲りに疲労困憊していたからだ。シャマーはかなりの大食らいだった。
何にしても凶悪な顔つきのシャマーは皆の予想を覆し、淡泊でありながら美味な魚だった。
ザイも愛しいシャマーをしっかり食べた。骨もパリパリになるまで炙ってから食べた。
愛しい存在を失ったことと、食欲は別の問題だからだ。
そんな事情など分かるはずもないリリエルは、そっとザイの横顔を見た。
(そっか。そんな大事にしていた魚と私の色合いが似てるからって、・・・かなりザイってばデリケートな少年なのね)
そのシャマーの口には凶悪な牙が乱立していたのだと、それこそサメのような魚だったと知ったらリリエルもそんなことは思わなかっただろう。
リリエルの、ザイに関する勘違いはそこから始まった。




