25 さまざまな思惑
レイラ(リリエル):ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳。リリエルの姿を取る時には水色の髪に青い瞳。松岡美冴が新しい姿を持ち、ロキスとミザリーの娘として産まれた。その後、マイオスに拾われて、リリエルと名づけられる。
チェンジン国・リミダ村
ザイ(ガンマ):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。リミダ村の村長及びピルッポの実質管理者。
マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。妻はエイリーン(金髪に赤茶色の瞳)。リリエル(レイラ)を拾って育て、シアラ(水色の髪、水色の瞳)も引き取る。エイリーンとの間に長男ロッジ。
ローリー:ザイの弟。
クユル:ザイを教えていた学者ミルドの息子。
アームル帝国
ロムルス(イプシロン):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の皇太子兼ハイアレティ公爵家長男。
ジルード:赤みがかった焦げ茶の髪に赤い瞳。ギネス伯爵家の次女ジルドレア。エディナートとの結婚によりタイガルース侯爵夫人。
エスリーダ王国
ライジード(アルファ):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。王太子。
レンダー:宰相がライジードに付けた懐刀。水色の瞳。甘いもの好き。
テルノス辺境伯:エスリーダ王国とリベラ神国との盟約をも履行している領主。
R01(一姫):金の髪。おしゃれが大好き、女の子らしくありたいと努力する子。
R02(二姫):赤の髪。体を動かすのが大好き。高い物を見ると登りたくなる子
R03(三姫):茶の髪。夢見がち。周囲や皆の様子を見て、バランスをとる子。
R04(四姫):橙の髪。怖がりで大人しい。常に遠慮がちな子。
リベラ神国。豊穣と繁栄を司るリベラ女神を国全体が祀っている。
ファルード(デルタ):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。神官。ナリス王国リーング出身。
イディラート:ルーセット神殿の神官長。ファルードの養父。焦げ茶色の巻き毛に緑の瞳。
塔
No.2猫の塔:主はシルヴィア。蒼い瞳に薄茶色がかった銀髪。跡継ぎはシュバルト。
No.3静謐の塔:白髪の老爺。跡継ぎはレスター(ベータ・金髪、青い瞳)。
No.5思索の塔:白髪の老爺。
そこは、ただ真っ白な空間だった。
真っ白な部屋。真っ白な五つの椅子。
そして自分達は木偶人形のように、性別のない胴体に手足がついただけの、のっぺらぼうの顔をしている。その姿は、真っ白なマネキンでしかなかった。
目も鼻も口も耳もない。頭髪もなく、着衣もない。いや、人形の土台ならそんなものなのかもしれないが。
「さて、名前がないってのは不便だ。便宜上、君達は、アルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)、デルタ(δ)、イプシロン(ε)と、名乗ってもらおうか。そう、座っている順番に、君がアルファ、あとは時計回りに、さ」
いつの間にか、部屋の角には一人の男が立っていた。
なのに何故だろう。それは男だと分かるのに、顔が認識できない。自分達のようなのっぺらぼうではないと分かりはするが、顔を覚えられないのだ。
彼は、すぅっと片手を挙げた。
そうして、その右手の上に一つの娘の映像が浮かび上がる。
はっと、五人が息を呑んだのが分かった。
「さて、君達はこの女を知っている。そうだね? 実は彼女、実在はしているんだけど、いささか遠い場所にいてね。だけど、ちょっと頑張ってこっちに連れてこようと思うんだ」
楽しそうに男が話す。その手の上に浮かび上がった黒髪に茶色の瞳をした女は、左手首を何度も見ながら走っているようだ。慌ててどこへ向かっているのだろう。ただ、あの紺色のツーピースを着ているということは、仕事とやらに行っているのかもしれない。
「ただ、色々とあってね。こっちに連れてきても、この姿のままってわけにはいかないんだ。で、こちらでは違う姿を与えてあげるつもりなんだけど、・・・・・・彼女を幸せにしてくれる男を探している」
誰もが、途端に身じろぎした。
「そう、その候補が君達さ。君達五人、今まで彼女の姿を夢で見続けていた筈だ。で、どうだった? 彼女は、特に優れたところもなければ、ありふれた性格の女だ。彼女を恋人にしても、妻にしても、特にメリットはないだろう。だが、それでも、・・・彼女を欲しいと思う男を探している。君達の中で、遠慮したいって人は名乗り出てほしい。元の場所に返すから」
そこで一人が手を挙げて尋ねた。
「はっきり言えば、何の美点がなくても、身分がなくても、彼女が欲しい。だが、・・・それができぬ身の上の場合はどうなる?」
「その問題は解消されるから、全く問題ない」
男は答えた。
「たしかに彼女は何の身分も財産もない。だが、こちらでは彼女自身にそれを凌ぐ価値をつけよう。だからそういった問題は考えなくていい。大事なのは」
男はそこで言葉を切った。
「彼女に愛され、そして幸せにすることだ」
そこで、一人が手を挙げて尋ねた。
「だが、彼女に愛されるかどうかは彼女が決めること。こちらがどんなに望んでも彼女が望まなければ話は終わってしまう。その辺りはどうなる?」
男はそれに対し、両肩を少し竦めたようだった。
「君達はそれぞれ異なる容姿と性格を持っているが、彼女に愛される土壌は十分に持っている。彼女は、・・・黒髪に黒い瞳の男が好みだからな。今、君達の外見もそれに近づいている筈だ。後は、各自の努力次第だ」
そう言えば、段々、髪も瞳も黒味が増していって、今や両方とも黒色と言って差し支えなかったなと、そんなことを思った数人もいたが、男はそんな思惑に付き合う気はないようだった。
「ああ、大事なことを伝え忘れるところだった。彼女を幸せにするなら君達も幸せに暮らせるだろう。だが、彼女を不幸にするというのであれば、それ以上の破滅が君達を襲うと、それだけは注意しておくよ」
もう片方の手、つまり左手を挙げる。
そうすると、その左手の上に、羊水の中にいる胎児のように丸まった形で眠っている娘の姿が映し出される。
眠っているから瞳の色は分からない。顔立ちも折りたたまれた膝で下半分が隠れている上、髪が邪魔して分かりにくい。けれども赤みを帯びた金髪はストロベリーゴールドと言わんばかりに華やかな色合いだった。
「これが、彼女のこちらでの姿。さあ、後はまたこちらに彼女を連れ込んでからのことだ。今はお帰り。そして決めておくがいい。彼女を得ようとするのかどうか、その覚悟を」
目覚めれば、そこは自分の寝室だった。今も空っぽの寝台が横にある。
「レイラ・・・。お前は私を責めるか?」
夢とは思えない程の、不思議な夢。だが、あれは現実でもあったと心が理解している。
姿を消した紫の髪をした美しい子供。なのに、あのとりえもなさそうな黒髪に茶色い瞳の女を自分は求めているのだ。レイラへと同じような狂おしい気持ちで。
(これは・・・裏切りなのか? だが、手を伸ばせば届くかもしれない彼女をどうして諦められる?)
アルファ(α)と、仮の名をつけられた自分は尋ねた。
――― 何の美点がなくても、身分がなくても、彼女が欲しい。だが、・・・それができぬ身の上の場合はどうなる?
何故なら、レイラを失った理由がそれだったからだ。平民でも貴族の養女にすればどうにでもなると思っていた。
だが、同じ平民でもほとんど裕福な貴族にも等しい暮らしが出来ている平民ならばいざ知らず、まさにその日の生活にも事欠くような貧しい平民となっては国民全員が納得しないと、皆に反対されたのだ。
しかもレイラの場合は、その貧しい平民かどうかすら、それすらも立証できないことから、どんな素性かも知れないどころではないと、最下層の人間ではないのかとも、言われたのである。
だから今回、問わずにはいられなかった。
そうしてあの男は答えた。
――― たしかに彼女は何の身分も財産もない。だが、こちらでは彼女自身にそれを凌ぐ価値をつけよう。だからそういった問題は考えなくていい。
彼女自身に身分も財産をも凌ぐ価値をつけるとはどういうことか。身分も財産も、王族との結婚では重視される条件だ。それを凌ぐとなると、・・・彼女自身が聖なる乙女として降臨するとか? だが、それは神話だ。現実的にそんな存在はあり得ない。
(いや。こんなずっと人に特定の夢を見させ続けるだなんてことが出来るのだ。それこそ神の御業によるものだろう。ならば、可能なのかもしれない)
だとしたら。
自分は再び失うことなくいられるのだろうか。
こんなにも求める存在を。この心の望むままに。
(既に我がエスリーダ王国は、私の領地とテルノス領以外、出来高の下降があまりにも止まらない状態だ。天災や穀物の不出来はどうしようもないこととはいえ、・・・あまりにも今の状況は苦しすぎる)
やはり、あのシンリアナ国の縁談を受け、援助を引き出すしかないのだろうか。
他の王子を差し出そうにも、あちらも足元を見てきている。そう、エスリーダ王国の王太子妃という肩書きを欲しているのだ。
(冗談ではない)
自分はちゃんと努力した結果を出しただけだ。前もって堤防を造り、豊作の時には備蓄に力を入れた。豊作に喜んでその利益を使いまくった、そんな奴らのケツ拭いを押しつけられても迷惑千万でしかない。
(いいや。ここで私が折れるわけにはいかない。一度、膝を屈したら、私は彼らの操り人形となる)
それでも国民の為に、縁談を受けなくてはならないのかもしれない。だが、そうだとしても自分の隣に立つ妃は自分で決める。
押しつけられた妻など、愛妾で十分だ。それを有り難く思えと、そう言い放つ強さを失ってはならない。
ライジードは窓を開けて外を見た。冷えた風が入りこんでくる。
広がっているであろう街の景色は、まだ夜明け前とあって暗く、分からない。
だが、明けぬ夜はない。
(それでも私は努力し続けねばならない。そう、息絶えるその日まで)
ライジードは窓を閉めた。
手に入る可能性があるのなら、自分は彼女を得る為に力を尽くそう。そんな決意を心に秘めて。
目覚めは最悪だった。
(悪かったな。どうせ黒髪でも黒目でもねえよっ)
レスターは、放り投げるようにして着ていた寝間着を脱ぎ、そうしてシャワーを浴びに行く。
自分に対してつけられた仮の名はベータ(β)だ。いくら、エー(A)、ビー(B)、シー(C)、ディー(D)、イー(E)では短すぎて呼びにくいからって、名前をつけるのに手抜きが過ぎないだろうか。
(いいけどな。別に仲良しごっこをしたいわけじゃねえ)
本当は自分の髪も瞳も、黒っぽく変化させることは可能だった。だが、レスター自身の意思がそれをはねつけた為に、自分だけ色は変わらなかったのだ。
その理由が、あまりにも頑なな意地だと分かってはいるけれど。
ザアアァッと、少し熱めのシャワーがレスターの体を覆っていく。今もまだ、レイラは彼の顔を知らない。
たまにテルノス領を訪れるターバンとバタフライマスク姿のレスターは、今や城の客人として立場を完全に構築してしまった。
正直、女の子の育て方なんて全く分からないから、R達を養育してくれるのは有り難い。
いい加減、マスクを外せとレイラには言われたが、
「顔の上半分に大きな傷がある」
と言ったら、二度と言わなくなった。
詰めの甘いタイプは助かる。
R達に確認されたら嘘だとばれてしまうが、前の世界で、そういうことをあげつらうのは恥知らずな行いだと、ちゃんと教育されていたのだろう。実際、あれこれと嗅ぎまわるような下品な育ちでなかったのは幸いだ。
いくら美少女でも、手癖の悪さや、育ちの悪さというのは如何ともし難い。金が有る無しではなく、きちんと躾を受けていることを重視されるのはそのせいだ。
(そういえば、顔は悪くないのに、どこぞの王女、盗み癖がなおらないって話だったが。ありゃどうなったのかねえ。そろそろ縁談も出ているだろうが)
そこにある物を盗ってしまう。それが自分にとって本当に必要な物というわけじゃなくても。
そんな行動をしてしまう人間の癖は、まずなおらない。
実はその王女の行動矯正装置を依頼され、他の塔が作っていた筈なのだが、王女が誰かの物に手を伸ばした途端に電流がバシッと走るものだから、肝心の王女が泣き喚いて嫌だと叫びまわり、結果としてそれを外すことになってしまった筈だ。
かなり高い装置だったものを。
(だが結局、王女が喚きまわるうるささよりも、物を盗られてもいいから大人しくしておいてもらう方を選んだってことか。なら縁談相手も、そんな欠陥王女を押しつけられても文句を言えない弱小国か貴族を持ってくるしかねえんだろうな)
何とも王族とは因果な商売だ。
レスターは、まるで他人事のようにそんなことを思った。実際、他人事だが。
きゅっとシャワーの栓を閉めると、レスターはタオルを取ってがしがしと荒っぽく髪を拭く。
鏡を見れば、青い瞳が自分を見返していた。
チェンジン国に戻ってきたザイが荒れているのは、皆にも指摘されていた。
けれども理由など言える筈がない。マイオスにも、リリエルが結婚しているだなんて言えなかったザイだ。
(あのおどおどした女、夢じゃなかったのか)
いや、夢だ。だが、あまりにも現実感がある夢だった。
あの顔が分からなかった男にしても、そして自分達にしても。
(大体、どうして違う姿にする必要があんだよ。別にブサイクって程じゃなし、あの顔でいいじゃねえか)
まるで羊水の中で漂っているかのように、赤みを帯びた金髪が揺れていた。体を丸め、膝にその顔を伏せて眠り続ける少女。その顔立ちはよく分からなかったが、美少女だというのは分かった。
どうして、そんな姿にする必要があるのか。そこが分からない。
顔なんて美しくなくてもいいだろう。あの鈍くさいままでいいではないか。
その方がよほどいい。・・・美しさに目がくらんだ男にもっていかれるよりも。
(リリエル。お前のように彼女も変わっていくのか)
起き上がった寝台の上で、ザイも膝頭の上に額を埋めるようにして、そんなことを思った。
彼女は黒髪に黒目が好み。・・・良かった。今の自分はかなりその色に近づいている。
いや、そんなことを本気で思っているわけではないが。自分はそんな軟弱人間じゃないつもりだ。
彼女を欲しいと思い、幸せにする男を探している。・・・精一杯おしゃれした女を、飛び跳ねたスープが服に染みつくような屋台に誘う男よりは幸せにできるだろう。
いや、別に名乗り出るつもりだなんて本気で思っているわけではないが。自分はほいほいと好きな女を気軽に決めたりはしないつもりだ。
(何なんだよ、俺)
ああ、ダメージが大きすぎる。どうしてリリエルが駄目だと思った途端、自分は夢に見るだけの女を相手にこんな妄想を繰り広げているのだろう。
情けなさすぎて泣ける。
ザイは、大きく力を抜いて寝台に大の字となった。
(やっぱり欲求不満なんだな。そうだ。そうに違いない)
明日は誰かを同じ寝台に誘おう。そんなことを思いながら、ザイは何となく予感がしていた。
きっと自分は彼女を望み、この手を伸ばすだろうと。
さらりと、既に黒になった髪が肩から落ちる。
(いい加減、切りたいのに、「女ウケがいいから伸ばしとけ。頑張れよ、更なる寄付金獲得の為に」とか言われて切らせてもらえないんだよなぁ)
いつから髪の毛にまで口出しされるような人権侵害が大神殿ではまかり通るようになったのか。
なのに、それに対してぼやこうにも、
「あらまぁ。美しさは罪よねえ。ほほほ、私達より美しいお顔で、そのさらさらヘアだなんて許せないわ。諦めて信者の皆様方をノックアウトなさってくださいな」
と、言われてしまった。
女性なら分かってくれるだろうと思ったのに、人生はしょっぱすぎる。
(だけど、ただの夢じゃない。僕はデルタ(δ)かぁ)
イディラートにも、それは自分の人生に影響するとまで言われた夢だ。自分にとって特別なのは分かる。だが、正体のわからない他の候補者達は何者だろう。まさか自分だけではなかったとは。
(おそらく二名は、王侯貴族の出身だ)
神官という職業柄、高貴なる身分のお方から最下層の人々に至るまで接する自分達は、相手の素性を見抜く術も叩きこまれている。
一般人のように椅子に座りながら、ファルードは他の候補者達の座り方を見ていた。
アルファ(α)とイプシロン(ε)、その二人は椅子の背もたれよりも少し手前で腰掛け、決して背中を背もたれに預けたりはしなかった。つまり、そういう教育が身についているということだ。普通の人は、椅子に座ったら背もたれに体を預ける。
(アルファとイプシロンは、あんな場ですら背もたれよりも前に腰掛けていた。つまり、どんな時でもそれを徹底させられているだけの立場と教養を有している)
かなり、これは手強い話だ。
放蕩貴族ならともかく、礼儀にうるさく格式高い家の出身となれば、・・・場合によってはそういう家は、身分よりも本人の資質を最優先する。
優秀な跡取りを作る為に、迎える妻に対しては身分よりも本人の資質を求めるのだ。
(とはいえ、負けたくはないな)
あんなにも可愛がっていたレイラは、なんとエスリーダ王宮から行方不明になったままだ。
心配いらないとイディラートが太鼓判を押しているから、ファルードも案じてはいないが、未だにリミダ村にも帰ってこない。
(困った子だね、レイラ。戻ってきたらリミダ村に行って、お説教だよ)
しかし、今は行方知れずのレイラについてではない。夢の中の女性こそが問題なのだ。
ファルードは、考え込んだ。
(この場合、彼らに先んじることができる手段って何かな。そこが大事なんだよね)
自分の顔は女性らしい。それこそ、男っぽいのが好きなタイプには、最初からお断りされてしまう顔なのだ。
だが、ここはそれを活かしてみたらどうだろう。
たとえば彼女が何でも相談できるような立場に持っていって、それからゆっくりゲットするとか。
ファルードとて、どんなに女性らしい顔をしていても男である。
参戦する気は満々だった。
こんな摩訶不思議なことがあっていいのだろうか。
ロムルスは、はっと目覚めて寝台に起き上がった。だが、まだ夜明けは遠い。
(不思議な夢だった)
目も鼻も口もない、そんなのっぺらぼうな顔なのに目が見えて言葉も話せるとは、何とも不思議な話である。さすがは夢だ。
(どうしよう。誰にも相談できん)
薄情にもジルードは結婚した途端、タイガルース侯爵邸か領地にあるタイガルース城で女主人として采配を揮うのに忙しいと、ほとんどロムルスにかまってくれなくなったのである。
男の友情を蔑ろにしすぎていないだろうか。妻を迎えたら男同士の付き合いは悪くなるというが、まさにその通りだ。
ジルードはジルードで、自分の様子を全く見に来ないからそんな誤解ができるんだと、ロムルスを薄情な奴だと思っていたのだが、その辺り、ロムルスはかなり大味な男だった。
ジルードをいい奴としか思っていないロムルスに、タイガルース侯爵のヤキモチなど分かる筈がなかったのである。
ふぅっと、ロムルスは大きな溜め息をついた。
夢にしてはあまりにもリアルすぎる。
(一年近く同じ女の夢を見続け、更にこれか)
それこそ、意味があったと思うべきだろう。
(彼女を望む、か・・・?)
今のロムルスは帝国の第一軍に属しているだけの人間とはいえ、本人が考えないようにしているだけのれっきとした皇太子様だったり、それをどうにか弟に押しつけることが可能になったとしても名門ハイアレティ次期公爵だったりする立場なのである。
通常の女性では、その妃もしくは奥方など、かなりの重圧どころか、そのプレッシャーで潰されてしまうに違いない。
けれどもと、ロムルスは思い返した。
水たまりに足を突っ込んで泣きそうになっている姿も、遅刻してしまって怒られている様子も、ソフトクリームとやらを食べていてそれを地面に落っことしてしまった時の情けない顔も、全てがもっと見ていたくなる彼女を、自分は欲しいと強く感じている。
この手を差し出して彼女に頼ってもらいたいと、そう願わずにはいられない。
(帝国の力があれば、彼女を手に入れられるのか?)
それならそれを使うことも躊躇うものではない。
けれども泣かせたくはないのだ。怖がりな彼女を。
暗い夜道を歩けば、ちょっとした物音でもびくついていた。そんな彼女の横を、自分が一緒に歩いてやれたらと、何度思ったことだろう。
(今、父上は後宮を廃し、母上を皇妃として常に表に出しておいでになる)
だが、彼女が望むなら、復活させたってかまわないのだ。綺麗な装飾が施された後宮で幸せに暮らしたいと言うのなら、全ての重圧と責任は自分が背負った上で、彼女を害する全ての物から隔離して暮らさせてやってもかまわない。
愛する女を誰よりも大事にできる、ただし力を失わない限り。
それが皇帝という立場だ。
(だが、皇妃様の例もあるしな。今、お幸せに暮らしておいでのようだが、あの方に言わせると、皇妃というのは全くもって雁字搦めな日々だったとか)
ならばやはり弟に皇帝の位は押しつけて、自分は公爵でいいだろうか。どちらにしても、全部は使用人にさせて彼女に無理な仕事を与えなければいいだけのことだ。
そうだ。そういう時にはジルードがいるではないか。
あいつなら自分のタイガルース邸のついでにハイアレティの差配についてもアドバイスしてくれるだろうし、手助けもしてくれるだろう。
(やはり持つべきものは親友だな)
ロムルスは真面目だが、基本的に周囲に出来る人間が配されていることも多く、自分一人で抱え込んで自滅するタイプではなかった。
美冴に荷が重いようなことを押しつけない為にはどうするべきかと、対応策の方ばかり考えている。
(だが、確率として五分の一、か)
それが倍率として高いのか、低いのか。分からない、この夢が意味する本当のことすら。
ロムルスは再度大きな溜め息をついた。
うふっうふっと、髪をブラッシングしながら、レイラはひそかに不気味な笑いを漏らしていた。
鏡に映った自分の顔は、相変わらずの美少女だ。
(ついにっ、私も十五才っ! 十五才ですよっ、花も恥じらう乙女真っ盛りですよっ)
色合いこそリリエルちゃんのように水色の髪、青い瞳といったものにしてあるが、顔立ちは変わらないわけで、まさにナンバーワン美少女の呼び名も高いレイラは、テルノス城のプリンセスだ。
(まっ、まあねっ。小さい分、人気があるのは子供達の方だけどねっ)
さすがに年頃のレイラに対して、男性はそれなりに恭しく距離を置くのが礼儀らしい。だが、R達はまだまだ子供なので、老若男女問わずかまってあげることが出来るのである。
自分は平民だからとお嬢様呼びで留めてもらっているものの、扱いとしてレイラは、塔から預かった大事な姫君として遇されていた。
しかし、同じ顔をした四人の子供達は、お姫様とお嬢様の区別もつかないものだから、
「どう違うのぉ?」
と、そんな質問をかました挙句、最初からずっと姫様と呼ばれている。
(そうよ、乙女と言えば、鬼も十八番茶も出花と言うくらいで・・・)
そこでレイラは考え込んだ。
そうだ。普通、乙女といえば十八才が一番美しい年頃ではなかったか?
十五才ってまだ子供なのでは?
(おやぁ?)
つい、城の皆が、
「まあ、十五才と言えば一番お美しい年頃ですわ」
「そうですわ。だから社交界にデビューして、あまりに美しすぎるとそのまま望まれて嫁いでいかれてしまいますのよ」
などと言っていたものだから、自分もそんな気になってしまっていたが、十五才と言えば、地球でいうところの中学三年生とか高校一年生とか、そんな辺りではなかったか?
(おおうっ、ニキビが気になるお年頃じゃないの)
そうだ。乙女がどうこうとかいう以前に、チョコを食べ過ぎたら寝ている間にニキビができちゃうとか、そんなことの方が気になるお年頃ではないか。
男女交際には憧れるけど、デートの何たるかも分かっていない男の子とお付き合いするよりは、女の子同士で遊びに行きたいお年頃なのである。
(考えてみれば、十六才から結婚できるったって、十代で結婚する人、かなり少数派だわよ)
冷静になって考えてみれば、まだ体が完全に出来上がっていない十代で結婚するのはハイリスクだ。
経済基盤も考えられない時点で、その資格は・・・・・・。
(うん。周囲に惑わされすぎていたわ、私)
所詮は、地球での価値観が残っているレイラである。
何だかみんなにおだてられて浮かれていたのだが、自分で盛り上がった挙句、冷静になってしまえば、一気に落ち着いてしまう。
(だけど、・・・そろそろ、彼らも私と出会うのかな)
ただ、地球人だった自分の成長と、このレイラの成長は少し異なるような気がしてならない。
十五才なのだが、それこそ自分の目から見れば十七才とか十八才とかにも見える。
けれども周囲はやはり十五才として扱ってくるのだから、それは日本人が童顔だったことにも起因しているのだろう。つまり、自分の目がここの年齢をうまく見極められていないということだ。
(私が十五才の時、スポーツブラかAカップだったってのに、どう見てもこの体、Cカップはあるわよね)
嬉しいんだか、悲しいんだか、本気で分からない。
ニキビが出来ないのは嬉しいが、タイムリミットが近づいてくるというのは、とても不安だ。
(もう、子供だからっていう待ち時間がもらえなくなる)
ああ、どうして。
この世界では結婚は二十才からっていう決まりがないんだろう。
同じぐらいに、あの四人を愛しているのに。
誰も選べない程に、他の三人を切り捨てられない。
(けど、四人全員ってのはイヤ)
自分の良識が、絶対にそれだけはと拒否するのだ。
気づけば、ブラッシングしすぎて髪は艶々しまくっていた。天使の輪が浮かぶ程、素晴らしく輝いている。
自分で一つにまとめながら編み込んでいき、最後にリボンで結ぶ。
(子供達が抱きついてきたりするから、ピンとかは危なくて挿せないのよね)
そのR達を、レスターは自分のクローンみたいなものだと言った。
だけど、未だにその意味をちゃんと問いただせてはいない。
(聞くのが怖い)
引き返せない道に入ってしまいそうで、怖いのだ。
勿論、引き返せる人生なんてどこにもないと、言われてしまったらおしまいだけれど。
部屋の中には、丸い球体が浮かんでいる。
その球体の中には無色透明の液体が充填されており、その液体の中で、胎児のように膝を折り曲げ、そこに顔を埋めるようにした姿で眠り続ける娘。
球体の中に広がる娘の髪はストロベリーゴールドで、その輝きが懐かしい何かを思い出させるけれど、分からない。
その球体に手を添えていた男が振り返った。
相も変わらず、その顔は認識できない。男の顔を自分が見ているのは分かるのだが、その顔立ちも何もかも、見たと思った端から分からなくなっていくのだ。
「ここに来たということは、五人全員、彼女を求めるってことだね。まあ、そうだろうとは思ってたけど。見てごらん、とても可愛いだろう? だが、これは彼女の仮の姿だ。君達と同じくね」
前回と同じ白い部屋。
今度は椅子など用意されていなかった。けれど必要ないだろう。
その眠る姿を見ていたい自分達がいる。
五人はその球体の近くまで寄り、広がっている髪であまりよく見えない顔を、少しでも見えはしないかと、そんなことを思いながら見つめていた。服も着ていないが、その丸まっている格好のせいで、いやらしさは感じられない。
「君達の姿は、お互いに正体が分からないよう、その姿にしたんだよ。だけど、君達の意思で顔かたちを変えることは可能だ。自分の正体を晒したいなら晒してもいい。そしてね、彼女も・・・」
愛しそうにその球体を撫でながら、男は言った。
「本当は胎児なのさ。だから今はこういう格好で、羊水の中で漂っている。・・・これは、彼女が成長した時の姿を投影しているだけだ」
そこで男は五人に対して向き直った。
「さて、では説明を始めようか」
いつの間にか、部屋には六つの椅子が出現し、男は優雅にその一つに着席してみせた。
そうなると五人もそれぞれに自分の近くにある椅子にと座る。
それを確認してから、男は口を開いた。
「まずは彼女の魂がこちらにちゃんと落ち着いたかどうかを確認する。精神体ではあるけれど、一度、彼女を起こすつもりだ。その際、君達にも彼女と接触させてあげるよ。・・・だけど、彼女はそれこそ前の世界にいた時から時間は動いていない状態だからね。何も分かっちゃいないことはわきまえておいてほしい」
何とも傲慢な男だと、マネキン人形みたいな姿の彼らに共通の認識がよぎる。
行動も仕草も優雅なものを感じはするが、それを見た途端から記憶から消えていった。
それでもこの男が、自分の意見を一方的に伝えはするが、五人の意見など聞く気はないのが分かる。
「あと、個別に彼女との時間も持たせてあげる。ただ、その際、彼女に贈り物をしてほしいんだ」
そこで何人かが自分の体を見下ろしたのが分かったのだろう。男は手を軽く横に振った。
「いや、贈り物と言っても、普通のプレゼントじゃない。言っとくけど、君達もちゃんと選ばれた存在なのさ。だから彼女に対して、それぞれ一つの運命を贈ることができる。たとえば賢く生きる人生だとか、どこに行っても男を悩殺する運命だとか、何でもいいから好きなものをね。それは君達が各自で考えればいい。彼女に贈りたいと思う運命を授ければいいんだ。君達が願いを込めて口づけと共に言葉にすれば、それが彼女の魂に刻まれる。君達が与えた運命を抱いて、彼女は生きるだろう」
そこで一人が手を挙げた。
「質問しても?」
「どうぞ?」
「もしも、その贈った運命が重複したらどうなりますか? もしくは拮抗したら?」
なるほどと、他の候補者の何人かが頷く。
「重複した場合は、違う運命を贈ればいい。願いをこめながらキスした時点で、自分の中から彼女に与えた運命が流れ込むことに気づくだろう。何も感じなければ誰かが同じ運命を贈ったということ。それは早いもの順だ」
面白そうに、男はそう言った。
「そして拮抗することはまずない。もしも正反対の運命が贈られてしまえば、君達の力は同等だから、両方ともそこで相殺されて消滅してしまう。・・・だけど、愛する人として自分を選んでほしいとか、そういう彼女の自由意思に係わる運命は贈ることができないから」
そこで何人かが、小さく舌打ちしかねない感じの空気を発する。やはり考えていた人間はいたということだろう。
「その贈り物によっても彼女の好感度は変わってくると思うけどね。まあ、好きにすればいいよ」
そこで一人が手を挙げた。
「一つ、尋ねたいんだが、今、彼女は胎児だと説明したな? ならば、今から一年後に産まれてくるということか?」
「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」
レスター以外、つまりレイラのことを知らない皆の間に沈黙が広がった。自分達の年齢は、現在二十一才である。来年産まれてくるとして、自分は二十二才。彼女は0才。
しかし、男が首を横に振ったような気配になる。
「いいや。彼女は好きな時に産まれてくる。それは過去かもしれないし、未来かもしれない。今、こうして胎児の姿でいるが、君達に祝福を贈られた後は、適当な時代と場所で産まれることだろう。だから、君達が産まれるよりも前に産まれてしまって、それこそ探し当てたら彼女の方が年上といったこともあるかもしれないね。また、反対に今から十年後とかに産まれてくるのかもしれない」
何とも性格の悪い男だと、レスターは思う。
分かっていて、そういうことを言うのだから。しかし、そこで他の候補者に何も言わない自分も同じ穴のムジナなのだろう。ああ、分かってる。分かってはいるんだ。
そこで一人が手を挙げた。
「あなたは我々よりも高位の世界に属する方とお見受けいたします。提案をしても?」
「勿論、かまわない」
「では、私はあえて身元を明らかにいたしましょう。私はリベラ神国の神殿に属しております。あなたは、彼女がどんな身分や財産にも左右されない価値をつけるとおっしゃいました。ですが、ここで更に私共を利用されてはいかがでしょうか?」
「というと?」
男は、どこか面白そうな口調になった。
「なかなか美しい顔立ちと見ました。ましてや、この五人からそれぞれに考え抜かれた運命を贈られるとのこと。そうなれば、運が良いという言葉だけでは言い表せぬものを持って、彼女は私共の世界に現れるのでしょう。もしも、私が生きている間に現れる場合には、彼女を我がリベラ神殿による特別な女性として公表してはいかがでしょうか」
「特別?」
男が問い返す。
「はい。我がリベラ神国は様々な国にその教えを広めております。その上で、リベラ女神の恩寵深い愛し子が現れたと、そういうことにしてはいかがでしょうか。リベラ女神の恩恵をその身に宿した娘とあれば、どんな国でも、彼女を疎かに扱うことはありますまい」
「彼女はリベラ女神の娘ではない。そうと分かっていて、リベラ神殿の人間がそれを提案するか」
揶揄するような口調にも思えたが、特にからかっているわけではないようだった。
「我らが女神は全てを包み込む御方。彼女はリベラ女神の娘ではない、たしかにそうでしょう。しかし、ここまで大がかりなことを行われた上で誕生する存在が、ただ人である筈もありません。私はそれに相応しい扱いをと、そう提案しているだけです。我が神殿にとっても、通常の人とは違う祝福された娘であれば、女神の娘として遇することはやぶさかではありません」
しばらく、男は考えた様子だった。
「だが、それを理由に彼女を閉じ込められてはかなわんな」
「ご心配なく。あくまで彼女の後見に立つということです。実際、我が神殿では小さなものではありますが、そういう先例もありました。その際も、その少女の自由を奪ってはおりません」
「なるほど。ならば、好きにするがいい。まあ、分かりやすくていいだろう」
「ありがとうございます」
その話が終わったとみて、もう一人が手を挙げる。
「気になったが、じゃあ、彼女が現れたとしてそれが今から三十年後とかだったらどうなる? それまで俺達は結婚もせず、産まれているのかどうかも分からない女を待ってるのか? せめてそれぐらいは分かってもいいだろう」
「君達が運命を贈った時点で、彼女とは繋がりができる。強く念じれば、彼女が生きているかどうかぐらいは分かる。更に強く念じれば、どちらの方角にいるかどうか程度も分かるだろうな」
さすがに誰もが驚いて、少し腰を浮かした。
どこに産まれてくるかも分からない、いつの時代かも分からない。それはあまりにも雲をつかむような話すぎたのである。
だが、そうなれば一気に事情が変わってくる。
「さあ、次に来た時には、彼女が目覚める。・・・その時、君達、どういう姿で現れるか考えておくんだね」
その言葉を最後に、彼らは夢の世界から現実世界へと戻された。
ライジード、ザイ、ファルード、ロムルスは、それなりに晴れ晴れとした明るい気分で目覚めることができた。
そうだ、やっと彼女と話せる。今まで眺めることしかできなかった彼女と。
彼女の瞳はどんな色をしているのだろう。どんな声で話すのだろう。彼女は自分に笑いかけてくれるだろうか。
ただ、レスターだけは重苦しい気分のまま、目覚めと同時に溜め息をついていた。
猫の塔。
静謐の塔の跡継ぎであるレスターを、自分のパシリだと認識している女がいる塔である。
分かっていてもその時がくればショックは受けるものだ。美冴の魂が定着したというのは、他の候補者達がいるということもあって、かなりの緊張をレスターに与えている。
(駄目だ、逃げ出したい。いや、そういうわけにもいかない。・・・ああ、だけど猫の塔には報告に行かねば)
そんなわけで、静謐の塔の跡継ぎは、師である賢者に、
「ま、よろしく伝えといてくれ」
という言葉と共に送り出され、出向いていた。
やってきたレスターを見ると、猫の塔は
「ちょうど一息つこうと思ってたところだ」
と、休憩室へ誘う。
「何だ、二日酔いか? しけたツラしやがって」
「いつも思うんですけど、どうして猫の塔の賢者ってガラが悪いんでしょうか」
そこがレスターには分からない。そういうセリフは、男の低い声こそが似合うのである。
いつもながら彼女が淹れてくれるコーヒーは旨いのだが、会話術だけは壊滅的にド下手人間だといつも思う。
二人は、ゆったりと向かい合わせのソファに腰掛けていた。
疲れた時の一服はゆっくりしたいのか、ここのソファはまさに安らげるタイプの大きな一人掛けが基本だ。静謐の塔では、そういうものに重きを置かないが、こういう良さも分からないわけではない。
「しっつれーな奴ぅー。大体なぁ、女に従順さなんぞを求める奴ってのは、自分に自信がないからだってことも知らんのか。これだから若僧ってのは駄目なんだよ、おい」
「女性に従順さを求めるのは、その若僧よりも年寄りに多い傾向があると思います」
「ふむ。一理ある」
しかし、そこでちゃんと理性的に判断するのも猫の塔だ。珍しく、いつもは黒のゴムで一つに括っているだけの髪に、今日はワンポイントで赤いリボンが結ばれている。
もしかしてそれを結んだのは、・・・いや、考えるまい。そうだ、自分は何も見なかった。
レスターはそういう判断を誤らない青年だった。
そんな彼の内心に気づくことなく、猫の塔はなるほどと、レスターの意見を受け入れる。
「で、どうしたよ。ん? 何だ、ついに若者の暴走でやっちまったのか? うっわぁ、サイテー」
「下品なこと言わないでください。ついでに、わざとバカっぽい言い方するのもやめてください。・・・するわけないでしょう」
「だよな。お前、本気で根暗野郎だし。レスが長すぎて、言い出すタイミングそのものを失ってる年寄りレベルでどーしょーもない感じだし」
「・・・・・・」
どういう目で見られていたのか、よく分かった気がするレスターだった。
そうか。自分はそう思われていたのか。しかも当たらずと雖も遠からずである事実が痛すぎる。
「一応、報告に来たんですよ。何といっても彼女の体を作りあげたのは貴女ですから。無事に彼女の魂は、定着しました」
すると、猫の塔は片眉を僅かに上げたが、その後すぐに幸せそうに微笑んだ。
「そうか。やっとか。・・・まあ、ちゃんと出来上がっていたのは分かっていたが、やっぱり嬉しいもんだな」
レスターはカップをテーブルの上に置き、立ち上がって猫の塔の近くまで歩み寄ると、片膝をついてその頭を垂れた。
「ありがとうございました、猫の塔の賢者。あなたのおかげで、美冴はこの世界に誕生することができます」
「頭を上げなさい、レスター。・・・私は、私の研究をしただけのこと。結果としてあなたの愛する人を誕生させたことを光栄に思いこそすれ、あなたが頭を下げる必要はありません」
レスターは頭を垂れたまま目を伏せ、「はい」と、頷いた。
ああ、いつもこうやって、尊敬できる人でい続けてくれればいいのに。猫の塔は、これできちんとした会話をする時は、まさに出来る女といった感じになるのである。
「ソファに戻りなさい、レスター。あんまり畏まっていると、こっちも緊張して何やるか分かりませんよ。その頭にハイヒールを載せられて、『女王様とお呼び』なんて言われたいですか?」
「すぐに戻らせていただきます」
レスターは、タイミングを間違えない才能があった。さっとソファに戻る。
「しっかしまあ、何とも不思議なもんだ。かなり前に渡したこと自体はともかく、凍結されていたそれが今やっと始動するってのに、その生命はとっくの十数年前に誕生してるんだから」
「それは言えますけど」
それはレスターも同感だ。
時の流れを巻き戻し、彼女は既に誕生している。
「お前は気にしないんだな、静謐の塔の跡継ぎ殿? 生命の神秘に手を出すのは神への冒涜だと」
「ならば、地中にあった金属を加工して違う姿にしてしまうのも、神への冒涜ですか?」
「物と命は違うさ」
少し寂しそうに、しかし諦めの感情をのせて猫の塔は呟いた。
けれども、その感傷がレスターには分からない。いや、ある程度は分かるが、この世界の神は全く気にしていないというのも分かるから、それはきっと、猫の塔が今まで生きてきた中での価値観に起因するものなのだろう。
「私にしても、誰にしても、あれだけの美少女を作り上げられるなら全ては許されると、・・・男ならそう言うと思いますけど」
「まあ、そりゃ顔は極上だろうけどなぁ」
猫の塔は苦笑した。
「かなり、いや、とてつもなく難しい注文だったからな。髪の色も指定されるわ、瞳の色も指定されるわ、肌の色まで細かいことを言うわ、顔かたちどころか、スタイルまできっちり指定されて、その体の人間を誕生させろと言われた日にゃ、・・・・・・本気で出来るのかとかなり悩んだね。しかもこの世界の体は、私が知る人間とはやはり遺伝子が異なりすぎた」
「ですが、あなたはそれをやり遂げた」
レスターに、その難しさは分からない。専門違いもいいところだからだ。だが、簡単でないことは分かる。
長い年月をかけて、猫の塔と、その跡継ぎはそれを完成させた。
デザイナー・ベイビーとか言っていたが、胎児になる前から、その一生を全て考慮して遺伝子の段階から手を加えて生命を作り上げるのだそうだ。その為に、様々な人から精子や卵子といったものを採取して。
「データは揃えてもらってたからな。どの容姿とどの病歴をもった一生だったかの遺伝子データと検体とを、あんなにも多く揃えてもらったんだ。それで出来んとは言えん。・・・まあ、その髪の色ってのがうまくいかず、結果としてR達まで作ってしまったが」
体毛の色は、一生の間でかなり変わることがある。その為、それが起きないようにと、その因子の特定にかなり苦労したらしい。
(髪の色なんてどうでも、・・・いや、あのストロベリーゴールドはやはり捨てがたい)
そこらへんは、レスターも口を閉ざして沈黙を守るしかない。そうだ、やはり彼女にはあの髪の色が似合う。そこは譲れない。
そんなレスターの思いとは別に、猫の塔も深い感慨に耽る。
(元の世界では非難されることも多かった研究分野だ。だけど、難病の人にとっては救いにもなるそれを確立したかった。・・・結果としてこんな世界にやってきた今、それらはもう叶わぬ夢だが)
だけど嬉しいと感じる。レスターにとってもそうだろう。
あの日、いきなりここに訪問してきた少年は、今や立派な青年となった。
「あなたに見せてあげたい。・・・レイラが動いている姿を。あなた達は彼女の母親のようなものだ」
「いいや、違うよ。そう、お前にはそう思えるんだろうな。私達は卵子と精子とを解析し、更にそれらを取捨選択して、受精卵を作りあげた。けれども、それらの大元はこの世界にあるものだ。私はその組み合わせで生じる命そのものに対して手を加えただけにすぎん」
「はあ」
「母親は母親だ。彼女を産み落とし、育てた人が母親だよ。私達は決して傲慢になってはならない。その命を誕生させたのが自分だなどと、そういう優越感を抱いてはならないんだ」
レスターは座ったまま、そういうものなのだろうかと考える。
けれどもそうだ。彼女はどんなに傲慢で我が儘でマイペースでも、その芯には誰よりも厳しい理念を抱いて生きている。
「あなたで、・・・良かった」
その言葉は、自分でも知らぬままに零れたものだった。はっと気づいて、少し顔が赤くなったが、猫の塔は何も言わなかった。ただ、静かにコーヒーを飲む。
「ま、同じ遺伝子を持つR達も順調に育ってるしな。彼女も問題なく暮らしてるんだろう? だが、何かあれば連れてこい」
「はい」
猫の塔とて木石ではない。
レイラが既に生きて動いているのだから、成功なのは分かっていた。それでもこうして報告されると、ここにやってきて、そうして続けていたこの研究が間違いではなかったのだと、そう思える。
あの日渡した、あの一つの受精卵に、やっと魂が宿ったのだ。
猫の塔の、その蒼い瞳に涙が滲んだ。
「猫の塔は、何を報酬にお願いしたんです? 猫の塔もまた、違う世界からやってきたのでしょう?」
「ああ。私は別に、もう誰にも煩わされることのない、そんな研究に没頭できる人生を望んだのさ。・・・うちの跡継ぎが何を望んだのかまでは知らんが」
あっさりと猫の塔はそれをレスターに教える。
「お前の大事な姫君はこちらの世界で生まれ直したから普通に生きていけるが、私とシュバルトは自分の体を持って渡ってきたわけだからな。だから好きなだけ生きて、好きな時に死ねばいいと言われてるし、後は適当に過ごして適当に死ぬさ。ここはとても興味深い研究対象で溢れている」
「・・・そう言えば、どれくらい生きてらっしゃるんです?」
「はて。何だかもう途中で数えるのをやめたんだよな」
本気で不思議そうに、猫の塔はそう小首を傾げた。ほとんど人にも会わず、引きこもって暮らす塔の住人は時間の流れに疎い。そういうものなのかもしれない。
けれども、レイラを誕生させる為にわざわざこの世界に連れてこられたとあって、彼女達の時間は止められていた筈だ。
(そう考えるとやっぱり化け猫みたいなもんなんだよな)
そう言えば、百才を過ぎた猫は尻尾の数が増えて妖怪になるのではなかったか?
見た目はそれなりに若いかもしれないが、猫の塔の実態は、因業ババアだ。
(やっぱり、化け猫の塔に改名すればいいのに)
感謝の気持ちはある。それは間違いない。
だが、結果としてR達の誕生をお願いしてしまった為に、何かと手伝いだの何だのを要求されてはこき使われてきた自分としては、感謝一辺倒というばかりではいられないのも事実だった。
猫の塔は、人使いが荒い。
「あ。それからな。ここも温度を維持する装置がうまく動かなくなってるんだ。直しておいてくれ」
「はい」
動かなくなった時点でさっさと修理に出せばいいものを。
レスターが来るまで放置しておいたものぐさっぷりが凄い。そりゃ他の部屋にある装置を使い続けていれば問題なかったにしても。
だが、レスターは何も言わない。いや、言えない。
習慣とは恐ろしいものだ。
「で、このタイマーなんだが、今まで一ヶ月先まで入力できるようになってたが、できれば半年まで延ばしてもらいたい」
「温度の維持は私でもできますが、そうなるとこのタイマーと一緒に青の塔へ頼みましょうか。一度運び出すことになりますが、彼なら色々と更に機能もつけてきそうですし」
「かまわない。別に半年と言わず一年でもいいからと、そう伝えておいてくれ」
「わかりました。後で運び出して手配します」
はっきり言えば、猫の塔はレスターを何でも屋だと思っているのだろう。
他の塔とかその跡継ぎとかの前では、それなりに上品で研究にいそしむクールな女を演じている猫かぶりの癖に、レスターに関してだけはそうではない。
それを「特別扱い」などとぬかす奴がいたら、正座させて説教したくなるレスターだ。
けれども自分の師、静謐の塔の賢者に説教などするわけにはいかず、彼は黙って耐えていた。
(何で世の中って、俺みたいないい人がストレスためるような構造になってんだろう)
他の塔の人間にも、
「静謐の塔の跡継ぎ殿は、猫の塔殿に可愛がられていらっしゃるから」
「そうですなぁ。やはり若くて顔がいいのがいいんでしょうかのう」
などと言われる度に、
「なら、代わってくれ」
と、言いたくなるレスターだ。
顔の良さ?
そんなもの、この女が見ている筈がない。
大体、自分の前で大口開けて欠伸している女が、自分を男として見ていると勘違いできる男がいるとしたら、そいつは確実にただの間抜けだ。
(単にどんな肉体労働でも押しつけられるからってだけじゃねえかっ)
猫の塔とは、猫かぶりの塔に違いない。化け猫の塔でも可。
「もうR達も順調だしな。この培養液も抜いて掃除しといてくれ」
「え? ですが、何かあった時に・・・」
レスターがそれには反対意見を述べようとしたが、猫の塔は「かまわんかまわん」と、手を小さく振った。
「ここまで普通の生活をしていても異常が出てないんだ。お前のお姫さんだろうがR達だろうが、普通の培養液ですぐに対応できる。わざわざ個別調整してあるこれじゃなくてもな」
「はあ」
「クリーンかつ性能維持しているエネルギーの方が勿体ない。心臓と脳が動いている限り、全ては完璧に元通りにしてやる。安心しろ」
「はい」
猫の塔がそう言うのならそうなのだろう。
渋々とレスターは頷いた。
「じゃ、私は寝る。後は任せた」
そう言って猫の塔は部屋を出て行こうとする。しかし、扉のところでくるりと振り返った。
「ああ。八時間後に食事を用意しといてくれ」
「分かりました」
やはり猫の塔は自分を召し使いだと思っているに違いない。
レスターはそう思った。
塔にいるアンドロイド達に手伝わせ、運び出す装置などをカートに積みこませると、レスターはそれぞれに修理内容もしくは希望改造についてのメモを細かく指示したものを貼っていく。
自分の場合、大まかなものであっても猫の塔がいた世界を知っているから、こういう指示についても的確さがあると感じさせてしまうのだろう。
だから余計に、猫の塔に使い勝手が良いと思われてしまうのだ。
(有能さが自分の足を引っ張るだなんて、こんなことがあっていいのか)
どちらかというと、レスターのそれは、有能さよりもその細かいことまできっちりやってしまう性格が影響しているのだろう。
だが、自分の性格こそが猫の塔にいいようにされている理由だと考えたくなくて、レスターはあえてそこを気づかないことにしている。大体、逆らうよりも諦めて従った方が、面倒が少ない。
(人の足元を見やがりやがって)
けれどもレイラやR達に何かあった時、それこそ猫の塔はその命綱だ。そう思うと、ないがしろにはできない。
「さて。じゃあ、これらは炎の塔へ。こっちは青の塔。そしてこっちは静謐の塔に運んでおいてくれ」
それぞれの行き先によってカートは別にしてある。それらを連結させてからアンドロイドをつけ、線路の出発口へと移動させた。
「途中で何かあったらすぐに信号を送るんだぞ」
「はい」
そうして出発させる。
それぞれの塔は、こうしてトロッコのようにして貨物を送ることができるようになっているのだ。雨の日でも大丈夫なように屋根をつけるべきではないかという意見も出ていたが、たまに大きすぎる貨物を運ぶこともある為、やはり露天状態で使われている。
それに、雨の日には運ばないか、シートで覆えばいいだけである。
ガタガタと動き出したそれを見送り、猫の塔の中へとレスターは戻った。
「えーっと、次は培養液を抜いて掃除っと」
この場合、培養液のろ過装置も全て取り外し、綺麗にしていかねばならない。部品ごとにそれぞれの洗浄液も異なってくるのだ。だからアンドロイドには難しすぎてやらせられない。
その培養液の排出ボタンを押そうとした時だった。
「少しお待ちください、静謐の塔の跡継ぎ殿」
「え? ああ、シュバルト殿。いらしたんですか」
珍しく、常に地下のエリアに潜って作業し続けているという猫の塔の跡継ぎが、レスターの背後にいた。
「ええ。・・・いつもすみませんね。うちの主は、よそ様の跡継ぎ殿に対し、全く遠慮と礼節ができてなくて」
「いいえ。こちらもお世話になっておりますから」
互いに譲り合いの精神を持つ彼らはいい関係である。
滅多に顔を合わせることはないが、会えばお互いに相手を立てることをマナーとしてわきまえている。
わきまえていないのは、ここの女主人だけだ。
「ところでですよ、レスター殿」
「なんでしょう」
シュバルトは、そこで声を小さくして囁いた。
「この培養液なんですが、常にろ過装置にかけていたおかげで完全に無菌状態でしてね。このまま雑菌が入らなければ長く持つんです」
レスターは耳をダンボのようにして、シュバルトの言葉を聞きもらすまいとした。
男同士というのは、こういう言い方をする際、何かイイ情報をもらえるというのは互いの呼吸で分かるものだ。
「これは生命力が弱かったり、体を欠損した人を入れておくだけだと思われがちですが、通常の人間を入れるとですね、なんと一気にその体が生命力に溢れ、肌は生き生きとして、とても・・・」
そこでシュバルトは更に声を小さくした。
「色っぽいことになります」
「・・・・・・」
レスターは、がしっとシュバルトの手を握った。
二人の間には無言のままに固い握手が交わされる。
「運ぶなら、そちらの無菌容器に移すといいです」
「ありがとうございますっ」
何といっても、浴槽一つ分の液体である。無菌容器といっても、円筒状のそれなりに大きな容器だが、運ぶのなんて大した手間ではない。
レスターはさっとそれを排出口に取り付けて移し替えた。
「通常の浴槽に入れて、入浴させればいいですよ。四倍希釈で十分です。出てくる時には、お年寄りなら腰痛や体のきしみなどがかなり軽減しているでしょうし、男なら精力絶倫になっているでしょうが、女なら・・・ですから」
「なるほど」
さすが専門家だ。そんな使い方まであるとは。
レスターはやはりこの塔はさっさと跡継ぎが主になるべきだと思わずにはいられない。
アンドロイドに、それを静謐の塔に運ぶよう命じ、レスターはシュバルトに向き直った。
「ありがとうございます。このお礼には・・・」
そこまで言ってから、何がいいだろうかと、レスターは悩む。
考えてみれば、この跡継ぎとはあまり顔を合わせないのである。何が好みかだなんて、全く分からない。
「実は私、まだ地下で研究途中でして、あと少しこもっている予定なのですが、レスター殿はまだおいでなんですよね?」
「はあ。この装置の洗浄をして、それから食事の用意をしておくようにと言われています」
別に食事など、ここでは出来上がったものを温めるという物だって用意されている。だが、ちゃんと手作りしてある食事がいいと、そう我が儘をぬかして用意させるのだ、あの猫の塔は。
「シュバルト殿は何がお好きですか? まあ、あまり凝った物は作れませんが」
それでも料理などは旨味を引き出すことと加熱のテクを理性的に考えればそれなりに出来るものだ。
面倒なので全て大皿料理にしてはいくが、猫の塔も食べきれなかったものは冷蔵しておいて、後で食べたりしているらしい。
「何でもいいですが、・・・うちの主はプリンが好きなんですよ、あれで」
「そうでしたか。じゃあ作っておきましょう。普通のカスタードプリンがいいんでしょうか。それとも果物などを混ぜ込んで加熱して作るフルーツプディングがいいでしょうか」
プリンぐらい、どうという手間でもない。
だからレスターはそうシュバルトに尋ねた。
「そうですね。どちらでもいいですが、カスタードプリンなら個別ですよね。すみませんが、そのカスタードプリンに、これを五滴、入れておいてもらえませんか? 甘みはつけていますが、誤魔化す為にも、カラメル部分に混ぜておいてほしいですね」
「・・・・・・はい」
渡された小瓶の中身については考えないようにしようと思ったレスターだった。
いいのだろうか。いや、まずいだろう。だが、しかし。
(変なものを自分の猫の塔に投与するようにも思えないんだよなあ)
こんな小細工などしなくても、この男なら新しく塔を作ることも可能だ。害する必要性がないのである。
「じゃあ、間違えない為にも、この薬を混ぜたプリンには生クリームとフルーツでデコレーションしておきますから」
「お願いします。私のにはそんなフルーツも生クリームもいりませんから、そっちには入れないでくださいね」
「・・・はい」
そこでシュバルトは、ふっと笑った。
「心配なさらなくても、うちの主の体質に合わせた、ちょっと素直になるお薬ですよ」
「・・・はあ」
「あれで、うちの主は私に出してくる食事には眠り薬を仕込んでくる人でしてね。さすがにこれ以上やられると困るので、自分がそういう目に遭ったら少しは反省するだろうと思いまして」
「なるほど」
よく分からないが、ここの主と跡継ぎの間には、かなりの殺伐とした関係があるらしい。
どうして自分の跡継ぎに眠り薬を仕込むのか。
食べ物にそんなものを入れること自体、反則だろう。
こんないい奴に眠り薬など仕込んで、一体あの女はどんな破廉恥な真似を跡継ぎに仕掛けているのか。
(ああいう人間ってのは、自分がやられてみなくちゃ反省しないんだよな)
さすがシュバルトだ。お灸の据え方をよく分かっている。
基本的にレスターは真面目な感性を持っている。だから食べ物に、食べる人間に知らせないままで何かを仕込むのは、唾棄すべきことだと思っていた。
しかし、そういうことなら話は別である。
「本当に、自分がやられてみないと反省しないってのは困ったものですよね。シュバルト殿も大変だ」
「いやいや。まだ、それで反省してくれるだけマシだと思っていますよ。人っていうのは、他人に対してはやる癖に、自分がやられたら逆上するという恥知らずも多い」
いい奴だ。猫の塔の主は最低だが、やっぱり跡継ぎはとてもいい奴だ。
レスターはそう思った。
さっさとここの主を追い落とし、彼にこそ塔の主になってもらいたいものである。
「ああ、いますよね。どんな育ち方したらあんなに下品になれるんだろうっていつも思うんです」
レスターの脳裏に、旅している間、若い女性に無体なことをしようとして、しかもその場に居合わせたレスターにさえ目をつけて襲おうとしてきた輩のことが思い出される。
ああいう手合いは、自分は人に対してどんな乱暴をしようが、そして何をしようが許されると思っているのだ。だが、レスターにより反撃を喰らった彼らは、己を反省することなく、結果としてやはり弱い立場の人間にその怒りを向ける。
反省するならば良しとして許すつもりが、回復するや否や、今までよりも更に非道なことを周囲にやるというそれを目の当たりにして、・・・レスターは結局、彼ら全てに対し、血の粛清で対応するしかなかった。
何故なら被害に遭うのは、レスターと違い、反撃手段を持たない存在ばかりだからだ。
この場合、猫の塔におけるそれは全くもって違うものであって、ほとんど自分の跡継ぎを警戒するが故の自衛手段だということまで思い至らず、レスターはうんうんと頷いた。
(やはり、猫の塔の跡継ぎ殿はよく分かってる)
二人の間に、こうして互いのメリットを享受し合うという強い友情が結ばれたことにも気づかず、その頃、肝心の猫の塔はすやすやとお休み中だった。
やがて、大きなキノコとチーズとハム入りの包みパイ、蒸し野菜たっぷりのサラダ、魚の酢漬け、ほぐれる程にまで煮込んだ牛タン入りコンソメスープ、トリッパのトマトソース煮込み、そしてデザートにカスタードプリンを用意してから猫の塔へ館内放送でモーニングコールをしたレスターは、
「バゲットは好きなだけ切って食べてください。あと、猫の塔のプリンは果物とクリームでデコレーションしてありますが、普通のも幾つか冷蔵庫に入れておきました」
「ありがとな。どうせならお前も食べていけよ」
「いいえ。我が師が待ってますから。ついでにうちの分も作らせてもらいましたし、冷めない内に戻って、師と食べます」
「まあ、それもそうだ。それなら静謐の塔の賢者にもよろしくお伝えしておいてくれ」
「はい」
と、さっさとそこを後にした。
食べきれない気持ちは分かるが、どうせ次の日にも温め直したり、パスタなどに転用できるようなものばかりだ。
それに作る手間は一緒である。倍量作って、自分達用は別に取り分けておいた。
「なら多すぎるし、シュバルトも呼んできてやるか。あいつも、たまにはこういう飯の方が嬉しいだろう」
そんな猫の塔の呟きを背後に聞きながら。
その後については、・・・知る必要はないと、レスターは思っている。
だから知らない。
お腹いっぱいご飯を食べて、更にフルーツも沢山盛られたプリンを、
「お前も一口食べるか?」
と、跡継ぎの男に分けてあげようとしたものの、
「いいえ。そこまで甘いものは・・・。普通のプリンだけで十分です」
と、断られて、一人だけというのは悪い気がしながらもニコニコと食べた猫の塔が、その日は起きたばかりだというのに、何だか食べ過ぎたせいで、眠気覚ましのシャワーを浴びても眠気がとれないんだよなぁと、結局、もう一度寝てしまったことなど。
レスターは知らないのだ。
次の日、猫の塔が、なぜかシュバルトのベッドで目覚めて、パニックになってしまうことも。
そうして記録を見ても猫の塔が自分から彼の部屋に行ったという証拠が残っていた為、
「嫌ですね、シルヴィアは。自分から夜這いしてきたのに」
と、くすくすと笑われて、とってもとっても恥ずかしい思いをすることも。
何もレスターは知らない。
知らない方がいいことは、世の中に沢山ある。
彼はそれをよく知っている男だった。




