24 それぞれの愛
レイラ(リリエル):ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳。リリエルの姿を取る時には水色の髪に青い瞳。松岡美冴が新しい姿を持ち、ロキスとミザリーの娘として産まれた。その後、マイオスに拾われて、リリエルと名づけられる。
チェンジン国・リミダ村
ザイ(ガンマ):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。リミダ村の村長及びピルッポの実質管理者。
マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。妻はエイリーン(金髪に赤茶色の瞳)。リリエル(レイラ)を拾って育て、シアラ(水色の髪、水色の瞳)も引き取る。エイリーンとの間に長男ロッジ。
ローリー:ザイの弟。
クユル:ザイを教えていた学者ミルドの息子。
アームル帝国
ロムルス(イプシロン):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の皇太子兼ハイアレティ公爵家長男。
ジルード:赤みがかった焦げ茶の髪に赤い瞳。ギネス伯爵家の次女ジルドレア。エディナートとの結婚によりタイガルース侯爵夫人。
エスリーダ王国
ライジード(アルファ):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。王太子。
レンダー:宰相がライジードに付けた懐刀。水色の瞳。甘いもの好き。
テルノス辺境伯:エスリーダ王国とリベラ神国との盟約をも履行している領主。
R01(一姫):金の髪。おしゃれが大好き、女の子らしくありたいと努力する子。
R02(二姫):赤の髪。体を動かすのが大好き。高い物を見ると登りたくなる子
R03(三姫):茶の髪。夢見がち。周囲や皆の様子を見て、バランスをとる子。
R04(四姫):橙の髪。怖がりで大人しい。常に遠慮がちな子。
リベラ神国。豊穣と繁栄を司るリベラ女神を国全体が祀っている。
ファルード(デルタ):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。神官。ナリス王国リーング出身。
イディラート:ルーセット神殿の神官長。ファルードの養父。焦げ茶色の巻き毛に緑の瞳。
塔
No.2猫の塔:主はシルヴィア。蒼い瞳に薄茶色がかった銀髪。跡継ぎはシュバルト。
No.3静謐の塔:白髪の老爺。跡継ぎはレスター(ベータ・金髪、青い瞳)。
No.5思索の塔:白髪の老爺。
今、テルノス城には笑い声が絶えない。
というのも、おしゃまな女の子達が長期滞在しているからだ。更に、戦死したと思われていたテルノス辺境伯の長男が、よその地で作った息子を伴って戻ったこともあり、まさに辺境伯夫妻にとっては幸せな日々である。
「おお。よく無事で・・・っ。マヌエル、本当にあなたなのね」
レスターの占いを信じて、辺境伯夫人は門前どころか、テルノス城下の街にやってくる全ての人達を検めさせていた。おかげで、ぼろぼろで辿り着いた親子連れを、すぐさま保護することができたのだ。
用意されていた服と食事を与えられ、彼ら親子はすぐに回復した。
「父上、母上。ご心配をおかけしました。どうぞ長年の親不孝をお許しくださいませ」
辺境伯夫妻が医師の手配をさせていたものの、一昼夜の休息だけでマヌエルは元気に起き上がり、そうしてすぐ両親に会いたいと、そう望んだのだ。
「よく戻った、我が息子よ。・・・その子は、お前の子か?」
「はい。私を助けてくれた女が産んでくれた、私の息子です。パディール、挨拶を。お前のおじい様とおばあ様だよ」
しかし、子供の方はあまりにも立派な城に気後れしているらしく、父親の背中に隠れてしまう。
そうして顔だけ出して、
「おじい様? おばあ様?」
と、小首を傾げながら呼びかけはしたものの、その言葉に自分で照れて、再び顔を隠してしまった。
「あなたの小さい時にそっくりだわ。ねえ、あなた」
「うむ」
辺境伯夫妻の目に涙が滲んだ。
他国にいた長男は記憶を失って暮らしていたそうだが、それがいきなり記憶を取り戻し、そこで慌ててテルノス領へと息子を連れて戻ってきたわけである。
「助けてくれた女性って、その方はどうしたの、マヌエル?」
「いえ、旅先で何かあってはと思いまして。彼女には改めて迎えに行くと・・・、そう約束して出てきたのです」
「まあ。じゃあ、すぐに迎えを出さなくては。ああ、あなた。信頼できる方達を是非、どうぞ迎えに出してくださいましな」
「勿論だ。息子の妻とあれば、我が娘も同然。早速、迎えの馬車と兵士達を編成せよ」
そうしてその地で結婚していた女性も呼び寄せ、それまで静かだったテルノス城は、瞬く間に変化を遂げていた。
何といっても、今まで頼みの長男は戦死したと思われていたのである。親戚の人間を跡取りにしようとは思いながらも、それでも武勇に欠けていると思えば、決めかねていた辺境伯だ。
早速、エスリーダ王宮にも長男が生きていたことを伝え、跡取りとして届け出る。
エスリーダ王宮では消えた平民の娘をテーマに思い悩んでいるというのに、テルノス城には季節外れの春が訪れていた。
「レイラお嬢様、一姫様がいらっしゃらないのですが、どこかでお見かけしませんでしたか?」
「え? さっき、髪飾りをつけた姿を奥方様に見せに行くんだって、そう言って出て行ったんだけど」
金髪のR01は、一姫と呼ばれている。
女の子らしいものが大好きで、おしゃれな物をとても喜ぶものだから飾り甲斐があるらしく、毎日のように違う形に髪を結ってもらっては楽しんでいた。侍女達も、彼女に一番似合う髪型の開発に余念がない。
「R01なら、さっき、厨房で見かけたけど? あのね、窓から見てたら可愛いお砂糖菓子を作ってくれててね、R01がそこを通りがかったから、料理のおじさんがそれを渡してくれてたの。私にもくれるって言ったけど、窓枠に掴まってて忙しいからまたねって言って、後でもらいに行く約束してるんだ」
そこで、ひょいっと窓の外からR02が顔を出す。
「まあっ。二姫様、なんて危ないことをっ。すぐっ、すぐこちらにいらしてくださいませっ」
悲鳴のような声をあげて、その侍女は手を伸ばした。大人しくR02はその腕へと納まる。赤い髪をした彼女は、何かとちょこまかちょこまか、動いているのだ。
目を離したら木にも登るし、兵士達の肩の上でもちょこんと座っている。
太い木の枝からロープを垂らしてもらい、それに掴まって振り子ごっこをしたりもしている。さすがにそういう時は、怪我をしたりさせたりしないよう、兵士達が見張っていてくれるが、おかげで侍女よりも騎士や兵士達に可愛がられている。
「本当にもうっ、生きた心地がしませんでしたわっ。窓の外を伝って移動だなんて、二度としないでくださいましねっ」
侍女は、あまりにも愛くるしい子供を抱きしめ、ぐりぐりとその頭に頬ずりした。
怒っているのか、可愛がっているのか、全くもって分からない。R02は人見知りしないので、誰もがすぐに抱っこしてしまうのだ。
「えー。だけど大丈夫だよぉ。ちゃんと頑丈な縄を垂らしてもらってたもん」
一応、命綱はつけてもらっていたR02だ。協力者はテルノス辺境伯その人である。
可愛い子供に、
「おじいちゃまぁ」
と、上目遣いで頼られたものだから、辺境伯はたとえ足を踏み外そうが怪我しないようにと、地面に追突しないような長さに調節し、万全の危険回避をしたつもりだった。
その前に止めるという選択肢は、愛らしい子供のおねだりだった為、なかったことにされている。
「どなたにですかっ。もうっ、苦情を入れておかなくっちゃっ。二姫様も、誰かがそんなことをしてくれても、廊下以外を通って出入りしちゃいけませんっ」
本来のお世話係であるレイラは、さすがに四人の子供達全員に目を行き届かせるだなんてことは不可能で、それこそ、皆さんの協力により支えられています状態だ。
その為、さすがのレイラも申し訳なく思い、そこで口を添えた。
「そうよ、R02。今度やったら、おやつは三日間抜きにしますからねっ」
「ええっ!? ひどいよっ、そんなのっ!」
「ひどくありませんっ。その三日間、ほかのR達は、美味しーいケーキをおやつにしちゃうんだからっ」
「ええっ、ひどすぎるっ!」
みるみる内に、R02が涙目になる。
ああ、本当に。この子達の瞳も灰色だけれど、やはり光を反射して青や緑にも見える不思議な色だと、改めてレイラは思った。
髪の色は異なるが、四人の瞳はグレイだ。しかし、光の加減によって多少の色合いを変える。それは、本来のレイラと同じ瞳だった。今のレイラは青い瞳だが。
「ばっかねぇ、R02ったら。そこで出てこないでずっと隠れてれば良かったのに。あ、だけど砂糖菓子がもらえるのよね? じゃあ、行こうよ、R04」
「う、うん・・・。大丈夫、R02。もしも、おやつ抜きになったら少し分けてあげるから」
そこはふふんと大人びた自分を演出するR03だ。茶色の髪を掻き上げて偉そうに言ってみせる。大人しいR04は、橙色の髪を少し揺らして心配そうにR02を見た。
「駄目よ、R04。ちゃんとおやつの時はみんな一緒に、その場で食べさせますからね。ただし、R02はもしも窓の外にいるのを見つけた時点で、その日から三日間、テーブルでお茶だけにしちゃうんだからっ」
そこでレイラは釘を刺す。
それぞれに性格が違うとはいえ、自分の分身だと思えば何が一番ショックなお仕置きかだなんて、すぐ分かる。対抗策もすぐに思いつくものだった。
「ひ、ひどい。レイラママは鬼だ・・・」
がちょーんとしたR02は、侍女の腕の中でしょんぼりと項垂れる。
(どうして数才程度しか離れていないのに、私がママになるの)
けれども、ならどんな関係かと言われれば「姉妹みたいな?」としか言えないレイラだ。肝心の全てを知る男は、たまに様子を見に来るが、四人の子供達に何かを取り付けて計測しては、そのデータを見て、
「うん。いい成長っぷりだな」
と、満足そうに呟いては帰っていく。
まさに年頃なレイラと、そして四人の子供達は、辺境伯夫人にとっても特別な存在となっており、
「ご迷惑でしょうからそろそろ連れて帰りましょう」
と、レスターが言っても、
「そんな。せめてあと少し・・・。老い先短い年寄りを哀れとお思いになって」
と、泣き落とすからだ。
「それとも、私共に行き届かないところがございましたでしょうか。どうぞお教えくださいまし」
「いえ、そういうわけでは・・・」
辺境伯夫人は涙を浮かべながら、自分にとっては子供達こそが生き甲斐なのだと言ってみせるのだから、さすがのレスターもたじたじである。
長男ばかりかその妻と息子まで一気にこの城へともたらされたのである。辺境伯夫人にしてみれば、せめてこの可愛い女の子達の世話をすることこそが恩返しだと、そう己に任じていた。
いくら塔の住人といえども、レスターは若い男だ。そんなこと、目元を隠していてもすぐ分かる。
若い男性にとって女の子達の子育てがいかに難しいか、そんなこと言うまでもない。
「ですけれど本当は・・・。やはり塔のお方にとって、こんな鄙びた城では・・・」
「そんなことはありません。でしたら、どうぞよろしくお願いいたします。奥方様のおかげでマナーも身についてきているようですし」
「まあ、本当に? 本当にそう思ってくださいます? 嬉しゅうございますわ」
「勿論です。先程は、立派な淑女の礼を見せてくれました」
先程までハンカチで涙を押さえていた夫人は、一転して笑顔になる。
「お任せくださいませ。どこに出しても恥ずかしくない姫君にお育ていたしますから」
レスターは、意外と年寄りに対して譲る男だった。いや、そうさせる辺境伯夫人が凄いのか。
「レスター。あんた、少しは私に対してももう少し丁寧な話し方しなさいよ。奥方様にはあれで、私にはこれってどういうこと?」
「そういうお前が、まず上品にしてみせるんだな。俺は相手に合わせてんだ」
このテルノス城で一番の美少女と名高い自分に対してどういう態度なのか。そこが解せないレイラだ。
いずれ若さの勝利で、一番の美少女という称号は四人の子供達に譲ることになるのかもしれないが、今の時点でレイラほど美しい少女はいなかった。
どちらにしても同じ顔だが。
「まあ。そんなことございませんわ。レイラ様はとても素敵なお嬢様ですもの。ほほほ、塔の賢者様もお人が悪くていらっしゃいますこと」
「・・・賢者どころか、ただのインチキ占者ですけど」
こんな男が賢者などと呼ばれることこそが片腹痛いレイラである。
(だけど塔の人間は特別だからって、テルノス様すらレスターの名前は呼ばないのよね。大体、机に向かって研究しているのが仕事なだけなんでしょ。そこまで丁重にする理由が分かんない)
なんにせよ、長男の子供は男の子なので着飾らせて楽しむことができない辺境伯夫人にとって、レイラとR達は腕が鳴る素材らしい。
それこそ長男の妻を娘と思いたかった辺境伯夫人だったが、どうやら行き倒れていた男だと思っていたのがこんなに大きな城の跡取り息子だったものだからかなり気後れしているらしく、・・・今は少しずつ慣れてくれるのを待っている状態なのである。
その点、物の価値も身分の違いも分からない世間知らずな四人の子供達の方が可愛がりやすい。子供達も綺麗な服を着せてもらい、リボンを結んでもらって嬉しそうだ。
子供達も、各自にインコがついているのと、城の内外で鴉のスズが見回りをしている為、城の中では自由に遊んでいる。
「四姫ちゃん、いらっしゃい。今日は一人なの?」
「そうなの。今日は狩りに行くって知って、R02とR03がそっちに行っちゃったの」
辺境伯夫人にとって、R04は大人しいからだろう、よく一人でいるのを見かける子でもあった。しかし、本人は本人のペースで特に寂しい思いをしているようではないが。
「まあ。一姫ちゃんは? あの子も狩りなんて行きたがらなそうね」
「R01はね、寝てるレイラママの背中にどっしーんってしたから、ママがぐえってなっちゃったの。で、ごめんなさいって言って、ママのお手伝いしてるの」
「あらあら。じゃあ、四姫ちゃんは私と一緒にお買い物につきあってくれないかしら?」
「うん、おばあちゃま」
子供達は、世の中にはパパとママがいるというのを知り、自分達も欲しくなったらしく、今はレスターをパパ、レイラをママと呼んでいる。
レスターは、
「誰がパパだ。せめてお兄さんと呼びなさい」
と、頭を抱えていたが、子供達は、
「やだ。お兄ちゃんはいっぱいいるもん」
と、完全拒否した。
今、テルノス城で働く人達は、子供達にお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼ばれて嬉しそうにしている(世間知らずな子供達は、おじさんとお兄さんの違いが分からない。おばさんとお姉さんの違いも分からない。そしてそれが嬉しい彼らも、その違いなど教える筈がない)。
だが、レイラは知っている。城下町の市場で「占いやります」の札を立てていた彼の前に、三人連れの女性が立ち止まり、
「もしかして、若い占い師さんなのかしら?」
「ふふ。ターバンだなんてエキゾチックね」
「そのバタフライマスク、外してくれないの?」
と、声をかけてきて、
「こんな美女達に囲まれちゃ緊張するだけだろうが。顔ぐらい隠させてくれよ」
などと、歯が浮くような台詞を並べていたところへ、レスターが市場にいると知ってやってきた子供達が勢いよく、
「「「「パパー」」」」
と、抱きついてきたものだから、
「何だ、子持ちなの」
「やだやだ。幻滅ぅ―」
「こんな大きな子がいるだなんて、若作りなだけでおっさんじゃないの」
と、言い捨てて去って行ったことを。
いい気味である。
ちょっと溜飲が下がったレイラだった。
「ザイへ
お元気ですか? 私は元気です。
ちょっと子供達が心配だったので、スズちゃんを飛ばすことができませんでした。最近は安全も確保されてきたようなのでお手紙を書いています。
えーっと、色々とあって、今はエスリーダ王国のテルノス領にいます。ここのご領主様はいい方で、ちゃんとおうちに送ってくれると、そう言ってくださったのですが、・・・子供達が寂しがるので帰れないのです。
子育てって大変なんだなって本気で思いました。もう、へとへとです。毎日、夢を見る余裕すらなくなりました。パパ、私を育てるの苦労しただろうなって、改めて感謝しています。
ところで、ザイって、本当の名前はザイファスなのよね? いつか、そう呼んでみたいです。リリエル」
手紙を運んできた鳥を見て、ザイは首を傾げた。
「スズ? お前、・・・本当にスズなのか? まあ、羽を見せろ。手入れしてやるから」
シャキーンッと、誇らしげに真っ黒なスズが両方の翼を広げる。二列になって現れた刃を一つ一つ抜き取って手入れしながら、ザイは何とも言えない気分だった。
そう、スズはメタモルフォーゼしていたのである。
茶色く可愛い雀の姿から、真っ黒で力強い鴉の姿に。
大きくなった姿のおかげで、エネルギーチャージは倍以上となった。しかも翼に仕込んだ刃も以前は一列だったのが、今や二列ときたものである。今のスズは無敵の戦士だ。
それもこれも、レイラ一人だけではなく子供達四人をも守らなくてはならないというので、レスターが改造していったものだった。
子供達が、
「可愛くないとイヤっ」
と、自分達の小さなインコを変化させることを拒否した為でもある。
レスターが傍にいるならインコの攻撃力でも十分に子供達を守れるが、いない場合では力不足だと判断したのだ。
レイラも雀の方が良かったが、やはり世間知らずな子供達に何かあってはと思い、スズの変身形態に同意せざるを得なかった。本当はR達のようにカラフルな鳥が良かったが、あまりにも可愛らしかったり珍しかったりすると、そこらの枝の上で子供達を見張っていてもらうことができなくなる。
純粋培養で育てられていた四人の子供達は、世の中には良い人と悪い人がいるということすら、本質的に分かっていなかった。
そうして、そんな摩訶不思議な機能を持つ鳥をレイラと子供達に与えるレスターの姿に、テルノス辺境伯夫妻はやはり塔の住人というのは嘘でなかったと実感している。
しかし、そんな事情などザイに分かる筈はない。
(だが、リリエル。子供達って何だ?)
まさかと思うが、リリエルが子供を産んだとか? いや、まさか。
だって彼女はまだ十四才。子供など・・・・・・、いや、一般的ではないが可能だ。
ザイはスズの手入れをしながらも気が気ではない。
(きっと、その城にいる子供達の面倒をみているだけだ)
そうに違いない。だって彼女は、王宮でも小さな王子の世話をしているようなことを書いてきていたではないか。
ザイはそう思うことで、自分の不安を打ち消していた。
「リリエルへ
どうしてその名を知っているのか分からないが、もしかして姉さん達から聞いていたのか?
祖母は元々がよその国の人だったんだが、そこは通常の名とは別に身内だけが呼ぶ名を持つ風習があったそうだ。だけど、この辺りじゃそんなの面倒なだけだし、親父もうちの姉弟達も使ってはいないんだが、・・・それはやっぱり別の名前すぎると混乱するから使わないのかと祖母は思ったらしく、俺には普通の名前のザイとは別に、それを元にしたザイファスという身内だけの名をつけたんだ。結局、面倒臭がって祖母以外は誰もその名を呼ばなかったが。
懐かしい名前だ。そうだな、リリエルなら呼んでくれてもいい。
もしも帰れないというのなら迎えに行く。その時は連絡をくれ。ザイ」
子供については、質問できなかった。
何故なら、ザイにとってもリリエルの不在は長すぎたからだ。
以前、エスリーダの王宮前の街角で、リリエルの姿を見つけようとしながら見つけられなかったことが心によぎれば、決定的なことを書けずにいた。
それでも、身内だけが呼ぶという名前をリリエルにはかまわないと書いたことで、それが彼女に対する自分の思いだと分かってくれたならいいと願う。
ザイとて男だ。男のそれを匂わせるプロポーズは婉曲すぎて女に伝わらないという、よくあるパターンになっていることには気づいていない。
身内しか呼ばない名前を許す = 家族になってくれ = プロポーズ。
特別な名前を教えられる = 私は特別って事よね = 満足して終了。
男と女の間には、大きく深い川が流れていた。
「行きな、スズ」
そう言って、ザイは鴉を空に飛ばす。
その力強く羽ばたく真っ黒な姿がとても、・・・・・・縁起悪く思えてならなかったザイだった。
かつて帝国の皇妃として生きてきたマティリアは、リベラ神国の預かりとなってはいるが、その待遇はかなり配慮されたものだった。
生活費は帝国から出ているが、まさに暮らしに困ることはない。けれども新皇帝の配慮により、使用人は十分につけても、マティリアの行動を妨げぬようにと、そして興味を持ったことはなるべく教えて差し上げるようにと、そういった命令が下されていた。
住まいも大神殿近くの一等地にあり、更にその一帯の区画は住宅街といった形がとられており、塀に覆われ、門があるのだ。つまり、身元も分からぬ人間はその区画内に入るだけでも難しい。
だから、かつては皇子だったシュリウスを敷地内で遊ばせていても安心できる。
周囲の屋敷もそれなりの名家ばかりなので、変な人間が入りこむことはまずなかった。
「あら? シュリウスったらどこに行ったのかしら。今日は午後から一緒に書き取りのお勉強をしますよって言ってあったのに。スール、シュリウスを見なかった?」
「シュリウス様でしたら、先程お庭に出て行かれてましたが、すぐに戻るとおっしゃってましたわ。見てまいります」
「いいわ。私が行くから」
マティリアは、スールを制して自分が捜しに行くことにする。
帝国にいた間は椅子に座って命じ、そして誰かが動いてくれるのを待つことしかできなかった。こうして自分の思うように行動できることがどんなに嬉しいことなのか、きっと他人には理解してもらえないだろう。
ほんの少しの距離すら、自分で動くことは許されなかったのだ。それは身分に相応しくない行動だから、と。
皮肉なものだ。自分を皇族としての地位から追い落としたことになるハイアレティ公爵、かつての第二皇子、現在の皇帝こそが、その苦しみを一番分かってくれていた。
――― 長らく、辛い思いをさせてしまいました。これからはどうぞお幸せに、そしてお心安らかにお暮らしくださいませ。義姉上。
あの言葉が、どれ程に今の自分の支えになっていることか。皇妃様ではなく、義姉上と呼んでくれたことが。
その言葉に、どんなに醜聞に塗れても、自分を兄の妻だと思ってくれていることを、・・・実感できた。それが嬉しかった。何よりも。どんな言葉よりも。
帝国では口さがない人間が多いだろうと、リベラ神国での生活を用意してくれたのも彼だ。傍から見たら国外追放でしかないのかもしれない。
けれどもここに来てやっと、自分は自由に呼吸している気がしている。
(陛下よりはがっしりなさってらっしゃるけど、やはりどこか似ていらっしゃるのよね。弟君だから当然なんでしょうけど)
そんなことを考えて頬を赤らめながら、マティリアは外へ出た。
皇帝だった自分の夫は、あのまま宮殿の奥深くで寝たきりの生活を送り続けているのだろう。それでもきちんとした治療がなされる筈だ。
自分はもう、彼に会えないけれど。
それでも、あの父と兄が宮殿を支配下に置いていた時よりもはるかに素晴らしい環境だろうから、・・・だから良かったと思える。
どんなに離れていても、それでも彼が生きていてくれるのなら。
「シュリウスー、どこにいるの? シュリウス?」
高位貴族の姫君、皇妃殿下。そういった身分には相応しくないからと、声を張り上げることも許されなかった日々。
今、こうやって普通の女性のように大きな声を出せる自由がどれ程に嬉しいものなのか、・・・きっと人々には分からないだろう。そんな自由を最初から持って生きている普通の人達には。
表側にある庭にはいなかったので、マティリアは裏庭の方まで捜しに行く。すると、木々の間から子供の弾けるような笑い声が聞こえてきた。
(誰か使用人に遊んでもらってるのかしら。あの子も少しずつ日に焼けて健康そうになってきたものね)
ふふと、そう口元を緩ませながら、植え木の間を進むと・・・。
(え・・・?)
そこには、信じられない光景が広がっていた。
マティリアは、自分が死んでしまったのかと思ったぐらいだ。
そう、思いもかけなかった楽園のような光景。
これは、この国の女神が最後に見せてくれた夢だろうか。
(ああ。神様・・・!)
ぽろぽろと、涙が頬を零れ落ちていく。この一瞬を胸に、今すぐ死んでもかまわないと思った。
(夢よ、夢だわ。だけど)
その笑顔が、シュリウスに向けられている。
木漏れ日に照らされて、その人が立っている。
(あまりにも贅沢すぎて見られなかった夢)
口元を押さえてしまう両手の指は震えていたかもしれない。
目を閉じたら消えてしまいそうで、・・・出来る限り、その夢をこの瞳に焼きつけたかった。
(お願い、涙なんて出ないで。ぼやけてしまうの)
そんな彼女の姿に気づき、その周囲にいた騎士達が彼に耳打ちし、すると彼が振り返る。シュリウスは御者らしい男達に抱えられ、人参を持って馬に差し出しては楽しそうにしているけれど。
「マティリア。・・・元気そうだ。シュリウスも大きくなったね。今、私が乗ってきた馬車に繋いでいた馬をこうして休ませていたんだが、この子が乗りたがるからね、少しだけって・・・・・・、マティリア?」
病み衰えていた姿はかなり回復したらしく、線が細いのは変わらないが血色も良くなっている。
寝台から起き上がれない姿だけを自分の心に残していた彼が、・・・歩いている。
近寄ってきた彼に、・・・マティリアはその頬に震える指を伸ばした。
温かい。
これは本物だろうか。それとも温度のある夢なのだろうか。
「ルーセット神殿の治療院はかなり有能だと評判らしくてね。そこでずっと静養させられていたんだが、どうにかまあ、無理をしなければ大丈夫だと言われるようになって、だからこっちに来たんだ。・・・マティリア?」
「ほ、本当・・・に?」
夢だ。
きっと、これは最後の夢に違いない。
それでもいい。この夢を心に抱いて死んでいけるなら。
はらはらと流れる雫を、彼が困ったような顔になりながら指で拭い、その後ではっと気づいたようにハンカチを取り出す。
「えっと、マティリア。・・・これ、使うかい?」
差し出されたそれを受け取れば、指が重なり合う。
こみ上げる互いの感情が、その指を絡め合って、・・・マティリアはそのまま引き寄せられた。
少し汗ばんだものを、そのほのかに漂う香水の下に感じる。
その香水は彼が愛用していたものだ。懐かしいそれに、一気に思い出が蘇る。
ああ、もしかして彼の服に自分の口紅をつけてしまったかもしれない。
そんなどうでもいいことが、ぐるぐると頭の中を空回りした。
「えっと・・・。もしかして私のこと、もう忘れ去って、なかったよね? いや、治療院にいた神官からは、女性を長く放置しておくと男のことなんて忘れてしまうもんだって言われて、だから慌ててこっちにやってきたんだけど」
そんな情けない台詞すら、優しい彼らしい。
誰が忘れられると言うのだろう。誰よりも愛していた人のことを。
初めて会った時から、この心を捧げていた人のことを。
「そっ、そんな筈・・・っ」
マティリアは、ただ嗚咽と共にしゃくり上げる。
「やぁだあっ。お母様のところに行くのぉっ」
「シュリウス様。・・・お菓子を差し上げますから、どうぞこちらへ。お父様とお母様を、二人きりにして差し上げましょう」
そんな遠くで交わされる声すら、もうマティリアの耳には入らなかった。
いつしかその場には誰もいなくなっていたことも。
自分の額に落とされた優しいキスすらも。
この溢れ出てくる感情の前に、ただ全ては流されていく。
「陛、下っ」
「・・・・・・もう陛下じゃないよ。だけど、それでもいいって、君は言ってくれるかな?」
そんなこと、言うまでもない。
自分が好きになったのは、あの日、名も身分も知らず、庭園で目があっただけの青年だった。あまりにもラフな格好だったので、てっきり貧乏貴族の子弟か、サボリの騎士だろうと思っていたぐらいだ。
その身分に惹かれたわけではない。
「わっ、私で・・・っ」
「君がいいんだ。君だけを愛してる」
言葉にならない想いが痛い程にマティリアののどを締め付けてくる。
世界で一番幸せな夢を、夢じゃないのだと、そう伝えてくるかのように。
基本的にシアラはザイに懐いている。何といっても、彼女をファリィヤから連れ戻し、更にピルッポで辛い目に遭っていたのを救い出した恩人だからだ。
何かあればすぐにザイの所へと駆け寄ってくる。
が、しかし。
考えてみれば、そのファリィヤでもピルッポでも、どちらもザイの弟であるローリーがシアラを物理的に保護していた。
だから仕方がないのかもしれない。これは当然の成り行きだったのかもしれない。自分が気づいてなかった、それだけのことだ。
まあ、今回の件は男として分からないでもない。だが・・・。
「お前なぁ、ローリー。だからってシアラに無理矢理キスするってどうよ」
「キスしかしてない」
「そういう問題じゃない」
えぐえぐと泣いているシアラの頭を撫でてやれば、ひしっとしがみついてくる。そんな兄とシアラに対し、ローリーは唇を尖らせた。
「俺は好きだって言ったし、シアラだって好きだって言ってくれたし、ならキスぐらいするだろ? それのどこが悪いのさ。なんでシアラもそれで怒ってるんだよ」
「悪くはないが、シアラはまだ子供だ。そういうキスはほっぺたぐらいにしとけ」
「・・・兄さんが、それを言う?」
兄のそれなりに奔放な生活を知っているローリーが冷ややかな白い目を向ける。尚、シアラはそんなこと、全く知らない。ザイは常に高潔で素敵なナイトだと思い込んでいた。
「俺だから言うんだ」
いささか視線を逸らしながら、ザイは答えた。
いや、どちらかというとローリーの気持ちの方がよく分かる。だが、シアラにしてみればまだ好きだという気持ちだけで手一杯というのも分かるのだ。男の体は心に直結しているが、女の子は完全に乖離している。
「ごめんな、シアラ。ローリーはお前よりも年上だが、その点はお子様なんだよ。初めてのキスはちゃんと綺麗なお花畑で、二人っきりでしたいってことすら分かってない馬鹿だったのさ。許してやってくれ」
ザイがシアラを片手で抱きしめながら頭を撫でてそう言うと、ローリーが、はあっ!? という顔になる。
そう、ローリーは分かっていなかったのだ。シアラはキスされたことで泣いているのではなく、それが薄暗い路地でされてしまったのが辛かったのだということを。まるで自分がないがしろにされたかのように感じてしまったのだということを。
その点、リリエルのお喋りに付き合わされていたザイの方が、あのわけの分からないロマンチック設定を重視する女の子の気持ちを理解していた。いや、理解はしていないが、そういうものだと知っていたのだ。
「え。いや、何それ、兄さん」
「普通、そういうもんだろ。ちゃんと好きならシアラの気持ちも考えてやれよ。さよならとお休みのキスはほっぺたって決まってるだろ。シアラが寝つくまでお前が小さく歌ってやるぐらいしたって、それだって好きなら当たり前だろ。唇にするキスは、二人きりの野原で花冠ぐらいお前が作ってやってから、こっそりとやるもんだ」
もっともらしく、自分でもそんなものかったるいとしか思わない癖にザイがそう言うと、シアラもうんうんと、ザイの腹に顔を埋めたまま頷いてくる。
「いつからそんな決まりが・・・」
愕然としている弟の様子に内心では同意しながらも、そこはシアラの前なのでザイは彼女の側に立ってみせた。
「お前がひどいことしたんだからまずは謝って、花束ぐらい持ってこいよ。そんなの当たり前だろ」
「えっと・・・。ごめん、シアラ」
カルチャーショックが大きすぎたのか、呆然としながらローリーがシアラに謝る。
声に出さないままで、ザイが唇の形だけで「姉さんの家」と伝えたことから、そういえば姉の家なら花を植えてあった筈だと気づいたのだろう。ローリーは、
「ごめんな、シアラ。えっと俺、お詫びに綺麗な花、持ってくるから」
と、それだけ伝えて駆け出していく。
きっと、ローリーの頭の中ではどうして花が必要なのかも分かってないだろうなと、そんなことを思いながらザイはシアラを慰めた。正直、ザイにもその感性は分からない。
「ごめんな、シアラ。最近、ますますシアラが可愛くなったもんだから、他の奴らにとられたくなくて、ローリーも先走っちゃったんだよ。男ってのは、好きな女の子相手だと暴走しちゃうもんなんだ」
ザイが自分の味方になったことで、シアラも少しは落ち着いたのだろう。目の周りは赤かったが、もう泣き止んではいた。
「ザイも?」
「え?」
「ザイも暴走するの?」
「・・・・・・そうだなぁ。するかもなあ」
生憎と暴走しようにもリリエルは長らく不在な上、最近はあまりにも夢見が悪すぎるザイだ。
しかし弟の為と思えば、そうとしか言えない。
「なら、いい」
そこでシアラも機嫌を直したらしい。きっとこれからはローリーも気をつけるだろう。
だが、どうして弟の方がこうやって痴話げんかを繰り広げる充実ラブな生活をしているのか。そこらへんが何とも不公平な気分になるザイだ。
(あいつも、手慣れた女と、そうじゃない女とを一緒くたにするからこういうことになるんだ。大体、シアラはまだ子供だろうが)
ザイは、シアラの鼻水を拭いてやりながら、弟に対して呆れずにはいられない。今のシアラはそれなりに小さな貴婦人として扱われているから、焦ってしまったのもあるのだろうが。
しかし、男の前でそら涙を見せることができるような手管を持つ女ならいざ知らず、シアラは本気で泣いて鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってしまう、そんなお子様ではないか。
ライバルが多ければ、誰しもなりふりかまわなくなるとはいえ。
「まあ、まだ急いで大人にならなくていいからな、シアラ。ほら、綺麗になった。笑っていろ。そうしたらいつでもお前は可愛い女の子だ」
「パパもそう言うのよ」
自分が泣いたらいつでも慰めてくれるマイオスを思い出してシアラが言う。だが、今回はマイオスに好きな男の子の相談をするのも恥ずかしくて、シアラはザイに泣きついたのだった。
「・・・マイオスさんにしてみりゃな。女の子は好きな男の子が出来たら一気に大人になっちゃうから、それが寂しいのさ。まだまだマイオスさんとエイリーンさんの、小さな子供のシアラでいてほしいんだよ」
そう言えば、シアラも嬉しそうにはにかむ。
やがてローリーが姉に可愛く整えてもらった花束を持って駆け戻ってくるまで、ザイとシアラはローリーがいかに乙女心を理解しないのかといったテーマで、話に花を咲かせていた。
自爆にも等しい、ザイの心にもダメージを与えながら。
ほとんど人質に等しかった四人の子供達がいないのであれば、言うことをきかなくてはならない理由はない。
しかし、習慣とは恐ろしいものだ。
当たり前のように自分は拉致され、この人使いの荒い女にこき使われているのだから。
「だがなぁ、お前、本気でアホだろ。大体、子供達には可愛い小鳥だっつーのに、肝心の本命には・・・ぶふっ、あっ、アホだっ、アホっ、・・・よりによってっ、鴉ってかっ。もっ、お前っ、改名しろよ、間抜けの塔ってっ」
ひーひーと、腹を抱えて笑い転げるこの存在に、できることなら・・・。ああ、しかし、何かあったらと思うと何も手出しできないのだ。
「言い過ぎですよ。すみませんね、うちの主は無神経で礼儀知らずなんです」
「・・・いいえ。ですが、あなたの方がさっさとこの塔の主になってくれればと、いつも思わずにいられません」
猫の塔の後継者は滅多に姿を現すことがなく地下に潜っているが、こうして顔を合わせている時は良識があり、落ち着きもある男だ。黒色の髪は短く切り揃え、藍色の瞳は深い英知を示しているかのようだ。褐色の肌もさまになっている。
引きこもっているイメージとは反対に、筋肉はがっしりしているし、地下にあるサウナやトレーニングマシーンで体を維持しているらしく、ひ弱なところは全くない。実際、外に出て動き回っていると言われる方が納得できる容姿なのだ。
今も猫の塔を窘めてくれている。窘められて素直にきく女ではないが。
後継者と言っても、静謐の塔とは違い、こちらの後継者は主よりも二才程しか年が変わらない。さっさと下剋上してもらいたいものである。代替わりなんて待ってたところで、主の方が跡継ぎよりも長生きするのがオチだ。
「けっ、けどなぁっ、シュバルッ。お前だって、普通、好きな女に攻撃性能アップした、かっ、鴉なんて贈るかっ!? そ、それを愛の証だなんて思う女がいたらっ、顔がっ、見てみたいっ、ねっ」
そんなにも腹を押さえてまで言い続ける必要性は全く無いだろう。
どんどんと机を叩きまくっているが、・・・そんなに笑い転げたいなら外に出て、誰もいない所で好きなだけ笑えばいいのだ。
ああ、本当にどうしてこの女はこんなにも傍若無人なんだろう。
この女こそが引きこもっていればいいのに。うっすらと茶色がかった銀髪に、深い蒼の瞳。見た目だけなら、こいつの方がはるかに引きこもりイメージぴったりな、大人しい色合いなのだ。
性格は全く大人しくないが。
「シュバルトです。そんなにも息絶え絶えになりながら言い募る人がいますか。いいかげんにしてください。静謐の塔の跡継ぎ殿にしても、大切に思えばこそ、軽々しい見かけ倒しなものではなく、そういう守りをつけたのではありませんか。上っ面ではなく本当に彼女とR達とを案じ、大事にしているからこそだと私は感心しましたよ」
いい奴だ。猫の塔の主は最低だが、跡継ぎはとてもいい奴だ。
レスターはそう思った。
さっさとそこの主を廃して、彼にこそ塔の主になってもらいたいものである。
「お前のそーゆーいい子ちゃんなところが、私は嫌いだな」
鼻白んだ様子で猫の塔が、自身の跡継ぎの攻撃に走る。
「そうですか? ですが、あなたが悪い子なんですから、バランスがとれててちょうどいいでしょう」
「お前の・・・っ、そういうスカしたところが嫌いなんだっ」
さすがマイペースな引きこもり人間。何を言われても気にしないところは主に匹敵している。しかし、塔の主といえば、それぞれの賢者とも呼ばれる存在だ。それを「悪い子」とは、・・・本当のことだけにスカッとする気持ち良さである。
もっと言ってやってほしい。
「おやおや。すみませんね、レスター殿。うちの主は悪態しかつけない、可哀想な子なんです」
「はぁ」
かなり感心した瞳で、レスターはシュバルトを見た。この塔は、面の皮の厚さで主人と跡継ぎを決めているのだろうか。
「ですが、データも持ってきてくださったのでしょう? 見せていただけますか? R達も問題なく過ごせているようですね」
「はい。再度、ワクチンも打つつもりですが・・・。たまに風邪をひくことはあっても問題ないですね」
レスターが渡したデータを、シュバルトが解析機にかけていく。
やはりこの男との方が、スムーズにいくようだと実感してしまう。
ああ、人を貶さず仕事をしてくれる存在とは、なんと有り難いことか。
「では、三日後にまたおいでください。個別にワクチンを作成しておきますので」
「ちょっとまて。お前なぁ、私を差し置いて勝手に決めるんじゃない」
「どうせ私がするのだから一緒でしょう」
「一緒じゃないっ」
憤然として、猫の塔は主張した。
ばんばんとテーブルを叩くものだから、その一つに括ってある髪が大きく跳ねる。
「そういうのはなぁっ、こいつに恩着せがましく恩を売りつけつつっ、ぺしぺしと頬を札束ではたくような調子でやるのが楽しいって決まってんだっ」
シュバルトとレスターは、とてもとても冷たい目になった。
「・・・・・・すみませんね。躾がなってない主なんです。今度から私が直接請け負いますから」
「是非、お願いします」
精神力をカンナで削られたような気分になりながら、レスターは立ち上がった。
そんな彼に、数ヶ月ぶりだったか一年以上ぶりだったかで、ようやく顔を合わせたシュバルトが直通の連絡先を渡してくる。
本当に、引きこもりの割にはいつも鍛え上げられた体なんだよなぁと、しみじみ思う。
「おっ、お前なあっ。主と言いつつ、その主をないがしろにするたぁ、どういう了見だっ」
「隷属しろなんて言われた覚えはありません。それに、・・・あなたが苛めていいのは私だけですよ、そうでしょう?」
レスターは、その台詞を聞かなかったことにした。
きっと幻聴だろう。そうだ、そうに違いない。
「じゃあ、そういうことで失礼します。ごきげんよう、猫の塔、跡継ぎ殿」
静謐の塔の跡継ぎは、引き際を誤らない青年だ。
ささっと扉へと、大股で歩き去ることにする。
知らなくていいことは、この世に沢山あるのだ。
「待てっ、この状態で帰るんじゃないっ!」
「お客様のお帰りを妨げるものではありません。全く、本当に躾が行き届いてなくてすみませんね」
「むがっ、んむっ」
「いえ、それでは私も師が待っておりますので」
レスターの背中を何かがぞわぞわとしていったが、全力で気づかなかったことにした。
そう、自分は決して振り返らない。
知ってしまったら先程までの言葉のやりとりが、全く違う姿を見せるようになってしまうではないか。
今までにない素早さで、彼は猫の塔を後にした。
その後で何があったか、・・・・・・知る必要はないと、レスターは思っている。
エスリーダ王国のテルノス領は辺鄙な地域ながらも、それなりに人々の生活は安定している。
素朴な物を尊び、そして大事にする気風があった。
それでも街道があるから物流はそれなりにあるし、決して貧しいわけではない。ちゃんと市場も立ち並び、そこには常に店を出している区画と、旅人達が店を出す区画、そういったエリアがちゃんと用意され、人々は買い物を楽しむ。
そんな市場まで行かなくても、道端で、自宅で絞めた鶏を売る農婦もいれば、牛を処分してその肉を焼いて売っている農夫もいる。
(来て・・・しまった)
ザイは、その香ばしい匂いにつられて焼き肉を頬張っていた。なかなかいける。年老いた牛らしいが、その漬けこんでおいたタレが肉を柔らかくするそうで、他の通りすがりの人間も我先にと買い求めては食べていた。
ザイとて耐えられなかったのだ。
毎晩毎晩、あの黒髪に茶色い瞳をした、鈍くさい女の夢を見続けることに。
体を動かして疲れきって眠れば夢も見ないだろうと思って、日中は暴れまくり、夜は様々な女をとっかえひっかえして眠っても、それでも夢は見続けていた。
まるで呪いのようだ。
今のザイは、目の前に黒髪で茶色い瞳の女が現れたとして、それが彼女でなかったら殴りつけたくなるぐらいに、夢に見る女に心が囚われている。
かなり不満だ。冗談ではない。自分はそんな思い込み世界に生きるだなんてごめんである。
だから、ザイは決心したのだ。
リリエルを見つけて連れて帰ろう、と。
大体、本当に欲しい存在があるというのに、それを物わかりよく待ち続けているからこういうことになるのだ。
欲しいものは欲しい。リリエルだって自分を好きだ。なら、連れ帰ればいい。それだけのことではないか。
「テルノス城、ね」
とはいうものの、エスリーダ王宮の件がある。
あの時、リリエルは王宮にも離宮にもいなかった。それは使用人達にも接触して裏を取ったから間違いない。
今回もまたリリエルは、この城にいると嘘をついているだけではないのか。
だから、・・・書けなかった。手紙にたった一言、・・・それだけでいいのだと分かっていても。
ザイは小さく首を横に振る。
考えても仕方がない。もうここまで来てしまったのだ。
まずはリリエルを探そう。少なくともエスリーダ王宮よりは小さい城だし、街そのものも小さい。
きっと、すぐにリリエルは見つかる筈だ。
そんなことを思っていたザイがテルノス領に到着してから三日目のことだった。
(リリエルという使用人はいない、か)
酒場で仲良くなった城の兵士達や、小間物屋で知り合った城で働く小間使い達。そんな彼らに探りを入れても、リリエルという水色の髪に青色の瞳をした少女は働いていないということだった。
(分かってたけどな。リリエル、・・・本当にお前はどこにいるんだ)
そこまでして隠さねばならないぐらいのトラブルに巻き込まれているのではないのか。
案じられてならない。
それでも、そこまでして隠したい何かがあるなら、それを暴くことこそが彼女に対する決定的な傷を負わせてしまうのではないかと思うと、二の足を踏まざるを得ないのだ。
そんな時だった。
いつものように、城で働いている小間使いが休みをとって出てきているようなら聞き出そうとしていたザイの視界に、水色の髪が目に入ったのは。
(リリエル・・・!)
遠目だが、間違いない。
記憶にある姿よりも大きく育ち、綺麗になった。水色の髪は緩やかに綺麗にまとめられ、その顔立ちの美しさを引き出している。
(ああ、やっとお前を見つけた)
歓喜の声が、心の中で駆け巡る。小さい頃から美しい子供だったが、本当に綺麗になった。あんなにも美しい娘はいないだろう。
だが。
リリエルの傍には、護衛らしい兵士がいる。
いくら美しい娘とはいえ、城で働いている侍女だとしても、護衛の兵士などつくものなのだろうか。
そんなことを考えて訝しんでいたザイだが、その横を小さな女の子が二人、どどどどっと駆け抜けていった。
(なにを頭に巻いてるんだ? 変わった格好だな。まあ、いいけど)
色々な土地を見てきたザイも、地方によって様々な衣装文化があることは分かっている。ターバンといっても、可愛らしいオレンジやピンクの布で、着ている服も赤や黄色の明るく華やかなものだ。だから後ろ姿といえども、女の子と分かる。
ただ、その女の子達は、リリエルへと向かっていた。
そして大きな声で叫んだのだ。
「ママーっ、パパが来てるぅっ」
「ずっるーいっ、私が一番に言いに来たのぉっ」
ザイは、その場で固まった。
(何つった、今?)
自分の耳は少しおかしくなっているようだ。
(疲れがたまってんだな、俺。まあ、強行軍だったし)
リリエルにあんな大きな子供がいる筈はない。それこそリミダ村にいる時に産んでいないと、年齢がおかしくなってしまう。
なのに、リリエルは笑顔で二人を抱きしめている。
ザイは道の真ん中から街角へと、少し移動した。自分の姿に気づかれないように。
「ママぁ、お腹すいたのぉ。お肉焼いてるの食べたぁい」
「私はお菓子っ」
「二人とも買い食いはいけませんっ。ちゃんと帰ってからご飯を食べなさい。用意してくれている人に失礼でしょっ」
聞き間違いではないようだ。まさに親子のような会話が聞こえる。
しかも、記憶にある声よりも大人びているが、その発音も何もかもがリリエルであると、ザイに分からない筈がなかった。
そこへ、もう一人の同じような格好をした女の子が二人、てくてくと歩いていく。
「全く、二人ともどうしてわざわざ疲れるって分かってるのに走っていくのかしら。女の子はいつでも優雅に歩くものよ」
「えーっと、少しは急いであげた方がいいんじゃないかなぁ?」
その二人も頭にターバンを巻いて、顔には蝶を模したマスクをつけているから目元が隠れて顔立ちが分かりにくい。子供なりのおしゃれなのだろうか、ターバンの天辺には可愛らしい小鳥の人形が飾られている。
その内の一人が、ザイを見上げて呟いた。
「知らない人だ」
「・・・・・・」
そりゃそうだろう。ザイだって、こんな女の子達なんて知らない。
けれども、その女の子はポケットから飴を取り出すと、ザイに手渡した。
「あげる」
「・・・そりゃ、ありがとよ」
「スズちゃんが懐いてるから、いい人」
驚いて頭上を見上げれば、黒い鴉がいた。
「スズ」
呼べば、鴉がザイの所に舞い降りてくる。
「珍しいわね。スズちゃんが警戒してない人なんて」
もう一人の女の子がそう呟いたが、リリエルが先行していた二人に手を引っ張られて移動しているのが目に入ったからだろう。
「ずるいっ、ママーっ、置いてかないでぇっ」
そう言って走り始めてしまった。すると、ザイに飴を渡した女の子も、小さな声で「バイバイ」と言って去っていく。
ザイの肩に止まっていた鴉も、そのまま子供達と共に飛び去ってしまった。
(あの子供達も、スズのことを知っていた。ってことは、やっぱりあれってリリエルだよな)
もらった飴を手の中に握ったまま、ザイはその辺りにいた男に尋ねた。
「すまないが、今の子供達は一体? 変わった格好だったが」
「おんや。もしかしてここの人じゃないんかね?」
よそ者は警戒されやすい。悪意があって入りこむ人間がいるからだ。
だからザイは、もっともらしい説明をする。
「ああ。身内を頼ってやってきたんだが、見つからなくてね。困り果ててたところさ。どうやら引っ越したらしくて、今、そいつを知っている人を尋ね歩いているところなんだ」
「そりゃあ難儀なこったなぁ。・・・あれは城の姫様達さ。四人の姫様達は時たま、ああやって変わった格好をしてるんだ」
「・・・へぇ。俺、飴をもらっちまったよ。可愛いじゃないか」
「そうだろっ。将来が楽しみなべっぴんさん達さ」
そうザイが言えば、それを見ていたからだろう。男も相好を崩す。
よほど自慢なのだろう。四つ子の姫君達がいかに可愛いかを、周囲にいた人達まで一緒になって語り始める。
「綺麗なだけじゃなくて、性格も可愛らしいんだよ。お城の姫様なんていうと、ツンとしているように思うだろうが、そこらのはなたれ小僧とも平気で遊ぼうとしなさる」
「全くなぁ。こんなおっさんのおいらにまで、『お兄ちゃん』なんて話しかけてくるんだ。可愛らしくって、お城の奥方様も自慢の姫君達なんだよ」
「全くなあ。若様が無事に戻ったことといい、このテルノス領も安泰だ」
賑やかに、彼らがてんでばらばらになって喋り出すものだから、ザイもわけが分からない。
だが、たしかテルノス領は、リリエルがエスリーダ王宮に行く前にも向かった場所で、彼女はそこの城主は年老いた辺境伯だと書いていなかっただろうか。
そして跡取りの息子はいなかった筈だ。戦死したとかで・・・。
「あ、あの・・・。若様って? いや、もしかして間違った話だったかもしれないんだが、ここのご領主様の若様は戦争でお亡くなりになったようなことを聞いてたんだが」
時に、よそ者がその地域の実力者に対して意見を表明するのは命取りになる。
だからザイが言葉を選びながらそう言うと、バンバンとザイの肩を農婦が嬉しそうに叩く。
「そうなんだよ。戦死なさったって噂だったんだけど、若様はなんと生きていらしてね。そうして奥方様とお子様を連れてお戻りになったのさ。ああっ、これでもうテルノス領も安泰さねっ」
「そうさ。何といってもテルノスは強い。ご城主様もお喜びだ。若様もちゃんと生きてお戻りになるたあ、天晴れじゃないか」
皆が誇らしげに胸を張る。
ザイはそのノリに戸惑いながらも、心だけが静かに凍てついていくのを感じていた。
――― あれは城の姫様達さ。
その姫達が「ママ」と呼んでいたリリエル。けれど、リリエルがあんな大きな子供を産めた筈がない。
――― 若様はなんと生きていらしてね。そうして奥方様とお子様を連れてお戻りになったのさ。
連れて帰った奥方はリリエルだろう。つまり、子供は前妻の産んだ子。
(そういうことか、リリエル)
あんな四人の子供がいるような男の後妻になったのか、お前は。
けれどもその男は城主の跡取り息子だ。いずれはこの地の領主になる。
ふらりと、ザイはその場を離れた。
そうして泊まっていた宿屋へと戻る。
(そりゃ女なら、身分と金があるに越したことはないって、・・・そう思うよな)
ザイは暗い自嘲の笑みを洩らした。
そうだ。そんなこと、分かっていたじゃないか。自分達の周りにも、そんな女はありふれている。
リリエルだっていつまでも子供じゃない。
その美貌に目をつけ、高く評価する金持ちの貴族がいたら、しかもいずれ領主になることが約束されている男からのプロポーズなら、諾と答えるだろう。
そんな打算だって、当たり前のことだ。
女なら美貌は武器であり、財産なのだから。
(あんなにも子供達だって懐いてたんだ。うまくいってるんだろう)
ザイは、寝台に倒れ込むようにして寝転がった。
裏切られた。
そんな思いが自分の中で荒れ狂う。
(お前だけはそんな女じゃないと、・・・そう思ってたんだ)
リミダ村にやってきた、人見知りの激しい小さな子供。
それでもあんなに可愛い女の子を見たのは初めてだった。
とても大事にして、自分だけを見るようにさせて、そうして慈しんできたのに・・・。
それでも成長した少女は、いつしか女ならではの打算を身につけ、金持ちで身分の高い男を選んだ。そう、地位と財産を持つ、自分の父親並に年上の男と結婚したのだ。
「・・・・・・っ!」
ガンッと、寝台を殴りつける。
仕方がないことだ。分かっている。
いくら自分達がピルッポの街を拠点に一大勢力となったとはいえ、それでもお貴族様にはなれない。
いや、今なら交渉次第では貴族の位も手に入るのかもしれないが、そんな成り上がりなどの身分にどれ程の価値があるというのだろう。
それこそリリエルだって、あんな立派な城の女主人になる方がいいに決まっている。
(リリエル。それでも俺はお前を信じてたんだ)
手紙にいつも大好きだと書いてくる少女の愛を信じていたかった。
まだ子供だからと思いながら、そんなリリエルはザイにとっての聖域だった。
腕を瞼の上に載せ、ザイは目を閉じる。
流れ出たものが何かだなんて、今は考えたくもなかった。
その手から、先程の子供にもらった飴が転がり落ちたことにも、気づかないままで。
リリエルの愛が転がり落ちていったことだけを、ザイは強く感じていた。




