23 私はママではありません
その夢は、夢にしてはとても鮮明だった。
いつから見始めたのかは、もう覚えていない。もしかしたら二十才を迎えた日から始まったのではなかったか。
その日から、灰色だった瞳もどんどん黒味を増してきているような気がしてならない。
夢の中で、自分は黒髪に茶色い瞳の女の子を見ている。それは、不思議な世界だ。
女の子は、美冴と呼ばれていた。
「おはようございます、ライジード様」
「ああ、おはよう」
起こしに来た侍女の気配に目覚めれば、空っぽの寝台が目に入る。
そう、彼女の為に可愛らしい花の彫刻が施された物を選び、入れさせた。
(レイラ。お前は今、どこにいる・・・?)
ライジードに縁談がきたことを知り、姿を消した少女。
今も捜させているが、有力な手掛かりはないままだ。
「今日の予定は?」
「はい。まず午前中にナリス王国大使とのご会談が入っております。午後からは視察の予定が」
その際の注意事項を並べていくのを聞きながら、ライジードは手早く着替えた。元々、自分のことは自分でやる方が早いし、気楽だ。
(お前がプンプンと怒りながら私の世話を焼くのは、・・・楽しかった)
今も彼女の荷物を片付けさせてはいない。
けれども、もう二度と彼女は戻ってこないのだろうと、そんな予感がしている。
(お前は一体、何者だったんだ?)
その問いを受け取る人物はもういない。
王宮で、ライジードと貴族令嬢との縁談の話と共に、ファルードの妹ではないという証拠を突きつけられた彼女は平然と、けれども少し寂しそうに笑ってみせた。
――― そっかぁ。ばれたら、もう終わりかな。さようなら、ジード。また会いましょう。
――― 待てっ、レイラッ。
――― なりません、殿下っ。どんな思惑があるともしれぬ存在ですぞっ。
――― 放せっ、お前達っ。レイラッ、行くな、レイラッ。
――― 大好きよ、ジード。ちゃんと体を大事にしてね。
そんな言葉を残して。
あまりにも鮮やかに。
レイラを捕らえようとした兵士達だったが、いきなり天井のシャンデリアの鎖が切れて落ちてきた上、非常時にだけ閉ざされる扉を支えている頑丈な縄と鎖が全ていきなり切れて扉が閉まり、後を追えないという失態続きとなった為、誰もレイラを捕まえることが叶わなかった。
それまで誰からも特別扱いされていたレイラだ。
門をばたばたと駆け去った際にも、門番とて止めようとする筈がない。
「おやおや。あまり走り回るんじゃないぞ、お嬢ちゃん。王子様が嘆かれるからな」
「大丈夫よ、諦めてるもの。またね」
などと、いつものように明るく会話して見送ったらしい。
しかし、城外に出た筈の彼女の行方は杳として知れなかった。
まるで一気にその姿を掻き消したかのように。
あんなにも美しい少女、見かけたら誰もが記憶に残すと決まっているのに。
(だが、逃げきったならそれでもいいのだろう。レイラ、お前が無事ならば)
ライジードとて、国に何かあればどうなるか分からない身だ。
レイラにはこっそりと、城外にある秘密の隠し場所を教えてあった。そこにはそれなりの金と日持ちする保存食が常に置かれている。
そこにあった金は持ち去られ、レイラのメモが残されていた。
「これはもらっていきます。私の貯めてもらっていたお金と引き換えにしてください。ジード、これからはちゃんと気をつけて暮らしてください。もう、私はあなたを守ってあげられないのだから」
と。
そうだ、分かっていた。
レイラが自分の命を狙って入りこんだ間者じゃないことぐらい。
たかが身元を偽っていたというぐらいで、どうして彼らにはそれが分からなかったのか。あんなにも純粋に自分を愛している人間など、他にいなかったというのに。
紫の髪と灰色の瞳をした美しい少女。
彼女がライジードの命を狙っていたというのなら、数えきれない程、チャンスはあった。
けれども彼女は、・・・密かにライジードの命を守り続けていた。
どうやって離宮に入りこんだ不審者達を始末していたのか、何度も口を割らそうとしたのに最後まで教えていかなかったレイラ。
(お前以外の妃などいらない。レイラ、お前の正体が何であろうと・・・)
だが、身元も不明な少女を溺愛していたライジードは、既に王宮において嘲笑の対象になっている。
なのに、そうと知ったロムルスとファルードからは、
「なら、うちが引き取ろう。さっさとレイラを寄越せ。お前一人が、今まであいつを可愛がってただなんて羨ましすぎるだろ」
「そういうことでしたらレイラはこちらが保護しましょう。大体、こんなにも長い間、独り占めしていたなんて冗談じゃないですよ」
と、全くもって、ライジードを責める言葉しか寄越さなかった。どうやら、二人にとってもレイラの身元などどうでもいいらしい。
しかし肝心のレイラが行方知れずだから心当たりはないかと、そう書き送ってみれば、
「そこをどうして聞き出しておかなかったんだ。あいつの人脈なんて、常に予想外にぶっ飛んでるに決まってるじゃないか」
「レイラの故郷の村には定期的に人をやってますけど、まだ帰ってないようですね」
である。しかもその故郷とやらを尋ねても、今まで独り占めしていた仕返しとばかりに教えてくれない。
男の友情とは儚いものだ。あまりにも冷たすぎる。
だが、ファルードの実妹でもないとなったら、レイラはただの平民である。
それこそ次の国王であるライジードが妻に迎えることは許されないだろう。
(レイラ。お前の声が聞きたい)
たとえ見つけても、もう妃や愛妾どころか、この離宮で働かせることすら出来ない。何故なら、身元が分からない人間を次期国王の傍に近づけるわけにはいかないからだ。
今もまだ彼女を腕に抱いた時の重さを覚えているのに。
こんなにも自分の心を彼女が占めているというのに。
彼女の寝息がないと自分は熟睡すら出来ないのに。
「ライジード様。ご朝食の用意ができました」
「分かった」
レイラがいなくなってから、生活も元通りにした。
あの子がいないのであれば、朝のひとときすら楽しむ必要もない。ただ、当然のようにスケジュールをこなすだけだ。
そんなライジードに離宮の使用人達は痛ましげな視線を向けるが、何も言わなかった。
何故なら、レイラは現在、身元を偽って入りこんだ人間となっているのだから。
離宮で働いていた人々にしてみれば、レイラが怪しいというのは不自然すぎておかしいと、そう思わずにいられなくても、それが王宮の意見である。
レイラがいなくなっただけで離宮は一気に明るさを失い、庭園の花すらどこか力を無くしているかのように見えていた。
何度も見た夢だ。
忌々しさに舌打ちすると、ザイはその拍子に目を開けた。暗い室内は、朝になってないことを如実に物語っている。
(何なんだよ、くっそぅ)
訳が分からない。自分は毎晩のように夢を見ている。
そう、黒髪に茶色の瞳をした、とりえもなさそうな女の夢を。
「起きたの、ザイ? まだ夜中よ」
その拍子に、腕の中にいた女が目を覚ましたらしく、そう声をかけてくる。
「ああ。何でもない。お前があまりにも色っぽ過ぎるんで目が覚めちまった」
そう答えれば、嬉しそうに女が笑う。互いの場所を入れ替えながら、ザイは脳裏に蘇ったその顔を消そうとした。
(何で気になるんだ? あんなおどおどしているだけの、つまらない女が)
けれども気になるのだ。だからこんな夢などもう見たくないのに、眠れば彼女の生活が自分の前で展開されていく。
転べば駆け寄って抱き起こしてやりたくなる。
泣けば優しい言葉を告げて慰めてやりたくなる。
笑えばその相手が自分じゃないことがもどかしい。
「ふふ。ねえ、ザイ。私、あなたの恋人よね?」
「ああ、一夜のな。大体、お前さん恋人いるじゃねえか。割り切った女は好きだぜ、潔くてな」
「・・・・・・ひどい人。こんなにもセクシーな顔と体で、なのにそうやって女を渡り歩くだけなのね」
今やザイの灰色の瞳は黒に、そして濃緑の髪も黒へと変わっていった。
ピルッポの街を拠点にして無頼な徒党すら作り上げたザイ達は、今となっては一大勢力になっている。一晩だけの恋人にも事欠かない有り様だ。
けれども、夢にしか見ない女が気になって仕方がない。
リリエルと同じように。
そう、ザイの心には、今、全く違う二人が棲みついている。
「もう、黙れよ」
だからザイは彼女に向かってそう言った。
ああ、考えたくないし、認めたくないんだ。まさか夢にしか見ない女に心囚われているだなんて、そんな事実を。
リリエルは帰らない。
事情があって、エスリーダ王宮から逃げ出すことになったと、そう手紙が届いた後は、どこにいるのかと尋ねて返したのに、未だにその返事は戻ってこない。あの小鳥は彼女を守る存在だから、手紙を飛ばせない事情があるのかもしれないが。
帰ってこない少女と、夢に見る女と。
自分の不毛すぎる感情に捨て鉢になりながら、ザイは目前にある女の肌に溺れた。
第二皇子が皇帝になれるのであれば、先々々代の第二皇子の直系である自分にも皇位を継ぐ資格はあると、そう真面目に言い出してくる輩はいるものである。
帝国の第一軍に属しているロムルスは、何でもいいから宮廷を離れることが出来るのであればと、戦いに出る方を選んでいた。
仕方がないだろう。だって自分の盾になってくれていたジルードはもういないのだ。
綺麗なドレスを纏ったご令嬢相手に社交術で戦うよりも、ぶった切って終わることのできる男達といる方がまだ精神的に気楽だ。
けれど、そんなロムルスを悩ませるのは、一つの夢だった。
(あまりにも生命力がなさすぎる・・・)
大人しいのは分かるのだが、不器用すぎるのだ。言いたいことがあっても言えなくて終わるし、だけど何も考えていないわけでもないらしい。
あまりにも気の毒な出来の悪さに、もういいじゃないかと、言ってやりたくなる。
一生懸命な姿も、見ていて心が和む・・・以前に、諦めて手を貸してやりたくなる程だ。
しかし、夢は夢。
自分は何も出来ずに、その姿を見守るだけだ。
そう、不思議な国で暮らしている、頼りない黒髪の彼女を。
どうしてこんなにも惹かれるのか、それすら分からないままに。
静かに夢が訪れる。
これが違う世界なのだなと、彼に考える理性を残したままで。
(そこはちゃんとお断りしたり、自分の意見を言ったりしなくちゃ駄目だよ。そんなの、君が損するだけだろう)
言いたいことなら沢山ある。だけど、自分の声は届かない。
何故ならそれは夢だから。
目の前で繰り広げられるそれを、ただ黙って見ていることしかできない。
どんなにアドバイスしてあげたくても、彼女に自分の声は届かない。
その髪を撫でて勇気づけてあげたくても、自分に実体はないのだ。
(美冴、ね。変わった文字なんだな)
ミーシアとか、サーシャとか、そんな名前にすれば明るいイメージもあるのに。控えめ過ぎて貧乏籤ばかり引いている彼女は、あまりにも大人しすぎる。だけど不思議な世界の名前だからだろうか、その美冴という語感はどこか誇りを感じさせた。
その夢を、ファルードは楽しみにするようになっていた。
勿論、呆れることは多い。おいおいと、つい肩を竦めてしまうことも度々だ。
けれども彼女が笑うから、だからいいかと思って見続けてしまうのだ。
その笑顔が嬉しいと思える。
彼女の心が曇らなければいいと、ただ願わずにはいられない。
(イディラート様に相談しても、お前が望むようにすればいいと、全く意味が分からないことをおっしゃっていらしたし)
いつも同じ人物の夢を見るのだ。これは何らかの意味があることでしょうかと、リベラ女神が何かを示唆なさっておられるのでしょうかと、そう相談したというのに、イディラートは首を横に振った。それはお前自身にしか関係しないことだと。
だから神殿とは特に関係ないことらしいと思い、ファルードはその夢を楽しむことにしたのだ。
実際、彼女が生きる環境はとても興味深い。
人々は男も女も同じような責任ある仕事を任され、スラムもない。人が売り買いされることもない。
物は豊かで、だからこそ弱い人でも生きていける世界が広がっていた。
(だけどさぁ。・・・どうして逢引きで墓場に連れて行かれてるのさ。君、何も言わないのは、それが嬉しいからなの?)
正直、登場してくる人々の感性が、ファルードには理解できない。
それとも彼らの中では墓場で愛を語る習慣でもあるのだろうか。異文化とは奥が深い。世界は広いんだなと、改めて思う。
様々な文化が国ごとにあるとは知っているが、・・・ファルードは新たな価値観の扉を開いていた。
起きてシャワーを浴びながら、レスターはうんざりとした気分だった。
(俺にも見せなきゃ不公平だってか? けど、別にもう知ってるしな)
今更だ。彼女のこんな姿どころか、自分はもっと・・・。
だが、そこでシャワーの温度を下げて、冷水にする。そう、思い出せばかなりきつい。
冷たい水に打たれれば、煩悩も少しは落ち着くだろう。
黒い髪が揺れて自信なさげに笑う姿は、・・・少しはシャキッとしろよと怒鳴りつけたくなる。
茶色い瞳を潤ませて泣くのを堪えている姿は、・・・そこで泣くぐらいなら相手に対して反撃に出ろと説教をかましたくなる。
ああ、どうしてあんなにもあの女は自分を苛立たせてくれるのだろう。
本気でポイッと窓から捨ててやりたい。
だけど・・・・・・。
その姿から、目を離せない。触れられないと分かっていても、美冴が泣く度に頭を撫でてしまうし、その体をこの腕は包んでしまうのだ。次の瞬間には彼の体を通り抜け、彼女は自分の世界で時間を進めていくけれど。
冷たいシャワーが自分の体を冷やしていく。濡れた金髪が首筋にひっついて、掻き混ぜるように手で髪を洗えば、泡が排水溝に流れていった。
レスターは、ほうっと吐息を洩らした。
「ああ。そろそろR達の様子も見に行かなくちゃな」
彼女達の生育は順調だ。
猫の塔にある培養液から出しても、そして塔の外にある別荘に連れて行っても、特に問題はなかった。
塔を出て知らない人達を見たことにより発熱はしたが、どうやら知恵熱だったらしい。
今、もう少し他人に囲まれる生活が必要だろうと、少しずつ外界に慣れさせている段階だ。
その点、あそこはちょうどいい。
城なので危険人物は入りこめない。更に、人と接するにはちょうどいい規模だ。
R達にも、レイラに渡したのと同じような小鳥を各自につけてある。ただし、こちらはR達の希望でインコみたいな可愛らしい姿にしたが。何にせよ、小鳥達は彼女達を確実に守り通すだろう。
(お前は誰を選ぶんだろうな。・・・ああ、本当に)
お前が選んだ男と幸せになるなら、それでいい。
そう思ってる。
だが。
レスターは目を閉じた。今はただ、冷たいシャワーが心地よかった。
生きていくのは大変だ。
いくら自分の姿を違う容姿に見せることができるとはいえ、それでも一人旅は危険だし、スズというボディガードがいても、トラブルに巻き込まれたらとんでもないことになる。
そんなレイラは、慣れ親しんだ水色の髪・青い瞳のリリエルの姿で街に逃げた為、それこそファルードを幼くしたような紫の髪・灰色の瞳のレイラを捜している人々からは、完全に逃げおおせていた。
そこまではいいけれど、困ったのは次からだ。
何故ならば、レイラは女の子である。いくら姿を変えられたとしても、それこそ少年に見せかけることができるにしても、口を開けばすぐに女の子だとばれてしまう。
左肩に雀の姿をしたスズを止まらせ、レイラは考え込む。
そんなレイラを救ったのは、そこで帰る為に王都でのお土産を見繕っていた、テルノス辺境伯夫人だった。
ちょうど市場を歩いていたレイラは、そこで懐かしい顔を見たのだ。
「あれ? 奥方様?」
「え? あら、私を知ってるの?」
目立たぬように庶民の服装をしていても、それなりに世話になったテルノス城の女主人の顔である。レイラとて覚えていた。
そんなテルノス辺境伯夫妻は、レイラがファルードの実妹ではないという調べをつけた貴族のそれで呼び出されていた。
元よりレイラを先に気に入っていたのはライジードであるという証言をしたテルノス辺境伯は、レイラが間諜ではという思い込み意見を滔々と述べていた貴族に、軽蔑の視線を向けた。
そしてわざわざ呼び出された理由がそんな子供の正体がどうのこうのだと知ったテルノス辺境伯は、
「防衛を担う我がテルノス領の意味も知らず呼びつけたのですかっ。大体、子供一人の正体がどうであれ、何か困ったことでもあったというのであれば言ってみなさるがいいっ。せいぜい、あの子供が綺麗すぎてライジード様の妃候補の姫君がかすむとか、そんな程度の理由なんぞに、我が領を二度と巻き込まないでいただきたいものですなっ」
と、啖呵を切って出てきたのである。
本来は、そのテルノス辺境伯と一緒にレイラを問い詰めるつもりだったのが、そのあまりの怒声に度肝を抜かれ、彼らはたじたじとなった。
だから最初の打ち合わせも意味をなくし、レイラを糾弾する際にも逃げられるという体たらくに至ったのである。
辺境伯夫人も、そんな子供をライジードに近づけたという責任を問われたが、
「あらまぁ。ですが、レイラ様の正体が何であれ、帝国のロムルス様とリベラ神国のファルード様との間を取り持った事実は取り消せませんわ。ええ、あれ以上に素敵な女の子がいたかしら。それともあんな小さくて世間知らずな子供に、皆様、手玉にとられたとでもおっしゃいますの?」
と、皮肉たっぷりに言ってのけた。
当たり前だ。自分達は常に他国から攻め込まれるかもしれない場所に住んでいる。そんなどうでもいいことで右往左往するような胆力では生きていけない。
実際、ファルードそっくりなレイラはとても綺麗な女の子だった。
紫色のストレートの髪も絹糸のように艶めいていたし、灰色の瞳もくりっとしていた。
だから他にもファルードの妹がいるようならば養女に迎えようと、そう野望を抱いた貴族が苦労してファルードの身元を洗い出し、ナリス王国のリーング地方にまで調べを進めたのである。
だが、そこで分かったのは、レイラがファルードの妹ではないという事実だった。そうなれば、これは一大事である。
本当の妹も可愛らしい見かけではあったが、レイラとは比べ物にならない程、存在感が薄かった。だからこれではライジードの気を惹けないと、その貴族も判断したのだ。
その結果、王族や貴族の前で糾弾されたレイラに、見事、逃げられたわけだが。
呼び出された理由の馬鹿馬鹿しさに、すぐにテルノス領へ引き返すつもりの辺境伯夫妻だったが、やはり王都へ行くと言って出てきた以上、皆にお土産ぐらいは買って帰ってやりたい。
だからそれを買い出しにきていた辺境伯夫人だったが、こんな街中で見るとは思わなかった顔に、レイラの方が驚いたのである。
「こんな綺麗なお嬢さん、記憶に残らない筈がないと思うんだけど、おかしいわねぇ」
「あ、あはは。すみません、人違いでした。ごめんなさい」
レイラはそう言って逃げようとした。しかし、その両方の二の腕をがしっと辺境伯夫人が掴む。
「ねえ。私ね、困ってますのよ。何を買って帰ればいいかしらって。若いお嬢さんの意見を聞かせてほしいの。だっておばあちゃんには分からないんだもの。お願い、手伝ってくれないかしら?」
「あ。私で良ければ・・・」
レイラは基本的に人がいい。
誰だって上品な老婦人が困っていたら、つい手を差し伸べてしまうだろう。そういうことだ。
「こっちでしか買えないものなら、ライジード様の領地でとれるエスリーダ・レッドの小物もありますよ。あれ、手軽に買うことができるようにって、小物を充実させてるんです」
「あら、そうなの? あのエスリーダ・レッド、かなりお金持ちの方しか買えなかったものだけど」
「二番煎じの液体を使って、本来のエスリーダ・レッドより少し色は落ちるけれども、それなりに深い臙脂色を出せるようにしたそうなんです。髪にワンポイントで付けるリボンタイプのピンとか、ドレスやワンピースにつけられるブローチタイプの小物とか、そういうのなら手軽な価格だから多く買えますし、今までは高級すぎて入手できないと思われていた筈だから喜ばれると思います」
「まあ。なんて素敵なの。やっぱり若いお嬢さんは流行に敏感ね。ねえ、そのお店、教えていただけるかしら?」
「はい、こちらです。奥様みたいな方用に、ちゃんと個室も用意されているんですよ」
何と言っても、その低価格路線を打ち出したのはレイラだ。詳しいのは当たり前である。
直営店でも心の狭い王子様のおかげで店員と会話こそしたことないが、どんなシステムになっているかぐらいは把握していた。
「すみません、こちらの奥様、お土産に手軽な小物を買っていきたいそうなんです。できれば個室でお願いできますか?」
賑わっている店内に入り、店員にそう話しかけて、レイラは小さな声で、
「目立たないような格好をなさっていらっしゃいますが、貴族の奥方様でいらっしゃいます。ライジード王子様とも親しいお方です」
と、耳打ちする。
即座に店員は個室へと辺境伯夫人を案内して、見本の小物を持ってきた。
「まあ、わざわざごめんなさいね。これならお土産の小物とは別に、本来のエスリーダ・レッドもいただいて帰ろうかしら」
くすくすと笑う姿に、若い男性店員も、
「あ。いえ、本来の一級品はこちらの店には置いてありませんから。ここは若いお嬢さん達が手軽にと、そういった理由で始まった店でございまして」
と、ドキマギとして答える。
年を重ねても上品な女性はその皺すら愛らしくみせる、そんな魅力を醸し出すものだ。
「どうぞ、ごゆっくりお選び下さいませ。他にも持ってまいりますから」
と、店員が席を外して二人きりになると、辺境伯夫人はレイラに微笑みかけた。
「うふふ。私ね、城で待っている侍女の女の子達が喜びそうな物が欲しいの。どれがいいと思う?」
「・・・そうですね。あそこは皆さん、ストールを巻くことも多いですし、こういったストール留めはいかがでしょう? 幾つか、デザイン違いがあるんです。あと、同じ小物がかぶると嫌がる方もいらっしゃるでしょうから、全部違う物にした方がいいですよね。髪に挿す薔薇のモチーフのピンも人気です。あ、同じタイプでチョーカーとかもあるんですよ。それは黒いリボンにつけてあって、大人っぽい少女って感じになるんです」
それらを手に取って夫人に見せれば、その今までになかった斬新な形に感心したようだった。
そうだろう。地球で見ていたそれらを元に、レイラは今までにない新しい小物を次々とトライさせたのだから。
「あらまあ。本当にデザインするのが得意でいらっしゃるんだから」
「えへへへ、それ程でも」
どれもこれもレイラが手掛けたものだ。売れ筋など、全部頭に入っているに決まっている。
「ご謙遜だわ。ジルドレア様のドレスもそうだったけれど、それは才能よ。殿下があなたにデザインさせていると聞いた時には、やっぱりねって思いましたもの」
しかし、謙遜するレイラに辺境伯夫人は身を乗り出して、それがいかに素晴らしいかを褒め称えた。
今や、ジルドレアが着ていたドレスはテルノス領で一つのスタイルとして定着している。
「そんなことありませんって」
「まあ。おほほほ」
「アハハ・・・ハ」
そこで、だらだらとレイラの背中を冷たい何かが伝っていく。左肩の上にいる小鳥が、呆れたような雰囲気を漂わせてチュンッと鳴いてみせた。
「うふふふ。どうしてお顔も髪の色も瞳の色も違うのかなんて訊きませんわ。ね、レイラ様」
「アハハハ。・・・あの、その・・・えっと・・・」
「私、可愛い孫娘が欲しかったんですの。紫の髪をした女の子も魅力的でしたけど、水色の髪をした女の子も素敵ですわ。顔立ちは違っても可愛らしいことに変わりはありませんもの。ね、一緒にテルノス領に来てくださいますわよね?」
「は、・・・い」
小さくレイラを手招くと、辺境伯夫人は声を潜めた。
「私達と一緒にここを離れましょう。子供一人にあんな騒ぎだなんて馬鹿馬鹿しい限りだわ。あの時、ライジード様があなたを連れ帰るとおっしゃった時に止められなかったんですもの。今度こそあなたを無事におうちまで届けさせてちょうだい」
「奥方様」
そんなにも気に病んでくれる必要はないのだ。だってライジードと一緒にいたかったのは自分なのだから。
けれどもレイラは頷いた。何といっても子供一人で移動するのは危険だ。
すると老婦人もにっこりと笑う。
「だけど、本当にお土産は必要なのよ。手伝ってくださいます?」
「はい。・・・奥方様にはこっそり教えちゃいますけど、実はお店に出してない、限られた数しか作っていない、なんとエスリーダ・レッドの下着なんてのもあっちゃうんですよっ」
「まあっ。下着っ!?」
「ええ。これがとっても密かな人気で、知った人は他の人には決して教えないぐらいにセクシーなシロモノなんです。あまりに人気すぎて、赤じゃなくて黒く染めたのとか、そういうのも売り出したら、これが本気で知る人ぞ知る売れ筋商品になっちゃいまして」
「まあ、黒? そんなのが?」
下着は生成り色が多い。もしくは白だ。たまに染めたりもするが、それは淡い色が多かった。
だから辺境伯夫人も眉根を寄せて考える。
「これがバカに出来ないんですって。一度、着てみれば分かります。男の人が途端に鼻息荒くなるって評判なんですから」
戻ってきた店員は、普通の客が知る筈のない、シルクレースを染めた下着シリーズのことを言い出され、それを知るのだから本当にこの老婦人はライジード王子に親しい貴族の奥方なのだなと納得する。
テルノス辺境伯夫人は、レイラと共にきゃっきゃと言いながら買い物を楽しんだ。買った荷物は、テルノス辺境伯邸に配達もしてくれる。
「次は、帝国からの輸入品を扱っているお店を紹介しますね。ロムルスがジードと仲良くなったことで、そういうお店も出来たんです」
「まあまあ、なんて優秀なガイドさんなんでしょう。やっぱり頼んで良かったわ」
「エスリーダでは馴染みのない食材も売られてるんですよ。だけど一番綺麗だって人気があるのは真珠です。それは高くてなかなか買えないようなんですけど」
レイラは、王都にあるそれなりの店を完全に把握している。だから辺境伯夫人にも色々な違いを説明しながら、買い物案内ができた。
所詮、レイラは自分が何か悪いことをしたわけでないので、特に逃げ隠れしなくちゃいけない程の悲壮感など持っていなかった。罪人だと思っているのは、エスリーダ王宮の貴族達だけである。
また辺境伯夫人も、不思議で得体の知れない存在ではあるが、レイラを傍においてからのライジードの飛躍的な幸運と成長を聞き知っていたので、レイラに対しては全く問題なしとみていた。そう、理屈なんかではない。全ては心で感じるものだ。
「ふふ、真珠だなんて。昔、夫が贈ってくれたものだわ。そう、君の姿は真珠のようだって」
「うわぁ、素敵。真珠は上品な奥方様にぴったりだもの。いいなぁ。テルノス様ったら詩っ人―っ」
その頃、邸で様々な雑用をこなしていた辺境伯は、配達されてきた荷物を見て首を傾げる。
「わざわざ配達させてまで、あいつはどこをほっつき歩いてるんだ?」
けれどもあまりにも荷物が大きいものだから、その箱を開けてみると・・・。
「なっ、何じゃこりゃあっ!?」
そこには、黒の下着とか、赤の下着とか、真っ白な下着とかがあった。それはいい。それはいいのだが、・・・・・・あまりにもレースの部分が破廉恥すぎてはいないだろうか。
「う、うむ・・・。けしからん、けしからんぞ、これは」
だが、我が愛する妻にもそれは似合うのではないだろうか。若い頃とは違い、肉づきも良くなってはいるが肌は白く、やはり年老いても彼女は美しいのだ。
その下にある髪飾りやブローチ、ストール留めなどは辺境伯の目に入っていなかった。
初めて見る扇情的な下着は男性用もあるようで、そちらはレースではなくシルク地だけだ。
「こ、こんな下着なんぞ・・・。木綿で十分ではないか。麻でも」
だが、ちょっと気にならないわけではない。そう、ちょっとだけだ。そう、少しだけ。
自分もまだまだいけるのでは・・・。いや、そうではない。そんなこと、考えてもいない。
「い、いや。見なかった。何も見なかったとも」
そう自分に言い聞かせる。けれども気になるのだ。
だが、勝手に穿いてしまうわけにもいくまい。
かなりの好奇心を抑え、辺境伯はその箱を閉じた。
(やはり王都はけしからん。そう、あいつも何を浮かれてこんな物を買っているのだ。実用性、そう、実用性だ。服とはそういうものだろうに)
しかし、ちらっちらっと見ずにいられない程、その箱は気になる。
王都とは恐ろしい場所だ。精神を堕落させるものがこんなにも溢れているのだから。
辺境伯はそう思った。
その堕落させるものを作りあげた本人を、やがて自分の妻が連れ帰ると予想することもなく。
さすがに夫人と違ってテルノス辺境伯は、可愛いから全ての不思議は許されるなどとは思わなかった。
見た目が全てですむなら、誰も苦労はしない。
しかし、レイラは、
「あのままいくと、ジードの奥さん一直線だったから逃げ出そうとは思ってたんです。なのにジードったら、なかなかそんな隙を見せない人で・・・。だけどそろそろパパの所に帰んなくちゃ心配してるみたいだし、これが潮時かなって。あ、だからファルードのいるルーセット神殿に連れてってください。そうしたら、おうちに連れて帰ってくれる筈なの」
と、全く悪びれることなく、親元に帰りたいと主張した。
身元保証はファルードに押しつけようとする気満々である。そして左肩の上にいる鳥は何かと問えば、人形だと答える。なかなか精巧な玩具だ。こんなにも見事な細工の人形、・・・やはり平民には似つかわしくないのだが。
「え? ファルード、大神殿にいるの? じゃあ、ルーセット神殿の神官長様でよろしくお願いします」
などと言われた日には、どう考えても間者や暗殺者といった後ろ暗い素性ではあり得ないと判断するしかなかった。
レイラにしてみれば、自分のせいでリミダ村にトラブルの種を持ち込みたくなかったので、全てはルーセット神殿に押しつける気だったのだが、結果としてそれがレイラのその自信はどこからくるのかという話になっただけだった。
「だがな、お嬢さん。君のその不思議な外見はどういうことなのかな? それにライジード様は、君をずっと捜していらっしゃるよ」
「テルノス様の疑問は分かるんだけど、それは内緒なの。それにジードは大丈夫よ。だってまた私達、会えるもの」
「それは難しい。君は既に他国の間者だったのではないかと言われている。二度とライジード様にはお会いできないだろう」
分かりやすく説明するテルノス辺境伯に、レイラは力強く請け負ってみせた。
「大丈夫っ。だって本当の私が行ったら、ジード、ちゃんと会う筈だものっ」
「・・・・・・本当の君とは? もしかしてそれなりの身分の方なのかな?」
「ううん。普通の一般人だけど?」
「・・・・・・」
何にしてもレイラのおかげでエスリーダ・レッドの売れ行きは見事な伸びを見せ、ライジードの資産もかなり潤ったと聞く。
離宮の庭園は常に花が咲き、その景観も素晴らしく、今や一般に対して有料で貸し出している部屋の稼働率は常に90%を超しているとか。そして、勤めているだけで健康になり、肌が若返ると評判な為、離宮の就職を巡る戦いはかなり熾烈になっているらしい。
(そもそも子供が一人いようがいまいが、何か問題があったわけでなし、どうでもいいではないか)
顔かたちが全く違うというのは不気味だが、変装が得意なのだろう。もしくはリベラ女神の不思議な業ということにしておいてもいい。そう、多分。
「ライジード殿下を暗殺する為に潜り込んでいたわけではないのだな?」
「あら。私がジードを暗殺しにきた人を退治してたのよ」
そう言って、不満そうに頬をぷぅっと膨らませる。
「どうやって?」
「内緒」
「どうして、殿下を守ろうと思ったんだ?」
「ジードだけじゃなくて、ファルードやロムルスやザイでもそうしてたわ」
「ザイというのは誰だ?」
「内緒」
わけが分からんと、テルノス辺境伯は思った。そして匙を投げた。
けれどもテルノス領へと旅する道中、レイラは話していても楽しい子供だった。離宮や王宮であったことを、事細かに楽しく辺境伯夫人に話す。
「でねっ、
『そこの子供っ』
って、話しかけられたから無視してたの。そうしたら、むんずっと肩を掴まれたから、
『やだーっ、誰か助けてぇっ。幼児性愛者がぁっ』
って、叫んだら、あちこちから人が寄ってきちゃったの。で、皆が集まったところで、そこに来た女官の人に抱きついて、
『この人ぉっ、ライジード殿下に言い寄ってたばかりじゃなく、私にまでぇっ』
って叫んだら、みんながとっても冷たい目になってね。
それでその人、二度とジードに近づけなくなったの。だってジードに近づく度、周囲の人達がじーっとその人の一挙手一投足を見張るようになったんだもの。だからジード、その人にそれからはベタベタ触られなくなったのよ」
「まあ。レイラ様は頭脳派ですわね。その方も、邪魔なレイラ様を排除しようとしたのかしら」
「そうみたい。・・・だけどジードも、軽く触れてしまっただけとか言われたら、もう何にも言えないでしょ? それまでずーっと、こんなにブルブル鳥肌立てて我慢してたの」
そうか。あの男、そういう趣味があったのか。
テルノス辺境伯も、そして周囲にいた護衛兵達も、何とも言い難い顔になる。
我が国の王太子殿下の操は、レイラの策略によって守られたのかもしれない。
「でねっ、去年は自分の涙とか唾とか髪の毛とかを入れてクッキーを焼いて、それを意中の相手に食べさせたら恋が叶うっておまじないが流行ったの。そうしたら、ジードに沢山のクッキーが持ち込まれてね」
「まあ。・・・それはそれは」
辺境伯夫人が同情するような顔になる。周囲にいた護衛達は、うげぇっという顔になった。
「ところがね、それって目の前で食べてもらわないと効果がないらしいの。だから、後で食べるって言っても、
『いいえ。目の前で食べてくださいませ』
って、お願いするのよね。だからジードも困ってね、犬を手配したの。そして私にタイミングをみて、その犬をジードにけしかけさせたのよ。そうしたら犬がジードに飛びかかって、ジードがクッキーを取り落とすでしょ? でね、私が慌てて駆け寄って、
『ごめんなさい、殿下。あ、クッキーだ。・・・もしかして私にくれるつもりだったの? 殿下、甘いお菓子、大嫌いだものね』
って、言ってあげてたのよ」
「まあ。・・・ですけど、よく犬が殿下に飛びかかりましたわね」
「うんっ。ジードの服にビーフジャーキーを仕込んであったのっ」
「あらあら。本当に策士でいらっしゃいますこと」
ほほほと、辺境伯夫人も笑い出す。
もてるというのも大変だと、周囲も頷かずにはいられない。
だが、そこでぷうっとレイラの唇が尖る。
「けど、大変だったのにぃ。だって何度もやらなきゃいけないんだから。あっちはジードに渡す一回だけのつもりだろうけど、こっちは渡してくる令嬢が変わるだけで、同じことの繰り返しなんだもの」
「ほほほほ、殿下も人気がありすぎて災難でしたわね」
テルノス辺境伯は、この子供を警戒しているであろう王宮が何だか阿呆らしくなった。
間者どころか、この子供によって第三王子の操と胃袋は守られていたらしい。どれもくだらなすぎるレベルで。
(こんなの、真面目に相手をする方が馬鹿らしい)
そんな一行が、途中の街で一番大きな宿に宿泊した日のことだった。
その宿屋はかなり綺麗で食事も美味しかったことから往路で気に入り、そして復路でも利用しようとしたのだが、そこには変わった宿泊客も逗留していた。
少し早いが食事にしようと食堂に行けば、一組の客が席についている。
「あら。旅の芸人さんかしら」
そう、辺境伯夫人が呟いた。というのも、一つのテーブルにいたのは、全員が目元をバタフライマスクで隠し、頭にターバンを巻いた、そんな青年一人と女の子四人だったからだ。
それを見たレイラも目を丸くする。
青年のバタフライマスクとターバンは胡散臭い稼業だから仕方ないとして、子供達のは仮装みたいで可愛らしかった。
「ピース・・・?」
そう呟けば、その目元を隠した青年が振り向く。同時に四人の女の子達も振り向いたのだが、レイラの顔を見て驚いたらしい。
女の子達のターバンの上には、小さいインコのような鳥がいた。青や緑のカラフルな小鳥だ。飾りなのか、レイラの雀よりも小さく、大人しく丸まっている。
「うわぁっ。ねっ、レス。あの人、私達のママ?」
「違う。R03。親子は似た顔になることがあるとは言ったが、似た顔なら親子というわけじゃない」
「だけどそっくりぃ。じゃあ、私達のお姉ちゃん?」
「違う。R02。そっくりなのは理由があるが、・・・まあ、そうだな。だが、姉のようなものだろう」
一人の女の子が椅子から下り、てくてくとレイラの傍に寄ってきて、その上着の裾を摘まんだ。
「じゃあ、あなたは女の子なの? 男の子なの?」
「へっ? ・・・女の子、だよ?」
自分より小さい女の子だ。その日に焼けていない腕はまるで太陽に当たらない生活をしていたかのようで、レイラはつい抱き上げた。するとその拍子に女の子のバタフライマスクが外れて、顔が露わになる。
「あらまぁ。レイラ様の妹さん?」
「へっ?」
その顔はレイラを幼くしたような、まさにそっくりな顔だった。目は灰色だ。驚いてその頭を覆っていたターバンをずらせば、橙色の髪の毛が現れる。
驚いたのか、ターバンの上にいた緑のインコが羽ばたき、女の子の肩に止まり直した。やはりレイラの雀よりは小さい。
「まあ。髪と瞳の色が違うだけで、本当にそっくりですこと」
「髪。水色してる・・・」
その女の子は興味深そうにレイラの髪を小さく握った。
「ずっるーいっ。私も抱っこしてっ」
「えっ?」
気づけば、レイラの傍にもう一人の女の子が来ている。慌てて橙色の髪をした女の子を下ろし、そしてその子供を抱き上げてあげれば、はらりとターバンがほどけて金の髪が現れた。
「おいで、R04」
そう声を掛けられて、床に下ろされた女の子がパタパタと青年の所に戻る。そして青年に頭を撫でられてから椅子に座らされた。
「R01、食事中だ。そちらのご一行にも迷惑だから、まずは食事をすませなさい。だからターバンはやめておけって言っただろう? ほら、ほどけてるじゃないか」
「だぁってぇ。レスとお揃いにするのぉっ」
レイラの所にやってきて女の子を受け取ると、そのほどけたターバンを拾って回収した青年は、レイラの雀を見て、小さく微笑んだ。
「可愛がってやってるようだな」
「・・・うん。スズちゃんって名前、つけた」
「そうか」
それだけ言って、青年はテーブルに戻ってしまう。R01と呼んだ子供を座らせ、四人それぞれの皿とカトラリーを、ついでに整えてやっていく。
「ちょっ、ちょっと待ってっ。そのっ、私にそっくりなその子達って・・・っ」
「・・・知りたいなら、後で部屋に来ればいい。この子達も喜ぶだろう」
自分に妹がいる筈がない。だってロキスとミザリーは自分の目の前で殺された。
子供達それぞれの頭を撫でながら、彼はゆっくりと自分の席に着こうとする。
呆然としているレイラだったが、テルノス辺境伯がそこで動いた。
「いや。今ここで説明してもらおうか。この子供の、レイラの素性と共にな」
レイラのような少女相手に乱暴はできなくても、怪しげな男相手なら話は別だ。しかもレイラそっくりの女児を連れているとなれば無関係な筈がない。
護衛にあたっていた騎士と兵士達も呼吸は分かっている。すぐさま食堂を閉鎖し、出入り口に立った。宿屋の人間だけでなく、宿泊客も入って来られない状態がすぐに作りあげられる。
すっと首に当てられた剣先に、青年が立ったままフッと笑った。
「その物騒なものを仕舞うんだな。塔を相手にやり合う気があるなら話も別だが」
ざわっと、テルノス辺境伯夫妻と、残っていた数人の騎士が反応する。
即座にテルノス辺境伯が剣を引いた。
有名な、ナンバー入りの仮面はつけていない。だが、冗談では名乗れない素性だ。
「こっ、・・・これはっ」
「不要だ。何もしないでもらいたい。礼をとる必要すらない。今は、子供達の引率役だ」
軽く片手を上げて制し、青年は四人の子供達に促す。
「食べなさい。この怖いおじさんは気にしなくていい」
「おじさんってことは、この人は男の人なの?」
「そうだよ、R03」
じーっと子供達に見上げられ、テルノス辺境伯も居心地が悪い。
「し、失礼つかまつった。いや、レイラ殿の素性はもしや、・・・塔に属しておいでになる?」
違います、と、レイラは思った。自分はチェンジン国のリミダ村の村人です。
ところで塔って、・・・もしかしてリーングで出会ったアレだろうか?
だけど、ピースはぼったくり占い師の筈だ。あんなドッカーン、ガッシャーンじゃない・・・筈。
「いいや。だが、そういうことにしておいてもいい。・・・・・・どうした? まさか、追い出されでもしたのか?」
言葉の後半は、レイラに向けられたものだった。
そうかもしれない。いや、どうなのだろう。
レイラの戸惑いに気づいたのか、青年が片手をレイラの方へ差し出した。
「辛いなら来ればいい。お前を受け入れない奴はいない。・・・おいで」
「・・・っ、レスターッ」
ああ、そうだ。
今まで全く自分の前にその姿を現さなかった最後の候補者。
ほとんど確信をもって、レイラはその腕の中に飛びこんだ。
自分を受け止めるその体は、皆と同じように力強い。何があろうとレイラを拒むことのない腕。
初めて会った時より、彼もまた体が大きくなったのだろう。温かい手が、優しく自分の頭を撫でることに気づけば、堰き止めていた心が流れ出していった。
「わっ、私っ、私っ、下賤の者って・・・っ」
「お前が下賤なら、他の奴らは蛆虫かぼうふらだ」
言葉にすれば、自分が傷ついていたことに気づく。
詳しい事情を説明もしていないのだから、意味なんて分からなかっただろう。けれども彼は、まるであの王宮でのことを知っているかのように、そんなことを言う。
そうだ。どんなに平然としてみせても、寄ってたかって罵られたのは辛かった。
「お、王子にっ、相応しくない卑しい身の上の癖にって・・・っ」
「阿呆。卑しい身の上はあっちだ。お前は、全ての王侯貴族が頭を下げて希う存在なんだからな」
安心して泣き声になるレイラに、青年が訂正を入れる。
気張っていた心が、穏やかにほどけていった。
その慰めが本気だと分かるから、レイラの心も落ち着いていく。
嘘じゃない。彼はそんなつまらない嘘をつく人ではなかった。
「だ、だって・・・」
それでも言い募りたくて、だけど全部あっさりと一刀両断されるものだから言葉が続かなくて、拗ねたように言えば、落ち着いた言葉が降ってくる。
「そんなことも分からぬ時点で、お前を望む資格を持たないということだ。自信を持て。この世界で、お前以上に高貴な女は存在しない。・・・・・・子ザルだが」
「・・・・・・」
殴ってもいいだろうかと、レイラは思った。
そういう奴だった。そうだ、彼は初めて会った時から、こういう奴だったのだ。
持ち上げておいて、突き落とす。優しくしておいて、辱める。
思い出せば、レスターほど信用できない男はいない。
「ひどいよっ。どうして今まで・・・っ」
だが、どうして他の彼らと違い、レスターだけは今の時点でレイラを知っているのか。
分からない。
けれども、それならもっと早く自分の所に現れても良かった筈だ。
「ひどいって何が? ちゃんとお前の為に雀も・・・、ああ、だからスズなのか。お前、ネーミングセンスねえな。豚にブーとか、猫にネコとか名付けるようなもんだろ」
「うっさい」
ああ、この可愛げのない口調は、本気の本気でレスターだ。
そうレイラは思った。
「こいつはエスリーダ王宮にいたと思ってたんだがな? あの王子様がお前を手放すとはとても思えなかったが、何だ、どこぞの誰かにそんなことを言われて嫌になったのか? で、家出か?」
「ちっがっいっまっすっ」
前半はテルノス辺境伯に、後半はレイラに向けていたらしいが、それをレイラは一音ずつ力を入れて否定した。
いや、違わない。その通りだ。だけど悔しいから絶対に否定してやる。
こほんと、テルノス辺境伯が咳払いをした。
「いや。塔のお方と分かっていたら、話も別でしたでしょう。素性が知れないということで、色々とありましてな。・・・だが、そういうことであれば王宮としても文句はございません。今からでも戻れば皆が喜んで迎える筈です」
「いや、こいつが出てきたなら戻らせるつもりはない」
青年は、ばっさりとそれを却下する。そうしてレイラを片手で抱き寄せると、テルノス辺境伯に向き直った。
「詳しい事情は話せないが・・・。ただ、こいつに素性なんてのは関係ない。行きたい所に行かせるし、いたくない所に留まらせるつもりもない。どこに行こうが行くまいが、全ては自由にさせる。それが許される存在だ」
「・・・そ、それはどういうことです?」
「それはお宅達の方がよく分かってるんじゃないのか?」
冷たく、青年は言い捨てた。
「彼女が幸せに暮らしているのは、エスリーダ王宮の繁栄が物語っていた。だから放っておいた。けれどもこうして出てきたのであれば話は別だ。彼女の行く先は彼女に決めさせる。こいつは素性だなんて人間が決めたものに左右されない、唯一の存在なんだからな」
言っているセリフはとても自分を持ち上げてくれているのに、どうしてレスターは自分をこいつ呼ばわりなんだろうと、そこでレイラは思った。
今一つ、そこに自分に対する敬意が感じられない。
「あ、あの、レスター。テルノス様達はそんなんじゃないよ? 私がどうしようと思ってる時、かなり私ってば怪しい存在だったのに、それでも一緒に自分のお城に来ればいいって誘ってくださったの。そして家にも送ってくださるって言ってくれたの」
「そうなのか?」
「うん。テルノス様の奥方様も、とてもいい方なんだよ」
「ならいい」
ぽんぽんと、自分の頭を軽く叩くように撫でてくる。それが嬉しいのは、彼の自分に対する情愛がそこにあると、そう感じられるからなのかもしれない。
「こちらの早とちりで失礼した。そういうことならば彼女は、・・・テルノス殿でよろしいのか? あなたにお預けしよう」
「いや、こちらこそ失礼なことを・・・。かなり状況が読めないのだが、彼女は一体どんな存在だと? いや、可愛らしいお嬢さんだということは分かっているが」
「それはいずれ、お宅の王子こそが知るだろう。急かすことも、促すことも、彼女に対して許されるものではない」
「レスター」
レイラが見上げれば、そのバタフライマスクの奥にある表情は分からないままに、レイラの肩を辺境伯夫人の方へと押しやろうとする。
「いずれ時が来れば、誰もがお前を求める。今の間によく見て考えろ。お前はそうして幸せになればいい」
「・・・・・・(あなたは? あなたは、・・・違うの?)」
その言葉を、レイラは言えなかった。
自分を求めてくれる「誰も」に、彼はやはり加わってはくれないのだろうか。
そしてどうして彼だけは知っているのだろう、今の時点で彼女のことを。
「ねえねえ、レスぅ。唯一って、たった一人ってことでしょう? 私達は違うのぉ?」
そこで、椅子から下りてやってきた女の子の一人が青年の脚にしがみつく。
「R達も、他の人達とは違う。普通の人は一人一人で産まれてくる。だけどR達は完全に四人という絆を持って誕生したんだ。R01、君達もまた特別な子供達だ。ただし、私にとっての」
「特別? 私達、レスの特別?」
「そうだよ、R04」
子供達がきゃいきゃいと椅子から下りてきて、青年の周りに群がる。
ちょっと切なくなったレイラだ。どうして自分にはこいつ呼ばわりなのに、同じような顔をした子供達には君呼びをしているのだろう。
(しかも、特別だとか言ってるし)
結局、その日の食事はなし崩しで、皆でテーブルを囲むことになった。
剣を向けたお詫びにせめてと、テルノス辺境伯が頼み込んだからだ。
やはりレスターはぼったくり占い師でもあるらしく、食後は特別に、辺境伯夫人に占いをしてあげていたが、今回は全く料金をとらなかった。
「いずれ失ったと思ったものを取り戻すことができるでしょう。今年の夏あたりに、門前に倒れていると思います」
「まあ、失ったものでございますの?」
彼の有名な塔の人間が占いをしてみせるとはと驚き、辺境伯夫人も興味深そうにテーブル一面に広げられたカードを見る。
レイラも彼が占っているのを見るのは初めてだったが、どういうものなのか、全く分からなかった。
その周囲で、子供達四人は騎士や兵士達に遊んでもらっている。
男の子と女の子は何が違うの? と、そんな質問をされている彼らは本気で困り顔だ。そりゃそうだろう。しかし男には髭が生えると教えてもらい、それを触っては「ちくちくする」と、面白がっていた。
「そうです。・・・ああ、勿体つけて言うのって面倒臭いな。はっきり言えば、お宅の戦死したと思っていた息子さん、実は生きていて、やっと夏には城に帰ってくるってことですよ。子供も連れてね。ただ途中で盗賊に襲われてしまうからボロボロ状態で辿りつくことにはなりますが、ちゃんと食べ物と寝る場所があればすぐに回復します」
「・・・・・・っ!!」
言葉にならぬそれに、辺境伯夫人が目を丸くして夫を振り返る。辺境伯も椅子から立ち上がって身を乗り出した。
「そっ、それは本当にっ!?」
「・・・本当です。いや、占いなんですから当たるも八卦当たらぬも八卦程度にしといてくださると助かるんですけど」
げんなりとして彼は答えた。
ああ、どうして誰も彼もが自分に占いをさせると詰め寄ってくるのだろう。世間の占い師の全く意味不明な言葉なら勝手に深読みしてすませるというのに。
「ううん、レスター。それってとっても大事なことよ。それ、本当なの? ぬか喜びさせるだなんてこと、してないわよねっ?」
「してねえよ。俺の占いは一度として外したことはない」
それは本当のことだ。自分のリーディングは世界の全てを知ることができる。
「・・・・・・あ、あの。そしたら私の、・・・あのね?」
「断る。そういう人生における大事なことは占いに逃げんな。俺だってしてねえ」
「はい」
やっぱり自分に対してはちょっと塩気と唐辛子成分がききすぎてないだろうかと、レイラは思った。
他の人に対しては「私」と、言葉づかいもそれなりに畏まっているのに、自分に対しては「俺」だ。
ただ、涙ぐんでいる辺境伯夫人はとても嬉しそうで、・・・レスターの占いが外れなければいいと願うばかりだ。
そして遊んでもらっている子供達のターバンとバタフライマスクは完全に外れていたが、それぞれに髪の色は微妙に異なるものの、やはり顔はレイラにそっくりである。
「レスぅ。お城ってどういうの?」
R03と呼ばれている茶色の髪の子が、レスターの服を引っ張る。
「お城というのは、時々見かけただろう。石造りで頑丈な、多くの人を収容できる、大抵はその地域における領主の住まいとなっている建物だ」
「中、見てみたーい。この人達、お城に行くんだって」
「・・・城の中が見たければ、そうだな、どこの城でも見学はさせてもらえるだろうが、・・・塔の名を出すと歓待されるのが厄介なんだよな」
後半は本気のぼやきになっていた。
そこで辺境伯夫人がレスターの手を握る。
「是非っ、是非うちにいらしてくださいませっ。こんなにも素晴らしい知らせをいただいて、それで何のお礼もしないわけにはいきませんわっ。ええっ、是非っ」
「そうですぞ。どうか、・・・そりゃテルノス城は、他の城に比べて武骨すぎるでしょうが、是非ご滞在なさっていただけませんでしょうか。どうかお願いし申す」
「いや、それは有り難い限りなんですが・・・」
そこでレスターは、子供達を見た。四人はワクワクしている顔で彼を見あげている。
その期待を隠さない瞳に、彼は負けたようだった。
「図々しくて申し訳ないが、なら遠慮なく押し掛けさせていただきましょう」
だが、そこで、変なビーッという音が響く。
その耳慣れない音に、皆がざわめいた。それはレスターのバタフライマスクから響いていたからだ。
「こちら青の塔。緊急連絡です。急ぎ、お戻りください。倉庫04が爆発しました。原因は試運転の失敗と考えられます」
その意味が分からず、誰もがいきなりレスターの耳元から発された声に驚いたが、彼はさっと立ち上がる。
「・・・・・・R達。悪いが、急いで帰らねばならなくなった。城に招待してくれるということだし、遠慮なく世話になってこい。レイラ、この子達を頼む。・・・テルノス殿、奥方殿。すみませんが、この子達四人の世話は、こいつがちゃんとやりますので、どうかよろしくお願いします」
「えっ!? ちょっ、レスターッ」
だが、彼は立ち上がるとレイラの耳元で囁く。レイラの手に、金の入った小袋を押しつけて。
「R達はお前のクローンみたいなものだ。ちゃんと面倒みてやれよ、レイラ」
目を見開いたレイラだったが、レスターは大股で食堂を出て行った。
(えっ!? いや、あのさ、レスター・・・)
いきなりそれはどういうことなのか。
しかもさっさと立ち去ってくれたが、それは今から面倒をみろということなのか。
自慢にもならないが、今まで子供扱いされたことはあっても、子供の世話などしたことはない。
(どうしろと・・・?)
レイラは、四人の子供達を見下ろした。
R02 「お世話? やっぱり、ママなの?」
R03 「えー、レス、違うって言ってたよ。R02」
R01 「だけど、子供のお世話してくれるのがママなんでしょ? ね、R04」
R04 「そ、そうなの、かな・・・?」
八つの瞳が、レイラをじーっと見上げていた。
エスリーダ王宮では、様々な事案が飛び交う。
「今回のその雨により、一部地域に穀物の被害が出たようです。自然ばかりはどうにもならぬとはいえ、ライジード様の領地にはそういった被害は全く出ていませんが、隣接する幾つかの地域では・・・」
「言いたいことはわかっておる。だが、・・・それこそ自然に対しては人知など及ばぬ。仕方なかろう」
国王は、そう言って手を振った。
「ただ、今回は壊滅的な被害とありまして・・・。シンリアナ国から援助の申し出がありましたが、代わりに第一王女とライジード様との婚姻をと」
「断る。その領地のことは領主が対応すべきことだ。そういったことも踏まえて堰の増強をしておくべきだったのに、なぜしていなかった。そのツケをどうして私が払わねばならぬというのだ」
ライジードは冷たく言い捨てた。
「ですが、殿下。今回はあまりにも大規模なものでございました。殿下の領内に被害が出ていないのは、それこそ幸運としか言いようのないものでございます。それに堰などを事前に対策をしておられたのも、殿下の領内には資金が潤沢にあったからでありまして、他の領地ではそれも資金不足から難しいものでございました」
けれどもライジードは、鼻で笑ってみせた。
「まるで私だけがついているかのような言いようだが、そうでもない。既に我が領内の出来も減少している。・・・誰かさん達が、金の卵を産む鶏を逃がしてくれたおかげでな」
その冷たい視線に、居並んだ人々は目を伏せた。
実際、得体の知れない綺麗な子供を寵愛していた第三王子だが、偶然にもレイラを傍に置いている間、ライジードの資産は増加の一方だった。
けれども王宮で皆に詰め寄られ、糾弾されたレイラが逃げ出してから、エスリーダ国内の様々な産業の出来が減少している。ただの偶然にしても。
その中にあってライジードが関与するものだけはそうでもなく、緩やかでも増加傾向にあったが、それでも今までの伸びに比べて小さくはなっていた。
「・・・ですが、殿下。これは国力の問題にもなってくるのでございます」
一人の男が、そう口を開く。彼は爵位を持つ貴族ではないが、長く王宮に勤めている男だった。
「殿下お一人のご結婚で、民が救われる。そういうことはございます。どうぞお考えくださいませ」
「私一人に全てを押しつけて、お前達は何の痛みにも耐える必要はないと?」
レイラを失ってから、ライジードは優しげな振る舞いをやめるようになっていた。それでも見た目が見た目のせいだろう、薔薇の花が似合うような王子様といった雰囲気はある。
だが、荒れている心を示すかのように、言い方も何もかも無駄を省き、切り捨てるようなところが出てきていた。
「そんなに結婚結婚というのであれば、兄上なり弟なりを婿に出せばいい。痛みは皆で分かち合うもの、そうだろう?」
ライジードはそう言って出て行ってしまった。
誰もがそれを黙って見送り、大きな溜め息をつく。
たかが美しい子供一人。それでも少女を失ってから、様々なことがうまくいかない。
「どうしたものか」
「だが、殿下とて決まってしまえば諦めておしまいになるだろう。ここは婚姻話を進めては?」
「しかしその結果、その王太子妃の寝所も訪れないといったことをされては・・・」
「いくら何でもそれはなかろう」
「いや、あり得ますぞ。今、殿下はどなたもご寝所にお呼びにならないとか」
「まさか。あんな子供に本気だったと?」
「ですが美しい子供だったではありませんか」
「あれを凌ぐ美しさとなると・・・」
それは、男であるファルードより美しい姫はいないと言いきったようなものだったのだが、そういうこととも知らず、その場にいた人々は大きく吐息をつき、額に手をやる。
「しかし、誰もが瓜二つという程にリベラ神国の神官にそっくりだったわけであろう? 今更言うても仕方ないことではあるが、妹ではなかったにせよ無関係とも思えぬ。ああいうことをする前に、もっと調べておくべきだった。・・・実際、あの子供の身元も分からぬというのに、そのリベラ神国も帝国も、それなら寄越せと矢のような催促ではないか」
国王がそう指摘する。
特にリベラ神国は、
「ならばあの子供の身元を教えていただきたい。身元も知れぬ子供を我が国の王太子に近づけるとはどういうことか」
と、そう返事したエスリーダ王国に対し、強気の姿勢だった。
「これは異なこと。元々、彼女は我が国が保護していた子供である。それをライジード殿下が連れ去ったことが原因ではないか。身元がどうこうというのであれば、最初からファルードと共にいさせるべきだった。それを勝手にエスリーダ王宮へと連れ去っておいて、こちらを責めるとは何事か」
と。
どちらにしても、肝心の少女は行方不明である。
人攫いにあったことをも考慮し、王都の出入りに関しても一人一人、そして荷物のあらゆる場所まで子供が入れそうなスペースはチェックするという綿密さで調べ上げたものの、未だにレイラは見つかっていない。
たかが平民の子供というのに。
今やあの美しい少女は本人だけが知らぬ間に、エスリーダ王宮全体の悩みの種になっていた。
一方。
立ち去ったライジードは王宮の屋上に足を向けていた。
(だが、その婚姻も考慮せねばならないのだろうな)
たとえ感情的に言い捨ててみせても、ライジードは多くをその肩に背負って生きてきた王子である。
国の為であれば自分の意思は常に後回しなのだと、そういう生き方はもう切り離せない程に彼と共にあった。
(欲しい女は常に夢の中、か)
自分の所から飛び去った愛しい少女。
なのに人は勝手なものだ。こんなにもレイラを愛しく思いながら、毎晩のように夢に見る黒髪の女をも求めてしまうのだから。
(レイラ。どこにいる? 無事でいるのか?)
今も彼女の行方は分からない。どこかで美少女趣味な男に囚われているのではないかと、心配にならなかったわけではない。
けれども何故だろう。
彼女が無事であることだけは何となく感じるのだ。
ただの思い込みかもしれないが。
強い風が、ライジードを打ちつけていく。
それはどこか、新しい大きな変化を予感させるものだった。




