22 エディナートの結婚
全てがあっけなく終わりを迎えた日、自分を閉じ込めていた鳥籠から解放されたのだと知った。
人は、自分を哀れな女だと思うだろう。今の境遇はあまりにも・・・と。
けれども、自分にとってはそうではない。やっと、自由になれたのだ。
たとえそれが、この異国における、他人からは不自由にしか見えない暮らしだったとしても。
「マティリア様。どちらにおいでですか? マティリア様」
「こっちよ、スール。貯蔵庫にいるわ」
そう返事して、マティリアはじゃが芋を幾つか持って貯蔵庫から出た。
「ああ、ようございました。お部屋にいらっしゃらなかったものですから」
「うふふ。・・・今日はね、シュリウスにじゃが芋のスープを作ってあげる約束をしたの。だから、ね」
先日、シュリウスがとても気に入ったようだったので、料理人にそれを伝えたら、よろしければ教えて差し上げましょうと言われたのだ。そして、コツなども教えてもらった。
おかげで今や、マティリアはじゃが芋のスープをとても美味しく作れる。そんなことも、実は楽しい。
「まあ、マティリア様がお作りに? きっとお喜びに・・・、いいえ、そうじゃありませんわ。マティリア様、お客様がおみえでございます。じゃが芋は私が厨房に運んでおきますから、どうぞお早くいらしてくださいまし」
「まあ、お客様?」
誰だろうと、マティリアは思った。
このリベラ神国預かりとなった自分に、今や客などいない。いたとしても、とんでもないことを考えている輩ばかりだからと、基本的に門前払いだ。
訪れる客もいない屋敷での生活はとても平和で、庭で遊ぶシュリウスも母と一緒にいられる時間が増えたことで笑顔が増えた。
「ええ。エディナート様がおいででございます」
「まあ、エディナートお兄様が?」
マティリアが嬉しそうな声をあげると、スールも笑顔になる。
「はい。ギネス伯爵家ご令嬢のジルドレア様とご婚約なさったそうで、それをご報告に、と」
「まあ。婚約・・・?」
そこでマティリアは少し怪訝そうな顔になった。兄のエディナートは最初の奥方を亡くしてからずっと独り身を貫いていたから結婚したとしてもおかしくないが、ギネス伯爵家の令嬢と言うと・・・。
「ねえ、スール。ギネス伯爵家のご令嬢って、そんなお名前だったかしら?」
「二番目のご令嬢だそうでございます。何でもお体が弱く、田舎で静養なさっているという評判だったのではなかったかと・・・」
「ああ、そうね。そんな話を聞いたような記憶があるわ」
とはいうものの、そうなるとかなり年が離れているのではないだろうか。また、そんなか弱い女性と再婚して、兄に子供は望めるのだろうか。
マティリアは心配になりつつも、今の自分が心配できることは何一つないのだと思い返す。
そう、不義の子と共に帝国を追放された自分には、何一つ・・・・・・。
暗くなった思いを振りきり、マティリアは応接室へと向かった。部屋からは、明るい話し声が響いてくる。その扉が開け放たれていた為、中の様子は丸見えだった。
(え? 男性が三人・・・? あら、シュリウスまで)
廊下で立ち止まってしまったマティリアに気づき、エディナートが声を掛けてくる。
「マティリア。元気そうだな。・・・ああ、顔色もいい。やはりここに預けて良かったよ。ほら、おいで」
「ま、あ。エディナートお兄様。こんなにもお客様をお連れになるということでしたら、どうして先に知らせを出してくださいませんの。・・・お恥ずかしい。私、普段着でやってきてしまいましたわ」
スールもスールだ。どうして兄以外にも客がいると教えてくれなかったのだろう。兄だけだと思ったから、まずは簡単な挨拶をして客室へ案内するつもりだったのに。
信じられないと、マティリアは真っ赤になった。
スールはエディナートと護衛一行と判断しただけだったが、マティリアは貴族として生まれ育った人間だ。エディナートの前でこうも堂々と好きに振る舞える二人は、護衛ではなく同じ貴族階級の人間だと、すぐに見てとっていた。
三人とも気楽な旅装束だ。
息子のシュリウスは、一人の青年に肩車してもらって遊んでいる。だが、その青年の顔をよく見て、マティリアは目を見開き、それから蒼白になった。
そう、その顔はマティリアが知るそれよりも髪の色は黒っぽくなり、更に大人びているが、間違えようがない。
「ロムルス様っ。し、失礼いたしました。ああ、シュリウス。その方は・・・」
「いいえ。私こそ、先触れも出さずに失礼しました。今の私は、タイガルース侯爵に便乗させてもらってやってきた一騎士にございます。・・・ご健勝そうで何よりでございます、マティリア様」
しかしロムルスはそれを制し、それどころかマティリアの指をとり、まさに高貴な女性に対する礼をとった。ただし片方の肩に子供を乗せているのが、イマイチ決まらない。
今のロムルスは皇太子という立場だ。そう、かつてシュリウスが置かれていたのと同じ・・・。
あまりにも皮肉な運命に、マティリアは何とも言い難い気持ちになる。
「タイガルース侯爵とジルドレア殿が、結婚のご挨拶でこちらにいらっしゃると聞きまして、それなら護衛の仕事でも何でもするから連れて行ってくれと私が頼んだのです。こちらの国には友人がいるのですが、なかなか出てこられないものですから。タイガルース侯爵の口利きなら、父上も折れてくれますし」
茶目っ気たっぷりにウィンクして説明するロムルスは、あの内戦から三年とあって、かなり体もしっかりした青年になっている。
体つきこそがっしりとしているが、その顔に前皇帝と共通するものを見つけ、マティリアの心に少し寂しい影がよぎった。
「そうですの。ロムルス様は、もう、お幾つになられました?」
「十九です。まだまだ苦労が足りんと、皆に遠慮なくしごかれております」
屈託なく笑う姿は、かつての皇妃に対する憎しみや恨みを全く感じさせない。
「十九才。・・・ご立派になられて」
「ありがとうございます。妃殿下も更にお美しくなられました」
「・・・もう、皇妃ではありませんわ」
皮肉だろうかと思いながらも、そこを訂正すると、ロムルスは首を横に振った。
「正式な立場としてはそうなりましょうが、父にとっても私にとっても、あなた様は伯父上、前皇帝陛下のたった一人の皇妃でいらっしゃいます。今現在、父は皇帝の座に就きましたが、それでもあなた様のことは特別であり続けるでしょう」
まさに、その場で一番高貴な女性に対するかのように、ロムルスはマティリアを応接室の一番上席へとエスコートして座らせる。
本来は、ロムルスこそがその席に座るべきなのに。
「何かご不自由なことはございませんか? 王族や貴族といった存在がないリベラ神国の方がお心安らかに暮らすことができるだろうと思ったのですが、・・・もしもやはり馴染まないとお思いでしたら、帝国の我がハイアレティの城でもお迎えする用意はございます」
「いいえ」
マティリアは静かに答えた。
そう、今のマティリアとシュリウスは微妙な立場だ。前皇帝の妃と皇子。しかし、その皇子は皇帝の血を引いていないことから、既に醜聞に塗れた存在である。関係者の尽力により父親の名は伏せられたが、それでも知っている人は知っているだろう。
「マティリア。あれから三年。既に新しい皇帝陛下を戴いて帝国は歩み始めている。もう、お前達が帰ってきても問題はない。我が侯爵家も父上とミレイドが亡くなった今、お前を苦しめるものは何もない」
「いいえ、お兄様」
マティリアは再び首を横に振った。
「私がもう、あの国には戻りたくないのです。・・・あの国で暮らせば、シュリウスも辛い思いをするだけになりましょう。私はただこうして異国の地で普通の女として生きていきたいと、そう考えております」
「お母様?」
ロムルスの肩の上にいたシュリウスが、不思議そうな顔になる。
今もまだ、シュリウスはかつてあったことを詳しくは知らない。それでいいと、マティリアは思っている。
いつか教える日がくるのかもしれない。
けれどもそれはシュリウスが成人してからのこと。
その時は、全ての罪を自分が背負えばいいと、そうマティリアは考えていた。
「うーん、ちょっと甘いな。シュリウス坊や。男なら『お母様』じゃなくて『母上』だぞ?」
そう言って、一人の赤みがかった焦げ茶色の髪をした青年が、ロムルスからシュリウスをひょいっと取り上げて抱っこする。その長い髪を手で掴んで、シュリウスは面白そうに軽く引っ張った。
「大体、ロムルスも固すぎるんだ。さっきも『シュリウス様』とか呼んでたし。普通に呼び捨てればいいじゃないか、お互いに。大体、シュリウスとは従兄弟同士になるわけだろ? あ、そうなるとシュリウスは私の甥っ子かぁ。・・・よし、シュリウスも私のことは、ジルードって呼んでくれていいからな」
「・・・ジルド?」
「違う。ジルード」
「ジルード」
しかし、その声は男性にしては少し高めだと、マティリアは思い、まじまじとその姿を見る。
するとその青年は赤色の瞳を瞬かせて、にっこりと笑ってみせた。
「お初にお目にかかります、マティリア様。ジルドレア・グンネール・レ・ギネスと申します。ですが、親しい人間はジルードと呼んでおりますので、どうぞそうお呼びくださいませ」
「あら、まあ」
口元に手を当てて、マティリアはその茶色の瞳を丸くした。
「女性、でしたのね。てっきり、いえ、男装なさっていらしたものですから・・・」
「全くもって問題ございません。普段は男に混じって剣を振っておりますから。・・・そこにいるロムルスも、私のことを男としか思っておりませんし」
「・・・お前は女じゃない」
「失礼な。その私と結婚しようとしているタイガルース侯爵の前で、もう一度、今の台詞を言ってみるんだな」
「・・・・・・」
ロムルスは黙り込んだ。
どうしてこう、ジルードは口による攻撃も得意なのだろう。
「いやいや。気にしないでいただきたい、ロムルス殿下。私は安心していますよ。何といっても彼女がまさに女性らしい格好をしていたらライバルが増えるだけですからね」
「お願いですから、その呼び方もやめてください。エディナート殿。正直、殿下だなんて、ガラじゃないんです」
ロムルスも何とも微妙な立場なのだ。
ハイアレティ公爵の跡取り息子どころか、今現在は、母が皇妃兼ハイアレティ女公爵をしているとあっては。
弟が育つまでの我慢なのだろうが、今のロムルスは皇帝になるにしてもハイアレティ公爵になるにしても、どちらにしても帝国で一番注目されている独身男性である。
軍に逃げたのは、まさに逃げたとしか言いようがない有り様だ。今のロムルスは、何かと言えば公的な場では一曲目のダンスのお相手をジルードにしてもらって、彼女を虫除けにしている臆病者である。
父であるかつての第二皇子、現在の皇帝には、
「我が息子ながら情けない。お前のその体は飾りか?」
と、言われたが。
だって、怖いのだから仕方がない。帝国の令嬢は、楚々とした清楚な外見を持つタイガーなのである。自分では、一気に食われてしまう。
紳士的なロムルスは、そんな令嬢に押し倒されそうになったり、いつの間にか自分の寝室に横たわっている令嬢を見つけて逃げ出したりといった経験を経て、・・・宮殿にある部屋には余程のことがない限り、近づかなくなった。
そんなジルードも、普段の自分を知られたら攻撃対象になるからと騎士の姿でやってきてはドレスの着付けをロムルスに手伝わせ、誰もが気づかれぬ間に現れ消えるという、まさにギネス伯爵家の不気味な令嬢として社交界にその名を轟かせている。そりゃ、ドレス姿の伯爵家令嬢を捜している横を、騎士の姿で通り過ぎるのだから、ノーチェックもいいところだろう。
(だけどジルードが本気で結婚するとなると、次はどうすればいいのか・・・)
実際、ジルードが結婚をすると知って、ロムルスは動揺した。しまくった。
「俺を置いて、結婚なんかしないでくれ」
とまで、つい言ってしまったぐらいだ。
「男と違って、女にはタイミングがあるんだ。このトンマ殿下が」
「えっ!? どこに女? お前の結婚相手って、やっぱり女かっ」
と、そこで完全にアホ扱いされてしまったりもしたが。
何にせよ良い機会だと考え直し、ロムルスはファルードと、レイラとのことを話そうと思って、これ幸いと同行してきたのである。
あれから三年。レイラも少しは育ったことだろう。十三才なら、貴族なら結婚相手も吟味されている年頃だ。レイラは平民だから、まだライバルはいない筈である。
その肩書きについては、タイガルース侯爵夫人になる予定のジルードが協力してくれるという話だし、どうにでもなるだろう。
そう、今のロムルスはジルードの友情によって支えられている。親友は得難き宝だ。ジルードは気持ちのいい男だ。ロムルスはそう思っている。
肝心のジルードは、ロムルスのことを、手間のかかる弟みたいなものだと思っていたが。
どちらにしても、二人は全くお互いに恋愛感情を持つ必要がない為、良い関係を築いていた。というより、お互いが自分の異性に対する好みから離れすぎていたのだ。
「そうなるとこちらのジルドレア様、いえ、ジルード様とお兄様が結婚なさいますの?」
「ああ、そうだよ。私としては、こんな年の離れた男よりも、ジルにはもっと若く素敵な男性がいるだろうと思うのだが・・・。それでもジルは私のプロポーズに頷いてくれたしね」
エディナートが、それでも幸せそうにマティリアに頷くと、シュリウスを抱いたままのジルードがその傍へと歩み寄る。ジルードとシュリウスと、その額に順にキスするエディナートの表情はとても穏やかで、マティリアも涙が滲んだ。
(分かった上でジルード様も受け入れてくれているのね、シュリウスのことを)
三年前のあの日、ハイアレティ公爵に味方したタイガルース侯爵家の長男エディナート。そしてロムルスに味方したエスリーダ王国とリベラ神国の兵士達は、一気に帝国軍とぶつかった。
けれどもその結果は、分かりきっていたものだった。
そう、既に帝国側にいる筈の皇帝は病床にあって長く、そして皇太子はハイアレティ公爵家の人質となっていたのだから。
父であるタイガルース侯爵と、双子の弟であるミレイドを殺し、エディナートは新しいタイガルース侯爵となった。本来は失脚する筈のタイガルース侯爵家だったが、エディナートは長い年月をかけて、父と弟を排除する為に動いていたことを考慮され、そのまま侯爵家は残された。
そして、後宮にいた自分の所にやってくると、エディナートはマティリアに頭を下げた。今まで気づかなかったことを許してほしい、と。
泣きながら今までの辛さを訴える以外、何が出来たと言うのだろう。
皇妃とは名ばかりの、マティリアは後宮に閉じ込められたカナリアだった。父と兄に命じられるまま囀るだけの、力なき小鳥。
「お兄様。私、幸せですの」
マティリアは微笑んだ。
「だって私、今まであの国で何も許されていませんでしたもの。今では私、ちゃんと好きなことが出来ますのよ。たとえば今日はシュリウスと一緒にお外で散歩しようと思ったらそれも出来ますし、それに包丁も使っても怒られませんの」
かつては、自殺されてはまずいからと、マティリアは爪を切ることすら自分では許されなかった。
常に監視されていた。誰かと会う時も、全て見張られていた。誰かに頼ろうと、自分の状況を匂わせるだけで、兄のミレイドに折檻された。
「誰かと話していてもその内容を報告されない、そして罰として陛下に毒を盛られない、そんな日々を、私、今ようやく手に入れてるんですわ」
「マティリア・・・」
エディナートが力強く妹の体を抱きしめる。
その背中に手を伸ばして、マティリアはずっと心の中でその名を呼んでいた兄に縋りついた。
「すまなかった」
いつしかロムルスとジルード、そしてシュリウスはいなくなっていた。
「許してくれ、マティリア。あまりにも愚かだった兄を」
「お兄様、お兄様・・・」
若かったあの日、ふと宮殿の庭で目が合った彼の素性を知らないまま、恋に落ちた。そして彼が皇太子だと知らないまま、様々な行事でその顔を見かける度、互いに視線で姿を追い続けた。
やがて彼が皇太子だと知り、そして彼が自分を望んでくれたのだと知って、どれ程嬉しく思ったことだろう。
なのに唯一の妃として後宮に迎えられても、子供は出来なかった。
情けなさに涙しながら詫びた自分。それでも彼は責めなかった。それどころか、恐らく体の弱い自分に原因があるのだろうと、そう言ってくれた。
いずれは弟に帝位を譲ればいいし、君に子供を作らせてあげられないのは申し訳ないけれど二人で仲良く生きてくれないかと言われて、どんなに幸せだったことだろう。
彼さえいてくれれば、自分はそれで良かったのに・・・。
まさか父と兄があんなことを考えつくと、どうして自分に予想できたのか。
(陛下を見舞うことすら、最後には許されなかった)
愛した彼の子供を産みたかった。
シュリウスが産まれた頃はまだ元気だった彼は、シュリウスが自分の子ではないと気づいていたのではないのか。
それでも何も言わなかった。ただ寄り添って愛を囁いてくれていた。
「わっ、私は・・・っ」
「ああ、分かっている」
シュリウスが可愛くないわけではない。自分が産み落とした子供だ。
けれども・・・。
できればあの人の・・・。あの日、初めて互いの瞳を見交わした彼の子供を・・・。
マティリアは、言葉にならぬ思いを含ませた嗚咽を洩らした。
シュリウスを連れて外の庭に出たロムルスとジルードは、互いに気まずい思いをしていた。
「もっと早く気づいていれば・・・」
「そのまま暗殺されていたかもな」
ロムルスの吐露した思いを、ばっさりとジルードが叩き斬る。
シュリウスは、プレゼントにと連れてこられた驢馬を見て興味津々だ。使用人達が驢馬はとても使いやすいのだと教えたからだろう。そして、その背に乗せてもらって大喜びである。
馬は危なすぎると思ったのだが、やはり悪くないチョイスだったらしい。
「お前は知ってたんだよな、ジルード」
「さすがに、陛下に毒を盛るような脅しまでされてるとは知らなかったよ」
既にタイガルース侯爵は全ての実権を握っていた。それをどうにかする為には、思い付きでは何も出来ないと判断し、エディナートは慎重に、それでいて確実に全てを進めていたのだろう。
自分の愛する少女すら、ロムルスの為に・・・。
ん? と、そこでロムルスは考え込んだ。
「そうだ、ジルード。お前、結局俺の所に来てたのって、ギネス伯爵とタイガルース侯爵、どっちの差し金だったんだ? 単に見合いして結婚を決めたんだろうって思ってたが、道中の様子を見てても、お前、実はもっと前から知り合いだったんだろう?」
「へ? 両方だけど?」
さくっとジルードは答えた。そしてパンパンとロムルスの肩を叩く。
「おかげで両方からそれなりの物はもらえたしな。いやあ、ロムルスのおかげで稼がせてもらったよ」
「おい」
「それにエディったら、責任感じてくれちゃってさぁ。エディが大事に思っているロムルス殿下の令嬢避けの為に苦労してるけど、おかげで不気味な噂も立ってしまって結婚相手も見つからない、責任とって結婚してって言ったら、すぐプロポーズしてくれるし。うん、ありがとね」
「ちょっと待て」
別にジルード相手に恋愛感情は全く無い。
それどころか、こんな奴と結婚しようと思う男の気が知れない。
ロムルスはそう思っている。
けれども、だ。
何故だろう。この、心によぎる悔しさというか、・・・不満は。
ジルードは、数歩だけ歩いて離れると呟いた。
「君が生きててくれて良かったよ、ロムルス。そしてマティリア様も殺さないでいてくれてね」
「・・・あんなお気の毒な目に遭っていたと知って、どうして殺せるんだ」
「そんなの、知らない間は君だってマティリア様を憎んでいたくせに」
ぐっと、ロムルスは口ごもる。
それはその通りだ。
「エディはかなり気に病んでてさ。お気の毒なマティリア様が、そして皇位継承者の君が、もしも命を落とすようなことがあったら、あの人、自分も死ぬ気だったんだよね」
その口調に風へと溶けていきそうな切ないものを感じて、ロムルスはあの時のことを思い返す。
(そうだ。こいつは、真っ先に離れて後宮へと向かった。あの時は皇妃を逃がさない為か、捕らえる為だろうと思っていたが。そして、エディナート殿も真っ先に向かっていたのは、やはり妹への情かと思っていたが・・・)
その場では皆に合わせ、皇妃こそが諸悪の根源だと言っていたジルード。だが、そうして仲間の油断を誘い、ジルードは自分の手勢と共にマティリアを保護する予定だったのだろうと、今なら分かる。
(お前は複雑すぎるんだ、ジルード。最後の最後まで、本当に目的が分からない)
いや、彼にしてみれば自分の目的に向かって突き進んでいるだけなのだろう。
(あ、違った。彼じゃない、彼女だ)
そんなロムルスの心中も知らぬ気に、「さすがにハイアレティ公爵は無事だろうと踏んでたらしいけど」と、ジルードは続けた。
「ありがとう、ロムルス。君が生き延びてくれたおかげで、やっとあの人を捕まえることができた」
そう言って振り返ったジルードは、いつものようにふてぶてしい顔をしていた。
赤みがかった焦げ茶色の髪を一つに束ね、強い意志をその赤い瞳に宿して。
「お前にとっては皇帝の座を奪う戦いすら、男を手に入れる為の手段かよ」
「勿論、そうさ」
くるりと、赤い瞳が面白そうな光を宿す。
「そういう手強い人だったんだよ。真面目すぎてね。そして信念に生きる人だったから」
そうかもしれないなと、ロムルスは思った。
何にしてもジルードに目をつけられたのが自分でなくて良かった。この男相手に、いや、この女相手に、逃げきるのはかなり難しいとしか思えない。
「なあ、ジルード」
「何だ?」
「一生、友達でいてくれ」
「・・・いいけど、今、言うこと?」
「いや、何となく」
敵にしたくない奴は味方にしておくに限る。ロムルスは、ジルードとは永遠にいい友達でいようと決意した。
チュンチュンと、小鳥の声が響く。
「来たか、スズ」
ザイは、慣れ親しんだ雀の姿を認め、手を差し出した。すると、その腕に小鳥が羽ばたいて掴まる。
その小鳥の頭を「いい子だな」と撫でてやりながら、ザイはその筒から手紙を取り出した。
「ザイへ
元気? パパに子供が出来たなんて、びっくりしちゃった。だけど嬉しいな。
えへへっ、私に弟が出来たんだよね。ロッジ君かぁ。どんな子かなあ。まだ夜泣きとかするのかなぁ。あ、私、赤ちゃんの世話は自信あるんだよ。だって、赤ちゃんだったことがあるんだもん。
スズちゃんより早い便なんてないから、お祝いは別に送ったけど、きっと届くのはとても後だよね。それはしょうがないかぁ。
うふっ、まさかパパ達もザイが私にこんな方法でお手紙出してるだなんて知らないから、きっとお祝いが届いたら驚くよね。ロッジ君も喜んでくれるかなあ。まだ赤ちゃんだから分からないよね。それでもいいや。だって、赤ちゃんはみんなに愛されて産まれてくるんだもん。
ふっふっふ、実は千里眼のリリエルちゃんなのですって、パパに言っておいてね。
もうザイが女の子の格好、似合わないなんて残念だな。だけどしょうがないよね。
私だってもう十三才だもん。もう立派なレイディだよねっ? だから、淑女に対する礼儀を要求してみたの。なのに、ライジード王子は私に、
『胸がないうちは貴婦人なんかじゃない』
とかって言うの。ひどいよね。
す、少しは胸だって・・・、その内には・・・・・・。
なのにそれを話したら、お城の偉い大臣様が、
『ふむ。たしかに儂の方が胸はありますな』
って言ったの。そりゃその人、お腹がたぷたぷっとしていて胸もちゃんとあるんだけどっ、それって、それって何か違うよねっ!?
おっさんに負けたんだって思って、離宮に帰ってからそれを話したら、
『あらあら。大丈夫ですわ。ミルクを飲んで沢山ご飯も食べていれば胸も出来ますよ』
って笑われて終わりになっちゃった。
だけどそうじゃないの。そうじゃないのよ。考えてみれば、私は胸を大きくしたいんじゃなくて、淑女として礼節を保って礼儀正しく振る舞ってほしいだけなのよっ。
なのに、どうして未だに私は子供扱い・・・。
私の妹になったシアラちゃんは、私より年下でもちゃんと小さな貴婦人扱いされているっていうのに、この差は何なの?
どうやったら、ツンと気位も高そうな淑女になれると思う?
ところで、里帰りの件ね。
言い出してみたけど、かえって、うん、ほんと、なんてゆーんだか、王子様がどんだけ心狭いかを再認識しちゃった。うん、分かってた。分かってたわ、私。ごめんね、ザイ。
その内、機会を見つけて、・・・ウン、見ツカルトイイナ。
また会えると思うから、心配しないで。
髪が黒っぽくなったって書いてきてたけど、そんなザイってきっとカッコいいよね。早く見たいな。
ふふっ、だけど見なくても、私、その顔が分かるって言ったら驚く?
私、ザイがワイルドになっている姿をきっと知ってるわ。
ルーセット神殿に置いてきちゃった首飾りがザイの所に届いてるなら良かったけど、きっとアレ、かなり今のザイに似合ってるわよねっ!? いやーん、素敵すぎる。
あ、そうしたらまたね。スズちゃんが伝書雀なのは内緒だから、こっそりお手紙を書いて出さなきゃいけないのがちょっと面倒なんだけど、それは仕方ないかな。大好きだよ、ザイ。無茶はしないでね」
ザイは溜め息をついた。
本当にリリエルはどこにいるのだろう。
実は、エスリーダ王国に行く便を見つけて赴いたことがあるのだ。しかし、王宮にも離宮にも、リリエルという名の女の子はいないと言われてしまった。
しかもリリエルの特徴を話しても、全く該当者はいない、と。
外国人とみて侮られているのかと思い、こっそりと何日もの間、城を出入りする場所を街角から見張っていても、リリエルの姿を見かけることはなかった。
(エスリーダの城にいることにして、リリエル、お前はどこで何をしているんだ)
けれどもこんなにも詳しくお城や離宮であったことを書くことができるのだから、何らかの関係があることは間違いないだろう。
自分はいつまで騙されているフリをしていればいいのか。
けれども、それは嘘だろうと、自分はちゃんと迎えにも行ったのだと書いたら、リリエルは返事を寄越さなくなってしまうかもしれない。
だからザイは、リリエルの話に合わせるのだ。
いつか戻ってきてくれることを信じて。
もう、そんな日は来ないのだろうと思ってはいるけれど。
(だが、リリエル。胸なんて大きくしなくていい。ずっと子供扱いされとけ)
何が淑女扱いだ。冗談ではない。あの顔で女性扱いされてしまっては、もう手遅れだ。
ザイはそう思った。
「スズ。油と酒はあるが、まず羽を見せな。ちゃんと手入れしねえと、道具ってのはすぐ駄目になっからな」
そう話しかければ、チュンッと小鳥が両方の翼を広げる。そしてシャキーンッと刃を出した。
そこから刃を一本一本抜き、ザイは手入れを始める。
リリエルが小鳥のメンテナンスをザイに頼むのは、こんな小鳥の存在を周囲に知られたくないからだろう。それに盗賊村の自分達は、変わった武器にも慣れている。変わった刃ですら、手入れや作成に困ることはない。
本当は自分も欲しくなったザイだったが、通りすがりの旅人にもらった物だとリリエルが書いてきたので、それは諦めた。
「リリエルへ
そうだな、十三才だよな。きっと背も伸びただろう。
俺の顔が分かるというけど、どんな顔を想像しているのやら。きっと、思っていたのと全く違うと、そう文句を言うだろうと、俺は確信しているけど。
いつか、答え合わせが出来るといいな。
胸、ねえ。男の俺には分からないけど、まあ、小さくても可愛いんじゃないか?
それに子供扱いなら悪いもんでもないだろう。大体、淑女といえば、ささっと針と糸とを操って綺麗な刺繍をしたり、詩を読んだりしているアレだろ? リリエルには無理じゃないのか?
お菓子もくれるんだし、子供扱いは悪いことじゃない。まだ子供でいろ。
シアラはどうしても立場上、色々とあるから仕方がない。
ああ、そうだ。今回もスズの刃は研いでおいてやるし、補充もしておいてやるが、一体これはどんな鳥なんだ? 血がついているが、お前が怪我したわけじゃないんだよな?
何かあったらスズを飛ばせてくれれば、いつでも迎えに行く。
リリエル。お前こそ、無茶はするな。
マイオスさんもロッジの祝いが届けば喜ぶだろうが、一番マイオスさんが待ち望んでいるのはお前なんだからな。
ところで、この鳥、夜でも光を出せるならそう言っておいてくれ。前回、それを知らずにいたものだから、目が潰れるかと思った。不思議な鳥だが、とても役立ったよ。それじゃまたな。ザイ」
現在、大神殿に所属しているファルードは、一騎士としてやってきた、帝国の皇位継承権第一位の青年を前にして何とも言えない顔になっていた。
面会を申し込んできた騎士二名。その名はジルード。そうなれば、すぐに会わない筈がない。
「あのさぁ、ロムルス。別に来るのはいいんだよ? 来るのはね。だけどさ、自分の立場ってのをもっと自覚してほしいなって思うんだ」
「立場・・・。帝国の第一軍所属のロムルス・ハイアレティだな」
その公爵家の息子というのも重要人物であることに変わりはないのだが。
だが、それよりも重要な今の名前を、彼は故意に忘れているとしか思えないファルードだ。
「いや、そっちじゃない方。あのねぇ、ジルードも止めてくれなきゃ。何かあったらどうしてくれるの。国際問題だろ、完璧に」
「かえって誰にも言わずに出てきた方が安全かと思ってな」
「そりゃそうかもしれないけど」
駄目だ、ジルードはロムルスの味方だと、ファルードは溜め息をついた。
それでもロムルスではなくジルードの名前で訪ねてきてくれただけ、まだマシなのだろう。それすら、本名ではないが。
大体、ジルードはジルドレアという名のれっきとした貴族令嬢だ。
「まあ、いいよ。良かったらうちに来てよ。神殿の部屋よりもそっちがいいだろうからさ」
そう言ってファルードは大神殿近くにある屋敷に二人を案内する。それはイディラートの屋敷だが、今はファルードが使わせてもらっていた。
何故ならイディラートは今もルーセット神殿の神官長をしているからである。
現在、帝国の前皇妃を受け入れているリベラ神国は世界に向けて、慈悲深きリベラ女神の代行者、調停役としての立場をも、声高らかに謳いあげている。
恐らく、前皇妃についても色々と訊きたいことはあるのだろうと、ファルードは思ったのだ。何にしても屋敷が一番気楽だろう。
その日はそこで切りあげたファルードだったが、それでもやはり友人の元気な姿を見ることができて嬉しかったのも事実だった。
「え? レイラはリベラ神国の人間じゃなかったのか?」
「そうだよ、ロムルス。レイラから聞いてなかったの? まあ、レイラってのも偽名だったらしいんだけど」
三人でテーブルに並べられた様々な肴を取り分けながら、ファルードは答えた。
「僕も騙されちゃってたけど、あの髪も染めてたらしいんだよね。本当はリリエルって名前だったみたい。いや、ほんと、レイラったら変装が上手すぎて分かんなかったよ」
ルーセット神殿の神官達が特別扱いしていた、水色の髪に青い瞳のリリエル。レイラの正体はそれだったと知って、びっくり仰天したのはファルードだ。
あの愛らしい顔立ちの女の子が、きりっとした印象のある顔に化けられただなんて、どんな魔法かと思ったぐらいに。
しかも、彼女はかなり特別な子だったらしい。
「ただねえ、あの子、まだチェンジン国には帰って来てないらしくってさ」
「レイラはチェンジン国の子だったのか」
呆れたようにジルードが呟く。
自分もレイラが変装していたとは全く気づかなかったが、兄妹として生活していたファルードが気づかないのはあまりにも鈍くないだろうか。
これだから男ってのはと、ジルードは溜め息をついた。
「そう。何度か定期的に様子を見に行かせてるけど、まだ帰って来てなかった筈なんだよ。だけどイディラート様が、レイラ、いやリリエル、いや、もうレイラでいいや。そう、レイラには無理強いをしてはいけないっておっしゃるし」
だから連れ戻しにも行けないんだよねと、ファルードはぼやいた。
「無理強いするなって、いや、だけど子供なんだから帰れないだけだろう?」
「ううん。イディラート様に言わせると、レイラはその気になったら帰国だろうが、もしくはどこかに行くのですら、なんてことはないらしいよ。あ、イディラート様、つまり僕の父上になる方は、物見の能力をお持ちな方でね」
「物見?」
「そう。様々なことを見通すというか、全ての事象の本質を見抜いてしまうというのか、・・・ご本人に言わせると、分かったところで何の役にも立たない力だと、そうなるらしいけどね。だけどイディラート様のおっしゃることを無視して押しきった人間ってのは、大抵、自滅するね」
「へえ」
ロムルスは、さすが女神を祀る国、不思議な人間が生息しているもんだなと、そう思った。
「レイラは心の赴くままに動き、そしていつか自分の居場所を選ぶんだってさ。だから、僕と一緒にリーングにまで行ったのは、きっとロムルスと出会う為だったのだろうと、そうイディラート様はおっしゃっていらした」
「俺っ!?」
驚いてロムルスが目を剥く。ジルードも興味深そうにワイングラスを持っていた手をテーブルに戻した。
「そう。あの時、僕は君のことをテルノス辺境伯に話して協力を仰ぐつもりだったけど、あの場にはジードも来ていた。そしてロムルス。君が舞踏会に乗りこめる招待状をジードに用意させたのは、レイラだ。その結果、僕達はどうなった? レイラが君といなくては出来なかったことだ。・・・本当に、不思議な子だったよ。さすが静謐の塔が目をつけるだけはある」
「・・・ああ。遠慮なくぶっ壊してくれたな」
三人の脳裏に、あの惨状が蘇る。
「レイラは、周囲に嵐を呼び起こす存在なんだって。だから好きにさせた方がいいと、無理矢理に何かをしようものならとんでもないことが起こるだけだって、そうイディラート様がおっしゃったこともあって、僕も心配はしていないんだけど」
だが、真面目なロムルスはそこで反論した。
「いや、心配ぐらいはしてやれ。あの子はまだ子供だぞ?」
「そうは言うけどさぁ」
ファルードも疲れた声になる。
「あの子に何か危害を与えようとしたら、与えた方が倍以上の被害を被るって、イディラート様も断言なさったし。実際、思い出してみなよ、ロムルス。あの子、傷つけられたりとか、辛い目に遭わされたりとか、そういうこと、一度でもあった?」
ロムルスとジルードが考え込む。
言われてみれば、レイラがそんな苦労とかしていた例はない。役立たずだと認識された子供は、お菓子を渡されて「いい子だから大人しくしておいで」で、終わっていなかっただろうか。
「レイラが太平楽だったのは、お前が甘やかしすぎていただけだろう。自分でそう仕向けておいて、何を他人事のように言っているんだ」
ジルードが、端的に指摘する。
「否定はしないけど。・・・だけど考えてもみなよ。それでも僕がいない間でも、あの子が危険な目に遭ったこと、ないんじゃないの?」
なるほどと、そこはロムルスとジルードも思う。
「僕だってさぁ、レイラには会いたいんだよ? だけどイディラート様に、どうせあの子は会いたくなったら自分からやってくるからお前は普通に自分のすべきことをして待ってろとおっしゃるし。そうなったら日々の仕事を頑張るしかないだろ? ロムルスも自分なりに生きてれば、あの子、自分からやってくると思うけど?」
「・・・それを信じろと?」
「うーん。イディラート様はそうおっしゃってたけど」
ロムルスの気持ちは分かる。
しかしルーセット神殿に戻り、皆に詰め寄られた身としては、そうとしか言いようがないのだ。
彼女にどういうことをしようとした人間がいて、その人間に何が起こったかだなんて、・・・気の毒すぎて自分には言えない。
ファルードは目を泳がせた。
「だけどレイラが誰かを選んだら、諦めろともおっしゃってたしね。まあ、そこは割り切って待つさ。僕はあの子が幸せならそれでいいんだし」
「・・・それは意外だな。てっきり私は、ファルードはレイラを妻にするつもりだろうと思っていたのだが」
「それは否定しない。あの子は可愛かったし、どっちの顔が本当の顔でも僕は気にしないしね。だけど僕にとっては、レイラが幸せでいればいいってことぐらいなんだよね。大事なのは」
ファルードはそこでワインを一口飲んだ。
「そりゃ勿論、僕を選んでほしいけど、あの子が望むなら誰であっても祝福したいと思ってるよ。僕はきっと、あの子が幸せに笑えるならそれでいいんだ。僕にとってレイラはそういう対象なんだろうな。そう、自分の感情よりもあの子の想いを大事にしてやりたいぐらいに、・・・愛してる」
ロムルスは何か言おうとして、けれども言葉にならず、そこで自分もワインを口に運んだ。
「愛、ね。もう三年も会っていない子供にか?」
「年月も年齢も関係ないよ、ロムルス。なら、どうして君は三年もたってるってのに、一時期だけ一緒にいた子供のことを僕から聞き出そうとするのさ。そういうことだろ?」
とは言いながらも、レイラがザイに失恋してくれれば、自分との愛が始まる確率が高いとも踏んでいたファルードだ。
レイラがあれ程口にしていたザイ少年は、リミダ村に一人しかいない。
ザイはピルッポの街によく行っていると聞いた為、実は玄人の女性を雇い、彼を誘惑するように仕向けたのだが、彼は摘み食いこそしても本気にはならない、たちの悪い青年だった。
(レイラの話だと純朴な感じだったのに。・・・どう考えても、女性に対してのめりこまないタイプなんだよねぇ)
しかし彼が村に引き取ったという、ピルッポの街を名目上だけ任されている少女はかなり可愛がっているらしい。ではその少女と恋仲かと言えば、まさに妹のように可愛がっているだけだとか。
今もまだレイラに対して心を残しているのか、それとももう忘れているのか。
ザイの様子からそれを知ることは出来なかったらしいが、それは仕方ないことだろう。
誰だって自分のそんな気持ちを人にペラペラ喋ったりはしないものだ。
「ま、それはそれさ。そんなことより、ジルードが結婚するなら、何なら結婚式はうちでやってく? かなりご利益あると思うよ? 何て言ったって大神殿だし。勿論、その時はジルードの結婚式、神殿の予定にねじりこませてもらうけど?」
「有り難いが、それは不要だ。何といっても相手が前皇妃の兄とあってはまだ色々と、な。もう内々に済ませたと発表して終わらせるつもりだ」
「・・・それでいいわけ?」
「ああ。元々、結婚する気などない人間をここまで持ってこさせたんだ。十分満足さ」
ロムルスとファルードは黙りこんだ。
謙虚なんだか傲慢なんだか、本気で分からない。
気を取り直して、ファルードは新しいワインの栓を開け、新しいグラスに注いで二人にも配る。そうしてそれを掲げてみせた。
「じゃあせめて乾杯。ジルードの幸せな結婚生活を祈って」
「そうだな。ジルードの平穏な日々と、これからの幸せに」
ロムルスも茶目っ気たっぷりにグラスを掲げてみせる。ジルードもグラスを掲げて言った。
「帝国の繁栄と、リベラ神国の安寧を祈って」
三人のグラスが軽く、チンと音を立てる。
「乾杯」
三人の声が揃って、室内に響いた。
最近のレイラは貞操の危機だ。
さすがの自分も十三才。いや、まだ子供だが、さすがにあと二年ぐらいしたらヤバイと、それは分かっている。
だからせめて部屋は分けようとライジードに何度も言っているのに、
「まだレイラは子供だから。夜だって一人じゃ怖いだろう?」
などと、ぬけぬけと言う始末。
(おのれっ。都合のいい時だけ、人を子供扱いしおってからにっ)
これではなし崩しに愛人か妻かは知らないが、それ一直線ではないか。
だから、狭いお部屋なんて嫌だと言ってみたら(別にライジードの部屋は狭くなどなかったが)、なんとあの王子様、壁をぶち抜いて部屋を広くしてくれやがったのである。
おかげで未だに寝室も一緒、居室も一緒、まさに同棲生活である。
(そりゃ別に、ジードを嫌いなわけじゃないけど)
それに、恐らくライジードは自分以外の奥さんを持たないような気もしている。
だから問題はないのかもしれない。だが、しかし。
(愛が重すぎる・・・)
ライジードの愛はかなり重い。あんなにも爽やかに誰に対しても愛想をばらまいている癖に、レイラに対しては完全にランク違いの執着を向けてくるのだ。
(注意してもらおうにも、ライジードのお母さんな正妃様、罪悪感バリバリで何も言えないらしいんだよね)
まあ、母親にしてみれば大事な息子が傷ついて心を閉ざしていたのがやっと立ち直ったとあれば、レイラに対する執着程度、お目こぼしもできるのだろう。ヘタに口出しして元に戻られてはたまらないと、そう思っているらしい。
ならば父親はどうだと、国王にトライしたら。
(あのにやにや陛下、「その微笑も美しい貴族令嬢は多々いるが、いざとなれば帝国にもリベラ神国にもプライベートな直通コネクションを持っているお嬢さんは有り難いね」って、それで終わらせてくるしぃっ)
それもこれも、全てはファルードが悪い。
どうやらファルードはかなり真面目に仕事をしているらしく、リベラ神国でも一番大きな大神殿への配属となったそうだ。そして順調に出世しているらしい。
神官の出世ってのが、どういうものなのかは分からないが。
(おっかっげっでっ、妹だと思われている私の価値が上がってしまってんじゃないのよーっ)
ああ、ファルード。まだ十九才なんだからそんなに出世を急ぐ必要なんてないじゃないの、と。
言えるものなら言いたい。だけど言えない。それは自分が本当の妹ではないから。
まさかファルードもレイラが自分の妹としてエスリーダ王国に滞在中とは思わないだろう。
けれどもファルードが出世しないでくれていれば、とっくに自分は役立たずな平民の娘として追い出されていただろうに。
ついでにロムルス。頑張ってまだ軍にしがみついてるらしいけど、今や皇太子になってるんだよね? 一体、二人してどんだけ出世しちゃってんの。
ああ、ザイ。
本気で帰る気はあるんだよ? 手紙読んでても、もうかなり信用を無くしているのは分かるけど。
「レイラ、ここにいたのか。良かった。直営店の責任者が来ていてね、レイラのデザインしたドレスは好評だそうだが、できればもう少し安価な物も揃えていきたいと言っていた。販売数の記録も置いていったよ。見てみるかい?」
「うん」
庭園にある四阿でごろごろと寝転がっていたレイラに、木々の間から現れた甘い笑顔の王子様が呼びかけてくる。赤かった髪は、もうほとんど黒になっていて、太陽の光で赤みが分かる程度だ。
レイラがぴょんと飛び起きて駆け寄ると、心得たようにその腕が包みこむ。
「どうした。今日は甘えん坊さんだな」
「そんなことないもん」
だけど、こうしてライジードの傍にいるのは心地よい。愛が重すぎるのは困るが、絶対に自分を嫌いにならないと分かっている存在はとても安心する。
レイラが望めば、こうして様々な仕事もさせてくれるし、その時には大人として扱ってくれる。
甘やかすだけじゃなく、レイラの取り分としての報酬は、ちゃんとその労力と成果に応じたパーセンテージで決められていた。
「ところでレイラ」
「なぁに?」
その報酬で得たお金を貯めて、ライジードの為にとても座り心地のいい椅子を買った。頭の天辺から足先まで支える、それこそ居眠りにはぴったりの大きな椅子だ。疲れた時には、ライジードはそれに座って休んでくれている。
それが嬉しいレイラだ。
「昨日、お城でかなり長い立ち話をしていたらしいね。それも十五才の貴族子弟と」
「・・・・・・・・・」
その嫉妬深さは全く嬉しくないが。
「金髪に深緑の瞳をしていたって?」
「あれは、その・・・。妹さんに贈る小物の相談を受けていただけで・・・」
「彼に妹はいない筈なんだけどね?」
「・・・(知らんわっ、そんな事情っ)」
いつも不思議になるのだが、どうして冷たい瞳で笑顔を作るという離れ業をマスターしているのだろう、この王子様は。
にこにことしているライジードは、いつもレイラに
「君は自由にしていいんだよ」
と、言う。だが、その自由の定義はどう考えても自由ではない、束縛だ。
「だって本当に・・・。妹さんに贈りたいからって、だからジードの扱っているあの店での売れ筋は何かって言われたのに」
だから自分はせっせと説明したのだ。
大人びた女の子にはこんなのがいいですとか、可愛らしい物が好きならどちらかというと違うお店のこういう物が喜ばれますよとか、何よりも大事なのはその女の子が何を好きかということだと。
(そんなの、知らないもん)
だって自分は知らない。
本当にそういう妹がいるかどうかなど。この王国にどんな貴族の人達がいて、その家族構成や縁戚関係など、分かる筈がないのだ。
「ごめん、レイラ。そうだね、君は悪くない」
ライジードの唇がレイラの眦に触れていく。
「ちょっと妬いちゃっただけだよ。さ、機嫌を直して。きっと彼も、妹みたいなどこかのご令嬢に何か贈りたいと思ったんだろうね」
嘘だ。絶対にそんなこと、ライジードも思ってはいない。
けれどもレイラは、「うん」と、頷いた。
きっとライジードは、レイラが他の人間を見ることを許したくないのだ。
実際、今の離宮はレイラに優しい人達だけで構成されている。この離宮には貴族の血を引く人も多く勤務していて、そういう人達にしてみれば平民のレイラを「お嬢様」と呼ぶのは抵抗もあったことだろう。
けれど、レイラに対してどこかよそよそしかった人はいつの間にか姿を消していた。
(ここは私の為に作られた、あなたのお城なのね)
ライジードにとって、自分が安らぐ為の離宮。
その中心にレイラを据えて、彼は徹底的に保護してくる。
「早く十六才になってね、レイラ。そうしたら君の要望を全て取り入れた結婚式を挙げてあげるから」
「・・・・・・できれば私、仕事に生きる女になりたいです」
「大丈夫。仕事もさせてあげる。君の自由を、私が奪うわけないだろう?」
「・・・・・・(奪ってますがなっ)」
違うというなら、私に自室の自由をください。
その言葉を何度言ったことだろう。しかし、それと引き換えに今すぐ私と結婚しようねと、ライジードは交換条件を出してくるのである。王族は十才未満での結婚も多いのだとか。
駄目だ。これでは自分の人生、ライジードしか選べなくて、妻まっしぐら、である。
(あ、侮れない。さすが王子様。人にノーを言わせない押しの強さと粘り腰だけは他の追随を許さない)
レンダーなど、
「もう諦めてそのまま流れに任せてみてはいかがですか?」
と、すんごいなげやり意見だった。ふざけんな、である。
「ジード。私はもっとあっさりとした関係が好みなのです」
「大丈夫。いっそ溺れきってみたら物足りなく思えるよ」
ああ、どうしてこの王子様は・・・。
だから自分は今までずるずるときてしまったのかもしれない。
レイラはげんなりとせずにはいられなかった。
だけど一番げんなりとしてしまうのは、そんなライジードの愛をちょっと嬉しいと思ってしまう自分なのかもしれない。
帝国におけるタイガルース侯爵家。
今や父と双子の弟、そして皇妃であった妹までをも裏切って生き残った新侯爵に対し、世間は厳しい目を向け続けていた。
肝心のエディナートは沈黙を守り続けていたが、新皇帝がエディナートを信頼しているのは、中枢にいる人間なら誰でも知っている。
そのタイガルース侯爵の住む邸に大がかりな工事が入り、そして綺麗に整えられた部屋に新しい女主人が迎えられたことは、届け出こそ出されたものの侯爵家に見合う披露宴も何もなかったことから、あまり人々に知られていない。
「だけどエディ。どうして私の部屋の方があなたより広いの?」
「勿論、ジル。せめてもの気持ちさ。ギネス家の方々も、まさか君が私と結婚だなんてと、お母上なんて寝込まれたっていう話じゃないか」
「母が寝込んだのは、田舎で大人しくしていると思っていた私が、全くそうじゃなかったと知ったからだと思うけど」
祖父と内緒の契約をして帝国軍に紛れ込んだのは、それこそ祖父のギネス伯爵とジルドレアしか知らないことだった。
それまで両親も兄姉もジルドレアは田舎でのんびり過ごしていると思い込んでいたのである。
なのにいきなり現れたと思ったら、何故かロムルス新皇太子殿下とダンスをしているし、それでいてどこで何をやっているのか、いきなり現れて消えているし、問い合わせを受けても実家であるギネス伯爵家には全く寝泊まりしていないので分からないという有り様だった。
だが、毎度毎度ロムルスと踊っているのだから、それこそジルドレアは皇太子妃になるのではないかと、そう周囲に焚きつけられ、そうかもしれないと喜び勇んだ途端、肝心の本人が邸に現れ、タイガルース新侯爵と結婚すると宣言して出て行ったのである。
笑い転げていたのは祖父のギネス伯爵だけで、両親も、そして妹が新皇太子妃になるという話に翻弄されていた兄姉も、呆気にとられて見送るしかなかった。
「本当に困った子だね、ジル。だけど落ち着いたらギネス邸にも顔を見せてあげなさい。かなりお疲れになっている様子だったよ」
「まあ、気がむいたらね。大体、田舎に放り出しておいて何年も顔を見ていなくても平気な家族なんだから、最初から私に興味なんてないと思うけど。そんなことより、今日はタイガルース城の話をしてよ。いずれ連れて行ってくれるんでしょう?」
「ああ、勿論。城の方はジルの好きに改装すればいい。来月には連れて行けるだろう」
「あんなに近かったのに入ったことはなかったから、楽しみ」
「これからは、ジルが女主人になる城さ」
恥をかくだけだからと田舎に追いやられた彼女の暮らしていた場所は、タイガルース領内とかなり近く、ふらふらと出歩いていた森の中で二人は出会った。
エディナートは彼女をそこらの村に住む平民の少年だと思っていた。ジルードと名乗ったからだ。少女だと知った時には驚いたが、彼女は平民にしては賢く、そしてエディナートの苦悩を、あまり詳しく説明しなくても分かってくれる子供だった。
今にして思えば、彼女は貴族としての情報にも触れていたから、エディナートが多少を誤魔化したとしても、ある程度の察しをつけていたのだろう。
エディナートとほとんど変わらない背丈のジルドレアが、そっと寄り添ってくる。
「傍にいる、エディ。ずっとこれからは・・・」
「ああ。傍にいてくれ。君だけがいればいい」
エディナートはジルドレアの腰に手を回して強く引き寄せる。
「愛してる、ジル」
その言葉は、ジルドレアの唇の中へと消えていった。
そうしてギネス伯爵家令嬢のジルドレアは、タイガルース侯爵夫人となった。




