19 その温もりを抱きしめて
レンダーは、どう立ち回るべきかと考え込んでいた。
(まさか、あんなにも固い友情で結ばれていたとは)
誰がそんなことを予想しえたというのか。よりによって、帝国の幼き皇子に何かあろうものなら次の皇帝の座すら夢ではないハイアレティ公爵家の長男が、リベラ神国の一神官であるファルードと、あんなにも強い絆で結ばれているなどと。
自国のライジードですら、まず国内で本当の親友など作るに作れない立場だ。学友ですら友情よりも先に、王族・貴族としての立場がまず来る。そんなライジードが他国の少年と友情を育むだなんてことがあり得ないように、まさか公爵家のロムルスが既にそんな友情を他国の少年と築いていたことこそが、レンダーにとっても予想外の出来事だった。
まだ帝国の貧乏子爵家の息子というのであればともかくとして・・・。
(彼自身は一神官といえども、それでも次の大神官とも目されているルーセット神官長の一人息子だ。父親が大神官になった日には、彼はそれこそ一気に重要人物となる。互いに、自分が所属する国に対する責任を強く背負っている立場だというのに)
それはテルノス辺境伯も同じ思いだろう。あの時の三人、すなわちファルード、ロムルス、そしてジルードがみせた立ち回りには、本当の友情が存在していた。
そう思い、レンダーはこっそりと溜め息をつく。
まさか、ことはそんな美談ではなく、ロムルスはファルードにその素性を打ち明けてもらえなかったばかりか、何とも意味ありげな言葉を残していかれたことにムカつき、ほとんど意地で取り戻す気になっていただけなのだと、そんな詳しい事情まで、レンダーに分かる筈がなかった。
更に、この期に及んでもファルードが自分を守ろうとするのに腹を立て、辺境伯の剣の前に立っただけということも。
同時にファルードはロムルスに帝国の未来を見ている。大神殿でリベラ神国の中枢を背負う人々を見ていたファルードは、何があろうとロムルスを守るつもりだった。
十代における男同士の友情なんて、その場の情熱とノリである。だからこそ、変に強固なのだ。
(しかもこの伯爵令嬢もどんなタマだ。帝国貴族の令嬢といえば、女だてらに剣を振り回すことなどあり得ないというのに)
しかし、見惚れてしまったのも事実だ。幼さから若さへと移り変わる時期にある十代の少年少女。青年へと脱皮する、そんな人生で一番不安定かつ繊細な時期にありながら、あれ程の気迫と勇気を彼らは示してみせた。
もしこれがエスリーダの若き新星達ならば、どれ程の喝采が贈られたことだろう。
あの時、ライジードがどれ程の強い羨望をその瞳に宿して、彼らを見ていたことか。
(その全てと繋がっている当のお嬢さんは、仮病で欠席だと言うし)
あの考えなしに騒ぎまくっているレイラのことだ。どうせ、大人しくお留守番しているようにと言いつけられていたのを無理にここまでやってきてしまったというので、ファルードに怒られるのが怖くて仮病を言い出したのだろう。
レンダーとライジードは、レイラの仮病理由をそんなものだろうなと思っていた。
その内、レイラのことだからこっそりとファルードの所に行って、可愛らしく「ごめんなさい」と謝って有耶無耶にしてしまうに違いない。
そっちはそっちで、どうでもいい。本当はレイラの婚約についてもファルードに打診しておきたかったところだが、それは後回しだ。
問題はロムルスだ。帝国の子爵家の息子、それもただの一騎士として舞踏会に潜り込む程度ならば良かったが、彼は帝国の名家、ハイアレティ公爵家の長男としてその姿を現した。ならば、エスリーダ王国としても、本来は賓客なのである。こんな辺境伯程度ではなく、王城でこそ・・・。
(だが、彼がその身分を明らかにしたのは、ファルード少年に手を出すなという牽制の為だ)
そこまでロムルスに配慮させるファルード。彼らは互いに守り合っている。
その必要は全くなく、ファルードの保護にはリベラ神国とエスリーダ王国との密約が絡んでいたのだが、しかし、ここで帝国のこの存在を取り込んでおきたいのも事実だ。
有り難いことに、ロムルスはまっすぐで気持ちのいい性格の持ち主らしい。
が、しかし。
ちらりとレンダーは白いドレスに身を包んだ伯爵令嬢を見ずにはいられなかった。
(どう考えてもこちらの伯爵令嬢、だな)
戦うことのできる女はかなり厄介だ。男とは違う感性で生きている上、しかもこの令嬢は、その性別すら遠慮なく武器にするタイプとみた。
(これだからお子様ってのは嫌なんだ)
大人のように物わかりよく済ませてくれないのだから。
ロムルスを思って、レンダーを糾弾したレイラのように。
ファルードの為に、ここまで乗り込んできたロムルスのように。
ロムルスの盾になるつもりで、全ての前面に出てきたジルードのように。
(こんな彼らの影響を、年も近いライジード様が受けてしまったならどうなることか)
いや、既に受けているような気がしてならない。
同い年な上、更に他国のそれぞれ存在感がある貴族子弟とあっては、ライジードの心にも揺さぶられるものがあったことだろう。ファルードは神官だが、リベラ神国における貴族のようなものではないか。
十代の感性は、様々なものに影響されてすぐにその魂を変化させていく。
そんなレンダーを振り返り、ファルードが心配そうに声を掛けた。
「もしかして体調がよくないのですか? 先程から浮かぬ顔色をなさっておいでですが・・・」
「ありがとうございます。何でもないのです。元々、こんな顔色でございまして」
「そうですか。・・・どうぞご無理はなさいませんように」
そう慈しみのこもった表情で優しく語りかけてくるファルードは、少年ながらもたしかに神官らしい包容力を感じさせる。その美少女にも見紛う顔立ちはレイラとそっくりなのに、こんなにも全く違う印象を抱かせるのは何故なのか。
(ああ、言えたらどんなにすっきりすることだろう)
そうレンダーは思った。
自分の顔色が悪いのは・・・。
あなたそっくりの妹さんと、あなたの大切なお友達とやらと、そしてあなた自身のせいです、と。
だが、言えない。
大人とは、言いたいことを言えない社会に生きるからこそ、大人なのである。
貴人の為に用意された部屋の中では、とても楽しそうな会話が続いていた。そう、辺境伯夫人を中心にして。
この場合、テルノス辺境伯とレンダーは完全に蚊帳の外だ。
「まあ、皆様、同い年だなんて素敵ですこと。ライジード様もいらした甲斐がありましたわね。こんな素敵なお友達とお知り合いになれたのですもの」
「ええ、全くです。今回はわざわざ来た甲斐がありました」
甘く優しい顔立ちのライジードは女性ウケもいい。そつなく、夫人に頷いてみせる。
「ロムルス様もジルドレア様も、そんなご身分の方々と分かっておりましたら、是非こちらに滞在していただきとうございましたのに。ライジード様から招待状を用意するようにと伝えられた時には、そうとは知らずにおりましたの。本当に行き届かなくて・・・。お許しくださいます?」
品のいい老婦人といった風情の辺境伯夫人が、少し小太りになった顔に愛嬌を湛えてロムルスにそう話しかける。いかつい夫と違い、奥方はどちらかというと、誰に対しても可愛いおばあちゃまだと思わせる雰囲気を持っていた。
自分の祖母世代の辺境伯夫人だ。許すも許さないも、最初にそれを伝えていなかったのはこちら側だとロムルスにも分かっている。
だが、あの招待状はたしかレイラが・・・。
「いえ、こちらこそ、お気を遣わせてしまい、申し訳ない限りでございます。ですが、あの招待状は、・・・こちらのライジード殿下が?」
「ええ。たしか、ライジード殿下がお気に入りの、可愛いレイラ様におねだりされたのでしたわ。そうでしたわね、殿下?」
「ああ」
そこでロムルスがまじまじとライジードを見る。
「レイラの手紙には、ジードという人が手配したと書かれていたが・・・。いつの間に、レイラはこちらの王子殿下と、愛称で呼ぶような関係を築いていたんだ」
「何でも、夢で見たのだそうだ。私に向かっていきなり名を呼んで駆け寄ってきたかと思うと、だから自分に協力して招待状を用意しろ、と」
「・・・俺と同じパターンか」
それこそ鮮血の塔を前にして自分の所へと駆け寄ってきたレイラのことを思い出し、ロムルスが複雑そうな表情になる。
やはりレイラには夢見の能力でもあるのだろうか? しかし、そんな筈はないのだが。
ロムルスはファルードに視線を移す。
「一体、レイラは・・・」
「悪いけど、僕にもそこらへんの事情は分からない。けれど、レイラはいい子だよ」
「そりゃ分かってるが」
ファルードにしても、レイラはリミダ村からやってきて、ルーセット神殿でエディオス神官に目をつけられていた子供だという認識しかない。チェンジン国出身のレイラがどうしてエスリーダ王国の王子と繋がりを持てたのかだなんて、分かる筈がなかった。
だからロムルスにもそんな返答で誤魔化すことにする。
(だけど、そうやってロムルスにも、このライジード王子にもしっかり保護されているところが凄い。レイラって、常に保護者には不自由しない子なのかな)
ちゃんとリミダ村に帰れるようにもしておいてあげたというのに、こんな所までやってきたというのは、やはり自分を心配してくれたからなのだろう。レイラは辛い人生を歩んできたというのに、それでもそういう優しさを失わない、本当に心の美しい女の子だ。
だが、ロムルスといい、静謐の塔といい、ライジード王子といい、どこまでレイラは大物ばかりを釣り上げるのか。
ああ、だからあの子は目が離せない。
「ふふ。レイラは人気者ですね。奥方様もレイラを可愛がってくださっていらしたのでしょう? とても安心いたしました。いきなり飛び出て行ったきり、戻らなかったものですから」
「そうなのよ。本当に可愛い子なんですもの。ライジード様も、レイラ様が喜びそうな花のあるお庭を作り、お人形を飾っては遊ばせておいででしたわ。ジルドレア様も、レイラ様をご存じなのね?」
「はい。実は私のこのドレスも、レイラが考えてくれたのです」
ジルードの女性らしい言葉づかいに、ロムルスとファルードの瞳が何となく伏せられる。正直、あのぶっきらぼうな言葉づかいに慣れている身としては、気持ち悪いとしか言いようがなかった。
これは、そう、親しい友人が女装した時に感じる気持ち悪さというのだろうか。目の前で見ているものと、自分が認識している存在とが重ならない違和感を、脳が拒否しているのだ。
「まあ、本当に? 何て変わったドレスなのかしらと、皆で興味津々でしたのよ。とても凛々しくて、それでいて女性らしいんですもの。実は、うちの侍女達も詳しく知りたいと・・・。あの、本当に図々しいお願いなんですけど、良かったら後でそのドレス・・・」
「ええ。何でしたら、明日になりますが、レイラの描いたデザイン画を差し上げましょうか? こちらはもうこうして仕立ててしまいましたので」
正しくはレイラではなく、あのぼったくり占い師が描いたデザイン画なのだが、話がややこしくなるので、レイラが描いたことにするジルードだった。
「まあ、本当によろしゅうございますの? 実はうちの城にも剣を持つ女性はいるのですけど、どうしてもドレスだと動きが遮られてしまうと・・・。とても嬉しゅうございますわ」
「レイラも、自分のデザインがそこまで評価されたと知ったら喜ぶことでしょう」
そこで、辺境伯夫人とジルードが、楽しそうにドレスや宝飾品の話をし始めてしまったので、ライジード、ロムルス、ファルードは顔を見合わせた。男にドレスの話などされても全く分からない。
彼らに分かるのは、せいぜい色の違いぐらいだ。
「そういえば、そのレイラはどこに? ライジード殿下が保護してくれていたのは有り難いが、さすがにご迷惑もいいところだ。ついでにこの後で引き取って帰ろうと思うのだが」
「いや、レイラは食べ過ぎで腹が痛いと言い出して、寝込んでいる。大方、そのファルード殿に、無茶をしたと叱られるのが嫌で、仮病を言い出したんだろうと思うが・・・。顔色も良かったし、運ばせた食事も全てちゃんと平らげたそうだ。この城にも十分に部屋は空いているし、そこは気にしないでくれ」
ロムルスに話しかけられ、ライジードがそう答える。
同い年というのもあって、三人は先程からかなり砕けた言葉づかいになっていた。
「ああ、そういうことなら仮病の一つぐらいは言いそうだな。ファルードもあまり叱ってやるなよ」
「別に僕はレイラを怒ったりはしないけど。大体、あの子を連れてきたのはロムルスじゃないか。まあ、僕の今の状況じゃ、まだレイラは引き取れないしね。誰であっても、ちゃんとあの子を家に戻してくれるならかまわないよ」
ファルードも、まさかこの国の王子までが出てくるとは思っていなかったのだ。それについては、帝国軍の人間をここまで連れてきてしまった自分に理由があるだろうと思えば、あまり強く出られない。
レイラは子供だし、貴族でも何でもない一般庶民である。ロムルスにしてもライジードにしても、それこそ母国にあってはその頂点にかなり近い立場の人間だ。だから、二人がいずれ・・・という気持ちをレイラに抱いているなどと、ファルードは予想もしていなかった。
どちらが保護してくれているのであっても、食べ物と待遇が悪くなければそれでいいといったスタンスである。どうせどちらも金持ちなのだから。
それよりも、ここで自分がすべきは、この帝国の公爵家ご子息様とエスリーダ王国の王子殿下との橋渡しではないのか。
帝国の様々な国に対する侵攻は、既に災厄に近い。だが、ロムルスならば・・・。
そう思えばこそ、エスリーダ国王の信任厚いと言われるテルノス辺境伯に、そのロムルスの立場を話し、いずれ彼が立つならば協力を願うつもりでいた。
けれども、ここには国王の息子が来ているのだ。
「ところで、ロムルス。今まで言わなかったけれど、僕、リベラ神国の人間なんだよね」
「らしいな。レイラがそう言っていた。だが、お前はここの・・・」
「違う。リベラ神国の名を出さずに庇護を願いたい時には、フェイ・ゲオランド・テルノスという名を名乗り、このテルノス辺境伯に繋ぎを取る。それは、リベラ神国とエスリーダ王国における、相互協力の一つなんだ。僕はテルノス様の親族でも何でもない」
「なるほど」
そうなると、違う形でエスリーダ王国の人間は、場合によってはリベラ神国に庇護を求めたりもするのだろう。そういう何らかの協力体制にあるということか。
羨ましいことだなと、ロムルスは少し思った。
だが、それであってもファルードはそれなりの家の人間だ。よほど大事な存在でなければ、そこまでの保険はかけられない。
ファルードは立ち上がって、ライジードとテルノス辺境伯に礼をとる。
「改めて名乗らせていただきましょう。ライジード殿下、テルノス辺境伯閣下。リベラ神国、ルーセット神殿に所属しておりますファルード・フェニンセンでございます。この度は寛大なご配慮をいただきましたこと、心よりお礼申し上げます」
「いや、こちらこそ手荒い歓迎になってしまって申し訳ない。あまりにも見事な立ち回りだったので、つい見入ってしまった」
「それは言えますな。いや、若さとは羨ましいものだ。まさかリベラの神官殿を救いに帝国皇統の流れを汲む方が乗りこんでくるなどと誰が予想しえただろうか。ここは、もしやリベラ神国と帝国との間にも、そういう繋がりがあるということかな?」
ずばっと辺境伯が切り込んでくる。帝国は、どことも同盟といったものを結んでいなかったからだ。勿論、ファルードは笑って否定した。
「まさか。私はリベラ神国の一神官にすぎません。こちらのロムルス様とは、互いの立場も肩書きも知らぬままに出会い、友情を深めただけでございます。ロムルス様は、皇位継承権をお持ちになることどころか公爵家の方であることもお隠しになり、ただの一騎士として庶民の中に紛れ、そして見聞を広めておいででいらしたものですから」
「・・・・・・・・・」
物は言いようだなと、ロムルスは思った。
ロムルスが子爵家の人間という肩書きを作り、そうして帝国軍の中にいたのは、帝国を離れることで自分に皇位への野心はないとアピールする為だけだ。別に見聞を広めたかったわけではない。
「そんなことが帝国ではできるのか」
「あなたでは無理ですよ、ライジード様。皆に顔を知られている王族の方がどうやって庶民に紛れられると思うのです」
自分もやってみたいと言い出しかねないライジードに、すかさずレンダーが釘を刺す。
おかげで興醒めとばかりに不貞腐れたライジードだったが、自分でもさすがに実現は無理だと悟っていたのだろう。
すぐに話題を違うものへと変える。
「だが、お二人ともまだこちらには滞在できるのだろう? できればお二方ともこの城に滞在してもらいたいものだが。こんな機会でもなければ、なかなか親しく話すこともできない」
「あ、いや、そのお誘いはとても嬉しいのだが・・・」
さすがにそこでロムルスが躊躇う。何といっても、今の自分はなるべく早急に帝国に戻らねばならぬ状況にある。母が皇子を人質にとって立てこもり、父が帝国に反旗を翻したとあっては。
帝国の内部状況は他国に流れにくい。それでもいずれは知れ渡ることだろう。しかし、まだ知られてはいない筈だ。
「実は、ファルードが危難に見舞われたと知って出てきてしまったのだが、その辺りをうまく説明できていなかったので・・・。急いで帝国に戻らねば、責任をとらされる者が出てきてしまう。こちらとしてもせっかくの機会で是非お時間をもらえるのならばと願ってもないところなのだが・・・」
「なるほど。それは仕方ない」
ライジードもすぐに意見を引っ込める。
言われてみればその通りだ。まさか他国の人間の為に、帝国の皇位継承権を持つ人間が供もまともに連れずに出ていったとなれば、それこそ使用人一同が首を斬られる事態となるだけだろう。
ロムルスが一刻も早く帰ろうとするのは当たり前だった。
「残念だが諦めよう。だが、これも一つの縁だ。是非、次回は王都までいらしていただきたい。歓待させていただく。いかがか、ロムルス殿?」
「勿論、喜んで。ライジード殿下」
そこで茶目っ気を持たせてライジードは片目を瞑った。
「そこはジードと呼んでくれ、二人とも。そうだな、・・・親しい人間は、私のことをそう呼ぶんだ」
レンダーは、
(いや、あなたのことは皆様、ライとお呼びでしょうに。ジードと呼んでいるのは、あのお嬢さんだけです)
と、思ったが、何も言わなかった。
どこまでこの王子様は、あのお嬢さんに阿るのだろう。
「なら、こちらもロムルスと呼んでほしい。元々、俺はそういうかしこまったのは苦手なんだ。公式な場ではともかく、そうでない時はジードと呼ばせてもらうよ」
「分かった、ロムルス。ファルード殿は、大丈夫なんだろう? 私もリベラ神官の方々は知っているが、どなたもお髭が立派な方々ばかりで、ヘタなことを口にしようものなら馬鹿にされそうでね。同い年の神官なんて初めてだ」
「私のことも呼び捨てで結構ですよ、殿下。いえ、ジード。元々、僕はお二人と違って庶民中の庶民ですので」
くすっと、ファルードがおどけて言うと、ライジードが、
「へえ。次期大神官とも名高い神官長の息子殿が?」
と、まぜっかえす。
息子といっても、自分は養子だ。たしかにイディラートは次期大神官との呼び声も名高かったが、ルーセット神殿に配属になったことで違うのではないかとも、囁かれている。
そこまで内部事情を説明するわけにもいかず、ファルードはただ両肩を竦めてみせた。
「ですが、僕も実は・・・。というのも、僕も一人で今回の事態に対応していたつもりなんですが、どうやら追跡の人がいたようで。こうなると急いで戻り、今回の報告をしなくてはならないのです」
「そうか。・・・それは残念な」
それもまた、考えれば当たり前のことだった。十六才の一人息子が何らかのトラブルに巻き込まれて他国の人間に庇護を頼らねばならない事態となったのだ。それこそ、その両親は心配しているに違いない。
イディラートが独身とも知らぬライジードは、ファルードを案じているであろうルーセット神殿の神官長夫妻のことを思って、考えなしに口にしてしまった自分を恥じる。
ファルードがルーセット神殿に急いで戻らねばならないのも、当然だった。
そこで、レンダーが助け船を出す。
「だが、今晩ぐらいはお二方とも構わないのでしょう? それこそ、三ヶ国の次代を担う人間がこうして揃うというのも奇しき縁ではありませんか。舞踏会ぐらいは出ていただかねば、先程、会場で皆様に注目していた人々もがっかりしてしまうに違いありません」
「勿論です。そうですね。もしご迷惑でなければ、若輩者ながらも、ぜひ夫人には一曲お相手をお願いしたく存じます」
ロムルスがそう答えれば、少年達が意気投合している様子を微笑みながら見ていたテルノス辺境伯夫人が、
「あらあら、まあまあ、こんなおばあちゃんを誘ってくれるだなんて、本当に嬉しいわ。ねえ、あなた」
と、目を細める。
ライジードもまた、
「それでしたら、私もそこの勇敢なご令嬢に踊っていただきたいところだな。それこそ一番に。そうでなければ、きっと希望者が列をなしてしまうことだろう」
と、ジルードに、一番のダンスを申し込む。
「私でよければ喜んで。殿下」
ジルードもまた、微笑んでそれを受けた。
さすがにこれ以上は、会場の人々を待たせるわけにもいかないだろう。皆が頷き合って、立ち上がる。
ダンスの組み合わせにあぶれてしまったファルードは、
(別に怒ったりなんてしないからレイラも来れば良かったのに。そうしたら一緒にダンスを踊れたんだけどな)
と、そんなことをちょっと思わずにはいられなかった。
眼福とは、こういうものを言うのだ。
むふふふふと、レイラはとてもご機嫌だった。
やっと辿り着いた舞踏会の会場は、何と窓も扉も全開だった。おかげで暗い庭からもよく見えるのだ。
(やーん、ジルードったら私のドレス、とってもとっても似合ってるぅっ。やっぱり、あれは似合うと思ったのよっ。ああっ、なんて素敵っ)
常に堅苦しい騎士の格好をしていたジルード。一度、着飾らせたいと思ってはいたのだ。しかし言ったところで無駄なのも分かっていた。だからあのドレスを考えたのだが、本気で似合いすぎている。
一緒に踊っているライジードともお似合いなのだが、・・・惜しいかな、二人の間にあまりにも色気はなさすぎた。というより、あれはどう見ても、互いの踊りを競っているとしか思えない。
あまりにも速いテンポの足さばきを披露している二人はかなりの踊り手だが、おかげで誰も他に踊っていないときたものだ。
(お、踊ってるの? 競争してるの? ・・・というか、あんなにも速く動いて目が回らないの?)
誰もが皆、感心して見ている。いや、呆れているのかもしれない。
音楽に合わせて互いに独楽のように回ったと思えば、一気に場所を入れ替えてステップを踏んでは次々に位置を移動して離れたかと思うと、途端にその位置を近寄らせる。
そこには、どんどんテンポが速くなる二人に合わせて、楽団の指もかなり忙しいことになっている事実だけがあった。
(よ、良かった。あんなの、踊れって言われても、・・・私、出来ない)
王子様というのは、どこまでのスペックを要求されるお仕事なのか。というか、ジルードも凄すぎる。
「ス、スズちゃん。・・・やっぱり私、庶民でいいわ」
チュン? と、肩の上で小鳥が小さく首を傾げた。
やがて大きな拍手と共に、その見ている方もついていけないダンスが終わると、今度はロムルスと辺境伯夫人、ファルードと知らない令嬢、そしてテルノス辺境伯と再びジルードが踊り始める。
さすがに今度のジルードは静かに踊っていた。
(いやーん、やっぱりロムルスとファルードも素敵。そうよ、ロムルスはああいう紺色が似合うと思ったのっ。ああっ、ファルードったらお相手の令嬢より・・・、いやいや、それはともかくとして、もしかしてファルードの服って私と少し似た感じ?)
そういえば仕立て屋がどうこう言っていたけれど、もしかして兄妹というので同じコンセプトで作ってくれていたのだろうか。
そんなことをレイラは思った。
ファルードの正装している姿はまさに貴公子然としていたが、その濃い青紫色の衣装は、所々に使われているレースなどが、どこかレイラのドレスと共通している。自分が欠席しなかったなら、もしかして自分はファルードと一緒に踊ったのだろうか。
(そうしたら、ファルード、「綺麗にしてもらったね」って言って・・・・・・、いやいやいやっ、今の私の顔的にまずいからっ)
ロムルスにとってテルノス辺境伯夫人は、自分の祖母世代だろう。しかし、元々ロムルスには落ち着いたところがある。ゆっくりとしたテンポで、それでいてロムルスの方がはるかに夫人よりも大きく動くことで、負担がかからぬようなダンスを披露していた。
さすがはロムルス。あの落ち着きは只者ではない。
ジルードもああしていると、とてもクールでカッコいい。まさに歴戦の勇者といった雰囲気を持つ辺境伯を相手に、にこやかな笑顔で踊っている。
(うーん、ジルードったら、あんな顔もするんだ。けど、なんだかジルードっぽくない)
やっぱりジルードはあのぶっきらぼうで素っ気ない感じがジルードなのだ。あんなにもにこにことして愛想を振りまきながらも、視線は冷めているだなんて、・・・・・・姐御って呼んでもいいだろうか。いや、まずいだろう。
というより、なんだか周囲のご令嬢の熱い視線は、ジルードにも向けられているような・・・・・・。いやいや、気のせいだ。そうだ、若い男性の視線だってジルードに、・・・・・・憧憬の視線にも見えるけど。いや、それこそ気のせいだろう。
レイラは首を左右に振って、その疑惑を打ち消した。
そうだ。大体、あんなにも女性らしいジルードに、どうして若い男が、男に向けるような憧れの視線を向けるというのか。
自分の気のせいに違いない。
うんうんと頷いて、レイラは、どうしてジルードが腰に美しい剣を提げているのかとか、とっくの昔に舞踏会は始まっていた筈なのにどうして今から始まっているのかとか、そういった違和感については考えないことにした。
「あ、何だかみんなが参加し始めてしまった」
しかし、賓客が踊ってしまった後は、皆が入り乱れて踊り始めてしまう。
「うーん。見えないなぁ」
それでも茂みに隠れることは忘れないレイラだ。この際、ここは暗いお庭に逢引きしにきたカップルを覗き見することで、楽しむしかないのか。
(だけど、ああいうのを見ても楽しめるかって言うと、・・・・・・楽しめるかもねっ)
そうだ。ここはお貴族様がどんな口説き文句を並べるものなのか、自分も知っておいて困らないかもしれない。
そんなレイラは、いざとなったら懐中電灯になる小鳥がいる為、思いっきり安心していた。こんな真っ暗な茂みの陰にはまず誰もやってこないと、余裕をかましていたのだ。
まさかファルードが、気になるものを感じて、その感覚が指し示すままに暗い中を近づいてきているとは、思いもしていなかった。
だから。
「そんなところで何をやっているのかな、お嬢さん?」
「えっ!?」
背後から声を掛けられ、レイラは思いっきり振り返る。それは、知っている声というのも影響していた。
(ファ、ファルードッ!?)
驚いて立ち上がったおかげで、茂みで隠れていたレイラの顔が会場から漏れる光に照らされる。
(えっ!? ディレーテ姉さんっ? いや、そんな筈は・・・。そうだ、姉さんはとっくに僕よりも)
自分そっくりな顔をした十才前後の子供。
それこそファルードは、かつて家を出た日から会っていない、すぐ上の姉を思い出す。だが、あれから年月は流れて・・・。
「まさか、・・・リデル?」
そんな筈はない。だってここはエスリーダ王国だ。
そう思いながらも、ファルードはその名で呼びかけた。
ナリス王国の、村人にすぎないリデルがこんな場所にいる筈がない。けれど、こんなにも似ている存在が・・・。
ファルードを見上げてくるその女の子は、ファルードが呟いた名を聞いて、慌てて首を横に振った。そう、ぶんぶんと。思いっきり。
「えっと、君。そんなに頭を振ると、せっかく綺麗にした髪が崩れちゃうよ」
そう話しかけながら、ファルードは懐かしい気持ちを思い起こす。
小さなリデルも、今頃はこんな感じに可愛く育ったことだろうか。大事な妹。そうだ、本物のリデルならあと少し年上だろう。こんなにも小さい筈がない。
「君は、僕の妹によく似てるんだ。ごめんね、驚かせちゃって。・・・良かったら一曲お相手願えませんか、お嬢さん?」
驚かせないようにゆっくりと手を差し出すと、軽く目を瞠ったものの、そのリデルそっくりな子供はおずおずと頷いた。
どうやら人見知りが激しいのだろう。人見知りが激しい子供は、首を縦に振るか、横に振るかしかしないものだ。
そう思って、ファルードは怖がらせないようにと己に言い聞かせながら提案した。
「良かったら、会場の隅っこで踊ってみない? 大丈夫、踊れなくても怖くないよ」
ファルードが踊れなくても大丈夫だと言ったからだろう、嬉しそうに目を輝かせてくる。
(肩に乗っている小鳥は何なんだろう。鳥目だから飛び上がれないのかな? 舞踏会にお気に入りのペットを連れてきちゃったのか)
そんなことを思いながら、会場の一番下座の目立たない位置にファルードはレイラを誘導した。
レイラにしても、
(まあ、会場の隅っこなら大丈夫だよね。うん、そうだ。一曲踊って、後は話しかけられる前に逃げよう)
と、そこは妥協したのである。
今、逃げ出しても足の長さが違い過ぎるのだ。すぐに捕まってしまうに違いない。それぐらいなら一曲踊って、ファルードが油断した隙にババッと逃げ出した方がいいに決まっている。
(それに、ファルードと踊れちゃうし)
あのライジードに特訓された甲斐もあったというものだろう。
だからレイラは煌々と明かりがついた会場へ、ファルードと共に足を踏み入れたのだった。
ただ、レイラは分かっていなさすぎた。
ファルードはこの舞踏会で思いっきり目立っていた一人だということを。
「まあ」
「あら、なんて可愛らしい」
「あれが噂の・・・」
「ほう。まさに美しい兄妹だ」
会場の隅っこでも、そこにとても可愛らしいカップルがいれば、誰もが目を向ける。しかも二人は、今回の舞踏会で誰もが見てみたいと思っていた二人なのだから。
レイラがそれなりに踊れるようだとすぐに気づいたファルードは、レイラのドレスが華やかに広がるように、それでいて足がもつれないようにと、小さな腰を支えて踊っていた。
レイラもまた、踊りながらもターンをする時にはファルードが自分を持ち上げてドレスを綺麗に広げてくれるものだから、それこそダンスの上手なお姫様になったかのようでとても楽しい。
(やっぱりファルードって何でも上手なのよねっ)
緩急を取り混ぜてくれているからだろう。小さく動く時はお互いに近づいて微笑みながらステップを踏み、大きく動く時にはファルードがレイラを持ち上げるようにしてほとんど足が床を離れている状態にしてくれるのである。おかげで足がもつれることなんてあり得ない。
(うわぁ、たっのしーぃっ)
今の自分はとてもダンスが得意なお嬢様だ。
だからだろう。
いつの間にか、二人を会場内のほとんどの人が注目していたことにレイラが気づいたのは、そのダンスが終わりかけた時だった。
(ヤ、ヤバ・・・イ)
レイラは蒼白になった。
ダンスが終わってお互いに礼をすると、周囲から盛大な拍手が贈られる。
如才なく、ファルードがそちらの方も向いて、静かに一礼して・・・・・・いる間に、レイラは脱兎のごとく庭へと一目散に逃げ出した。
「・・・あれ? お嬢さん?」
あまりにも皆が大きな拍手をしてくるので、ここはレイラの手もとってお辞儀させておいた方がいいかなと思ってファルードが振り返った時、そこにはもうピンクのドレスを着た子供はいなかった。
(どこに行ってしまったんだろう?)
まさか鮮やかなダッシュで逃げ出したとは思わず、ファルードはきょろきょろと周囲を見渡す。あんな暗い庭に、レイラが再び駆け込んだとは思わなかったのだ。
申し訳程度にもう一度、周囲の人々に軽くお辞儀をしてレイラを捜そうと思ったファルードだが、そこでレンダーが近づいてくる。
「あの、ファルード様。ちょっとお話をしてもよろしゅうございますか?」
「ええ。勿論です」
もしかして今の女の子ははぐれていた両親を見つけて戻ったのかなと思い、ならばいいかとファルードはレンダーに首肯する。
レンダーは、「どうぞ、こちらへ」と、ファルードを近くの部屋へと案内して、そしてその話を持ち出した。
「は? 妹? 私の?」
さすがのファルードもそれには驚くしかなかった。
だが、レンダーはそれに対し、大きく頷く。
「ええ。先程のご令嬢、つまりあなたの妹君を、是非ライジード様の妃にと」
「いや、ちょっと待ってください。うちの妹は、そんな大それた立場になれる身分ではありませんっ」
ファルードは混乱していた。
レンダーは、さっきの子供を自分の妹だと言う。ならば、やはりあれはリデルだったのか。
それにしては、あまりにも小さすぎた。
ということは。
(ああ、リデル。命は取り留めても、やはりあの病気のせいで・・・)
考えてみれば、あんなにも痩せ細って命もあと少しで尽きるといった状態だったのだ。どうして人並みに育つことができただろう。
ファルードは、考えが及ばなすぎた自分を呪った。
そうだ。小さなリデル。あんなにもひどい病に罹っていたのだ。普通の子供よりも発育が遅れてしまうのは当たり前のことだった。自分はもっと早くに、あの子がちゃんと育つようにと、そう考えてあげるべきだったのに。
そんなファルードの様子すら、自分の妹がエスリーダの王子の妃にという話を受けると思わなかったが為に動転しているのだろうと、そう、レンダーは判断する。
「いやいや。そんなことはございません。何故なら、ルーセット神殿の神官長様とあっては、次の大神官様になるかもしれぬと言われているお方ではありませんか。そのご令嬢とあれば、全く家格的にも問題なく、それどころか、両国の絆ともなるべき・・・」
「いえ、ですから」
何と言ったものかと、ファルードは思う。
どうしてリデルがここにいるのかは分からない。けれども、どんな理由があったとしても、彼女は一国の王子の妃になれる身分ではない。
だから、ずばりとファルードは言った。
「違います。私の妹はイディラート様の娘にはなりません。何故なら、私は養子ですから」
「は?」
レンダーが水色の目を丸くしてファルードの顔をまじまじと見返してくる。
「えーっと・・・。ですから、私は養子なのです」
「え?」
二人の間にある空気を、沈黙が満たしていった。
こほんと咳払いしてから、ファルードは同じ言葉を分かりやすくまた繰り返す。
「ルーセット神殿神官長のイディラート・フェニンセン様は独身でいらっしゃいます。そして、私を養子として引き取って育ててくださいました。ですから私の本当の家族、つまり妹はただの一般庶民にすぎません。フェニンセン家の令嬢でも何でもないのです」
そんなことよりも、どうして妹がこんな所にと、そう呟くファルードに、レンダーは愕然とした様子ながらも、
「どうやら、あなたのことが心配で追いかけてきたようで・・・」
と、言うしかない。
先程のあの会談から、レイラがロムルスと共に追いかけてきたことは既にファルードも知っている筈だ。
だが、それもこれも、まさかレイラをライジードの妃にという話が出るとも思わず、だからファルードも頭の中がかなり空回りして分からなくなっているのだろうと、レンダーはそう判断した。
ちなみに、レンダーの頭の中もかなり空回っている。
既に王城には、レイラがルーセット神殿の神官長の令嬢であると連絡済みだ。まさか養子などと、誰が考えつくというのか。
(ま、まずい。これはまずい。ライジード様に考え直していただかねば・・・っ)
それでも今、ここでファルードに、すぐにレイラを引き取ると騒がれても困る。レンダーとて、あんなにもレイラにのめり込んでいるライジードを説得するだけでも、かなり厄介な作業になると分かっていた。
今、ライジードを刺激してほしくはない。あの子供に、かなりライジードはご執心だ。
「いえ、ファルード様。そういうことでしたら、きちんと妹君はご自宅までお送りいたします。ご心配なさいませんよう。いえ、あの、それでしたら王子妃にというお話は忘れていただければ・・・」
「ええ、勿論です。とてもとても・・・。妹は村に戻り、彼女に相応しい村人と結婚すべきだと、私も考えております」
よく分からないが、それでもあんなに綺麗なドレスを着せられて、更に妃にまでという話を持ってきてくれたのだ。リデルはとても大事にされていたのだろう。
そう思えば、ファルードも申し訳なく思うばかりだ。
けれども釣り合わぬ縁は不幸になるばかりだと、ファルードも知っている。王子の妃など、やはりちゃんとそれに見合った王族もしくは貴族の令嬢こそがなるべきなのだ。
「申し訳ございません。こちらが早とちりしたばかりに・・・。ですが妹君には、こちらも無体な真似は全くしておりませんし、丁重に扱わせていただいておりました。何より、誰もが愛らしいと・・・。本当にここはきちんとご自宅まで送らせていただきます。そこまでは責任もっていたしますので、どうかここはすぐに引き取るなどと言わず、こちらにお任せ願えませんでしょうか。というのも、かなり辺境伯夫人も彼女を孫のように可愛がっておいででいらしたものですから」
勿論、それは嘘だ。かなりレイラを可愛がっていたのはライジード一人である。他の人は、なかなか触らせても会わせてももらえなかった。王子様は、本気でレイラの瞳に映るのは自分だけで良いと言わんばかりに、あの子供をご寵愛だったのである。
しかし、それを言ってしまえば話がこじれるだけだと、レンダーも分かっている。
(辺境伯夫人のお気に入りと言えば、安心してくれるだろう)
そのレンダーの思惑は、大当たりしていた。
何ということだろうと、ファルードも驚かずにはいられない。
小さなリデル。まさか自分が家を訪ねてきたことを知り、必死で自分を追いかけてきたのか。そしてこんな所にまで・・・。
あんな小さな子供にそこまでの行動力があったというのが信じられないが、考えてみればリデルの命は、ファルードが自分を売り払った金で助かったのだ。リデルも、ファルードを追わずにはいられなかったのだろう。
そんなリデルを、この城の人々は可愛がってくれていたのか。ああ、そうだ。彼女は小さかったけれど、それでも綺麗なドレスを着て、顔色も良かった。髪や肌の手入れもきちんとされていて、身に着けている物だって素晴らしい逸品ばかりだったではないか。
「妹が大事に扱われていたのは、分かります。ですが、ご迷惑では・・・」
「いえっ、全くっ。本当にいてくださるだけでとても皆が幸せになっていたものですからっ。ファルード様は安心してリベラ神国にお戻りくださいませっ。妹君は、こちらできちんとお送りいたしますっ。・・・ただ、ちょっと皆様が可愛がっておられるので、それがひと段落してからになることを、お許し頂きたいのですが」
それは嘘だ。幸せになっていたのはライジード一人である。
けれども言えない。我が国の王太子殿下がロリコンなどと、どうしてリベラ神国に知られていいことだろう。
まだルーセットの神官長の令嬢であれば、政略的な意味合いだろうと思われるだけだったが、何の肩書きもない、それでいて美しいだけの子供に王子がご執心などと、・・・・・・全力でその情報は流出を阻止しなくてはならない。
今、レンダーの双肩に、次代の国王陛下の名誉がかかっていた。
「はあ。いえ、そういうことでしたら、こちらも有り難いばかりで・・・」
考えてみれば、この城に小さな子供はいなかった。だからきっとマスコットみたいな感覚で妹は可愛がられていたのだろうと、そしてリデルが一般庶民と分かってもそれが変わらないのなら、任せておいて構わないだろうと、ファルードは判断する。
(そうだ。あの子の、あんなにも楽しそうに笑う姿を見れただけでも十分じゃないか)
小さなリデル。そりゃ、人並みには大きくなれなくても、まだまだ成長期だ。そう悲観したものでもないだろう。
母にはちゃんとお金も置いてきた。人よりも遅くたってかまわない。これからはきちんと育っていってくれれば。
だからファルードはそのレンダーの提案を受け入れた。
たとえ養子でも、自分がイディラートの息子であることには変わりない。そして一般庶民と分かった以上、妃に迎えるというのは無しにしても、ファルードの実妹と分かっている以上、リデルがちゃんと安全にナリス王国まで送ってもらえることを疑う理由はなかった。
一方。
レイラは、笑顔でありながら冷気を漂わせるという技を繰り出してくる器用な王子様を前に、ぴきーんと硬直していた。
「ねえ、レイラ。君、具合が悪かったんだよね?」
「え、ええ、・・・ソーデスネ」
「なのに、どうして最初のダンスを、私じゃない誰かと踊ってるのかな?」
「えっとぉ・・・」
ダンスが終わるや否や駆け出したと言っても、最初からそれを見越して庭で待ち構えている王子様がいるなどと、どうしてレイラに予想できただろう。
レイラはあっさりと捕獲されていた。
「そんなに私と踊りたくなかったのかな?」
「ちっ、違うもんっ」
ああ、どうしてこの王子様はこんなにも嫉妬深いのだろう。
レイラはそこが恨めしくてならない。こんなにも甘く優しげな顔をしているのに、実はかなり心が狭いし、性格だって全然甘くないのだ。
大体、兄妹だと思っているのだから、嫉妬する必要もないだろう。ロムルスだって、ファルードとレイラがどんなに仲良くしていても何も言わなかったし、ファルードだってレイラがロムルスやジルードと仲良くしていても何も言わなかった。
なーのーにー。
この王子様は、自分以外の誰かがレイラにかまうのを徹底的に嫌うのだ。
(狭すぎるっ。ライジードの心は、土渕海峡よりも狭いっ)
尚、土渕海峡とは、香川県の小豆島にある、世界で一番狭い海峡の名前だ。ギネスブックにも登録されている。一番狭い部分は、幅9.93メートルの永代橋であり、そこを渡ったなら、すぐ近くにある土庄町役場に行けば、100円で横断証明書を発行してもらえる。
小豆島に観光に行くことがあったなら、旅の記念に・・・・・・いや、今はそんなこと、どうでもいい。
このエスリーダ王国に、小豆島はないからだ。
「じゃあ、会場に戻って私と踊ろうか」
「・・・それはイヤ」
ああ、ライジードから吹きつけてくる地吹雪が怖い。このままホワイトアウトしそうだ。
「わっ、私っ、ジードとは二人っきりで踊りたいのっ!」
レイラは、ありったけの勇気を出して、そう叫んだ。
これ以上、今のライジードといたら自分は凍死してしまう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ライジードから漂ってきていた冷気が少し止んだような気がして、レイラは顔を上げた。
ちょっと可愛らしく言ってみる。
「私、誰もいない所で、ジードと二人だけで踊りたいな?」
「・・・いいよ。じゃあ、この庭なら音楽も聞こえてくるし、ここで踊ろうか」
「うんっ」
とても心は狭いし、意地悪だけど、ライジードのことは大好きだ。
レイラはたちまち笑顔になった。
「あのねあのねっ、あっちのお庭の所、暗いけど、お花の香りが漂ってるのっ」
「分かった分かった。おいで、レイラ。・・・転んだら大変だ」
抱き上げられると、レイラだってライジードとはこのドレスで踊りたかったのだから、それならいいかと思う。
「ね、ジード。ジードもファルードみたいに、私のスカート、ふわぁってなるように踊ってくれる? ジードが教えてくれたのって、もっと大人しい感じだったよね?」
「それは、最初のダンスを皆の前で披露するつもりだったからね」
ファルードがレイラをそうやって踊らせていたのは、それこそ端っこで誰の注目も浴びないと思っていたからだろう。あれは、彼女を喜ばせる為のダンスだった。
ライジードはそう思う。可愛い妹の為に、ファルードは子供が楽しい気分になれるようなアレンジをしていた。
けれども、ああいうダンスをしてみたいのだとねだられたなら、ライジードとてそれぐらいは朝飯前である。
「ジードも出来る?」
「勿論だよ。どうせ誰もいないんだから、もっと回転させてあげる」
そこでレイラは思い出す。そう、ライジードはかなりの踊り手だった。
「えー。だけど、ジルードとやってたような激しいのは無理だからねっ」
「・・・何だ、あれを見てたのか」
「うん。だけど、カッコ良かったぁ」
ライジードの首に抱きつきながら、「凄かったよね、あれ」と、言えば、ライジードが照れ臭そうに笑う。
「レイラにはちゃんとゆっくり踊ってあげるよ。あれは、・・・まさか、あれについてこれるとは思わなかったんだ。熱くなりすぎた」
「・・・・・・なあに? もしかして、ジルードと張り合ってたの?」
「悪いか」
ツンと、そっぽを向くところが、ライジードは少し可愛い。
いつもは意地悪だけど、そういう子供っぽいところがすれてなくていいのだ。
「あのね、夜のお庭で王子様を独り占めだなんて、とっても贅沢よね」
「それを言うなら、私はレイラを独り占めしていることになるな」
たしかに庭は暗いが、それでも全くの暗闇ではない。
会場から漏れる光がある程度は届くからだ。茂みの奥にある開けた場所で二人が踊っているのを見つけた巡回の兵士が、こっそりと楽団に、庭にも届くような音で、そして子供でも踊りやすいようなゆっくりとした曲をと、そう伝える。
(うわぁ。ライジードもかなり踊りやすーい)
今までもダンスの練習はライジードがしてくれていたが、それはあくまで皆の前で踊ることを考え、失敗して恥をかかないようにと、そういうものだった。
けれども夜の庭なら誰も見ていないからだろう。ライジードは、わざとアレンジをきかせてレイラが楽しく踊れるようにと、様々な回転やリフトをしてみせる。
「も一回やってっ。今のねっ、このくるりーんってのっ」
「ああ、いいよ」
ライジードとレイラは、一曲と言わず、三曲四曲と踊り続けた。
やがて、さすがに疲れてしまったレイラが、
「お部屋に戻って休みたい」
と、言い出すと、ライジードも、
「そうだな。もう子供は休んだ方がいい」
と、レイラを抱えて庭を通って部屋へ戻る。
実際、庭を通った方が、建物の中を通っていくよりも早かった。
「ところでレイラ。肩に止まっている小鳥はどうしたんだ?」
「うん、可愛いでしょ」
「・・・そうだな」
別に小鳥にまで目くじらを立てるつもりはないが、あのダンスで全く危なげなく肩の上にいたということは、本物の小鳥ではないのだろうか。
「それ、本物か?」
「ううん、小鳥の形をしたお人形なの」
「そうか」
なかなか精巧な人形だが、ファルードにでももらったのだろうかと思い、ライジードはレイラを部屋のソファに座らせて侍女を呼ぶ。
「彼女を湯あみさせてから寝かしつけておいてくれ。ああ、ダンスで汗をかいたから、飲み物も」
「かしこまりました」
そうしてレイラの額にキスし、
「じゃあ、先に寝ておいで。私はまだ抜け出せない」
「うん。王子様だもんね。頑張ってね、ジード」
と、レイラの激励に苦笑すると、ライジードは慌ただしく部屋を出て行った。
「レイラお嬢様、舞踏会は楽しめました? お加減が悪いとおっしゃってたから皆が残念に思ってましたのよ」
「うん。抜け出して見に行ったら見つかっちゃったの」
「あらあら。けれども踊っていらしたならよろしゅうございました。やっぱりそんなに可愛くしたんですもの。誰もがお嬢様の、可愛らしい妖精のようなダンスに見惚れちゃいましたわね」
「そんなことないよ。あのね、ジードってばジルードともすっごくハードなダンスしてたんだもんっ」
舞踏会での作業ではなく居残り組だったその侍女に、問われるままにレイラはライジードとジルードが繰り広げた、まさに互いの優劣を競っていたかのようなダンスのことを身振り手振りまで交えて話す。
レイラを入浴させながら、その侍女も楽しそうにそれを聞いていた。
「まあ、奥方様もその帝国の方と?」
「うん。ロムルスはね、そういう優しいところがあるから。普通は女の人を大きく回らせるけど、自分が大きく回ることで、奥様があまり動かなくてもいいようにして踊ってたんだよ」
「あらまあ。若いのに、お優しい方ですのね」
「うん。ロムルスはとってもとっても優しいの。鈍いところもあるんだけど、それでもいい人なんだよ」
鈍いというのは褒め言葉ではないだろうと、侍女は思いながらそこを尋ねる。
「鈍いってどんなところが?」
「んーとね・・・」
レイラは分かりやすくストレートに答えた。
「隣に住んでいる人が男装しているだけで男の子だと思い込んで、女の人だと疑いもしないところかな」
「・・・あらまあ」
さすがの侍女も呆れ返る。
「それは鈍うございますわね」
「うん。きっと服の形で男女を見分けているタイプなんだね」
しかし、考えてみれば帝国軍はそんな奴ばかりだったなと、レイラは思う。
ジルードが女性だと見抜いていたのは、まさに女性の感性を知っているファルードと、そして着替えているところを見てしまったレイラだけではなかっただろうか。
「ですけど、殿方には多いのですわ。ちゃんと顔を見てなくて、その着ている物だけで判断している人」
「ああ、いるいる。髪型を変えても気づかないってタイプ」
「そう、それですの」
うんうんと、二人は頷き合う。
レイラは紛れもなく子供なのだが、そういうことに関しては大人である侍女達ともよく話が合っていた。
そう、その頃、ライジードがとても冷たい視線をレンダーに向けているとは思いもせずに。
ライジードの前にいるレンダーがかなり痛い胃を押さえているとも知らず、レイラは楽しく侍女に手伝ってもらいながら入浴して、それから爽やかな香りのレモネードを飲み、歯を磨いてから寝台に入るまで、ずっと喋り続けていた。
侍女にしても、ライジードが傍にいない時のレイラは、他国の様々なことを教えてくれる楽しい話し相手なのである。
さすがにもう寝かせないとまずいだろうと思うところまでお喋りを楽しむと、
「さあ、レイラお嬢様。もうおやすみにならないと。戻ってきたライジード様が、まだおやすみでないと知ったら怒っておしまいになりますわ」
「そうね。ジードってば『子供は早く寝なさい』って、こーんなに目を吊り上げて怒るのよ、きっと」
と、二人でクスクス笑い合う。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
「おやすみなさい」
運動していい汗をかいたレイラは、すぐに寝入ってしまった。元々、規則正しい生活をせざるを得ないこの世界で、普段のレイラならとっくに寝ている時間だ。
そう、レイラがイディラートの実の娘でないと説明され、そして妃に迎えることのできない身分だから諦めるようにとレンダーに諭され、先程までの上機嫌から一転、ライジードが最悪な気分になっているとも知らずに。
その日のレイラが見たのは、沢山の小鳥が飛び回るお庭で、マイオスやザイ、ファルードやロムルス、そしてライジードと踊る夢だった。
何故だろう。
体が重い。重すぎる。まるで巨大な蛸に締めつけられているかのようだ。
レイラはうんうんと魘されていた。
自分の体を何かが強く巻きついて離さないのだ。
「タ、タコは、・・・タコ焼きだけでいい」
そんな自分の魘される声で、レイラは目が覚めた。
「はにゃ?」
どうやら自分を締めつけていたのは蛸ではなかったらしい。腕だ、腕が自分の上に乗っかっている。
(ジードぉ。あんたって王子様はどうしてこう・・・。だから、別のお部屋で寝たいって言ったのにぃっ)
そもそも、一緒の寝台で寝ようというのが間違いなのである。寝る時は広々と手足を伸ばして大の字になって寝たいではないか。
それをこの王子様が無理矢理・・・。
レイラは、よいせっとライジードの腕を剥がそうとした。
(な、何なの。この離れない腕は)
何故だろう。意識的に力を入れて締めつけているかのようだ。
うんしょ、うんしょと両手に力を入れて持ち上げようとしたら、やっと隣に寝ていたライジードが目を開ける。
「おはよう、レイラ」
「おはよう、ジード。・・・腕、重い」
「ああ、ごめんね」
重いと文句を言っているのに、ライジードは少し腕を上げたかと思うと、レイラを自分の胸の中に抱きこんできた。
「ジード?」
「ねえ、レイラ」
何だか不穏なものを感じずにはいられないレイラだ。
昨日はあんなにもご機嫌で会場に戻っていったというのに、何があったのだろう。
まさか次のダンスで、今度はジルードに負けたとか?
いや、まさか。だけど・・・。
「レイラは、おうちに帰るより私と一緒にいたいよね?」
「へっ?」
にこにことしてライジードは言った。
だが、レイラには分かる。そう、顔は笑顔だ。しかし、・・・その灰色の瞳は全く笑っていない。
「別に、ルーセット神官長の娘じゃないなら、それでもいいんだ。だって、神官長のご令嬢なら一度は家に戻してからじゃないと妃に迎えられないけど、そうじゃない一般の家の娘というのなら、このまま君を連れて帰ってもいいわけだからね」
「・・・・・・・・・」
ば、ばれた?
自分がイディラートの娘ではないとばれたのか。
朝っぱらから、レイラはかなりの恐怖に襲われて後ずさりをしようとした。しかし、寝台の中でライジードに抱えられている状態で、どこに逃げるスペースがあるというのか。
レイラの体は、完全にライジードの腕が抱え込んでいた。
「あ、あの、ジード・・・」
「安心して、レイラ。君の兄君からは、君を任せると、そう言ってもらえたから。だから私と一緒に、私の離宮に帰ろう?」
「え。いや、その、あの・・・」
ファルードと兄妹設定が嘘というのはばれていないらしい。
だが、イディラートの娘ではないことはばれている。
(そういえばファルード、私のこと、妹のリデルさんと間違えてた)
そこで誤解が生じてしまったのだろうか。
だけどリデルではないと、すぐにファルードも分かっていたようだったのに。
(いや、ジード。私、そろそろリミダ村に帰らないと、パパとザイが待って・・・)
けれども、今のライジードにそれを言ってもいいものだろうか。
いや、ちょっと待て。
そうだ、イディラートの娘ではない以上、今のレイラは平民の娘。さっき、ライジードだって、神官長の娘なら一度は家に戻してから妃がどうのこうのと言っていたではないか。
(まさか、・・・この年で、もう、お妃様とか考えていたとは)
本気で恐ろしすぎる。
今の自分はまだ子供だというのに。
「あ、あのね。ジード。ほら、私、一般の平民だから、それこそ、お城だなんて・・・」
「安心して、レイラ。そうだね、まずは君を私付きの侍女にしよう。勿論、仕事なんてしなくていい。それからテルノス殿が、何なら君を養女ということにして嫁入りさせてもいいと、そう言ってくれている」
「えっと、ジード、・・・その、養女っていうのは、いささか乱暴な・・・」
「よくあることだよね?」
いや、あまりないと思います。
そう言えたらどんなに幸せだろう。
けれども、ライジードはレイラに「否」を言わせる気はない、そんな気迫を漂わせているのだ。
「ねえ、レイラ。今すぐ私のものにされるのと、大人しく私についてきて侍女をやるのと、どっちがいい?」
「じっ、侍女って一度やってみたいと思ってたのっ。ええっ、侍女ってまさに女性の憧れっ、エリート職業よねっ。お城で働く女性って、本当に素敵っ」
レイラは即座に選んだ。
ふふふふふと、妖しげな笑顔をライジードが浮かべる。うふふと、レイラも冷や汗を流しながら笑ってみせた。
「本当に君は不思議な子だね、レイラ」
「そ、・・・ソンナコトハアリマセン」
残念そうな口ぶりになって、ライジードは言ってのけた。
「あーあ。一気に既成事実を作って、テルノス辺境伯夫妻の罪悪感を煽って、ここで君を力技で妃に迎えても良かったんだけど」
そうか。そうなのか。
罪悪感を抱かせる程のナニをする気だったのだ、ライジード。
そもそも平民を一国の王子様の妃にするなど、かなりの力技ではないのか。それを、あの年老いた辺境伯夫妻に何を実行させる気だったのか。
大体、自分の体は誰が見てもまだ幼すぎるだろう。
「私ノ常識デハ、少ナクトモ結婚ヲ考エルノハ、十六才以上ニナッテカラナノデス」
「安心して。私はもう十六才になっている」
「私が十六才になってからっつってんのっ」
レイラは涙目になって怒鳴りつけた。
けれども、ライジードは全く取り合わない。
「ねえ、レイラ。君が誰だろうと、君しかいらない」
「えーっと、いや、ジード。ちゃんと周囲を見渡そうよ。ちゃんと他にも素敵な人が沢山いるんだよ?」
ああ、この情けないところが放っておけないのだ。
いつもいつも・・・。
(あれ? いつもって?)
そんな疑問も、近づいてきたライジードの唇に気づいて慌てて阻止したレイラの中から、すぐに消えてしまう。
「キスは結婚する人とっ!」
「・・・いいじゃないか。どうせレイラは私と結婚するんだから」
冗談ではない。
自分はちゃんと、ファーストキスは、結婚式のその場でと決めているのだ。
だからレイラはライジードの唇に自分の両手を押し当ててそれを徹底的に邪魔した。
とっくの昔にレイラのファーストキスは、寝ている間にザイに奪われているのだが、そんなこと、寝こけていたレイラは全く気づいていない。
「私はぁっ、ちゃんと結婚式で、素敵な旦那様と初めてのキスするって決めてるのっ」
「はいはい。じゃあ、私と結婚式で初めてのキスをしようね」
「・・・・・・誰と結婚するかなんて、まだ分かんないもん。だって、私、まだ、子供だし」
いくらレイラが誰もが素敵すぎて選べないと思っていても、それでも全員とだなんてのはごめんなのである。
それにまだ、自分が大人になるまで猶予はある筈だ。
(私は結局、誰を選ぶんだろう)
寝ている隙にライジードからも、とっくに唇は奪われているとも気づいていないレイラだ。
レイラが熟睡していても何もしなかったのはファルードとロムルスだが、彼らは健全な精神を持っており、子供のレイラは恋愛対象としてはあまりにも未成熟すぎた。
「君が大人になって、それから私を選べばいいことだよ」
「・・・・・・」
そうね、ライジード。
だけどあなたは言ったわ。他にも愛妾を持つだろうと。
それは嫌なの。自分が愛する人を、他の誰かと分け合うなんてのは。
「ジード。好き」
「私もレイラが好きだよ」
その気持ちは、お互いにきっと嘘じゃない。
けれどもライジード。あなたは他の誰をお妃様として迎えるの?
私がそれに耐えられると思うの?
「・・・レイラ?」
「ぎゅっとして、ジード」
口にすれば、強く抱きしめられる。
(ねえ、ジード。今のあなたにはまだ誰もいないわ。二十一才のあなたも、まだお妃様はいなかった。だけど・・・)
今のライジードを一人にできなくて、だからずるずるとここに留まっていたのも事実だ。
こんなにも不安定な彼を更に荒れさせてしまうぐらいなら、彼の住む離宮についていくのもかまわない。
(パパとザイ。心配してるよね)
だけど、あと少しだから。
マイオスとザイには、他にも心を許せる人達がいる。だけど、ライジードにはいないのだ。
あと少しだけ、こうしてライジードに寄り添ってあげていたい。
レイラは目を閉じて、ライジードの背中に手を伸ばした。
(それでもジード。私じゃない女性も妻として迎えるあなたを、私が選ぶことはないの)
どんなに好きでも。
それでも自分が求める相手は一人で、相手にも自分一人だけを求めてほしい。
そう願わずにはいられないのだ。
(ごめんなさい、パパ、ザイ。あとちょっとだけ待って)
レイラはライジードの服を強く握り締める。
「レイラ?」
「・・・ジード。大好き」
「私もレイラが大好きだよ」
だから今はこの腕の中にいたい。
いつかは消え去る温もりなのだとしても。




