18 君の名はスズ
胸を、強く打ちつけられたような気がした。
――― どうしてあなたはジードが傷ついているのを知っていながら放っておくの? あなた達がジードを守ってくれているなら、私はここに留まる必要もなかったのに。
その彼女の言葉を聞いた時に。
ああ、そうか。お前は私の為に、ここにいたのか。
レンダーを糾弾する彼女の、心の痛みが自分にも伝わってくる。
――― 王子様だって、ジードを大切に思うのなら、まずはその心だって守ってくれてもいいじゃないっ。体が傷つかなければ、何もなかったことになるとでも思ってるのっ? それとも、王族なんだから人よりも耐えなくちゃいけないことが多いのは当たり前だとでも思ってるのっ? ふざけないでっ。
そんな必要はないのだと、それが自分の置かれた立場なのだと、そう言ったところで彼女にとっては何の意味もないのだろう。
なぜなら彼女は、自分の肩書や身分など、見ていないのだから。
そう、レイラは十六歳の青少年であるライジードに対する周囲のスタンスに怒りを覚えているのだ。
(どう考えても十才の子供じゃない。だが、どう見ても子供だ。だけどレイラ。そんなことはもう、どうでもいい)
自分にとって大切なのは、こんなにも自分を大事に思っているレイラを傍に置き続けておきたいという、その自分の感情だけだ。
それとも彼女も大人になれば、ライジードの肩書きしか目に入らないようになってしまうのだろうか。
(ただ、レイラ。返してって、・・・・・・この間、私達は出会ったばかりなんだが)
それとも産まれる前に夢で見たからと、そんな理由でライジードの所有権を主張するつもりなのだろうか。本気で面白すぎる。
レンダーも返す言葉に窮している様子だ。そりゃそうだろう。付き合いの長さでいけば、レイラなどよりはるかにレンダーとの付き合いの方が長い。
「まっ、待ってく、・・・うわぁっ。・・・・・・あっ、いやっ、これは、ライジード様」
「いい。書類の方を優先しろ」
そう命じて、ライジードがレイラを追いかけたら、なんとレイラは子供ならではの隙間を見つけてさっさと植木の間に潜り込んでいった。
(あのお転婆娘がっ)
諦めて門から出て塀の外へと出ることにする。そこで兵士たちが、お一人では危険ですとか、色々と言ってくるのを制し、すぐに戻ると言って塀沿いに小さな路地へと向かえば、・・・そこには泣いているレイラを慰めているらしい怪しげな人間がいた。
顔には怪しげなバタフライマスク。どこの仮面舞踏会に出席する気なのか。
そして頭にはターバンを巻いている。どこの民族衣装だ。
(何なんだろうな、これは・・・)
それを見た途端、自分の胸に去来した思いを、なんと呼ぶのだろう。嬉しいような切ないような、それでいて怒りと悔しさが混じった安堵感があった。
(だが、レイラ。私は自分のものに手を出されておめおめと引き下がる気はない)
不機嫌な空気を漂わせてレイラに呼びかければ、レイラがそれにびくっと反応する。
わたわたと、慌てて城に戻ろうとする様子も、面白くて心が和むのだが、・・・どうせなら自分に抱きついてきてもらいたいものだ。
「変な所を通るな。一緒に戻れ」
けれども彼女の帰る場所が自分の所であるなら、それでいい。ほっとして、背中側の首根っこを握って身柄をとっつかまえてしまえば、その隙にくだんの怪しげな人間は姿を消していた。
「さっきの人・・・」
「ああ、お前が立ち上がるや否や、立ち去ったな。知り合いか?」
「ううん。・・・うん、多分、そうかも」
なんともあやふやな答えだが、レイラにも分かっていないのだろう。ライジードにも分かっていないように。
「レイラ」
「大好き、ジード」
「私もだよ。・・・レイラは世界で一番私が好きか?」
「・・・・・・」
返事はなかった。
それでも困ったような顔で、ぎゅっとレイラがライジードの服を掴む。
「なあ、レイラ。お前が一番好きなのは誰なんだ?」
「えーっと、パパと、ザイと、ファルードと、ロムルスと、・・・おんなじぐらい、ジードも好きだよ?」
そうか。お前が一番好きなのは父親か。
考えてみれば当たり前のことだった。
「・・・まあ、いいよ。レイラは何があっても私の味方でいてくれる?」
「うん」
だから今はそれで良しとしよう。
所詮、すぐに尻尾を巻いて逃げ出すような男ではどうしようもないのだから。
そんな男が女を得られる筈もない。まだ子供だが、レイラもいずれ娘になり、女になるのだ。
(だが、レイラ。お前は誰を見ている・・・?)
何があろうとライジードだけを信頼している、紫の髪をした美しく可愛らしい子供。
けれども違和感がある。
それはどこからくるものなのか。
(兄だというファルードのところに、本当に私は帰してやれるのだろうか)
リベラ神国でも名家の令嬢とあれば、あまりに礼を失した対応はできない。いらぬ騒動の種になるからだ。だが、ライジードがレイラに対して、あまりにも名家の令嬢に対するとは思えない振る舞いをしていたのは、そのままなし崩しでレイラを自分の妻に迎える気もあったからだ。
リベラ神国とて、自国の令嬢がライジードの妃になるというのであれば、悪い話ではあるまい。
(分かってる。自分がおかしくなっていることなど)
けれども彼女に対しては心がざわめかずにいられない。
「ジード。あのね、お茶を淹れてあげようと思ったの」
「それはとても嬉しいな。レイラの大好きなパイと一緒に食べたいね」
「うんっ」
いなくなったと知り捜していたが、目の見えない下男に水を汲んでもらっているのを見つけて、つい物陰から眺めていたライジードだ。この城では、戦いで体を損なった兵士達も、そうやって雇用し続けている。
――― そうかい。この間もここに来てたなぁ。お嬢ちゃんは、本当にご主人様を大事にしとるんだなぁ。だが、お嬢ちゃんのご主人様はどなたかな? 今は、かなり色々な方が滞在しとるそうだが。
――― うふふ、ナイショ。だけど優しい人なのよ。
その後のレンダーとの会話で、出て行けなくなったのも確かだが、・・・レイラはライジードの為に、とっておきのお茶を淹れたいと思ってくれたのだろう。
そういえば、お茶を淹れた時の湯の色がとか、発色と味がどうとか、この間から何かと呟いていた。それはきっと、使う水によってお茶の味がどこまで引き出されるかを見ていたのだろう。
茶の味を比べていることには気づいてはいたが、単に気になる程度なのかと思っていた。毒が入っていなければ、全ては許容範囲のライジードだ。
(やっぱりそういうところも子供らしくないんだよな)
だが、もう、そんなこともどうでもいい。
ああ、そうだ。レイラ。
お前のような子供に、もう、私はいかれている。
ロムルスは、顎が落っこちるかと思った。
「ジ、ジルード。その格好は、・・・お前、まさか私に同情とかして・・・?」
「同情? 何の話です。それよりも、ちょうど良かった。手伝ってください。私一人ではできないこともあるんです」
「へ? あ、ああ・・・?」
貴族子弟らしい格好に着替えたロムルスは、「ジルードも着替えたか?」と、声をかけてジルードの部屋にやってきたのだが、かなり緻密に織り込まれた白い生地のドレスを寝台に広げているジルードを見て、理解不可能な状態に陥っていた。
そんなジルードは下着姿だ。
「コルセットは後ろで結ぶものなのですが、どうしても自分でやるのは難しいのです。私とて貴族子弟の正装の方が気楽ですが、まさかロムルス様にエスコートする女性もいないなどというみっともない体たらくをさらしていただくわけにもいきません。ですがここは異国の地。私では役者不足ではございますが、精一杯努めさせていただきます」
「は、はい・・・」
ロムルスはジルードの背後で、そのコルセットの紐を締める手伝いをしようとする。
「す、すまない。まさかお前に女装までさせるとは・・・」
ジルードは中性的な印象のある男だ。背が高いから女性らしさはないが、この顔立ちならば、たしかにドレスを着れば毅然とした印象のある女性に見えるだろう。
しかし自分の為にそこまでと思うと、ロムルスは更にジルードに頭が上がらない気分になる。
「女装? 私は女ですが?」
「・・・・・・へ?」
「それより、さっさと締めてくださいませんか? その紐を下から上へと締めつけるように。ですが、あまりきつくしなくても結構です。このドレスは飾り剣をつけられるデザインになっていますので。いざという時には血路を開きます。身動きがとれないようでは困りますから」
「は・・・?」
「さっさとしてください。ロムルス様。まずは手を動かす。はい、ちゃっちゃと」
「は、はいっ」
その日、生まれて初めてロムルスは女性のドレスの着付け方を学んだ。全く色っぽさはなかったが。
「レイラが描いてくれたドレスのデザインは動きやすさを重視してありました。しかもこの生地を勧めてきた仕立て屋も、ドレスでありながらまるで騎士のようなイメージを相手に与えるようにと、そういうコンセプトで作り上げたのです。ですから、普通のひらひらしたドレスとは全く違いますが・・・」
「いや。だが、とても目を惹くドレスだ。着るのがお前だからだな。普通のふわふわした柔らかな布を重ねたのと違い、男のエスコートがなくても豪華さがある」
それはロムルスの本心だった。
赤みがかった焦げ茶色の髪を結い上げ、ただシンプルな棒のような金の髪飾りを幾つも挿して。だが、その棒のようなそれすら、煌めく宝石が斜めにラインを描くように嵌めこまれており、独特の美しさがある。
厚手の生地とはいえ、かなり緻密に織り込まれた布は光を反射して模様を浮かび上がらせ、大きくとられた襟と、それでいながら細身にすぼめられたスカートは、その足元でいきなり広がっていることもあり、そして動きやすいように何分割も細かくプリーツがとられている為、実は全く脚の動きを妨げない。
「初めて見た。こんなドレスは。・・・だが、とてもジルードに似合う。本気で女性のようだ」
「女性ですけど」
「まるで、戦女神みたいだ」
「・・・褒めすぎです」
飾り剣を吊るしているベルトすら、金糸の刺繍が美しい赤いものだ。だからだろう、ガーネットやトパーズなどの宝石を嵌めこまれた飾り剣すら、ドレスと一体感がある。
「その剣、・・・飾りじゃないんだよな?」
「ええ。ですがこれだけじゃありませんけど」
スカートの内部に短剣も隠してあるらしい。
しかもコルセットの中にも小さな凶器が隠されていた。
「迎えの馬車もそろそろ来るでしょう。ロムルス様、・・・ファルードを見つけ、さっさとテルノス辺境伯をお味方に取り込むのです」
「・・・そう簡単にいけばいいがな」
「その時は、生きて帰れたら良しとしましょう」
だが、とても心強い。
ジルードがまさか女だとは思わなかったロムルスだが、彼とならば、いや彼女とならば背中を預けて戦うことができるだろう。
「ジルード。・・・ところで、お前、女ってことは、・・・ギネス伯爵の?」
「はい。ギネス伯爵の長男の次女にあたります。ロムルス様は、兄達をご存じだったようですが、私まではご存じなかったようですね」
「いや、令嬢だと言われていれば、俺だって・・・」
しかし、記憶を探っても、伯爵家の四番目の子供など・・・・・・。
(ん・・・?)
いや、そうだ。たしかギネス伯爵家の四番目の子供、つまり二人目の令嬢は・・・・・・。
「たしか体が弱くて、田舎で静養という名の、ほとんど捨てられたと言われている令嬢じゃなかったか?」
「ええ。実はその通りです。あまりにも体が弱くて、これでは家の役に立たないと田舎に追いやられ、存在そのものを忘れ去られたというのが、私のことでして」
「・・・ほう。体が弱い」
「ええ」
そんなジルードは血色もよく、騎士になれる程度には体力もある。
「存在を忘れ去られた・・・」
「ええ。父にも母にも兄にも姉にも存在を忘れ去られ、田舎で誰に知られることもなく、そうしてひっそりと修道女にでもなって生きていくのだろうと」
物憂げに、ジルードはその言葉を肯定してみせた。
赤みを帯びた焦げ茶色の髪。その意志の強さを示す、赤く燃えあがる瞳。
その伸びきった背の高さといい、忘れ去られるような存在感にはとても見えない。
「本当のことを言え、ジルード」
「いや、やんちゃが過ぎて、恥をかくまえにと田舎に追いやられて、山で走り回っていただけですけど」
「・・・納得した」
「でもって、いささか宮殿でも怪しげなことになってきたので、祖父であるギネス伯爵から、『どうせお前なら存在なんてバレてないし、どうにでもなるだろう』と、持ちかけられまして、私はとある領地と引き換えにこの使命を引き受けたのです」
「領地?」
「ええ。私が暮らしていた田舎はなかなか良い場所なのですが、祖父が亡くなりましたら父のものになり、その後は兄のものになります。そうなると、本気で私は修道院に送られかねません。もしくはどこかに嫁がされるか。・・・というわけで、その領地をもらうことと引き換えに、今回のあなた様に何かあった時にはお逃がしするという使命を引き受けたのです」
「・・・なんだか、複雑な気分なんだが」
「気のせいです」
そりゃ、ジルードが自分への忠誠心から全てを引き受けただなんておめでたいことは思っていなかったが、こんなにもあからさまに報酬目当てだと断言されてしまうのも切ないロムルスだ。
「これで華々しい結果をあげれば、更に私が祖父から分捕れる報酬は多くなるのです。頑張りましょう、ロムルス様」
「はは、は・・・」
だが、そんなジルードの言葉も本当かどうかなんて分からない。
実はそんな取り引きだって、あるのかもしれない。ないのかもしれない。
けれども今、そんなことは些末なことだ。
「なあ、ジルード」
「何でしょうか、ロムルス様?」
「・・・ありがとうな」
ジルードは何も言わなかった。
ただ、男同士がよくやるように右手を挙げてくる。ロムルスもまた右手を挙げて、二人はそれをパシッと打ち合わせた。
「行こうか、ジルード」
「はい」
二人の間に、もう言葉はいらなかった。
可愛らしいピンクのドレスは、赤い刺繍も入っていてとても綺麗だ。
真珠のネックレスだって、その照りの輝きを見れば一級品だと分かる。
そんな素敵な装いで身を飾った自分は、紛れもなくとても可愛らしいお姫様だろう。
「お腹が痛いの。頭も痛いの。気持ちも悪いの。だからお部屋で静かにゆっくりしていたいの」
それでもレイラは往生際も悪く、仮病を主張していた。
「あんなにもダンスを練習したのに、それでいて踊れないだなんて悲しいだろう、レイラ?」
「別に、人に見られたいなんて思わないもん。ジードと一緒にお部屋の中で踊れたら、それで十分なの」
さすがに今日はレイラの仕度は侍女達に任せたのだが、ここぞとばかりに張りきった侍女達は、レイラをテルノス辺境伯夫人の所にまで連れて行き、見事に飾り立ててみせた。
「まあまあ。ライジード様がお気に入りのお嬢さんだけあって可愛らしいこと。まだお化粧なんて必要ないわね。飾りは真珠の首飾りだけで十分よ。あとは薄手の生地で軽やかな妖精のように仕上げればいいわ」
「そうですわね、奥方様」
宝石はもう少し育ってからだと、繊細な白いレース飾りがちらちらと見える、そんなピンクのドレスをレイラは着せられてしまった。はっきり言ってこんなにも素晴らしいレース、ヘタな宝石よりも高い値段がつきそうで、怖くてそこを訊けないレイラだ。
靴もドレスと同じピンクの布地で作られている。
(い、いつの間に私のサイズが知られて・・・)
恐るべし、テルノス城。
だが、そんなテルノス辺境伯夫人に着せ替え人形させられて、ライジードの所に戻ってきた時から、レイラにとって本当の闘いのゴングが鳴らされていた。
(今の私はファルードの顔。やばい、壮絶にやばい。絶対に会えない)
本当は舞踏会の直前になったら逃げ出そうと思っていたのだ。だから逃走経路を見つけておいたというのに、先日のアレで、ライジードにあの抜け道が知られてしまった。すぐに塞がれてしまい、レイラはどうしたものかと悩みながらも、ライジードから離れがたくて、結局この日を迎えてしまった。
「本当のことを言いなさい、レイラ。そんな仮病が私に通じるだなんて思ってないだろう?」
「う、嘘なんかじゃないもんっ」
ここで、はい仮病です、だなんて誰が認められるというのか。だって、そんなことを言ったら会場まで即座に連行されてしまう。ライジードはこの国の王子様だ。一番の上席ではないか。
(私だけ下座にいさせてくれるならいいのよ、別に)
それなら自分は適当に人混みに紛れるだけのことだ。しかし、テルノス辺境伯夫人は言っていた。
――― ふふふ。これならライジード様のお隣にいても恥ずかしくないわ。まさに王女様のよう。ね、あなた達、そう思わない?
――― そうでございますわね。フェイ様もお嬢様そっくりのとても美しいお方だと、仕立て屋も申しておりましたわ。
――― 本当に。ライジード様もおいででいらっしゃいますし、お三方がお並びになったら、きっと今夜は皆様全ての目を喜ばせる、美しい一幅の絵画とも見紛うことでございましょう。
あの時、レイラの顔から一気に血の気が引いたのを、侍女達を振り返っていた夫人に見られなかったことだけが救いだ。
そう、ライジードの隣で、ファルードに今の顔を見られるわけにはいかない。だって、そこで
「これが君の妹、レイラだね」
などと確認されたら、万事休すではないか。
これがまだ個別であれば、どうにかなるかもしれないが、何にしてもハイリスクすぎる。
ああ、どうして自分はあの時、ライジードにあの抜け道を知られてしまったのだろう。いや、その前にもっと早く逃げ出すべきだった。
こうなっては何が何でも、自分は舞踏会欠席、それ一択である。
「レイラ。どうしてそんなに舞踏会に出たくないんだ? もしかして兄君と喧嘩でもしたのか?」
「し、してないもんっ」
「そうだろうな。レイラは兄君が大好きだしな」
「うんっ」
そこでライジードはいささか不機嫌な様子になった。
「しかも、ロムルスとやらとも仲が良いようだし」
「うんっ」
かなりライジードは不機嫌な表情になった。
「なら、二人にも会いたいだろう?」
言葉の内容と口調が、完全に乖離しているライジードだ。だが今のレイラに、ライジードの様子に気づくような心の余裕はない。
「・・・・・・会いたい、けど」
「だけど会いたくないのかい?」
少し口調を和らげて、ライジードがレイラの顔を覗きこんでくる。
「今日は、・・・会いたく、ない」
「せっかく綺麗にしたのに?」
「・・・うん」
本当はファルードやロムルスにも、綺麗な格好をしたら見せたいレイラだ。きっと二人は喜んで、「可愛いね」「似合うな」と、褒めてくれるに違いない。彼らにとっては別に綺麗な格好をしていなくても、レイラが楽しそうにしていれば、それだけでいいらしいけれど。
「困った子だな。・・・まあ、仕立て屋達も兄君とレイラの顔はそっくりで兄妹以外あり得ないと、そう言っていたから、今更、そんなことを疑って面通しの必要をしなくちゃいけないわけでもないんだが」
はっとレイラが顔を上げると、少し厳しい顔のライジードがそこにいた。
「国が絡む以上、念には念を入れなくてはならない。レイラ、私は君が好きだよ。だが、それとこれとは話が別になる」
「・・・いいよ、それは。仕方ないもん」
それに実際、兄妹じゃないので、全くもってあなた方の疑惑は大当たりです。
などと、それをここで言ってもいいものだろうか。
まずいだろう。だが、問題はそこではない。
(じゃあ、私がライジードを頼ったのは無駄だったの? ファルードを、ジードは助けてくれないの?)
ならば、自分でファルードを助けなくてはならないのか。
レイラが、ライジードの心を見通そうというかのように探る表情になると、ライジードは参ったと言わんばかりの顔になった。
「やめてくれ、レイラ。そうじゃない、君の兄君に関してはちゃんと最大限の協力をするつもりだ」
「だって・・・」
レイラに、私を騙したのかと、その瞳で詰られたのがかなりのショックだったのだろう。ライジードは大きなダメージを受けた様子だった。
「いや、だから・・・。ああ、もう、この先は様々な事情が絡むんだ。レイラ、心配しなくても兄君のことは大丈夫だ」
「・・・本当に?」
「本当だ。だから、そんな瞳で見るのはやめてくれ。私は君を決して裏切ったりはしない」
「だって・・・」
それでもライジードは王子だ。国の事情が絡めば、ライジード自身の意思など二の次三の次になる。
王族だからこそ鶴の一声で全てをどうにでもできるだろうと思っていたレイラだったが、慎重にレンダー達の反応や様子を観察しながら、そうではなさそうだと悟っていた。そう、王族だからこそ自分を律することを求められるタイプの王室なのだ、このエスリーダ王国は。
日本でも、皇室の場合、公式な場では歩く速度とそれに要する秒数まで厳しく決められている。この廊下を進むのには何十秒でと、きっちりと常に同じ速度で歩くことを求められるのだ。一般人ならどこかで食べた食事に、たとえば何か小石などの異物が入りこんでいたらクレームをつけることができるが、皇族であればそれを指摘することでその料理人にどんな事態をもたらすかを先に考え、誰にも気づかれぬようにそれをなかったことにするとか。
かつてイギリスでも王位を捨てた恋というのがあったが、・・・一般人ならどんな女性と結婚しても男性の仕事や肩書きには影響しないが、イギリス王室においては結婚する女性がそれにふさわしくないとされたことで、王位どころか王族から排斥までされたのではなかったか。
反対に、とあるアフリカの王様は気に入った女性を次々と手に入れ、今やどれ程の数のお妃様がいたやらである。また、たとえば北朝鮮といった国に王室はないが、その崇拝を受ける人物は神のごとき権力を持ち、その意向は全てにおいて優先される。
結局、頂点に立てばこそ全てを意のままにできる国もあれば、頂点に立てばこそ自由を制限される国もあるということなのだろう。
「だから、・・・ああ、どうして君はそう変なところで」
レイラの小さな両肩にその両手を置いて、ライジードは力尽きたようにしゃがみこんでしまった。
少し黒みがかった赤い髪のつむじを見下ろして、レイラは不思議な気分になる。
(あ、綺麗な渦を巻いてる。ジードの髪って柔らかいからかな)
いつもは偉そうなのに、こんなにも気弱な感じになっているライジードだなんて初めて見た。だからちょっと面白い気がする。
肩を掴まれているのであまり手は動かせなかったが、指先でライジードの頭を、いい子いい子と撫でてみたら、恨めしそうに見上げられてしまった。
「あのね、レイラ。・・・色々と事情があるんだ」
「うん」
「だから、その、君は兄君の名前しか教えてくれなかったからかなり時間がかかったが、君はルーセット神殿の神官長のご令嬢だね?」
「・・・・・・」
いいえ、違います。
そう言えたらどんなにいいだろう。
だらだらと、レイラの背中に冷や汗が伝う。
「ただ、あちらからは神官長には息子が一人だけだと・・・」
やばい。かなりやばい。あまりにもやばすぎる。
レイラは本気でレンダーを呪った。
何が無力で哀れな宮仕えだ。子供の自分にライジードの世話を押しつけていた間に、せっせとそういう陰険な問い合わせをしていたに違いない。
「いや、レイラ。よくあることだ。リベラ神国では体面上、そういうことにしなくてはならなかったのだろう。だが、別に我がエスリーダでは、腹違いの兄妹など珍しくも何ともない。私とて腹違いの兄がいるわけだし」
「・・・・・・私、具合悪いから寝る」
別に本当に兄妹ではないのだから落ち込む必要もなかったが、ライジードの誤解をいいことに、レイラはそう言った。
「そ、そうか。あのな、レイラ」
父親に自分の存在を否定されて落ち込んでいるのかと誤解し、ライジードがあたふたとした様子で取り成そうとしてくる。
「ファルードには自分から会いに行くからいいの。今日は一人にして、ジード」
「・・・分かった。部屋にご馳走とお菓子を運ぶようにしておくから、終わったら私と一緒に踊ってくれるかい、レイラ?」
「うん」
少し心配そうにしながらも、ライジードはそう言って部屋を出て行く。
部屋を出た途端、護衛をしている兵士の一人に、レイラの食事を運ぶように言いつけている声が聞こえた。
(何にしても、今はこれでどうにかなった。・・・後は、だ)
レイラはその運ばれてきたご馳走を、しっかり平らげた。美味しいケーキまであるのだから、やはり今日は特別メニューなのだろう。
そうして腹ごしらえも終えたところで、こっそりと窓から抜け出すことにする。
何故か? そんなこと、言うまでもない。
(もっちろーん、見に行くに決まってるじゃないっ。だってジードとファルード、そしてロムルスとジルードまでいるんだもんっ。ああっ、どうしてここにカメラがないのっ)
それに今の自分はダンスまでマスターしているのだ。なんて素晴らしいことだろう。ここにザイがいないのが、悔やまれてならない。
窓からするすると柱を伝いながら地面に下りる。今日は舞踏会の方に、ほとんどの騎士や兵士が動員されている。だからこっちは無人に近いのだ。レイラは簡単に抜け出すことができた。
会場はかなり明るいだろうが、庭はさほどでもあるまい。茂みに隠れながら、もしくはこっそりと会場に紛れてチェックすればいい。
(ファルードとロムルス、それにライジードかぁ。ぐふふふふ)
だからこそ、この場にいないザイが気になって仕方がない。
リミダ村にいるザイは、今、何をしているのだろう。
(ザイなら、きっと豪華なお城に王子様とか神官様とか貴族のご子息がいても、「へー。それで?」とか言って、私だけを見ていそうよねっ。ザイ、私だけを好きな子だもん。どんなに素敵な令嬢がいても、私だけをエスコートするのよ。ああ、だけど暗い庭園でザイとダンスだなんて、素敵すぎる。だって私、ザイにはプロポーズまでされちゃってるしっ)
だけど、本当は・・・。
(本当はみんなと、踊りたかった、な)
綺麗なドレス。マイオスも喜んで「可愛い」と言ってくれただろう。最初のダンスはマイオスと踊るのだ。彼はすぐ踊るというよりも彼女を抱きあげて、高い高いをして終わらせてしまうけれど。
そうしてザイと、ファルードと、ロムルスと、ライジードと、順番に踊ったなら、きっと皆が笑顔でレイラの手と腰を支えながら妖精のようにくるくると軽やかにステップを踏ませてくれたに違いない。
(そうして、みんな仲良く・・・)
リリエルの色合いでもなく、ザイの顔でもなく、ファルードの顔でもなく、本来のレイラの姿で皆と踊りたかった。
ファルードと、その護衛という名目で監視に当たっていた帝国第二軍の騎士達は、あまりにも番狂わせを感じずにはいられなかった。
既に第二軍のドットス将軍以下、彼らに命令を下す立場の人間はいなくなっている。だが、他国まで乗り込んだ以上、ここは本来の命令に従い、帝国の皇妃とその一族に忠誠を示し続けるしかなかった。けれども、何ということだろうか。
「フェイ・ゲオランド・テルノス様と、アームル帝国の方々でございます」
会場の入口にいた侍従が、名を読み上げる。会場にいた誰もがファルード達を注目し、その一挙手一投足までをも注視する。
さすがの第二軍の騎士達も、足が震えずにはいられなかった。なぜならば、そこは正装した紳士淑女も多く集まっていたが、その背後には鎧に身を包んだ騎士や兵士達も多く勢揃いしていたからだ。
(何が舞踏会、だ。あの武装した奴らは何なんだ)
(来るんじゃなかった。・・・こっちの数では負ける)
(どういうことだ? あの武装している奴らは一体・・・)
いざとなればファルードを人質にすればどうにかなるのだろうかと、第二軍の面々も考えずにはいられない。舞踏会の警護にしては、あまりにもそれは物々しすぎた。
ファルードの腕に手をかけ、一緒に歩いてきていたフィーリエも、その居並ぶ人々を見ただけで足がすくんでしまったらしい。知らず足が止まり、その手がファルードから離れる。
テルノス城のその大広間は、まさにその一階部分のほとんどが会場という、とても広い、そして大勢の人間が収容できるものだった。
(なるほど。さすがはその武勇を誇るテルノス辺境伯。飾りの城ではなく、戦う城ということか)
いざとなればここに城下の人々をも収容するのだろう。ファルードはそう判断し、一人、ゆったりと歩を進めた。
本来はエスコートする女性が必要なのだろう。だが、要らない。
そう、自分にそんなものは不要だ。
その身を飾る宝石がなくても、隣にいて男を引き立てる女がいなくても、仰々しい肩書きすら持たなくても、我が身一つで全ての視線を奪い、心を寄り添わせる存在感を放たずして、どうしてイディラートの息子を名乗れようか。
――― その場で誰よりも存在感を示すがいい。姿すら、武器とするのだ。その場に並み居る人々の心をその身で鷲掴みにしてみせろ。
染めていた髪も、元の色に戻した。だが、黒みがかった紫とあって、あまり印象の変化はなかったけれども。
そして仕立てられた服の上から、リベラ神国の神官を示すメダルもつけている。自分の監視に当たっている騎士達は気づかなかったようだが、分かる人間には分かるだろう。
一番の上座にいる人間、恐らくはテルノス辺境伯であろう人間に向かって、ファルードはその視線を外すことなく、向かって行った。あちらもまた、鋭い視線でファルードを見据えている。
意識の内にある感覚を少し解放し、ファルードは周囲を探った。
(何だ・・・? 何かがいる)
この中央をまっすぐ行った一番奥にいるテルノス辺境伯もまた、強い気迫を持っている存在だ。だが、それとは違う輝きをファルードは感じた。
本来はどんな存在があろうと、テルノス辺境伯に向かって行かなければならなかったのだろうが、あまりにもそれが強い引力を放っているかのように思えて、ファルードは足を止めてそちらを見遣った。
ファルードの視線が向いたからだろう。目的の人物を隠すようにして、その間にいた人々が、ファルードの無言の要請に慄いた様子で、一歩程度ながらも左右のどちらかに割れていく。
そうして現れたのは、ファルードと同じぐらいの年恰好をした青少年だった。
(何で気になるんだろう。・・・テルノス辺境伯の息子か孫か?)
自慢ではないが、今、一番目立っている自覚があるファルードだ。なのに、その黒みを帯びた赤い髪の少年は、臆することもなくファルードを面白そうに見返してくる。
「なるほど。たしかにレイラの言っていた通りだ。なかなかの美人だな」
男なのが勿体ない美人だとはよく言われるが、そんなことよりも聞き逃せない名前だった。
それまで誰もが見惚れるような穏やかな微笑を浮かべていたファルードだが、壮絶な程の色香を湛えた気迫でライジードに問いかける。
「そのレイラが、私の知るレイラだとしたら、詳しくお話を聞きたいところですね」
「さてな。そのレイラは、私がそなたを誘って踊ってほしいと、そんなことをお望みだ。男などと誰が踊れるかと思ったものだったが、・・・見た目だけならたしかに美人だ。ま、私はそんな見かけよりも中身を重視するタイプなので、やはり願い下げだが」
その言葉は、ファルードの見た目に騙される気はないと、明確に伝えてきていた。
「彼女はどこに?」
「食べ過ぎで腹が痛いと、部屋で休んでいる」
「・・・・・・・・・」
あり得る。
あのレイラなら、この見た目だけは甘く優しい雰囲気を持つ彼に、ファルードと一緒に踊ってほしいとねだることはするかもしれない。何といっても、幼馴染の少年であるザイとも一緒に女装してほしいとまで言ってのけた子供だ。
(食べ過ぎ・・・。レイラならあり得る。だが、こんな所にレイラがいる筈がない)
けれども自分の勘が、この少年が言っているのは間違いなくあのレイラのことだと、そう囁くのだ。
(後で問い詰めることにしよう。まずはこっちだ)
テルノス辺境伯よりも先に、こんな少年に向き合ってしまったことはかなり礼を失したことになるのだろう。
後で聞き出そうと思い、ファルードはテルノス辺境伯の方へと再び歩み出した。だが、そこで、その赤い髪をした少年が面白そうに問いかける。
「私に名乗ってはくれないのか? まず、そちらから名乗ってくれないと、私も名乗れないのだが」
「ご挨拶申し上げるべきお方がいらっしゃいますので。挨拶は後程に」
「私を知らずして、なのに見つけたか。・・・さすがと言うべきか?」
謎かけのような言葉だったが、彼には流し目だけをくれるとファルードはテルノス辺境伯へと向き直った。だが、この一幕も興味深そうに見られていたらしい。
椅子に座っていた筈の男は、立ち上がってこちらを睨みつけるようにしていた。恐らく、目つきが悪いのだ。それは油断できぬ人生を送ってきていたことを示していた。
(かなりの重要人物だったのか? さすがに他国の事情まではよく分からないしな)
だとしても、そんなことはどうでもいい。上座にいない以上、どんな重要人物だろうが、それはいなかったことになるのだから。
皆の視線を集めたまま、テルノス辺境伯に近づくと、ファルードはそこで優雅に一礼した。背後からついてきていたフィーリエと第二軍の騎士達は、その場の空気に気圧されていて、まるでファルードとは無関係の団体であるかのようだ。
「お初にお目にかかります、父上。フェイ・ゲオランド・テルノスでございます」
「その名を名乗る人間は今までもいた。これからもいるだろう。その中で、見極めねばならぬ。そなたがその名を名乗るにふさわしい人物であるかどうかを、な」
面白そうに一段高い位置にある場所から見下ろしてくるテルノス辺境伯は、ファルードの首にかかっているメダルを確かめた様子だった。
「何なりとお確かめくださいませ」
「よくぞ言ってのけた。フェイ・ゲオランド・テルノス。その名を名乗る人間は、何をせねばならぬかも勿論、知っておろうな?」
「勿論でございます。我が命をかけて、その名を示してみせましょう」
面白そうに、テルノス辺境伯が大きく口を開けて笑った。
「その顔でよくぞ言ってみせたもの。ならば、皆、下がるがよい。騎士達よ、前に出るがよい」
着飾っていた男女が会場の壁まで下がり、武装した騎士達がファルード達を取り囲むように前へ出てくる。
あまりの状況に、フィーリエ達は蒼白になった。
「あ、あの、・・・フェイ様、これは一体・・・」
がくがくと足を震わせながらフィーリエが尋ねる。
「ん? ほら、言っただろう? 父上に息子として認めてもらうには、それなりの試験があるよって。この場合、彼らを倒してみせろってことなんだろうね」
さすがの第二軍のメンバーも、聞いていないと、気色ばむ。
「お待ちくださいっ。我々はそちらの息子殿を保護して連れてきて差し上げたのですっ。なのにどうしてこんなことになるのですかっ」
一人が、テルノス辺境伯にそう怒鳴った。当たり前だ。どうして自分達の親切を、こんな振る舞いで返されなくてはならないのか。
だが、テルノス辺境伯は飄々と返事をしてみせた。
「これは異なことを。フェイ・ゲオランドがテルノスに戻る時には、その程度の試験も無しに受け入れられることはあり得ない。それは誰でも知っておる。そこにいるフェイ・ゲオランドとて、それは承知であろう。そして、無理矢理でもない限り、それは説明していた筈だ。同行した人間もまた、それに付き合うのだと」
「・・・・・・え?」
第二軍の面々が、虚をつかれたような顔になる。
「フェイ・ゲオランドがここに立つ時、彼は命をかけてその覚悟を示さねばならぬ。フェイと一蓮托生の覚悟ある者のみが、共に命をかけて戦い、そして勝利してこそ我が前に立つことができるのだ。・・・勿論、そなたらはそこにいる彼と一蓮托生の覚悟をもって同行したのであろう?」
フィーリエが、そこで悲鳴のような声を上げる。
「じょっ、冗談じゃないわっ。どうして私がっ。私はただっ、命令されただけよっ。別にそんな覚悟なんてあるわけないじゃないっ」
「・・・ならば去るがよい、女よ。共に命をかける覚悟もないならば、そのフェイの前からは永遠に姿を消すがよい。フェイと共にある者に、腰抜けは不要だ」
周囲を取り囲んでいた武装兵だったが、出入り口へ続く方向だけ、少し空きが作られる。フィーリエは、脱兎のごとく、そこから逃げ出した。
「うーん。やっぱりフィーリエは逃げ出したか。・・・君達も、逃げたければどうぞ? 別に恨まないよ。まあ、腕に自信がある人は残ってほしいけど」
ファルードはぬけぬけとそう言ってみせた。
しかし、女であるフィーリエは逃げ出せても自分達は男だ。しかも、帝国の皇妃からは何の返事も届いていない。どうしてこのままおめおめと帝国に戻ることができようか。
けれども命あっての物種だ。
「冗談じゃねえ。俺はもう沢山だ。大体、ドットス将軍もいなくなって、どうしろってんだ。こんなことなら一軍に配属されてりゃあ・・・」
「そうだよ。なんでこんな目に遭わなきゃいけねえんだ。ちくしょうっ、俺が何したってんだ」
何人かが恨めし気な怨嗟の声をあげれば、反対に諦めたような声も出る。
「しょうがない。ここは乗りかかった船ってもんだ。・・・こうなった今だから言えるが、俺は、あまり皇妃様は好きじゃねえ。こんな子供一人を戦わせるなんてこともしたくねえ。・・・なあ、フェイ坊ちゃん。俺はあんたと一緒に戦ってやるよ。何の為にやるのか、もう分かんなくなってっけどな」
「だな。言うじゃねえか。戦いってのは、負け戦からどこまでやれるかが面白いんだってな。フェイ坊ちゃん、ま、俺の後ろにいな。少しは盾になってやんよ」
テルノス辺境伯が、そこで命じる。
「逃げ出したい奴は逃げ出させてやれ。だが、我が城で狼藉を働かれても困る。武装は解除させろ」
「かしこまりました」
そこで、逃亡を選んだ騎士や兵士達が、武器を取り上げられて次々と出て行く。何とも物悲しい光景でもあった。
「ところで、父上。生憎、武器をもっておりません。その取りあげた物の中から貸し出していただけませんか?」
「好きな物を使うがよい。何ならこちらで用意もしよう」
「では、槍と短剣を」
ファルードの求めに対し、幾つかのそれらが用意される。ファルードはその中から自分の手にあうものを選んだ。
「なかなか豪胆なことよ。多勢に無勢と思わぬのか?」
「・・・その質問に意味はありますまい。反対の立場であれば、あなたは引き下がりますか、テルノス辺境伯?」
その答えは、テルノス辺境伯を満足させたらしい。
どれ程に女のような顔だと言われようとも、この心が女になることはない。
だが、そこへ何やら押し問答しているらしい声が響いてくる。
「何やら足止めされていると思えば・・・っ。そこをのけっ。ファルードがいるんだろうっ!?」
「なりませんっ。お客様方は、控えの間にてお待ちくださいっ」
「連れが先に来ていると言っているだろうっ! お前如きがこのお方の進路を塞ぐとは何事かっ」
聞き覚えのある声に、ファルードが出入り口の扉へと顔を向ける。
(い、いや、まさか・・・。そんな筈は・・・)
だが、そこでバッターンと、大きく扉が開け放たれた。
そこに立っていた存在を認め、誰もが驚愕に目を見開く。
(あ、あのスカート姿で、・・・蹴った?)
(なんて奇抜なドレスかしら。けど、・・・素敵)
(おい。・・・蹴ったのか、その扉をっ!?)
(なんて背の高い・・・。しかし美しいな)
ファルードも、顎が落っこちるかと思った。
まだロムルスなら分かる。だが、・・・その見事に着飾った白いドレス姿で、それはないだろう。
大きく開け放たれた中央にいたのは、燃えるような赤い瞳を輝かせた貴族令嬢の姿だった。その後ろに、
「いや、ジルード。それ、俺がやろうとしていたんだが。何でお前が先にやっちゃうんだよ」
と、ぼやくロムルスがいる。
扉を守っていた筈の侍従は、涙目になって床に膝をついていた。
武装した騎士や兵士に囲まれたファルード達を認め、ジルードは不敵に微笑むと、壇上にいるテルノス辺境伯に向かって言い放った。
「案内の人間が遅いので、しびれをきらして参上いたしましたの。ですが、舞踏会には間に合った様子ですわね?」
くくっと、テルノス辺境伯が思わず咽喉を鳴らした。この武装した人間に囲まれているファルードを見て、ぬけぬけと舞踏会と言ってくれるのだから、なかなか豪胆な女性である。いや、化粧で大人びてみせているだけで、まだまだ年若い少女と分かる。
ああ、どうしてこう、気骨ある若い者を見るのは心浮き立つものなのか。
「そうだな。舞踏会はこれからだ。さて、そこの役立たずは、お客人のお名前を読み上げることもできぬらしい。・・・誰ぞ、その方々を案内せよ」
慌てて、テルノス辺境伯の傍にいた侍従が扉へと足早に駆け寄り、そこで招待状を見て、更に訂正されたその名を眺め、驚いたように乱入してきた二人をまじまじと見る。
白いドレスを纏ったジルードは、冷笑を浮かべてその無礼を咎める。
「この城の人間は文字も読めぬのか?」
誰がどう聞いても貴族令嬢の言葉づかいではなかったが、それで我に返った侍従は、慌ててその名を読み上げた。
「帝国のハイアレティ公爵家ご子息、ロムルス・ミネルヴァ・ル・アームル・ハイアレティ様。そして同じく帝国のギネス伯爵家ご令嬢、ジルドレア・グンネール・レ・ギネス様でございます」
先程までの乱暴な仕草が嘘のように、ロムルスに
「行きましょうか?」
と、微笑みかけるとその腕に手を添えてジルードが寄り添う。ロムルスも、
「そうだな」
と、堂々とした様子でジルードをエスコートすると、まっすぐファルードの元へと歩き始めた。
帝国の公爵家の人間となると誰もが対応に苦慮する相手だ。そこらの騎士とは家格も立場も違う。ましてや、ル・アムールの名を使えるとなると、第五位以内の皇位継承者でもあることを示していた。
武装していた彼らも壁際に寄り、ロムルスの進路を広く開けることしかできない。
悠々とファルードの前を通り過ぎ、テルノス辺境伯の前までやってくる頃には、さすがのテルノス辺境伯も既に壇上から下りている。
「ようこそおいでくださいました。・・・ですが、そんな高貴なご身分の方に招待状をお出しした覚えがないのでございますが」
帝国の貧乏子爵の息子に出した招待状はあっても、皇位継承者でもある公爵家の人間に出した覚えはないテルノス辺境伯だ。勿論、謙遜してみせた嫌味である。
「それはそれは。どうやら、何かの手違いがあったのでございましょう。ちょうどおっちょこちょいな娘が使者に出たものですから。ですが幼い子供の間違いなど、よくあること。勿論、それにはご寛容なお気持ちでお許しくださると信じております」
にこやかに、ロムルスはレイラのせいにしてみせた。
「お初にお目にかかります。ロムルス・ミネルヴァ・ル・アームル・ハイアレティと申します。こちらはギネス伯爵家令嬢、ジルドレア殿」
「お目にかかれて光栄でございます、テルノス様。ジルドレア・グンネール・レ・ギネスと申します。どうぞよろしくお見知りおきくださいませ」
先程までの乱暴な仕草が嘘のように、楚々とした風情のジルードである。すっきりとした白いドレスも美しく華やかでありながら、その漲る気迫にさすがのテルノス辺境伯も感嘆せずにはいられない。
すっと伸びた背中も、その足さばきも、それは戦える女性であることを明確に表していた。
「この地を拝領しております、ロッシージェ・フトカ・テルノスと申します。ですが、ご身分を明らかにしてまで、どうしてここにとお尋ねしてもよろしゅうございますかな?」
「無論のこと」
ロムルスは誰もが気持ちよく思うような笑顔になって言った。
「実は、そこにいるフェイ・ゲオランドは、どうやら勘違いした我が帝国の馬鹿共が、手違いでこちらに連れて来てしまったものでございます。私は責任を持って取り戻しに参りました。彼はこちらで引き取りましょう。どうも拝見いたしましたら、こちらでも武装した兵士達に取り囲ませる程度に、彼を不要といったご様子。ならば惜しくも何ともありますまい」
今まで、ファルードはテルノス辺境伯と何らかの繋がりがあると信じていたロムルスだ。
だが、のらりくらりと適当な言い訳を並べられて控えの間で待たされ、トイレだと嘘をついて様子を見に行ったジルードが立ち去る第二軍の奴らを見つけたのである。そこで丸腰だった彼らの喉首に遠慮なく剣を当ててジルードは状況を聞きだし、そうして慌ててこちらにやってきたのだった。
逃げる第二軍から、ファルードが危機に立たされているとは聞いていても、自分の目で見るまでは信じられなかったロムルスだ。それでも、多勢に無勢で囲まれている姿を見た途端、一気に頭に血が上った。
(この場にレイラはいない、か。当たり前だな。あのレイラが、ファルードがこんな状態で騒がない筈がない)
けれども、そちらは後回しだ。まずはファルードを救わねばならない。
そんなロムルスに、テルノス辺境伯は鷹揚に両手を広げて説明してみせた。
「これは異なことを。勿論、フェイ・ゲオランドは我がテルノスにとって大事な存在でございますとも。ですが、偽者も数多く出てくるのも事実。彼にはその身をもって、正真正銘のフェイ・ゲオランドであることを示してもらおうと、この余興になったのでございます」
「なるほど、余興か」
フッと皮肉気に笑うと、ロムルスはテルノス辺境伯以下、壁際から興味津々で注目している人々が聞き漏らすこともない、はっきりした口調で言い放った。
「ならば、この私もそれに参加して差し上げよう。何といっても、そのフェイ・ゲオランドは我が友。無断で連れ攫われて迷惑していたところだ。だが、友の苦難を見殺しにする男に成り下がる気はない」
堂々とした足取りで斜め後方にいたファルードへとロムルスが歩いていく。
「待たせたな、ファルード」
「その前に、待ってもいなかったけど。大体、どうしてこんな所に来てるんだよ」
「お前がいないとレイラが泣くんだ」
「・・・・・・」
尚、ロムルスは知る由もなかったが、ファルードはリベラ神殿の神官であり、いざという時にはフェイ・ゲオランドの名を使ってテルノス辺境伯に助けを求めることもできる繋がりを持たされていた。
しかし、それは取りも直さず、危ない場所へ赴くことも考えられる神官だからこそ与えられていた符丁であり、身分証明代わりに、リベラ神殿の人間ならではの戦い方を披露することで身の証ともするのである。
勿論、ファルードがそれをフィーリエ達に言わなかったのは、・・・追い払う手間を省く為だけのものだった。
「いや、あの、気持ちは有り難いんだけど、ロムルス、これは僕の戦いというか、僕の試練なんで、黙って見ていてくれると・・・」
「ならば訊くが、お前は俺がこういう状態になっていたら、さっさと壁際に引っ込むんだな?」
「・・・・・・」
それはないだろう。自分だって、友が窮地にあれば助けに行く。
が、しかし。これは違うと説明できないのがもどかしい。
テルノス辺境伯は偏屈老人なのだ。その戦いぶりを見て、気に入ったかどうかを決める。どうでも良ければ適当に保護して終わりだが、気に入ればちゃんと話をする時間もとると聞く。
ファルードは、ロムルスの為にも、その時間をテルノス辺境伯からもぎ取るつもりだった。だからこそ、フィーリエがいない間に、室内で出来る鍛錬をも欠かさずに行っていたのだ。
(なのにどうしてご当人が邪魔しに来るんだ・・・)
そりゃ嬉しいが。
嬉しくなかったなどとは言わない。誰もが手出しを躊躇うその身分を明らかにしてまで自分を救いに来たのだと知って、嬉しく思わない男がいるだろうか。
けれども、これは自分が決めたことなのだ。
「ロムルス。・・・実は僕の剣って、君には卑怯だ卑怯だって言われてたけど、実はもっと卑劣な人間なんだよ」
「お前の性格が悪いのは分かってる。だが、俺は気にしない」
「ありがとう。・・・だから」
油断しきっていたロムルスの鳩尾に、ファルードは拳を叩きこんだ。さすがの至近距離というのもあって、「ぐぇっ」と、ロムルスも一瞬、息が止まる。
「・・・悪いけど、そこで黙って見ててよ」
そうだ。ロムルスはかなり心が広い少年だ。
改めてファルードはそう思う。
相手がどんなに性格が悪かろうが、ひねくれていようが、その根本しか見ていない。だから、こうして当たり前のように、誰にでも気持ち良く笑える奴なのだ。
そう思い、ファルードは、決してロムルスを死なせられないとも感じていた。
ああ、そうだ。だから自分はここに来たのだ。今となっては自分の故郷であるリミダ神国と、そして帝国との間に、架け橋が出来る未来を信じて。
「すみません、ジルード様。このお坊ちゃま、預かっててください。こんなつまらない場所で怪我一つさせるわけにはいかないんです」
「あ、ああ」
そして自分の背後に残っていた、第二軍の騎士達を振り返ってファルードは命じた。
「君達も、まずは彼を守れ。既に第二軍が崩壊した今、ここでアームル帝国の名を持つ皇位継承者を守れぬような腑抜けが、二度と帝国の地を踏めると思うなっ」
「「「「・・・はいっ」」」」
本来、ファルードが命令できる立場ではないが、当然のように命じれば彼らも従う。
さすがに気を失うところまではいかなかったが、腹を押さえて蹲ったロムルスをジルードの方へと押しやり、ついでに邪魔だった騎士達もそっちに押しつけると、ファルードはテルノス辺境伯に向かって微笑んだ。
きっと今の自分は、誰にも負けない。
「お待たせしました。では、始めましょうか」
「ならば、私が彼の背中は守ろう」
これ幸いと第二軍の騎士達にロムルスを押しつけると、ジルードがすらりと飾り剣を抜いて、ファルードの背後に立つ。
「え? いや、ジルード様。あなたはロムルスを」
「ちゃんと奴らに押しつけてきた。安心しろ。お前に守ってもらいたいだなんて、これっぽっちも思っておらん」
「そりゃそうでしょうが」
騎士達によって、ロムルスは壁側にまで避難させられている。それを確認し、ファルードとジルードは背中合わせに立った。
まるで美少女を思わせる容姿のファルードと、まさにドレスアップしたジルードだ。二人の美少女を武装した騎士達が囲んでいるようにしか見えない様子は、誰もがはらはらとせずにはいられないものを感じさせる。
「しょうがありませんね。・・・じゃあ、手っ取り早くやりましょうか。ジルード様、殺しはしないでください」
「はぁっ!?」
言うや否や、ファルードは自分から彼らに飛びこんでいった。
「ちょっと待てっ、ファルードッ!!」
背中を守るつもりが、さっさと彼らの中へと飛びこみ、しかもそのまま包囲網を突っ切っていってしまったファルードである。取り残されたジルードだったが、元はと言えば武装した彼らの目的はファルード一人だ。誰もジルードには取り合わず、そうなるとファルードの方へと向き直って追いかける。
(あ、あんの野郎っ。私を巻き添えにはすまいってかっ)
立ち止まることもなく、ファルードは大きく移動しながら、流れるような動きでそれらを槍で躱していく。接近戦ならともかく、槍が長い為、なかなか彼らも近づけなかった。
見た目には剣の方がさまになるが、槍もまた素晴らしい武器の一つだ。
流れるような手さばきで、その柄の長さを活かしてファルードは彼らを近づかせない。
元々、互いに殺し合いまではしないという暗黙の了解がある。だからこそ、彼らも武装していたし、あくまで持っている剣も刃を潰してあった。
けれども。
「え・・・?」「・・・あ?」「ん?」「あ? どうして・・・」
やがて、その武装した騎士達が膝を床につき、次々としゃがみこんでいく。
わずかに残っていた人間も、やがてファルードと戦う内に、力が抜けて座り込んでしまった。
見れば、壁際にいた見物人にも同じようにしゃがみこんでいる人間が出ている。
その中に一人、平然と立ちながら、ファルードはテルノス辺境伯に向かって問いかけた。そう、まるでお天気のことを話すが如く優雅に、そして通常通りだと言わんばかりの余裕を見せて。
「これでご納得いただけましたでしょうか?」
「なるほど。さすがだな。だが、・・・面白い。ならば私と打ち合ってみるか」
どうやら何らかの奇術が行われたらしいと知り、テルノス辺境伯がそこで剣を抜く。そうして、老齢とも思えぬ素早さと力強さで一気に走り抜けると、力任せにファルードへと斬りかかった。
ガッ!!!
ガッキィーーーンッ!!
まともにぶつかったが為の大きく不愉快な音が広間に響き渡る。
大きく息をついて、テルノス辺境伯はせせら笑ってみせた。
「何とまあ、気骨のあることだ。小童と小娘の癖に」
「年寄りの冷や水は感心せんぞ、ご老体」
すかさずジルードが言い返す。小娘などと言われて黙り込むような性格ではなかった。言われたらやり返す。当たり前だろう。
反対にロムルスは、舌戦は不得意なので何も言わなかった。お年寄りは敬うべきなのだ。ついでにジルードはご老体と言うが、テルノス辺境伯の剣はかなり重い。
「いや、あの、ロムルスもジルード様も、僕を庇ってくださったのは嬉しいんですが、・・・帝国の高位貴族のご子息とご令嬢にそれをされてしまうと、こちらも立つ瀬がなくなりますので、出来れば遠慮してほしかったかな、と」
二人がまさか自分の前に出てくるとは思わなかったファルードがそう主張してみせたが、即座にジルードが却下した。
「黙れ、この卑怯者」
「そうだ。いきなり人の腹を殴るなんて、普通しねえだろっ」
ファルードに関しては、ロムルスもジルードの尻馬に乗る。
返す言葉もないファルードだ。テルノス辺境伯の剣を二人で受け止めたロムルスとジルードだったが、そのままロムルスがテルノス辺境伯の腹を蹴りつけて後ろへとよろめかせた。
「こいつに手を出すなら、俺を倒してからにしてもらおうか。何をやったか知らんが、そういう卑怯者だろうが何だろうが、それでも俺はこいつの味方なんだよっ」
そこで、ぶふっと大きく噴き出す声が広間に響く。
笑いながら、その声の主はテルノス辺境伯の所へと、人の波から出て近づいてきた。
「そこまででいいだろう。なかなか面白いものを見せてもらった。・・・辺境伯も人が悪すぎる。大体、ここまでしなくても、今回は十分に確認がとれていたものを」
「あなた様がお気に入りな少女の兄と思えば、為人を確かめておく必要がございました。仕方ありますまい」
ライジードに手を差し出され、それを握って立ち上がると、テルノス辺境伯は服の埃を払った。
「ここまでするつもりはなかったのですが、まさか帝国の方がここまで彼に味方するとも思っておりませんでした。いや、面白いことになっておりますが、それも若さでしょうか。・・・さて、どんな奇術を用いたものか、どうして彼らは座り込んでおるのですかな?」
「ああ。それでしたら今すぐに窓を開けて空気を入れ替えることです。このままにしておくと、この広間にいる方々全てが同じように立ち上がれなくなることでしょう」
平然と、ファルードは言ってのけた。
離れて見ていた人々が、慌てて窓や扉を開け放つ。四方八方から入りこむ風が、広間を通り過ぎていった。
にっこりと笑いながら、ファルードはロムルスとジルードの口に丸薬を押し込んだ。
「飲んでおくといい。そうしたら、君達は吸い込んでも大丈夫」
それからテルノス辺境伯とライジードにもそれを渡して飲むように促した。テルノス辺境伯が敬語を使っているところから、この赤い髪をした少年はそれなりの人物だとファルードも確信していた。
しばし躊躇った様子だったが、二人ともそれを飲み下す。
それからテルノス辺境伯は、周囲の人々に向かって宣言した。
「これにて確認はとれたものとする。では、舞踏会を始めよう」
武装していた騎士達が広間の外へと退場し、そうして先程までの殺伐とした空気が嘘のように、楽団達が定位置へと着席する。
どうやらこれは本気でファルードを害する為のものではなかったようだと知り、ロムルスがファルードに目で尋ねると、口の動きだけで「後で」と、伝えてきた。
「舞踏会の前に、お客人と会談できる部屋を」
テルノス辺境伯が、侍従達に別室の用意を命じる。
「お前達は控えの間に下がるがいい。追って、指示は下す」
ロムルスに命じられ、第二軍の残っていたメンバーが「はいっ」「かしこまりました」と、返事をして下がっていった。
「まずはご紹介申し上げましょう。どうぞ、こちらへ」
そうテルノス辺境伯に声を掛けられ、ロムルスとファルード、そしてジルードは、ライジードと共に別室へと案内された。その最後尾についていったレンダーは、何とも言い難い顔になっていたが。
迷子・・・。
簡潔にして分かりやすい単語である。
(く、暗くて分かんない。街灯はどこぉ?)
そんな物がある筈ないと分かっていても、真っ暗な庭で完璧に迷子になっていたレイラは誰も見つけてくれなくて、泣きべそをかいていた。
普段なら頼まなくても自分を追いかけてくるというのに、今日に限って周囲に誰一人としていないのだ。なぜか、見回りの兵士達も出払っているらしく、本気で誰も通り掛からない。
「アホだな。本気でアホだ。大体、暗い時に外へ出るなら、灯りを持ってくるってのは常識だろ」
呆れた様子ながらも優しい声に振り向けば、暗くて姿は分からない。
「だって、窓から出た時にはまだ明るかった・・・」
けれど、馴染みのある口調に誰なのかを知ったレイラは、そう言い訳のように呟いた。
「やるよ。ほら」
その声と共に、バサバサと何かが羽ばたく音がした。
「うぎゃっ」
何かがレイラの頭をガシッと掴んだものだから悲鳴を上げて、「やだぁっ、何これ何これ」と、騒げば両肩を押さえられて大人しくさせられてしまう。
「暴れんなって。こいつが驚くだろ。鳥だよ、鳥」
両手を掴まれて、その掌に頭の上にいたものを移される。
「鳥?」
「ああ。これなら便利だろ。お前の声に反応するようにしてある。可愛がってやんな」
「あ、あの・・・」
手の中で蹲っている鳥は、普通の鳥よりも固い感じがした。レイラは、その声の主を振り返ろうとした。鳥と言うが、手の中にいる存在からは体温など感じない。とても冷たい。
しかし、もう、そこには誰もいなくて。
「ど、どうして・・・」
レイラは本気で泣きたくなった。
どうして自分が暗い中で困っているのを知っていて、さっさと帰ってしまうのか。普通は、明るくて誰かがいる場所まで連れていってくれるものなのに。
「どうして、そこで放ってっちゃうのよぉっ」
小鳥はともかく、自分はどうやってここから動けばいいのか。
あのぼったくり占い師はどうして無神経で考えなしなのだろう。
「こんな暗い所、動けるわけないのにぃ」
すると、レイラの暗闇に慣れた視界が白く染まる。
「まっ、眩しっ。・・・眩しっ、何これっ」
目を何度もしばしばさせてよくよく見れば、手の中にいた小鳥の瞳からライトが照射されていた。
「まさか・・・。サイボーグ小鳥? うわっ、こっち見ないでっ。眩しっ」
慌てて目の前を手で遮る。
この世界で、まさか懐中電灯みたいなものを見るとは思わなかったレイラだ。
しかし、小鳥の目が自分を向いているのはとても困る。見上げられた日には、あまりの眩しさに目が潰れてしまいそうだ。
「えーっと、小鳥さん、私の肩に乗ってくれる? で、前を照らしてくれると嬉しいな」
すると、小鳥がぱさぱさと羽ばたいて肩に乗り移る。
「おおっ、何て便利な」
目の前が明るく照らされた。暗くて分からなかった茂みも、間にあった通路もこれでよく分かる。
なんということでしょう。世の中にこんなお役立ちな小鳥が存在するとは。
レイラは調子に乗って言ってみた。
「小鳥さん小鳥さん、少し遠くを照らしてくださいな。建物の位置が知りたいの」
すると、小鳥が顔を上げて遠くを照らし出す。光の強さそのものは薄れたが、大体の建物の輪郭は十分に分かった。
ランプなどよりもはるかに明るくて、口頭による指示もできる懐中電灯機能付き小鳥である。
「なんて便利でいい子なんでしょう」
レイラはすかさずご機嫌になった。見れば、小鳥は筒のついた首輪までつけている。どうやら茶色い小鳥のようだ。
「雀だから、君の名前はスズちゃんっ。さっ、スズちゃん、行こうか」
チュンッと小鳥が返事をする。
そしてあの傲慢な占い師が去った方向も照らし出してもらったが、もうそこには誰もいない。
(どこから入ってきたんだろう。それにこれ、・・・かなり凄いシロモノなんじゃ)
けれどもきっと、何か言ったところで彼はどうせ、「気にしなくていい」と、一言で終わらせるのだろう。返したところで受け取らないだろうと、それは何となく分かる。
(ぼったくりだから、きっと荒稼ぎしてんのね)
こんな小鳥、とても高かっただろうに。さすがは悪徳商人占い師だ。金に困っていないと見える。
レイラはそう思うことにして、自分の心と折り合いをつけた。
「スズちゃん。あのね、舞踏会会場はどっちだと思う? きっと音楽が流れている筈なんだけど」
さすがにそこまでは分からなかったのか、小鳥はチュンと鳴いて小首を傾げた。
そうして。
あまりにも安直なネーミングだったが、誰も指摘する人はいなかったので、レイラは小鳥をスズと名づけた。




