17 それに気づいて。それには気づかないで
騙された。
そう、自分は騙されたのだ。あの甘い微笑みに。
「うわぁぁぁんっ。ロムルスぅー、帰りたいよぉっ」
「あははは。なーにを私の前で違う男の名前なんぞ呼んでくれるのかなぁ、このお嬢さんは」
「いやぁんっ。人の寝間着をめくらないでよっ、このド変態王子っ!」
あまりの待遇に改善要求をしようと思いつき、朝食後から仮病を使ってふて寝していたら、傍若無人にも布団を剥ぎ取られたレイラだ。
容赦がない。そう、ライジードはこんなにも甘いマスクの癖に容赦がないのだ。しかも、ロムルスの名前を呼んだだけで、むかついたと言わんばかりに、人のワンピースタイプの寝間着を背中までめくり上げてくる。
そう、人のお尻を丸出しにして。パンツがなかったらどうしてくれるのだっ。
「ああ、すまないな。手が滑った。だが恥じらう程の体でもなし、そこは気にしなくていいよ」
「するわっ、この痴漢王子っ」
口では果敢に戦っているものの、体格から腕力から全てにおいてライジードに敵わないレイラは既に腰が引けていて、それを理解しているライジードも余裕の表情だ。
レンダーは、その薄い水色の瞳に大きな同情を浮かべ、口を開いた。それでも顔と視線は全く反対方向へと向けている。それがせめてもの情けだ。
「すみませんね、お嬢さん。どうかライジード様をよろしくお願いします」
「そこはジードを止める立場でしょおおっ」
「私、これでも無力で哀れな宮仕えの身なのでございます」
「嘘ばっかぁーっ」
味方は誰もいないと知ってえぐえぐと泣きながら、レイラは完全にライジードの遊び相手、いやオモチャになっている。
仮病なんて許す気がないのだ、ライジードは。寝間着すら脱がされ、パンツ一枚にされたレイラは、あまりの屈辱にシーツを掻き寄せて泣くしかない。
このまま反抗し続けようものなら、パンツまでライジードは脱がしかねない暴君だ。
ああ、ここが地球なら次の選挙でライジードをその座から落選させてやるのにっ。・・・王子様は投票で決まるわけじゃないけど。
「さ、レイラ。今度はこっちの桃色のドレスを着てみようか。君の紫の髪にとても似合うだろうね」
「だから自分で着るから出てけーっ」
「照れなくてもいいから」
「照れてないっ! この変態王子―っ」
「ふふふふふ。やだなぁ、この国のご令嬢は、皆、私にドレスを脱がせてもらいたがってるってのに」
「私は自分で着るか、もしくは綺麗なおねーさんに手伝ってもらいたいのっ」
「それを通り越して、一国の王子様がしてあげてるんだよ。さ、レイラ。万歳しようね」
「やあぁぁんっ」
「それとも、ずっとパンツ姿でいる気かい?」
「自分で着るぅーっ」
「これ以上反抗するなら、ずっと裸で暮らしていてもいいんだよ、レイラ?」
別にぺったんこな胸を見たところで何ということもないが、レンダーはライジードへのイメージをこれ以上壊されたくなかったので、黙って部屋を出た。
自国の第三王子の名誉の為に言わせてもらうのならば、今までライジードはどんな令嬢に対しても恥をかかせることのないよう、それこそ身支度にどれ程の時間をかけられても微笑みながら穏やかに待つことのできる、素晴らしく紳士的な王子・・・・・・だった。そう、過去形で。
(どこがお気に召したのか。・・・まあ、綺麗な子ではあるが)
兄だというフェイ・ゲオランド、つまりファルードという少年も、あのレイラの兄ならばかなりの美少年だろう。同じ顔だと言っているし。
だからと言って、あんな十才の子供をまさかライジードが自分の部屋に連れ込み、しかも寝る時まで傍から離さないとは思わなかった。
彼女の入浴まで、ライジードが勝手に仕切ったらしい。
さすがに見かねて手を出そうとした侍女達を全てひと睨みで下がらせ、ライジードはレイラをご寵愛中だ。
(とはいうものの、たしかにライジード様がおっしゃる通り、普通の十才の子供じゃない)
まだ初潮もきていない未熟な体は、本来、性的な意味合いなど本質的に分からない筈なのだ。なのにレイラはしっかりそれを理解している。
勿論、スカートをめくられたりしたら、小さな女の子でもちゃんと怒るだろう。しかし、それは怒るものだという認識があるからだ。
だが、これが成人した女性ならば意味が違ってくる。本能的に男に襲われるという意味を知っているから怯え、恐れるのだ。レイラはそういった成人女性としての感性を持っていると、ライジードはレンダーに告げた。その時、暗殺技術を仕込まれた子供という線を、自分達は疑った。
(幼いながらもそういったものを仕込まれているのかと思いきや、男性経験はないとライジード様はおっしゃっていらした)
それをしっかり確かめたライジードは本気で情け容赦がない。一緒に入浴し、更に同じ寝台で眠ったらしいが、寝ている隙に確認したのか、それとも浴室で体を洗いながらチェックしたのか。
王子として育っているライジードは、侍女達に体を洗われることにも慣れている。だから平然としていたらしいが、レイラは恥ずかしがってずっとライジードに背を向けて、浴室でも泣きべそをかいていたらしい。
そうなると、何も知らない純粋無垢な子供をライジードは・・・・・・。ああ、この城の侍女や騎士や兵士達に、ライジードはどんな人間と見なされたことか。考えると、頭が痛い。
(いいかげんに解放してあげればいいものを、更に気に入ってしまわれたようだしなぁ)
勿論、そういった経験がなくても男を喜ばせる手管を仕込まれている女はいる。だからそっちかと思って、それも確かめたらしいが、やはりレイラは違ったらしい。全く性的な技は仕込まれていなかったとか。
・・・・・・どう確かめたのか、絶対に聞きたくないレンダーだ。
あの王子様は、本気でえげつない。そうでなくては寝首を掻かれかねない立場だから仕方ないのだろうが。
(だがなあ。それでもあのお嬢さんはライジード様から離れないし)
勿論、そういった疑いがそれなりに晴れた以上、適当な客室を宛がって監視させておくことも考えたのだ。さすがに我が国の王子様に、ロリコン変態疑惑の噂が立つのはよろしくない。
なのにライジード自身がレイラをずっと手放さず、レイラも泣いて飛び出したところで戻る場所はいつもライジードの腕の中だ。
これでもレンダーだってちゃんと美味しいお菓子はあげているし、他の騎士や侍女達もレイラに優しくしてあげている。彼女はとても可愛らしい女の子だ。
なのにレイラはあれだけ苛められて、「ばかばかばかーっ」と喚きながら、それでもライジードの上着の裾を握りしめて泣くのだ。しかも、そうなるとライジードも優しくレイラを慰めているのだからやっていられない。大体、泣かせたのはライジードだ。
既にレンダー以下、誰もが、付き合っていられるかと、匙を投げていた。
(テルノス辺境伯からも、あんな子供に手を出すぐらいなら妖艶な美女を用意するがいかがか? とまで言われてしまったしな)
だが、ライジードがレイラをかまうのは、欲情する相手が欲しいからではないだろう。いくら同じ寝台で眠っていても、ライジードはレイラに対して完全には手を出していない。
(だが、あれ程のご執着だ。恐らく、いずれはご自身の愛妾にと、そう考えてはおいでだろうが)
このテルノス城で、ライジードは清掃や洗濯といった下働きの侍女達は受け入れても、自分の服を着せたり体の手入れをしたりする侍女達は全て断っている。それは恐らく、レイラに他の女性といった存在を感じさせない為だ。あれで慎重にライジードはレイラを大事に囲っている。
(しかしなぁ。リベラ神国の人間か)
そのファルードという少年とその両親が、リベラ神国でどういう立場なのか知らないが、その背景を調べてからのことだ。
(あの名前を使える時点で、リベラ神国でも有数な家の子供だろう)
ならばエスリーダ王国・リベラ神国双方にとって良い縁組なのかもしれない。だが、家のことを訊いても、レイラは全く答えられないのだ。そこがおかしいのだが、レイラは妾腹の子供か何かで、別宅ででも育ったのだろうか。
しかし、家柄的に問題がないならどうにでもなる。
ライジードとレイラだって、あんなにも互いを想・・・。
「わああぁーーーーんっ、ジードのおたんこなすぅぅぅぅぅーーーっ!!!」
「・・・・・・」
そんなレンダーの横をばぴゅんっと凄い勢いで通り過ぎ、青いドレスを翻して小さな風を起こして駆け去る姿があった。紫の髪も結ってもらって、可愛い花飾りをつけてもらったらしい。あれをライジードが挿してあげたのか。
(桃色のドレスはどうなったんだろう。また、花園に行って泣くのか)
他の人間は出入り自由だが、レイラはこのエリアから出してもらえない。ちゃんと騎士や兵士達にもレイラを出さないようにと、ライジードが命じたからだ。どれ程にレイラが可愛く頼もうと、レイラが動き回れるのはこの建物と中庭に作られた花園だけ。
(きっと一人になりたくて花園まで逃げ出したんだろうが、・・・きっと窓からそれをご覧になっているのだろうな、ライジード様は)
あの花園に咲き乱れる花々は、ライジードが庭師に相談しながら植えさせたものだ。女の子が喜びそうな可愛らしいベンチを置き、陶磁器で出来たウサギやリスが枝や草の間にも配されている。大理石を妖精の姿に彫ったものまで飾られ、とても可愛らしい。晴れた日には大きなぬいぐるみまで置かれていて、レイラはそれに抱きつきながら、ライジードの悪口を延々と語っている。
からかって泣かせて、それでもライジードはレイラを迎えに行くのだろう。仲直りのお菓子を王子自らが運んで、そうしてレイラも怒りながら一緒にそれを食べて機嫌を直し、ダンスを教えてもらうに違いない。
付き合ってられるか。バカバカしい。どう見ても、周囲を全く見ていないバカップルだ。
(ちゃんと兄君であるファルード少年のところに返す気はおありなんだろうか)
ライジードはそのまま自分の離宮までレイラを連れ帰ってしまうのではないか。
絆を深めに来たのか、決裂させに来たのか、本気で分からなくなっている。
(可愛いし綺麗な子なんだが、・・・ライジード様らしくもない、のめり込みようだ)
テルノス辺境伯も、既にライジードの寵愛を一身に集めている令嬢のことを、国王へと報告したらしい。レンダーも、宰相には報告済みだ。
今までどんな令嬢に対しても優しく平等に愛想と美辞麗句だけをふりまいていたライジードが、レイラだけをこうしてからかいながらも誰にも手出しさせず世話を焼いている事態に、レンダーだけではなく誰もが驚いている。
なんにせよ、舞踏会でそのファルードという少年を見てからのことだ。そしてロムルスという少年も。
(だが、・・・ロムルスね)
レイラは子爵家の息子だと言っていたが。
今更ながら、やはりここは上司である宰相も来たかったことだろうにと思うレンダーだ。
(いや、違うな。実は私も、わくわくしているのだろう)
そう、早くその少年達を見てみたくて。
知らず、人は時代の移り変わりに立ち会っていることがある。
もしかしたら自分もまたそうなのかもしれないと、レンダーはそう感じていた。
かつて栄華を誇ったからといって、それが永遠に続くものではない。
クユルの父であるミルドは、そう教えてくれた。その時は、へえ、そうなんだとしか思わなかったが、今、自分はそれを強く実感している。
そう思えるのも、自分が成長したということなのか? だが、自分は何も変わっていないと思うのに。
「リミダ村、か。そこにはなんと素晴らしい若者がいたものか。チェンジン国にはまだこんな逸材がおる。そう思わぬかえ?」
「御意にございます」
それは茶番でもあっただろう。
着飾りながらも、その衣服の重さに座り込んでしまいそうな、見るからにひ弱そうな国王。そしてその言葉に阿る高官達。
そこには、かつて武勇を誇ったといわれるチェンジン国の面影など全く残ってはいなかった。
金ぴかに飾られた宮殿はとても豪華で美しい。だが、それだけだ。
「オードン家のシアラ。そなたもまた、辛い目に遭ったものよのう。まさか、わざわざ偽者を仕立ててまで国王を騙そうと思う奴らがおるとはな。ほんに呆れ返ったものよ」
綺麗なドレスを纏ったシアラは、緊張しきった表情のまま、頭を下げ続けている。
その少し後ろに控えながら、ザイは自分が前にいてやれたならと、そう思わずにいられなかった。だが、仕方ないのだ。立場上、シアラの方が良い家柄の令嬢ということになるのだから。
(だからって、こんな震えてるガキを前面に出させなくてもいいだろうが。その程度も考慮してやれねえのか、こいつらってのは)
それだけの家柄の令嬢とはいえ、シアラの必要以上の恐怖は、それもまた仕方がないものだった。ピルッポでは名家だったオードン家だが、シアラは幼すぎて、マナーなどもまだ身につけていなかった。その状態でグインドに攫われ、ファリィヤに連れて行かれ、下働きの子供とされていたのだ。
やがてピルッポに戻っても、ミハスの家で喜んで迎え入れてもらったのは最初だけ。すぐに厄介者扱いされ、皆に罵られた。リミダ村に引き取られ、そうしてやっと自分を殴らない、そして笑いかけてくれる人々に囲まれて暮らせるようになったものの、そんな田舎暮らしでどうして国王に謁見する場合の作法など教わることができただろう。
正直、シアラはこの状態が怖くて仕方がない。
早くリミダ村のマイオスとエイリーンのところに帰りたくてたまらなかった。
「だが、シアラ。そちは先程から全く口を開かぬの。何か不満があるのか?」
「えっ、・・・いえっ、そのっ、・・・あ・・・・・・」
思いがけない質問に、シアラはばっと顔を上げたが、すぐに国王の視線に怯えて下を向き、返事にならない状態で、がくがくと震え始めてしまった。
(駄目だ、見てられん・・・)
シアラの背後にいたザイは、そこで軽く一礼すると口を開いた。
「恐れながら、シアラ嬢は無力な子供ゆえに目をつけられて帝国に攫われ、やっと私共と一緒にピルッポに戻れば、今まで使用人だった男とその家族に下働きのようなことをさせられと、辛い目に遭わされております。そんな人々しか知らぬシアラ嬢にとって、この宮廷にいらっしゃるのは亡くなった父君よりも遥かに偉い立場の方々ばかりと知り、到着する前から気後れしてがくがくと震えておりました。ましてやこの国の頂点にお立ちになる国王様など、畏れ多すぎて既に足元もおぼつかない状態になっておられるようです。どうぞご寛恕の程を」
「・・・なるほど、そうであったか」
陰気に俯いているだけの子供と思いきや、単に今まで見たこともないぐらいに偉い人々だというのでどうしていいか分からなかったらしいと知り、国王がそこで破顔する。
チェンジン国の場合、貴族とは遊びほうけているのが仕事のようなもので、だから剣をとって戦うオードン達のような騎士は、実はさほど地位が低いわけではない。けれども子供であるシアラにそんな事情は分からない。だから恐れ入っているだけなのかと知れば、居並ぶ人々もまた苦笑しつつ、ならば許してやろうよという空気が流れた。
(けったくそわりい。茶番もいいところだ。早く帰りてえ)
そんな思いを外には出さぬザイも、今の時点ではちょっとした英雄のようなものなのだろう。
彼らにとって必要なのは、戦える人間だ。自分達の意のままに動く、騎士及び兵士という名の戦闘人形。・・・それが欲しくて仕方がない。ザイはそんな事情など気づかぬフリで、うまく渡り合わねばならなかった。
「だが、帝国へと入りこみ、そしてシアラを救い出して、ピルッポを罠にかけた男を始末してきたとは、なかなかのものではないか。そちは、自分をただの村人だと申すが、ただびとではあるまい」
いや、正真正銘、単なる村人である。ただ、副業が盗賊なだけで。
しかしザイは戸惑ったような、それでいて誰もが目を惹きつけられるような、困惑しながらも人好きのする微笑というのを作って顔に浮かべた。
「とんでもないことでございます。我がリミダ村は、帝国の罠にかかったピルッポの騎士様方に、村長以下、ほとんどの男が冤罪で殺されました。どうしてそんな疑いをかけられたのかと訳も分からずにピルッポに向かえば、帝国軍によってピルッポの街は制圧された後だったのでございます。そうなれば、やってもいないシアラ嬢誘拐の真犯人は誰かなど、子供でもすぐ分かること」
尚、そんなことも分からない人間の方が当初は多かったのだと、ザイは口にしない。大事なのは、先に言ったもの勝ちだということだ。
こう言われて、分かりませんでした、などと言う阿呆はいない。
実際、周囲からも、「全くだ」「そうであるな」という囁きが交わされていた。誰しも、馬鹿に思われたくはないものだ。
「リミダ村は山に囲まれ、生活は慎ましく、皆で助け合う小さな村でございます。村の大人全てが自分の親のようなもの、村の子供全てが自分の子供のようなもの。親を殺されて、どうしておめおめと引き下がれましょうか。私共は激情のままに帝国のファリィヤに入りこみ、運よく、自分こそがピルッポを罠にかけてやったんだと吹聴していた男を見つけて仇をとり、そうして辛い目に遭わされていたシアラ嬢を連れ帰ったにすぎません。・・・きっとそれは、神のご加護があっただけのことでございましょう。私共は運が良かった、それだけでございます」
「なんと謙虚なことよ。それを神のご加護によるものと申すか」
「勿論でございます。このチェンジン国をお守りくださる神のお慈悲だったに違いありません」
どこまでも謙遜をし続けているのには、ザイにとって切実な理由があった。
というのも、ピルッポは主だった騎士を亡くしてガタガタだ。なのに、ただの村人といえど、リミダ村には戦える青少年達が揃っているのである。
親が盗賊をしているだけあって、リミダ村の子供達は小さい頃から武器を扱って育つ。
今回、自分こそがシアラだと名乗り出た彼女を保護していたリミダ村。そしてピルッポは街道の利もあり、経済的にも重要な地域だ。
チェンジン国は、リミダ村の青年達をピルッポの守りに取り入れたいと考えていた。
そして誰が聞いても美談となるのは、シアラを救い出したザイとの結婚だ。国中の乙女達の感動を呼び起こす、ドラマチックなラブストーリーではないか。
しかも、ピルッポにそこまで手を割かなくてもよくなるとなれば、尚のこと。
身分としては平民のザイ達に対し、何なら騎士にしてやってもいいのだぞと、それとなく宮廷に到着した時から、彼らは地位でザイ達を釣ろうとしてきていた。
だが、ザイにはシアラに対する恋愛感情など全くない。
更に言うならば、ザイはもうとっくにその身分というものに嫌悪感しか持っていなかった。
我こそが騎士なりと、そうふんぞり返っていた奴らに父親を、そして自分を可愛がってくれていた村人達を殺されたザイにしてみれば、全てが終わってからのんびりと偉そうに出てくる国王達など、ただの卑怯者にしか思えない。
何が逸材だ、冗談じゃない。自分達は自分達の為に剣を取った。それだけのことだ。
ザイにとって、盗賊をして生活の糧を得るのも、帝国の領地まで入りこんで仇を討ってくるのも、どれも同じようなものだった。そうしないと生きていけない。
金や食べ物がなければ体が駄目になる。父達の仇をとらねば心が駄目になる。だから、この手に戦う為の武器を持った、それだけのことではないか。
「だがピルッポの、偽者のシアラを担ぎ出してきた奴らは許し難い。オードン家のシアラよ。そんなことをしてのけた不届き者達は、かつてそなたの家に仕えていた家令達だという。そちに、刑罰に対する希望はあるか?」
そう問われ、シアラは真っ青になった。刑罰だなんて、自分にはあまりにも理解できない世界だ。
だから首を慌てて横に振った。
「わ、私には、・・・そ、それが、どんなに悪いことなのか、分かりません。それに、・・・刑罰って何なのかも・・・っ」
子供であるシアラは、あまりにも人生経験が乏しすぎて、自分の偽者を出したということがどんな罪になるのか、それすらも分からなかったのだ。
けれども彼らはシアラの偽者を国王に引き合わせたということで、罪に問われるらしい。
そうなると、自分はもっと彼らに憎まれるのだろうか。
あの時、自分が彼らの家で、お前のせいでみんなが亡くなったのだと、このピルッポの災難はお前のせいなのだと、そう責められ続けられていたように。
ぽとっと、涙がシアラから零れ落ちた。
「それは、・・・それは、私の、・・・せい、で・・・っ」
シアラは途切れ途切れに、そう国王に向かって問いかけようとした。
「わっ、私が・・・っ、私のせいで、彼らが・・・っ」
シアラは、自分のせいでまた彼らは自分を憎むのだろうかと、そう問いたかったのだが、あの時の怖さや痛さが蘇り、それ以上を続けられなかった。
だが、国王は違うように捉えたらしい。
「なんと、・・・小さいのに責任感の強いことよの。お前をそこまでひどい目に遭わせた使用人達すら、自分のせいだと、お前はそう考えるのか。とはいえ、そうやって泣いてしまう程に、まだまだ力は及ばず」
ふむと、国王はそこで考える素振りを見せる。
なんと都合のいいことだろう。この怯えている子供は、自分の寛容さを示すに素晴らしい流れを作ってくれている。
「若きリミダ村の村長とやら。そちは、そのシアラを帝国から救いだし、更に家令一家に虐げられていたシアラをも保護したという。これも何かの縁であろう。ピルッポの全権を任せてやろう。シアラの後見となり、かつての繁栄を取り戻すのじゃ」
冗談ではないと、ザイは思った。
簡単に言ってくれるが、そもそもピルッポは何もかもがガタガタだ。既にあそこは盗賊が跋扈する無法地帯となっている。
クユルが聞いたら、うふふと笑いながら、「いいじゃん。引き受けちゃいなよ。ああ、腕が鳴る」とか言い出すだろうが、ザイは真っ平だ。
こんなけったくそ悪い奴らと更に係わりあうような縁など完全に切っておきたい。
「いえ、あの、それはあまりにも私のような卑賤の身には過ぎた大役ではないかと。そういうことでしたら、是非、こちらの宮廷においでの身分も何もかもが素晴らしき方々のお力をと、そう存じ上げます。ピルッポの全権となれば、かなり強大なもの。それを私のような卑しき者に任せるというのは、あまりにも恐れ多いことでございます」
どうせ、そいつらがまた、かつてのピルッポの騎士達のように傲慢で考えなしな奴らなら、闇討ちすればいいだけのこと。
ザイはそう思い、居並ぶ人達をその腕をゆっくりと振る仕草で示してみせた。自分に自信があるらしい若者達が、我こそはと顔を少し赤くして胸を張る。
ああ、そうだ。そういう人生の苦労っていうのを知らんお坊ちゃんに任せてやればいい。その結果、そいつらがどんな運命を辿ろうが知ったことじゃないと、ザイは心の底に冷えきったものを隠し、微笑む。
「そんなことはないぞ、若き村長よ」
だが、国王は慈悲深いと思われるように少し顎を引き、そうして穏やかな表情を作ってみせた。
もうチェンジン国の力が衰えているのは分かっている。自分にできることは、せめて自国を延命させるべく使えそうな人々を選び、彼らをうまくあやしながら動かすことだ。
この青年もただの村人だとは言うが、この若さで村長になり、更にその辺り一帯では恐れられている存在だとか。ならば取り込んでおいて損はあるまい。
「この私がそなたを認めた。遠慮なく、そなたの腕を振るうがよい。全てを任せてやろう」
そこまで言われると、断れるものではない。
ザイは、後はクユルに押しつけようと考え、
「分かりました。では、後程、我が村の人間と共に詳しいことをお伺いしたく存じます。どうぞ、こういったことに詳しいお役人様をご紹介いただけませんでしょうか」
と、述べて終わらせることにした。
(考えようによりけりだ。国王が全権を任せると言ったんだ。なら、ピルッポの奴らを皆殺しにしようが何しようが、全くもってかまわねえってことじゃねえか。ちまちまちまちま襲ってくるのを撃退してても埒があかねえ。この際、こっちから奴らの鼻っ柱をぶちかましてやるか)
そんなザイを、シアラが体を斜めに傾けるようにして振り返り、涙に濡れた水色の瞳で見上げてくる。
今のシアラにとって頼れるのは、リミダ村の人々だけだ。ピルッポの屋敷は懐かしいが、今となってはピルッポに行くことすら、シアラにとっては怖いものでしかなかった。
「ふむ。そこは良きに取り計らってやるがよい。下がれ」
そうしてザイとシアラは国王の前から退出し、気疲れするだけの会見を終えたのだった。
互いに、重苦しい思いを抱えたままで。
先にザイが歩き、その後をシアラが追う形になったが、飾り立てられた宮殿の外、出入り口へと続く庭に出たなら、お互いにほっとした溜め息が漏れる。
本当はあまり追い打ちをかけたくなかったが、それでも言わねばならないかと思い、ザイはそこで口を開いた。
「なあ、シアラ」
「ん・・・?」
追いついてきたシアラが、ぎゅっとザイの指を握る。安心させようと立ち止まり、ザイはシアラの頭を撫でてやった。
ほっとしたような吐息。シアラがザイをおずおずと見上げてくる。
「お前のさ、・・・あの偽者役の子供と、そしてお前を引き取っていたっていう家令だったミハスっていう奴の家族が、牢にいるらしい。会うなら・・・」
シアラはみるみる内に体をぎゅっと縮こまらせ、後ずさった。
その表情に、ザイの心が痛む。
きっとシアラの彼らに対する気持ちは、あの殴られ蹴られていた日々から変わっていないのだろう。
そう、人は勝手なものだ。
痛めつけた方は自分の記憶を美化して忘れてしまうが、痛めつけられた方はその辛い記憶から逃げられもせず、こうしてかさぶたを剥がされるかのような痛みを何度も繰り返し与えられる。
どんなに時が流れたとしても、・・・心はその過去へとすぐに引き戻されるのだ。
「そうだな。分かった、会わなくていい。こっちでどうにでもしてやる。・・・帰るぞ、シアラ。マイオスさんとエイリーンさんが待ってる」
「・・・うん」
マイオスやクユル達は、城下にある宿屋で待っている。宮殿に上がって何かあっても厄介だと判断したザイは、自分とシアラの二人だけで行くと決めたのだ。
(そうだな。シアラは十分に辛い目に遭った。もう、これ以上、辛い決断をする必要はない)
いくら国王を欺いた罪とはいえ、もしもこれが、本物のオードン家のシアラが、涙ながらに懇願したなら、刑罰が軽減されることもあっただろう。
実は、一人で彼らとの対面をしてきたザイは、彼らにそれを頼まれてもいた。
――― こんな大それたことをしてしまうだなんて、自分は馬鹿だったと反省している。
――― シアラお嬢様に対して素っ気なく扱っていたのは、周囲に対するデモンストレーションであり、本当に憎かったわけではない。
――― 偽者を出しても、そうして時間を稼ぎながら本物のシアラお嬢様を探し出し、ちゃんとお迎えするつもりでいた。
――― あんなにも可愛らしいシアラお嬢様を憎いと思う人間がいる筈がない。
――― どうかもう一度、あのシアラお嬢様にお仕えさせてほしい。
――― 今度こそ、シアラお嬢様を大事にしてさしあげたいのだ。
(そうだな。俺も、知らなければ騙されていただろう)
そう、あの時、シアラを保護したのが自分達じゃなければ、その涙ながらの悔恨を告げる言葉の数々に、自分も騙されていたかもしれない。
偽者を仕立てたというからどこの子供を使ったのかと思いきや、それはミハスの娘だった。
(娘がいたなら、どうしてシアラには男物の服を着せていたんだ?)
わざわざ女の子であるシアラを、そこまでして貶めたかったのだろうか。
現在、シアラを養育しているマイオスとて、リリエルの服をシアラに着せ、エイリーンも自分のリボンをシアラの髪に飾ってあげている。いつもお下がりでは可哀想だからと、たまにエイリーンは可愛い布でシアラの服を縫ったりもしていた筈だ。
ささやかな暮らしでも、そのおしゃれを楽しみながら。
(憎いと思っていなかったなら、どうしてシアラはあんなにも痩せ細り、風呂にも入れてもらえてなかったんだ?)
ああ、ここにいるだけで魂が汚れて腐っていきそうだ。
人の醜さと愚かさに、息が詰まりそうになる。
「シアラ。褒美の金とやらをもらったからな。何なら帰る前に少し買い物でもしていかないか? エイリーンさんが喜びそうな何かを買っていってもいいだろう?」
「うんっ」
一気にシアラが嬉しそうな顔になる。
そういえば、リリエルもマイオスに何か持って帰ってあげようとする時、こんな顔をしていた。
そんなことを、ザイは思う。
リリエルに魚釣りを教えてあげて、そうして釣り上げたものの内、小魚はマリネにしてマイオスの酒の肴にしてあげればいいよと教えたら、目を輝かせて、「パパ、喜ぶかなぁ」と、嬉しそうにしていた。ザイの姉達に教わりながら作り、マイオスに持って帰った小魚の酢漬けを、二人で美味しく食べていた筈だ。
(ピルッポか。仕方ねえ。ここはいっちょ諦めて、やるしかないんだろうな)
弟のローリー、そして既にザイの参謀役になっているクユルの思い通りになるのは癪でもあるが、仕方あるまい。既にリミダ村は大きくなりすぎた。あの小さな村だけでは足りないのだ。
(なあ、リリエル。お前の力ってのは、お前がいなくても増大していくのか? それとも、違う何かがあるというのか?)
分からないことが多すぎる。あまりにも自分達には運が味方しているようにしか思えない。
けれども、シアラにザイは笑いかけた。
「ローリーもクユルも甘いものは好きだからな。シアラが選んであげれば、マイオスさんも喜ぶ。どうだ、大役だろう?」
「えへへっ。うんっ、ザイ、早く行こっ」
先程はあまりにも偉い人達に囲まれて、怖くて怖くてどうしていいか分からなかったシアラだが、こうしてザイと二人きりなら何も怖くない。
ローリー達にしても、自分を助けてくれた王子様達だ。
彼らがいるなら自分は大丈夫。
傷ついた心を、シアラはリミダ村で皆に愛されることで癒していた。
ピルッポの街に戻った時には、男の子といえば自分を見つければ髪を引っ張ったり、切ったりしてくる恐ろしい存在だったが、今のリミダ村の男の子は、シアラを見れば「おいでおいで」と手招いて、シアラに素朴な焼き菓子をくれたりする。
そんなローリー達にお土産を買っていくと聞いて、シアラはとっても素敵なお菓子を買って、皆で一緒に食べるのだと、ザイの手を引いて駆け出しそうになった。
さすがにザイが、「ほら、前をちゃんと見ろよ。シアラ」と、その手に少し力をこめて引き戻す。
(ああ、そうだ。リリエル、結局、俺はそうなんだろうな)
どうしても女の子は弱くて虐げられてしまうけれども。
それでもそんなお前達が何も虐げられることなく、こうして幸せそうに笑ってくれればいいと思うんだ。
屈託なく笑う、そんな笑顔があれば俺達は頑張れる。
だから・・・・・・・・・。
そこでザイは、唇をへの字に曲げた。
(で、あいつはいつになったら戻ってくんだ?)
エスリーダ王国に旅立ったリリエルは、未だに母親ができたことも、妹ができたことも知らずに、引き続き留守だった。
その日、ロムルスはジルードの意見に押されている自分を感じていた。
駄目なのだ。なぜか太刀打ちできない。そう、ロムルスの反論など許さないという気迫がジルードから立ち上っている。
今のジルードは、炎を噴き上げている活火山だ。湖のように大人しくそこにあるだけのロムルスの意見など、一気に干上がらせてしまう熱量がそこにある。
だが、男には負けると分かっていても戦わねばならぬ時が・・・。
「だからジルード。大事なのは、目立たずにファルードを・・・」
「何を馬鹿なことをおっしゃってるんですか、ロムルス様。目立たずにこそこそしているのはゴキブリだけで十分です。いつから我が帝国のロムルス様はゴキブリにおなりになったんです?」
「いや。ゴキブリにはゴキブリなりの存在感があると思うぞ。だからあれ程、皆に悲鳴をあげさせることが可能な・・・。いや、そうじゃなくてだな。大事なのは、俺のその格好のことだと思うんだが」
ジルードは、はんっといった風に鼻を鳴らしてみせた。
何となく、ロムルスはかつて年老いた家庭教師に、「アホですな、坊ちゃん」と、馬鹿にされたことを思い出した。
「そうです。あなた様のお召しものですが、こちらの正装をと申し上げております」
「いや。だからそれってどう見ても貴族の正装だよな? 俺はあくまで騎士程度の正装に留めたいって、俺は、さっきから、あれ程、何度も、言っているのに」
「ええ。私はちゃんと先程から貴族の正装をするようにと、私は、さっきから、あれ程、何度も、申し上げております」
どうしてジルードは自分にそんな格好をさせようというのか。
ロムルスにはそこが分からない。大体、自分は死んだことにしてトンズラな作戦を立てたのは、ジルードだったではないか。
なのにどうして、こんなエスリーダ王国で、自分が生きていることを大々的に示すような真似をしなくてはならないのだ。鳥頭なのか? だが、そんなこと、怖くて言えない。
何故だろう。ジルードは愛想はないが、話の分からない奴ではなかった筈なのに。
「決まってます。いいですか、ロムルス様。あなた様がお亡くなりになったという知らせが帝国に入り、そしてあなた様の従妹姫でいらっしゃるルネリー様が、あの日、第二軍のドットス将軍の要請をお受けになりリーング入りしたことが報告されたそうです」
「ルネリーがっ!? まさかっ、あの時、ルネリーがあそこに来ていたというのかっ? もしやっ」
「大丈夫です。ルネリー様はいち早くリーングをお離れになり、あの惨事には巻き込まれておりません」
「・・・そうか」
ロムルスは、ほっと息をついた。
「ルネリー様がご心配ですか?」
「当たり前だろう。妹のようなものだ。大体、どうしてルネリーがあんな場所へ・・・」
「他国の王子との見合い後、帰還するところを、国宝らしき宝飾品があるので見てもらいたいという要請を受けてリーングにお立ち寄りになったそうです」
「あいつら・・・。まさか、そんなことでルネリーを」
国宝らしき、ということは、あれが妖精の涙だとエイドルにも分かったというのか。まあ、誰でも分かるだろうが。
しかしルネリーなら、あの言葉にも気づいた筈だ。
(だから、さっさと離れたのか。それでいい、ルネリー)
だが、この従兄に会わずに帰っていったっていうのは少し寂しい気もするが。
妹のように可愛がっていたというのに、年頃の女の子になるとドライなものだ。ああ、昔は自分が作ったヘタクソな花束でも喜んでくれたというのに。
そんなことを思っていたロムルスに、ジルードは冷ややかに「お話を進めても?」と、訊いてくる。
「あ、ああ」
「その結果、ドットス将軍及びエイドル殿がお亡くなりになったのはともかく、その巻き添えでロムルス様まで亡くなられたと知ったハイアレティ公爵夫人は凄まじくお怒りになりましたそうで」
「あ、・・・母上、が?」
「ええ。よりによって宮殿から幼い皇子様を連れ出され、そして公爵家の城塞に立てこもられたそうです」
「・・・誰の話だ?」
「ハイアレティ公爵夫人、つまりロムルス様のお母様のお話です」
「うちの母は虫も殺せぬ、何かあっても黙って耐え忍びながら静かに涙を流す方だ。人違いだろう」
ロムルスは、きっぱりと言いきった。そう、どこかで情報が混乱したに違いない。
そんな母だから、人質のように宮殿に連れていかれても、父も自分も何も言えなかったのだ。だから自分達は、今まで出来の悪い操り人形でい続けた。母を、愛していたから。
「尚、ハイアレティ公爵もまた、ロムルス様がお亡くなりになったばかりか、奥方様が誰もが何も言えぬ気迫を漲らせ、幼い皇子様の首につきつけた小剣から血を滴らせている状態で人質にとり、そうして城塞に逃げ込んだとお知りになりまして、呼応する形で宮殿に反旗を翻したそうでございます」
「ち、父上・・・」
父は分かる。あれで父は静かにタイミングを見計らっていた筈だ。妻と息子を人質のようにされても、それでもいつか何かのほころびを見つけるや否や、反撃に入ろうと、そう考えていただろう。
会えない時間が長くても、それぐらいは分かる。父は、そういう人だ。
だが、問題は・・・。
「母上が、皇子に剣を突きつけて・・・?」
「ええ。凄かったそうですよ。
『我が息子をっ、紛れもなくこの帝国直系の血を引くロムルスを、愚かにも塔を怒らせた者達の巻き添えでお前達は殺したのかっ』
と、その場に居合わせた全ての人が聞いてしまう程の大声で怒鳴り、更に
『ならば、こんな皇子の命など、どうでもよかろうっ。我が息子を殺された気持ちを思い知るがいいっ』
とまでおっしゃられて、それまでは小さな皇子様にも親切になさっていらしたそうですのに、いやはや、息子を思う母の愛とは深く激しいものだな、と」
ハイアレティ公爵夫人といえば、本来のハイアレティ公爵家の一人娘だ。第二皇子と結婚し、その第二皇子が婿入りした形となる。
ハイアレティ公爵領のどの城塞であろうと、彼女の命令には従うだろうが・・・。
「ちょっと待て。その話はいつ・・・」
「先程、入りました。しかし、こうなるといい機会でもございますので、ロムルス様には華々しく死者復活デビューをしていただこうかと、そう思った次第でございます」
「・・・ジルード。その場合、服がどうこう言う前に、まずは俺に報告があるべきだと思うんだがな」
今は子爵家の人間ということになっているが、本来、ロムルスはハイアレティ公爵家の跡取り息子だ。
「それを報告しに来ましたら、よりによってロムルス様は、騎士の正装を着て、ほつれやおかしい場所などがないかをチェックしておられましたものですから、そこはきちんと本来のご身分にふさわしい正装をしていただかねばと思ったのでございます」
「なるほど」
そこでジルードが、紙をポケットから取り出し、ロムルスに手渡す。
それをざっと読んでロムルスは眉を顰めた。
「やはり、撤退、か・・・」
「ええ。あまりにも無理がすぎました。各地で、攻め落とした場所の維持ができず、敗走している状態になっております」
「そうなるとすべきは、まずは講和。そして守りを固めねば」
一人の騎士としてではなく、帝国側としての立場からロムルスは呟く。
その状況を、あの帝国は分かっているだろうか。いや、皇帝は既に生きた屍同然だ。現在、宮殿は皇妃の思うがままになっている。だが、その皇妃とて、あの幼い皇子がいればこその・・・。
その幼い皇子は・・・。
「・・・満足か、ジルード」
「はい。申し上げました筈。あなた様は、我らの希望である、と」
すくっと立ち上がり、ジルードはその赤い瞳に強い意志を宿してロムルスをまっすぐ見つめた。
「どうしてレイラがこんな伝手を持っていたかは分かりかねますが、テルノス辺境伯はエスリーダ国王の信頼厚い人物ということでございました。また、ファルードにしても、いくらリベラの神官といえども、リーング神殿のみならず、エスリーダ出身だというのであれば、ここはそのパイプを太くしておいて困るものではございません。今、帝国の全てがあなた様の帰りを待ち望んでおります」
「え? いや、それはないだろ? 少なくとも、皇妃は絶対に思ってない」
そこは、しっかり訂正してしまったロムルスだ。
言われてみて、ジルードも、それはそうかと思い直したらしい。
「では、若干名を除く、ということで」
「その若干名の方が多かったらどうするんだ?」
「その時は、殺してしまえホトトギスでございます」
「・・・・・・」
それは独裁者の考え方だ。しかし、ロムルスは聞かなかったことにした。
どちらにしても、母が皇子を人質にして立てこもったとなると、宮殿もそうそう攻められぬだろう。何といっても、あのか弱く幼い皇子は皇妃にとっても命綱だ。
「どうしてファルードを迎えに来て、ここでテルノス辺境伯とのパイプとやらの話になるのか・・・」
そのテルノス辺境伯とやらが、エスリーダ王国においてどこまでの影響力を持ち、どういう人柄なのかも分からないというのに。
「駄目そうだったら、ケツまくってばっくれりゃいいんですよ。あまり深く考えても仕方ありません。いざとなったら全てを放棄して、旅する傭兵として生きていきましょう」
「・・・お前、さっき、帝国の皆が待ってますって言ってなかったか?」
「あまりプレッシャーをかけても弱い子は潰れるので逃げ口を作っておいてやれと、本に書いてありました」
「何の本に?」
「ファルードが読んでいた『女の育て方』とセットになっていた、『男の育て方』です。こっちは自分には必要ないからと、私にくれたのです」
そういえば、ファルードはよく本を読んでいた。ロムルスはそう思い返す。ロムルスにも貸してくれたが、「男と女の違いについて」とか、「年上の部下を使う時」とか、「女性に対する褒め言葉」とか、たしかに人間関係についてのものが多かった。
「『女の育て方』って、・・・『女の子の育て方』、だろう?」
あんなにもレイラを甘やかしてばかりで、どんな躾ができていたというのか怪しい限りだが、無駄にファルードもそれなりに努力していたのだろうか。努力してあれでは、どうしようもないが。
そんなことをロムルスは思う。
だが、呆れたようにジルードはロムルスを見た。
「女の子の躾け方なら、ファルードのレイラに対するアレはありませんでしたよ。大体、従順さも教えていませんでしたし、裁縫もできないし、料理だって最低限でしたしね」
「だよな」
何か言われたら、まずは「申し訳ありません」とか、謙虚さを教えておかないと、気の荒い男なら女を殴りかねない。だから、女の子はまずお淑やかに振る舞うことを、母親に躾けられるのだ。
ロムルスがジルードを見ると、そこで何やら考え込んでいるようで、赤みがかった焦げ茶色の髪が、はらりとその目元を隠している。しばし考えてから、ジルードは続けて言った。
「私もファルード達はどうでも良かったので気にも留めていませんでしたが、・・・実の兄妹でない以上、ファルードはレイラが大きくなったら妻に迎える気だったのかもしれませんね。あんなにも甘やかされて大事にされて、更に夫に仕える妻が普通はどれ程に従順でなくてはならないかを知らないとなると、普通の男ではレイラがいかに可愛くても妻にはしないでしょう。夫よりも早く起き、夫の為に衣服を調え、朝食を作ってから起こしに行く、以前の話でしたし・・・」
「・・・ファルードがレイラを?」
そのジルードの指摘に、ロムルスは何故かムッとした不快感を抱いた。
「ええ。元々ファルードは高貴な雰囲気がありました。使用人を使う立場の人間ならば、納得できます。いくら素直で可愛らしい性格でも、あんなにも役立たずな女の子を大事にするのはファルードぐらいでしょう。レイラは、いずれファルードしか選べなくなるのではありませんか?」
別にジルードはレイラを嫌っているわけではない。あのレイラの生意気さを叱ってもいい立場だったのにしなかったのも、そういう朗らかさや素直さが楽しかったからだ。
ジルードは、そういった女性に対する一般的な概念をあまり好ましいと思っていなかった。それでも好ましく思わないというのと、その概念を知らないというのとは違う。
(私には微笑ましいものでもあったが・・・)
だが、様々な令嬢を知っていればこそ、不愉快なことがあっても愛想笑いをしながら男の機嫌を取り結ぶ女の処世術が全く分かっていないレイラでは、嫁に行ってから苦労するだろうと思わずにはいられなかったのだ。
けれどもあのファルードならば、レイラがどんなに女性として欠陥品でも、大事に甘やかすことだろう。
(そこまでしてレイラにこだわる理由があるのか、ということだが・・・。まあ、それだけ可愛い存在なのだろう)
それにファルードとレイラがそれで幸せならいいのではないかと思う。あれでレイラは楽しい子だし、ファルードにはそれだけの大きな包容力がある。性格は悪そうだが。
しかし自分には関係ないので全く問題はない。
知り合いである以上、二人の幸せを祈るばかりだ。
だが、気づくとロムルスは眉間に皺を寄せていた。
「なあ、ジルード」
「何でしょうか、ロムルス様」
「正直、不愉快だ」
「何がですか?」
今は様々なことが一気に押し寄せすぎている。頭の痛い問題は山積みだ。
このテルノス城の舞踏会の招待状すら、罠ではないかという思いもぬぐえないのに。
一体どれが不愉快だったのかと思って尋ねたら、ロムルスはこう言った。
「俺もかなりレイラは気に入っている。・・・子供だからまだ手を出す気にはならんが、妻に迎えるのならレイラがいいと、俺も思う」
「・・・・・・帝国史上、愉快な奥方を迎えたということで、名前を後世の歴史に残すおつもりですか?」
「それもいいかもしれん」
ジルードは、冷静になれという意味でわざとそう言ったのだが、どうやらロムルスは母親の暴挙から何からで頭が混乱しているようだった。
全くもって、本来のロムルスではあり得ない返事である。
「別に俺の人生など、こうなったらどうでもいいと、流されるしかないのだろうと思っていた。だが、自分の妻という言葉を考えた時、レイラしか俺には思い浮かばない」
「・・・男ばかりの中にいすぎたのでしょう。帝国に戻り、様々な令嬢に囲まれればちゃんと正気に戻りますよ、ロムルス様」
「・・・・・・そうかもな。いや、そうじゃない」
熱に浮かされたかのように、ロムルスは頭を抱えて膝へと突っ伏した。
「単なる子どもと思っている時には単に可愛いだけだったが、女として考えると駄目だ。・・・今、あいつが保護されているジードという男にすら苛立ってしまう。・・・これが、恋、なのか?」
ジルードは、何か言おうと思って口を開けたが、すぐに閉めて、また口を開こうとして失敗した。
もしかしたら自分はあまりにもロムルスに強いプレッシャーを与えすぎたのかもしれない。考えてみれば、あのハイアレティ公爵夫人の行動だけでも、ロムルスにとっては青天の霹靂だろう。
何とも気まずい沈黙だけがその場に満ちる。
「とりあえずロムルス様。・・・まだ、レイラがそういう年齢になるまで時間はありますし、何よりも彼女は、お菓子をくれる人はみんないい人だと思ってるレベルの子供ですよ」
「・・・そうだな」
ロムルスにもそれは分かっている。
どんなに大人ぶってみせても、レイラは何もまだ分かっていない子供だ。少なくとも、あんな子供に愛を囁こうと思う程、ロムルスも血迷うことはできない。
しかし、これが数年後ならば・・・。
「なんて奴だ、ファルード・・・」
「私にしてみれば、ロムルス様もファルードも、ちょっとおかしいのではないかと思うのですが。あの子、まだまだ本気で子供ですよ?」
もしかしてロムルスは・・・。
いやいや、たしかロムルスは酒場でも普通に様々な女性と遊んでいた筈だと思い、ジルードはその考えを打ち消す。
(かえって、女として媚びないところがいいんだろうか。レイラは可愛いし、裏表もないところがお気に召したのかもしれん)
そう思いながら、こればかりはギネス伯爵にも報告できないと思うジルードだった。
明後日には舞踏会ともなると、レンダーも忙しい。様々な情報と、そしてそれに対する自分達の行動とを考えれば、余計に頭が痛いからだ。
さすがに仮眠しないと倒れると判断し、適当な休憩場所を探していたレンダーは、そこで見る筈のない存在を見つけた。
紫色の髪を可愛く編んでもらった少女は、どうやら目の見えない下男と話しこんでいるらしい。
「だけどおじさんが水を汲んでくれるから助かったわ。あのね、このお城の幾つかの井戸を飲み比べてみたけど、ここの井戸のお水が一番美味しいのよ」
「そうかぁ。嬢ちゃんはかなりの舌の持ち主だなぁ。前の料理長もそう言って、よくここの井戸まで水を汲みに来ていたもんさ」
「やっぱり? やっぱりそうよねっ。そうじゃないかと思ってたのよっ」
どうやら水を汲みに来ていたらしい。だが、ここはライジード王子が生活しているエリアではない。本来、レイラはここまで出てこられない筈なのだが・・・。
どうしたものかと思い、レンダーは立ち止まって観察することにした。どうやら盲目の下男とレイラは気が合っているようだ。
「あ、そうだ。これね、美味しいお水を持っていったご褒美にってもらったの。おじさんも食べてみて」
「おお、いいのかい?」
「いいのよ。だって、汲んでくれた人にって、そうご主人様がおっしゃったんだもの」
そう言って、レイラは下男に焼き菓子の入っているらしい小袋を渡して立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行かなきゃ。あまりお待たせするとご主人様、怒るから。またね、おじさん」
「ああ。また水がいる時には声をかけてくれればいいから」
「うんっ」
見つかったことには気づいていたのか、レイラがレンダーに手を振る。仕方ないなと、レンダーはレイラに近寄っていった。
そして下男に聞こえないよう、小さな声で問いかける。
「あなたにご主人様はいらっしゃらない筈ですがね、お嬢さん?」
「あら。だってその方が自然でしょ? 私はメイドのレイラさんなのです」
水の入った壺を持ってやりながら、レンダーは一緒に歩き始めた。
「ところで、どうしてここにいるんでしょうかね、お嬢さん?」
「それは勿論、抜け出したからよねっ」
ここまできたら開き直るしかないのだろう。堂々とレイラは言ってのけた。
「知りませんよ。で、大人しく戻るんですよね?」
「勿論、戻るわよ。だってジード、私が帰らないと拗ねるんだもの」
こうして話していると、たまにレイラは十才の子供とは思えなくなるレンダーだ。
「拗ねる、ねえ。泣きながら逃げ出す癖に、それでもレイラさんはライジード様の所に戻って行かれる。それはどうしてかとお尋ねしても?」
ちょっとした皮肉だ。こんな子供にしてやられる程、レンダーは有象無象の存在ではない。これでも王宮に戻れば、宰相の右腕として泣く子も黙る存在なのだ。
すると、レイラは首を傾げた。
「だってジードが私を呼んでるのよ? 戻らないわけ、ないじゃない」
「呼んでる?」
その言葉を繰り返すと、少し唇を歪ませてレイラはレンダーの水色の瞳をまっすぐに見上げてきた。
どうやらその言葉で何らかの気持ちが湧きあがったらしい。そういう反応だなと、レンダーは思う。
「そうよ。・・・だってジードの心はボロボロだわ。誰があの人を傷つけたの? それでもジードは何もなかったかのように笑うの。だけどね、・・・だけど、誰だって傷ついたら心が血を流すわ。当たり前でしょうっ?」
レンダーは、感じていた眠気が一気に覚めていくのを感じていた。
(まさか・・・。いや、ただのハッタリだ)
レイラはこの地で初めて出会った人間だ。そして王城であったそれを、ライジードが何も知らぬレイラに話すことはあり得ない。
「あなたは、・・・何を知ってるのですか?」
知る人はそうそういない筈だ。ましてや、外国に漏れているだなどと、そんなことはあり得ない。
だが・・・。
レンダーは、慎重に問う。
「何も知らないわ。私は何も知らない。だって誰も、私に教えることはないもの。私に分かるのは、ジードの心だけ。だからジードは私を手放せないの。だって私は・・・」
「あなたは・・・?」
そこでレイラは黙り込んだ。歩いていた足も止まり、表情が消えている。
「レイラさん?」
怪訝に思って、レンダーガその顔を屈むようにして覗きこめば、レイラはうつろな抜け殻のような顔になっていた。
それでもゆっくりと顔を上げてくるその灰色の瞳と声には、悲しげな響きが宿った。
「・・・・・・どうしてあなたはジードが傷ついているのを知っていながら放っておくの? あなた達がジードを守ってくれているなら、私はここに留まる必要もなかったのに」
「え・・・?」
見えていても見なかったことにしていたものを、レンダーは弾劾された気になった。
レイラはぽろぽろとその灰色の瞳から涙を零しながらレンダーを睨みつけてくる。それはもう、子供のそれではなかった。
「王子様だって、ジードを大切に思うのなら、まずはその心だって守ってくれてもいいじゃないっ。体が傷つかなければ、何もなかったことになるとでも思ってるのっ? それとも、王族なんだから人よりも耐えなくちゃいけないことが多いのは当たり前だとでも思ってるのっ? ふざけないでっ。それなら返してっ。私のジードを返してよっ」
さすがのレンダーも、あまりの意味不明な言葉に頭が真っ白になる。
返せと言われても、元よりライジードは我が国の第三王子であって、よそからもらってきた王子様でも何でもない。
しかもどうして、他国人のレイラに返してと言われなくてはならないのか。
「えーっと? あのですね、レイラさん」
そこは大人の男としての冷静さで、その矛盾を指摘しようとレンダーは作り笑いを浮かべた。
しかし、くるりと身を翻すと、レイラはバタバタと駆け去ってしまう。そう、よりによってライジードが生活しているエリアとは反対方向に。
「まっ、待ってく、・・・うわぁっ」
追いかけようとしたレンダーだが、その拍子に壺に入っていた水が零れる。かなり多く入っていたのだ。すると、持っていた書類に水がかかり、さすがにそれはヤバイと、レンダーも慌てることになる。
床の上に壺を即座に置き、その書類の濡れた場所チェックと、修正に入るしかなかった。
(ま、まずい・・・。彼女が逃げたと知ったらライジード様がどんなことになるか・・・)
だが、この書類も大事なのだ。
どうして自分は誰かをとっつかまえて壺を持たせなかったのか。
そんなレンダーの混乱すら、今の駆け去ったレイラには知る由もない。
自分の言葉もレンダーは無視するのだろうと悟った途端、レイラは彼を見限ってしまわずにはいられなかったのだ。
(痛いわ。ずっと痛いの。ジード、あなたの心が・・・)
わざとレイラが嫌がるようなことをしながら、それでもその瞳の奥に、そうでもしていないと叫び出したくなるかのような辛い気持ちを抱えていると分かったから、自分はライジードに対して本気で怒ることができなかった。
(私だけは裏切らない。ジード、あなたが望む限り、傍にいる。だけど・・・)
けれども辛い。
そう、自分がこんなにも心配をかけていると分かっていながら、ザイの所にも、ファルードやロムルスの所にも行こうとしないのは、そのせいだ。
今のライジードを、どうして一人にできるだろう。
誰にも会いたくなくて、レイラはその荒れ狂う気持ちのままに駆け出していく。
(ジード。それでもあなたは気づくから、・・・だから今は戻れない)
無神経そうに見せかけて、あれでライジードはかなりの気配り屋だ。
こんな泣いたと分かる瞳をしていたら、すぐに何があったのかと探り始めるだろう。あの王子は、自分以外の誰かがレイラを泣かせることなど、絶対に許容しない。
そういう心の狭い少年なのだ。
広い庭の植木の間をくぐり抜け、塀に沿って植木が数メートルの幅になっている所へと、レイラは潜り込んだ。
植木で隠れていて分からない、塀の壊れた所と、植木の隙間とで、小さな子供なら出入りできるのだ。そこへもぐりこみ、レイラは城の外へと飛び出る。
「いってえっ」
「いったぁーいっ」
そうして誰もいない小道へと茂みから飛び出た途端、レイラは座り込んで見ていた彼の頭に頭突きをかました。
自分は悪くない。
そう思うレイラだ。
だって、いくらガサゴソという音がしていたからといって、そこで座って見ていようとしなくても、少し離れた所から見るという手段だってとれた筈なのだから。
自分だからよかったものの、これが狂暴な猪とかだったらどうしたのか。何事も、不審な物には近寄ってはならない。それは常識だ。
駅や空港でも、不審物を見かけたらその場を離れて駅員や係員に伝えるものではないか。この世界に電車や空港は存在しないけれど。
「人の頭に頭突きブチかました挙句、言うセリフが『そこにいるのが悪い』か。いい度胸だ」
「そ、そんなこと言ってないもん。ごめんね、すみません、ほら、謝ったっ」
「心がこもってねぇ」
ほうら、どうだ。私は謝ったぞと、胸を張ってみたけれど、何の感慨も呼ばなかったらしい。そう疲れたように言われてしまった。
しかし、彼に会えたのは嬉しいが、問題が一つある。そう、自分は謝らなくてはならないのだ。それは頭突きをかましたことではなくて・・・。
「あ、あの、ピース。あのね・・・」
「・・・悪いが、初めて会うと思うんだが、どこかで会ったか? 俺、ここに来るのは初めてなんだが」
「・・・・・・」
この場合、何と言えばいいのだろう。
そうだ、リーングでは自分は小さい頃のザイの顔をして緑の髪をしていた。
今はファルードの顔を少し子供っぽくして紫の髪をしている。
彼は変わらず、頭にはターバンを巻いて髪を隠している。目元もバタフライマスクで隠れたままだ。
(こ、困った・・・。あの首飾りのこと、どうやって謝ればいいの)
持って行かれたのだから自分が完全に悪いわけではないが、しかし、そうも言えない。
だけど今の自分は彼の知っている自分ではない。
ああ、どうすればいいのだろう。
しかも、自分達はずっとこの路地で向かい合っていなくてはならないのだろうか。
「泣いてたのか?」
「え?」
「目。赤くなってる」
そのレイラの目元を優しく親指で拭う仕草に、何を自分は思い出したのだろう。不意に、心が締めつけられた。
くしゃりと、レイラの顔が歪む。
レイラは、彼の広げた腕へと飛びこまずにはいられなかった。
その勢いに尻餅をつきながらも、彼は絶対に怒らないと分かっていたから。
わああっと泣きじゃくれば、困ったような声で慰めようとしてくる。
「泣くな。お前を泣かしたいわけじゃないんだ。誰もがお前だけは幸せにと、ただそう思ってるだけだ。あいつだって、お前を大事にしていただろう? だから・・・」
そんなこと、どうでもいい。
ただ、私は・・・・・・。
私はただ、ずっとあなたと・・・。
「お前を苦しめたいわけじゃなかった・・・。俺は、いや、俺達は自分のことでお前が苦しむなんて思わなかったんだよ」
嘘ばっかり。
なら、どうして私を・・・。
「頼むから泣かないでくれ。お前に泣かれるのは辛い」
強く抱きしめてくる腕に、いささか呼吸の危険性を感じれば、泣き声も小さくなるレイラだ。
少し落ち着いたと見るや、その顎をくいっと上げさせて、静かに尋ねてくる。
「辛いなら、もういい。お前を全てから解き放ってやる。その為なら、俺の・・・」
レイラは静かに首を横に振った。
彼が何を言っているか分からない。だけど多分、自分の魂はその意味を知っている。
けれどそれは気づいてはいけないことなのだ。だから忘れてしまおう。
だって、それを自分が望んだら、きっと彼は全てを壊してしまう。
そう、全てを・・・。
だから気づいてはいけない。そう、私は何も知らない。
そう自分に言い聞かせながら、レイラは目を閉じた。
(眠ってしまおう。そう、気づいた時点でこれは終わってしまう物語だから)
どうせ起きていようが寝ていようが、彼がレイラを放り出したりすることはない。
だからレイラは目を閉じた。
意識を落として、何も考えないようにする。
周囲がどうなっているのかも何も分からないまま、レイラの唇が動いた。
「首飾り、・・・取られた」
「いい。今度、もっといいのを作ってやる」
「ランプも」
「もっと役立つものにしてやる」
なら、いい。
彼が怒っていないなら、もういいのだ。
(忘れてしまおう。何もかも)
こうして頭を撫でてくる手つきが優しいから、だから自分は・・・。
「その手を離してもらおうか」
そこに、とても冷たい声が響いた。
「・・・何か誤解されているようだ。俺は、この子が泣いて飛び出て来たのを保護してやっただけなんだが?」
「なら、礼を言おう」
「どういたしまして。さ、お嬢さん。お迎えが来たようだけど?」
それは分かっている。
ただ、怒っている声が怖くて顔があげられないだけだ。
「レーイーラー? 自分で戻ってくるなら許してやるが、そうでないなら」
「戻りますっ。ええっ、今すぐっ」
慌ててレイラは顔を上げ、出てきた植木の隙間から城へと戻ろうとした。
「変な所を通るな。一緒に戻れ」
だが、そういう声と共に、ひょいっとレイラは背中側の服を掴まれて持ち上げられる。
「本当に泣いていたのか。どうした?」
そう問うてくるライジードに、レイラは首を横に振った。
「何でもないわ。いいの、ジード。だから帰りましょう」
そこで振り返ると、既にピースはいなくなっていた。
(早っ。いつの間に・・・)
「さっきの人・・・」
「ああ、お前が立ち上がるや否や、立ち去ったな。知り合いか?」
「ううん。・・・うん、多分、そうかも」
レイラはそう答えながら、ぎゅっとライジードの上着を握りしめた。
(行ってしまった。私を置いて・・・)
そんなことを、思いながら。
だけど、自分は彼を知らない。ライジードやファルード、ロムルスやザイといる時のように、幸せな気持ちになることもない。
なのにどうして気になるのだろう。




