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10 気の合う二人

アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。

ベータ(レスター):学者。

ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。

デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神官。

イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。


松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられ、ロキスとミザリーの娘レイラとして生を受ける。マイオスに拾われ、リリエルと名づけられる。


チェンジン国・リミダ村

 マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。がっしりとした大柄な男。

 リリエル(レイラ):薄い水色の髪と青い瞳。

 ザイ:濃い緑の髪に灰色の瞳。

 ローリー:ザイの弟。

 ガンスとリネア:マイオスの隣家の住人。

 クユル:ザイを教えていた学者ミルドの息子。


チェンジン国 ピルッポの街

 シアラ:水色の髪。水色の目。

 ミハス:オードン騎士隊長の家令だった男。


リベラ神国・ルーセット神殿

 イディラート:ルーセット神殿神官長。腰までのばした焦げ茶色の巻き毛に緑の瞳。

 ソール:イディラートの傍にいる中級神官。若いが苦労人。30代。

 トレイユ:イディラートの傍にいる中級神官。色々な所へ派遣されて調査などに当たっている。

 エリオット:上級神官。神官試験の監督にもあたった。リリエルを可愛がっていて、マンツーマンの授業もしていた。白髪に茶色の瞳。

 レルネーゼ:ファルードの指導にあたる女神官。緑色の髪に緑の瞳をした、二十代後半の女性。

 エディオス下級神官:二十代神官。親がルーセットの有力神官。

 サイラーユ上級神官:リリエルの為に自分の一室を空けてあげて提供した。

 ミローク上級神官:エディオスの父親。

 ファルードの手を取り、リリエルからレイラの名に戻った彼女は、

(ひ、一人で抜け出さなくて良かった・・・)

と、実感していた。

 というのも、その塀を乗り越えても、更にまた敷地が続き、再び高い塀があったからである。

 幾つもの建物の間を通り過ぎながら、レイラはファルードを見上げた。だけど暗くて、彼の顔はよく分からない。

 月明かりだけでは厳しいからと、足元を照らす為に灯りは棒の先にとりつけられ、自分達の少し先を照らしていた。


「ここ、・・・みんなで暮らしている建物の敷地の外も、まだまだ広がってるんだね」

「ああ。鍛錬用の施設とか、治療院とかがあるからね。孤児院は反対側にあるけど。・・・本当に入ったばっかりだったんだね。神殿敷地内の案内はしてもらわなかったのかな?」

「うん。連れてこられて、あまりお外には出してもらえなかったの。それでも神官様とかが暮らしている建物とか、お勉強用の建物とか、食堂とか沢山あったし。そのお外もこんなにいっぱい建物があるなんて思わなかった」

 

 深夜だから、こそこそと小さな声で話すレイラだ。だが、この少年はなかなか面倒見がよく、訊いたら分かりやすく教えてくれる。


「そっか。いきなりそれじゃ戸惑って逃げ出したくもなるよね。・・・だけど、レイラ。おうちに戻ったら、まずはお父さんとお母さんに、逃げ出してごめんなさいって謝って、それから一緒に神殿に戻るかどうかをよーく話し合うんだ。・・・夜中に逃げ出したくなるなんて、よっぽど神殿の生活が合わなかったんだろうけど、そういうこともご両親に分かってもらって、結果としてもう少し頑張ってみるのか、やっぱり止めるのかをみんなで話し合って、それから神殿の先生にご両親と一緒に謝りに行けば、ちゃんと分かってもらえるからね」

「・・・・・・うん」


 少年がいい人すぎて泣けるレイラだ。

 名前を尋ねたけれど、こんな夜中に子供を連れ出したと分かったら、自分の世話になっている神官様にご迷惑をおかけしてしまうことになるから名乗りたくないと言われてしまった。

 それでも自分をちゃんと親元まで送り届けるつもりらしい。更には、親御さんに怒られないように、ちゃんと一緒に謝ってあげるよと、言われてしまった。

 たまに、やはりホームシックにかかってしまう子供が出るのだそうだ。

 少年が真面目すぎて、罪悪感が半端なく胸を締めつける。


(ごめんね、少年。私のおうちはこの辺りにないの)


 だけど、それを言ったらそのまま神殿に戻されてしまいそうだから、敷地外に出てからそれは打ち明けよう。だってこの真面目っぷりだと、まさか自分のおうちは国外ですと言おうものなら、そのまま神殿にとんぼ返りさせられそうな気配がある。

 レイラはそう考え、繋いでいるファルードの手をきゅっと握り締めた。


「大丈夫。怖がらなくても君はちゃんとおうちに届けてあげる。怒られないようにもしてあげる。・・・その代わり、約束して? もう二度と、夜中におうちを出るようなことはしないって。夜中なんて、どんな危ない人がいるかも分からないからね」

「うん」


 どう考えても、この少年こそ、神殿生活に嫌気がさして逃げ出すというものを感じられないのだが。

 レイラはそう思いながらも、ふと気づいて尋ねた。


「鍛錬関係って、・・・なぁに?」

「ああ。リベラ神国では、神官も何か起きたら戦うからね。神殿内では刃物を持ちこんではならないとされているけど、ちゃんと体を鍛えたりする施設もあるのさ」

「へえ。だけど神官様達が、そんなのしている様子なんてなかった」


 神官長なんて、自分と一緒に果物を食べたりお茶を飲んだり、お昼寝までしていなかっただろうか。


「ああ。普段はそれを外に見せないのも実力の内、だそうだからね。夜明け前や就寝前とか、そういう日々の業務に影響しない時間帯に、けっこう皆様、鍛えていらっしゃるよ。・・・だけど、日中でもやっぱり鍛錬に励む方は多いね。何といっても神官長様からして、凄いから」

「・・・神官長様がぁ?」


 いささか疑うような声音になってしまったレイラだ。だが、仕方がないだろう。

 あんな、一度寝たら起きないような男。見た目はかなりいいのに、あんたは冬眠中の熊かっと、どんだけ怒鳴りつけたくなったことか。

 けれども、実はかなりルーセット神殿には戦える神官がいるのだ。リリエルは武器を怖がる傾向があると皆に知らされていた為、誰もそれを感じさせなかっただけで。

 たとえば、彼女の隣の部屋を使っていたサイラーユ上級神官も、かなりの武闘派系神官だった。何かあってリリエルが悲鳴をあげようものなら、それこそ扉をぶち壊してでも助けてくれたことだろう。

 そんなサイラーユは、自分の見かけが女の子に怖がられやすいことを知っている為、リリエルの目にはあまり触れないように努力していた、気遣いの塊のような人物だった。


「ああ。・・・・・・あの方は努力を全く他人に見せない方だから。いつも穏やかに微笑んでいらっしゃるけれど、とても優しくて強くて素晴らしい方だよ」


 ただ、やることは極端だが。

 ファルードはその言葉をあえて言わなかった。何といっても、見た目はかなり素晴らしいイディラートだ。この神殿で学んでいる子供のイメージを崩す必要などない。

 戦う相手の手足をすっぱりと切り落とすにはどの部分を狙うかとか、かなり教え込まれた自分だから言いきれる。あの方は凄すぎる人だ、と。あまりに容赦がない。

 けれども、だからこそ自分を助けてもらえた。だから自分だけは神官長を絶対に否定しない。そう決めている。


「さ、レイラ。最後の塀を乗り越えるよ。一度、この木を登って。僕が先に塀の上へと移るから」

「うん」


 ファルードはちゃんとレイラに命綱までつけて、たとえアクシデントがあってもレイラが怪我しないようにしてくれていた。


(うーむ。出来るな、こやつ)


 かなり手際もいいファルードに先導され、植え込みなどもくぐり抜けて敷地外にでたレイラは、夜空の星を見上げて深呼吸した。


(出れちゃった・・・)


 あれ程に出たかった神殿外。

 勿論、あれからソールが他の神官にも話をしてくれたらしく、マンツーマンで授業をしてくれていたよぼよぼの神官が、彼女を外に連れていってくれたりもした。だけど抜け出すどころか、そのお年寄りの手を引いてあげていたぐらいだ。全くもって逃げ出せるとかいう以前の話だった。


(けど、あんなお年寄りを放置して逃げ出せないし)


 けれども、これで自分は自由だ。


「さあ、行こう。レイラ、君のおうちはどのあたり? 通りの名前とか、町の名前を言えるかな?」

「えーっと、それなんだけど、実は私のおうちって、この街よりも少し遠くて・・・。だからあなたが行く先の途中でお別れしよ? 大きな通りを通っていくなら安全だし、大丈夫だよ」

「・・・・・・。馬鹿なことを。君みたいな小さな子を一人で放置なんて絶対にできない。レイラ、君のおうちはどこなんだい?」

「えーっと、カガイ街道を北上して、それからドッポリ街道と交差するところで西に向かう感じかな?」

「・・・カガイ街道なら一緒か。ドッポリ街道ね。分かった。じゃあ、まずはこの街の外に出よう。・・・・・・というより、そんな遠い場所の子なのに寝間着で抜け出そうなんて、君は馬鹿なのかい、レイラ?」


 本気で呆れ返った様子の少年だったが、そこで座り込むと、担いでいた荷物から何かを取り出す。


「僕のだけど、これに着替えて、レイラ。そんな遠くとなると、その格好で歩くのは変だ」

「はい。ごめんなさい」


 手渡されたシャツとズボンを身に着けると、ファルードがその袖や裾をまくり、そして取り出した裁縫用具で応急的にそれを縫っていく。ウェストも、縫い縮めてくれた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。ちゃんとお礼が言えるんだ。良い子だね、レイラ」


 そう言って頭を撫でてくれる。普段ならザイ以外の子供にそんなことされたらムカつくだけだが、その少年は悪気がないどころか、優しい気持ちでしてくれたのが分かったので、ちょっと嬉しい。


(ザイは私だけに特別だから嬉しいけど、この子、誰にでも本質的に優しいってのが分かるから安心できる)


 ザイに特別扱いで大事にされるのは大好きだ。ザイは堂々と、皆には普通に接するけど、リリエルは別格なのだと、明確に示してくれているからそれを享受できる。

 それとは別に、相手をみてコロコロ態度を変える人がいる。そういう人の優しさだけは信用できない。だって、人によって態度を変えるってことは、本質は違うということだ。たまにそういう人がいるが、そういう人は余裕をなくした時に豹変して怖い人になる。

 そう、最初は何かと手助けしてくれていたエディオス神官が、段々と怖い人に変わっていったように。

 持っていた荷物を斜め掛けにすると、ファルードはそこでしゃがんだ。


「じゃあ、ここの外まではおんぶしてあげる。乗って」

「え。・・・だけど、悪いもん」

「子供が遠慮しなくていいよ。ほら、早く」


 少年の背中におぶさると、ひょいっと少年が立ち上がる。


(あれ? けっこう、筋肉ついてる?)


 ザイもそうだが、この少年も着やせするタイプらしい。

 よほど急いでこの街を離れたいのか、かなり足早に歩き始めた。


(あ、そうか。私が手間取らせちゃったから)


 考えてみれば、このルーセット神殿に来る時も、「リリエル、歩くの遅―い」とか言われておんぶされてきたのだ。

 もしかして自分はかなり足手まといなのだろうか。けれども、この子供の体はかなり無理がきかない。

 そんなことを思っていたら、その揺れ方はなんだかとても規則正しくて、段々・・・・・・。


(だ、駄目だ。寝る・・・)


 人におんぶさせておいて、ぐーすかぐーすか寝るというのはどうかと思ったが、レイラはそのまま寝てしまった。

 それに気づいたファルードが、くすっと笑ったことにも気づかずに。


――― 行っておいで、子供達。大きくなって戻ってくるがいい、ファルード。


 そんな二人の旅立ちを、月と星とイディラートだけが優しく見送っていた。






 図書室にある、広いテーブルにカードを並べていく。

 カードを多く使えば使う程、細かい事象を読み取れるようになるが、それだけ占う人間の力量を要求されるのも事実だ。

 彼は、通常の占者(せんじゃ)が用いる50枚ではなく、その倍である100枚を使用していた。・・・おかげで、路上とかでやると、カードを無くしたりしてしまうのが悩みの種だ。いや、路上でやらなければいいだけのことだが。


「なんとも根暗なことよのう。そんなに気になるなら、カードなんぞ見つめてウダウダやっておらず、出向けばいいだけのことではないか」


 ひょいっと顔を出した老爺が呆れた声になるのも、いつものことだ。

 放っておいてほしい。こっちだって好きでカードなんぞめくっているわけではない。

 だが、老爺は自分の跡継ぎがうじうじとカードを広げているのにうんざりしているようだった。


「見ていても鬱陶しい。やはり高山地帯で採れる最高級の春の一番摘み茶(ファーストフラッシュ)が飲みたいもんじゃの。茶葉を買いつけてこい。命令じゃ」

「・・・はぁ」


 師である老爺に言われたら、従わなくてはならない。

 彼は渋々と立ち上がった。


(ファーストフラッシュは淡泊すぎて物足りないとか言って、いつもセカンドフラッシュか、安価品をブレンドしてるくせに)


 勿論、それが自分への思いやりだというのは分かっているのだが、年寄りはお節介がすぎる。

 どうして見ないフリ、気づかないフリをしてくれないのだろう。ニヤニヤ笑って楽しそうに見てくるのだから腹が立つ。


「四ヶ月以内に帰ってくればそれでよい」

「なぜ四ヶ月なのでしょう?」


 他国ながら行って帰ってくるだけなら、三週間もあれば十分だ。

 いや、分かってる。それだけ自分に・・・・・・。


「その頃には、また猫の塔がやってくる筈じゃ。そなたがちゃんともてなすのじゃぞ」


 猫の塔の主は、かなりマイペースな女性だ。人の話を聞かない、そして自分の作業の為なら誰でも使おうという根性だけは人一倍持っている。

 今まで何度お持ち帰りされて、こき使われたことだろう。

 しかし、猫の塔の主にだけは逆らえない。たとえ、クソババアとか、人を召し使い扱いすんじゃねえとか思っても、それでも彼女にだけは、頭を下げ続けなくてはならない。

 それを分かってて人を顎で使う猫の塔を、いつか木端微塵に壊したい・・・が、壊せない。そんなジレンマな塔なのだ。大体、何が猫の塔だ。化け猫の塔の間違いだろう。

 ああ。人生とは、不本意なことが多すぎる。


「・・・茶葉を買いつけるのにかなり時間がかかりそうなのです」

「一ヶ月以内に戻って来いと言われたいか?」

「分かりました。四ヶ月以内に戻って参ります」


 それでも、・・・やっと会える。

 彼は立ち上がり、旅支度を始めようとした。


「ああ、そうじゃ」


 老爺は図書室から出ていきながら、上半身だけ振り返って言った。


仮面(マスク)は持っていってよいぞ。あと、少々の玩具(おもちゃ)もな」

「・・・・・・それは」

「かまわん。そなたは、我が静謐(せいひつ)の塔の主となる人間じゃ」


 たとえ今は好々爺にしか見えずとも、それでもかつては鮮血の塔(ブラッディタワー)と呼ばれた男である。

 おかげで、本来ここは「静謐の塔(ピースフルタワー)」という名称なのに、国外では全くその名が通用しなくなっている。さすがに「鮮血の塔」という渾名(あだな)を受け入れる気にはなれないので改名はしないが、静謐のイメージがあまりにも定着しなかったのだ。

 ちなみに静謐というのは、平和をめざし、穏やかさを愛する気持ちからつけられている。

 その跡継ぎである彼は、老爺が亡くなったら「静謐の塔」の名を何が何でも徹底させようと密かに計画中である。自分はそんな血まみれタワーなんて名前で呼ばれ続けたくないのだ。当たり前だろう。


(何をしてこいと言うんだ。・・・茶葉の買い付けだろっ!?)


 彼は、その「玩具」とやらを脳裏で次々に思い描いた。

 ろくなもんがない、なさすぎる・・・。


「・・・・・・生憎、私は暴力反対・平和主義・人類みな兄弟の人間なのですが」

「そうか。じゃあ、持って行かずともよい。鍵は厳重に掛けておこう」


 鍵を厳重に掛けられてしまったら、一つも持ち出すことはできない。しかし、自分一人で他国まで出向くとなると、・・・昨今情勢を考えれば、治安など期待できない。


「やはりお言葉に甘えさせていただきます」

「暴力反対ではなかったのかの?」

「師の教え第一に従うことこそ、我が務めでございます」

「うむ」


 いざとなったらお守りどころではないそれは、やはり魅力的だ。

 彼はあっさりと前言を翻した。






 リミダ村に、ルーセット神殿からの使者達がやってきたのは、ザイがもうそろそろリリエルの所にいこうかと考えていた日のことだった。


「リミダ神国のルーセット神殿から参りました。リリエルのお父上にお会いしたいのです」


 そう言ってやってきた三十代ぐらいの神官は、ソールと名乗った。

 一時期、リリエルのことを完全に忘れていたマイオスだったが、ある時、不意に記憶を取り戻した。その為、ザイが次に神殿へ行く日には同行すると主張しており、ザイもそういうことならと一緒に行く予定だった。


「マイオスです。・・・リリエルはうちの娘です。返してください」

「勿論です。いささか当方にて手違いがあったようですが、リリエルはこちらの村に帰ってもらうつもりでおりました」


 ザイから、リリエルが閉じ込められて外に出してもらえないと聞き、心配していたマイオスである。

 リリエルはあんなにも可愛い子なのだ。だから巫女か何かにするつもりで返してもらえないのだろうと、マイオスはそう思い込んでいた。


(幼馴染に女装させて喜ぶようなリリエルが巫女だなんて。どんなに怯えていることだろう)


 だがソールは、マイオスの要求にも穏やかで落ち着きある仕草で頷く。

 ガンスやザイから、ルーセット神殿の神官は態度が悪く、こちらを見下すような奴らばかりだったと聞いていたマイオスだが、ソールの言葉に、ほっとして力を抜いた。


「なら、いいんですが・・・。では、リリエルは? 一緒に連れてきてくれたんでしょうか?」


 だが、そうなるとリリエルはどこにいるのだろう。

 その場にはマイオスだけではなく、マイオスと恋人関係にあるエイリーン、隣家のガンスとリネア、それからザイも同席していた。


「実は、数日前、リリエルが神殿を抜け出しました。もうそろそろこちらに戻っているのではないかと思い、だから忘れ物を届けに来たのですが。・・・まだリリエルは到着していらっしゃらない?」


 その言葉に、ザイがソールを睨みつける。


「忘れ物を届けに? 違うだろうっ。リリエルを連れ戻しに来た、の間違いじゃないのかっ!? あんたらはリリエルを閉じ込めて、いいように利用しているだけじゃねえかっ」


 リリエルは、まだリミダ村に戻ってなどいない。

 子供の足だから帰りが遅れているのか。もしや、途中で何かに巻き込まれたのでは・・・。

 ザイの脳裏に、様々な事態が思い描かれる。


「まさか。そりゃリリエルが戻って来てくれれば嬉しいですが、我がルーセット神官長からも、リリエルには自由にさせるようにと申しつけられておりますのでね」


 しかし、ソールはそれを否定した。そしてザイを検分するかのように眺める。


「リリエルはこちらの村に戻りたがっていましたので、次回、この村の幼馴染だという少年がやってきたらそのまま帰ってもらうつもりだったのですよ。緑色の髪に灰色の目をした、リリエルに言わせると五年後が楽しみな少年。・・・君のことですかね? となると、君がザイ君かな?」


 ソールは、何かの言葉を思い出すかのような調子で、のんびりとザイに語りかけた。


「故郷が戦地になったというので家族を案じて神殿を抜け出した少年がいまして、どうやらその少年とリリエルは出て行ったようなのです。その少年、ファルードもかなり真面目な子なので、リリエルのような子供を一人で放り出すわけもないと、だからそろそろこちらに戻ってきている筈だと思って、あの子のお土産を持ってきたのですが・・・」

「いや。リリエルはまだ戻ってきていない」


 マイオスが、困惑したような顔になる。横にいたエイリーンも、

「リリエル、可愛いけど、どこか頼りないもの。迷子になってるんじゃないかしら」

と、心配そうに呟く。

 ソールは首を傾げた。


「おかしいですね。ファルードは、ちゃんと地理も頭に入っている優秀な子です。子供連れである以上、辻馬車を使いもしたでしょうし、そろそろ着いていても・・・。まさか、ナリス王国にまでリリエルを連れていく筈もなし・・・」


 だが、戻っていないものは戻っていないのだ。

 ソールはソールで、リリエルが帰っていないと彼らが言っていたのは、単にリリエルを連れ戻されたくない為の嘘だろうと、そう考えていた。今も、それは本当のことだろうかと、半信半疑である。


「では、帰りに街道筋で体調を崩したりして足止めされていないか、よく見て帰ることにしましょう。もしも見つけたら、こちらに再度引き返してリリエルをお送りします」

「信じられねえな。あんた達は、リリエルをあんなにも閉じ込めていた。本気で手放す気があるのか?」


 ザイがかなりの喧嘩腰で尋ねる。


「勿論ですよ、ザイ君。・・・我が神殿の神官が失礼な態度を君にとったとか。彼には謹慎処分が下されましたが、まずはお詫びしましょう。・・・ああ、そうだ。これが、リリエルが君の為に選んだお土産です。君はあと五年後にはカッコいい男になる筈だと力説してましてね。その頃にはぴったりになるだろうと、そう言って選んでましたよ」


 ソールは、リリエルが部屋に置き忘れていた、緑の石が嵌めこまれたシルバーの首飾りを懐から取り出してザイに渡す。

 マイオスとザイは、それはたしかにリリエルだと、そんなことを思った。

 よく分からないが、リリエルは何かと「あと十年・・・」とか、「大人の魅力が・・・」とか、ブツブツ呟くことが多い子だったのだ。自分はまだまだ子供の癖に。

 ならば、これは本当にリリエルが選んだものなのだろう。三日月というよりも、円形から一部欠けた形になっているデザインのそれは、少し力をこめて欠けた部分を広げながら首に嵌めるものだ。今のザイではいささかごつすぎるが、体が出来上がってからならたしかに似合うのかもしれない。


「それから、こちらがお父上と村の人達にと、リリエルが選んでいたお土産です。リリエルにとっては珍しい食べ物が多かったようで、『パパ達に食べさせてあげたいの』とか言って、一生懸命選んでいました」


 リミダ村ではあまり収穫できない種類の豆や乾物、そして綺麗な布などがそこにどんっと積まれる。

 リネアとエイリーンが目を瞠った。あまりにも量が多かったからだ。村人全員の家庭にちゃんと分けられるぐらいにある。


「お土産と言われても、しかし、そんなお金を・・・」


 マイオスが当惑しながらソールを見ると、ソールは片手を振って制した。


「リリエルはちゃんと神官長にお茶を淹れてくれたり、お部屋の掃除をしてくれたりと、お仕事をしていました。そのお金でリリエルが買ったものです。どうぞお受け取りください。そしてこちらが、我が神殿の神官達が非礼な態度をとったお詫びの品になります」


 それとは別に、今度は様々な塗り薬や小瓶に入った液体の薬が渡される。木々の苗は、外に置いてあると、ソールは告げた。


「こちらの液体の薬は、飲むと力が出てくるのです。お父上は、リリエルのことを忘れてしまったと、あの子がとても悲しんでおりましたから。刺激的な味のせいか、忘れていたことを思い出したりもすることがあります。・・・ですが、もう治っていらっしゃるなら、疲れた時にでもお飲みになるといいですよ。気分がすっきりします。あと、外に置いてあるのはこちらではあまり見かけないと、彼女が言っていた果樹の苗です。リリエルも気に入って食べていました。どうぞ植えて、食べさせてあげてください」

「ありがとう、ございます」


 マイオスが複雑そうな顔で受け取る。

 ザイは、はっきり言って神官など大嫌いだ。

 だが、もしかしたらこの神官だけは、リリエルを大事にしてくれていたのだろうかと、そこで思う。

 リミダ村に戻ったリリエルが、気に入っていた果実をずっと食べられるようにと、そんな気持ちから選んで持ってきてくれたような気がしたからだ。


(いや。・・・それがこいつらの手だ。油断させて、リリエルが戻り次第、また攫おうと考えてやがるに違いない)


 だが、そこでガンスが口を開いた。


「ところで、そのリリエルと一緒に抜け出したという少年は、・・・ナリス王国という場所に向かっているのですかね?」

「ええ。元々、ファルードは事情があって家を出て、そして我がリベラ神国で暮らしていたのです。ただ、ナリス王国の一部地方を帝国軍が攻め落とした為、家族が心配になったようで、書き置きを残して夜中に出て行きましてね」


 さすがに苦笑しながら、ソールはその辺りを簡単に説明した。


「なら、その少年は早くその地方に帰りたいでしょうに」

「そうですね。ですが、ファルードはかなり責任感が強い子です。リリエルと抜け出したなら、絶対に彼女を家まで送り届けます。女の子を途中で放り出すような子じゃありません」


 よほど信頼されているのだろうと、ガンスは思った。

 だが、ガンスとて隣家のリリエルをずっと見てきたのだ。


「いや・・・。あの、その、ですよ。学ってもんがねぇんで、そのナリス王国とやらがどんなに離れてるか分からんのですが、リリエルは、そんな事情の少年にこちらまで送り届けさせるよりも、一緒にそのナリス王国とやらに向かっちまったってぇことは、・・・いや、まさかとは思うんですが」

「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」


 ソールが、ちょっと乾いた唇を舐めた。


「私も、リリエルは見かけたらお菓子をあげるぐらいの関係だったもので・・・。よく分からないのですが、お父上はどうお思いでしょう? リリエルは、その、あの、・・・寄り道はしないで家に戻る子ですよね?」

 

 冗談ではない。リリエルにはちゃんと無事にこの村に戻ってきてもらわねば困る。

 ナリス王国なんて、今は混乱しきっているのだ。

 ファルードだけなら、まだどうにかうまくやれるかもしれないが、あんな小さな女の子には危険すぎる。

 ソールとしては、絶対に考えたくない流れだった。


「ザイと一緒ならともかく、一人ではそうそう家から出て行く子ではないんですが・・・。今回はザイもいねえことですし、そんな危険な国なんて・・・。そのファルードってぇ少年、幾つですかね?」

「十五才です」

「ザイと同じか。リリエルがザイ以外の男の子に懐くとはとても思えんが」


 マイオスは考え込む。その場にいた皆も、うんうんと頷いた。リリエルがザイだけに懐いていたのは皆が知っている。

 そこで今一つ、リリエルを誰よりも知るがゆえに信じきれないザイが尋ねた。


「そのファルード、・・・どんな性格なんだ? たとえば、女の子に毛虫をあげたりとか、からかっていじめたりするとか・・・」

「それはないですよ、ザイ君」


 ソールは断言した。


「元々、お姉さん達や妹がいたせいか、女性に好かれやすい子でしたからね。人が嫌がることはしないし、面倒見もいいですし、それでいて頭も良く、笑顔を絶やさずに年配の方にも好かれる子です。小さな子供と一緒に遊んであげたりもする、いいお兄ちゃんなんですよ」


 ザイは天を仰いだ。


(俺がリリエルの前で演じていたレベルをクリア、か)


 あれでリリエルは、自分がとても頼りになる子だと思い込んでいる馬鹿な子だ。

 ザイと同い年の少年が帝国軍に占拠された地に向かうとなったら、

「子供を一人で行かせられるわけないでしょっ」

とか言って、無理矢理同行した可能性がある。


「マイオスさん・・・」

「ああ」


 マイオスとザイは、頭痛を堪えながら互いの顔を見交わした。

 二人はリリエルを知っている。リリエルは自己評価が無駄に高い、それでいて可愛らしさ以外はあまり役立たない子なのだ。

 ガンスやリネア、エイリーンも何となくそれを察したのだろう。

「リリエル、あれで大人びたところがあったから・・・」

と、エイリーンがマイオスの子供である事実を鑑みて、言葉を選ぶが、

「リリエルは後先を考えない子だったからねえ」

と、リネアは溜め息をつく。


「だが、その少年だってまだ十五才なんだろう? そんな危ない場所に行かせて・・・」


 ガンスが、そう常識的に眉間に皺を寄せながら口を開いた。


「たしかにファルードは十五才ですが、あれで苦労してきた子でしてね。そんな治安の悪い場所へ行く以上、目立たない格好を心がけているでしょうし、少なくともリベラ神国内を移動している間の安全は保証されているので、そこまでは大丈夫ですが・・・」

「なぜ、そう言いきれる?」


 ザイがソールに鋭く尋ねる。


「ファルードは、一度、人攫いにあったことがあるのですよ、ザイ君。君も綺麗な顔立ちだけど、ファルードはもっと中性的な感じです。だから自分の顔に目をつけられないよう、汚したり目立たぬようにしたりはしているでしょう。そして、・・・ファルードは、神官長の養い子なんですよ。リベラ神国内の移動中は、宿や食堂の利用で困ることはないのです」

「よその国の子を、そのぅ・・・、お宅の神官長様は引き取ったってんですかい?」


 マイオスが、身を乗り出してそう尋ねる。リリエルを拾った日のことを思い出したからだ。


「ええ。実はファルードは奴隷商人に売りつけられるところだったのを、神官長が救い出したことがありまして。その縁で引き取り、養子としたのです。ですがファルードはその親子関係を周囲には言わず、身寄りもない神官見習いとして修業に励んでいた、とてもいい子ですよ」

「へぇ。立派なもんだ」


 そりゃ神官長という以上、はるかに金持ちだろうし、子供を育てるにしても自分ほどの大変さはなかっただろう。

 そう思いながらも、マイオスとしては感じ入るものがあった。


「うちのリリエルは小っちぇえ時に拾ったから、まさかそれをあの子が知ってるとは思わんかったが、・・・何にしても、その子も苦労したんだなぁ」


 ザイは、ますます内心で焦りを感じていた。

 どうせなら世間の少年並に乱暴だったり身勝手だったりしてくれれば良かったのだ。そうすればリリエルは、真っ先にリミダ村まで逃げ帰ってきただろう。リリエルは乱暴な男の子どころか、たかがナイフを持っているだけの男にも怯えてしまう、本当にひ弱な子供だ。

 しかし経歴から考えても、かなりリリエルが安心してついて行ってしまいそうな感じである。しかも手前味噌ながら、リリエルは面食いだ(マイオスは父親なので除く)。


(普通、あんな子供をそんな危ない場所へ連れて行っても足手まといになるだけだが・・・)


 あれでリリエルは変なところで頭がいいのだ。誰に教わったのだろうと思うぐらいに、計算や様々な事象に対する知恵を持っているところがある。

 その謎を問い詰めても、

「大人の女に、秘密はつきものなのっ」

などと、寝言をほざいていたものだが。


(いや。この神官が、単にこういう演技をしてまで嘘をついている可能性もある。大体、リリエルをあの神殿が手放すとも思えねえ)


 だが、ここはこのソールという神官の話を受け入れておくべきなのだ。嘘にしても、相手を油断させねばなるまい。


(リリエル。お前は今、どこにいる・・・?)


 神殿の人知れぬ場所で閉じ込められているのではないか。

 それとも、その少年と共に誰かに攫われたりはしていないか。

 今もザイの名を呼んで、しくしくと泣いているのではないだろうか。

 マイオスやガンス達も、まさかこんなにも様々なお土産や贈り物がされると思わず、困惑気味だ。リリエルの不思議な力について、マイオス達は全く気づいていなかったから、尚のことである。

 ザイは唇を噛みしめた。


(リリエル。お前の居場所を知る術があればいいのに)


 そんなザイに目をやりながら、ソールは、

(まさかまだ戻ってなかったとは。途中でそれなりに聞きこみはしていたものの、全くそういった子供達の目撃情報がなかったから、ファルードはうまく変装していると思い込んで油断していた)

と、二人の子供達を案じる。

 優秀すぎる子というのも考えものだ。ファルードは一切の痕跡を残していなかった。






 一方。

 ファルードの背中でうとうとと寝ていたレイラは、ガタゴトと揺れる馬車の中で目を覚ました。


「ああ、起きたんだ? おはよう、レイラ」

「おはよう・・・?」


 どうして自分はこんな知らない場所で、知らない子に挨拶されているのだろう。

 それに、レイラというのはもう誰も呼ばない名前だ。懐かしくて悲しい名前。

 そうして、ぼんやりと昨夜のことを思い出す。

 ああ、そうだ。自分は神殿を抜け出して、・・・・・・なのに、なんで馬車の中で揺られているんだろう?


「カガイ街道を北上する馬車に乗せてもらったのさ。途中で右折するそうだから、そこで下ろしてもらうことにはなるけど、そこからは歩いて、ドッポリ街道を目指そう。そしてまた馬車を見つければいいからね」

「あ、ありがとう・・・」


 何ともできる少年だ。だが、どこかで見たことがあるような・・・。

 埃よけなのか、布で鼻から下を覆い、髪をターバンで隠している少年の顔は茶色く日焼けしているが、どこかで見たような顔で・・・・・・。

 あと少しでキスできるぐらいまで近づいて、レイラはその口元を覆っている布を勝手に外し、じーっとファルードの顔を手で押さえながら見つめる。


「あ、あの・・・、レイラ?」

「・・・ファルード?」


 ぽそっとレイラは呟いた。

 驚いたように少年が身をびくっと跳ねさせる。


「え? 何だ、僕の名前、・・・知ってたんだ、レイラ?」

「・・・え。まさか」

「え。まさかって何?」

「何って、まさか・・・だよね?」

「いや、そのまさかって・・・何なわけ?」


 二人はじーっとお互いを見つめ合った。


(この顔。ファルードの小型版、だよね? え? じゃあ、もしかしてファルード本人? それとも名前が一緒の・・・父親とか息子とか兄弟とかっ?)

(もしかして僕のこと、どこかで見られてたのかな。だけど、こんな緑の髪をした男の子みたいな女の子、いたかなぁ)


「もしかして、ファルードって、同じ名前の兄弟とか、神殿にいたりする? お父さんとかでも、顔がそっくりなら誰でもいいけど」

「・・・生憎、僕はナリス王国出身だから。父はナリス王国にいるし、姉や妹はいるけど、兄や弟はいないかな」


 どうせ名前がバレたなら、もう何を隠しても意味がない。ファルードはあっさりと自分の個人情報を開示してみせた。

 その言葉に、レイラは確信する。


(そっかぁ。私、あの部屋で出会う前のファルードに、今、会ってるんだ。あれ? だけどファルード、黒い目じゃない。目は灰色だし・・・)


 レイラはそこで考え込んだ。


「ね、ファルード。ファルードの髪って紫がかった黒色だよね?」

「ううん。紫色だけど?」


 確信が欲しくて尋ねれば、あっさりとファルード本人に否定される。


「・・・おやぁ?」

「うん。おやぁ?」


 二人はそこでじーっと見つめ合った。

 こてっとレイラが首を横に傾げてみせると、ファルードも反対側にこてっと首を傾げてみせる。


「どうしましょう、ファルードさん」

「なんでしょうか、レイラさん」


 うん、この合わせてくれる優しさはファルードっぽい。

 レイラはそこで何と言うべきか、考え込んだ。


「ファルードさんはお幾つでしょう?」

「十五才ですよ。レイラさんはお幾つでしょう?」

「九才ですよ。ところでファルードさん」

「なんでしょう、レイラさん」


 知り合って僅かな時間しかたっていない割に、なんだかうまくいっている二人である。

 会話のキャッチボールはいい感じで展開されていた。


「できれば私、あと六年後ぐらいにお会いしたかったのです」

「どうしてここで六年後?」

「六年後なら、ファルードさんは私の一番の味方だったからなのですよ」


 ファルードは考え込んだ。


「だけど今の僕も、・・・君の夜逃げを手伝ってあげた味方だったり、するよね?」

「そこが不思議な巡りあわせで」


 ファルードは思った。


(女性も分からないけど、・・・女の子も分からない)


 とりあえず二人は、ウフッ、アハッと、互いに笑って誤魔化した。




 乗せてもらった馬車の人に謝礼を払い、ファルードはレイラを連れて宿に泊まった。


「別に野宿でもいいのに」

「女の子がそういうことを言うんじゃないよ。さ、お風呂に入っておいで」

「はーい」


 だけど部屋は一緒だ。まあ、十五才と九才だ。何がどうというものでもあるまい。

 レイラにしてみれば、ファルードなら信頼できると思っている。どうせならリミダ村にファルードも来てくれればいいのに。

 浴室に行ったら、先程、ファルードがお湯を汲んでくれていただけあって、既に体を洗いやすいようにされていた。


(考えてみれば、私、無一文なんだよねぇ。・・・やっぱりファルードで良かったぁ)


 この宿も、そこまで高いという程ではなさそうだけど、それでも普通はもっと安い宿に泊まるのではないだろうか。

 出世払いでも許してくれるだろうか。

 そんなファルードもまだ少年で、お金はあまりないと思うのだが。


「お先にいただきましたー」

「おや。ちゃんとお礼が言えるんだね。賢いね、レイラ。お洋服を洗っちゃうからこっちに渡して」

「えっ!? いいっ。ちゃんと下着は自分で洗ったしっ。服も・・・自分で洗うっ」

「恥ずかしがらなくても、まだレイラは子供なんだからうまく絞れないだろ。さ、ちゃんと頭も拭いておいで」

「・・・・・・はい」


 ファルードはとても親切だ。寝間着も自分のシャツを貸してくれている。下着は、ちゃっちゃと紐パンを縫ってくれた。


(なんかザイよりもお嫁さんっぽい? だけどファルードって、あまり年齢に関係なく顔かたちが変わらないタイプなんだぁ)


 寝台に腰掛けて足をブラブラさせていると、湯上がりのファルードが出てくる。


「ええっ!?」

「えっ、何っ? 何かあったのかい、レイラ?」

「肌が真っ白になってるぅーっ」

「・・・・・・染め粉を落としただけだから」


 たとえ髪と瞳の色は薄くても、・・・やっぱりファルードは六年前から美人だと、レイラは思った。

 そんなファルードは、自分の荷物を再点検しながら、かなり眉根を寄せて考え込んでいる。


「ね、ファルード。ファルードってリベラ女神の神殿の人だって言ってたのに、ナリス王国の人なんだ? けどさ、夜中に抜け出しちゃって大丈夫なの?」

「神殿の人だって言ってたって、・・・見習い神官だったからそりゃ神殿の人だったけど、君とそんな話したことないよね?」

「えーっと、・・・夢の中で?」

「・・・・・・ああ。夢の中で、なんだ」


 ファルードは、とても気の毒な子を見るような目になったのを悟られないよう立ち上がって近くまで寄ってくると、壊れ物を扱うような優しい手つきでレイラの頭を撫でた。


(夢見がちな子なのかな。・・・子供ってのは、不思議な世界を見てるとは言うけど)


 だが、ファルードの手が触れると、安堵するかのように頭を摺り寄せてくるレイラは可愛い。

 寝台に座っているレイラの横に、ファルードも座る。互いに上半身をねじって小首を傾げつつ向き合えば、えへっと二人で笑いあった。

 どうやら二人とも、笑って誤魔化す才能を持ち合わせているようである。


「ところでレイラ。君のおうちはどこなのかな? 町とか村の名前は言える?」

「えーっと、チェンジン国のリミダ村?」

「・・・・・・なんで外国の子が、神殿にいるの? ん? チェンジン国のリミダ村?」

「ファルードだって外国の人じゃない」

「僕は色々あったんだよ」

「私も色々あったのよね」


 会話は互いを知る為のツールだと言う。

 なのに何故だろう。会話を重ねる程、ファルードとの相互理解が遠ざかっていくような気がしてならないレイラだ。自分は正直に話してるし、悪くない筈なんだけど。


「チェンジン国のリミダ村って、・・・前に集団で保護を求めてきた子供達じゃなかったかな?」

「あ、それそれ」

「・・・おかしいな。だけどそれって孤児院の管轄だった筈だけど。それにもう、みんな帰ったって聞いたよ」

「それが私、みんなと引き離されて神殿に隔離されちゃったの。で、リミダ村に帰らせないって言われてさ、それで神殿から出してもらえなかったから、ちょうど夜逃げしているファルードを見つけて一緒にトンズラしたの」

「・・・帰らせない?」

「そう」

「何で?」

「私を閉じ込めて利用したかったからみたい。何でも私がいると便利なんだって」


 ファルードは、そこで押し黙った。


(いると便利? こんな子供が? しかも閉じ込めて利用って、・・・どういうことだ)


 レイラはどこか少年っぽい顔立ちの女の子だが、たしかに顔立ちは整っている方だ。


「誰が君を神殿に閉じ込めようとしたの? だけど、神官長様がそんなことを許すとはとても思えないんだけど」

「うん。神官長様はね。帰っていいよって、だから次にお迎えが来たらお土産を持ってリミダ村にお帰りって言ってくれたの。だけどね、他の神官様がそれを邪魔してたの。で、神殿のお外にも出してもらえなかったんだけど、それを知った神官のソール様とかおじいちゃん神官様が、お買いものに連れてってくれて、やっとお外に出れたの」


 ファルードの瞳がかなり険しくなった。


「ねえ、レイラ。・・・だけど君、どう見ても寝る時の格好で深夜にうろついてたわけだよね? あんな時間に、君、何をしてたんだい?」

「えーっと、抜け出す方法を調べてた、かな?」

「わざわざ、あんな夜中に部屋を抜け出して? そういうのは昼間にやらなきゃ。夜はちゃんと寝なくちゃ駄目だよ」


 普通、子供は暗闇を怖がるものだ。なのに、そこまでしてこの子供は帰りたかったのだろうか。

 確認の意味をこめて尋ねながら、ファルードの瞳が少し潤んだ。


「だって・・・。昼間はずっと見張られてたし、夜もお部屋にいたら神官様がやってくるし、だから夜はお部屋を抜け出して、・・・神官長様のお部屋に匿ってもらってたの」

「・・・ちょっと待って。お部屋に神官様がやってくるって、・・・夜に?」

「うん」


 ファルードの瞳が、氷のように凍てつく。


「それを神官長様が助けてくれたの?」

「うん。神官長様のお部屋に来れば安全だからおいでって」

「そう・・・。その夜にやってくる神官様の名前は分かる?」

「エディオス様」

「そうなんだ」


 ファルードは、エディオスの顔を思い浮かべた。エディオス下級神官ならファルードも知っている。父親が上級神官だということもあり、早めに中級へと昇格するだろうと言われている二十代の神官だ。

 だが、何ということだろう。こんな子供をそんな自分の欲望のはけ口にしていたような人間が神官だったとは。そんなことが神殿でまかり通っていたという事実の方が衝撃的すぎる。

 たしかエディオスの父親はミローク上級神官だ。そちらの権限でも使ったのだろうか。

 けれど。


(そんな理由で、故郷へ戻さなかっただなんて)


 ファルードの心を、情けなさと怒りが押し潰していく。自分がレルネーゼの件で悩んでいた程度のこと、レイラに比べたら何でもないことではないか。

 こんな小さな子に。

 どんなに辛かったことだろうか。

 きっとイディラートも、その事情を知り、まずは自分の部屋にレイラを保護したのだろう。


(イディラート様なら黙ってそれを見ているわけがない。あの方ならレイラを故郷に戻らせるよう手配なさっていた筈だ。そして厳しい処分も考えておられたに違いない。・・・レイラをリミダ村まで送っていくこと、それがイディラート様の御心に沿うことにもなるだろう。この子は神官コースの勉強を嫌がって逃げ出した子なんかじゃない。非道な犯罪行為の被害者じゃないか)


 ファルードは頬の内側を強く噛み、自分を取り戻すと、優しい笑顔を作った。


「僕がちゃんと故郷に君を戻してあげる、レイラ。何があっても僕は君の味方だよ」

「・・・・・・っ」


 思いがけない不意打ちだった。レイラの瞳に、涙が滲む。


――― どんな時でも私はあなたのお味方です。何があろうと、まずは私を頼ってくださいませ。


 ああ、そうだ。たとえ今のファルードに、あの時の記憶がなくても・・・。

 レイラはファルードに抱きついた。


「ファルードぉ」

「大丈夫。・・・ごめんね、レイラ。そんなひどいことが行われてたなんて、・・・知らなくて」


 いささか互いの勘違いが発生していることに気づかぬまま、二人はぎゅっと抱きしめあった。

 けれども、そこでレイラのお腹がキュウッと音を立てる。


「ちょっと早いけど、ご飯にしようか。さっき、買ってきたパンがあるからね。オレンジもあるよ」

「うん。・・・えーっと、その・・・」

「知ってる、レイラ? お腹がすくってのはさ、健康な証拠なんだ。君がちゃんと健康で良かった。ね?」

「うんっ」


 楽しそうに笑うから、ファルードにつられてレイラも笑顔になる。


「沢山食べてね、レイラ。君が美味しそうに食べているの、僕は好きだな」


 そうして二人は、買い込んできていた惣菜を並べて夕食にした。


「あのね、ファルード。こういうご飯代とか宿代って出世払いにしてもらってもいい? あのね、私、お金が・・・」

「子供がそんなことは気にするんじゃないよ、レイラ。何といっても君をそんな目に遭わせていたんだ。それを思えば、せめてもの罪滅ぼしだよ。お金なんて返さなくていい。それに、・・・どうやら宿代はしばらく無料になりそうだ」

「え・・・?」

「実は僕、見習い神官だったんだけど、・・・抜け出したから見習い神官のまま除籍処分になる筈が、どうやら抜け出すのがばれていたみたいなんだ」


 いささか情けなさそうな、それでいて嬉しそうな、困ったような顔でファルードは言った。


「下級神官の証であるメダルが荷物に入ってた。そしてメッセージも。・・・どうやらレイラ。リベラ神国内で、僕達、ご飯代と宿代は考えなくてもよくなりそうだ」

「え、・・・そうなの?」

「そう」


 二人で、顔を見合わせる。

 宿代と食事代が無料。レイラにとっても、それは悪くない話だ。


「ねえ、ファルード。それって、なんか結構ラッキー?」

「そうだね、結構ついてる?」


 レイラが言えば、ファルードも打てば響くように返してくる。


「やっぱり日頃の行いがいいからだねっ」

「そうだね」


 だが、それは他の神官も同じことなのだ。

 単なる一時的な執着なら逃げ出せばいいだけだが、もしもレイラが逃げ出したことに気づいたエディオスが彼女を追ってきたら? 

 レイラを怯えさせたくなくてファルードは口にしなかったが、その可能性はあった。何といっても女性のレルネーゼですら、ファルードが一人で神殿外での奉仕活動をしに行っていても、時折、「来ちゃった、ファルード」と、やって来ていたではないか。


(明日からレイラも変装させよう。そして引き続き僕も、だ)


 互いに全く印象を変えてしまえばどうにかなる。

 慣れない旅では精神的に疲れただろうと、夕方前に宿に入ったのが良かった。レイラは惣菜を挟んだパンを食べたせいか、再びうとうととし始めている。馬車の揺れだけでも、体力を消耗したのだろう。


(今の内に着替えとか買ってくるか)


 まだ外は明るい。夜なら一人にするのもまずいが、今なら大丈夫だろう。

 そうしてファルードは買い物に出かけることにした。


(イディラート様、ソール様。ありがとうございます。餞別と、そして下級神官のメダル)


 見慣れぬ小袋が入っていることに気づいて中を見れば、ソールからのメッセージ。


『下級神官、トップ合格おめでとう。だから先にこのメダルを君に渡しておく。ファルード、何があろうと生きて戻るんだ。イディラート様もずっと君を待ってる。今回、君が神殿を出たのは、特別任務扱いにしてくれるそうだから、遠慮なくこのメダルで宿も食堂も使うといい。そして、・・・これはイディラート様からの軍資金だそうだ。あと、何が何でもレルネーゼ殿と君との関係は断ち切っておく。安心するといい。・・・ご家族が無事でいらっしゃるよう祈ってる。ソール』


 ファルードも今まで貯めていたお金を持って出てきたのだが、添えられていたイディラートの署名が入った札もかなりの金額が記載されていた。どこかリベラ女神を祀る神殿に行って、その札とファルードのメダルと登録されているファルードとの照合が行われれば、そのお金が渡されるのだ。


(イディラート様。ありがとうございます)


 一度湯を浴びたので再び肌を浅黒く染め粉で汚すのは躊躇われ、マントを目深にかぶることで顔を見られないようにし、ファルードは裏口から宿の外へと出た。


(レイラには男の子の格好をさせておけば、エディオス様が追いかけてきても分かりにくいだろう。何より僕が一緒だと分かってはいない筈だ)


 そういえば、レイラは自分に向かって、髪の色は紫がかった黒色ではないのかと尋ねた。そんなレイラは緑色の髪だ。


(そうだな。髪も黒っぽく染めてみるか)


 互いに焦げ茶か黒に染めてしまえば、かなり分かりにくくなる。

 ファルードは男の子用の服を選びながら、そんなことを考えていた。

 やがて沢山の荷物を抱えて戻ると、寝台の上では目覚めたらしいレイラが心細そうに座っていた。ファルードが戻ってきたと知り、途端に笑顔になるのだから可愛い。


「起きたんだね、レイラ。君の服を買ってきたんだけど、・・・男の子の格好をするのは大丈夫?」

「うん、平気」

「そう。・・・ごめんね。女の子らしい格好も、・・・その村までちゃんと送り届けた後ならできると思うんだけど」


 しかし、レイラにしてみれば、ズボンといっても、別に女の子だって穿けばいいのにという感覚しかない。ファルードには分からなかったが、レイラにとってはそれらも普通の格好という認識だった。


(きっと我慢する癖がついちゃったんだな。可哀想に)


 けれども、ファルードは明るく笑いかけた。


「あのね、レイラ。ここから先、僕達は兄弟ってことにしよう? 僕はお外では君をレイって呼ぶからさ。だから人がいる場所では、あまり大きな声では喋らないでね。そして髪を焦げ茶色に染めるんだ。・・・できる?」

「うんっ」


 そんなのちょろいレベルである。レイラは大きく頷いた。


(ファルードで良かったぁ。完璧、私を守ってくれる方向に動いてるよねっ。ふっふっふ、ファルードお兄ちゃん、かあ。ザイはお兄ちゃんっていうよりも、対等な感じで甘やかしてくれるんだけど、ファルードって本気でいいお兄ちゃんって感じで甘やかしてくれるわよねっ。・・・ああ、二人並べてずっと置いときたい)


 そんなこと、あのザイが許すわけがないのは分かっているが。

 あれでザイは、リリエルにとっての一番は自分じゃないと気がすまない少年だ。ファルードなんて存在を知ったら、全力で排除にかかるだろう。


(けど、そこが素敵なのよね。普段は情けないけど、そういう意外性でドキッとさせるところがいいんだもん。今は子供っぽいヤキモチなんだけど、あと少し大人の色気が出てきてからなら・・・)


 ぐふふふふと、笑みが漏れてしまう。いや、いけないいけない。ファルードに変な子だと思われてしまう。


(だけど、きりっとした感じに育ったザイに執着なんてされたら、・・・ふふふふふ)


 誰よりも自分を大事にしてくれる素敵な青年に、「他の男なんて見ないで、リリエル」と、哀願させてしまうのだ。なんて罪な女なのだろう、自分。

 そんな妄想劇場を脳内で堪能しつつ、レイラは買ってきた荷物をうまくまとめている少年をじーっと見つめた。


(なんだかとっても綺麗な男の人だって思ってたし、髪も綺麗にまとめてくれたから女性的なのかなぁって感じていたけど、実はかなりそうでもないのかな?)


 ファルードは、どこかで採ってきたらしい枝なども大きなナイフでさっさと削って、どうやらレイラ用の杖まで作ってくれているらしい。その動作が、散らばる木屑も気にしない上、ぽいぽいと暖炉に放り込んで片付けていく様子は、何だかとても・・・大雑把だ。


(あの顔で、・・・意外な一面を見てしまった)


 だが、結局、レイラも自覚のないまま神殿に閉じ込められていたと気づいて以来、色々と考え続けていた。それは今の子供の体にはかなり負担がかかっていたのだろう。

 それからファルードの作業を眺めつつ他愛無いお喋りをして、それから一緒に少し夜食を食べて眠ったまではいいのだが、次の日の朝、レイラは発熱していた。


「大丈夫? 今日は果物を刻んでヨーグルトに入れてあげる。そうしたら食べやすいだろう?」

「うん。・・・ごめんね、ごめんね、ファルード。本当はナリス王国に早く帰りたいよね」


 結局、ファルードに出会えた安心感で気が緩んでしまったのだろう。レイラは熱で潤んだ瞳で、ファルードを見上げて謝る。レイラの不調により、そこでの逗留を余儀なくされてしまったのだ。


「そんなことないよ、レイラ。元々、うちの家は郊外にあるし、まず無事だと思うからね。それにかえってしばらく時間がたってからの方が、逃げ出した人たちも家に戻ってくるから、ちゃんと会える確率も高くなるんだ。全く問題ないよ」


 それは嘘ではなかった。

 基本的に戦場になると分かったら、村人達は真っ先に逃げ出す。そして攻め入ってきた兵士達の略奪が終わってから家に戻るのだ。今、急いで自分の家に戻っても、誰もいない可能性も高い。

 確実に会おうと思うなら、少し時間を置いた方がいいのも事実だ。


「ねえ、レイラ。もし、君が元気で、僕が熱を出して寝込んでたら、君は『早く帰りたいのに、なんで病気になるのっ』って怒る?」

「怒らないよ、そんなの」

「そういうことだよ。僕だって怒ってない。だって僕達は、・・・そうだな、お互いに神殿を抜け出した、仲間なんだよね?」

「・・・うんっ」


 レイラは熱で真っ赤な顔をほころばせた。

 鼻水や咳もないし、知恵熱みたいなものだとは分かっているけど、まさか自分が小さな子みたいにそんなので魘されているだなんてと、そこが悲しい。

 だけど、色々と頭の中で考えずにはいられないのだ。

 

(ファルードの髪は紫だ。今は焦げ茶色に染めてるけど。・・・ファルードは、大きくなる途中で色が濃くなったり薄くなったりすることはあるって言ってた。てことは、ファルードの髪はいずれ紫から黒紫色に濃くなっていくってことだよね。・・・そうなると、やっぱりザイもザイファスなのかなぁ)


 だとしたら嬉しいけど、それでも違うような気もするレイラだ。

 何故ならザイファスはもっと油断できない恐ろしさと軽薄さと、決めたことは誰にも邪魔させないような傲岸不遜なところがあった。それでいて、ふとした時に見せる寂しさのようなものが、自分の心を鷲掴みにするような・・・。

 その点、ザイは優しくて思いやりもあって、それでいて六才も年下の自分の子分になってしまうような情けない男の子だ。だけど、いざという時には誰よりも頼もしいところがとても魅力的で、絶対にいい男になると断言できる。

 

(ザイって年齢と共に印象や顔つきがどんどん変わっていっちゃう子だから、分からないのよね)


 今のレイラは、出会った頃のザイをイメージして変化している。髪の長さは変えられないが、顔立ち、髪の色、瞳の色は、かつてのザイとそっくりだ。だけど声は変えられないから、きっと今のレイラは、男の子っぽい女の子に見られていることだろう。

 なぜザイの姿かと言えば、レイラにとって受け入れられる姿はそれしかなかっただけの話だ。


(だけどファルードってば、

「逃げられたら執着する人ってのはいるからね。安全なその村に逃げ切るまでは、男の子を装った方がいい」

って言い出して私の髪も焦げ茶色に染めちゃったしなあ。まさかリリエルとは顔立ちと色合いも違ってるからばれる筈ないって言えるわけもなし・・・)


 なんにしてもファルードはいい人だ。しかも、少年の頃からいい人だ。何といっても、今から美人さんだ。

 

(パパはまだ私のこと忘れてるのかな。ザイは、私を連れ出す為の用意を整えてから迎えに来るって言ってたけど)

 

 今まであまり考えないようにしてきたそれらが、ファルードと一緒にいることで心が落ち着き、どんどんと考えずにはいられなくなる。

 それで知恵熱を出しているのでは意味がない気もするけれど、やっぱりずっと、あのルーセット神殿で自分はかなり気を張っていたんだなと、そう実感したレイラだった。


 そこへ、トントンとノックの音が響き、宿屋の女将さんが入ってくる。


「坊ちゃんの具合はどう? スープなら大丈夫かと思ってね」

「ありがとうございます、女将さん」


 ファルードが如才なく、笑顔でその盆を受け取る。


「ところで、ルーセット神殿の方からやってきたんだろう? どこかで十五才くらいの男の子と、九才ぐらいの女の子、見なかった? 実は、神殿の方がそういう組み合わせの二人連れを捜していらっしゃるらしいんだよ。どちらもとても綺麗な顔らしいんだけど」

「・・・うちの弟も可愛いけど、男の子だしなぁ」

「だよねぇ。何でも女の子は絶世の美少女なんだってさ。まあ、たとえ坊ちゃんが女の子でも髪の色が違うんだけどね」

「へえ。・・・どんな理由で捜してるんだろう」

「さあね。悪さをしたわけじゃないらしいよ。ただ、・・・何人も捜しているらしいね」


 そこで女将は、二人の様子に不審な様子がないかどうかをさりげなく見ていた。特に寝台で寝ている弟の方はまだ子供だ。心当たりがあったりすれば、すぐに態度に出るだろう。

 だが、熱を出して寝ていた男の子は、興味深そうに女将を見返してきた。

 そうして次の言葉をわくわくと待っているらしい。どうやら寝ているのが退屈すぎて、何でもいいから話を聞きたいのだろう。


(これは、・・・違うね)


 女将はそう判断した。髪の色なんて染められる。実際、この兄の方も綺麗な顔立ちだ。弟の方もやはり整った顔だし、子供の内は、男女における体格差はあまりないから、変装も考えられないわけではなかった。

 だが、二人はどう見ても仲の良い兄弟だ。神殿は、どうやら九才の女の子の方を本気で捜しているらしく、具体的な内容までつけてきていた。

 いわく、水色の髪に青い瞳をした絶世の美少女だと。けれどもこの弟の瞳は灰色だ。髪は染められても、瞳の色までは誤魔化せない。

 そして、その女の子は人に抱っこされるのを嫌がる傾向があり、人見知りが激しくて、懐きにくいのだと。けれども昨日、宿にやってきた二人は、眠っている弟を毛布にくるんで兄が運んできていたぐらいだ。今も熱に浮かされながら、甘えて何かと兄にひっついている。


(そりゃ、こんな若い子達が旅してるのは変なんだけど、・・・よりによってねぇ)


 兄の方だけなら変装していると考えればかなり該当するのだが、朝になって出してきた下級神官のメダルには、裏に二つの神殿マークが施されていた。ただでさえ、この若さで下級神官だなんて優秀な証拠なのに、そこには大神殿とルーセット神殿、二つのマークが入っているのだ。

 大神殿といえば、リベラ神国における王宮みたいなものである。人違いだった場合、変な言いがかりをつけたと怒らせたりしたら、こんな小さな宿屋など簡単に潰されてしまうだろう。

 うかつに手を出せるわけがない。

 本人は、

「大神殿のマークが入ってらっしゃるが、若いのにかなりお偉い方なのでは?」

と、尋ねた宿屋の亭主に、

「まさか。大神殿ったって、前にいた程度ですし、僕は全然偉くもなんともないです」

と、手を振って否定していた。そして、丁寧に話されても困るので、ざっくばらんにお願いします、とも。

 たしかにこのマークは経歴をも示すが、そのマークが消されていない以上、後見は大神殿とルーセット神殿双方にあるとされるのである。通常は、異動などがあったら、前のマークは×印が入っているものだ。

 それを知らないだなんて、エリートコース一直線としか思えない。


「まあ、良かったら、こいつも食べるといいよ。このベリーはとても甘いのさ」

「ありがとう、女将さん」

 

 そう言って兄が礼を言うと、弟の目がきらりーんと光る。「ほら」と、兄が弟の口にそれを入れてやると、もぐもぐと食べてから、嬉しそうに笑った。そうして、ぺこりと、女将に向かって頭を軽く下げる。

 きっと熱で声が出ないのだろう。


(まあ、いいよ。エリートさんならここで親切にしておいて損はない)


 宿屋で宿泊した場合、神官はその代金を無料にしてもらえるが、それは後見である神殿に請求がいくということだ。そして、精算時に金額を書いた書類にサインをしてもらうことになる。

 だが、同時に神官の方も宿屋に対して査定を行うのだ。このサービスでその値段は高いか安いか、そして客層や室内はどうだったか、などと。その結果によっては、次の年の税金なども変化する。

 そう思い、女将は、「じゃあ、何かあったら言っとくれ」と、声をかけてから部屋を出た。

 それを見送り、レイラはパタンと扉が閉まった後で呟く。


「なんか・・・疑われてたっぽい?」

「・・・心配しなくていい。何があろうと、僕が君を守るよ」


 だが、そう言いながらもレイラは十分に勝算があった。だって、神殿は水色の髪に青い瞳をした九才の女の子を捜している筈なのだから。

 今の自分は緑色の髪に灰色の目をした、ザイによく似た女の子。

 この焦げ茶色に染めた髪がばれたとしても、全く問題はない。

 だけど、何があろうと守ると言ってくれるファルードの言葉が嬉しい。恐らく彼は、その言葉をちゃんと履行する人だ。


「ファルード。・・・大好き」

「僕もだよ」


 そんなファルードは、いざとなったらやってきた神官を相手にして、こんな小さな女の子を欲望の犠牲にしていたのかと、糾弾する気満々だった。

 多数対一ならば、もうそれしかないと、覚悟は決めている。

 だが、ファルードの覚悟は肩すかしで終わってしまった。結局、二人には何の問い合わせも起こらずに、その二人連れを捜しているという一行は先に進んでいったからだ。

 自分の顔を見られないようにと、あえて宿屋に引きこもってその様子を窓から見ていたファルードは、何とも言えない気分になった。


(なんてザルな捜し方なんだ・・・。だけど、しつこかった方の一行って、あれ、ミローク様の取り巻き達だよな)


 まさかレイラの姿かたちが変装レベルを超えていたとも知らずに呆れ返っていたファルードだが、助かったのも事実だ。

 自分とて神殿にいた人間だ。ある程度の顔は頭に入っている。

 レイラを閉じ込めていたというエディオスの父親であるミロークの関係者がこんなにもしつこくレイラを捜しているという事実は、やはりレイラの話は嘘ではなかったのだと、ファルードに確信させた。

 

(そこまでしてレイラを連れ戻したいだなんて、本気でこんな小さな子に・・・)


 自分もレルネーゼの性的なものを感じさせる接触に閉口していたから分かる。

 弱い立場の人間にとって、その強い立場を利用して好意を返せと要求されるのは、本当に辛いことだ。相手に恋愛感情を抱けないことを責められても、駄目なものをどうしろというのか。好きになられたからって、相手を好きになれるのなら、誰も苦労はしない。

 それとも恋愛感情ではなく、人間として互いに尊重し合う関係を望むことこそが、おかしいとでもいうのだろうか。

 

(分からない。イディラート様。僕にはまだ・・・)


 そんなファルードは十五才。

 セクシーなお姉さんには真っ赤になってしまう、まだまだすれていないお年頃だった。

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