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11 誰もが自分を悔やんでる

アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。

ベータ(レスター):学者。

ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。

デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神官。

イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。


松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられ、ロキスとミザリーの娘レイラとして生を受ける。マイオスに拾われ、リリエルと名づけられる。


チェンジン国・リミダ村

 マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。がっしりとした大柄な男。

 リリエル(レイラ):薄い水色の髪と青い瞳。

 ザイ:濃い緑の髪に灰色の瞳。

 ローリー:ザイの弟。

 ガンスとリネア:マイオスの隣家の住人。

 クユル:ザイを教えていた学者ミルドの息子。


チェンジン国 ピルッポの街

 シアラ:水色の髪。水色の目。

 ミハス:オードン騎士隊長の家令だった男。


リベラ神国・ルーセット神殿

 イディラート:ルーセット神殿神官長。腰までのばした焦げ茶色の巻き毛に緑の瞳。

 ソール:イディラートの傍にいる中級神官。若いが苦労人。30代。

 トレイユ:イディラートの傍にいる中級神官。色々な所へ派遣されて調査などに当たっている。

 エリオット:上級神官。神官試験の監督にもあたった。リリエルを可愛がっていて、マンツーマンの授業もしていた。白髪に茶色の瞳。

 レルネーゼ:ファルードの指導にあたる女神官。緑色の髪に緑の瞳をした、二十代後半の女性。

 エディオス下級神官:二十代神官。親がルーセットの有力神官。

 サイラーユ上級神官:リリエルの為に自分の一室を空けてあげて提供した。

 ミローク上級神官:エディオスの父親。

 どこで自分は間違ってしまったのだろう。

 ルーセット神殿にほど近い、自宅の一室に閉じ込められながら、エディオスはそう思って頭を抱えていた。

 神官なので神殿内にある建物にも部屋はあるが、それとは別に父親のミロークは屋敷を構えている。そこに妻子達を住まわせているのだ。だが、よりによってエディオスの今回の失態に、父親としても何もしないわけにはいかなかったのだろう。

 即座にエディオスを自宅謹慎させてきたのだ。


(こんなことになると分かっていたら、サイラーユ様に強姦されたなんて訴えなかったのに)


 それは父と息子の計算ミスでもあった。

 やはり男として男に襲われたなどとは言いたくなかった。しかし、原則的にそういう訴えは限られた人間で裁かれる上、更にそういったことをあげつらうことは恥ずかしいこととされる。だから、一気に上級神官になれるだろうという思惑でもって、ミロークとエディオスはサイラーユを訴えることにしたのだ。

 しかし、よりによってそれらは全神官立ち会いの会議の中で裁かれてしまった。つまり、神官全てが知る事態となったのだ。

 それだけならエディオスは被害者だ。誰もそれについて触れてはならないとされたことだっただろう。

 けれども。

 まさかそれを、自分が子供に性的ないたずらをしようとしたが為の天罰だと明言されてしまうなどと、誰が予想できたというのか。


(以前、リリエルがいなかった時、あいつにも捜すのを手伝ってもらったのがまずかった)


 これが内々のことなら、呆れられはしても男同士、見て見ぬ振りをしてくれたこともあっただろう。だが、全神官が揃っている会議の席上、しかもそれが女神の裁きともされてしまったなら致命的でしかない醜聞だ。

 即座にエディオスは、父親のミロークにより自宅の一室に閉じ込められてしまった。それもまた、息子の不祥事を自分にも響かせないようにする処世術なのだろう。

 よりによってルーセット神殿に恩恵をもたらしていた少女の部屋にエディオスがわいせつ目的で忍び込もうとし、更に少女が神殿を出ていったとなれば。


(父上だって、リリエルを手に入れろとおっしゃっていたくせに・・・!)


 村の子供達とも離れ、寂しがっているであろうリリエルに優しくしてやり、懐かせろと命じたのはミロークだ。なのに、どうして自分だけがこんな目に遭っているのか。

 自分はただ、リリエルをこの地に留めようとしただけではないか。しかも若手の中でも出世すると言われている自分が、あんな子供に対してちやほやとご機嫌取りをして、結局こんな辱めを受けるだなんて・・・。

 自分が何をしたというのだ。

 夜にリリエルの部屋に行っていたといっても、暗闇を怖がっているであろう子供にちょっと添い寝してやろうと思っただけではないか。それがどうして、自分が男に襲われる理由になるのか。


(あんな、屈辱的な目に遭わされて・・・)


 そんなエディオスに対し、家人も腫れ物に触るような扱いだ。皆が視線を合わせないようにしている。気晴らしに外に出ようにも、今は神官の誰にも会いたくない。


(ずっとこんな一室で生きていけというのか。今まで出世街道間違いなしと言われていた自分が・・・)


 可愛らしい外見こそしていても、不思議な力を持つというだけの、生意気な子供。

 そんな子供の為に全てを失っただなんてと、エディオスは、ぽたぽたと涙を零した。

 父のミロークは、自分の子飼いの神官達にリリエルを追いかけさせているという。


――― こうなったらあの子供を見つけて機嫌をとり、こちらの誰でもいいから懐かせるしかあるまい。なに、相手は子供だ。甘いお菓子と果物と、綺麗なドレスを与えてやればどうにかなるだろう。こうなった以上、その育て親とやらも、取り込むことをも考えねばなるまい。


 もう、うんざりだ。

 父の命令に従った結果、とんでもないことをされ、全神官にその恥ずかしいことを知られてしまった。

 死んでしまいたい。

 そんなエディオスの部屋の扉を、トントンとノックがされる。


「エディオス様。お客様がおみえでございます。どうぞすぐに身支度を整えられ、応接室においでくださいませ」

「・・・追い返せ」

「なりません。おみえになったのは、神官長様付きのトレイユ様でいらっしゃいます」


 トレイユ中級神官。イディラートの手足として動く神官の一人だ。今回も、リリエルの過去を調べる為に、他国まで出向いていたという話だった。

 その男がやってきたというなら、神官長であるイディラートの内意を伝えに来たのだろう。


「着替えてから行く。きちんとおもてなしを」

「かしこまりました」


 エディオスは、慌てて身を起こした。


(処分が、・・・言い渡されるのか)


 もう、いい。どうせ全神官から笑い者にされている自分だ。

 エディオスはせめて身なりだけでも恥ずかしくないようにと思ったが、今の時点で自分は不精髭も生えていて、髪もボサボサな状態だ。入浴すらする気になれなかった体も、臭っているに違いない。

 顔を洗い、髭も剃り、まずは恥ずかしくない格好をしなくては。


(湯を沸かしている暇はない。水でいいから体を洗って拭こう。あまりお待たせしないように手早く)


 エディオスはそう思い、慌てて浴室へと入っていった。






 ファルードとレイラは、自分達を捜しているらしい一行から距離を置いて、その後を追いかけていく形でカガイ街道を北上していた。

 二人ともお揃いの焦げ茶色に髪を染めていて、更にグレイの瞳なものだから、兄弟設定はバッチリだ。しかもフードを目深にかぶって、口元にも埃よけの布を当てている。まさに、お揃いのてるてる坊主だ。


「だけどこういう茶色い肌ってカッコいいよね。なんかワイルドって感じに見えなくない?」

「そうだね。レイったらワイルドな魅力が溢れてるよ」

「えっ、やっぱりぃ?」


 ファルードと話すのは楽しい。ザイとは違った切り口で自分を褒めてくれるのだ。


(まあ、褒められてるのはザイの顔だけどねっ)


 なんでもファルードは自分の顔に目をつけられたくない時は、顔や手を茶色く日焼けしているように染め粉をつけて見せかけているそうで、面白そうなので自分もやってもらったレイラだ。


「だけどさあ、ファルード。なんだかあそこまで捜してるのって、リミダ村に戻ってもヤバイ感じ?」

「うん。僕も実はそう思ってたんだよね。なんであんなにまでして君みたいな子供を捜してるんだろう。僕と一緒ってのもばれてるし。・・・君、もしかしてリミダ村に暮らしていた領主のお姫様か何か?」

「ううん。私のパパとママは亡くなってるけど普通の商売人だったよ。だけどね、今のパパが私を拾って育ててくれたの。今のパパはね、普通の村人」

「そっかぁ。じゃあ、違うよね」


 嘘は言ってない。

 そう思ってレイラは、罪悪感に蓋をした。


「だけどあんなにエディオス様のお父上の取り巻き神官や家人らしき人達が根性入れて捜してるだなんて、・・・本気でレイは花嫁候補だったんだ。今から婚約式でもするつもりなのかな」

「ぐぇっ。いやぁーだぁ」


 本気で嫌そうな顔になったレイラだ。


「私っ、結婚する人はもう決まってるからっ」

「えっ? もうっ!?」


 びっくりしてファルードの灰色の瞳が大きく見開かれる。


「そうっ。私ねっ、お茶目な王子か、頼れる騎士か、カッコいい盗賊か、優しい神官か、そのどれかと結婚するって決めてるのっ」

「そっかぁ。どの人と結婚しても素敵だね」


 ぷっと噴き出した後、それでもにこにことしながらファルードがレイラに同意してみせる。女の子なら素敵な王子様に憧れるものだからだ。


(なんで王子様がお茶目なことになってるんだ? まあ、いいけど)


 しかし、ファルードとしてもこれはかなり考え込む事態だった。


(こんなにも必死で捜しているだなんて。リミダ村に届けたとしても、レイラは大丈夫なのか?)


 今は彼らを追跡していく形でやり過ごせているが、あんなにも捜しているとなると、リミダ村に戻っても、その後で彼らは再びレイラを捜しにやってきて、彼女は連れ攫われてしまうのではないか。

 レイラもそれは気づいていたらしい。


「ねえ、ファルード。私、ファルードについてっちゃ・・・駄目?」


 不安そうに、ファルードを見上げてくる瞳に、自分のグレイの瞳が映る。

 実は、ファルードもそれは考えなくもなかったのだ。ただ、自分が行く先は、帝国に攻めこまれたナリス王国のリーング地方。

 自分はまだいい。何が起ころうと覚悟の上だ。それに、他国にも僅かではあるが、リベラ女神を祀る神殿はある。リベラ神国の神官となれば、そこで庇護されることも可能だろう。

 だが、もしもレイラを守りきれなかったらどうなるのか。まだミローク達に見つかっても命はとられないだろうが、・・・しかし、血に狂った兵士や、混乱に乗じて行われる乱暴狼藉の対象としてレイラが襲われたら?


「ごめんね、レイラ。僕は、・・・君を守り通す自信がない」


 レイラはそこで首を横に振った。


「違うよ、ファルード。私達はね、二人でお互いを守るの。だって私、ザイにも会いたいけど、だからってファルードが危険な所に一人で行くのは嫌だもん。だからね、私がファルードを守ってあげるんだよ」

「・・・・・・」


 このレイラに守ってもらえるものは何なんだろう・・・?

 悪気はなく、ただ心の底からファルードは疑問に思った。

 レイラが、そこでファルードに抱きつく。


「ねえ、一緒にそのナリス王国に行こう? そしてね、ファルードのご家族の安全を確かめるの。それから、一緒にリミダ村に行こう? その頃には、私のことなんて、みんな忘れてるよ」

「・・・僕は、君の安全を守れないかもしれないのに?」

「それはファルードも一緒だよ。だけど、もしも私の故郷がナリス王国で、ファルードの故郷がリミダ村なら、ファルードは私をナリス王国まで連れて行ってくれたんじゃないの? それとも、その時は自分の安全が守れないからってファルードはリミダ村に帰る?」

「・・・・・・レイラ」


 レイラの背中に、ファルードの手が回される。

 こんな小さな女の子の、その気持ちが嬉しかった。


「ファルードだって、まだ子供なんだよ。そんなファルードを一人でなんて行かせられない」

「だけど、レイラ。君だってお父さんがリミダ村で待ってるのに。それに君の大好きなお友達だって・・・」

「お手紙、書くよ。そうしたらいいでしょっ? ねっ、ファルード。私、何があってもファルードを一人でそんな所に行かせたりなんかしないからねっ」


 だって自分はどこに行っても安全な筈だ。

 レイラはそう思って言いきった。

 それに、・・・よくよく考えたらザイの怒りが怖い。

 あれでザイは、自分が無茶をしようとしたら、二度と危ないことをしないようにと、こっぴどく怒る少年なのだ。普段は蜂蜜のように甘く優しいのに。

 山に遊びに行って、こけそうになった自分がそこらにあった枝に掴まろうとした時、ちょうどそこに毒蛇がいたらしく、その手を慌てて叩かれ、持っていたナイフで蛇の鎌首を叩き落としたザイは、それからリリエルが泣きだすぐらいにまで怒った。草むらや枝をきちんと見もせずに触ったり入りこんだりするような真似はするんじゃない、と。


――― ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ザイぃ。

――― 命は一つしかないんだよ、リリエルッ。ちゃんと分かってるのっ?


 あまりの怖さに泣きだしてしまった自分を、きちんと棒でその茂みを探ってからじゃないと入りこまないこと、そしてその生えている木の枝が有害植物でないことを確認してからじゃないと触らないこと、そういったことを何度も復唱するまでザイは許さなかった。

 結局、えぐえぐと泣きながら、自分がそれをちゃんと守るし、二度とこんなことはしないと約束したから許してもらえたが、・・・・・・おや? もしかして自分が山に遊びに行かないのは、あれを守ろうと思ったらみんなについていけないから行かないのではないだろうか? ・・・・・・それはともかく、ザイは自分の安全だけには万全の配慮をする少年なのである。

 神官長であるイディラートが、ザイがやってきたら一緒にお帰りと言っていたのに、待たずにそのままファルードと脱走したなどと、・・・知ったら何だか怒られそうな気がしてならない。

 

(ファルードとナリス王国まで行って、それからファルードの用事がすんだらリミダ村に来てもらって、でもってザイが許してくれるまでファルードには一緒にいてもらおう)


 ファルードの存在を知ったら全力で排除しそうなザイだが、それだけにファルードがいたらすぐに自分を許してくれるかもしれない。


(ファルードだってまだ十五才だもん。お別れなんかして、何かあったら耐えられないよ)


 どっちの理由が大きなウェイトを占めるのか分からないまま、レイラはファルードに頼み込んだ。


「連れてって、ファルード。私、ちゃんと男の子に化けてみせるから。だからいいでしょっ、ねっ?」

「・・・分かったよ、レイラ」


 ファルードもそこで頷いた。


「だけど、ちゃんとお手紙は書こう? それに、もしもナリス王国が危ないと思ったら、僕が戻るまで君はどこかの神殿に預かってもらうからね?」

「うんっ」


 どうせ、置いていかれそうになったら、その場で泣き落とせばファルードは言うことを聞いてくれる。

 そう思っているレイラは、とてもいい笑顔で大きく頷いてみせた。






 ある夜、ルーセット神殿の奥にある居住棟に忍び込んだザイは、変な男と対峙していた。


「見事なものだね。ここまで誰にも気づかれず、忍び込むとは」

「どうしてリリエルの部屋にいる? お前もリリエルを閉じ込めていた奴らの仲間か?」

「よしてくれ。我はそんな阿呆ではない」


 リリエルの部屋で、のんびりとくつろいで酒を飲んでいた男はそう否定する。


「まあ、一つどうかな? 月見酒ならぬ星見酒といったところか。ふふ」

「星なんて出てねえだろ」

「いるじゃないか、すぐそこに大きな星が」


 わけの分からないことを言う男は、髪を腰まで伸ばしていた。男なら短くしておけと言いたい。かつての自分はともかくとして。


「どうせリリエルは去った。なら、一杯ぐらい付き合ってくれても良かろう」

「そう言いながら、本当は地下牢にでも閉じ込めてるんじゃないのか?」

「冗談ではない。あれをそんな目に遭わせようものなら、それこそ天の剣がこの神殿を壊すであろうよ。我はこの神殿を預かる以上、維持する義務がある」

「まさかっ、・・・あんた、この神殿の親玉かっ」

「・・・・・・神官長と呼ばれてはおるが、そういう呼ばれ方は、・・・ふむ、ちょっと斬新だな」


 警戒しながらも、ザイはそこにあった椅子に腰を下ろした。

 だが、目の前にいる男はあまりにも若い。神官長なんて、もっと年老いた存在だと思い込んでいた。

 そんなザイに、イディラートはグラスを差し出す。


「実は養い子と共に飲もうと思っていたのだが、・・・肝心の本人がリリエルと行ってしまってな。まあ、一緒に飲んでくれ」

「毒入りじゃないだろうな」

「よしてくれ。リリエルの特別な存在にそんなものを仕掛ける程、我は命知らずではない」

「あんた、・・・本気で言ってるのか? あんな子供に本気で?」

 

 呆れながらも、渡されたグラスにザイは口をつけた。まずは出されたものを舐め、苦味などがないかを探り、そしておかしいと思ったら即座に吐き出すようにと、クユルにも言われている。

 それは全く苦味やえぐみのない、舐めただけでも極上と分かる味わいの酒だった。


「かなり、・・・いい酒なのか、これ?」

「そうだな。これは一年に六十本程度しか作れないワインでな、それが全て大神殿に納められる。新年の祝いで飲まれたりもするが、主要な神殿にもまわしてもらえるのは三本程度だ」

「大神殿って、・・・このリベラ国のか?」

「そう。これは特別な葡萄畑で丹精込めて作られる。あの子に飲ませてやりたいと思っていたが、そなたに飲ませることができたなら、それでいい」

「・・・いや。もっともらしいこと言ってるけど、あんた、一人で飲んでたよな」

「待ちくたびれた」

「そうか」

「そうだ」


 変な男だ。

 自分がまだ子供なだけだろうか。全く考えが読めない。何が楽しくて、この男はここでこんなものを飲みながら、自分を待っていたなどとぬかすのか。


「リリエルは、本当にここにいないのか?」


 肝心のリリエルから手紙が届いたのは先日のこと。

 紛れもなくリリエルの自筆で、故郷が戦地になった少年に同行すると書かれていた。だが、手紙など、誰かに書かされた可能性だってないわけではない。

 だからルーセット神殿にまでやってきて、様子を探った。どうやら病気が特別に治るとかいった恩恵はなくなっているようで、それでも実りが豊かなことには変わりなかった。

 分からない。

 ザイとて万能ではないのだ。

 リリエルがいないリミダ村でも、作物の実りは変わらず豊かだ。だからルーセットのそれが今もリリエルがいるからなのか、いないからなのか、・・・それを見極めきれない。


「リリエルは自分がいたい相手と共にいるであろうよ。・・・そなたが傍にいれば、そなたしか目に入っていなかっただろう。ファルードが傍にいれば、ファルードしか目に入っておるまい。・・・だが、どちらもまだまだであろうな」


 まるで自分がそのファルードとやらに劣ると明言されたかのようで、一気に頬が紅潮したザイだ。だが、イディラートは美しく更に盛り付けられたチーズを差し出してくる。


「つまみもいるだろう」

「・・・ああ」


 ちびりちびりと噛めば、かなり脂肪分も高いチーズで旨味が口に広がる。

 本当にいいものを食ってやがると、ザイは半眼になった。だから金持ちは嫌いだ。


「手に入れれば全ての恩恵をもたらす娘を、そなたはどうする気だ? 飼い殺しにするか? だが、誰もが望む娘をそなたは守りきれるのか? リリエルならば、王妃の座すら夢ではないというのに」

「・・・・・・勝手にリリエルの未来を決めるな」

「たしかに。何が幸せかなど、本人が決めることだ。・・・実際、よほどそなたが恋しかったらしい。ずっとわけの分からぬ惚気を聞かされて食傷気味だ。だが、あくまでリリエルが一番に出会ったのがそなたというだけのこと。最終的に誰を選ぶかは分からぬ」

「・・・お宅の養い子とやらを、リリエルが選ぶとでも?」

「さてな。あれでファルードも、まだ下級神官にすぎぬ。リリエルを本気で手に入れたければ、最低でも神官長、守り通したければ大神官になるしかあるまいよ」


 大神官とは、このリベラ神国における頂点の地位だ。

 さすがに呆れ返ってザイはイディラートを見返した。しかし、イディラートはハムを齧りつつ、のんびりと酒を味わっている。


「まあ、心配せずともよい。リリエルだけはどこにいようとも傷つくことはない。あの存在を傷つけようものなら、とんでもない怒りの矢が放たれるであろうからな」

「・・・・・・そんな力など、リリエルにはない」


 リリエルに戦う力がなかったことなど、ザイが一番良く知っている。たかがゲコゲコ鳴くだけの蛙にも怯えて泣き叫ぶ子供だ。

 自分はできる女なのだと主張し、ならば好きにさせるかと思って放置していたらなかなか戻ってこなくて、それで心配して見に行ったら積まれた藁をひっくり返して押し潰され、身動きがとれなくなっていた馬鹿な子供だ。

 リリエルをご機嫌で遊ばせておけば、畑の実りが良くなるし、山も豊かになるが、その程度だ。そりゃ、村人の健康状態も良くなっていたが、元々リミダ村の人間は体が頑丈だった。


「ならば、リリエルを傷つけてみるがいい。すぐさま実感できようよ」

「信じられねえな。そういうあんたらが、あの子をここに閉じ込めていた」

「・・・だから我はしておらぬ。だが、それをしていた者達は、十分にその報いは受けた。さて、そろそろ見咎められぬ内に、外まで送ってやろう」

「逃がしてくれるのか?」

「そなたは客人だ。見送ると言うておる。ところで、我はリリエルの身の安全を考えて、美青年だけを愛する体力自慢な神官の隣をリリエルの部屋にしておいたのだが、・・・リリエルにいたずらしようとしてこの部屋に入りこんだ者が、その神官に襲われるという悲劇が起きてしまってな。いや、そなたが彼と恋に落ちたいというのであれば、その機会を提供するにやぶさかではないのだが」

「見送っていただこう」


 即座にザイはそう言った。

 やはりリリエルはここにいないと、そう感じたからだ。

 リリエルを極秘裏で閉じ込めたければ、あんな手紙など出させず、そのまま病死したと言えばいいだけのことでもあった。しかし、確証が欲しかった。


(ここまでリリエルを危険物扱いするとなると・・・、本当にリリエルにはそんな力もあるのか)


 言われてみれば、自分達はリリエルを傷つけたりしたことはない。だから、そういった情報がないのだ。けれども、そうだとしたら。

 やはりリリエルは、そのファルードとやらと共にいるのだろう。


(あの、ボケボケ娘が・・・)


 ザイがいるというのに、他の奴についていくなど。

 戻ってきたらこっぴどく叱ってやらねばと、ザイは決意した。




 日頃は、声を掛けただけでは起きないイディラートである。だが、ある朝、中級神官ソールがイディラートを起こしに行くと、既に彼は起きていた。


「おはようございます、神官長様。今日はお早いお目覚めですね」

「ああ。昨日はとても良い星が出ていたのでな。それを見ながら酒を飲んでいた」

「はあ?」


 昨日は暗雲が空を覆い、月の光も全く見えぬ夜だったと思うのだが。

 そんなことを思い、ソールは首を傾げる。だが、床に転がっている空瓶に目をやってギョッとすると、駆け寄って瓶を取り上げ、叫んだ。


「あああああーっ! まさかっ、まさか飲んじゃったんですかぁーっ!? これっ、国賓級のお客様用にと、特別で用意してあったワインじゃないですかっ!」

「うむ。なかなか美味であった」

 

 瓶に貼られたラベルすら、ナンバー入りである。

 それこそ、他国の国王や王太子が訪れた際に出す、そんな時の為に用意されていた極上のワインを、よりによって寝酒代わりに・・・。

 がくっとソールは膝を床について、ハハハと、乾いた笑い声をたてた。


「まあ、ソール。そう嘆くな。・・・いいではないか。なかなか美しく輝く星だったのだ」

「何をおっしゃってるんですか、イディラート様っ。もうっ、もうワインの保管庫には入れないようにしておきますからねっ」

「む。つまりソールは、我に酒すら飲ませまいと、そう苛めるのだな」

「こんな特別品を勝手に開けないでくださいって言ってるんですっ」


 なんでこんな考えなしな人が神官長なのだろう。

 イディラートに追従(ついじゅう)して、大神殿からルーセット神殿にまでやってきたソールだ。怒りきれず、それでも肩の力を落として嘆かずにはいられない。

 なのにイディラートは、公式行事の時などはとても魅力的な人だから性質(たち)が悪い。


――― どうぞ皆さん、顔を上げてください。さあ、私と共に祈りましょう。


 そんなありきたりの台詞すら、イディラートが微笑みながら言えば、天上の調べともなり、皆の心が引きこまれるのだ。

 けれども。

 プライベートになったら、一気に駄目人間。

 ああ、この落差は何なのだろう。

 しかし、今日も今日とて反省のないイディラートは何かを振り返るかのように呟いた。


「類いまれなる星を見たのだよ。あの子達とはまた違う、その輝きを」


 だが、その言葉は宙に消えて、そして空気に溶けていった。






『ザイへ。

 元気ですか? 私は元気です。夜中、塀を乗り越えて出て行こうとしている少年を見つけて、連れていってくれないと大声出すって言ったら、私を連れていってくれました。だからどうにか逃げ出して、それからおうちに帰ろうとしたら、なんだか私、追いかけられてるみたいです。しかも、一緒に逃げ出した少年も一緒に捜されてるみたいです。

 だから、ほとぼりが冷めるまでの時間稼ぎもかねて、この少年についていこうと思います。だって、この少年、おうちが戦いに巻き込まれてしまったのです。誰だって、とても心配するでしょう? あ、だけど私のことは心配しないでください。ちゃんと変装はしました。今の私は、男の子です。ザイみたいにカッコいいです。

 だけど、・・・本当は、まだ私を思い出してないパパに会うのが怖かったからなのかもしれません。だって、パパが私のこと覚えてないって、やっぱり悲しいです。

 ちゃんとリミダ村には戻ります。パパ、エイリーンさんとうまくいってるのかなぁってちょっと心配になるから、ザイも協力してあげてください。

 またお手紙出します。

 閉じ込められていたのって彼のせいじゃないのに、一緒に逃げ出した少年の方が責任を感じてくれていて、神殿の特別便を使わせてくれるそうです。

 いい人でしょ? だから心配しないでください。

 私はかなりしっかりしてるから大丈夫です。

 もしも人に手紙の内容を見られたらまずいので、名前は書きません。じゃあね』




 何度も何度も、ザイはその手紙を読み返す。

 マイオスにも、手紙が届いた時点で見せたが、

「やっぱりガンスと一緒に迎えに行くんだった」

と、がっくり肩を落とされてしまった。

 既にマイオスの記憶なら戻っていると、知らせたくてもリリエルの居場所が分からない。何より相手は移動し続けている。

 けれども。

 その判断も間違ってはいないと分かるから、余計に複雑なのだ。

 あのリリエルの忘れものとやらを届けに来たソールという神官はともかく、それとはどう見ても別と思われる奴らが、かなりリリエルの行方を捜していて、何度もリミダ村を訪れた。

 マイオスにまで取り入ろうとしていたが、ザイが、

「幼女趣味の変態神官がリリエルを手に入れようとしているらしい」

と、さもルーセット神殿で聞きこんできたと言わんばかりに話したら、それ以来、彼らに対してはけんもほろろな対応だ。


(だが、そいつらがここまで無駄足を踏んでいるってことは、見つかっていないってことだ。かえってこの村にいるよりは安全なのかもしれない)


 それにリミダ村とてやることは山積みだ。帝国にピルッポの街が落とされたことで、税なども混乱している。今の内になるべく収穫物を隠しておくべきだろう。


(リリエル。無事に戻って来い)


 一緒にいる少年、ファルードは、ちゃんとリリエルの様子にも気を配り、無茶もさせていないのだろう。書かれている字も弱さはなく、きちんとゆっくり考えながら書いた様子だった。旅で疲れきっていたら、こんなにも力強くは手紙を書いたりできない。


(変装してる、か。あんな目立つリリエルを連れていても、あの神官達を撒(ま)けた奴だ。いくら俺でも見つけ出せるとは限らねえ。待つしかない)


 それに、こんな手紙をわざわざリリエルに書かせているのだから、こちらにも気を遣っているのだろう、その少年も。


(だが。認められるってわけじゃねえがなっ)


 もしかして俺が怒っているのが分かってるから怖くて帰れないというのなら、怒ったりはしない。

 だから早く帰って来いと、ザイは空を見上げた。

 既に、その手紙が届いてから一ヶ月が経過していた。






 今日も今日とてファルードと元気に旅しているレイラだ。


「ちょうど次の村に行く馬車があるそうだよ。乗せてもらおう」

「うんっ」


 街道をそのまま行くと見つかりやすそうと、わざと街道の横にある細い道や、ちょっとした遠回りをしながら、ファルードはレイラを連れて移動していた。


「何だか大抵、荷物を運ぶ人がいて乗せてってくれるから運がいいよね。この分だと、思ったよりも早く着くんじゃない? だけどファルードってば、そうして肌を茶色くするとイメージ変わるぅ」

「それはレイもだよ。見事なぐらいに男の子にしか見えない。レイは変装の天才だね」

「えっ、そーお?」

「うん、完璧」


 紛れもなくファルードは男の子なのだが、何だか女の子のお友達と一緒にいる気分で楽しいレイラだ。

 そう、自分はこういうお友達が欲しかったのだ。

 細かいことにもよく気づいてくれるが、気のおけない感じというのだろうか、自然体でいられる。


「ファルードってば、空気みたいな人だよね」

「・・・えーっと?」


 それはいてもいなくても分からない、という意味なのだろうか?

 レイラはたまに大人っぽい言い回しをするからドキッとさせられるファルードだ。

 普通の女の子とは少し違う気もする。それでも一緒にいると楽しい。


「なんて言うのかな、・・・いつもは自然すぎて有り難さを忘れちゃうんだけど、絶対に必要な人なんだよね」

「それは、・・・ありがとう」

「ううん。だって本当のことだもん。私ね、ファルードがいてくれて良かった」

「それは僕の台詞だよ、レイ」


 紛れもない、それはファルードの本心だった。

 家族が心配で、それでいて神殿を出た自分だが、それまで自分はいつもイディラートに守られていた。いや、今も守られている。いつだってファルードの気持ちを尊重して干渉せずにいてくれるが、それでいながらちゃんと見守ってくれているイディラート達に。


(レルネーゼ様との関係を断ち切っておくって、・・・結局、分かっていらしたんだよな)


 自分でどうにかできるつもりで、それでも後始末までソール達にさせてしまった。さすがに情けない気持ちにもなる。

 だけど、こうしてレイラを守らねばと思う気持ちが、今のファルードを支えていた。

 どんなに落ち込みたくても、自分がレイラの安全だけは守らなくてはならない。それが彼女をひどい目に遭わせてしまったルーセット神殿の一員としてできることだ。

 そう思うことで、ファルードの気力が湧いてくる。

 辛いことがあっても笑顔を忘れず、そして自分を信頼してくるこの瞳に、どうして応えずにいられるだろう。


「君がいてくれて良かった、レイ。大好きだよ」

「私もっ」

「・・・ふふっ、ザイ君の次に?」

「んーっとね、おんなじぐらい大好きっ」


 ただ、レイラから聞くザイの話は、同じ男として分かるのだが、いささか、いや、かなり独占欲が激しいような気がしているファルードだ。


(普通さぁ、僕はよそものだし、イディラート様にご迷惑がかからないようにっていうんで猫かぶりも板についてるけど。だけど普通の男の子がそれってのは無いと思うんだよね。レイラ、・・・君、本当にそのザイって奴の本性、分かってる?)


 レイラが好きなら構わないのだが、もしかしてレイラは変な男に好かれやすいタイプなのだろうかと、少し心配になってもいるファルードだった。






 

『ザイへ。

 お元気ですか。私は元気です。

 親切な人の馬車に乗せてもらったりしていたんだけど、飽きたので今日はちょっと歩いて移動してみました。だけど、足が痛くなったので休憩したら、いつの間にか寝ていて、ファルードにおんぶされていました。

 ザイのおんぶを思い出しました。

 私、ちょっと足がスリムになって筋肉がついてきた気がします。ファルードは毎晩、ふくらはぎをマッサージしてくれますが、「そうだね」と、同意してくれました。

 このままお腹もスリムになればいいなと思います。

 パパは、子供はぽっこりお腹をしてるもんだって言ってたけど、ザイのお腹は引っ込んでいました。悔しいから交換してほしいです。

 ファルードのお腹も引っ込んでいます。この間、「触らせて」って言ったのに、浴室まで逃げ込まれてしまいました。

 なんだか乙女としてファルードに負けている気がします。

 その内、立ち寄った神殿からこのお手紙を出すつもりです。実は、この地方では、とても綺麗な細工を施した木の腕輪が売られていて、願いをこめて毎日その腕輪をしていたら、やがてぽきっとその木の腕輪が折れる頃に願いが叶うのだそうです。男の人には、青色とか緑色とか黒色とかが塗られているものが売られているそうです。パパには青色の模様がついた腕輪を、ザイには緑色の模様がついたのを同封します。

 パパはエイリーンさんとの仲が発展するといいなって思います。言わないでつけておくだけなら、照れ屋のパパだって大丈夫でしょう?

 ザイはもっともっとカッコよくなって背が伸びるといいなって思います。だってザイ、もっと背を伸ばしたいって言っていたでしょう?

 私もお揃いでピンクのを買ってもらいました。

 パパとザイが元気でいますようにってお願いしてつけておきます。それでは』



 その手紙を読んで、マイオスは複雑そうな顔になっていた。


「娘ってのはよぉ、こうやって知らん男にいつの間にか盗られていくのかねぇ」

「だけどリリエル、なんだか女の子の二人旅って感じじゃない?」


 横にいたエイリーンが、そう呟く。

 既にマイオスとエイリーンは結婚して一緒に暮らしている。離れている間に父親が結婚しただなんてリリエルが知ったら傷つくのではないかとエイリーンは案じていたが、この様子なら大丈夫だろう。

 義理の娘に好かれているというのは、かなり安心できる。

 そんなザイは手紙と腕輪を受け取り、読んでからマイオスの腕輪とその手紙を渡してきたのだ。


「じゃあ、マイオスさん。俺、行くから」

「ああ、ありがとうな、ザイ。・・・心配ばかりかけてすまんな、うちのリリエルが」

「いや、俺も気になるから」


 言葉少なにザイが立ち去る。

 というのも、ザイにもザイで考えなくてはならないことが山積みだからだ。

 既に帝国は様々な場所を攻めている。しかし、攻め落としたはいいが、その後はやりっ放し、しっ放しだ。

 ピルッポの混乱は、既に他にも響いていた。

 最近では普通の村人も盗賊に身を落としている有り様だ。かえって盗賊村だったリミダ村が、恵み豊かな土地として安定しているという皮肉な結果になっている。


(まさか、うちの村に賊が入ってくるとは思わなかったが。・・・リリエルもリリエルだ。子供だから何も分かってねえんだろうが、足なんて男に触らせてんじゃねえっ)


 いきなりピルッポの兵士達に乗りこまれた時の被害は大きすぎた。

 その教訓を活かし、今やリミダ村に続く道を見下ろすような位置で何軒かの家を建て、そこに村人を住まわせ、何かあれば狼煙(のろし)や鐘で知らせるといった手段を講じている。

 だからどうにかなったわけだが、・・・こうなると本気で考えねばなるまい。


(一度、ピルッポにも潜入してきた方がいいのか。税の徴収だと偽ってやってきた兵士がこんなにもいるようじゃ。全部撃退したが、未だに文句も言ってこないってこた、本気で奴ら、本物じゃなかったんだな。・・・・・・大体、リリエルも男の腹を触ろうだなんて、何考えてやがるっ)


 それだけ兵士達も金がないということだ。そして飢えている。


(だが。そのファルードが使わせてるリベラ神殿の通信手段って、こんなお手紙の為に使うようなものじゃなさそうだよな。いつも持ってくる奴が、(どうしてこんな所に定期的に通信を運ばされるんだ?)って顔してるし。・・・まあ、いいか。迷惑料だと思えば)


 そんなリリエルは、何も分かってないところが可愛いのだ。だから全ては許せる。

 それに、そのファルードっていう奴も、そこで浴室に逃げ込んだというのなら、リリエルに手を出す気はないのだろう。まあ、リリエルはまだ子供だ。自分とて今のリリエルに手を出そうとは思わない。

 ちゃんと無理もさせてないようだし、そこらへんは評価もできるが。


「クユル、ちょっといいか」

「ザイ、どうしたの? 何かあった?」


 何人かでピルッポに様子を見に行こうと思うんだがと、ザイはそこでクユルに相談することにした。






 はっきり言えば、今のルーセット神殿は針の筵(むしろ)だった。

 最初はそうでもなかった。


――― 出世するって分かってるファルードの為に、下級神官が指導していただなんて経歴をつけたくなかったんでしょう? あなたは偉いわ。そこで身を引けるだなんて。

――― そりゃ錚々(そうそう)たる顔ぶれだったんだから、怖じ気づくのも分かるけどな。だが、どうせならその中でも指導に携わった人間として残っておけば良かったのに。女なんだから、かえってそこで引けを取らないって見せつけた方が良かったんじゃないのか?

――― あれだけうまくいってたんだ。ファルードだってレルネーゼ殿を尊敬していただろうに。どうしてわざわざ関係を解消してしまったんだ。勿体ない。

――― あそこで引く必要はなかったわよ。堂々と名を連ねておけば、かえってあなたも出世できたんじゃないの? 女性は出世しにくい傾向があるけど、あなたがそこでやってみせるべきだったのよ。


 ファルードの未来が前途洋々であるようにと、だからレルネーゼは指導神官としての立場を放棄したのだと思われていたからだ。

 当たり前だ。

 あれだけレルネーゼとファルードは一緒にいた。

 誰もがうまくやっていたと思っていたし、だからこそレルネーゼはファルードの神官としての適性にほとんど100点をつけていただろうと思われていたのだ。

 そもそも、あの指導神官がつけると決められている、神官としての適性点数というのは、ほとんど神官試験において下駄を履かせるようなものだ。自分が指導した人間に対する心尽くしのようなもの。悪い点数をつけることは、まずない。

 大体、神官としての適性がない人間なら、神官コースで学んでいる間に脱落していくのだから。

 居住棟にある自室に閉じこもり、今のレルネーゼは行き先すら思いつけない有り様だった。


(ファルード。どうして私を置いていったの・・・)


 明るく楽しいファルード。

 女として、あの顔に嫉妬しないわけでもなかったが、その本人が自分だけを選び、そうして指導神官として敬意を示してくれるから、それでいいと思えた。

 だって自分の顔なんて変えられない。

 女にしてはえらのはった顎だって、いつも引け目に感じていた。

 だけどファルードは全くそんなことを気にしない少年で、レルネーゼを見れば笑顔になって「レルネーゼ様」と、元気な声でいつも呼びかけてくれた。だから自分がとても素敵な女性になったような気になれたのだ。

 いつから、・・・あの笑顔が、曇るように、そして困ったように、翳りを帯びていったのか。

 それがなければ、レルネーゼだって低い点数などつけなかった。

 自分のこの思いに彼が応えてさえくれれば、ちゃんと高い点数をつけただろう。

 そして、ずっと彼が自分といてくれたなら・・・・・。


(どうして・・・っ、ファルードッ!)


 なぜ指導神官であるレルネーゼに、自分がイディラートの養い子だと教えてくれなかったのか。

 分かっていたら、あんな点数などつけなかった。

 神官長なら全ての書類に目を通せる。指導神官でありながら0点をつけた自分を、イディラートはどう思ったことだろう。

 独身であるイディラート神官長。義理とはいえ、彼の一人息子だと分かっていたなら・・・・・・。


「ふっ、・・・ふふっ、・・・くっ、・・・ふっ、うっ・・・」


 レルネーゼは床に座り込み、嗚咽を洩らした。

 けれど今となってはほとんどの神官が知っている。神官試験に携わる誰かが漏らしたからだ。

 レルネーゼはファルードを0点としたのだと。

 既にレルネーゼの名は、嘲りの対象だ。

 最高級の宝石を、路傍の石と見紛うような能無しだと。


(いいえ。みんなが思っているのよ。自分よりも美しい彼に嫉妬してあんな点数をつけたのだと)


 嫉妬などしていない。

 あそこまで違ったら、もう妬んでも仕方なかった。

 だから自分の傍に置いて、ずっと愛でていたかった。

 彼だって自分を愛していたからこそ、レルネーゼが故郷への帰還を許さなかったという事実を書かなかったのではないか。

 そう、ファルードは自分を愛していた。

 だからきっと、彼が戻ったら・・・。

 そうよ、戻ったら・・・。

 戻って、そうしたら・・・。


(戻っても・・・、もう、私達は、指導関係にあった神官同士、ではない・・・)


 そう、彼との繋がりは断たれた。

 ならば・・・?

 これから二人の間に、愛が育まれる・・・?


――― 本当に?


「うるさい」


――― 本気で愛されてたと思ってたの?


「やめて」


――― あんなクズにすら捨てられたあなたが?


「うるさいって言ってるのよぉっ」


 手元にあった小物を壁に投げつける。ガッシャーンと音を立てて何かが割れたが、レルネーゼはそちらを見もせず、寝台に顔を埋めて、わあぁっと泣き崩れた。


(ファルードッ、助けてファルードッ。私がこんなに泣いているのよ・・・っ)


 優しく笑顔を絶やさなかったファルード。

 彼なら分かってくれる。だっていつだって自分が顔を出せば、彼は笑顔になったではないか。

 他の女性や女の子に目もくれず、彼は自分だけを見つめていた。

 そこへ、トントンとノックの音が響く。


(ファルードッ!?)


 がばっと顔を上げたレルネーゼだったが、そこで気づく。

 いや、ファルードの筈はない。彼は絶対にレルネーゼの私室に来ようとはしなかった。何度誘っても、

「男が女性の部屋を訪れるようなことがあってはなりません。レルネーゼ様が軽い女性とみられるだけです。絶対にいけません」

と言って、頑としてこのフロアにすら立ち入ろうともしなかった。

 それだけファルードは自分を大切にしていたのだ。

 だから、ファルードがここに来る筈はない。それに彼は、まだナリス王国に旅立ったばかりだ。


(いいや。無視しよう)


 だが、相手は返事がないことに焦れたのだろう。勝手に鍵をガチャっと開けて入ってきた。


(今更・・・っ!)


 この部屋の合鍵を持っているのは・・・。


「今更、何しに来たの? 鍵を返して、さっさと帰ってっ」

「何言ってんだ。どうせ俺に未練たらたらな癖に。聞いたぜ、あんな美少年に0点つけたんだって? 不細工な女ってのは、本当に心も不細工だな」


 羞恥に、全身が赤く染まる。

 入ってきた男は後ろ足で扉を閉め、レルネーゼに近づいてきた。


「出てってって言ってるでしょっ」

「なーにお高く留まってやがる」


 立ち上がろうとしたレルネーゼを、その男、ロンドールはそのまま押し倒してきた。


「いやっ」

「いいじゃねえか。何度も俺に脚を開いたお前だろ」

「嫌よっ」


 冗談ではない。

 レルネーゼは手を振り回して抵抗した。その際、爪がロンドールの顔を掠める。


「ちっ、・・・このクソアマがっ」


 ばしっと頬を殴られ、レルネーゼはその恐怖を思い出した。

 ああ、そうだ。この男は怒らせるとすぐ乱暴になる。

 だからつまらない女を演じて、この男から興味をなくさせたのだ。なのに自分はあんな目立つような真似をして、彼に自分の存在を思い出させてしまった。

 更に、バンッと反対側の頬も殴られる。


「抵抗なんざすんじゃねえよっ、このメスブタがっ」


 ビリビリッと、レルネーゼの服が破られる。

 そこへ、パンパンと、手を叩く音が室内に響いた。


「お邪魔だったかね? ノックをしても聞こえないようだったから入ってきたのだが」


 二人が扉側を見ると、そこにはトレイユが立っていた。


「トレイユ殿っ。いえっ。あのっ、これは・・・」


 ロンドールが慌てて取り繕うべく、おたおたと手を振り、何かを否定するような仕草をする。

 しかし、トレイユはレルネーゼに尋ねた。


「同意か?」


 そこで男が叫ぶように答える。


「勿論ですっ。同意ですっ。なっ、レルネーゼッ」

「・・・いいえ。私は抵抗しました。嫌だと言いました。ですが彼は、私を殴って思い通りにしようとしました」

「では、被害を訴えるか?」

「はい」


 トレイユの後ろには、更に二人の神官がいた。

 少なくとも三人の神官にこの場を見られたのだ。レルネーゼは、ずっとしたかった思いを実行した。

 そう、ずっとしたかった。

 彼を糾弾することを。

 彼を責めることを。

 自分を不細工と嘲りながらこの身を弄んだこの男を、自分を利用するだけ利用して捨てたこの男を、自分はずっと憎んでいた。


「同意のないそれは犯罪として扱われる。分かっていると思うが、今、この場を私以外の神官二人も見届けている。勿論、レルネーゼ殿の悲鳴も聞いている。合意でないというのであれば、レルネーゼ殿はすぐさまに治療院にて手当てを受け、書類を提出するように。また、ロンドール殿は犯罪者として裁かれるが、レルネーゼ殿との和解案として互いの神官地位の交換という処分で済まされる道もある。今の内にどちらにするか、決めておかれるがいい」

「そんなっ。冗談じゃないっ。今更、下級に落ちろと? どんな思いで中級にまでなったと思って・・・っ」

「ならば、裁きの場に出るか? だが、少なくとも神官の女性に向かってメスブタなどと言ったとあっては神官の適性資質はゼロと見なされることはお分かりだろうと思うが」


 トレイユは冷静だった。

 そう、ロンドールと同じ中級であっても、その差は歴然としている。いつでも上級になれる実力を持つ中級神官と、どうにか中級になれた神官との違いが、そこにあった。

 ロンドールの顔が蒼白になる。

 和解案としてレルネーゼと互いの級を交換するか、神官の地位を剥奪されるか。

 それを選べと、トレイユは言っているのだ。


「地位交換に、応じます」

「レルネーゼ殿はそれでいいか?」

「・・・構いません」


 瓢箪から駒、だ。この男がどんなに中級になりたかったかなんて、レルネーゼの方がよく知っている。

 彼が下級から中級になる為に、どれだけ自分はその勉強にも協力してあげたことだろう。

 なのに中級になった途端、この男は自分を捨て、更にその後は都合の良い女として扱ってきたのだ。あの時の屈辱を忘れはしない。


(いいわ。私はあんたが欲しかった中級をこれで手に入れてみせる。いきなり中級から下級に降格されたなんて、不祥事を起こしたとすぐ分かる。いい気味よ)


 自分だってそれは変わらないが、自分はもうとっくに醜聞に塗れている。

 ならばせめてこの男を道連れにしてやればいい。

 レルネーゼはそう思って、皮肉っぽい形に唇を歪めた。

 ふらりと、ロンドールが立ち上がった。目から気力の光が消えている。

 この場の全員に軽蔑されてもいいと思いながら、レルネーゼは口を開いた。


「ロンドール下級神官殿。鍵を返してください」


 かっと顔を赤くしながら、ロンドールは再びレルネーゼを殴ろうとした。しかし、その場に他の神官がいることを思い出し、ぐっと堪えて合鍵をレルネーゼに渡す。


「さようなら。二度とここには来ないで。顔も見たくありません」


 返事もせず、ロンドールはレルネーゼを睨みつけ、そして出て行った。

 後にはトレイユ達とレルネーゼが残される。


「・・・満足か?」


 トレイユの言葉に、はらりと涙が零れた。

 満足? 自分が? 何を満足したというのだ。全てを失っただけなのに。


「満足、です・・・」


 けれども、レルネーゼはそう答えた。

 だって、もう自分にはそれしか残されていなかった。

 何もない自分には、ただ憎い男を道連れにすることしか・・・。

 レルネーゼは緑の瞳を閉じて涙を流しながら、顔を斜め横に背(そむ)ける。きっと、今の自分程、みっともなく情けない女はいないだろう。


「愚かな女だ。男に捨てられた恨みを、女として尊重されなかった恨みを、何もしていないファルードに向け、それを拒否されれば八つ当たりのような点数をつける。自分を愛さない全てが悪いと言わんばかりに、がむしゃらに人を傷つけようとするお前は、本当におぞましい。・・・だが、あの男はもっと汚く醜かった」


 軽蔑を隠さない、そんなトレイユの言葉は、するっとレルネーゼの心に入ってきた。

 ああ、そうだ。

 分かっていた。自分が醜いことなど。顔と同じように、自分の心もまた醜いのだ。


「そんなお前を見たらファルードはどう思うのだろうな。あの子は、イディラート様と同じお前の緑の瞳を綺麗だと言っていた。良い点数をつけたと言いながら0点をつけて恥じなかったお前を、どんな悲惨なことになっているか分からぬ家族が心配でナリス王国に戻りたいといった彼の願いを切り捨てたお前を、書き置きですら糾弾することもせず、あの子は全てを呑み込んで沈黙した。・・・比して、お前はどうだ? 一度は愛した男を、これ幸いとばかりにその地位から追い落としたお前は?」


 その指摘が心地よかった。

 そうだ。自分は醜く、汚い。

 あの綺麗なファルードの心を汚しながら、自分は愉悦すら感じていなかっただろうか。


「どうしてそれを・・・」


 だが、なぜそのことを知っているのか。ファルードの願いを退けたのは、誰も知らない筈だったのに。


「この神殿内に、どれだけ彼の監視者がいたと思うのだ? 知られていないことなどない」


 ああ、そうか。結局、自分は何も手に入れられないのだ。

 レルネーゼはそう悟る。

 自分を無理矢理に手折ったあの男を、それを周囲に知られたくないばかりに許すしかなかった。だから愛そうと思った。けれど愛し続けることなど、できなかった。

 憎むことすら疲れ果て、まっさらなファルードだけでも手に入れようと思った。

 なのに、自分に優しかったファルードですら、本当は自分の手など届かぬ高嶺の花だった。


(もういいわ。もういいの)


 引き裂かれた服から鎖骨や肌が見えていたが、隠しもせずにレルネーゼはふらりとトレイユに近づき、その唇に自分のそれを重ねた。


「何のつもりだ? 娼婦の真似事か?」


 どちらも、目など閉じなかった。


「これで私も無理矢理、性行為を強要したことになります。どうぞ、ご処分を」


 もう、自分には何もないのだ。

 ロンダールから奪った中級神官の地位すら、今の自分には何の意味もない。


「そうか。では、覚悟しておけ」


 つくづくと呆れ果てたものだ、本当に愚かな女だったのだなと、トレイユは吐き捨てるように言った。

 そんなトレイユは中級神官ながら、様々な権限を握っている。その中には、人事に関するものも含まれていた。






 その日、彼は宿屋の床にカードを並べながら、そのカードをどう読み取るべきかと悩んでいた。


(やっぱり、何らかの邪魔が入ってるよなあ。大体、どうしてこれだけのものを渡してきながら全面協力はしねえっつーのっ。ふざけてやがるっ)


 まあ、気持ちは分からないでもない。

 同じだからこそ、憎み合ってしまうのだ。同族嫌悪どころではないということか。

 そこで、ふと、外を通る一行に気づき、目をやる。


「ああ。リベラ神殿の神官か」


 リベラ神国はリベラ女神を祀る国だ。だが、他国にも僅かながらリベラ女神を祀る神殿がある。その神殿は国同士の交渉により、建設されたものだ。

 そこに派遣されていく神官達なのだろう。それを示す円環を頭につけている。だが、ここはリベラ神国ではない。普通の村人には意味が分からないのか、その円環を見ても何とも感じていないようだ。

 どうして気にかかるのかと疑問に思い、カードを並べてみる。


(なんだ。あの子にちょっかいかけた奴か。しっかり仕返し済み、ね。だけど、このカードってさぁ・・・)


 その意味を自分が読み取れていないとは思わない。


(同情するね。本気で心が狭い。狭すぎる)


 だが、外国へと行くのならそれでいいだろう。

 外国に建設された神殿に派遣されるには、それなりの覚悟もいる。

 リベラ神国とその国が事を構えた時には、見せしめとして真っ先に殺されることもあるからだ。

 反面、リベラ神国へのコネクションとして大事に扱われるケースもある。

 そんな一行は、彼と同じ宿屋に泊まるらしい。


(やれやれ。あの子と仲良くしていた神官ってのなら、お近づきになる価値もあったってのにさ)


 そんなことを思っていた彼は、夕食は早めにすませようと、階下の食堂に下りていった。ラフなシャツとズボン姿だが、フードつきのマントは必須アイテムだ。

 夜になると酔っ払いが鬱陶しい。早めに食べて、さっさと部屋に引っ込むに限る。

 同じことを思ったのか、その派遣されていく神官一行も、食堂にいた。


「女将さん、適当に食事よろしく」

「あいよっ。鶏肉は煮込んだのと焼いたのと、どっちがいいかね?」

「焼いた方」

「そうかい。じゃあ、適当なテーブルに座っといで。ほら、お腹すいたなら先にパンを食べておくといい」

「ありがと」


 日頃、引きこもり生活をしているからだろう。こうして外に出てくると、しみじみと自分が言葉少ななタイプだと実感する。

 社会に生きる人達はどうしてこうもポンポンと喋ることができるのか。

 ふと見れば、神官一行は、幾つかのテーブルに分かれていた。どうやら神官が二人と、従者のようだが、・・・どうして同じ神官同士なのにテーブルが別なのか。


(いいけどね、別に)


 神官二人は黙ってテーブルを睨んでいるタイプらしいが、従者達はそうでもない。神官達とは別のテーブルで、賑やかにやっている。そりゃ、通夜みたいな神官二人に付き合ってたら、カビが生えるだろう。


「おや。こんな子供が一人で食ってんのか?」

「誰が子供だ。馴れ馴れしいぜ、おっさん」


 ふと、その従者の一人に声を掛けられたものだから、彼はそう返事した。

 これでも自分は静謐の塔の跡継ぎである。そこらの子供と一緒にされても困るというものだ。

 しかし平和を愛する自分は、あくまで一般人を装って旅するのだ。なんて立派なのだろう、自分。

 声をかけてきた男は四十代後半といったところか。


「おお、すまんな、坊主。マントなんざかぶってるから具合が悪いのかと思ったのさ。・・・けど、違うか。見事な金髪だ。そりゃ、目をつけられたくねえよな。悪かった」

「分かってくれたならいい」


 そう、自分の金髪は無駄に豪華だ。だから目立ちやすい。

 平和と安全を愛する自分は、余計な騒ぎを起こしたくないから、それを見せないように努力している。さすがは理性を重んじる塔の住人である、自分。

 だが、その男は同じテーブルに座ってくる。


「まあまあ。せめて一緒に食べさせてくれねえか。いつも同じメンツだとつまらねえってもんでな。坊主はどこに行くんだ? ん?」

「ナリス王国。おっさんは?」

「あー。ごめんな。どこ行くのか、よく知らねえや。まあ、ついてったらいいんだろってな」


 ガハハと笑う従者は、どうやら地理が頭に入ってないらしい。まあ、人なんてそんなものだ。


「こっから先なら目指してるのは、フォグロク神殿か、デッサルト神殿だろ。自分が行く先ぐらい覚えとけや、おっさん」

「おっ、そうそう、そのデッサ・・・何とか。よく知ってんな、坊主。ん? 神殿に行くってどうして分かったんだ?」

「見りゃ分かる」

「へえ。賢いんだなぁ、坊主」


 しつこく絡んでくると思ったが、敵意はないようだ。もしかしたら故郷に妻子を置いてきたのかもしれない。

 

「はい、お待ちっ」


 そこでどどんっと食事が運ばれてくる。

 見事に大盛りなそれを見て、彼は女将に頼んだ。


「悪いが、こんなに食べられそうにない。だけど勿体ないから、残したらパンに挟んでもらってもいいか? 朝飯にしたい」

「勿論さ。食べきれなかった分だけ、こっちに渡しとくれ」


 だが、目の前に座った男にはもっと沢山の食事が置かれている。

 どこに入るんだろうなと、彼は思った。大体、どうして自分はこの男と食事を一緒にしているのか。


「ちゃんと食えよ、坊主」

「適量ってのは、個人差があるんだ」


 まあ、たまには人に優しくしてやってもいいだろう。

 同じテーブルで食事をするだけのことだ。

 彼はスープを飲み、そして鶏肉を攻略し始めた。。


(あ。けっこう美味い)


 皮はパリパリ焼けていて、中はしっとりしている。

 所詮は男である。従者らしき男も彼も、ぱくぱくと無言で食べ始めた。

 そして食べ終わると、男はエールを注文する。彼も、ジンジャーエールを注文した。


「悪い。美味かったんで全部食べちまった」

「何で謝るのかねえ、この子は。そりゃあ、嬉しいね。朝は朝で期待しといてくれ。なんなら昼の弁当も作っといてやろうかい?」

「ああ、頼む」

「あいよっ」


 明日の朝にはここを発つ。これなら弁当も期待できるだろうと思い、彼は素直に頼んだ。

 男がそこで話しかけてくる。


「一人旅か。当てはあるのか?」

「ああ」

「だが、お前さんみたいな目立つ子は危ねえな。もう少し、顔も汚しとけ」

「ありがとよ、おっさん。・・・まあ、これでも大丈夫なのさ。だが、気遣いの礼に、一つ特別に占ってやろうか」

「何だ。占い師なのか、坊主」

「そんなものさ」


 彼にとって、カードはただの情報収集ツールである。

 ポケットからカードを取り出してパラパラとシャッフルしていると、男が何度も口を開こうとしては閉じ、そして意を決したように言う。


「なら・・・、ならよ。その、そのな、俺には弟分って奴がいてよ、そいつとはある時、はぐれちまったんだ。けど、そいつが無事でいるかどうかってのをよ。いや、気休めでいいんだ。ただな・・・」

「いいさ、分かってる」


 人は占いに真実など求めてはいないものだ。ただ、不安すぎる心を慰める為に、占いを頼む。

 だから手を振ってその後の言葉を遮り、彼はテーブルを簡単に拭く。


「おっさん、カップは邪魔だから持っといてくれ」

「ああ」


 そしてカードを並べ始めた。ほとんどテーブルを埋める程に並べたかと思うと、裏返しになっているカードを幾つかの法則があるらしい順番で位置を変え、更にめくった上にカードを置くと、次はそれを更にひっくり返し、その上にカードを並べていく。


「弟分は生きてるぜ。その嫁さんと子供は死んじまったけどな。だが、あんたの弟分はよそで生き延び、普通の村人として、所帯をもって暮らしてる」


 がっと男が身を乗り出してくる。乱暴にカードの上に置かれたエールが跳ね、カードに雫が落ちた。

 嫌そうな顔になってそのカードについた雫を拭き取る彼に、男は情熱的にそのかぶったフードが外れる勢いで、マントを掴んで問い詰めてきた。


「ほんとかっ、あいつは生きてんのかっ!?」


 だが、彼は鬱陶しそうにそれをはらった。


(なあ。さっき、あんた、気休めでいいって言わなかったか? なんでもう、「ほんとかっ」になるんだよ)


 誰が見ても怪しげな占い師が、「ほんとかよ、それ」みたいなことを言っても、誰もつっこまないのに、どうして自分の時はこう皆、体を乗り出してくるのか。

 やってられん。


「ああ。様々な場所を転々としながら、やっと小さな村に落ち着いて、それから再び家庭を作った。奥さんと娘一人だ。・・・安心しな、おっさん。あんたの弟分は、ちゃんと幸せに生きてる」


 懐から紙を取り出すと、彼はさらさらと何かを描いた。


「ほら、あんたの弟分の顔だ。ついでに住んでる村の名前も書いといてやった。ま、これはちょっとしたおまけだ。いつか会いに行ってやんな」

「あ、ああ・・・」


 呆けた顔で、男がそれを受け取る。

 何故なら、既にそれは占いの域を超えていたからだ。


「ど、どうしてこんなに・・・」


 それが分かるのかと、それを問いたかったのだろう。

 そんな男に、彼はニヤッと笑って言った。


「あいつを大事にしてくれた男への礼だ。じゃあな、おっさん。楽しい食事の時間をありがとよ」


 そのやりとりを、他に誰もいないこともあってじーっと見ていた神官一行だったが、彼が席を立ったことで、慌てて声をかける。


「あなたっ、もしかして凄い占い師なのっ? お願いっ、それなら私も占ってっ」


 そう声を掛けてきた女神官に、彼は嫌そうな顔になった。

 そして冷たく言い捨てる。


「断る。占うまでもない。あんたが、そいつを手に入れることは一生無理だ。諦めて分相応な幸せを見つけるんだな。・・・そんなにも心を汚しさえしなければ、違う幸せもあったものを」


 しかし、そこで宿屋の女将が取りすがった。


「ちょっと待っとくれっ。それならっ」

「・・・・・・なんで女って占い好きが多いんだ」


 そうぼやくと、彼は女将にはこう答えた。


「あんたの大事なお玉は、畑の真ん中に落ちてるっ。あんたはそれを持ったまま、蕪(かぶ)を引っこ抜きに行って、今度はお玉を忘れてきたんだよっ」

「なんで、お玉で悩んでるって・・・」


 驚きに口をぽかんと開けて、女将が呟く。


「自分が泊まる宿屋なんて、それこそ念入りに占うに決まってんじゃねえか。あんたなんて、せいぜいお玉のことしか悩んでない上、せっせと部屋も掃除してたし、残ってた水差しの水だってきちんと入れ替えてた。見えないところにも手を抜かない、誠実でいい宿屋だと思ったからここにしたんだよっ」


 そう言って、彼は足音荒く食堂の入り口までバタバタと歩き去る。そしてくるりと振り返って、ぽかんとしている面々に向かって指差し、宣言した。


「いいか? もうやんねえからなっ。大体、こんなのを何人にもやってたら、どいつもこいつも、『やってやって』って纏わりついてくんだっ。冗談じゃねえっ。もうやんねえからなっ。あとなっ、あんたの息子は夏になったら、『やっぱり跡を継ぐよ』とか言って帰ってくるからよっ、ちゃんと『ざけんじゃねえ、最初は下働きからだよっ』って、きっちりしごいてやれよっ。そうじゃないと、辛かったらすぐ逃げ帰ってくるだけのロクデナシを一生飼う羽目になるからなっ」


 その勢いに何も言えなかった彼らを尻目に、彼はフンと言って出て行く。


「・・・ま、それじゃお玉を拾いに行きますかね」


 真っ先に、気を取り直したのは女将だった。

 何とも素直じゃないが、結果としてかなり褒めてくれたらしいと思いつつ、女将はでっぷりとした腹を揺らしながら、裏口を出てお玉を探しに行った。

 明日はとびきりおいしい朝ごはんと弁当を作ってあげよう。

 そして、芸術家とやらになると言って出て行った息子は戻ってくるらしい。たしかに息子は甘ったれなところがあった。きちんと厳しくしごかなくては。


(なんていうのかねえ。こうして色々な人がやってくるから、宿屋の仕事はやめらんないよ)


 そんなことを思いながら。

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