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9 そしてさよならをあなたに

アルファ(ライジード):赤みを帯びた黒髪、黒の瞳。エスリーダ王国の第三王子。

ベータ(レスター):学者。

ガンマ(ザイファス):緑を帯びた黒髪、黒の瞳。盗賊。

デルタ(ファルード):紫みを帯びた長い黒髪、黒の瞳。リベラ女神の神殿に属している。

イプシロン(ロムルス):青みを帯びた黒髪、黒の瞳。アームル帝国の一軍に属している。


松岡美冴:黒髪に茶色の瞳。ストロベリーブロンドの髪と、青や緑にも見える灰色の瞳の姿を与えられ、レイラとして生を受ける。マイオスに拾われ、リリエルと名づけられる。


ロキス:レイラの父親。商売人をしていたが、妻ミザリーと共に殺された。


チェンジン国・リミダ村

 マイオス:焦げ茶の髪に青い瞳。がっしりとした大柄な男。妻モイラと娘リリエルを殺された盗賊。

 リリエル(レイラ):薄い水色の髪と青い瞳。

 ザイ:リミダ村の村長であるロードの長男。濃い緑の髪に灰色の瞳。

 ローリー:ロードの次男。

 リネア:黄緑色の髪に赤い目をした、マイオスの隣家の奥さん。夫はガンス。

 クユル:ミルドの息子。


チェンジン国 ピルッポの街

 オードン騎士隊長:騎士や兵士達を束ねる男。末娘シアラを誘拐された。死亡。

 シアラ:水色の髪。水色の目。

 ポリーヌ:オードン騎士隊長の屋敷で働いていたメイド。茶色の髪に茶色の瞳。

 ミハス:オードンの家令。


アームル帝国・ファリィヤの街。砦がある。

 グインド:グインと名乗ってピルッポの街でシアラ誘拐を行う。



リベラ神国・ルーセット神殿

 イディラート:エリート神官。腰までのばした焦げ茶色の巻き毛に緑の瞳。

 ソール:イディラートの傍にいる中級神官。若いが苦労人。30代。

 トレイユ:イディラートの傍にいる中級神官。だが、色々な所へ派遣されて調査などに当たっている。

 エリオット:上級神官。神官試験の監督にもあたった。リリエルを可愛がっていて、マンツーマンの授業もしていた。白髪に茶色の瞳。

 レルネーゼ:ファルードの指導にあたる女神官。緑色の髪に緑の瞳をした、二十代後半の女性。

 ロクスーリ:上級神官。

 グンドール:ルーセット神殿の治療院で働く医師兼神官。

 エディオス下級神官:二十代神官。親がルーセットの有力神官。

 サイラーユ上級神官:リリエルの為に自分の一室を空けてあげて提供した。

 ミローク上級神官:エディオスの父親。

 帝国軍の兵士達による脱走が続いていた。その不気味さに耐えきれなくなった末端の兵士達は、さっさと逃げ出したのだ。


「の、呪いだ・・・」

「この街は呪われてやがる」

「帰りてえよ。こんな国、来るんじゃなかった」

「畜生っ、呪われるならあいつだろうがよぉっ」


 チェンジン国への侵攻を開始し、まずはピルッポの街を落とした。

 国境に近い上、様々な物流が交わるピルッポの街は交易が盛んだ。だからこそピルッポを掌握し、まずは物と金を略奪したのだ。戦いに食糧と金と物は欠かせない。

 そうしてピルッポを帝国軍の一拠点に据え、それはとてもうまくいっていた。

 ピルッポの人々も最初は怯えていたが、やがてそれまでのチェンジン国に属する領主ではなく、帝国軍に税を納めれば命は助かるし、生活もできるのだと理解していったからだ。

 勿論、帝国軍がピルッポを落とした際に、様々な騎士や兵士達、そして邪魔な街の人々を殺したこともあって、始まりはよい関係とは言えなかった。だが、それはどの街を落としても同じことだ。いずれ、残された人は生きていかねばならないと諦め、現状を受け入れていく。

 父の、兄の、弟の、息子の敵だと思っていた帝国軍の兵士達を、生きる為に、まずは女達が受け入れ始めた。客として店に迎え、媚びを売り、やがてお得意様として割り切るようになったのだ。内心の思いはともかくとして。

 チェンジン国だろうが帝国だろうが、大切なのは自分達の暮らしが維持できることだ。

 ピルッポの街を守っていた騎士達は、よりによって帝国が攻めてきた日にピルッポを離れて遠出していた為、その災難を知って戻ってきた時には既に遅かった。

 オードン騎士隊長以下、それなりに一目置かれていた騎士達は討ち取られ、帝国に恭順を誓った騎士と兵士達だけが生き残った。

 我が物顔でのし歩く帝国軍の兵士達に唇を噛みしめる思いはあるのだとしても、それはよくあることだ。

 けれど、やがて落ち着きを見せてきた時にそれは起こり始めた。

 そう、帝国軍の騎士や兵士達が不審な死を遂げるようになっていったのだ。それは帝国軍だけではなかった。ピルッポの街の人々もそうだった。

 帝国軍だけならば、ピルッポの街の人間だけを疑えば良かっただろう。だが、どちらも、なのである。

 ピルッポの街を掌握した騎士達は、頭を抱えていた。

 

「井戸に毒が入れられたか、それとも何らかの伝染病か」

「どちらにしても、目的が分からぬ。我ら帝国軍ばかりか、街の人間にも被害が出ておるとなってはどうしたものか。こうなっては旅人も寄りつかぬ」

「だが、ここの生み出す金を資金に充てねば、戦など続けていかれぬであろう。ここは何としても原因を探らねば」

「だが、どうやって? 呪いなどある筈がない。しかし、犯人の姿が見えぬ。人の仕業としたら、何が目的なのか」


 いきなり不具合を起こして倒れる人々。突然の嘔吐、下痢。時には錯乱する者もいた。

 だが、どんなに不気味であろうと、帝国軍の一拠点であるピルッポを撤退できぬと、帝国軍の指揮を担う騎士達は引き下がれない。

 しかし、そんな彼らとは別に、兵士達は命あっての物種とばかりに脱走する者が相次いでいた。

 そして今日は、ついに兵士達が集団で逃走を計画していたのである。


「冗談じゃねえ。俺はせめてファリィヤに戻るぜ」

「そうだな。ファリィヤなら、こんなこともない。今まで大丈夫だったんだから」

「このピルッポが呪われてんだ。大体、呪われるべき奴はファリィヤにいる。あいつをこっちにこさせりゃいいじゃねえか」

「そうだそうだ。大体、ピルッポを落とした手柄っつーんでファリィヤでいい暮らしをしてるなんざ冗談じゃねえ。あいつこそ、ピルッポに来りゃいいんだ」


 ファリィヤは帝国側の国境近くにある街だ。彼らもずっと駐屯していた砦がそこにある。

 今回、不意打ちでチェンジン国へと攻め入り、最初に落としたのがピルッポの街だったのだ。


「何でも、お偉い方々は、こんなことは報告できねえってんで、俺らがどんだけ苦しんでても伝えてねえんだとよ。ざけんじゃねえや」

「全くだ。俺らに毒見させて、のうのうとしてんじゃねえよ。この街はやばい」

「ああ。今夜、決行だ」


 そうしてその夜、数十名どころではない兵士達の逃走があった。その中には、下位の騎士達も紛れていたという。そしてまた、・・・帝国軍じゃない人間が混じっていたとしても分からぬ混乱ぶりだった。

 





 ファリィヤは、帝国とチェンジン国との境に近い、帝国側の砦がある街の名だ。

 そのファリィヤに小さな家を構えて、一人の男が暮らしていた。今回、ピルッポの街を落とす際に功績をあげたというので、小さなその家と昇級、褒美が与えられたのだ。

 ミッドナイトブルーの髪に赤い目をしたその男の名は、グインドといった。

 そのグインドの家の扉を、ドンドンと大きく叩く音がした。


「グインド、来てくれ。隊長が呼んでる」


 夜とあって寝ていたグインドだが、その声に起きて、欠伸をしながら扉を開けた。


「こんな真夜中に何だってんだ」

「知らねえよ。呼んで来いっつわれたから来たんだ。何でもピルッポから逃走兵が出たらしいぞ。そいつら、昼間にこのファリィヤに着いてたんだが、それでお偉いさん方が大慌てになっててな。今になってお前を呼んで来いっつーことは、やっと何らかの話し合いが終わったってこったろ」


 どうやら呼びに来た男も、いいとばっちりだと思ってたらしい。いきなり叩き起こされてグインドを呼んで来いと命じられたのだ。


「ピルッポ? 知らねえよ、そんなん。あそこを攻めやすくしてやっただけで十分だろが。・・・ちっ、仕方ねえ。行くけどよ」


 何度も何度も欠伸しながら、グインドはガシガシとその目を擦りながら上着を着る。そうして、やはり物音で起きたのだろう、不安そうな顔で二人を見ていた少女に声を掛けた。


「行ってくる。シアラ、ちゃんと留守は守っとけや」

「・・・はい」


 かつてオードン騎士隊長の末娘として可愛がられていたシアラだが、何も分からぬままに連れ出され、今ではグインドの小間使いとして働かされていた。といっても、シアラは幼い為、できることはせいぜい拭き掃除や、皿やカップを片付けたりする程度なのだが。


「ああ、あれがピルッポの娘か?」

「そうさ。殺すのもなんだし、いざとなったら人質に使えるかと思ったんだが、今となってはただのお荷物さ。まあ、顔立ちは悪くないし、あと少し育てたら金に換えるつもりだよ」

「殺さなかった時点で優しいかと思いきや、お前も・・・」

「るせえよ。文句あんのか」

「ねえけどよ。まだ小せえのに」

「だからどうにでもなるんだろ。顔立ちは悪くないし、出所も分かってる。欲しいって奴は出てくるさ」


 グインドは身の程をわきまえた程度の出世しか望んでいない。連れてきたシアラも、こんなファリィヤではなく、もう少し内地にある領主クラスの、見た目が悪くない女児を欲しがるであろう人間にいずれ売りつける気だった。

 自国の民ならば色々と思うこともあろうが、他国の孤児となれば後腐れもない。喜んで買い取ってくれることだろう。


(どこの誰が、何を必要としているか。それを見極めて動けば、人間、食ってける程度の金は手に入るもんだ)


 ピルッポの街を守る騎士達はかなり勇猛だ。まっすぐぶつかれば大きなダメージをくらうと分かっていたファリィヤにいる帝国軍は、その為、真正面から戦うことをためらっていた。

 勝てばいいというわけではない。自分達の損失が大きくては意味がないのだ。その上でピルッポの街を手に入れたいと思っていた。

 そこで名前が挙がったのがグインドだった。


(ちょっと酒場で大ぼら吹いただけでよ。・・・だが、うまくいったもんだぜ)


 ピルッポの街の守護を担うオードン騎士隊長の弱点は家族だと、すぐに見当がついた。だからグインドは情報を集めたのである。

 オードン騎士隊長の屋敷で働いていたメイドのポリーヌを尾行し、どうやら結婚相手になりそうな恋人を欲しがっているようだと、小間物屋での話を立ち聞きして知った。

 だから、運命の出会いを装って近づいたのだ。

 ポリーヌは人を疑うことを知らず、自分の惚れた男にせっせと屋敷の事情を話した。

 そして皆に愛されて育っていたシアラお嬢様は、屋敷に勤めていると聞けば何も疑わずにその言葉を信じ、手を引いて連れ出されてくれた。

 また、新入りらしい男とシアラお嬢様が出て行くのを見ていた門番も、まさか堂々と誘拐しているのだと思わず、それゆえに解雇どころか全ての責任を負うのが怖くて、誘拐されたことが分かっても口を閉ざし続けた。


(運命は俺の味方だったってことさ。当たり前だろ。おつむの出来が良くて、度胸がありゃ、あとはどうにでもなる)


 また、真っ先に帝国側を疑われて追手がかからないように、適当な村の出身だと話しておいたのが良かったのだろう。遠回りだったが、ピルッポの街を出る時は、わざとその村に通じる門から出た。だから帝国側へ戻って来る時にも、追跡はなかった。

 そして思った通り、その村はいささか遠かった為、騎士や兵士達が大勢でその村へと出向いた。その間にファリィヤに戻った彼が、「この子供を人質に、今こそ攻めるべきだ」と、そう話すタイミングぴったりに、ピルッポを空にしてくれていたのだ。


(怪しまれないよう、あんな隊商の護衛仕事をするのは面倒だったが、・・・ま、最小限の犠牲で全てを終わらせた。まともにぶつかるより、はるかにいい。戦ってのは、頭を使うもんさ)


 それでも、ピルッポの街に戻らないことを選んだのは、グインドの顔を覚えている人間に、グインドがやったことを察知されて恨まれることが嫌だったからだ。グインドは、ある程度の小金を稼いだら故郷へ帰るつもりだった。変なトラブルなぞ御免蒙(ごめんこうむ)りたい。


(ある程度の金を持って帰りゃ、村でもそれなりの美人と結婚できる。こんな、いつ死ぬか分からんような兵士など、いつまでもやってられっか)


 だが、そんなグインドの未来設計をあざ笑うかのように、呼び出されて夜中に向かった先の砦で隊長から命じられたのは、ピルッポへ行けというものだった。


「ピルッポへ? ですが、あそこはもう制圧された筈で・・・」

「そうだな。だが、ピルッポで謎の奇病が流行っているとか。あの街を見事な知略で弱体化させたお前なら良い知恵も浮かぶだろう。明朝、すぐに向かうがいい」


 奇病など、医師でもないグインドに分かる筈もない。ましてや、そんなものに自分が(かか)ったりしたらどうしてくれるのか。


「明朝っ!? 急すぎますっ」

「急でも何でも、このままでは士気にかかわるっ。行けと言ったら行くのだっ!」


 だが、必死に行かないでいい理由を考えようにも、隊長はグインドの話を聞く気などない様子だった。


「ですがっ。奇病ならば医師か薬師では・・・っ! 俺ではっ、いえっ、私では無理ですっ」

「手が足りんのだっ、いいから行けっ!」


 かなり隊長もカッカとしているようで、全く話にならない。グインドはかなり不満な思いを荒れ狂わせながら帰宅した。

 夜中だが、先程の来客のせいだろう。ランプが一つ、台所のテーブル上に灯されたままだった。


「シアラ。今、帰った。明日、朝からピルッポへ向かう。・・・良かったな、お前のいた街だ」

 

 そんな言葉をかけたが、いつも寝ている台所にシアラはいなかった。


(謎の奇病、か。まずはシアラを連れていれば弱い子供だけに、俺よりも先に(かか)るだろう。シアラが罹った時点で逃げ出せば、俺は大丈夫だ)


 この家にも個室はあるが、シアラにわざわざ部屋を与える必要もあるまいと、グインドは台所にシアラを寝かせていた。


「シアラ? いないのか?」


 返事はない。グインドは部屋を見てまわることにした。


(まさか逃げたか? いや、そんな筈はない。ガキが一人ふらふらと出て行っても行き倒れるのがオチだ。ましてやこんな深夜に出て行く筈がない。・・・誰かに攫われるにしても、あと少し育ってからならともかく、今の時点では金にならん)


 しかし、そこで背後から咽喉(のど)に剣が当てられた。


「おおっと、動くなよ。すっぱり首が斬れちゃうかもしれんからな」

「・・・・・・押し込みか? 金ならうちにはない」


 まさか、このファリィヤの家で強盗にあうとは思わなかったグインドだ。

 金持ちそうな家ならばともかく、グインドのような男所帯では家具もまともに揃えていない。泥棒が入っても、汚い部屋を見て眉を顰め、盗る物もないと、そのまま出て行く筈だった。


「ああ。ちゃんと家探しはさせてもらったよ。お気遣いなく」

「・・・・・・・・・」


 グインドは、貯めた金を床板の下に隠してある。それが見つかってないことを祈るばかりだった。


「で? 今、俺に何の理由で刃物を当ててやがるんだ? 家探ししたなら、もう用事もないだろう」


 しかし空き巣など、珍しくもない。盗まれたところで、それらは二束三文にしか売れないもので、しかも盗られた側も泥棒市場に行けば、二束三文で取り戻せるといった程度のことだった。


「ちょっと話をと思ってね。・・・ピルッポの街を、その知恵で攻略した英雄ってのはあんたでいいのかい?」

「・・・ああ、そうさ」


 ふと、グインドは嬉しくなった。何故なら、誰もがピルッポの街を落とせたのは凄いと言いながら、その立役者であるグインドに対しては、「うまいことやったな」としか言わなかったからである。


(そうさ。俺は英雄なんだ。本来はピルッポの大きな屋敷だってもらえて当然の俺なのに、こんなチンケな家しか、あいつらはくれなかった)


 ふっと、背後の男が笑った気配がする。


「こんな機会でもなきゃ、話も聞けねえ。その知恵一つで全てをやり遂げただなんて、剣を振り回すしかできん能無しよりはるかにすげえや。だからちょっと聞いてみたかったのさ。まぁ、まさか、こんな小さな家に住んでるとは思わなかったけどな。てっきり参謀としてもっといい扱いされてるかと思ってたよ」

「・・・まあ、聞きたいってんなら語ってやってもいいぜ」


 どうやら、この強盗は話が分からない奴ではないらしいと、グインドは感じた。

 きっと生活の為に盗みを繰り返してるが、自分のような賢い人間に憧れる気持ちも持っているのだろう。

 

「そりゃ大盤振る舞いだ。この家に盗むもんは何もなかったが、何よりも貴重な時間がもらえるらしい」

「なるほど。ただの泥棒じゃねえな。お前、見どころがあるよ」


 グインドはそう言って、テーブルを顎でしゃくった。どうやら自分の隠し金は見つからなかったようだ。ならば寛容になれる。

 剣が咽喉から外され、互いにテーブルに座ると。


「お、お前。女かっ?」


 背後にいた男は、その口調からしても比較的若い男だと思っていたのに、長い緑色の髪を垂らし、灰色の目をした若い女だった。いや、少女と言うべきか。まだ十代だろう。


「・・・男と言った覚えはないけど、別に構わないでしょう? そんなことより、話を聞かせてよ」

「あ、ああ」


 先程よりも高い声で、娘がそう先をねだる。グインドは、これはと思ってまじまじと見た。

 やはり、まだ少女だろう。この辺で見たことはない顔だ。だが、顔立ちは決して悪くない。胸はあまりなさそうだが、若さがそれを補うだろう。


(俺に憧れる気持ちもある、か。なら、いい思いができるかもな)


 自分の夢を大きく語り、だが、それは実現可能な範囲のものにしておく。そして女を褒め、いい気分にさせればいい。そうすれば勝手に女は自分を捧げてくるものだ。

 だからグインドは、真剣な顔をして真面目に語り出したのだ。

 ピルッポにおいて、自分がやった攻略作戦を。


(ま、ポリーヌの辺りは誤魔化しておくにしてもよ)


 色仕掛けというものに対し、女はあまりいい顔をしない。

 だから、そこは屋敷の使用人に近づいて話を聞き出したのだと説明すれば、差し向かいで話を聞いている(ぬす)()の小娘は興味深そうに相槌を打ちながら、何度も感じ入ったかのように深く頷いた。


「それで、そのオードン騎士隊長の屋敷の人はどうなったの?」

「さあな。守る騎士隊長が不在だったんだから、殺されたか、逃げ延びたか・・・」


 そこで、ふふっと娘は笑った。とても静かに、それでいて何かを考えているかのように。


「悪い人ね。その一家を不幸に陥れておきながら」


 グインドもニヤリと笑ってみせる。


「小さな犠牲で、多くの人が助かる。そうだろう? 大した犠牲じゃないさ」

「あらあら。だけど、その日、騎士隊の人達って、その騙された村に行ってたんでしょう? そっちはどうなったの?」

「さあな。どうせチンケな村だろ。どうなったって仕方ねえよ」


 娘の行動が少し止まる。

 三拍ほどおいて、ゆっくりと息を吐き出した。


「凄いのね。やっぱり英雄って、スケールが違うのかしら」


 どうやらグインドの大きな器を知り、更に見直すものがあったのだろう。グインドは、これでいけるなと、内心でほくそ笑んだ。

 そのグレイの瞳の奥にある、全てのものを凍りつかせるような冷気に気づかないままで。


「そうさ。・・・いずれ、お前にも分かる。小さな犠牲で守られるものがあるってことをな」


 大人の男としての魅力を出そうと、高みの視点からそう(うそぶ)けば、娘も僅かに顎を下げて頷いた。

 ただ、熱く語っていたせいで、少し咽喉が渇いたグインドだ。いいところを見せようとして張り切ったせいもある。

 身を乗り出して聞いていた娘もそれに気づいたようだった。


「何か飲み物・・・。ここにあるワインでいいの? それともお水?」

「ああ。そこの手前にあるワインを開けてくれ」


 普段なら水ですませるが、格好つけたい気持ちがあったグインドは、ワインの瓶を指差す。娘はそのワインのコルク栓を抜いて、カップに注ぎ、グインドの所へ持ってきた。


「お前も飲めよ」

「いいの? だけど、悪いわ」

「かまわねえよ。どうせ、うちに盗みに来たんじゃねえか」

「ふふっ、そうね」


 娘が自分の分をカップに注いでいる間に、グインドはそのワインを(あお)った。刺激的な味が咽喉を焼いていく。


(ん? かなりえぐみがあるな、このワイン)


 最近は気温も高かったし、今、出回っているワインならそんなものなのだろうか。だが、酒屋には文句を言っておかねば。

 娘が向かいに座り直し、そしてゆっくりとワインを飲む。

 少しえぐみがあるからと言おうとして、グインドは口を開いた。


「そ、・・・そのワ・・・イン、も・・・しか・・・たら」


 だが、うまく口が回らない。グインドは困惑した。見れば、自分の手もどこか震えているように感じる。

 一体、どうしたのだろう?

 そのグインドの異常さに気づかぬ様子で、緑の髪を掻き上げながら娘はゆっくりとワインの味を楽しんでいた。


「コクがあって美味いな。悪くない」


 こんなえぐみがあるワインをコクがあって美味いとは、よほど今までいいワインを飲んでいなかったのだろう。

 そんなことを思うグインドだが、口が痺れて何も言えなかった。

 娘は悠々とワインを飲み干すと、立ち上がってカップを洗い、テーブルに戻ってくる。


「なあ、あんた。少しの犠牲は仕方ないって言ったよな? だけどさぁ、その犠牲にされる方にも命ってのはあんだぜ? それこそあんた一人よりもはるかに多い命が、・・・・・・あの日、失われた」


 その言葉の終わりには、感情すら欠落した響きがあった。

 思い出すものがあれば、余計に心を殺さずにはいられなかったのだろう。表情すら、抜け落ちる。

 先程までの高い声ではなく、最初のグインドに剣を突きつけた時と同じ少し低い声に戻っていたことに、グインドは思い至らなかった。

 自分の体が痙攣し続けることに戸惑っていたからだ。


「あんたが外道で良かったよ。何の良心の呵責(かしゃく)も持たずにいられる。・・・あんたが利用したメイドのポリーヌは、自殺したよ。そしてオードン騎士隊長は帝国軍に殺された。・・・本当に時間がかかったよ。あの日、村にやってきた奴らの内、(かたき)を特定して殺して回るのにも苦労した。まあ、巻き添えになった人間も出たが、・・・小さな犠牲だ。しょうがないんだろう?」


 だが、これで最後だ。

 そう呟いて笑った顔は、既に少女のものではなく、揺らがぬ決意を抱く少年のものだった。


「その原因となったお前はちゃんと殺してやるよ。ゆっくりと、その痛みを最後まで抱いて死ね。・・・お前の誤算は、そのリミダ村に手を出させたがゆえに、俺達という復讐者を生んだことだ」


 長い髪を掻き上げ、ザイは一気にグインドの咽喉に剣を突き刺した。


「ふもぉぉぉーっ!!」


 椅子から転げ落ち、グインドがのた打ち回る。


「どうせ、その毒では助からない。そしてお前は喋ることもできず、助けも呼べない。ゆっくりと死の恐怖を味わうんだな」


 その時には、他の部屋に隠れていたのであろう少年達が、ザイの後ろにやってきていた。

 ザイの弟であるローリーが、うとうととしているシアラを腕に抱いている。また、グインドが隠してあった金も、彼らはとっくに見つけていた。物を隠し、奪う。そんなことは、彼らの方が専門家だ。


「さて、シアラお嬢さん? 一応、ピルッポの街までは連れて帰ってやるよ。その後は知らんが」


 小さなシアラにしてみれば、よく分からない内に連れ出され、怖い男の人達に囲まれ、更にこの家に連れてこられてからは何かと殴られたりして辛いばかりだった。

 分からないままに、ザイに頷く。


(あんまり見ていたくないな)


 そう思って、ザイはすぐに顔を逸らせた。

 水色の髪に水色の瞳のシアラ。

 だけど彼女は青い瞳だった。顔立ちだって違う。年も違う。だが・・・。

 何も分からぬままに大人達に利用される姿が、今も案じられてならない女の子と重なる。

 

「ザイ兄さん。夜明け前に出よう」

「ああ。ローリー、そのシアラ嬢ちゃん、お前がそのまま抱っこしてってやれ」

「分かった」


 苦痛にのた打ち回るグインドに、ザイはもう視線を向けなかった。さっさと家を出て行く。慌ててシアラを抱いたローリーがそれを追いかけるが、他の少年達には違う思いもあったらしい。


「てめえのおかげで、兄貴は死んだんだよっ」


 その脚に、剣が突き刺さる。声にならぬ叫び声をあげて、グインドが血の噴き出した太腿を、震える手で抱えようとしてバランスを崩し、そこに転がっていた椅子にガタガタッと体を打ちつけた。


「ざけんなっ。どうしてうちの村の名を騙りやがったっ」


 その腕に剣が下ろされる。更に血が噴き出て、グインドの上半身も赤く染まった。

 ひぃひぃと、涙がぼろぼろと流れる。呼吸もうまくできず、何度もひきつけを起こしたかのような、ヒック、グェップ、オグェッといった呼吸になった。


(やめてくれぇっ、痛いっ、助けてっ、助けてくれえぇぇーっ)


 それからも様々な罵り声や無言のままに、剣が下ろされていく。


(っぎゃあああぁーっ!)


 せめてその剣が急所を貫いてくれていれば、まだ楽に死ねたのだろう。しかし、その優しさを持ち合わせた者はどこにもいなかった。

 どんなに痛くて苦しくて、やがて痙攣する力をも失っても、グインドは死ねなかった。涙と涎、そして失禁した尿と赤い血がどこまでも床を汚していく。


(助けてくれぇっ、誰かっ、誰かぁっ)


 やがて永遠にも思えた苦痛の時間を過ぎて・・・。

 小鳥の声が響き渡り、朝の光が差し込む中、グインドはやっと死ねた。もうその頃には、どうして自分がそんな目に遭わされたのかも理解できる状態ではないままに。

 だが、朝になってもグインドがやってこないので様子を見に来た仲間は、その惨状を見て、まずは吐いた程、彼の死にざまは悲惨なものだった。




 帝国軍の逃走兵に混じっていたリミダ村の少年達は、夜明け前から馬を飛ばしてピルッポへと向かっていた。


「急げっ。追手がかかれば面倒だ。何よりピルッポから更に逃げなきゃならんからなっ」


 ザイの言葉に、皆が頷く。どちらにしても街道を突っ走って、まずはピルッポに到着しなくてはならないのだ。


「けどよぉっ、ピルッポだって門は閉まってんぜ? どうすんだよ、ザイ?」


 馬を走らせながら、一人の少年が尋ねる。


「大丈夫さ。裏門から、『帝国に攫われていたシアラお嬢様をお助けしてきました。私はオードン家に仕えていたメイドです』って言うからよっ。・・・お前さんらは、そのメイドが雇った護衛ってことで」


 ここまで来たら、ザイも自分の伸ばした髪を遠慮なく有効活用していた。ヤケクソとも言う。


(どうせ全員、変装はさせているし、まずバレることはねぇ)


 リミダ村が襲われた後、情報を求めてピルッポの街に潜入すれば、オードン家の末娘であるシアラが攫われて、そのせいで犯人一味がいるリミダ村に騎士達が出発した時に帝国軍が攻めてきたのだと噂になっていた。

 だが、リミダ村が潔白なのはザイ達にしてみれば明らかである。

 そしてピルッポの街でも、タイミングから考えて仕組まれたものではなかったのかと、そんな噂がやがて立ち始めた。

 だから真相に辿り着くのは早かった。そして、そんな思い込みで真実を確かめることもなくリミダ村を攻めたピルッポの街全てを憎んだ。


(後悔? してねえよ。俺達が毒をもった奴らの中には、リミダ村を攻めたのとは無関係の奴もいた? それを言うなら、俺達だって全くの無関係だった)


 何もできないままに、全てを奪われたこの思いを慰めるのは、復讐しかなかったから。

 実際に手を下した父の敵であるオードン達は、ピルッポの街に引き返した途端、帝国軍によって討ち取られていた。

 こうして元凶であるグインドを殺したことも後悔などしていない。

 最後の復讐を果たしたこともあり、皆はかなりの興奮状態でピルッポへと向かっていた。


「兄さんっ。このお嬢さん、気持ち悪そうなんだがっ」

「吐いても構わんから、まずは移動だっ。気持ち悪いのは落ち着いて休めば治るが、ここで殺されたらどうしようもねえっ。布を口元に当てといてやれっ」

「分かったっ」


 父を殺したオードンの娘といっても、シアラもまた被害者だ。だからザイとて命を奪おうとは思わなかった。それどころか、自分の家族を滅ぼした敵に最後まで利用されようとした不憫な子供だとも思っている。

 けれども、あまりその水色の髪と、怯えている表情を見ていたくなかった。


(リリエル。考えてみりゃ、お前が神殿に保護されて、・・・目をつけられねえわけがなかったんだよな)


 自分を大人しく優しい少年だと信じているリリエル。

 だけど、それでいい。こんな姿を見られなくて、かえって良かったのかもしれない。


(お前が知ったら、・・・きっと泣くんだろうな)


 平然と人を殺したザイを知れば、リリエルはザイの父親であるロードや村人達が殺されたことにも、ザイが復讐を果たしたことにも、全てにおいて悲しむのだろう。


「もうすぐ門だ。・・・皆、顔を汚し、なるべく隠せ」


 一度、馬を下りる。土で顔と手を汚して顔立ちの印象を変えた。ザイも女物の服に着替える。

 やがてピルッポの街に到着した頃には朝となっていたが、・・・みすぼらしい格好になっていたとはいえ、間違いなくシアラお嬢様だと、門を守っていた兵士が目を瞠る。


「なんてことだ。本当に帝国側に攫われていたのか」

「ええ。ピルッポの街が落ちた今、シアラお嬢様には利用価値などないだろうと思って入りこんでみたら、やはり放置されていて、・・・だからこっそりお連れしたのです」

「・・・オードン様のメイドか。なんて忠実な」


 しかし、既にピルッポの街は帝国軍の占領下にある。

 ザイの演技は見事なものだった。

 帝国に入りこんで殺されたらと怯えながらも必死で捜しまわったのだと、兵士に語ってみせる。

 背後で聞いている少年達は下を向き、・・・何とも踏ん切りの悪い表情を見られないよう努力するしかない。


「お願いです。このことは黙っててくださいませんか? お嬢様はまだ小さくて何もお分かりではありません。ですが、オードン家の人間と知られたら、殺されてしまうかもしれないのです」

「ああ、勿論さ。こんな小さな女の子、何もできやしねえ。黙っといてやるよ」


 両手を組み、哀願するメイドの少女に、壮年の兵士は自分の胸をドンと叩いて請け負った。他の兵士達も、力強く頷く。


「なんて勇敢な兵士様方なんでしょう。ありがとうございます」

「いいってことよ。なんつっても、・・・オードン様には世話になった身だ」


 年若いメイドが、近所の少年達に協力させて主家の令嬢を取り返してきたのである。その事実に感嘆した兵士達は、黙っていることを約束してくれた。


(ま、俺達がいなくなった後なら喋ろうが何しようがどうでもいいけどよ)


 どうせシアラはまだ子供で、性別も女だ。見つかったところで、帝国側とてわざわざ殺したりはすまい。

 ザイ達にとって大事なのは、ひそかに入りこんで、更にこっそりとここを抜け出すことだ。ピルッポの街にあるアジトに戻ったら、さっと変装し、少人数に分かれて三々五々にこの街を離れねばならない。

 そうして裏門は問題なく通過でき、かつてオードンの屋敷で家令をしていたミハスの家の前にシアラを置いて、そうしてザイ達は立ち去ったのだった






 リミダ村の復興は凄まじいペースだった。それは、村全体の団結力があっただろう。

 村をまとめていた頭であるロードが亡くなり、それを支えていた男達も何人かが殺されたことで、皆はかなり落ち込んでいた。

 だが、まだ少年の身でありながら、帝国まで乗り込んでザイ達は復讐を果たしてきたのだ。その事実がもたらした興奮と、ザイの台頭は凄かった。

 結局、男は実力が全てである。

 クユルという様々な毒物の抽出にも長けた少年を相談役にし、そして各々の個性に応じた役割を与えて動かそうと考えるザイは、一気に子供達を掌握していた。

 それまでのやんちゃっぷりが嘘のように、そしてリリエルの前でだけ見せていた物静かさもかなぐり捨てて、一気に脱皮を果たしたかのような成長をザイは遂げたのだ。


「じゃが、ザイ坊のはなぁ。お頭が殺されたのがきっかけかと思うと、不憫なことよ」

「仕方ないわ、婆様。どっちにしても、村を率いる人間は必要なのよ」

「自分の息子ぐらいの年じゃろうに、彼奴(あやつ)らはそれでいいと言うたかね」

「ええ。・・・ザイにしても威張り散らすタイプじゃないもの。それどころか、かえって公平性があるから問題ないと思われたみたい」


 別に村長は世襲制ではない。

 けれども伸ばした髪のせいで少女に見まがう印象のザイは、その印象とは裏腹な攻撃性でもって復讐を果たしたのだ。それは村にとって大きな喜びでもあった。

 復讐を終えた途端に切ってしまった髪のおかげで、今のザイは全く少女には見えない。仮にピルッポの街がシアラを取り戻してきたメイドを探し回っても、今のザイをそれと見分けるのは無理だろう。

 リベラ神国の神殿に保護を頼っていた子供達も戻っている。そして失ったものは大きかったものの、リミダ村は新しい一歩を踏み出していた。

 ただ一人、泣き虫だった女の子だけがルーセット神殿から戻らぬままに・・・。






 その日、ルーセット神殿における全神官の招集会議が行われた。

 通常は毎日開け放たれている神殿に、「臨時祈祷を行う為、本日は入場できません」の札が掛けられる。

 だが、何かあって是非祈りたいという人の為に、小神殿だけが開放され、見習い神官達がそこに詰めていた。

 

「神官様が全員揃っての招集って、・・・何があったんだろうな」

「さあな。・・・おかげで神官コースの子供達の授業までこっちにまわってきたんだろ? 子供達は、なんだか大喜びだったけどさ」

「そりゃ、年が近い分、はしゃいでてもあまり怒られないしな」


 見習い神官は、いかに実務を手伝っていようとも神官ではない。だから、会議に立ち会う権利がないのだ。

 さすがに小神殿となると、よほどのことでない限り、そうそう祈る客も来ない。おかげで、彼らはのんびりと雑談するしかやることがなかった。


「だけどさぁ、今日、神官試験の合格発表だったってのに」

「ああ。・・・まさかと思うが、それで問題が出たとか?」

「まさかなあ」


 そこへ、他の見習い神官が会話に加わる。


「なあ、聞いたか? あのファルード、どうやらここを逃げ出したらしいぞ」

「はあっ!? なんでわざわざファルードが逃げ出すってんだよ」


 すると、他の見習い神官もそこに寄ってくる。


「それがさぁ、朝、ファルードが食堂に来なかったってんで、様子を見に行った奴が、書き置きを見つけたって」

「何の為に出て行くってんだよ。あいつ、成績良かったし、神官なんて一発合格だろうが」

「・・・どうだろうな。なあ、聞いたか? あいつ、今回、不合格決定だったらしいぞ」

「なんでだよ」

「どうやら、指導に当たってる神官様に、かなり悪い点つけられたとか」

「マジか。いや、嘘だろ? あそこ、かなりうまくいってたじゃないか」

「いや。それが本当じゃないかって」

「実は僕、うちの神官様に訊かれたんだよね。ファルードの性格について」

「あ、それなら俺も訊かれた。あいつの素行調査だろ?」

「あれって、単にあの顔に興味持った女の子がいたとかいうオチじゃなかったのか? 僕も訊かれたけど」


 誰もが首を傾げつつ、ならばそれで会議なのだろうかと考えれば、たかが見習い神官が一人いなくなったぐらいで全神官を集めるのは大仰すぎると言わざるを得ない。

 ましてやファルードは、特に金持ちや身分の高い家の子供というわけでもない。


「何なんだろうな」

「さあなぁ」


 誰もが、答えの出ないそれに首をひねるしかなかった。




 そんな事情を知らされない見習い神官達とは別に、全神官が集まったその大広間は、重苦しい沈黙に覆われていた。

 全員が着席し、ざわざわと互いに知り得ることを囁き合う。本日の議題はあまりにもセンセーショナルすぎることが分かりきっていた。大体、全神官が集められるような会議など、そうそう行われるものではない。

 何と言っても皆が大事にしていたリリエルが姿を消したのである。勿論、リリエルが不可思議な存在であることは、神官達には知らされていた。だからこそ、皆が彼女の安全に気を配り、特別扱いしていたのである。

 更に、同じ夜にいなくなった見習い神官のファルードの存在がある。

 二人は共謀して姿を消したのか、全くの無関係か。

 ファルードの指導神官であるレルネーゼにしても、こんな大事になったことで気が遠くなる思いだった。

 上級、中級、下級の神官が着席している中、ゆったりとした動きでルーセット神殿のトップである神官長のイディラートと、十人程の重要な立場にある神官が続いて入場してくる。

 一斉に皆が立ち上がり、恭しく頭を下げる。イディラートが中央に座ると、進行を務める中級神官ソールが、

「どうぞ皆様、お座りください」

と、皆に着席を促した。

 基本的にソールは中級で会議の進行は上級神官の仕事である筈なのだが、神官長の世話をあれこれ焼いていることもあり、こういう時は他の上級神官にもいいように使われることが多い。

 というのも、本日は面倒な内容だと分かっている。進行具合によっては荒れる。

 だから、ソールに押しつけられた。

 つまりは、そういうことである。そんなソールは、少しずつ生え際が薄くなっているのではないかと、それが(ひそ)かな悩みの三十代男性だ。


「それでは皆様、ある程度のことはお聞き及びかと存じますが、まず、第一の議題に早速入りたいと思います」


 ソールは、かなり嫌な気持ちになりながら、それを口にした。

 聞いているほとんどの神官達は、リリエルのことだろうと、固唾(かたず)()んで聞き入っている。


「実は、下級神官エディオス殿が、上級神官サイラーユ様に乱暴狼藉を受けたと、被害を訴えられました。サイラーユ様によると、性行為をするに至ったのは事実だが、エディオス殿が先にサイラーユ様に夜這いをかけたのだと主張していらっしゃいます。エディオス殿は、自分に男色の趣味はないと、それはサイラーユ様の言い逃れにすぎないと、主張しています」


 真面目な顔をして聞いていた皆は、ぽかんと脱力した。

 どうしてそんな話がここで出てくるのだろう。いや、この神殿内でそういった性被害が出るのはよろしくないのだが、神官全員を集めて行うことだろうか。

 そんなサイラーユとエディオスは、こういった議題のこともあるからだろうか。前方に着席していた。

 そこで、神官長のイディラートが口を開く。


「さて、サイラーユ殿に問うが、サイラーユ殿はリリエルの隣室を使用していたのであったな?」

「はい。リリエルは子供ながらも顔立ちが良く、間違いがあってはならないからと、私の使用している部屋の内、独立した一室を明け渡して使わせておりました」


 そんなサイラーユは、女性全般を恋愛対象として見られないと、カミングアウト済みな筋骨隆々とした男性である。


「なるほど。・・・さて、ではエディオス殿に問うが、サイラーユ殿の部屋を深夜に訪れたわけは何であろうか? 通常、その時間帯に他人の寝室を訪れておいて、『その気はなかった』と言われたら、誰もが驚くと思うのだが。それともサイラーユ殿にどんな急用があったと?」


 そこでエディオスは何度も唇を舐めながら、考え考え、口を開く。


「サイラーユ様に用事はございませんでした。ただ、リリエルの様子がおかしかったので、きちんと寝ているかどうかを確認しようと、彼女の様子を見に行っただけでございます。なのに、いきなりサイラーユ様は私を襲ってきたのです。私が抵抗しても止めずに。これはれっきとした犯罪でございます。どうか妥当な処罰をお願いしたく存じます」


 なるほどと、イディラートは頷く。

 ちなみに、愛の営みそのものを推奨し、同性間の恋愛も認めているリベラ神国だが、同意のないそれは厳罰を課している。

 たとえばこれがあまりにも階級の違う神官同士の場合、互いの階級を交換ということすら行われる。それこそ、上級神官が下級神官に同意のない性行為を強要して実行した場合、その上級神官は下級に落とされ、被害者の下級神官は上級へと一気に昇格したりもするのだ。

 だが、そうなるとそれを狙って、同意だったくせにそうではないと言い出すケースが出てくる。ゆえに、その辺りに関しては誰しも色々な対策をとっているが、・・・今回の場合、サイラーユとエディオスに、書面や物品の受け渡しもなく、同意とは言い難いとされたらしい。

 誰しも、こうなると一気に二十代のエディオスが上級へと昇格し、サイラーユが一気に下級へと降格されるのかと、興味津々で身を乗り出した。

 毅然とした面持ちでイディラートをまっすぐ見返してくるエディオスだが、肝心の神官長はそこで欠伸を噛み殺しながらソールに命じた。


「確認するまでもなかったが、一応聞いておきたかったのでな。では、ソール。次の議題に移れ」

「かしこまりました、神官長様。では、サイラーユ様は無罪といたします。それでは、次の議題ですが・・・」


 聞いていた皆がガクッと姿勢を崩す。


(何じゃそりゃっ!)

(どうしてそうなんだよっ)

(今の流れで、なんでそれっ!?)


 ガタッと、椅子を蹴飛ばす勢いで、エディオスの父親である上級神官のミロークが立ち上がった。


「お待ちくださいっ。どうしてそこでエディオスの被害をなかったことにされるのですかっ。冗談ではありませぬっ」


 しかし、イディラートは少し小首を傾げてから答えた。


「サイラーユ殿に非は全くないからだ」


 誰もが愕然とした顔になる。エディオスも、怒りで頬を紅潮させた。

 しかし、そこでイディラートが立ち上がったことで、皆の口が閉ざされた。

 

「上級神官は全員、チェンジン国リミダ村の子供達がやってきた時の会議に出席していた筈である。その時、我が何と言ったか、覚えているか?」


 ゆっくりと、深い木の葉を思わせる瞳が皆を見渡していく。イディラートは誰もが聞き入る声で続けた。


「我は言った筈だ。『我らこそが、未来の大いなる星を育むのだと、それを今一度、己に言い聞かせよ。各自、神官として己に恥じぬよう振る舞うがいい』と。さて、ミローク殿。己に恥じることなどないと、それこそ、貴殿の息子殿の行動にもないと言いきれるか?」


 ミロークはそこでたじろいだ。イディラートの視線は、エディオスをも鋭く射抜く。


「エディオス殿もだ。自らの行動に恥じるものがないと、本気で言っておるのか? 恥というものを知っていたなら、このような申し立てはすまい」


 ざわざわと、誰もが顔を見合わせ、

「どういうことだ?」

「神官長様がおっしゃるということは・・・」

「まさか本当にエディオスはサイラーユ様のことが好きだったのか?」

「一晩限りで捨てられた恨みとか?」

などと、囁き合う。

 イディラートは、ソールに顎をしゃくり、座り直した。諦めの境地で、ソールが口を開く。


「えーっと、リリエルにつきましては、神官長様より、学びたいことを学ばせ、安全には気を配るが、待遇そのものは通常通りに扱うようにと、そういう内意が伝えられていたかと存じます。というのも、リリエルがやってきてから、この神殿にやってくる方々の病は軽快し、更に体調も良くなるという効果がございました。また、この地の実りが豊かになったことも皆様、ご存じのとおりでございます」


 皆が、そこでソールに注目する。


「これは今回のことで確信に至りましたが、リリエルには、彼女を傷つけようとした人間には、それが本人にも向けられるという不可思議な力もございました」


 ソールは言葉を選び選び、説明を行う。

 中級神官の自分は、上級神官であるミロークにも遠慮があるのだ。ついでに大事なことを黙っていたと、そんな神官長への反感を抱かせないような言い方も考えねばならない。


「たとえば、・・・リリエルを襲おうとした人間は襲われ、殺そうとした人間は殺され、自由を奪おうとした人間は自由を奪われるという運命が、その人間にもたらされるのです。それを感じ取っておられた神官長様は、リリエルにはのびのびとした生活をさせろとおっしゃっておいででございました」


 しーんと、その場が静まり返った。

 恐ろしい程の沈黙がその場を満たす。

 ゆっくりとイディラートが口を開いた。


「皆が神官としての誇りを持ち、誰に対しても恥じることなき行動を心がけておれば、何も起こらぬ。実際、リリエルが育てられていた村で、彼女は普通に暮らしていた」


 イディラートがサイラーユに微笑む。それは、強姦加害者に向けるとは思えない、慈愛深いものだった。


「ゆえに、サイラーユ殿のエディオス殿に対する蛮行は、リリエルに向けられようとしたそれを天に代わって行ったにすぎぬ。従って無罪である」


 ミロークが、がっくりと肩の力を落とした。エディオスも、赤くなったり青くなったり、落ち着かなく床を睨みながら、頭を抱える。

 サイラーユは、

「なんとまた不思議な・・・」

と、驚きに目を瞠った。正直、自分に男色の嗜好があるのは確かだが、普段なら全く食指が動かないエディオスに、あの時はその気になったのがとても不思議だと感じていたのである。

 まさか、天罰を代行する役割を自分が担っていたとは・・・。ああ、なんと神の御業は広く深いことか。

 サイラーユはその場で祈りを捧げた。ほとんどの神官も同じように祈りを捧げる。

 だが、・・・女神の天罰はかなり下世話だなと、サイラーユ以外は思わずにいられなかった。


「では、次の議題に移りたいと思います。神官見習いであるファルード殿が、書き置きを残して神殿を出奔しました」


 ソールが、さっさとその話題を離れたいとばかりに、話を打ち切る。

 リリエルの不思議な力はイディラートも詳しくは分かっていなかったらしい。

「なあ、ソール。リリエルにどうやらエディオスが(よこしま)な感情を抱いていたらしいのだが、その感情が更に大きく歪められてエディオスに戻っていったんだ。だから何が起こるんだろうと見ていたら、なんとエディオスがサイラーユに襲われてた」

と、朝になってからぽつりと呟いたのだから。

 それを聞いた時のソールの気持ちを察してもらいたい。

 助けてあげてくださいよと、言うべきなのか。

 まずはエディオスに注意指導してくださいと、言うべきなのか。

 その話、聞かなかったことにしてもいいですかと、言うべきなのか。

 今となってはソールも、リリエルに親切にしておいて良かったと、そう思うばかりだ。


「尚、ファルード殿は、郷里が帝国軍に攻められ、家族が心配で逐電したとのこと。・・・神官であれば己の意思一つで神殿を離れることができますが、彼は神官見習いの身。本来は、指導に当たっている神官の許可を得なくては出て行けません。ですが、書き置きによると、指導神官であるレルネーゼ殿には相談もなく出て行くと書かれておりました」


 皆が、首を傾げる。

 なぜファルードは相談もせずに出て行かなくてはならなかったのだろう? 一言、言えばいいだけではないか。


「さて、ここで追認するかどうかをお尋ねすることになりますが、レルネーゼ殿におかれては、ファルード殿の離脱を許可するつもりはおありでしょうか?」


 ソールの質問に、レルネーゼは立ち上がり、緊張の面持ちで答えた。


「・・・勿論でございます。故郷の家族がどうなっているか分からぬとあれば、誰しも不安になるものです。私は、ファルードに相談されたら即座に許可を出したことでしょう」


 なるほどと、ソールは頷く。


「では、今回は変則的な扱いになりますが、見習い神官としてのファルード殿の出奔はお咎めなしといたします。また、この場で先に申し上げますが、今回、ファルード殿は神官試験に合格し、神官となりましたので、ここからは下級神官として扱わせていただきます」


 そこでレルネーゼが、驚いたように顔を上げる。


「お待ちくださいっ。どうしてファルードが合格しているのでしょうっ。お教えください、ソール様っ」


 ファルードが神官試験に合格する筈がなかった。それは誰よりもレルネーゼが知っている。

 そのレルネーゼを見るソールの瞳に、軽蔑するかのような光が宿っていたことに、彼女は気づかなかった。


「ファルード殿は、筆記試験で一位の成績をとっています。そして神官の資質についてですが・・・」


 こほんと、ソールは咳払いをした。


「ファルード殿は、指導神官がつける点数も80点をとっております。ゆえに、合格なのです」

「そんな筈はありませんっ。彼の神官における資質は・・・っ」


 レルネーゼが悲鳴のような声になる。

 そうだ、彼はずっと自分の傍に置いておくつもりだったのだ。だから0点をつけた。なのに、どうして80点ということになるのか。

 哀れむように、ソールは尋ねた。


「彼の資質は・・・? レルネーゼ殿は、ファルード殿の資質をどう見ておいででしょうか?」

「そ、それは・・・」


 さすがに全神官が揃った中で、指導にあたる自分が、ファルードに0点をつけたとは言えないレルネーゼだ。ファルードと仲良く実務に勤しんでいた様子は、様々なところで見られている。

 ソールは続けて言った。


「指導神官は、基本的に一人です。しかし、その神官見習いが優秀な場合において、指導神官が複数つくことがございます。その時は、指導に当たった神官全ての点数を平均し、その点数をつけるのです。尚、ファルード殿自身はレルネーゼ殿を指導神官として選びましたが、・・・彼は特別に他の神官が指導を終えております」


 皆が、「どういうことだ?」「いや、彼は外国出身者だ」「なら、どうして」と、ざわつく。

 指導神官が複数つくというのは、かなり特別な場合に限られるからだ。


「尚、ファルード殿の指導に当たりましたのは、まず中級神官からは大神殿所属のダレイアス殿とルレイグ殿でございます。そして上級神官からは大神殿所属のロフルト様。・・・その三人がお書きになりました指導神官として彼につけた点数の書類は私が預かっておりました」


 たしかにファルードは、イディラートのルーセット神殿の赴任と共にやってきた神官見習いだ。だが、まさか既に大神殿でも指導を受け終えていたのかと、誰もが驚く。

 

「そしてファルード殿の指導を行われた最後のお一人は、・・・神官長イディラート様になります」


 誰もが沈黙した。

 レルネーゼも卒倒せんばかりになっている。

 ほとんどの神官達は、その五人がどんな点数をつけたか分かっていないが、試験点数のとりまとめ作業に関与した神官達とレルネーゼ自身は、レルネーゼがつけた点数を知っている。


 平均点数ということは、つまり、こういうことだ。点数は100点満点である。

(ダレイアス点+ルレイグ点+ロフルト点+イディラート点+レルネーゼ0点)÷5人=80点。

それは、

ダレイアス点+ルレイグ点+ロフルト点+イディラート点+レルネーゼ0点=400点。

ダレイアス点+ルレイグ点+ロフルト点+イディラート点=400点


 つまり、レルネーゼ以外はファルードに100点をつけたのだ。


(そんな・・・・・・)


 紫の髪をして煙るようなグレイの瞳をした少年が、目の前で永遠の別れを自分に告げたような気になり、レルネーゼの体から力が抜けていく。

 いや、本当に彼は自分の元から去ったのだ。

 だって彼と自分だけは知っている。彼が故郷に帰りたいと言っても、許さなかった事実を。


(ううん、・・・いえ、大丈夫よ。だってファルードは書き置きでだって、私が許さなかったとは書いていなかった。それは何があろうと私を悪者にしたくないって、そういう彼の私に対する好意じゃないの。・・・そうよ、だってファルードが選んだのは私なんだもの)


 まさかそんな偉い方々が彼の指導を終えているとは思わなかったけれど、・・・それでもファルードは自分を選んだ。それはそれだけ、ファルードが自分を好きだったということではないか。


(そうよね、ファルード。・・・あなたは、私が好きよねっ)


 レルネーゼの思いはともかく、他の神官達はその事実に考え込む。

 そんな逸材だと知っていたなら彼を引き受けたかったと、そう思う神官もいた。何故なら、たとえ自分が教えた神官見習いが己より出世しようとも、最初の指導神官に対しては、敬意がはらわれるものだからだ。

 ましてやレルネーゼ以外は、エリートの神官達がファルードの指導に当たっている。それは、彼がこれから出世街道を歩むことを示していた。


「お待ちくださいっ。どうしてイディラート様が見習い神官の指導を行われているのですかっ」


 上級神官の一人が手を挙げて質問する。神官長が見習い神官の指導を行うなど、まずあり得ないからだ。

 ファルードは何でもないことのように答えた。


「言ったであろう? 今、このルーセット神殿にいることを誇るがいい、と。大きな星は一つとは限らぬ。何より、父親が息子の指導を行って何が悪いと言うのだ?」


 誰もが面食らったような顔になるのを、ソールは物悲しい思いで見ていた。

 あー、言っちゃったよ。

 ソールは、誰もいない壁の方へと視線を向ける。

 あ、壁にシミができてる。あとで拭いておこう。今、雑巾を取りに行ってもいいだろうか。

 ・・・うん、まずいだろう。

 諦めて事態の収拾をつけなくては。・・・頑張れ、生え際クン。


「えーっと、今まで公表はされておりませんでしたが、見習い神官、いえ、試験合格により下級神官となりましたファルード殿は、他国出身ながらもイディラート様の養子となっております。従いまして大神殿でも、イディラート様の息子として恥ずかしくないようにと、皆様から指導を受けていたわけでございます」


 ただし、ファルード本人はその辺りをよく分かっていなかったが。

 ファルードは、皆からイディラートに恥をかかせるなと、だから勉強を叩きこまれている気分だったらしいが、・・・既に指導教官を選ばなくてもそっちの点数は十分に持っていることを、・・・イディラートはわざと言わなかったのだ。

「おそらく、いい経験になるような気がするのだよ」

とか言って。

 そうしてこの地に来て、ファルードはレルネーゼを選んだ。

 その結果、何かと抱きつかれたり、体を触られたりして、ファルードがかなり泣きそうな顔になっているのを、ソール達も知っていた。まだ十代の多感な少年に、それらは本気で困惑するしかない事態だったのだ。

 更にその結果、レルネーゼに0点をつけられたと知ってイディラートが机をドンドン叩いて大笑いしていたのも、ソール達は知っている。

 ソールにしてもファルードの様子を見ていれば分かる。本人はかなり悩んでいただけに教えてやりたかったが、イディラートに口止めされていたのだ。

「面白いから放っておけ」

とか言われて。


「しかし、報告もなく下級神官ファルード殿が出て行ったのも事実です。ファルード殿が無事に帰った場合は先程申し上げました通り、お咎めなしとなりますが、もし帝国と事を構えていたりした場合、大神殿にて裁きが行われ、指導にあたっていた神官全てが連帯責任として処分対象になります。ですが、レルネーゼ殿だけは対象外となる道もあります」


 そこで皆が、ざわつく。どうしてレルネーゼが対象外になるというのか。

 なぜなら彼女はファルードの指導神官である。常に一緒にいたというのに。


「これは神官長様の温情でございます。・・・何故なら、ファルード殿が戻り、その間に行った彼の結果によっては、大神殿による裁きが行われますが、その際、今までの彼に対して出された報告書全てが調査対象となるでしょう。言うまでもありませんが、レルネーゼ殿が彼に対してつけた今回の神官試験の点数報告書もその対象となるわけです。・・・ですが、この場でレルネーゼ殿は選択できます。彼の指導神官として名を連ね、その処分対象となるか。それとも指導神官としての立場を放棄し、処分を免れるか」


 別に彼と一緒に処分対象になること自体はかまわない。

 レルネーゼはそう思った。

 だって、そうなればファルードは優しい少年だ。申し訳ないと、レルネーゼに頭を下げ、その上で彼女が願う全てを贖罪として叶え続けてくれることだろう。

 だが、レルネーゼは彼に0点をつけている。イディラートだけでなく、他の上級、中級神官がつけた100点とは真逆の評価を。

 それが、よりによってリベラ神国の総本山、大神殿にまで出されるのか。

 このルーセット神殿におけるような言い逃れですむ筈もない。

 

「あの・・・。調査される、とはどこまでなんでしょうか」


 レルネーゼは、乾いた声でソールに問う。


「全てです。複数の神官が指導にあたる特別扱いとは、他の人よりも厳しい調査がされるということです。ファルード殿はあずかり知らぬことでしたが、様々な神官や一般人を装った人々から、日々の暮らしにおける行動、たとえば争いに巻き込まれた時はどうするか、いきなり罵倒されたらどう反応するか、急に倒れた人がいたら何をしたか、身内を亡くして嘆いているお年寄りにどう行動したか、・・・多岐に渡って調査が入り続けておりました。そして、それに手心を加えられては何にもなりません。調査に携わる人間にも、また人物調査が入っていたのです。言うまでもありませんが、先程、名を挙げさせていただきました、神官長イディラート様以下、指導神官全てに調査報告が作成されている筈です」


 レルネーゼは、・・・蒼白になった。

 つまり、自分自身にも調査が入っていたということだ。


「・・・指導神官としての立場を、放棄、いたします」

「分かりました。では、こちらにサインを」


 ソールは、前もって用意していた書類にレルネーゼの署名を求める。


(連帯責任で行われるのは処分もだが、功績も同様だ。これで、彼女をファルードから切り離せる)


 レルネーゼに同情なんてする気はない。

 何故なら、ファルードがそういった指導を他の神官から受けていなければ、このままファルードはレルネーゼに飼い殺しにされていたのだから。

 それはあまりに卑怯なことだ。指導に当たっているという権力を笠に着て、そんなことをしていい筈がない。

 もし、神官見習いの美少女がいたとして、指導に当たった男の神官が神官適正に0点をつけ続け、その少女をずっと手元におこうとしたらどうなるのか。冗談ではない。

 ソールは晴れ晴れとした気分で言ってのけた。


「それではこれで、レルネーゼ殿とファルード殿との関係はなくなり、そしてレルネーゼ殿が作成した彼の神官適正に対する点数もなかったこととなります」


 レルネーゼの緑の瞳に、涙が滲む。

 そうなれば、彼の神官としての適性も、これで100点になるということだ。

 ・・・分かっていた。彼が特別だということなど。あんなにも素晴らしい子だったのだから。

 静かな色合いと、明るい性格。誰にでも優しく、一緒にいるだけで楽しさを彼は与えてくれた。

 ずっと自分と共にいてくれたら、それだけで良かったのに・・・。

 そんなレルネーゼを最後に一瞥すると、ソールは苦々しい気持ちを押し隠し、最後の議題を持ち出す。


「三つ目の議題に移ります。リリエルが姿を消しましたが、・・・ファルード殿が抜け出すのに利用したと思われる縄が残されておりました。ですがリリエルも逃げ出す気満々だったようで、リリエルが用意していたらしい縄は使われずに、部屋に隠されたままでした」


 何とも言い難い気持ちでソールは続けた。


「リミダ村から幼馴染の少年がやってきたものの、その少年にリリエルを連れ帰ることは許さないと言った神官がいて、リリエルにも外出すら許さなかったとか。その結果、リリエルはここを逃げ出そうと考えたようです。恐らく、リリエルはここに戻る気はないでしょう」


 皆が、「やはり・・・」「どうなるんだ」「あの恩恵とやらは・・・」などと、ざわめく。


「待ってくださいっ。今から追いかければ間に合うのではないですかっ? 戻らせて、ちゃんと話をすれば分かってもらえる筈ですっ」

「その結果、ここに災いがふりかかったら、どういう責任をとってくださるのでしょうか?」


 ソールが静かに問い返す。


「言った筈です。リリエルに向けた悪意は更に歪んで戻っていくのだと。寝ている彼女にイタズラするだけのつもりだった神官が、無理矢理に襲われてしまったように。だから彼女は、帰りたいならリミダ村に帰るべきなのです」


 なんだ、やっぱりエディオス、そのつもりだったのかよと、白けた空気が会場内に流れる。

 ソールも少しばかり気持ちが突っ張り過ぎていた。


「しかし、そのリミダ村とやらにいるのは、彼女を拾ったという父親だけだという話ではないですかっ。ならば彼女の家がこの神殿になっても問題ないと考えます。・・・そりゃ、外出まで制限するというのはやりすぎですが、彼女がいればこそ、この神殿への敬意は高まっていたのではありませんかっ」


 そこでイディラートが、近くにいた中級神官のトレイユを見遣る。

 トレイユが立ち上がった。

 最近、姿を見なかったがいたのだなと、トレイユを見ながら誰かが呟いた。


「実は私、イディラート様に命じられ、とある外国の地方まで調査に出向いておりました。その地域では、かつて兵士達が狂ったような状態になって互いを槍で突き刺し合って殺し合い、その地の領主も自分の体を剣で突き刺して自殺し、更に少し離れた小さな街でとある男もまた自分の体を突き刺して死んだという、謎の事件が起きております」


 そこで、トレイユは唇を舐めながら、皆に言った。


「それらの誰もが自殺する理由も殺し合う理由もありませんでした。それはおそらくリリエルの両親殺害に関与した人々だったのではないかと思われます」


 どの神官もリリエルを知っている。顔立ちは可愛らしく、いつも元気に走り回っていた女の子だ。

 誰もが息を呑み、次の言葉を求めてトレイユの口元を注目する。


「恐らく当時の事情から、兵士達は領主の命令に従っただけであり、領主にとっても理性的な判断の結果だったと考えられます。ですが、・・・リリエルにまつわる天罰は、その正義を全く斟酌(しんしゃく)しません」


 トレイユは全員を見渡しながら言った。


「大事なのは、リリエルがどう感じたか、それだけなのです。当時は赤ん坊であったであろうリリエルが、両親を殺されて嘆き悲しんだから天罰が下された。本当にそれだけです。・・・つまり、ここでリリエルの意思を無視して何かすれば、我々に災難が降りかかりかねません。我らルーセット神殿に属する神官全てが発狂して殺し合う事態をお望みでしょうか」


 一人の神官が、恐る恐る手を挙げて発言する。


「イディラート様。・・・そんな危険な存在が、今、出て行ったことの方が恐ろしくありませんか? ならばこの神殿内で何不自由なく暮らさせてやれば良いのでは・・・? そうすれば、何事もなく、彼女の恩恵だけが、この地へともたらされるのではないでしょうか。いえ、そりゃ危険ではありますが、彼女に何もしなければ・・・」


 だが、イディラートは首を横に振った。


「何でもかんでも言うことを聞いてやる? そうして出来上がるのは、自分が気に入らないことがあるとすぐに癇癪を起こすだけの馬鹿な子供ではないか。その一生をちやほやとし続けて不満を抱かせないようにするなど、不可能であろう。大事なのは自分の感情をコントロールし、同時に公平な視野を持てるだけの理性を持つことだ。リリエルとて愚かではない。自分の頭で考えて、それが当然だと思えばちゃんと受け入れることができる子だ。・・・だから我は彼女に好きに学ばせ、自由にさせろと言ったのだ」


 更に違う神官が立ち上がった。


「ならばどうして教えてくださらなかったのです、イディラート様っ。そんな存在だと分かっていれば、私共とて彼女を制限したりなどしませんでしたっ。この地に恩恵をもたらしてくれると思っていたからこそ、彼女を・・・っ」

「そう、恩恵をもたらしてくれる存在だから、ここで閉じ込めればいいと考えたのだな? 彼女の気持ちを無視して。だが、自分が言っていることをよく考えるがよい。つまり利益の為ならか弱い子供の自由を奪って恩恵を搾取し続けるが、その子供に反抗する力があるなら権利を認めてやったのにと言ったようなものだ。それは盗賊共と同じ思考だと理解しているか? 彼女は閉じ込められることを良しとせず、ファルードとの同行を望み、この神殿を去った」


 イディラートは立ち上がって、席から数歩、進み出た。

 焦げ茶色の巻き毛の艶が、外から入る太陽の光を反射して輝く。


「今一度、女神に向かって何一つ恥じることのなき神官であったかどうかを己に問いかけるがよい。リリエルは、全ての豊穣と繁栄をその身に宿して流離(さすら)う、嵐の娘。・・・その存在を知れば、どの国も彼女を手に入れようと動くだろう。だが、彼女の傍には、我がルーセット神殿の下級神官ファルードがいる」


 誰もが、そこで「おおっ」と、安堵の声を漏らす。

 そう言われてみればそうだ。逃亡を手助けしたとなると、罪人としての処分こそが相応しいと思えたが、そういう事情であれば、かえってファルードこそが・・・・・・。


「豊穣と繁栄の娘を手に入れられるかどうか。・・・それはファルード次第であろう。勿論、ファルードは何も知らぬ。ゆえに決別もあり得る。だが、今となってはその恩恵をリベラ神国にもたらせるかどうかは、ファルードに賭けるしかあるまい」


 イディラートは、皆を順々にゆっくりと見渡していく。


「今回のことで己に恥じることあれば、先に申し出よ。追って沙汰は下すが、先に申告するのであれば、軽減しよう」


 そうしてその場をイディラートは出て行った。

 その場にいたそれぞれの神官に、悲喜こもごもの思いを抱かせて。






 尚、ソールは知っていた。

 神官長の中庭に植えられた果樹には、リリエルのおかげでとっても甘い実がなっていることを。

 夜中に保護されたリリエルは、イディラートが神官長だと知り、ついでに自分の力も知った上で好きにしていいと言ってくれたものだから、喜んで中庭を祝福しまくっていたのだ。


(けっこう、あれで単純な子だったからなぁ)


 たまにお菓子をあげていたソールも、ザイにプレゼントするのだという首飾りを買ってあげたことから、いい人認定されたらしい。

 よほど、そのリミダ村の少年が大好きなのだろう。いかにカッコいいかをソールにも力説していた。・・・ただ、たまにリリエルは子供らしからぬ視点を混じえていたが。まあ、女の子は男の子よりも一足先に大人になるというから、そんなものなのだろう。

 最近、どんなにイディラートに働かされて寝不足でも、目の下に(くま)ができない。きっとそれがソールに対して彼女がくれた恩恵だと感じている。

 

(リリエル。君はちゃんと無事におうちまで帰るんだよ)


 ファルードはかなり面倒見がいい。一緒に抜け出したなら、ちゃんとリミダ村までリリエルを送り届け、それから故郷へと帰るだろう。

 だが、それでもファルードが向かうのは、帝国に占領された土地だ。


(無事で辿りつけるといいのだが・・・)


 ファルードも、顔のいい少年だ。人に目をつけられやすくもある。帝国軍の下っ端と揉めたりなどしなければいいのだが、あの子は大丈夫だろうか。

 イディラートに、勝手に配布物を一つちょろまかしてこいと言われ、それをコソドロのように忍び込んで隠してきた時のことは忘れられない。

 ・・・いつから神官長傍付きのエリート神官は、コソドロ神官になったというのか。

 だが、それでもファルードの役に立つのであればそれでいい。

 イディラートが去り、かなり罵声や怒号、そして泣き崩れたりしている人達で大騒ぎの会場から顔を背け、ソールはそんなことを考えていた。


(イディラート様。・・・こんなん押しつけて逃げないでくださいよ)


 ああ、どうせならリリエル。

 君の恩恵は生え際に欲しかった・・・。

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