第83話 高い壁
「それでは、質問の続きをさせてもらうわ」
「はい。宜しくお願いします」
遥にそう言われた佳祥は、頷きながら答え返した。
今でも若干の緊張は見て取れるものの、先ほどよりはリラックスした様子だ。
「さて…とはいえ、ここからが問題なのよね…。
今みたいに肩の力を抜いた状態で答えては欲しいのだけれど…。
それでも、きちんと考えてから答えなさい。
…ここからは、話題が少し重くなるでしょうから」
「…はい」
そう言われた佳祥は過剰にならない程度にだが、身を引き締める。
「それでは、次の質問だけれど…さっき美幸から聞いた通り、“美幸と付き合う”と
いうことは、“子供を儲ける”ということになるわ。
先日の段階では、あなたはただ美幸に交際を申し込んだだけなのでしょうけれど…
現状では、そういう前提条件がついてしまったわ…。
…その辺りは、どう考えているのかしら?」
「はい…。驚いた…というのが、今の正直な感想です。
当たり前ですが…僕の中では、まずは恋人として対等な立場でお付き合いをして、
大学を卒業して就職したら、折を見てプロポーズ…そして、結婚。
…子供というのは、その後に来るものだと思っていたもので…」
そんな佳祥の回答は、一般的に見れば至極真っ当なものではあった。
…そう、一般的には。
「そうね。確かにそうだけれど…その辺りが、あなたのまだまだ甘い部分ね。
『美幸』という存在の立場を、本当の意味で理解出来ていない証拠よ。
私も気を抜くと忘れそうになるけれど、美幸はあくまでも“アンドロイド”なの。
今後もそういった個人では覆せない事情に振り回される可能性も、十分にありえる
ということなのよ…」
「…はい。…それは、おっしゃる通りだと思います」
遥にはっきりと『甘い』と言われてしまった佳祥だが、その点については何も
言い返せなかった。
…実際に、その通りだったからだ。
「それにね…子供を儲けるということは、当然だけれど親になるということ。
それは、“子供”というものに対して責任を持つ、ということに他ならないわ。
これは…きっとあなたが今思っている以上に、とても重いことなの。
簡単に放棄していいことじゃないのは勿論だし、後戻りだって出来ない…。
…学生のあなたには酷な質問だけれど、その責任は…取れる?」
「はい…とは、簡単には言い切れません。
実際、遥さんがおっしゃっている通り、僕はまだ学生です。
就職どころか、まだ大学にすら入学していない身で、気持ちだけで無責任なことを
言うのは、それこそ美幸さんにも失礼でしょうし」
「…それなら、あなたはどうするのかしら?」
「もちろん、その覚悟自体はあります。…あるつもりでは、あります。
だだ、現実的に今の僕に出来ることと言えば、『責任を取れる人間になる』と…
『きっと、そうなって見せます』と、誓うことくらいです」
そんな佳祥の返答を聞いた遥は、思案顔でしばらく黙った後、『ふっ…』と軽く
笑って…言った。
「質問の回答としては、そうね…。80点…といったところかしら。
まあ、十分に合格点ではあるかしらね…」
「そ、そうですか…」
満点とまではいかなかったが、一応は合格をもらえたことにホッとする佳祥。
…しかし、遥はそんな佳祥に、しっかりと釘を刺す。
「ふぅ…気持ちは解らなくはないけれど、そんなにあからさまに安心しないの。
合格点とはいっても、それでも80点…まだ20点も足りないのよ?」
「あ、はい…」
気を抜いたところでそう言われた佳祥は、再び気を引き締める。
…だが、遥が次の質問に行く前に、隣に座る美幸から質問が飛び込んできた。
「でも、遥? それでは一体どう答えれば100点満点だったんですか?」
「ん? ああ…それなら簡単よ。
堂々と『はい』と答えてさえいれば、満点だったのよ」
「え? でも本人の言う通り、今の佳祥君の立場的にそれは難しいのでは?」
そう返した美幸に、遥は本日何度目か分からない溜め息を漏らす。
「はぁ…馬鹿ね。質問していて何だけれど、こういうのは理屈じゃないの。
本当に覚悟があるって言うのなら、立場的に無責任だろうがなんだろうが、
とりあえずそう答えるのが正解なのよ…」
「…それで、良いんですか?」
「勿論、そんなの駄目にきまっているでしょう? 当然、お説教はするわ。
でもね? “認識としては駄目”なのだけれど、“回答としては正解”なの。
将来的に妻と子供、2人を背負っていくことになるのよ?
こういうのはね…理屈ばかりの弱音を吐くよりは、たとえ勢いだけだったとしても
そう言い切ってくれる方が良いものなのよ」
「なるほど。だから80点…ですか」
「ええ、そうよ。
佳祥君…一応だけれど、初めに『はい』って言っていたでしょう?
だから、評価は80点なのよ」
遥はそれを美幸に言っていたのだが、向かいで2人の会話を聞いていた佳祥は、
一瞬ポカンとして、遥に気付かれる前に慌てて表情を引き締め直していた…。
てっきり、説明した内容を評価してくれた上での“80点”なのだと思っていた。
…だが、遥からすればその説明内容は“そう思っていて当たり前だ”という…言わば
“ただの前提条件レベル”だったらしい。
…改めて、遥の今回の見極めのシビアさに肝を冷やした佳祥だった。
「さて…それじゃ、これが最後の質問ね。…聞く準備は良いかしら?」
「最後、ですか…。…はい、お願いします」
いよいよ最後ということで、室内に緊張が流れる。
その状況に『せっかくリラックスさせたのに…』と、内心で溜め息を吐きながらも
遥は佳祥へ尋ねる。
「美幸が特殊な立場…ということはある程度はわかっていると思うけれど…。
もしも美幸が何者かに狙われた場合、どうするのかしら?
あなたはその時、美幸のことを…きちんと守りきれる?」
「…いいえ。それは無理です」
「………!」
一瞬だけ考えた素振りを見せた後、きっぱりとそう即答する佳祥の返答に、遥は
少々驚かされた。
ついさっき『無責任でも“はい”と答えるのが正解』と言ったところだったので、
当然そういった回答が返ってくるものだと思っていたからだ。
そして、遥がその意図を尋ねる前に、佳祥の方からその理由を言ってきた。
「…先ほどの流れで、『はい』と答えるべきなのは、僕も分かっています。
…ですが、今回の質問は個人の覚悟や責任感で補えるものではないですし…。
僕一人の努力で何とか出来る範囲を、大幅に超えていますから」
「…なら、あなたはどうするの?」
遥は先の質問と同じように、佳祥にその解決策を提示するように促す。
…すると、佳祥は先ほどまでの緊張した面持ちから急にフッと力を抜いて、笑顔を
浮かべながら堂々と答えた。
「その時は、周りの色んな人達を頼ることにします。
プライドや自らへの過信で、美幸さんを失うわけにはいきませんからね…。
たとえ格好が悪かろうと、周りに居る頼りになる人達に助けを求めます。
勿論、理想は自分一人で守れる力を得ることなのでしょうが…。
僕は“一人で守れる人”になるよりも、“周囲と協力して皆で守れる人”になりたい
と思っています」
「……そう」
「はい。あ…勿論、遥さんもその『頼れる人』のうちの一人なんですからね?
もし助けを求めたら、その時はお願いしますよ?」
佳祥のその言葉を目を瞑ったまま聞いていた遥は―――
数秒後に『ふふっ…』っと、目を開けると同時に笑いを零した。
「…ねぇ、遥? 今度の回答は何点なんです?」
楽しそうな表情で笑った遥に、美幸自身も笑顔を浮かべながら尋ねる。
「そうね…。今度も80点…と言いたいところだけれど…。
…仕方がないから、100点をあげるわ」
美幸にではなく、佳祥に向かってそう言った遥は…。
試験官然とした厳しい表情ではなく、どこかすっきりとした顔をしていた。
佳祥も遥のその様子を見て、何とか今回の“見極め試験”が無事に終わったことを
実感できたため、今度こそホッと胸を撫で下ろしたのだった。
遥の面接も一段落して、それから少しの間、3人は雑談を楽しんだ。
そんな、雰囲気が和やかなものになったところで、美幸は何気なく遥に尋ねる。
「それにしても、遥。
何故、最後の質問の評価は80点ではなく、100点満点になったんです?
合格点なのは良かったですけれど、何か決め手でもあったんですか?」
「…そうね。強いて言うなら―――
『私を美幸に関して頼れる人として、真っ先に挙げたこと』…かしらね」
「………遥も結構、単純なんですね」
「…うるさいわよ」
拗ねた表情を浮かべて美幸を睨む遥に対して、『私のことに関して、遥が頼りに
なるなんて当たり前じゃないですか』と告げると、今度は『少し黙っていなさい』
と照れた様子で言って見せる遥…。
…男の佳祥から見ても、常に凛としていて格好良い印象の遥が、こういった態度を
取るのは、いつも美幸の前でだけだ。
今も目の前で仲良く会話を続ける2人を眺めながら、佳祥は思った。
美幸を好きな気持ちなら、他の誰かに負けるつもりはない…のだが、遥にだけは
なんとか並ぶことは出来たとしても、勝つことは出来ないのかもしれない、と。




