第256話 古い知り合い
列車内には運動スペースの他にも乗客や職員が使うことのできるトレーニングルームがある。様々なトレーニング危惧が置かれ、動き回ることのできない列車内では良い運動になる。要はジムだ。本来、貨物列車にはジムや客室のような無駄な空間は無いが、レイが今乗っている車両はもともと人を乗せる都市間移動用の輸送列車としての機能があったため、その名残だ。
普段、このジムを利用しているのは手の空いたランパードたちのような戦闘員。軽く体を動かしたたくなった職員だ。ただ、昼後は皆に仕事があったり、交代制で交代したばかりの者は疲れ果てて寝ているし、ジムを利用している人はごく少数だ。
例に習って、今日もジムを利用している人はいなかった。というより、一人を除いて利用している者はいなかった。壁に取り付けられたパイプにぶら下がって懸垂をしているのは一人の少女だ。
いつもは厚着だが運動をしているということもあって動きやすいよう薄着になっている。部屋に一人ということもあり人の目も気にせず好きなだけ運動に励む。その際に、扉が開いて奥から料理の乗ったプレートを持ったレイが入って来る。
「ここに置いとくぞ」
食べやすいよう一口サイズに切り分けられた料理。中にはプロテインバーのようなものもあった。
レイが入って来たのを見ると懸垂をしていたマナはパイプから手を離して軽く地面に着地する。そして掛けて置いていたタオルで汗を拭いながらレイの方を見た。
「ありがと。そこに置いておいて」
タオルを綺麗に畳みながらマナがレイの元まで近づく。そしてタオルをテーブルの上に置くとその脇の椅子に座った
「あなたの分は」
「俺はまだいい」
もう昼時、というより昼を過ぎている。昼ご飯にしては少し遅い時間帯だ。マナはレイがまだ何も食べていないことを知っているため、てっきりプレートを二つとって来て今ここで食べるのだとでも思っていた。
しかしレイが持ってきたのはマナの分だけ。特段不自然なことではないが、テイカーとしては僅かに思うところがある。
「そう、テイカーってよく食べるものだと思ってたけど違うのね」
テイカーは心理的負荷と肉体的負荷が極めて高い職業だ。暴飲暴食をする者が多い。というより、そこで疲れてしまって逆に食べれなくなってしまうようであればテイカーに向いていない。
必然的に生き残って来た中堅以上のテイカーというのは胃袋が強い。そしてよく食べる。だが中には当然、あまり食べない者もいる。マナはそのことも分かっている上で、レイがあまり食べないことに驚いていた。
しかしレイが必要以上に食べないことぐらいこの旅の中で分かるはずだ。故に、マナの質問には少しの違和感が残る。なぜそんな質問をしたのか、違和感を持ったのか、レイはすぐにその正体に辿り着く。
「もうマザーシティにいた時のようながむしゃらさは無いからな」
マザーシティにいた頃のレイはスラムの育ったという経験が直に、その生きざまに反映されていた。子供の頃はその日を食いつないで生きることすらも大変で、また食べ物を奪われる可能性もあったため、取り合えず目の前に食料があるのならばたとえ腹がはち切れようとも詰め込んでいた。
その経験が強く恐怖として、強迫観念として焼き付いていた。だからマザーシティにいた頃は食べ物があるのならば目の前から無くなるまで食べ続ける。そんな食生活をしていた。
そして、マナはレイのマザーシティにいた頃を知っている人物だ。どこまでを知っているかは分からないが、口ぶりからするとかなり詳細に知っている。レイの食欲のことについて知っていてもおかしくはない。
「そう……昔とは随分と変わったのね」
レイは前にもマナに同じことを言われている。しかし前回とは違い、今度はどこか懐かしむようにマナは言っていた。
「あんたは誰だ」
「教えないわよ、まだ」
「そうか……じゃあ仕方ないな。もうトレーニングは終わりだろ、早く何か着た方がいい。風邪ひくぞ」
「はは。大丈夫よ。私としては風邪をひくことよりも料理が覚めることを心配して欲しかったわ」
「確かに、医療品さえあれば風邪ぐらいいくらでも治せるが、薬が効果を発揮するまでの数時間から数十時間、その分だけ苦しむことになる。今少し対策を講じるだけで、将来あるかもしれない苦痛を減らすことができる。別にあんたがそうしないってんだったらいいが、一応、忠告はしておいたぞ」
ここまで心配してくれるとは微塵にも思っていなかったマナは素直に驚いた顔を浮かべていた。そしてどこか哀愁を漂わせながら苦笑した。
「あなた。お父さんみたいなこと言うのね」
レイは言葉のニュアンスで行くと「お父さん」ではなく「お母さん」ではないかとも思ったが、別にマナが言っていることがおかしいというわけでもないので、この違和感を指摘しない。
「風邪……風邪ね。もう久しくひいてないわ。私は生身の人間だから確かに、その可能性もあるわね。そういえば、あなたはどうなの。レイ、あなたは風邪を引くのかしら?」
スラムにいた時は毎日が風邪のような症状に襲われていた。きっと、過酷な環境で育ってきた上に食事も無く、衛生環境も悪かったからだ。スラムで生きるということはその環境に適応するということであり、レイも当然、風邪を引きながらもスラムの環境に適応した。
あの環境で暮せばどんなに体が疲弊していようと風邪をひくことは無い。
またそれとは別に、レイはもう生身の体ではない可能性がある。マザーシティで強化薬を打ちこんだ時から身体能力は人間離れしたものへと進化した。レイは自分のことを生身の人間だと思っているものの、冷静に考えれば身体拡張者だろう。
「昔はひいてたな、今はもうないが」
「《《あの環境》》で生きてたらそりゃ強くなるわね」
「ああ」
「でも……いや、というよりあなたって身体拡張者なの?」
突然の質問。内容はレイ自身でも気になっていたものだ。
「どうだろうな。俺はマザーシティで一回だけ強化薬を使ったことがあるが、それ以外で生態的手術、機械的手術のどちらとも受けたことがない。だが一回だけ使った強化薬なんだが、その時から生態的強化手術を受けた後のような体になった。通常、強化薬ってのは一定の期間内でしか効力を発揮しない。だから多分、あれは強化薬じゃなかった。それを生態的手術の一つとして数えると、俺も身体拡張者なのかもしれないな」
「そう、やっぱりね。おかしいなとは思ってたけど、どこかで間違えたらしいわね。レイ、申し訳なかったわ」
突然に謝られたレイは言葉を詰まらせる。しかしそんなことは気にせずにマナは話しを続ける。
「あなたと私。確かに立場は違ったけれど、同じ年齢ぐらいの人が頑張ってるって思うと心強かったわ。ま、私のせいで苦労しただろうし、今更美談にされても、って感じだろうけど。だけど感謝していたのは本当。だから本当にやばいのは任せなかったんだけど、あの時、間違ってしまったわ。本当に申し訳なかったわ、あなたの人生設計をすべて壊してしまってごめんなさい」
そう言うとマナは立ちあがった。
「確かに少し肌寒いわね。私はシャワーを浴びてくるから、あなたは食事を温め直しておきなさい」
そうすると、マナはレイの返答を待たずしてトレーニングルームから去って行ってしまった。
「…………」
レイはそのマナの後ろ姿を見て、一言呟いた。
「生きてたのか……あんた」
確証は無い、だがもしかしたら、と思ってしまうぐらいには点と点が繋がったような気がした。




