10.選ばれた者
梓はみことを背中に庇いながら、3人の男たちと対峙していた。
「もう逃げられねえぞ」
「さあ、珠をよこせ!」
梓はこの状況をどう切り抜けるか、必死に考えを巡らせていた。さすがに3人の男を一度に相手にするのは不可能だ。そして、男たちの顔を見比べながら彼女は言った。
「珠を手に入れた途端、隣の人間が敵になるんじゃないの? せいぜい出し抜かれないようにすることね」
その言葉に、男たちはお互いの顔を見合わせた。珠は一つしかないのだから、彼らは決して仲間ではないのだ。
「私よりも、先にライバルを潰しておいたほうが賢いんじゃない?」
梓は男たちに、仲間割れをけしかけた。少しでも時間稼ぎになればと思ったのだが、さすがにそううまくはいかなかった。
「自分が次に消えるかもしれないんだぞ。とにかく珠を手に入れねえと、どうなるかわからねえ!」
「そうだな……」
男のひとりがそう言って、結局梓の方にじりじりと迫ってくる。少しは時間を稼げた。あとは出たとこ勝負で何とかするしかない。
すると、猛烈な勢いでやってきた影が、梓に迫っていた男たちのうち2人を、首根っこから押さえて引き倒した。
「ぎりぎり間に合ったな」
「絶倫ハゲ!」
やってきたのは、梓の体を散々弄んだ山寺善一だった。
「そんな名前で、俺を呼んでいたのかい? まあ、いいけどね」
彼の体は、すでに光を放っていた。最後に道連れにする敵を見定め、ここまで走ってきたらしい。捕まった男たちは暴言を吐きながらもがいたが、善一の腕はびくともしなかった。
「俺も男と一緒に逝くなんて、ご免被りたいさ。でも、このまま付き合ってもらうよ」
3人を包む光はすぐに強くなり、彼らの体が宙に浮き始めた。それでも彼は、涼しい顔で梓に言った。
「さすがに、もうひとりは無理だ。任せられるかい?」
「助かったわ。こいつは、意地でも通さない!」
梓は残る男を睨みつけた。善一は何も言わず、笑みを浮かべながら消えていった。
「女ひとりで、男にかなうと思ってんのか」
ライバルが消え、残った男はチャンスだと思っているようだった。だが、女ひとりだからと侮っているなら、まだ勝負は終わっていない。
「みことちゃん、人のいないほうへ逃げて! 全員が消えれば、あなたの勝ちだから!」
「でも……」
みことは一緒に残りたそうに、心細い声を漏らした。しかし、梓は厳しい声で言った。
「行きなさい。みんなの想いを無駄にしないで!」
そう言われて、みことは意を決して後方へと走り始めた。
「逃がすかよ」
隣を駆け抜けようとした男の体に、梓はしがみついた。なんとか勢いで、男を転ばすことに成功する。しかし、梓はすぐに力負けした。引きずられながらも、男の片足だけは離さなかった。これ以上引き剥がされないように、相手のズボンの裾に手を絡めて抜けないように固定した。
「離せ。この淫乱女!」
男は倒れたまま、右足にしがみついている梓に向かって、空いた左足で蹴りを入れた。容赦のない蹴りを受け、梓の鼻から血が流れた。顔は血に染まり、目の周りも大きく腫れていた。
「絶対に……離さない」
それでも、梓は男の足を決して離さなかった。男が立ちあがろうとすると、足を引っ張ってバランスを崩させた。
「しつこいんだよ!」
男がさらに蹴りを加えようとしたところで、梓の体が淡く光り始め、彼女は不敵に笑った。
「残念だったわね。私と一緒に消えてもらうわ」
男もその光に気づいて、慌てふためいた。
「ふざけんな。ここまで来て」
男が必死に梓を蹴り飛ばしても、彼女が足を離すことは決してなかった。梓の光が男に伝わり、ふたりを包む光が強まり、体が宙に浮き始めた。
「ちくしょう」
ついに、男も抵抗を諦めたようだ。
しかし、梓が安堵したのも束の間だった。みことに目を向けると、ひとりの男が近づいていた。もうすぐ消え去る梓には、みことを助ける手段はない。彼女は悲痛な思いで、みことに向かって叫んだ。
「みこと! 逃げて!!」
その声が届き、みことは男の存在に気づいて駆け出した。みことに向かって、梓は必死に叫び続けた。
「逃げて! 生きて! 何があっても、考えることを諦めないで!」
梓はその言葉を、みことに言っているのか、自分の家族に向かって言っているのかわからなくなっていた。ただ、家族に伝えたかったはずの言葉が、自然と口をついて出ていた。
「あなたには、愛してくれている人がいる! だから、決して諦めないで! 生き抜いて!!」
梓は声の限りに叫び、光の中へ消えていった。
逃げるみことを追いかけながら、馬渕庸一は笑いが止まらなかった。
「はは、なんだこれ」
まるで目の前に、お宝が無防備に置かれているようだった。
馬渕は珠の争いには参加せずに、少し離れた場所で全体の様子を窺っていた。大人数の争いに参加するより、最後の最後で珠を掠め取るほうが効率的だ。自分の珠を梓に譲ったのも、そのためだった。素直にルールに従っても、馬鹿を見るだけだ。
必死に争う人々が消えていくのを眺めるのは、滑稽で面白かった。自分が先に消えてしまえばそれまでだ。それでも、馬渕は賭け事には慣れていた。
Fランク大学に入った馬渕は、すぐに授業に飽きて、毎日パチスロに通う生活を続けていた。大学はそのまま退学し、ちょっとした小銭を稼いでは、パチスロに注ぎ込む生活をしていた。たまに勝てばちょっとした贅沢をし、負ければ食費を削ってやり過ごした。六畳のワンルームアパートで、サブスクやネットで見られるコンテンツを消費するだけの日々が続いた。
正直、なんてつまらない人生だろうと思っていた。死んだ直後は、生き返りたいとすら思わなかった。
しかし、最後の最後になって、状況が変わってきた。人々が次々と消えていき、気がつくと、残された人間はほんの数人となっていた。そして、珠を持っている少女が、ひとりで逃げている姿がすぐそこに見えた。
馬渕は無意識に走り出していた。邪魔するものは誰もいなかった。みことが彼に気づくと、小さな足を必死に動かして逃げていった。
「真面目に頑張るのが、馬鹿みたいじゃん」
彼が少し走る速度を上げると、あっという間に少女に追いついた。
「はい、どーん!」
馬渕が少女の背中を力任せに突き飛ばすと、みことは勢いよく地面に転がった。すぐに起き上がったものの、目の前には馬渕が立っていた。
「結局、人生は運が全てじゃねえか。ほんと、頑張るのが馬鹿馬鹿しく思えるわ」
生意気にも睨み返してくる少女を、馬渕は蹴り飛ばした。少女は小さな悲鳴を上げて、その場に倒れ込んだ。
「さあ、珠を出せ!」
馬渕は勝ち誇った顔でそう言ったが、みことは頑なに抵抗した。
「だめ! 渡せない」
「なんだ? やっぱり死ぬのが怖くなったか?」
「これは、みんなが私に託したものだから。誰にも渡せない」
「それが何の関係がある」
馬渕は再びみことを蹴り飛ばした。先ほどよりも当たりどころが悪かったのか、少女はくぐもった声を出してうつ伏せに倒れ込んだ。
「もう痛い思いはしたくないだろう? 俺が優しくしてるうちに、渡したほうが身のためだぞ」
「だ……め。渡さない!」
みことは怯えつつも、はっきりと抵抗の意思を示していた。少し脅せばすぐ差し出すと思っていたので、想定外のしぶとさだった。残された時間はそれほどないはずだ。すぐさま珠を奪わなければならなかった。
馬渕はつまらないと思っていた人生が、今になって恋しくて仕方なかった。溢れるコンテンツを、エアコンの効いた部屋で、酒を飲みながらダラダラ消費する。たとえ将来が見えなくても、そんな生活が最高に思えた。自分にとって、あの部屋こそが天国だったのだ。
「ガキが大人に勝てるわけないだろが!」
馬渕は倒れた少女の上に覆いかぶさり、逃げられないようにその首を押さえつけた。珠を隠せる場所など、たかが知れている。探せばすぐに見つかるはずだ。
しかし、馬渕は忘れていた。いや、気づいてはいたが、その存在は完全に盲点となっていたのだ。だから、背後から静かに近づく人物には、まったく注意を払っていなかった。
「ぐっがあ」
馬渕は股間に大きな衝撃を受けて、悲鳴を上げた。誰かが後ろから、馬渕の股間を蹴り上げたのだ。たまらず、股を押さえて地面をのたうち回った。
「な、なんでお前が……」
苦しみながら顔を上げると、そこに立っていたのは白い服を着た少年だった。
「見ていて不快だったので。因果応報ということで、諦めてください」
少年がそう言い終わると同時に、馬渕の体が光り出した。
「ふざ……けんな! 監視役が妨害するなんてありえねえ!」
馬渕がそう訴えかけるが、少年は何事もなかったような顔をしていた。
「私が監視役だなんて、言った覚えはないですよ?」
馬渕は抗議しつつも、股間の激痛で立ち上がることができない。その間にも、体から発せられる光は強くなり、宙へ浮かび始めた。
「俺が珠を手に入れられたはずなんだ! 生き残るのは俺だったのに!」
まさに、天国から地獄に突き落とされたような気分だった。馬渕は激痛のせいなのか、悔し涙なのかわからない涙を流しながら、光の輝きとともに意識が途切れていった。
襲ってきた男が空中で消えていくのを見送ってから、みことは立ち上がった。体の傷は回復し、すでに痛みはなかった。そして、注意深く白い服の少年を見据えた。
「なんで、助けてくれたの?」
彼は監視役であり、手出しはしないと思っていた。どうして今更、助けてくれるのか不思議だった。
「ほんの気まぐれだよ。彼が選ばれるというのは、さすがに面白くなかったからね」
今までにない親しげな話し方に、みことは少年が急に幼くなったように感じた。
「警戒しなくても大丈夫だよ。もう残った者はいない。珠はきみのものだ」
そう言われた途端、みことのポケットの中にある珠が、強烈な光を放ち始めた。珠を取り出すと、これまでにないまばゆい光が辺りを包み、部屋全体を淡い虹色に照らしていた。
そして、持っていた珠が浮いたかと思うと、みことの体の中へと吸い込まれていった。みことは体の中から膨大なエネルギーを感じ、全身から強い光があふれ出した。
少年は、それを眩しそうに見ながらつぶやいた。
「もし、本当に生き返ることができるのであれば、悔いのない人生を」
なぜ、そのような言い方をするのだろうか。みことはその意味を考える暇もなく、大きな力の渦に飲み込まれていった。
満ちてくる温もりに、みことはそっと目を閉じた。それは、とても懐かしい感覚だった。




