09.煉獄のパールライト
浩輔は残ったメンバーの前に立って呟いた。
「もうバレてしまったみたいですね……」
蘇我田が部屋の端で捕まったかと思うと、すぐに男たちがこちらへ引き返してくるのが見えた。
予想よりも早いとは思いつつも、蘇我田に対する失望はなかった。あの一瞬で動けたことに素直に感心していたし、珠を奪おうとする側とそうでない側に分かれ、敵が明確になったのもありがたかった。
輿田が前に出ながら、浩輔に言った。
「お前は下がって、指示出しとけ!」
「はい。みなさん、作戦通りにお願いします!」
浩輔は後ろに待機していた人々に、移動を促した。
まずは体力がある人間が、最前線で防衛ラインを築いた。その後ろには、体力に自信がない者が待機している。彼らはベルトや服を引き裂いて縄を作り、倒した相手を縛り上げるという作戦だった。メンバーには女性も含まれており、力や体格で劣る者は不安そうに立っていたが、なんとか頑張ってもらうしかない。
そして、みことは梓と結衣香と共に壁際まで下がり、足腰の弱い老人たちがその周辺を囲んだ。子どもたちはさらに外側で待機し、回り込んでくる敵を見張るという役目を任されていた。
こういう事態を想定して、浩輔がずっと考えていた作戦だった。こちらに残ったメンバーの中に、裏切り者がいないとも限らない。力のある者はみことから距離を取らせ、信用のおける者に守らせるという狙いもあった。
作戦内容は問題なく受け入れられ、人々は急いで配置につくために動いていた。そんな中、結衣香が心配そうな顔で浩輔に近づいてきた。
「浩輔くん……」
結衣香はこのまま離れ離れになり、二度と会えないことを心配しているようだった。浩輔も不安だったが、とにかく今はみことのために動くしかない。これが最後だと思いたくないのは、浩輔も同じだった。
「結衣香、また後で!」
浩輔は結衣香の顔を見つめて、力強く言った。
「絶対だよ。浩輔くん!」
彼女もやらなければならないことは、重々わかっていたのだろう。表情を引き締め、みことのもとへ走っていった。後ろ髪を引かれつつも、浩輔は相手側に集中した。
相手の集団が十メートルほどに近づいた時、輿田が銃を向けて発砲した。威嚇射撃だったため、誰にも当てなかったが、相手は恐れて立ち止まった。
「脳天撃ち抜かれたい奴は、前に出いや。鉛玉味わわせたるわ!」
輿田は大声で凄み、手前の男たちを睨みつけた。その迫力に押されて、彼らはジリジリと後退した。
「ここ通りたいんやったら、俺らを倒して行くこったな!」
並んだ清が啖呵を切ると、俊介と小林が口を挟んだ。
「漫画でよくあるセリフだ!」
「でも……、知ってる人が言うと、なんだか恥ずかしいですね」
そんなツッコミをされ、清は赤面しながら怒鳴った。
「うるさいわ! お前らは役に立たんのやから、後ろ下がっとれ!」
「わかりましたよ。俊介くんもそろそろ、太一さんのところへ行っててください」
小林に促され、俊介は後方へ下がっていった。
「がんばってね!」
俊介はそう言い残し、子どもたちのいる後方へ向かっていった。そうこうしているうちに、敵側から声が上がった。
「何してるんだ! この部屋じゃ、死ぬことはないんだ。突っ走れ!」
「時間がないぞ。弾だって、そんなにないだろ」
「迷ってたら、光に包まれて消えちまうぞ!」
そう言われ、先頭で向かい合う敵の表情が変わった。姿勢を低くして、一斉に飛び出してきた。
「行け、行け! 銃を取り上……がぁ」
一番手前でまくし立てていた男に、輿田の放った弾が命中した。うるさい男を黙らせたのはいいが、もう弾は残っていない。輿田は拳銃を握り直し、迫ってきた男の頭部を殴りつけた。
「縛り上げろ」
浩輔が倒れた男の背中にまたがり、そのまま腕を縛り上げようとした。
「引き倒したら、そのまま馬乗りになって動きを封じるだけでも十分です!」
相手の腕を縛りつけながら、浩輔が指示を飛ばした。
「この清様にかかってこれる奴は、って、おい!」
前線で啖呵を切った清だったが、ふたりがかりで押し倒されてしまった。しかし、そのまま通り過ぎようとしたひとりの足に食らいつくと、力任せに引っ張り倒した。すぐさま、小林がその男の背に乗り、後ろから手を縛り始めた。
「気をつけてくださいよ。清さん、見掛け倒しなんだから」
「うるさいわ!」
だが、前線が10人ほどしかおらず、どうしても相手の数に押し負けていた。また、理性を失っている分、相手の勢いが勝っていた。目や金的といった急所への攻撃にも容赦がないため、輿田もかなり苦戦していた。
「見苦しいぞお前ら。もう観念せい!」
「死にたくねえ。邪魔すんなよ!」
なんとか4人ほど倒して縛り上げたが、次第に隊列が崩れ乱戦になっていた。そして、数人が防衛ラインを突破して、みことに向かって走り出した。こうなると、その場しのぎで対処するしかなかった。
「誰か、突破した人間を追ってください!」
すでに作戦とは言えなかったが、浩輔もそう指示することしかできなかった。
乱戦の中でも、敵味方問わず一人ずつ光に包まれて消えていった。浩輔も結衣香たちのことが気になり、少しずつ下がりながら抵抗を続けた。
ぽかんと立っていた花蓮に、前線を通り抜けた体格の良い中年女性が突進してきた。
「そこをどきな!」
「ひやあ!」
彼女の気迫に押されて、花蓮はつい道を開けてしまった。非力な花蓮は、この状況で自分が役立てるとは思えず、無力感を覚えていた。
「そがっちは、偉いな」
花蓮は、蘇我田が走り去った方向を見た。その辺りには、もう誰もいなかった。蘇我田の作戦がこれほどまでに早くバレたのは、きっと彼が消えてしまったからなのだろう。目を凝らしていた花蓮は、彼が消える瞬間の光を確かに見ていた。
「あ……」
しばらくすると、花蓮の体も淡い光を放ち始めた。しかし、彼女は自分でも驚くほど冷静だった。
自分のことよりも、蘇我田のことが頭をよぎった。彼はきっと、褒めたら伸びるタイプなのだと思う。できることなら現世で出会い、もっと蘇我田を褒めてあげたかった。
「そがっちに珠をあげたこと、後悔してないよ。本当に、カッコよかった」
もう彼に届かない言葉を、花蓮は小さく呟いた。そして今更ながら、自分も親や友人からもっと褒めてほしかったのだと気づいた。
彼女の体はふわりと宙に浮き、次第に透け始めた。
「花蓮!」
小学生の大輔が、消えかかっている彼女を見つけて叫んだ。泣きそうな顔をした悪ガキに、花蓮は微笑みを返しながら手を振った。
「ばいば〜い」
そうして、彼女は光に包まれて消えた。
太一は向かってきた男をなんとか押し倒し、その背中にまたがった。男が苦しげにうめいた。
「くそ。離せデブ!」
「相手の正面から行くなよ。絶対に無理すんな!」
太一は男の言葉を無視して、周りの子どもたちに声をかけた。正直、まだ小さな子どもたちが大人を相手にするのは無理だった。たまに、大輔や晃がうまく大人を転ばせているのを見かけたが、たいした時間稼ぎにはなっていなかった。
「えいっ!」
すぐ近くで、栞が派手な化粧の中年女性に抱きついて押し倒した。
「は、放しなさいよ!」
「だめです」
栞は両腕と腰をがっちりと押さえつつ、太一に笑顔を送った。
「おいおい、無理するなよ」
状況は大混戦になっていた。みことのすぐ近くまで敵が押し寄せてきており、守り抜くのはかなり難しそうに思えた。これ以上、子どもたちを見守りながら戦うのは限界に近かった。
「太一!」
「どうした!」
大輔が泣きそうな表情で叫び、太一は何事かと驚いて振り返った。
「花蓮が……消えちまった」
「そうか」
なんだかんだ言って、花蓮は対等な遊び相手として子どもたちからの人気が高かった。別れは辛いが、時間は刻々と経過しており、自分もいつ光に包まれるかわからなかった。
すぐ近くにいた俊介が、真剣な顔で太一に声をかけた。
「僕、おじちゃんたちのところに行くよ!」
一瞬迷ったが、俊介は彼らの方が付き合いが長いのだ。俊介がそうしたいと思うのも、当然のことだと感じた。
「わかった、気をつけていってこい!」
「ありがとう!」
そう言うと、俊介は一番乱戦になっている場所に向かって駆け出した。
「あっ!」
栞が大きな声で叫んだ。
「今度はなんだ!」
見ると彼女が捕まえていた女性が、光り始めていた。
「いやー、消えたくない!」
栞が思わず手を離すと、女は叫びながらあらぬ方向へと走っていった。しかし、栞の体にも光が移っていた。そして、徐々に彼女の体も光り出した。
「ど、どうしよう……」
栞は顔を青くして問いかけたが、太一は咄嗟に答えることができなかった。
「行かないで。お姉ちゃん!」
萌が栞の腕を掴むと、その光は少女の体にも移っていった。それを見て、太一はすかさず大声で叫んだ。
「大輔、晃、剛、晴瑠! こっちに来い! 早く!!」
その声に、子どもたちは一斉に反応して集まってきた。太一は捕まえていた男の腕をベルトで縛り、子どもたちと共に栞のもとへ集まった。
「みんなで手を繋ぐんだ」
全員で手を繋ぎ、ひとつの輪を作った。すると、繋いだ手を伝って、栞の光が子どもたちへ移っていった。困惑する子どもたちに、太一は力強く言った。
「大丈夫。みんな一緒だ!」
結局、太一と栞は、珠をどうするか決められずにいた。子どもたちから、誰かひとりを選ぶのは難しい。そして、話し合いで動揺させるくらいなら、このまま楽しく過ごして終わろうと決めたのだった。
「きれい!」
太一と手を繋いでいた晴瑠が、感嘆の声を上げた。そして、みんなの体が少しずつ宙に浮き始めた。
「うわ。すげえ!」
「浮いてる!」
輝く光と浮遊する感覚は幻想的で、子どもたちはみんな笑顔だった。両手に繋いだ小さな手の温かさが、自分の胸にまで伝わってくるようだった。
輪の正面にいる栞の瞳から、一筋の涙が流れた。
「……ありがとう。太一に会えてよかった」
栞が微笑みかけると、太一は照れくさそうに笑みを浮かべた。
「飛んでいけ」
太一は思わずそう叫んだ。これが終わりだと思いたくはなかった。子どもたちは綿毛のように飛んでいき、再び世界に旅立てるようにと祈った。
「とんでけー!」
「飛べ!」
太一の言葉に釣られて、子どもたちも嬉しそうに叫んだ。そうして、太一、栞、大輔、晃、剛、萌、晴瑠の7人は、光の粒子になって弾けて消えた。
輿田はみことを守る最終ラインまで下がり、敵と思われる人間に殴りかかっていた。弾のなくなった拳銃で力任せに殴りつけたにもかかわらず、数秒も経つと男は意識を取り戻して走り出してしまう。死ぬことのない部屋の中では、いくら倒してもすぐに回復するのでキリがなかった。
とはいえ、全体の人数もだいぶ減りつつあった。敵味方に関わらず、光を発して次々と人が消えていった。しかし、状況はあまり良いとは言えなかった。徐々に戦える者が減り、老人たちだけでは防衛線を維持できなくなっていた。このままでは、いつみことの元へ敵が辿り着いてもおかしくはなかった。
「おじさん!」
そこへ、俊介が駆けつけた。
「俊介! なんで来たんや」
「仲間だから。僕も最後までここで戦う!」
出会った時ののんきな顔とは打って変わり、見違えるほど真剣な表情に輿田は苦笑した。
「邪魔にならんようにせえよ!」
「大丈夫!」
お互いにいつ消えてしまうかわからない。であれば、最後の瞬間は一緒にいるべきだと輿田は思った。
すると、頭上から気の抜けたような小林の声が聞こえてきた。
「あの、すいません」
声がする方を見ると、彼は光を放ちながら宙に浮いていた。
「お疲れ様でした。お先に失礼しますね」
そう言ったかと思うと、小林は光り輝いて消えてしまった。
「定時帰りの挨拶みたいに消えんなや!」
小林の最後の挨拶に、清は苛立ちを隠さずにそう怒鳴った。だが、すぐに清の体も光を放ち始めた。
「清兄ちゃん!」
「お前も道連れにしたるわ!」
清はそう言って、近くの敵を羽交締めにした。
「は、離せ!」
すると、その男にも光が移り、一緒に宙に浮き始めた。
「ちくしょう。これで終わりか!」
悔しそうにそう言った清に、輿田が戦いながら叫んだ。
「清! 俺もすぐ行くわ。地獄で待っとれ!」
輿田の言葉は少なかったが、清はすぐにその意味を理解したようだ。自分たちが天国などに行けるわけがない。だから、再会するなら地獄でだ。
「うっす!」
清は敵の男を抱えながら、親指を立てて笑顔で光の中に消えていった。
「行っちゃった……」
そうこぼした俊介が、その次に光を放ち始めた。
「うわあ! どうしよう」
焦る俊介の肩に手を置き、輿田が言った。
「あわてんなや。お前が行くんは、天国なんやからな」
「おじちゃん。触っちゃダメだよ」
俊介が慌ててそう言うが、すでに輿田にも光が移っていた。
「これも何かの縁や。一緒に行こや。たどり着く場所は別やけどな」
光が全身に回り、輿田と俊介は宙に浮き始めた。戦いを終え、輿田はわずかに自分の人生に思いを馳せた。
「最後の最後まで、暴力に明け暮れた人生やったな」
そうこぼした輿田に、俊介が声をかけた。
「体力が有り余ってるなら、スポーツでもやればよかったのに。もし次があるなら、僕はサッカーに挑戦するよ」
「そうか、頑張れよ」
輿田は苦笑しながらそう答えた。もし、次があるのなら……。
「俺は、思いっきり野球がしてえなぁ」
それが、ふたりの最後の会話となり、輝きは消えていった。
結衣香は向かってくる男に、握っていたベルトを振り下ろした。鞭のようにしなったベルトのバックルが、見事に男の顔面に命中し、男は気を失って倒れ込んだ。
「や、やった!」
そのベルトは浩輔から借りたもので、戦い方も彼から提案されたものだった。その作戦は想像以上の成果を出し、男ふたりを撃退することに成功していた。
前線から敵がなだれ込んできて、結衣香は老人たちと一緒に戦っていた。高齢者は人壁になるのが精一杯で、何人かに防衛線を突破されてしまっていた。みことは梓に任せて後方へ逃がしたので、そちらで持ちこたえるのを祈るしかない。
しかし、消え始めた人の光が他人に移ることがわかると、いつしか新たな戦法が生まれていた。味方に光をまとった者が現れると、複数人で敵を囲んでから相手に触れて、道連れにするように一緒に消えるというものだった。相手側もそれを警戒し、光を放つ者がいる場所へは突進するのを躊躇していた。前線から戻ってきた味方も増え、防衛線は崩壊せずになんとか機能していた。
しかし、最前線からやってきた敵の数も増えており、余裕は全くなかった。消えていく人数のバランスが少しでも味方に偏ると、すぐに崩壊しかねない状況だった。
すると、目の前にひとりの男が現れた。
「また会ったねえ、結衣香ちゃん」
その男は、今朝結衣香を襲ってきた根津だった。どさくさに紛れて、懲りもせず結衣香を襲う機会をうかがっていたのだろう。根津は目を血走らせて、完全に理性を失っているように見えた。
「ほんと、サイッテーですね、あなた!」
全身をいやらしい視線で舐めまわされているのを感じつつ、結衣香は怒りの表情でそう言った。そして、軽く辺りを見回すが、浩輔はもちろん、すぐに助けを呼べそうな人は見えなかった。みことを守るためにも、ここは自力でなんとか凌ぐしかないと腹を決めた。
根津はゆっくりと近づきながら、結衣香に語りかけた。
「お前の処女は頂くぜ。最初に言っただろう、本当のエクッーー」
結衣香が踏み込んで振るったベルトが、根津の顔面を直撃した。彼は語るのに夢中で、ベルトの攻撃範囲を見誤っていたのだろう。
「っぐ。ちょっ、あがーー」
結衣香は容赦なく次々とベルトを振るい、その全てが根津にヒットした。
彼はたまらず、両手を突き出しながら腰から崩れ落ちた。すると、誰かが突進してきて、根津をそのまま押さえ込んだ。
「店長さん!」
それは、居酒屋の店長の佐々木だった。彼は根津の体にまたがり、後ろから両腕を抱え込んでいた。
「くっそ、放せ!」
「あなたも懲りないですね。このまま、消えてもらいますよ」
もがく根津を完全に押さえながら、佐々木が叫んだ。
「こいつは任せて、行ってくれ!」
「ありがとうございます、店長さん!」
結衣香は心からの礼を言って、その場から離れた。辺りを見回して、これからどう動くべきか考えた。
「梓さんのところへ、行った方がいいかな?」
しかし、助かったと思ったのも束の間、今度は結衣香自身が光を放ち始めた。
「やだ、どうしよう!」
自分も敵を道連れにすべきだと思いつつも、頭に浮かんだのは浩輔のことだった。このまま彼と再会できずに、消えてしまうのは絶対に嫌だった。
「浩輔くん!」
結衣香は思わず叫んだが、浩輔は近くには見当たらなかった。なりふり構わず、必死に彼の名を呼んだ。
「浩輔くん! どこ!?」
結衣香を取り巻く光が強くなり、体が宙に浮き始めた。残された時間はほとんどない。結衣香は必死に浩輔を探した。
「結衣香!」
すると、遠くから浩輔の声が聞こえた。そちらを見ると、彼が必死にこちらへ走ってくるのが見えた。
「浩輔くん!」
彼を見て、結衣香の胸が熱くなった。
「なんだ、もうちゃんと好きじゃん」
初恋を長く引きずっていた彼女は、こんなにも早く誰かを好きになるなんて思っていなかった。自分は素敵な人に出会って恋をした。すでに、妹や孝太郎に感じていたわだかまりも消えていた。ただ、彼を思う気持ちでいっぱいだった。
「キスくらい、しておけばよかった」
体から放たれる光は、さらに強くなっていった。完全に宙に浮きながらも、必死に彼の方へ手を伸ばした。
そして、結衣香は最後に、大好きな人の名前を呼んだ。
浩輔は敵を牽制しつつ、みことの元へと向かっていた。
光を放つ体で他人に触れると光が移ることがわかり、浩輔が想像したよりも終わりは近づいていた。すでに、全体の半数ほどが消え去っているだろうか。とはいえ、最後までみことを守り切れるかというと、運次第としか言えなかった。
周囲の様子を把握しながら走っていると、自分を呼ぶ声が聞こえた。ハッとして声の方を見ると、結衣香の体が光り輝いていた。
浩輔は状況も顧みず、彼女に向かって全速力で走った。
「どけ!」
道を塞ぐ人間を押し除け、最短距離で彼女の元へと向かった。こんなに全力で走るのは、手術してから初めてのことだった。
「結衣香!」
こちらに気づいた彼女の表情が、絶望から歓喜へと変わった。それを見た瞬間、浩輔の鼓動が跳ね上がった。
彼女の放つ光が強まり、体は完全に宙に浮いていた。
「浩輔!」
「結衣香!」
彼女との距離まで、あと少し。彼女をひとりで行かせるわけにはいかない。浩輔は必死に結衣香に向かって手を伸ばした。
だが、指先が触れそうになった瞬間、浩輔の手は空を切った。
勢い余ってその場所を通り過ぎてしまった浩輔は、すぐに背後を振り返った。しかし、そこに彼女の姿はなかった。
消えた……。
指先に感触はなかったが、彼女の体温らしきかすかな温もりが残っていた。しかし、それもすぐに消えてしまい、何の実感も残らなかった。
消えた……何が?
相ケ瀬結衣香が。
恋がしたいという結衣香の主張には困惑したが、理由を聞いて彼女の葛藤を知った。彼女を知れば知るほど、自分の中で特別な感情が育つのを実感していた。恋に消極的だった自分に、彼女はいとも簡単に心に入り込んできた。
消えた……。
彼女の未来が。
自分は人より長く生きられないかもしれない。そんな事情も、彼女は笑って受け入れてくれる気がした。彼女と歩む未来。普通に笑って、普通にデートして、結婚して子どもを産んで。そんな理想的な未来は訪れない。いや、出会った時から、そんな希望はなかったのだ。
荒い息をしながら、浩輔は呆然と立ち尽くしていた。泣き叫ぶほど、彼女と過ごした時間は長くなかった。だが、簡単に割り切るには、すでに彼女は自分の心を大きく占めていた。
浩輔が全ての状況を忘れて立ち尽くしていると、何かを叫ぶ声が聞こえた。後ろを振り向いた瞬間、頬を涙が伝った。
そして、向かってきた男の拳が目の前に迫り、浩輔の記憶はそこで途切れた。
部屋中に、白を基調とした柔らかな虹色の光が満ちていた。
梓と最初に交渉した男は、彼女の力になりたいと防衛に加わり、必死に戦いながら消えていった。
居酒屋店長の佐々木も、戦いの中で相手を道連れにして光に包まれていった。
梓を破廉恥と罵っていた女性は、髪を振り乱して珠をよこせと叫びながら消え去った。
部屋の中を歩き回っていた老人は、争いには参加せずひとり静かに終わりを待った。
おかっぱ頭の佐代子は、この白い部屋で出会った渉と肩を寄せ合い、幸せそうに光を受け入れた。
人々が次々と、光をまとって消えていった。
死後に人間を試すこの部屋を包む光。
それは、煉獄に輝くパールライト。




