08.理性が剥がれ落ちる時
タイムリミットが近づくと、人々は自然と、ルールを説明した白い少年の周囲に集まっていた。誰もが少し緊張した面持ちで、その時を待っていた。まだ大きな混乱は起きていない。
浩輔の隣にいた結衣香が、彼の袖を掴んで心配そうに言った。
「いったい、どうなるんだろう?」
「予想はできないし、待つしかないね」
浩輔は結衣香を不安にさせないよう、余計なことは何も言わなかった。何事もなく終わればいいのだが、正直なところ嫌な予感がしていた。
浩輔のすぐ隣には、みことと梓が手を繋いで立っていた。
「何が起こるかわからないから、絶対に離れないでね」
「わかった」
浩輔と結衣香がふたりを微笑ましく見ていると、それに気づいたみことは少し照れたように顔を赤らめた。そんな子どもらしい表情を見せるのも、気を許してくれた証拠なのだろう。
すぐ近くでは、太一と栞が子どもたちの人数を確認していた。
「大輔、晃、剛、萌ちゃん、晴瑠ちゃん、愛ちゃん、それに俊介くんを入れて7人だな」
輿田と一緒にいた俊介も、すっかり子どもたちの輪に馴染んでいた。すると、それを見守っていた清と小林からも、声が上がった。
「俺もおるで!」
「わ、私も」
子どもの人数を数えていた太一は、突然割り込んできた大人たちに、困惑の表情を浮かべた。輿田も少し離れたところで、呆れた顔をしていた。
「……そうですね。大事な話が始まるかもしれないから、みんなで一緒に行動しましょう。特に大輔と晃、騒いだり勝手に移動したりするなよ!」
「なんで、俺たちだけ!」
「ぶーぶー!」
名指しされたふたりが不満げな声を上げると、隣にいた栞が真剣な顔で念押しした。
「ふざけてないで、ちゃんと言うこと聞かないとダメだからね!」
「はーい」
彼らが素直に声を揃えるのを見て、太一は脱力して言った。
「お前らって、本当に女にはいい顔するよな……」
そうこぼした太一は、こちらに歩いてくる男女を見つけて苦笑した。
「ああ、花蓮は例外か」
その花蓮が、無理やり蘇我田の腕を引いて、こちらにやって来た。
「なんで俺に構うんだ。殴られたことを忘れたのか!」
「私が気にしてないんだから、いいでしょ。最後なんだから、みんなでいようよ」
蘇我田は彼女に負い目があるのか、花蓮に逆らえないようだった。浩輔と目が合うと、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「これで仲直り。みんな一緒のほうが、楽しいよね!」
花蓮は満面の笑みでそう言った。皆、苦笑いを浮かべているが、反対する者はいなかった。蘇我田も顔を背けつつ、その場には留まっていた。そして、小さな声で何かを言った。
「悪かったな」
しかし、その言葉は一番近くにいた花蓮にさえ届かなかったようだ。
「え? 何か言った?」
「……何でもない」
蘇我田は、それ以上は何も言わなくなった。
「あとどのくらいなの?」
結衣香の問いに、浩輔はスマホのストップウォッチを確認した。画面の表示では、166時間と55分がすでに経過していた。
「この部屋に来てから168時間がタイムリミットだとすると……説明を聞き終えたのが1時間後くらいだったから、あと5分くらいかな」
「もうすぐだね……」
結衣香の表情がさらに硬くなった。浩輔の声を聞いていた周囲の人間にも、緊張が伝わっていくのがわかった。
やがて時間が近づき、浩輔はスマホを見ながら、カウントダウンを始めた。
「5、4、3、2、1……0」
7日間のタイムリミットが、終了したはずだった。周囲のざわめきが収まり、誰もが口を閉ざした。しかし、何かが始まる気配は感じられなかった。
「何も起こらないじゃないか」
「一体どうなってるんだ?」
周囲の視線が、白い服を着た少年に集まった。そもそも、彼の言うことが正しかったのか。そんな疑念さえ出始めた頃、彼は小さく口を開いた。
「始まりますよ」
すると、集団の中にいたひとりの男が、慌てた声を出した。
「な、なんだこれ!?」
見ると、30歳くらいの男性が珠と同じ色合いの淡い光を放っていた。自分から発せられる光を見て、困惑した表情を浮かべている。その光は徐々に強くなり、彼の体がうっすらと透け始め、そのままゆっくりと宙に浮き上がっていった。
「なんだよこれ。どうにかしてくれよ!」
男は周りの人々に助けを求めたが、何をどうすればいいのかわからない。
「た、たすけ……」
最後に強い輝きを放ったかと思うと、男の姿は光と共に消え去った。助けを求める声も、途中でかき消されてしまった。
皆が呆然とする中、次に中年の女性の体が光り始めた。
「ちょっと、やだ。このまま消えるってこと! いやよ、死にたくない!」
彼女は取り乱して大声をあげ、誰もが息を呑んでその姿を見つめていた。やがて彼女の体も宙に浮き上がり、強い輝きと共に消え失せてしまった。このまま次々と、光に包まれて消えていくのだろう。
「なんて、意地の悪いルールだ」
浩輔はそう言って呻いた。この消失のタイミングのずれが、人々の恐怖を煽り、最悪の事態を引き起こしかねない。
様子を見守っていた人々から、困惑の声が上がり始めた。
「また、消えちまった……」
「消えたらどうなるの?」
「どうもこうも、消滅したってことじゃないか?」
「何もかも終わりってこと?」
「もともと、そういう話だっただろうが!」
「いやだ、俺はまだ死にたくない……」
不安の声が飛び交う中、人々の視線が一斉にみことへと向けられた。そのただならぬ空気に、彼女は怯えて身をすくませた。とっさに梓は、彼女を背に庇うように一歩前に出た。
「珠だ」
「あれがあれば、生き返れるんでしょ?」
「まだ……間に合うんじゃないか?」
死の恐怖に耐えかねた人々の理性は、今まさに剥がれ落ちようとしていた。
その混乱に乗じて、蘇我田が動いた。
みことの背後から近づき、無理やり体を引き寄せると、ワンピースのポケットに手を突っ込んだ。それから、彼女を突き飛ばして、人のいない逆側の壁に向かって走り出した。
「この珠は、俺のものだ。生き残るのにふさわしいのは、この俺だ!」
右手を突き上げて走り去る蘇我田の姿に、我に返った人々が彼を追いかけた。
「ふざけんな!」
「お前なんかに渡せるか!」
「私によこしなさいよ!」
怒声を上げながら、40人ほどの人間が蘇我田を追っていった。残された人々が呆気に取られている中、花蓮は目に涙を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「な、なっさけない! 情けないよ。あんな人だとは思わなかった!」
彼女はずっと蘇我田を信じていた。それだけに、最悪の形で裏切られた失望は大きかったのだろう。周囲が慰めの言葉を探す中、意外にも彼女に声をかけたのはみことだった。
「珠は取られてないよ」
みことはそう言うとワンピースのポケットから、強い輝きを放つ珠を取り出した。
「え、なんで?」
涙ぐむ花蓮に、みことが答えた。
「取られたように、見せかけてくれたんだよ。私を守るために」
蘇我田の予想外の行動に驚きつつ、人々から、安堵の笑い声が漏れた。苦笑を浮かべながら、輿田が言った。
「時間稼ぎっちゅうことか。こりゃ、一本やられたな」
「もう、本当にひっぱたいてやろうかと思った!」
結衣香が笑いながら言うと、花蓮が誇らしげに胸を張った。
「あたしは、そがっちのこと信じてたから!」
「いや、さっき情けないって言ってたじゃない……」
結衣香が呆れたように突っ込むと、彼女は両手を合わせ、弱々しい声で懇願した。
「そ、そがっちには、黙っててね」
周囲にいた一同からどっと笑いが起き、その場の緊迫していた空気が緩んだ。
「ねえ少年! あれ、なんとかできないの?」
梓が白い服の少年に鋭く尋ねた。暴徒と化した者に、罰を与えて場を鎮めてほしいと考えたのだろう。しかし、少年の返答はそっけなかった。
「ああなってしまっては、私が対処するのは難しいですね」
その返答を聞いて、清が思わず吐き捨てた。
「使えんやっちゃなあ!」
そう言われても、白い服の少年は相変わらず涼しい顔をしていた。
走り去った蘇我田の方を見ながら、輿田が浩輔に尋ねた。
「あとどのくらい、耐えたらええと思う?」
浩輔はざっくりと推定して、すぐに答えた。
「ひとり消えるのに20秒として、全員が消えるまでなら……あと40分ほどですかね」
「そこそこあるな……」
「消えていく優先順位もわかりませんし、最後は運次第です。それでも、協力してくれますか?」
浩輔は、残った全員の顔を見ながらそう言った。
「当たり前やろ! ここで引いたら、男が廃るってもんや。蘇我田なんかに負けてられへんわ!」
清が力強く言い放つと、俊介と小林も頷いた。残った人々もその意見に同意し、体格自慢の青年が誇らしげに力こぶを作って見せた。
「みことちゃんは、私が最後まで守るわ!」
梓がそう言うと、子どもたちも興奮したように大声を出した。
「みことを逃がせばいいんだろ。やってやるぜ!」
「得意のスライディングで転ばせてやる!」
意気込む大輔と晃たちに、すかさず太一が釘を刺した。
「危ないことはするなよ。捕まりそうになったら、大声で助けを呼べ!」
こうして、みことを守るチームが結成された。
齢者や体力に自信のない者も多いので、まともに対抗できそうなのは30人ほどだ。それでも、これだけの仲間がいるのは心強かった。
再び、輿田が浩輔に尋ねた。
「あいつひとりで、何分くらい持つかな?」
「そこまで時間は稼げないはずです。すぐにこちらへ来ると考えたほうがいいでしょう」
希望的な観測はせずに、浩輔はそう答えた。
蘇我田は懸命に走っていた。
しかし、体力に自信があるわけではない。部屋の広さにも限りがあり、すぐに追いつかれてしまうのは目に見えていた。それでも、彼の心はすがすがしかった。
決して格好のいいやり方ではなかった。それでも、みことを守れたことに、彼は誇りを感じていた。みことを守ることが、自分の意思で行える最後の正義だった。
正面に白い壁が近づくと、蘇我田は自分が持っていた珠を口に放り込んで飲み込んだ。
「珠は飲み込んでやったぞ。取れるなら取ってみろ!」
そう叫んだ直後、先頭集団の若い男たちに飛びつかれ、蘇我田は地面に押し倒された。数人がかりで押さえつけられ、そのまま何度も殴りつけられた。
「ふざけやがって。吐かせろ!」
「指を口に突っ込め!」
うつ伏せに押さえつけられ、口に手を入れようとしてきた男の指に、蘇我田は思い切り歯を立てた。
「痛え!」
「このやろう!」
再び顔を殴られ、腹に容赦のない蹴りを入れられた。一瞬息ができなくなり、蘇我田は悶絶した。それでも、蘇我田は笑っていた。
「珠が欲しかったら、俺の腹を引き裂くんだな!」
蘇我田がそう叫んだ瞬間、彼の体が淡い虹色に輝き出した。早すぎるだろうと、蘇我田は心の中で毒づいた。
「光り出した。もう終わりなのか!?」
「いや……今までと同じ光り方だ。こいつ、珠を持ってないんじゃないか?」
「まさか、騙したのか!?」
男たちの力が緩んだ隙を突き、蘇我田は自分を蹴りつけた男の顔面を力一杯殴りつけて言った。
「お前らだって、すぐ俺と同じように消えるんだ。もう諦めろ!」
「このやろう!」
殴られた男が再び蘇我田に向かおうとする。しかし、他の男たちはすぐに来た道を戻り始めた。
「そんなやつほっとけ。珠を探すのが先だ!」
蘇我田は戻ろうとする男の襟を掴み、最後の足止めをしようとした。蘇我田の体が透けて宙に浮き始めたが、ひとりの男を羽交い締めにして逃さなかった。すると、その男にも蘇我田の光が移り、体が淡く輝き始めた。
「おい、やめろ。離せ!」
自分も光に包まれていることに気づき、その男は恐怖で絶叫した。
「脇役は脇役らしく、一緒に舞台を降りるんだ」
蘇我田は物語の主役でいたかった。事業で成功し、世の中から注目される人生を歩みたかった。だが、自らの驕りと行いで、すべてを台無しにしてしまった。
それでも、最後にひとつだけ正しいと思える行いができたと感じていた。それだけで、蘇我田は誇らしい気分だった。
蘇我田が最後に思い浮かべたのは、詠流や和馬、ゆかりたちの顔だった。
「俺は、もっと人に頼るべきだったのか?」
彼はそう言い残して、光の中に消えていった。




