07.蘇我田の野望
蘇我田は春の日差しが降り注ぐ中、赤門へと向かっていた。少し遠回りになっても、この門をくぐる道を好んで選んでいた。
大学生活が始まって、気づけばもう1か月が経っていた。すでに見慣れた風景だが、古風で風格のある門を見ると、いまだに軽い高揚感を覚えた。
東大に現役で合格した事実は、蘇我田の自尊心を大きく満たしてくれた。自分を見下していた人々の、嫉妬に歪んだ表情を見るのは痛快だった。しかし、それもすでに過去の話だ。
大学という新しい舞台で、エリートの中でも自分が優れていることを証明しなければならなかった。蘇我田は頭角を現すためのアイデアを考えながら、特定のグループには所属せず、あらゆる学生を品定めする日々を送っていた。
その日、次の講義までの空き時間を潰すため、蘇我田は食堂を訪れた。弧を描いたホールにある中央食堂は、お昼時のような混雑はないが、それなりに人で賑わっていた。
落ち着いて過ごせる場所を探していると、ぽつんとひとりで座る同期生を発見した。
その男はノートPCに向かい、何やら熱心にキーボードを叩いていた。小柄で猫背の彼は、いつも教室の隅でPCを操作していて、人と話している姿を見たことがなかった。東大にもぼっちはいるのだなと、妙に感心したのを覚えている。
静かに彼の背後に回り、PCモニターをのぞき込むと、何かのソースコードがモニターを埋め尽くしていた。慣れた手つきでコードを書き換えていく様子から、かなりの経験があることがうかがえた。
「これは何のプログラムだ?」
蘇我田が背後から声をかけると、その男はビクッと肩を震わせた。
「びっくりした! 気配を消して後ろに立たないでよ……」
彼は中学生でも通りそうな、幼い顔つきをしていた。綺麗なストレートヘアを短く切りそろえているが、前髪だけが顔を隠すように少し長かった。顔立ちは悪くないのだが、人の目を見て話さない態度が臆病な印象を与えていた。
古賀と苗字を名乗った彼に下の名前を尋ねると、口ごもってなかなか答えようとしなかった。やっとのことで聞き出した名前は、ずいぶんと珍しい響きだった。
「古賀詠流? ずいぶんと素敵な名前じゃないか」
蘇我田の言葉に、詠流は眉間にしわを寄せて言った。
「キ、キラキラネームって言いたいんだろ。よくからかわれるよ……」
苦い思い出があるのか、彼は自分の名前が好きではないらしかった。
「流れるように詠むか。プログラマー的に良い名前じゃないか? 響きも嫌いじゃない」
蘇我田がそう言うと、詠流は少し照れたようにうつむいた。適当に言った蘇我田の言葉が、彼には少し嬉しかったようだった。
「それで、詠流。そのプログラムはなんだ?」
なんとなく気に入ったので、蘇我田は彼を名前で呼ぶことにした。彼は少し困ったような顔をしていたが、蘇我田は気にしなかった。
「自分で作ったアプリだよ。何個かリリースしたんだけど、なかなか成果が出なくて……」
そう言って、詠流は自分のスマホを差し出した。液晶画面に、詠流が作ったアプリのアイコンが並んでいた。
「実際にストアからダウンロードできるのか?」
「できるよ。一部は有料だけど……」
画面に映るアプリ名を確認し、蘇我田はストアでそれを検索する。開発者ページにたどり着くと、蘇我田は迷うことなく、有料のものも含めてすべてのアプリをダウンロードした。
詠流はその行動に驚きつつも、自分の有料アプリが購入されたことを知ると、はにかむような笑いを浮かべた。
「一番の自信作はどれだ?」
「今手を加えている、これだけど……」
蘇我田の問いに、詠流が青い格子模様のアイコンを指差した。
「よくあるパズルでも、ソーシャル機能を強化したらバズる可能性があるかと思って……」
アプリを開くと、絵が描かれた9枚のブロックが現れた。バラバラになったピースを、スライドで入れ替えて絵を完成させるものだった。それは、よくある子ども向けのパズルゲームだった。蘇我田は無言でそのアプリをプレイし続けた。詠流は緊張した面持ちで、その様子を見ていた。
しばらくして、蘇我田が口を開いた。
「一言で言うとダサいな!」
突然の厳しい評価に、詠流の顔が引きつった。そんな彼のことなど気にせず、蘇我田は言葉を続けた。
「こんな見栄えでダウンロードしてもらえると思ってるのか? 第一印象が悪ければ、見向きもされないぞ!」
詠流は狼狽しながら、かろうじて反論の言葉を口にした。
「それはフリー素材を組み合わせて、自分でデザインしたから……。デザイナーに頼むにはお金がかかるし」
「そんな言い訳、ユーザーには通じないだろ」
詠流の言葉を、蘇我田はあっさりと切り捨てた。
「特に完成させる絵は、ユーザーにとって一番のご褒美のはずだ。いくら序盤のステージだからといって、こんなイラストで誰が喜ぶ?」
統一感のないパズルのイラストも、フリー素材を使っているのだろう。詠流もそれは自覚していたらしく、何も言えずに口ごもった。
「難易度によってパズルの分割数を増やしていくなら、人が見て驚くくらい、極端に増やせ! やりすぎなくらいでないと、完成させても自慢にならないし、当然バズらない」
蘇我田の酷評は、さらに続いた。
「SNSを強化したって? いろいろ機能は付いているが、動線がなさすぎて気づかない。そもそも、本当にこれらの機能は必要なのか? ゲームのサイクルに組み込まなければ、せっかくの機能も使ってもらえないぞ」
否定的な意見ばかりで彼の表情は少し沈んでいたが、生の意見が参考になるのか、真剣な面持ちで蘇我田の言葉を聞いていた。そんな詠流を見て、蘇我田は密かにほくそ笑んだ。そして、意識的に口調を柔らかくして、アプリを褒め始めた。
「しかし、機能自体はきちんと作り込まれている。独学でよくここまで作ったな」
初めての褒め言葉に、詠流の表情がほころんだ。厳しい指摘をされたからこそ、その言葉にお世辞ではない真実味を感じたのかもしれない。
「それに、パズルの動きも指によく馴染む。ここも、こだわったポイントだろ?」
ピースが指に合わせて慣性を感じさせる動きをした。蘇我田の指摘に、詠流は嬉しそうにうなずいた。
「そうなんだ! 人気のあるパズルゲームは、必ずそういった動きが気持ちいいんだよ」
「このゲーム性がどこまで受けるかわからないが、ユーザーがパズルをしたくなる動機をきちんと設計できれば、まだまだ良くなるんじゃないか?」
「それが一番難しいんだけどね……」
人の行動原理を理解して、ゲームサイクルを設計しなければならない。ゲームの設計は、それだけ奥深いものだった。
「あとはデザインだな。自分でできないなら、金をかけてでも人に頼むべきだ」
「そ、そうだね。でもお金がな……」
自分のアプリについて深い議論ができ、詠流はとても満足そうだった。蘇我田の酷評も、貴重な意見として受け止めたらしい。しかし、最初に徹底的に落としてから褒める。それだけで、相手はこちらの言葉を素直に受け入れるようになる。それはお手軽な人心掌握術だった。
「次はどんなアプリを作るつもりだ?」
「まだ、何も考えてないよ……」
詠流の答えに、蘇我田はいやらしい笑いを浮かべた。そして、頃合いを見計らったように誘いの言葉を口にした。
「実は作りたいアプリがあるんだが、もし良ければ詠流に頼めないか? もちろん金は出す」
意外な提案に、詠流は驚いて聞き返した。
「え? ど、どんなアプリ?」
「簡単に言えばSNSだ」
その答えに、詠流は難しそうな顔をした。
「SNSは大手が強いし、難易度高いよ……」
「だから、作る価値はないって? それはコンセプト次第さ」
蘇我田は自信ありげに詠流に言った。
「君は周りの人間が話す話題が、くだらなすぎると感じたことはないか?」
突然の質問に困惑しながら、詠流は首をひねった。
「くだらないというか、話が合わないと思うことはあるけど……」
彼の言葉に被せて、蘇我田は力説した。
「口を開けば恋愛の話や、ネットのくだらない話題ばかり。東大に入れば、そんなこともないだろうと思っていたが……。勉強はできてもバカで、話す価値がない連中は思ったより多い」
それは同級生を値踏みし続けた、蘇我田の感想だった。詠流はさらに首をかしげたが、黙って話を聞いていた。
「そんな愚かな連中と、いちいち付き合う暇はない。本当に優秀な人間のみが集まり、お互いに切磋琢磨できるコミュニティを作りたいんだ」
そして、自分がその頂点に立つ。そんな野望を抱いて熱弁する蘇我田の言葉を、詠流は圧倒されたような表情で聞いていた。
それから半年後、学内ではあるカードが話題になっていた。
そのカードは講堂や図書館の机、エントランスの片隅など、構内のあらゆるところに置かれているらしかった。
「Prove your worth.」(己の価値を証明せよ)と記されたシルバー箔押しのカードは、何かのブランドを彷彿とさせる高級感があった。
そのカードの裏面にあるQRコードを読み取ると、東大生でも解くのが難しい超難問が出題される仕組みだった。そして、いくつかの問題に正解すると、「Vertex」と呼ばれる、完全承認制のSNSに招待されるのだという。
「頂点」を意味する「Vertex」は、蘇我田と詠流が作り出したサービスだった。




