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例えばこんな恋語り  作者: K+
19章* 再会す(サイカイす)

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 リィリ共和国は、暖かな春の陽気に包まれていた。

 そんな中、栩麗琇那(くりしゅうな)は極寒の心を抱えて医療所へ辿り着いた。

 気力無く玄関を叩くと、どうぞ開いてます、と遺言を託すべき弁護士の声がした。栩麗琇那はうつむきがちに扉を開ける。

 開けた途端、不可思議な気分になった。翠界(すいかい)に戻って以来、一度も感じなかった心地好さ。

 碧界(へきかい)の花がある所為……?

 目を上げた栩麗琇那は、映ったモノにぼんやりした。目を開けた状態で、見える筈のない花が見える。

 白黒の視野に、ソコだけ鮮やかな彩りが在った。漆黒、淡肌、桜、柔らかい薄黄色。

 遂に幻覚が――

 動揺した。その姿を前に、遺言めいた話なんて出来ない。

〝幻覚〟が、動いた。黒目がちの瞳をきらきらさせ、椅子から立ち上がる。

〝幻覚〟は〝幻聴〟まで聞かせてきた。

「き、来ちゃった」

 耳を潤す声が、動揺に拍車をかけた。

 何だ、これは。夢か!? 夢だ! 最高の夢だ――

 奥に居た精霊が、栩麗琇那の判断に横槍を入れた。

〈予想以上に(ほう)けておる〉

 今一人の青年が同意する。

「そのようです」

 突然心臓が動き出した気がした。猛烈な拍動を知覚した栩麗琇那は、現実だと悟った。

 来させてはいけなかった琴巳(ことみ)が、来ている。

 栩麗琇那は、殆ど無意識に踵を返した。医療所を背に、足を速める。

「お兄ちゃん――っ?」

 まるで変わらない、澄んだ声が背中に当たった。栩麗琇那は更に歩調を速める。

 少し行った所で根元に枯れ枝の散らばっている大木が目に留まり、梢を見上げて過日の失態の痕だと判った。バツの悪さに栩麗琇那は立ち止まる。

 迫る足音にやむなく振り返れば、視線の先に、この一年、求めてやまなかった姿が在った。本物が追いかけて来る。

 身体が震えそうなほど嬉しいのに、ルウの皇帝はその感情を否定しなければならなかった。

 距離が縮まり、琴巳が足を止め、栩麗琇那は口を開いた。

「ここは異世界だぞ」

「…………」

「何故、居る筈のない者が居る? 今すぐ帰れ」

「嫌」

 即応されて、皇帝は異界の娘を睨む。だが、彼女はひるまなかった。「お兄ちゃんがあっちの世界で暮らせて、なんでわたしはこっちで暮らせないの? わたし、来たばっかりだもん。当分帰らない」

 栩麗琇那は、激しい葛藤に苛まれた。

 本当は、道はただ一つ。眷属に知れる前に、無理矢理にでも碧界へ帰さなければならない。

 けれど、このどうしようもない歓喜をどう静めればいいのだろう――?

 周りに、色が灯っていく。虚ろだった世界が、美しくなっていく。彼女が近くに居るだけで、みるみる素晴らしくなっていく。

 琴巳は、痩せ我慢的な台詞を口にした。

「べ、別に、お兄ちゃんに、会いに来たんじゃ、ないの。蒼杜(そうと)さんが、しばらく暮らしてみませんか、って、誘ってくれたんだもん。お兄ちゃんに会うの、ついでよ?」

 栩麗琇那は嘆息した。思い切り抱き締めてしまいたい激情を、吐息と共に吐き出す。

「暮らすと簡単に言うが、一体、何処に寝泊まりするつもりなんだ」

 まさか医療所で蒼杜と同居か、と浮かぶと、たちまち嫉妬で腹の底が煮える。

 琴巳は、相変わらずの可愛らしい笑みを見せた。えっとね、とえくぼを浮かべる。

「この後、お家を見に行くの」

 栩麗琇那は憮然とする。今更だったが、シェリフと蒼杜が関わっているのだ。このホームステイは相当にお膳立てされていると見た方がいい。

 それでも何とか碧界に帰す手はないか、栩麗琇那は苦し紛れに問うた。

「家賃は。生活費は――俺は出せないぞ、蒼杜に無心するのか」

 琴巳はほんの少し不安そうになったが、ぽつりぽつりと説明してきた。

「えと、住む所に関しては何も気にしないでいいって、シェリフさんに言われてて。蒼杜さんも、敷地内の空き家だから住んでもらえるだけで助かりますって……後、さっき千歳さんに、お仕事も紹介してもらったの」

 寸時、絶句した。従弟まで関わっているとは。

「何の、仕事を」

「針子って、お裁縫のことよね?」

 ふらりと現れた出自の知れない娘には、そんな仕事しか無かったのかもしれないけれど――学の無い貧しい子女が、糊口を凌ぐ為にする内職のようなモノだ。千歳が仲介するならまともな所からの注文が来るだろうが、酷い所だと仕上がりに難癖をつけ、ただ働き同然に酷使すると聞く。

「他に無かったのか」

 不快を多大に含んで呟くと、そうみたい、と琴巳は呑気に顔をほころばせた。栩麗琇那は軽く口を曲げる。これも何か裏がある気がしてしまう。とにかくも、蒼杜と従弟に問い質さなければ。「千歳も、医療所に居るのか」

 こんな共謀をさせる為に、瞬間移動の魔法陣を贈ったのではない。

 苦々しい心地で差し出した手に、琴巳は緊張気味に柔らかな手を重ねてきた。

千歳(ちとせ)さんは、お仕事の話を進めるって……二時間くらい前に、出て行っちゃったきり」

 完全に先手を打たれていると判った。

 細い手を軽く握って医療所へ足を向け、栩麗琇那はくしゃりと髪をかき上げる。

 二時間あれば、千歳は国の首都にある自宅のみならず、斡旋した仕事先にも着けるだろう。琴巳を登録してしまっている可能性が高そうだ。キャンセルなどしたら、紹介した千歳の名に傷がついてしまう。既にこの国での在住登録までしていそうな手際良さだ。

 手玉に取られると、知神の申し子なる異名が小憎らしい。

 黙然と琴巳を連れて医療所まで歩いた栩麗琇那は、(あるじ)と共に出迎えてきた守護精霊の目線に気づいた。天を仰ぎそうになるのを、辛うじてこらえる。

 手を放すには遅過ぎたろう。

 皇帝は、琴巳と一緒に歩く時の癖が抜けていなかった。彼女を忘れていなかったと、周知したようなものだった。



 栩麗琇那は観念し、蒼杜と千歳に、〝碧界から来た妹〟を託した。

 琴巳は、蒼杜の所有地である森の中に住まいを得た。目指して行かなければ、およそ訪れる者が居ないであろう所だ。

 国の首都へ小細工をしに行った千歳には、結局会わず終いだった。おおよそ察した通りのことを、栩麗琇那はその日の内に蒼杜から聞かされた。

 そうして、辞去する際にメモを渡された。

【琴巳嬢の命帯(めいたい)は健やかです。

 ただ、精霊級に近い体質と思われます。

 碧界の大気の中で生活が可能だった点を考えると、この所見は間違っているかもしれません。

 ですが念の為、瞬間移動の際、陣移動はなるべく避け、できるだけ結界を張るようにお勧めします。

 尚、一部の精霊級には瞬間移動を含め、常人並に生活できるようになる方法がありますが、ここに記す事は控えさせて頂きます。】

 少なからず驚くべき内容だったが、琴巳の醸し出す空気を思えば、大層、納得できた。

 精霊級は、人の中にごく稀に生まれる純粋の極み。昔、メイフェスの学舎(がくしゃ)でそう学んだ覚えがあった。

 碧界の精霊級も、似たような存在だろう。

 解って、栩麗琇那はすぐにも大事な存在を何重もの結界でくるみたくなった。しかしながら、ルウの皇帝の結界は一族の中でも珍しい金色。万が一、眷属が琴巳を見かけたら、栩麗琇那が結界を張っていると簡単に露見してしまう。

 翠界に琴巳が滞在する以上、栩麗琇那としては眷属の目が彼女を捕らえないようにすることしかできなかった。つまりは、会わないようにすることしか。

 それがどれだけ苦しいか、重々解っている。けれど、同じ世界に居ると思うだけで、栩麗琇那は相当に心が軽くなった。ささやかな気力が湧き、不眠症も徐々に治っていった。

 術力が思い通りに引き出せるようになった頃には、やつれ顔も改善されてきた。老達は蒼杜の治療が効いたと思ったようである。忠言や気づかいも言いに来なくなり、それに関しては栩麗琇那は喜んだ。

 そんなこんなで、ひと月が光陰の如く流れた。



 遠く、かーん、と、メイフェス島の首都に正午を告げる音が耳に届く。

 (みやこ)の片隅に在る療養院の外れに現れ、栩麗琇那は何食わぬ顔で歩き出す。足の向く先は図書館だ。

 顎や鼻の下につけた偽のヒゲがむずむずするが、我慢して館内に入る。

 都に住まう大多数も昼休憩を過ごす時間帯で、三階建ての大きな館内は少々ざわついていた。貸出口に、書物や巻物を手にした老若男女が、短いながら列を作っている。

 書架に掛けられた分類札を見つつ、栩麗琇那は奥へ向かった。人の気配が減っていく。

 目指しているのは術書のコーナーだった。

 栩麗琇那は十一になる年に碧界へ迷い込んで、上級魔術の多くが未修得のままだった。皇帝として必要な術は会得済みだが、この頃、それだけでは不足に思えてきた次第だ。

 大陸にはルウの民以外にも術者が居る。医事者は好例だが、悪例として魔術師という輩が存在している。術者でなくとも悪人はそこらに居るというのに、魔術師は私欲の為だけに術を覚えて使うという厄介な連中だった。

 年に数例ではあるが、大陸駐在のルウの民も遭遇し、術戦に発展している。過去には死者も出ていた。

 魔術師の多くは、誘拐した人間を奴隷として売り飛ばす〝人攫い〟を生業にしているらしい。

 もし、琴巳がその手合いに目をつけられたら。

 栩麗琇那は想像しただけで居てもたっても居られなくなった。事が起こってからでは遅い。

 探していたのは、有益そうな術の指南書だった。

 ルウの民の特質は大陸人以上の術力で、術者であることも誇るべき点だ。が、術書が並んだ二階の一角は、階下の人々の動きが嘘のように静まり返っていた。

 先月に精霊級の詳細を調べた時も、該当書架の周囲には誰も居なかった。栩麗琇那の求める本はマイナーらしい。

 つけヒゲが痒く、この際、取ってしまおうかと思った矢先、思いがけず人影が向かいに現れた。

 互いに、一瞬動きが止まる。意外、という感情を共有したと思う。同年か、少し年若の青年に見えた。

 階下なら人に出くわすのはよくあることで、すぐに二人共、それぞれ書物に付けられた札を確認し始める。

 翠界の本は紐綴じということもあり、どんなに分厚くとも背表紙にタイトルは書かれていない。絵の印刷技術はあるのに、何故か文字の多くは未だに手書きである。書庫や図書館の本には栞代わりにもなる紐を取り付けるのが慣例だ。紐の先端に、書物のタイトルや作者の名前といった情報の札を括る。

 二人は、知らず歩み寄っていた。

 そして、同じ教本に手をのばした。『楽々空間封じ術』。

 目を見交わし、同時に手を引っ込める。

「借りる?」

 栩麗琇那が尋ねると、えぇ、と相手は首肯してから、貴男も? と慌てたように言を継いだ。あぁ、とこちらも思わず応じてしまう。

 お先にどうぞ、と声が重なった。

 今一度譲り合えば埒が明かない。栩麗琇那はジャンケン(手三種)で決めようと提案した。一も無く相手は頷く。

 勝ったのは栩麗琇那だった。

「次に借りるのは君だと司書に言っておくよ。俺が返却したら君に連絡してくれるだろうから」

 薄い書物を手に取り、栩麗琇那は言った。「良かったら、名前を教えてくれないか」

「ソライと言います。ソラは、ヨ・イチとイー・ウーが参上されます空。イは、頼み事と同じ意味の、依頼の依」

 解り易い名乗りを受け、栩麗琇那は自分も名乗るべきか逡巡した。知れた素性に畏まられるのが、何処か淋しかった。

 分かった、とだけ栩麗琇那が小さく返すと、空依は穏やかにヘイゼルの目を細めた。

「貴男の名前も気になるが、顔を変えて図書館に来るのはワケありでしょう。無理には聞きません」

「……バレバレかな」

 色付きの練り香油で固めた髪に手をやると、顎鬚が浮いているような、と空依は教えてくれた。

 手で確かめればほんの少し浮いている。もみあげの辺りを押さえてから、栩麗琇那は気恥かしさに額を掻いた。

「いや、礼を言う。不審な相手と承知で先を譲ってもらえるとは」

 えぇ、と空依は気持ちのいい笑みをこぼした。

「〝借りた物は返すのが誉れ高きルウ〟などと、館の出入口に貼り出されていますし、失礼ながら怪しんでいました。されど、やましい目的があるなら、先を譲ろうとしたり、手三種で決めよう、とは言いますまい」

 実りが得られますように、と空依は言い残し、去って行った。

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