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例えばこんな恋語り  作者: K+
16章 秒読み(ビョウヨみ)

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5*

 碧界(へきかい)に迷い込んで、ルウの皇子(みこ)は生来の無口に磨きがかかった。

 翠界(すいかい)へ帰る時は、舌が摩滅したかのようだった。

 フランスへ向かう飛行機に乗った栩麗琇那(くりしゅうな)は、機内食にも手をつけず、黙然としていた。

 何とも、皮肉な事態だった。

 琴巳(ことみ)との時間が欲しくて、一族の為に種々の案を出した。喜ばしい報告が来て、更にもう一年、碧界での時間を望めそうだと思っていた矢先だ。

 皇子の才能を知ったが故に、眷属はそれを、後二年も異界で埋もらせておくのを好まなかったらしい。

 早急の帰還を求める声がラル家の中に沸き起こり、(てい)不在の主家を何とか一つにしていた六人の老が、大君に嘆願したという。

 無事に帰ると言うなら二年後で良し、としていた叔父だったが、暇を見ては老が熱心に頼みに来るので、とうとう腰を上げた。日々激務のスケジュールの中、ラル家に一部職務の肩代わりも乞い、二日間の時間を作ってやって来たのだ。

 ここまで並べられては、栩麗琇那は断れなかった。まして、帰郷への期日を延ばしたいなどとは、言い出せる筈もなかった。

 それにしても、こうも突然に別れの日が来ようとは。

 あまりに唐突で、栩麗琇那は多少、頭がぼうっとしている。出し抜けな話に、加賀家の一同も揃って惜別の間が無い様子だった。もう二度と会えないのに、それじゃ、と言う感覚で別れた。ある意味、良かったのかもしれないが……

 左隣の窓際で優雅に食事をしていた大君(おおきみ)が、少々肩書に相応しくない発言をした。

「そなた、食べないなら、わたしが代わりに食べても良いかな?」

 初めに届いた記録によると、六暦六〇三年の初秋、先代である沙羅栩(さらく)・ヒラル・ルウの崩御に伴い、サージ大公、枸紗名・サージ・ルウがサージ家当主初の大君に就いた。

 分家は主家に比べると術力に劣る。六百年に渡って一族の束ねは主家が務めてきたから、当初、この新君は不安視されていたようである。

 不安要素は他にもあり、枸紗名(くしゃな)にはサージ大公時代から変わり(だね)な評判があった。例の、大陸人を妃にと願った件だ。

 それが最近の記録になると、主家も含め、打って変わったようにこの元サージ大公を推戴し、誇りにしていると読み取れる。

 栩麗琇那は大君の叔父を〝なかなかの人物〟と認識したのだが、今、隣に居る男とその認識はいまいち一致しない。

 ちらっと流した視線を受け、枸紗名は流麗な笑みを浮かべた。その身には、粗悪な大気を浄化させる快晴色の結界が張られている。

 他者の結界など、栩麗琇那は本当に久方ぶりに目にした。これが見えるお前は碧界人ではないと、暗に訴えてくる光景だ。

「碧界では、食べないと肥やしにもせず捨ててしまうようなので勿体無い。わたしの胃はまだ若干の余裕がある故、どうせならわたしの血肉にする。それとも、そなたの血肉にするかな?」

「召し上がってください」

 座席に深く沈み込み、栩麗琇那は目を閉じる。枸紗名は、可笑しそうに言った。

「食事はあの琴巳と申す娘御が作ってくれていたのか。別人の作った物は喉を通らぬと言った風情だな」

「単に食べる気がしないだけです」

「ほぅ、さようか。ところでそなた、あの言いようは何だったのかな。相当の含みがあったが、今後どうにかするつもりなのか」

 琴巳の夕飯を食べそびれたと思うと、苛々してきて栩麗琇那は髪をかき上げた。

「何のお話です」

 天才少年が、通路を挟んだ右隣から口を挟んだ。

「忘れるな、と琴巳に念を押したように俺には聞こえた」

 ぎょっとして、栩麗琇那は目を開けてしまった。丁度、甥の皿を取り上げていた枸紗名は、こちらを見て軽く瞬いた。

「違うのか? わたしもシェリフと同じく解釈したぞ」

「なっ、なんでっ」

 栩麗琇那は焦って身を起こした。「忘れるべきだから、そのまま言っただけだ。なんでそんな、歪曲して受け取る?」

 シェリフは、片手に持っていたワイングラスを揺らした。

「彼女は素直に受け取るだろうね。しかも好いた男からの最後の一言だ。言われた通りに忘れようと努力して、努力するから結局忘れられない。忘却は、意識してし得る行為じゃないから」

 言葉を無くした栩麗琇那の横で、シェリフはグラスを掲げた。「来年辺りは生活も落ち着くだろう。迎えに来て、一緒になったら? 君の元になら、あの一家は琴巳を、異世界にでも抵抗無く送り出すさ」

「彼女は妹のようなものだ。何の用も無い妹を、遠路はるばる、わざわざ呼び寄せる兄がいるものか」

 大陸の女性と愛し合った末、死なせてしまった枸紗名の轍を踏むのは御免だ。栩麗琇那は散々琴巳の心を傷つけてきた。この上、あのか弱そうな身体まで傷つけるなんて、許されることではない。叔父以外の眷属には琴巳の名も話も聞かせられない、絶対に。

 甥に、そうはなりたくない、と思われている当の叔父は、二食目の機内食にかかりつつ、さり気無い口調で言った。

「向こうはそなたを男として見ていたのだろう? あの年頃の乙女は一、二年で見違えるほど変わるぞ。さっさと切り捨てるのは性急ではないかな。引く手数多の美女になるやもしれぬのに」

「あの子は今でも充分そうです。すぐに代わりを見つけて、俺を忘れられる筈だ」

 苦しい願望を栩麗琇那が言うと、シェリフは白ワインをあおってからこちらに顔を傾けた。

「琴巳を翠界に入れたくないのか」

 看破されてぎくっとしたが、栩麗琇那は平静を装った。

「翠界も碧界も観光地じゃない。本来なら誰であれ、行き来すべきじゃないよ。俺と叔父上は、やむなく稀な旅行をしただけだろう?」

「……なるほど」

 シェリフは緑眼に思慮深げな色を浮かべ、乗務員を呼ぶボタンを押した。やって来た女性に、ワインの追加を求める。

 乗務員が下がると、シェリフは苦笑気味に口角を上げた。

「大君が言うには、酒も料理も翠界の方がいいらしい。まぁ、旅先で常に美味い物に巡り会えるとは限らない。これも旅の一興と思って、共に不味い酒を飲もうじゃないか」

 栩麗琇那は顎を引き、叔父を見た。

「不味いと仰る割に幸せそうな顔で召し上がりますね」

 甥の分の食事も半分かた平らげた枸紗名は、口をすぼめた。

「不味いとは言うてない。翠界の方が美味いと言うたのだ。わたしがせっかく隠して表現しておるのに、シェリフはいちいち掘り返しおる」

 少年は、愉快そうに笑声をこぼした。

蒼杜(そうと)なら鵜呑みにする?」

 いや、と枸紗名は唇の端をほころばせた。

「そなたらは見た目と頭の良さは同じだが、性格はまるで違う。蒼杜は、解っていてニコニコ応対する。場合によってはシェリフより底意地が悪いな」

 大君は言って、悪戯っぽい目つきでこちらを見た。「今後も加賀の一族とやり取りはあろう。全て蒼杜とシェリフが仲介する故、そなたも気をつけることだ。この二人は突如、驚かせてくれるぞ。そなたの帰郷の話も然りだ。いつの間にかわたしも、手の中で踊らされておった」

 侮りがたしと思っている人物が、また別の相手を侮るなと言う。世の中、上には上が居るものである。


 数時間後、飛行機はフランスに到着した。

 空港まで迎えに来ていたマーニュ家の車に乗り換え、栩麗琇那には九年半ぶりの屋敷に着く。全くと言っていい程、古い館は変わっていなかった。

 大君が工面した二日間は、残り八時間ほどになっていた。三人は休まず、シェリフの母の部屋〝フローラの間〟に向かった。

 荷物が交換された。ルウの民二人の偽造パスポートと枸紗名の衣服、そうして、世界を繋ぐ媒体の首飾り。

 ペンダントを栩麗琇那の掌に乗せ、シェリフは息をついた。

「ひとまず約束が果たせる」

「長い間、すまなかった」

「礼は要らない。君が来なければ、〝兄弟〟のことも、母さんの話が真実だったことも知らずに生きていくところだった。俺も感謝しているから、お互い様だ」

 この顔触れでまみえるのも、この先あり得ないだろう。

 三人は握手を交わし、栩麗琇那と枸紗名は二人でプラチナの鎖を手にした。シェリフが目印として壁に掛けたという、風景画へ歩み寄る。

 言葉は無く、三人は同時に片手を上げた。

 次の一歩でルウの皇子と大君は碧界から消え、一瞬後には翠界に現れていた。

 昼前だったフランスと同時刻か、初春の暖かな陽光が降り注ぐ。

 無風だった室内から風の吹く丘に立ち、栩麗琇那は目を細めた。隣で枸紗名が、やれやれ、と呟いて鎖から手を放した。

「やっと結界を解ける。空気だけは、こちらが断然に澄明。これはシェリフにもそのまま表現した」

 順応力があった幼い栩麗琇那でさえ、慣れるのに丸一年以上かかった碧界の大気だ。ここの環境に慣れきっている叔父が結界を解いたのは、シェリフと別れの握手をした、ついさっきの僅かな間だけだったろう。

 横手から、しとやかに草を踏む音がした。今し方別れたばかりの少年が、朧に見覚えのある医事者の衣に身を包んでやって来た。別れたばかりではなく、九年ぶりの少年だった。

 姿形はシェリフとまるで同様に成長を遂げ、蒼杜はやんわりと微笑んだ。

「御無事で何よりです」

 枸紗名が微笑を返した。

「有意義な休暇であった」

「そう見受けられます」

 蒼杜は応じ、澄み切った緑眼をこちらに向けた。「直にお詫びできることが叶い、言葉もありません、皇子」

 栩麗琇那は微かな笑みを作った。

「詫びは要らない。シェリフにも礼は要らないと言われた。同じことだ」

「では、お言葉に甘えます」

 蒼杜は胸元に手をあて、一礼した。そして、手紙の文面のように丁寧に言葉を繋いだ。「とはいえ、今後、某かお役に立ちたく思います。いつでも構いませんので、是非、リィリにお越し下さい」

 碧界に行く前から作法を叩き込まれている皇子は、つられた返事をした。

「伺う。今少し迷惑をかけると思うが、良しなに」

 枸紗名が、風に流れた長めの黒髪を背に払いつつ、言った。

「さて、メイフェスは夜半ゆえ、話は明日からだ。そなた、あの飛行機とか言う乗物の中でも、仮眠をとっていないだろう。今日はもう、ゆっくり寝なさい。老が手配している筈。すぐにも横になれよう」

 今居るこの大陸とルウの民が住んでいる島とは、半日の時差がある。眷属の多くは、只今就寝中だ。

 栩麗琇那が頷くと、大君は風の流れを追うように目線を流した。

「明日の正午に老との面会を約束しておるから、それまでには起きなさい。正式にそなたを皇帝とする」

「分かりました」

 再度、栩麗琇那が頷いた時、風に勢いが出た。丘の草々が、ざ……とざわめき、雪に似た粒が視界を舞った。白い、小さな――

 不意に、激しい虚脱感に襲われた。

『雪柳って、すぐ散っちゃうけど綺麗ね……』

 澄んだ声が蘇り、栩麗琇那はただただ白い花びらの流れを目に映した。

 あの時、同じく綺麗に見えたのは――君が、居たから……

 自然に溢れた素晴らしい故郷の景色が、たちまち色褪せた。色褪せ、モノトーンに変わっていく。

 栩麗琇那の一部は、この日から、麻痺した。

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