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例えばこんな恋語り  作者: K+
16章 秒読み(ビョウヨみ)

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82/125

 その日も、二時五十分のスクールバスに乗り、琴巳(ことみ)栩麗琇那(くりしゅうな)と青葉高校前で降りた。

 夕飯の買い物をスーパーでして、荷物持ちを当然のようにしてくれる青年に甘え、琴巳は空のバスケットだけを手に帰路についた。

 琴巳の他愛ない話を栩麗琇那はのんびりした風情で聞き、たまに相槌を打ってくれる。

 全ていつも通りの、土曜日の夕暮れ時だった。自宅に帰り着くまでは。

 公士(こうし)は今日も部活に汗しているのだろう、帰って来ていなかった。栩麗琇那が台所に荷物を置く隙に、琴巳は手早く洗面所に入る。手洗いうがいを済ませて出たところで、玄関のチャイムが鳴った。

 客の対応は栩麗琇那の役目で、彼はすぐ台所から出て来た。お願いしまーす、と琴巳が言うと、あぁ、と相変わらずの短い返答をする。

 買って来た物を冷蔵庫にしまうべく、琴巳は入れ代わりに台所へ入った。この時間だと回覧板かな? と推測をたてる。何にせよ、彼に任せておけば大丈夫だ。

 玄関が開く音を耳にしつつ、琴巳も冷蔵庫を開けた。牛乳パックをごとんと立てた音に混じって、やぁ、と親しげな若い男性の声が聞こえた。栩麗琇那とはまた違った、耳に馴染むいい声だった。

 以前に、聞いたような気がした。

「取り敢えず、上がってくれ」

 聞き慣れた美声が言い、琴巳はせかせか冷蔵物をレジ袋から移した。上がるなら、茶か何かを出さねば。急いで冷蔵庫を閉め、琴巳は台所から顔を覗かせた。

 どくん、と心臓が音をたてた。

「こんばんは」

 玄関から上がったプラチナブロンドの少年が、こちらに向かって流暢な日本語を口にした。美しい緑の目を、光を含ませ細める。「初めまして」

 琴巳は一瞬、きょとんとした。初対面ではない。彼――シェリフとは、二年ほど前、放課後に会ったことがある。

「いらっしゃい、ませ」

 頭に疑問符を残したまま、琴巳は少年の後ろに、正真正銘、初対面の人物を見た。艶やかな黒い髪。栩麗琇那を見慣れた琴巳が、思わず見とれてしまう程の容姿。

 栩麗琇那とさほど変わらぬ歳恰好のその男性は、深い青の瞳で見下ろしてきた。優しい眼差しで、それに違わぬ甘い低声を紡ぐ。

「お邪魔する」

「は、はい」

 どぎまぎして応じる琴巳に、栩麗琇那が言った。

「俺はいいが、二人に何か出してくれないか」

「あ、ハイ」

 琴巳がシェリフのそっくりさんに顔を向けると、彼は心得たように、珈琲を、と注文した。見知らぬ客人を見上げると、ではわたしも、と言う。

 こっちに、と栩麗琇那が自室を開け、客達は促されるまま入って行った。何となく見送った琴巳は、ドアを閉めかける栩麗琇那と目が合った。多少の翳りを浮かべた紅茶色の双眸が、ふっと視線を外した。かちゃん、とドアが閉まる。

 不安がむくむくと湧いてきて、琴巳は珈琲を準備する手が震えた。

 あの二人は何者だろう。白金の髪に緑の瞳、中性的な面立ちに上手な日本語――シェリフだと思ったのに。そして、もう一人の大層な美男。栩麗琇那と並んで見劣りしないなんて、驚きだ。あんな美貌の持ち主は、そうそう居ないと思っていた。

 単に遊びに来たようではない。翠界(すいかい)で、何かあったのではないだろうか。

 少年がシェリフだと思った瞬間、琴巳は栩麗琇那が翠界に帰ってしまう気がした。少年は、青年を迎えに来たような気がした。

 嫌――ヤだ、どうしよう、心の準備ができてない――

 二年後も、笑顔で別れられるか、今は自信が無い。今日明日にでも、彼が消えてしまったら――?

 動揺した琴巳は、珈琲を注いだカップをソーサーに置き損ねた。音をたてて倒れてしまう。褐色の液体がテーブルに広がり、おたおたと台拭きを手にする。拭き取ろうとして、熱っ、と声をあげた。熱湯で淹れたての珈琲だ。熱くて当然だった。

 コンコン、と柱を叩く軽い音がした。慌てて振り返ると、白金の髪の客人が入口に立っていた。

「平気?」

「あっ、ごめ、ごめんなさい、淹れ直さないと、いけなくなっちゃって」

「いや、いい。やっぱり要らないと言いに来たんだ」

 琴巳は自分の家なのに、居場所の無い心地でうつむいた。逆に客人は、悠然と入口の枠にもたれた。「多分、君は又、一所懸命我慢して珈琲を淹れるだろう。それを呑気に口にするのも下卑た話だ。連れもその辺は洗練されているようだから、あの人の分も要らない」

「……あの、貴男はシェリフさんじゃ……?」

「覚えてるよ、加賀琴巳さん」

 やはりシェリフその人だったらしい少年は、じっとこちらを見た。「連れは、オオキミだ。向こうの世界でルウの民の頂点に居る。栩麗琇那にはおじらしい」

 どっどっと、鼓動が速まっていくのを琴巳は自覚した。

 シェリフは、恐れていた台詞を発した。

「迎えに来た、彼を」

 ドッ、と云う音を最後に、心臓が止まった錯覚に陥った。

 シェリフが淡々と続けた。

「オオキミが直々に説得に来ては、栩麗琇那も帰らざるを得ないだろう。別れに何か言いたければ、今のうちに頭を動かせ。オオキミは、最大で二日の時間を工面してここに来ている。四十八時間の内、既に十八時間経過した。残り三十時間内にあの二人はこの世界から消える」

 琴巳は、動けなかった。頭も体も、動かなかった。

 微かな音が、書斎の方から起こった。シェリフ、と栩麗琇那の声が呼びかけた。

 少年は、軽く片手を上げた。

「俺はここで珈琲をいただいている。二人で行って来るといい」

 栩麗琇那は、しばらく無言だった。が、やがて、頼む、と告げた。台所には、顔を出さずに。

 告げられてから、シェリフはこちらを見た。

九十五里(くじゅうごり)へ行った。帰って来たらそれが最後だ」

 琴巳は、ゆるゆると首を振った。

「か、考え、られな……」

「……無理に何か言わなくてもいい。けれど、もし言えるならと思ったまでだ」

 シェリフはそう言うと、口をつぐんだ。

 両手で顔を覆って、琴巳はがらんどうになってしまった頭の中を必死にまさぐった。最後の日、何か言うつもりだった。決めていたのに、記憶の抽斗が空っぽになってしまっている。

 どれぐらい時間が経ったのかも判らない。玄関で鍵音がして、琴巳はびくっとした。ガチッ、と閉まった扉を引く物音が続く。客人を迎え入れた時、栩麗琇那が、鍵を閉め忘れていたのだ。

 再び鍵を回す音がして、玄関が開いた。ただいま、と些少の疑いを含んだ弟の声が響いた。琴巳は、足の力が抜けた。

 立ったまま玄関に目を向けていたシェリフが、口を開いた。

「お邪魔してます」

「――はい」

 戸惑い気味の声で応じ、公士は台所に顔を覗かせた。テーブルに褐色の液体が広がっている上に、床に座り込んでしまっていた琴巳を見つけ、素早く客に目を流す。

 シェリフは、飄々とした雰囲気で肩をすくめた。

「いかにも不穏な状況だが、早まらないでほしい」

 公士は黙ってこちらを見る。琴巳は立ち上がろうとしたが、膝が震えて立てなかった。見てとったのか、公士は椅子に荷物を置くと歩み寄って来た。手近な椅子を引いてから、琴巳の腕を取る。

 弟の手を借りて椅子に座り、しっかりしろっ、と琴巳は心の内で叫んだ。

 こんなとこ、お兄ちゃんに見せたくない――心配させちゃうじゃないっ。

 懸命に琴巳が自分を保つうちに、公士はてきぱきとテーブルの上を片づけた。シェリフはその様を眺め、少年が一通り綺麗にしたところで、言い出した。

「琇那は急遽、フランスへ行くことになった」

「は?」

 琴巳の傍らで、公士は声をあげた。「な――んで?」

「彼が、君達のお祖父様の養子ということは知っているだろう。出生が判ったとでも言っておこうか」

「急遽、ってどういう――」

「俺達には九年以上前からの話だが、君達には急な話だろうと思って使った表現だ」

 シェリフは、怜悧な眼差しで言を継いだ。「見つかれば即時に帰る。彼とは元々そういう話だった。それで今晩、約定通りにしに来たのさ」

 公士は瞠目したまま、こちらを見た。見て、すぐにシェリフへ目を戻す。

「兄貴は、四年制大学に行ってる。まだ二年残ってる――九年前からの話って言っても、九年も経ってたら、兄貴だって、そんな、急に決められない筈です」

「面白い意見だ」

 シェリフは、一昨年、琴巳と話した時のような、変わった反応を見せた。この深刻極まりない空気の中で、楽しそうな表情をたたえる。「ソレに関しては、俺も何とかするつもりだ」

「…………」

「ま、大学は、きり良くやめられる時期だ、問題無い。それから、確かに急に決められないだろうが、決めざるを得ない。彼は数多の暮らしを守る為に、多くの〝社員〟をまとめていかないといけない。そういう立場の人間だったんだ」

 何も知らない公士は眉を寄せる。解ってしまう琴巳も、何も言えなかった。

 沈黙の中、時計の針が無情に周回を重ね。

 九時前、書斎のドアが開いた。

 自分の家のように落ち着き払った風情で、シェリフが枠から身を起こした。

「残りはこちらの御母堂のみだ」

 そうか、と栩麗琇那の低声が聞こえ、琴巳は両手で口を覆う。公士が入口へ駆け寄った。

「兄ちゃ――っえ――!?」

 入口から姿を消した公士は、当惑の声を出した。「物――何処に――!?」

 琴巳は、ふらつきながら立ち上がった。

 栩麗琇那が、静かに答えた。

「全部、九十五里に運んだ。処分は養父(とう)さん達に任せた。何か欲しい物があったら、やる。この二年、顔を見せてないだろう。この機会に行きな」

 若いおじの声が添えた。

「着る物など、背丈が近い故、良いやもしれぬな」

 栩麗琇那とオオキミは荷物を瞬間移動で運び去ってしまったのだ、琴巳が茫然としている間に。

 解って益々打ちのめされる琴巳の耳を、栩麗琇那の声が通過して行った。

「長い間、世話になった。今年は全国大会に応援に行きたかったが、残念だ」

「ば――こんな、いきなり――聞いてねぇよっ、何の話だよっ!!」

 声を荒げた公士に、オオキミが穏やかに言った。

「そなたらにはすまない話だが、解ってほしい。これまで甥を助けてくれたこと、一族皆、とても感謝している。これからお母上にも、その旨お礼申し上げに行く。許しておくれ」

 公士は絶句したのか、オオキミは今一人の少年に声を向けた。「シェリフ、先の娘御はどちらかな」

 そこに、とシェリフはこちらを示した。

「やっと立っているので、重ねて謝辞を受けるのも酷かな」

「ふむ……されば二度は言うまい。仕切を(あいだ)にお聞きいただけたものとする」

 若々しい外見の割に古風な物言いをしながら、オオキミは更な一人に水を向けた。「しかし、栩麗琇那からは何か一言あるべきだろう――申し上げなさい」

 琴巳は小刻みに首を振った。

 泣いちゃう――

 琴巳が泣いたら、彼はきっと困る。最後の最後で、それは嫌だ――

 後ずさりかけ、琴巳は椅子につまずいた。反射的に身体を捻り、背もたれにしがみついた時、栩麗琇那の声が背後から響いた。

「コトミ、俺のことは忘れろ。いいな」

 琴巳は、振り返れなかった。栩麗琇那がどんな風にその台詞を言ったのか、見れなかった。

 彼の、声を聞くのも、姿を見るのも、それが最後だったろうに。

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