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例えばこんな恋語り  作者: K+
17章 心の穴(ココロのアナ)

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84/125

1*

 大陸の皇領統治は三大家が分担しているものの、メイフェス島でルウの民を統べることは主家に一任されている。

 最高責任者は当主で、皇帝と称されていた。

 主家であるラル家が十年の長きに渡って空位に甘んじて来たのは、異界に皇帝の直系が確かに生存していると判っていたからに他ならない。

 行方知れずは行方知れずだったが、生きている以上、彼が帝位に就くべきだと当時のラル六老は判断した。元々分家が協力的だったからこそでもあるが、皇帝不在という前代未聞の状態で、何とか主家の面目を維持してきたわけだった。

 経緯(いきさつ)を、栩麗琇那(くりしゅうな)は苦々しい心地で理解した。

 自分のしたことが、後々の今となって、ねちねちと首を絞めてくる。

 異世界で生存しているのだと、領結界を放って知らせなければ、ラル家はとうに新たな帝を選出し、恙無く大陸の守護者の日々を送っていただろう。

 皇子(みこ)の件は、六〇三年の記録で〝消息不明となった〟と一文で片づけられ、終わっていただろうに……

 帰郷の翌日、栩麗琇那は始祖の島で四十一代皇帝となった。大君(おおきみ)の勅命を、ラル家六老、サージ、ティカ両大公代理は礼を以って謹み受けた。

『全てそなたに任せる。ちょっとやそっとの失敗で大陸もメイフェスもどうなるものでもない。好きにやってみなさい』

『我等、帝の方針に否やはありませぬ。思うままにお導きを』

 就任式後に大君と老達から言われ、栩麗琇那はそうさせてもらうことにした。

 これまでは皇帝に丸投げされていた幾つかも含め、宮殿内の職務を完全に部門化させた。単に議会で賛否を述べにだけ来ていた良家出身の宮殿勤めを一旦、全て解任。かなり抗議の声が出たが、苦情は老を中継するように宣言。経由して愚痴や恨み節の意見が届いた頃には、首都で公募した人材を面接で見極め、各部門への配属を終了させていた。

 結果、島の首都に在るラル宮殿での仕事は、(てい)の執務室を中心に回転し出した。徐々に、以前より円滑に、随時片づいていくようになった。

 一方、大陸での皇領統治は、碧界(へきかい)の様々な史実と照らし合わせてもまずまず理想的だった。だから栩麗琇那は、なるべく形態を踏襲し続けるつもりだ。

 徹底したインフラ整備、安全の確保、低い税率、貨幣価値の安定、職業選択と信仰の自由……ただ、移民と元からの住民を完全に同等に扱うべきではないと判じ、実質統治に当たっている主管と何度か会談を設け、受け入れの際の法や制度を整えてみた。


 皇帝が優先するべきは守護者の任を果たすことで、メイフェス島を統べる役目の多くはラル六老が担う。

 ラル宮殿の活性化が傍目にも明らかだったようで、老達は首都(コートリ・プノス)での業務分担を見様見真似で試みたらしい。些少なり無職者が減り、良い報告が集まったのだろう。老は六名共、宮殿に来る都度、言葉を尽くして新帝を賞賛した。

 しかし栩麗琇那は、無感動だった。

 仕事が順調でも、それを褒められても、何も感じなかった。習性的に賛嘆への礼を返し、返すと、仕事に戻りたい旨を口にする。

 老達は、帝のこの反応が気懸かりなようだった。栩麗琇那はそれを、事務役に抜擢した青年から聞いた。

「帝は邪界の影響を受けて表情を失くされたのではないかと、老方は噂しておいでです。おいたわしいことだ、と」

「そう」

 栩麗琇那はやはり無表情で応じる。「老に世間話をする余裕が出来たのは重畳だ」

「御意」

〝事務役〟は、わざと曖昧な名称にした部門だった。建前、皇帝秘書のようなもの、としている。本当のところは、老が表沙汰にしない、都や分家領内での情報収集を頼んでいた。所謂スパイだ。

 事務役は、一週間(六日)に一度、見聞きした事や栩麗琇那の依頼を受けて調べた事を報告に来る。表向きは、週初めの打ち合わせだ。


 栩麗琇那が古巣のラル宮殿に帰って来て、二ヵ月半が経過した。

 宮殿内は大方改変が済んで、栩麗琇那の過ごし易いようになっている。宮勤め達もそのようなので、この点はこれ以上執拗にいじることも無い。

 そろそろ、己が束ねる一族全体を把握せねばならない。

 十年近くの間に、ラル家の中だけでも、多くの場で世代交代が起こっている。

 身近なところでは、栩麗琇那が碧界へ迷い込んでしまった当時の老長(ろうおさ)柏林(ばいりん)が早くに亡くなり、皇子付側役だった泰佐が後を継いでいた。

 その頃の泰佐(たいさ)は、老と呼ばれるにはいささか若かった。いまわの柏林に長を指名されたものの、他の老は自分より年長ばかり。数年は肩身が狭かったようだ。最近になって周りが相次いで没し、同世代を同僚として迎えたという。

 現在、泰佐には帝代理を兼任してもらっている。読んで字の如くの役職だ。大君も大公も、代理には最も意思疎通の叶う、信頼する者を就けている。栩麗琇那も同様というか、ラル家の中で、近しい存在が泰佐しか居なかった。

 老長が代理職に就くなど前例の無いことだったが、ラル家の老達は却って一致団結し、代理で都を空ける機会が多くなった長のサポートに燃えているらしい。

 側役(そばやく)だった頃の生真面目さに加え長の風格と人望も備わり、栩麗琇那にしてみれば、泰佐が帝位に就くべきだと思える。


 今週、事務役は六老が(みやこ)をどう取りまとめているかの報告を携えて来ていた。余談として、彼等の噂話も聞いている次第だ。

「――他、老方が気にしておられるのは、帝が身の回りを御自分でなさっている点でしょうか。自立しておられて結構なれど、我等が行き届かないかのように分家からは見られよう、と」

「なるほど」

 執務机を挟んで向かいに座す青年を、栩麗琇那は上目づかいに見やった。「符馬の考えは?」

「他家がどう誹ろうと一向に構いませんが、幾らでも世話役を望める尊貴の御身分。そこは惜しいことかと」

「さて……そうは言っても、当の世話役のなり手が居るかな」

 栩麗琇那は机上で両手を組んだ。「未だ碧界の醜聞は色濃く、帝に謁見するは怖いもの見たさに似た心理。世話など、とてもとても――ふた月だと、そんなところでは」

 符馬(ふま)は目を見張った。

「恐れ入ります」

「まぁ、碧界に対する意識改革には時間がかかる。老も解っているだろうし、他家の者も察するだろうな」

「は」

「御苦労だった。次は取り立てて調べ物は無い。気儘な見聞を聞かせてほしい」

 符馬が退室し、栩麗琇那は一日の執務を終えた。整えた書類を籐箱にしまい、印章を手に部屋を出る。

 スムーズに仕事は進んでいるが、やらねばならないことは次から次に舞い込んで来る。今日も午前八時から午後六時まで、間に昼休憩を挟み八時間の実務を行った。この後は午後十一時まで、万一の事態に備え、皇帝はなるべく宮殿を空けないよう過ごす。

 ラル宮殿は二つのエリアに分けられている。皇帝が生活する後宮と、仕事をする執務宮に。

 二つの空間は一枚の壁と扉で区切られていて、その境界で仕事をする者が居た。この役目は、栩麗琇那の部門開設前からある。

 後宮には一族の機密文書が保管されている書庫があり、代々、人の出入りも含め監視が必要とされてきた。皇帝が居ない昼の間、後宮全体に鐘結界を張るのだ。

 栩麗琇那は一切の世話役を不要とし、後宮へは(あるじ)以外の出入りを無くしてしまった。書庫の文書を検めたが、監視するほど重要かというと首を捻る代物ばかり。故に境界役は廃止しても構わなかったけれど、後宮出入口には鍵が無い。いたずらに無職者を作ることも無いから、門番代わりに存続を決めた。

 栩麗琇那が扉に近づくと、境界役の男性が廊下脇の椅子から立ち上がった。この二ヵ月半で常套句となった台詞を聞かせる。

「変わりありません」

 栩麗琇那も在り来りと知りつつ、それしか言えず、言い続けている言葉をかけた。

「御苦労だった」

 皇帝が私生活の空間に戻れば、玄関ベル代わりになる結界を張るのは帝自身だ。境界役が自分の結界を解き、入れ代わりに栩麗琇那が張った。手続きが終わり、境界の扉を開ける。

 より孤独な空間に入ると、栩麗琇那は真っ暗な私室に瞬間移動した。宮殿は広大な中庭を巡って廊下が長く、私室は最奥だ。歩くのは面倒だった。

 十年前、この最奥の部屋は父が使っていた。十五年前は、父母が。

 東向きで縦長の窓が並んでいるが、カーテンを閉め切っている。数十畳ある洋風の室内には、暖炉とその前に毛の長い絨毯、大きな円柱型のクッションが二つ、丸い小卓に肘掛の付いた籐椅子が三脚。後は、やけに大きなベッドだけだ。こまごまとした私物は、隣接している小部屋にある。

 ここは、私室と言うより寝室で、ただ寝るだけの場だった。

 栩麗琇那は、移動してくるなり着替えも食事もせず、ベッドに倒れ込んだ。目を閉じ、早々と寝に入る。

 彼女に、会う為に。




 梅雨入りはまだだったが、六月らしく雨が降っていた。

 ぱたぱたっと葉に当たる雨音で、琴巳(ことみ)は目を覚ました。見慣れない周囲の様に瞬く。そこは、白っぽいカーテンに囲まれていた。

 身を起こし、ベッドを降りる。脇に、上履きが揃えて置いてあった。どうやらここは、学校の保健室だ。

 さら、とカーテンを寄せると、机で書き物をしていた白衣の女性が振り向いた。

「立って大丈夫? ふらふらしない?」

 軽い目眩があったが、はい、と琴巳は言った。養護教諭は、傍らの丸椅子に手先をあてた。「ま、ちょっと座って? 進路指導してて気絶した子なんて初めてだったのね、上杉先生が血相変えて運んで来てくださったのよ?」

 申し訳無くて琴巳はうつむく。教諭は立ち上がり、座ってて? と繰り返すとポットを手にした。

 琴巳が腰かける前で、教諭は背を向け、とぽとぽ湯を注ぐ音をたてつつ、言った。

「加賀さん、お昼食べた?」

「一応」

「それは、どんなもんかな――何を食べたか教えてくれない?」

「卵サンドを……」

「それを、幾つ?」

「……食欲が無くて、半分……」

「うーん、それってセンセには一口かもー」

 ふっと甘いココアの香が広がった。スプーンでかき混ぜ、教諭はマグカップを差し出した。「完璧、貧血よ。医者の不養生と一緒。お料理専門にやってこうって人が、それじゃ駄目だぞ」

「たはは」

 力無く琴巳は笑い、カップを受け取った。「いただきます」

「飲んで落ち着いたら、雨降ってるし、車で送ってあげる。で、御飯をしっかり食べる」

 教諭は椅子に座ると、覗き込むように見つめてきた。「それ以上痩せたら、転んだだけで骨が折れちゃいそう。ダイエットしてるとしたら、もう充分効果出てるよ?」

 琴巳はこくんと頷く。教諭は膝の上で両手を重ねた。

「上杉先生、慌てふためきながら、大学の方を勧めてみた途端に、って仰ってたわ。進路先について、親御さんと意見が合わなかったりしてるの?」

「誰も、反対してません……」

 琴巳は、ゆったりと湯気の上るココアに目を落とした。「急に、気が遠くなって……」

 二年の学年末、琴巳は学年八位まで成績を上げていた。それが、今年度初めの中間テストで三十七位に急落した。進路指導の先生にしてみれば、進路希望先が学力不要だからといって、勉学をおろそかにしてほしくないだろう。

『大学も考えてみる気は無いか? 加賀なら、やる気を出せば青大にも充分入れるぞ』

 青大と聞いた瞬間、琴巳は忘れなければいけないヒトを思い出してしまった。思い出した刹那、意識が薄れた……

 もう何処にも居ないのに、記憶が痕跡を捉えてしまう。気づかないフリをし続けていたけれど、二ヵ月で限界に達してしまった。上辺では上手くいっていると思ったが、心の奥は参っていたらしい。

 でも、考えちゃ駄目なの。

 ゆっくりゆっくりココアを飲み干してから、御迷惑をおかけしました、と琴巳は頭を下げた。

「食事、気をつけます」

「ん」

 気づかわしげな眼差しの養護教諭に、琴巳は小さく笑みを作った。

「先生、今日のこと、誰にも言わないで? 母は仕事があるし、弟はバスケットのチームを引っ張ってて、全国大会まで行けるかもしれない、大事な時なの」

 自分に言い聞かせるように、琴巳は言った。「応援に行く為にも、二度は倒れないようにするつもり」

「ふふ。オフレコは保健室の決まり事みたいなものよ?」

 教諭は、カップを持つ琴巳の手を、ぽんと叩いた。「弟君の結果を報告しに、また来てよ。勿論、今度は元気に、自分でね」

 はい、と琴巳が頬にえくぼを浮かべた時、こんこんっと入口がノックされた。どうぞー、と教諭が応じると、失礼します、とドアを引き、母が姿を見せた。琴巳は目を見開く。

「お母さ――」

「琴巳、平気なの!?」

 教諭が、貧血みたいです、と教えると、母は眉をひそめた。「御飯、食べてるでしょ!?」

「梅雨前から雨降りですからね。今日はちょっと、食欲が出なかったのかも」

 代わりに答えた教諭に、母は不安そうに訊いた。

「病院に行かなくても大丈夫かしら」

「機会のある時に健康診断をしてもらうのはいいことですけど、無理に行かなくても恐らく大丈夫です」

 母はほっと息を吐き出し、こちらを見る。琴巳は両手を頬にあてた。

「ごめんー」

「びっくりさせて。上杉先生から、突然倒れた、って聞いた時には寿命が縮んだぞっ」

 母が腰の脇に手をあてて言うと、教諭は笑い声を洩らした。

「車でいらしたんですか?」

「同僚がトバしてくれて」

 母の返事に、あちゃあ、と琴巳は思う。

「新田さん……?」

 そう、と答えが返って来た。

「丁度お客さん居なかったし予約も無かったから、お店閉めて来たのよ」

 大仰なことになってしまい、琴巳は罪悪感を覚えてしまう。教諭が、にっこり微笑んだ。

「じゃ、万事安心。お気をつけて」

 お世話になりました、と母がお辞儀し、琴巳も倣う。

 上杉先生にも挨拶してから、母子(おやこ)は一つの傘に入り、校舎を出た。校門の外で待っている車へ向かう。

 歩きながら、母が提案した。

「コウが帰って来るの待って、久々に、三人で御飯食べに行こう」

「ん」

 お母さんが入っても、三人なんだ……

 琴巳は又、頭がすうっとなりかかった。母の腕に寄り添い、何とか足を運ぶ。

 千鶴子(ちづこ)はじっと、そんな娘の横顔を見つめていた。

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