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例えばこんな恋語り  作者: K+
16章 秒読み(ビョウヨみ)

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 再び、琴巳(ことみ)栩麗琇那(くりしゅうな)の傍に居られるようになった。以前のように。

 とはいえ、まるっきり以前のようでもなかった。いつ離別の日が来るかとびくびくする必要が、ほぼ確実に無くなった。栩麗琇那は碧界での最後の交際相手として琴巳を認めてくれたようだから、別れの日は彼の大学卒業から数日後だろう。

 栩麗琇那がフった理由を話してくれた時、琴巳は、また彼を好きになった。彼が琴巳をフったのは、彼自身の為ではなく、琴巳の為だったから。自身を孤独にしてでも琴巳を優先させた心が判って、どうしても退けなくなった。

 孤独を嫌うくせに意地っ張りなヒトの傍に、居たかった。

 青葉大学の九月は慌ただしい。

 八日から二十二日まで試験やレポート提出の期間で、その後は末日まで各追試が行われる。栩麗琇那は十八日の語学の試験が最後で、後期の講義が始まる十月まで休みだった。しかし、青年は十八日以降も毎日通学している。アルバイトに、図書館まで。

 それで琴巳は土曜日の放課後、順子(よりこ)と歩道橋の所で別れ、青バス乗り場に立った。昨夜、今日もバイトだと聞き、昼の弁当を届けに行ってしまおう、と思いついたのだ。

 一緒にお昼食べていい? と訊いたら、青年は相も変わらず表情を出さなかったが、昼時のスクールバスの時間を教えてくれた。丁度こちらの学校が終わる頃合いで、琴巳は家に戻らず、そのまま行ってしまうことにした。

 肩から提げたトートバッグを胸元で抱き、琴巳はドキドキしながらバスが来るのを待った。制服のままだから、一目で高校生だと判ってしまう。乗せてもらえるだろうか。

 学生に紛れて乗ってしまいたかったけれど、既に追試期間の上、土曜日に昼から大学へ行く人はあまり居ないらしい。時間が近づいても学生の来る気配は無かった。そうこうするうち、青塗りのバスがやって来た。琴巳の前で停まり、ぷしゅー、とドアが開く。

 運転手の中年男性は、ためらう琴巳を不思議そうに見た。声をかけてくる。

「これは青葉大学まで行くバスだよ」

「乗って、いいですか」

「青大に行くつもりなら乗りな」

「の、乗ります」

 運転手は、可笑しそうに言った。

「はい、どうぞー」

 琴巳はホッとして、乗り込んだ。市営バスと違い、料金を払う箱や吊革が無い。最後尾以外は二人がけの座席だけだ。奥に一人、ここより前の停車地で乗ったのだろう、男性の先客が居た。琴巳は何となく、左側最前列の窓際に腰かける。

 時間になっても、琴巳以外は誰も乗って来なかった。運転手はドアを閉め、たった二人を乗せてバスを発車させた。後は真っ直ぐ、青葉大学へ向かう。

 十五分ほどで大学の門を通過し、去年のゴールデンウイークに歩いた桜並木の坂道を走り抜け、スクールバスはキャンパスの開けた場所に停まった。ドアが開く。

 部外者も料金を払わずに降りていいのかな、と琴巳は思った。後部に座っていた青年が、運転手に、どうも、と言って降りて行く。いってらっしゃい、と運転手は応じてから、青年を目で追っていた琴巳に声をかけてきた。

「ここが青葉大学だよ」

「は、はい。降ります」

 おずおず立つと、運転手はまた可笑しそうに言った。

「はい、いってらっしゃい」

「どうも、ありがとうございました」

 琴巳はぺこっと頭を下げてからバスを降りる。運転手は背後を指差して言った。

「まだ後ろからバスが来るからね。あんまり真ん中は歩かんようにしな?」

 琴巳は振り返りながら頷く。運転手は軽く手を上げると、ドアを閉めた。ゆっくり発車し、他のバスが並んでいる方へ行く。

 親切な人で良かった、と琴巳はバスの行方を寸時見送ってから、図書館を目指して歩き出した。ほんの少し高い所にある外観は、馬安図書館より大きく、九十五里中央図書館並に立派だ。洋風の、神殿みたいな印象の建物だった。

 段の低い白い階段を上がり出した時、出入口から美男子が出て来た。背景の雰囲気にぴったりの、留学生と言っても疑われないような面立ち。

 琴巳は顔をほころばせて手を振った。青年はすぐこちらを見て、穏やかな目をした。

 付き合いを再開してから、琴巳は一つ嬉しい点に気づいた。彼はこちらを捜し当てると、明らかに、目を和ませる。

 段の途中で並ぶと、栩麗琇那は心地好い低声を聞かせてくれた。

「早かったな」

「バスね、わたしも入れて二人しか乗ってなかったの。信号とかもすいすい通れたし、それでかな」

 なるほど、と応じてから、栩麗琇那は短く喉を鳴らした。

「ともかく、一人でよく来れたな」

 偉い偉い、と続けるので、琴巳はちょっとだけ口をすぼめる。

 前はそんなことなかったのに、栩麗琇那は琴巳を子供扱いする(ふし)がある。ひと月でも咲子のようなオトナの女性と付き合い、琴巳がやけに子供っぽく見えるのかもしれない。

 それとも、二年半で消え去るにあたり、完全に妹だと割り切って付き合うことにしたのか。彼がいだく琴巳への感情は八年前からずっと妹に対するモノで……三年前、少し女の子として見てみようか、という気になって……けれど帰還が定かになり、やはり妹だな、と落ち着いたか……

 もうこの際、妹でもいっか、と琴巳は諦めている。琴巳は栩麗琇那を好きで、傍に居られて、幸せだから。

 けれど最後の日に訊いてみたかった。わたしのコト、好きだった? と。咲子(さきこ)への返答のように、嫌いじゃなかった、とか何とか、かわされそうだが。

 階段を降り始めた栩麗琇那の背中を追って、琴巳は決めた。

 わたしは、お兄ちゃんのコト大好きだった、って言おうっと。一生の、素敵な思い出にする。こんな恋、二度とできないだろうから。

 降りきると、栩麗琇那は肩越しに振り返った。実に上品な仕種で、手を差し出す。

「前に食事した場所へ行かないか」

 うん、と応じながら、琴巳は手を重ねる。最後の段を降りても、足元がふわついた。

 一年半も前のこと、覚えてるのね。

「嬉し」

 琴巳は、えくぼの浮かんだ顔で言った。



 十月に入り、シェリフから九十五里(くじゅうごり)の加賀家に手紙が届いた。ラル家及び皇領アル地区の、六暦六一〇年、即ち一昨年の記録だろう。大体二ヵ月で一年分を複写して次々届けられていたが、今回は少々早く完成したようだ。

 九十五里からの連絡で栩麗琇那は即刻に瞬間移動で取りに行き、同じ方法ですぐさま馬安の私室に帰って来た。電話が入った時、琴巳が部屋に来たところだったから。

 部屋に降り立てば、そこに居な、と言った場所に、素直に琴巳は居た。こちらを向いて、椅子にちょこんと座っていた。にこっと愛らしい笑みを見せる。

「おかえりなさい」

 知らず目を細め、ただいま、と栩麗琇那は応じた。琴巳は、持って来ていた自分のマグカップを手に、立ち上がった。「わたし、居て大丈夫?」

「構わない」

 机に歩み寄り、栩麗琇那は皿の上のクッキーをつまんだ。「貢ぎ物だけ受け取って、追い出すのも酷だろう」

「今日、放課後たまたま咲子さんに会って、頑張って餌付けしてる? って訊かれたー」

 澄まし顔で琴巳がやり返してきて、栩麗琇那は口の端を曲げる。

「教育学落ちずに済みそうか俺が訊いてたと言ってくれ」

「学校でキスマーク付けられても知らないぞぅ?」

 琴巳は悪戯っぽく言いつつ、ベッドの脇に座り込んだ。「それ、読むんじゃないの?」

「読むけど、気にするな。大したことは書いてない。すぐ済む」

 実際のところ、皇帝が急逝し、即時後を継ぐ筈だった皇子(みこ)が忽然と消え、数年は大混乱だったようだ。その分、記録量も膨大だった。

 しかしそれも三、四年の事。六暦六〇八年辺りからは、ラル家に関しては内容が少なくなっている。反対に統治を司る皇領に関しては、不作から隣り合う地域より移民が流れ込んで来るなど、多少の注意を要しているらしい。

 ともあれ、何事かあっても、世界を間に挟んで俄か仕込みの(てい)に何ができよう。次期皇帝は成り行きを見守るばかりだ。

 封筒の代わりにパズル雑誌を手にすると、栩麗琇那は琴巳に向けた。

「これでもやってな」

 うん、と琴巳は嬉しそうな顔をする。無邪気なもんだ、と折り畳みテーブルを広げながら、栩麗琇那は内心で苦笑した。

 共に居れるのは二年半と、納得ずくでヨリが戻ったのはいいが、琴巳を翠界(すいかい)に誘惑しない為にも、栩麗琇那はこれまで同様、気持ちを出せない。

 もうすぐ十七になる少女は微かに色香らしきモノも纏い始め、傍に居る身としては以前に増して、手を出さずにやり過ごすのが一苦労だ。極力、静かに語り合ったりはせず、軽口を叩き合って遊びにでも興じるしかない。

 琴巳はそんな栩麗琇那の本音を知らないので、()れ事で誤魔化されるのがいささか不服らしい。が、半ば諦めているようだ。敢えてムードを求めてこようとはしなかった。

 テーブルの上で琴巳が雑誌を開き、栩麗琇那は向かいで封筒を開けた。例の如く、シェリフと蒼杜のそれぞれの手紙と、記録の束が入っていた。

 シェリフと蒼杜(そうと)はそっくりの筆跡だが、製紙は碧界(へきかい)が断然優れているので、一目でどちらの手紙か判る。

 真っ白な良質の紙を開くと、普段より多めに書かれていた。シェリフは、年二回やり取りしていた葉書のように、大抵は便箋の中央に一行、短文を書いてくる。それが今回は、数行に渡っていた。

【ふた月毎の定期配送も今年いっぱいだと思っていたが、少々ややこしくなりそうだ。何か言伝が有る時は電子メールを。そのまま書き起こし、向こうへ送る。  C】

 不穏な文面に、栩麗琇那は眉を曇らせた。手早く蒼杜の手紙を開く。こちらも、普段より文量があった。

【六一〇年の記録をお届けします。この年は天候にも恵まれ、各地共に事も無く、良き年でした。ですが今年はそうもいかないようです。

 本年、天候不順からサージソート王国より皇領アル地区へ多数の民が流出している由。サージソート側からアル地区の皇領府に、度々、安易な受け入れへの苦情が寄せられているそうです。

 アル地区内に於いても、現地の遊牧民と移民との間で揉め事が起こっている模様。

 現在、アル地区は境の警備を強化するにとどまり、流れ込んだ移民への各対応に手が回らないとか。帝がおられれば領結界のみで未然に防げた事態だとの声が上がっております。】

 栩麗琇那はくしゃっと髪をかき上げた。馬鹿な、と胸中に苦々しく呟く。

 軍隊のような大規模な人員展開を封じたのが、始祖ルウの編み出した領結界だ。皇領の地は視界の開けた大地だらけだのに、狭い関所からしか出入りができない。常人には見えない壁に覆われ、守られているのだ。

 それがアル地区へは、栩麗琇那が領結界を張っていない所為か、簡単に出入りできる状態になっているわけだった。しかしそれは、もう何年も前から判っている筈だ。

 ラル家の面々は、皇子が帰還しないケースを全く考慮していなかったとでも言うのだろうか。

【昨今、度々ラルの方々はこの種の困り事を告げて行かれます。思うに、記録をほぼ写し終えた事で、気が急いておられるのではないかと。

 領結界の負荷が如何ほどのものなのか、非才なる身には判りません。ただ、ラル家はこれを一刻も早く解消したいのだということは、ひしひしと伝わってきます。仲立ちの身としては、耳を傾けるしかできず、歯がゆくもあります。

 栩麗琇那、何事か、眷属に言葉を頂けないでしょうか。

 色好い御返事を、切に。  六暦六一二年八の月十日 蒼杜】

 僅かな不愉快を禁じ得ず、手紙を折った。

 栩麗琇那が帰りを遅らせたことを、シェリフと蒼杜、二人の天才は最良と見ていない。最良でないのは、栩麗琇那自身、解ってはいた。だから余計に、それとなく指摘されるのが苛立たしい。

 遅らせた理由の最たるを知ったら、二人はもっと早期の帰郷を勧めるかもしれなかった。それも予想してしまえる――要するに、最良どころか、まずい道を選択していると、栩麗琇那は解っている。

 けど、後もう少しだけ、この温かな空間に居たい。

 栩麗琇那は、向かいで熱心にクロスワードパズルを解いている少女を見た。琴巳はほどなく視線に気づき、はにかんだ笑みを浮かべた。

「読み終わった?」

「あぁ」

「たはは。解んない問題たくさんあるパズル、選んじゃった」

「コトミはそういうとこ、要領悪いよなぁ」

 言いながら覗き込み、栩麗琇那は無意識に微笑した。パズルには賞品が付いており、正解を書いて応募すると、抽選で当たる。

 琴巳がまばらに答を埋めたパズルの賞品は〝一万円分図書カード〟だった。

 加賀家で一番本を読んでいるのが誰か、栩麗琇那は把握している。他でもない自分だ。

 俺は二度と、こんな相手に巡り会えないだろう……

「この答の本は、この部屋にある」

「わ、探そ――宮沢賢治――」

 琴巳がさっと立ち上がり、栩麗琇那はゆっくり言う。

「一番端の、本棚――」

「きゃー、駄目駄目、言っちゃヤだ」

「早く見つけないと口が勝手に動きそうだ」

「ヤだヤだ、お兄ちゃん、次の問題やってて。これは探すっ」

「次の答も、この部屋にある」

「えぇ!? 嫌々、それも探すっ」

 栩麗琇那は短く笑い、カップを傾ける。

 こんな時間も、二度と無い……

 思うと、彼方に実在する者へ祈らずにいられなかった。

 神よ、今少しだけ……

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