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ルウの民が住んでいるメイフェス島と他の人々が住んでいる大陸とは、十から十二時間の時差があった。
マーニュ家のあるフランスと、老夫妻の住まう日本とでは八時間。皇子にしてみれば、島から大陸に行く感覚でおおよそ間違いは無い。昼が夜で、夜が昼になる。
少年二人が瞬間移動で海岸に現れた時刻、日本は昼間の熱気がゆるゆると和らごうとしていた。
シェリフはしかし、暑い、と短く洩らした。
「日本は湿度が高いと聞いてたじゃないか。あー、しくじった」
自分の中のもう一人に言っているらしい。栩麗琇那は相槌を打たずに、小ぢんまりとした浜辺を見やった。対の輪の周辺に限らず、誰も居ない。ミツノ婦人は息子の死から立ち直ったんだろうか。
この服を持って行ったら、嫌でも思い出す。大丈夫かな……
シェリフが持ち手の付いた紙袋を提供してくれて、栩麗琇那はマサシの服を入れてきた。片手に提げている。
「栩麗琇那」
高い声が先からかかった。シェリフは既に、石段の手前まで行ってしまっていた。栩麗琇那は袋を揺らし、後を追いかける。
段差の低い階段を登りきると、八十一段、とシェリフは言った。栩麗琇那はちょっぴり驚く。
「そんなにあったんだ」
「登り易い階段だったな。だから、あまり段数を感じないのかもしれない」
気温に慣れてきたのか、シェリフはのんびりした風情で庭を眺め回した。「ネットで見たのに似てる。結構、日本的な庭だ」
栩麗琇那は玄関へ足を向けながら、問うた。
「君の家の庭はフランス的?」
「さぁ。ウチの場合は、余所者が簡単に屋敷まで辿り着けないように作られてる。来たばかりの使用人が、遭難したこともあったらしい」
「…………」
「庭に退避した君が見つからずに居られたのは、その所為でもあるね。庭師にとっては皮肉だな」
一体、マーニュ家は何を生業にしているのだろう。栩麗琇那が尋ねようとすると、シェリフは顔を傾けた。耳を澄ますような仕種だ。
玄関は目と鼻の先だった。横に開く型のそれは開いていなかったが、屋内から夫妻の声が聞こえてくる。気づいて、栩麗琇那は開きかけた口をつぐんだ。
「――たら、ためらうに決まってますっ」
婦人の声が憤るように響いた。「わたし達が向こうに行くべきなのよ。元々悪いのはこっちなのに、来させようなんて図々しい」
「図々しいとは何だ!」
老人の声も、荒かった。「わたしは認めたから提案したまでだぞっ。休み中だけでもあずかったら、あっちだって楽だろうと思っ――」
「だからそれが馴れ馴れしいんじゃないの! 今まで敷居を跨がせるどころか、デンワにも応じなかったのに。わたしがチヅコさんの立場でも訝しむわっ、急に豹変されて――わたし達は先ず、出向いて謝るべきなんですっ」
「相手は休みも無しに働いてる。職場にのこのこ行ったら却って迷惑だっ」
「年中無休なものですかっ。せっかくデンワに出てくれたんだから、都合を訊けば良かったんだわっ。それをいきなり、あんな切り出し方するなんて――」
「もう一度かければいいんだろう! もう一度っ!」
「話をしてくれなかったら、どうするつもりっ」
婦人は泣きそうな声音になった。「わたし達、一生孫の顔が見れないんだわ――あなたの所為よっ」
「なんで、わたしだけの所為になるっ!?」
栩麗琇那は家を間違えた気さえして、やり取りを内心おろおろと聞くばかりだった。が、隣に居た少年は平然としたものだった。
「そろそろ止めよう」
「そう、そうだ、その通り」
栩麗琇那が小刻みに頷くと、シェリフは戸口脇の柱にあった僅かな出っ張りに手をのばした。踵を上げて何とか届く。ティントン、と奇妙な音がした。
ぴたりと、言い争いの声が途絶えた。
栩麗琇那は、シェリフを見やった。
「今の音、それに触ったから?」
「そう。この音もね、電気の力で起こしているんだ」
「わぁ……」
皇子という肩書が無ければ、栩麗琇那もただの好奇心旺盛な子供である。シェリフが柱から一歩引いたので、栩麗琇那も背伸びをして出っ張りを押した。ちょこっと触れただけで、ティン! と音が起こる。不自然なような自然なような、奇天烈な音だ。
老人の、はいはい、と投げやりっぽい声が聞こえた。姿が、曇り硝子の向こうに、ぼんやりと現れる。鍵に手をかけた恰好で、何方、と誰何してきた。
シェリフは一歩引いたままの場所で両腕を組む。元より栩麗琇那も、こんなことを彼に頼るつもりは無い。
「先日お世話になりました、栩麗琇那です」
「え――あ、待ちなさい、すぐ開ける」
言われなくても、速い手の動きが透かし見えた。勢い良く戸が開く。老人が、目を見張って問うた。「どうしたんだい」
応じる前に、まぁ! と奥から婦人が声をあげて出て来た。寸前まで口喧嘩をしていたとは微塵も感じさせず、老人に並ぶ。栩麗琇那も知らぬ顔で、手にしていた紙袋を渡し、礼を述べた。まぁまぁわざわざどうもありがとう、と婦人が更に礼を言う。それに一礼で応えてから、一応、老夫婦に経緯を告げた。
日本に滞在していた時は半信半疑の様子で栩麗琇那の話を聞いていた老人も、今回はシェリフという生き証人が居る所為か、完全な真顔だった。そうか、と一つ頷く。婦人の方は、お友達ができて良かったわねぇ、と的を射ているような射ていないようなことを言った。
話が一段落したところで、シェリフが口を開いた。
「僕も父も日本贔屓なんです。これも何かの縁です。良かったら今後、仲良くしませんか」
夫妻は、やや意表を衝かれたような顔をした。彼がここまで日本語に通じていたことが、意外だったようだ。
天才少年は、そんな反応は知ったことではないらしい。返事も得ないうちから胸の隠しに手を入れ、四角い紙片を取り出した。老人に向けながら、話を進める。
「僕の名前に、家のジュウショとデンワ、電子メールのあどれすです。折々にかーどでも、やり取りできるといいですね」
老人は流れに呑まれた感で受け取り、一拍遅れてから、婦人を見た。
「おい、ウチのジュウショ――」
「あ、はい」
婦人はそわそわと玄関から居間の方へ行き、すぐに紙と筆記具を持って戻って来た。シェリフがすかさず、カン字とかにはヒラ仮名をふっておいてください、と注文をつける。
じゃあ普通に書いちゃっていいのね、と婦人は言いながら〝加賀亘〟と記した。電子メールのは無いからジュウショとデンワね、と更に書きつけた婦人が言うと、結構です、とシェリフはにっこり笑って紙を手にする。
「父が喜びます。そのうち、そのテのお便りを出しますので、そちらも、気が向いたら何かください」
老人が少々戸惑いがちに言った。
「ネンガジョウとかショチュウミマイなんかで、いいかい?」
「あー、はい。うん、風流ですね。そういうのをください」
シェリフは笑みを絶やさずに応じてから、こちらを見た。「じゃ、栩麗琇那、そろそろお暇しようか」
ルウの民は和を保つのが役目だ。知らぬ同士だった二家に交流が生まれ、皇子として、栩麗琇那は何となしに嬉しかった。口の端を上げて頷く。
夫妻が、異口同音に台詞を紡いだ。
「元気で」
「お二人も、末永く、仲良く」
栩麗琇那が心から言うと、老夫妻はちらっと目を見交わす。
「心がけよう」
老人の返答に、栩麗琇那はほっとした。
マーニュ家は、五百年ばかり続いている旧家だそうだ。
生業は、まぁ色々、とシェリフは教えてくれた。新当主である父親が力を入れようとしているのは、幾つか所有している葡萄園の有効活用だという。
先代は、不動産購入や投資が好きだったらしい。時が味方したそうで、随分と資産を増やしたらしい。
シェリフは嫡男。今のところ、将来は家の切り盛りをしていくつもりだと語った。〝今のところ〟と前置きが付くのは、神童ゆえに、他にも選択肢が多々あるからだ。
神童でなくても、十歳にも満たない少年が今から道を一つに絞ることもない。皇帝となるのが決まってしまっている栩麗琇那には、羨ましい話だった。
『来月から、かなだにあるダイガク機関の研究所に客員で行くんだ。世界に数台しかない装置があってね、それを使って実験するちーむに加えてもらえたのさ』
昼食後にそんな話をして、シェリフは自室に招いてくれた。
部屋は三つあり、内二つを栩麗琇那は見せてもらえた。一つは、職人の工場のようだった。照明具以外の怪しげな物体が、幾つも天井から下がっていた。工具だ、と説明を受けた後は、突っ込んで訊くのをやめた。
工場を横切って入った隣の部屋は、取り敢えずまともだった。九歳の少年が使うにしては大きな書棚と机が目を引く。書棚には厚さの様々な書物が並び、机には幾つか薄い板型の機械が乗っていた。その中でテレビに似た物を示し、パソコンだ、と言うと、シェリフは電気を点けた。
付属している仕掛を使い、少年は出ている画面を次々変えた。
『これが、さっき言ったダイガクのほーむぺーじ。こうやって、家に居ながらにして、遠くの場所の情報を知ったりできるんだ』
横書きで記された文字が、栩麗琇那には読めなかった。そして何やら、目がチカチカしてくる。それでも、色鮮やかな絵や文字が絶え間無く出て来るからくりが、とても面白かった。
操作を覚えられるかもと、シェリフはげーむなる画面を出してくれた。
まうすという小型機械の使い方や画面上の規則を教わり、栩麗琇那は罠探しの遊びができるようになった。たくさんの桝目に隠された落とし穴を、手がかりを基に見つけていく。
シェリフはしばらく栩麗琇那の扱いようを見物し、呑み込めたようだね、と口笛を鳴らした。
『その調子で全部見つけるまでやってみな。成功する頃にはエドモンも帰って来るだろう』
『パソコン、占領してていいのか』
『あっちに、のーと型っていうパソコンがある』
シェリフは、書棚の脇にもう一つあった机を指さした。その上は割と雑然としていて、たくさんの書物が積まれていた。『機能はほぼ同じなんだ。僕はあっちのでメールに返事するから、君は気にしないで楽しんでくれ』
そんなこんなで、栩麗琇那は一時間ほど罠探しをしていた。罠は桝目内に全部で九十九個あり、目印を付けていく。気づかずに落とし穴を探ってしまうと、落っこちたということで、初めからやり直しとなる。
何度も繰り返した結果、やっと九十九個をきちんと見つけた。画面に冠のような絵が出て来て、ぴかぴかと光沢を表現した。画面上の遊びなので、褒美も画面上だけらしい。
中央に白い長方形が現われ、左端が点滅した。栩麗琇那は小首を傾げ、シェリフの方を見た。メールへの返事はとうに終わっていたのか、本を読んでいた少年は、奥の椅子に斜めに腰かけていて、視線にすぐ気づいた。
「いいすこあが出たかな」
「終わったら冠みたいな絵が出て来て、今は、白い四角が出て来てる」
「短時間で成功すると、名前と時間を記録しておけるんだ」
言いながら、シェリフは立ち上がった。「君の名前、入れよう」
シェリフは画面を覗いて、へぇ、と洩らした。きーぼーどという板上に、楽器を奏するように指を踊らせる。白枠の中に、Kurishuhnaと異界の文字が出た。
「僕が作った記録の次点だ」
「ふぅん」
確かに、Kurishuhnaの上にCherifというのがある。並んでいるのは二つだけだった。
「こっちは、君の名前なんだ?」
「そう。上位五番手まで記録しておける。また挑戦するかい?」
栩麗琇那は首を振った。机上に置かれた時計を見る。二時をまわっていた。
「エドモン、帰って来たかな」
「あぁ、そうか」
パソコンの電気を切りつつ、シェリフは言った。「いい加減な予想だったけど、帰って来てるかもな。客間に戻るとしよう」
当てずっぽうだったらしい予想は、的中していたようである。
少年達が客間の椅子に座ると、さほどせずに扉が叩かれた。
栩麗琇那は、身を固めた。扉向こうに居るのが、一昨日の、もう一つの殺気の主だと判る。
皇子の反応に眉を動かし、どうぞ、とシェリフはフランス語をかけた。
屋敷の主とそっくりな無音の開け方をして、壮年の男が姿を見せた。こちらを見る時、一瞬だけ、碧い稲妻のような眼光が閃いた。
シェリフは立ち上がると、失礼、とこちらにフランス語で言った。扉口に佇む男へ歩み寄りながら、日本語を向ける。
「エドモン、へっどの行方、目星は?」
「あー、はい」
エドモンは、異国語に対応した。「申し上げにくいんですが、時間がかかりそうです」
表情に出そうな気がして、栩麗琇那はマーニュ家の二人に背を向けた。窓へ目をやる。
シェリフは、客人が日本語には通じていないとエドモンに思わせた。栩麗琇那に一番通じる言語で、直に状況を聞かせてくれるつもりらしい。
「二店目までは突き止めました。その二店目が、かなり表も裏も脈を持っていまして。で、裏に流したようなんです」
少々口早に、エドモンは報告した。「わたしは、これから一人連れてぱりへ向かいます。その方面のノミの市に流れた可能性が出てきたので」
「早いな、それは」
「あの愚かな雌猫は、売り値を上げる為か、マーニュ家からいただいた物だと、素性を露呈していたんです」
エドモンの口調が、苦々しくなった。「お蔭で、マーニュを試そうという輩から、関わりたくない輩までが、各々の思惑で次々流したようで」
「…………」
「これは、坊ちゃんが保管したいと旦那様に仰ったとか」
シャラ、と音が聞こえた。エドモンの手からシェリフの手へ、鎖が渡されたらしい。「それのへっどだけは何としても見つけ出します。奥様の形見とあっては、何年かかろうとも、必ず」
年!? と栩麗琇那は聞き返しそうになってしまった。外を見たまま茫然としてしまう。
「頼む」
シェリフが言った後、音は無かったが気配が遠ざかっていく。栩麗琇那は振り返った。開いたままの扉の先に、エドモンの姿は無い。
シェリフが、手にしていた鎖を掲げた。
「例の部屋に行こう」




