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琴巳の新学期初日は悲しいスタートとなった。三年間同じクラスだった順子と、別のクラスになってしまったのだ。
琴巳は三組、順子は五組だった。隣のクラスにもなれなかったわけだ。お互いしょんぼりしたが、中一の時みたいに忘れ物の貸し借りができるようになったね、と慰め合い、それぞれのクラスへ入った。
三組に入った琴巳は、親友と離れた上に、実に気まずい思いをする羽目になった。
あいうえお順に席へ着いたところ、琴巳の場所は、武に片想いしていた霧島八重の前。目が合って、あ、と思った瞬間、八重はふいっと目を逸らした。微かに唇を噛んだ表情に、琴巳は胸を衝かれた。
僅か半日のHRが、琴巳には大層苦しかった。背後から、チクチクと棘を刺されているような心地……
三組での一日が終了すると、琴巳はトートバッグを抱き締めるように持ち、足早に教室を出た。出るとすぐ、順子が声をかけてきた。
「門まで一緒に帰ろ」
嬉し泣きしそうになったが、こらえて、琴巳はえくぼを作る。
八重のことを話すと、並んで昇降口を出ながら、順子は眉をひそめた。
「シンドい時は、休み時間とか五組に来な? 瑠璃や堀っちも居るし」
ありがと、と琴巳は口許がほころぶ。けれど、拗ねた気分でバッグを振った。
「三組に居る元五組の子って、各仲良しグループから一人ずつ選り分けられてる感じ。あ、でも元五組だけじゃないかも。霧島さんも、仲良しの子と離れ離れになったみたいだった……」
今頃、去年付き添って来ていた背の高いあの少女に、八重も愚痴を言っているかもしれない。
琴巳が嘆息すると、そういえばぁ、と順子がおもむろに言い出した。
「リっち、四組になったけどー、それが青高の四組らしいんだぁ」
「――は?」
「二年の特例で、男女一名ずつ、トレードするんだって。で、リっち、俄然張り切って立候補して、めでたく向こうの二年四組に入るって決まったんだってー」
校門の寸前で、えぇ!? と琴巳は足を止めてしまった。
「そんな話、初めて聞いた――いつからトレードの話なんて出てたっけ」
役員会議で聞き漏らしていたとしか思えない。失態に、顔から血の気が引く。
順子は、やにわに、にやにやした。瞬く琴巳に、親友は歌うように言った。
「遅ればせながらー、エープリルフールぅ」
あんぐりとなった琴巳の横で、順子はくくっと笑う。「リっちだとあり得そうなトコロがミソみたいだね。堀っちは疑ってきたけど、瑠璃は琴巳みたいに信じちゃって」
四組に行った以外の元五組全員に試したいネタだよ、と順子が締め括り、琴巳は両頬に手をあてる。
「ヤだ、信じきっちゃったぁ」
正直に言ってから、琴巳は引っ掛かった自分が可笑しくなってきた。くすくす笑声をこぼす。「一人で男子校になんて、ふふっ、よく考えたら、ふふふっ」
後は笑いが込み上げて言葉にならなかった。順子も、くっくっく、と洩らす。
ひとしきり笑ってから校門を抜けると、順子は指を立てた。
「ホントのエープリルフールは過ぎちゃってるけど、一週間ぐらいなら、ズレてても笑って許せるっしょ。朝倉氏にも何か言って引っ掛けてみたら?」
「よーし、チャレンジだ。わたしだけ引っ掛かったんじゃ、悔しいもんね」
お茶目に応じ、琴巳は親友と手を振り合った。順子はバス通りの方へ。琴巳は、いつもの裏公園へ足を向ける。
あり得そうなトコロがミソか、と琴巳は瞳を上向けた。何やらワクワクしながら公園に入る。
武は例の如くベンチに座っていた。彼は大抵、琴巳より早く来ている。学校が終わると、とにかく真っ直ぐにここまで来ているのだろう。
お待たせ、と琴巳が言うと、武は優しく目を細めた。ぽん、とベンチの空いた隣を叩く。琴巳はすとんと腰を下ろし、どうやったら順子のように上手く切り出せるかと胸を高鳴らせた。
嘘は考慮済みだ。昨日言えず終いとなったことを、冗談に乗せて告げてしまおうかとも思ったが、それはブラックジョーク過ぎる。真面目に言うことにして、別のを思いついていた。
嘘をつこうつこうと琴巳がじりじりしているとは露知らず、武は組んだ足に頬杖をついた。
「何組になった?」
「三組」
琴巳は答えてから八重を思い出し、やや表情が曇る。
武は、あーあ、と、のけ反った。
「俺、六組だー。文化祭は行き来できないな」
あ、と琴巳は気を取り直し、話題を向けた。
「あのね、役員やったら――やったら、クラス違っても、結構、行き来できるよね?」
武はぐんっと身を戻した。待てよ、と不服そうな声を出す。
「俺はやらない。加賀と放課後過ごすのを楽しみにしてんのに――昨日、やるなって言っただろっ」
期待通りの反応に、琴巳は緩みかかる顔を必死に保った。両手を合わせ、ごめんね、と言う。
「あのね、あのー、また三組の副級長やることに、なっちゃったの」
「ぅえっ!?」
武が茫然となり、琴巳は限界だった。目元がほころんでしまう。武は表情を憮然としたモノに変え、何ニコニコしてんだ、と言う。
えへへー、と琴巳は満面に笑みを浮かべた。
「ちょっとズレてるけど、エープリルフールだよぅ?」
武は一瞬表情を固め、がくっと肩を落とした。何だよ、と力の抜けた声を洩らす。
「びびった……」
「役員は、明後日決めるんだって。わたし、やらないから安心して?」
「……そーいや、ウチのクラスもそんなことを……」
ぽそぽそ武は言って、むぅ、と口を突き出した。「くっそー……弱いトコ突いてきやがって――」
こいつっ、と武は琴巳の髪をくしゃくしゃかき回した。きゃー、と琴巳はおどけた悲鳴をあげる。
ちぇー、とぼやきつつ武は立ち上がると、スポーツバッグを肩から提げた。今日は中学も半ドンだそうで、彼は蘇座中でコーチである。そうそう長話もできなかった。
「エープリルフールなんて、当日もころっと忘れてたぜ。何か悔しいなぁ」
公園を出ながら、琴巳はイケナイ誘惑をした。
「朝倉君も、日が経たないうちに誰かを引っ掛けてみたら?」
やってみるか、と武はにんまり笑う。
小悪魔的な笑みを交わし、二人は歩道橋前で道を違えた。
四月、中高生は新学期が始まったが、大学生は未だ春休みだ。
休み前から、栩麗琇那はアルバイトを始めた。
これまではいつ翠界への帰郷が叶うか知れず、学生の本分だけに甘んじてきた。今は帰還の日が大学卒業後と判っているから好きに働ける。
ルウの皇子が選んだ職場は、青葉大学の図書館。本の整理をするのが、職務内容だ。他のバイトと比較すると大して給金は良くないが、栩麗琇那には充分の報酬だった。最低限、昼食代が稼げればそれでいい。
去年の夏前までは琴巳が弁当を作ってくれていたけれど、別れた経緯上、それ以後は学食等で済ませるしかなかった。こんなことで仕送りに手をつける自分に引っ掛かりを感じていたので、バイト先が見つかって一安心である。
昼過ぎに仕事が終わり、栩麗琇那は軽食をとってから家路についた。
近所の庭木をのんびり眺めながら歩く。周囲の木々は、一斉に芽吹きつつあった。今日は春風も穏やかな、気持ちのいい天気だ。
帰ったら一眠りするか、と腕時計を見て思う。
昨年のクリスマスイブ以来、栩麗琇那は寝不足がすっかり解消された。
あの晩、眠ってしまった琴巳を部屋に運んだ時、境界を越えてしまった。この線は越えまいと、自分を律してきたさなかの事。
けれども、後悔しきれずにいる。翌朝、幸いにも琴巳が何も覚えていなかったようなので。
あの時、部屋に着いて明かりを点けたら、ふっと彼女が目を開いたのだ。流れるように細い指をのばし、耳元を撫でてきた。硬直した栩麗琇那に、琴巳は全くためらいを見せず唇を重ねてきた。
耳朶から走り抜けた激情と初めて味わった唇の感触に、ただただ立ち尽くしてしまった。
琴巳は、唇を離すと栩麗琇那の肩にもたれ、えもいわれぬ幸せそうな顔をして、良かったぁ、とコメントした。
酔った挙句に寝惚けていると判り、栩麗琇那は安堵し、手早く少女をベッドに寝かせた。
布団を掛けようとすると、琴巳はセーターの裾をつまんできた。艶やかな唇が、微かに動いて何事か言っていた。また撫でられないように用心しながら耳を寄せると、二人きりになると離れて行くのが嫌だと訴えていた。
傷つけていたと知って罪悪感をいだいたら、駄目押しの一言を彼女は洩らした。嫌いにならないで、と。
我慢できなかった。
お姫様と言えば、王子のキスで目覚めるのが定番だけど……
栩麗琇那は思い返しながら、片手で口許を覆う。
皇子がキスをしたら、琴巳姫はいたく心地好さげにすうすうと寝息をたてだした。
お蔭で、彼女との口づけを思い出すと、初め興奮するが、最後はあの寝顔を思い出してこちらも眠りたくなる。
ぼうっとなって、栩麗琇那は危うく電柱にぶつかりかけた。歩きながら思い出すのはよそう、と心の内で苦笑する。
家の門を開けた辺りで、鼻が香ばしい匂いを捉えた。ポテトパイかな、と鍵を出しつつ想像する。
「ただいま」
玄関に入ると、お兄ちゃん帰って来た、と澄んだ声が聞こえた。栩麗琇那は足元を見やってから、電話か、と目を上げる。靴は、琴巳のしかない。
「うん、分かった――はぁい」
応答の声がして、栩麗琇那は洗面所に行く前に台所へ顔を出す。受話器を置いたばかりだろう琴巳が、顔を上げて笑いかけてきた。「おかえり。今、お母さんから電話でね、懸賞でビールが当たったんだって。お店の住所で出した方のが当たって、あっちに届いたから、取りに来て、って。新田さんと山分けしてもまだ重いらしいの。お兄ちゃん、お願いできる?」
「そう」
栩麗琇那は踵を返すと再び玄関を出る。閉めたばかりだった門を開けると、後ろから、お兄ちゃん、と琴巳がサンダルで駆けて来た。丸いタッパーを向けてくる。
「これ丁度焼き立て。おつまみにどうぞ、って持ってって?」
無言で受け取ると、琴巳はもう一方の手を開いた。クラッカーが一枚乗っている。「お駄賃」
「これだけ?」
つまみ上げて訊くと、琴巳は可愛い顔を悪戯っぽくさせた。
「寄り道しないで帰って来れたら、御褒美あげます」
「分かった」
くっと笑ってから、栩麗琇那は美容院へ歩き出す。琴巳の声がかかった。
「珈琲、紅茶、お茶、その他?」
「紅茶」
肩越しに振り返って答えると、はーい、と琴巳は応じて家へ入って行った。ささやかな幸せに目を細め、栩麗琇那はクラッカーを口に入れた。美味が広がり、幸福に輪をかける。
こういう時はテレポートしてしまいたい。公士が帰って来るまで二人で居られそうだってのに、歩くなんてまどろっこしい。
クリスマスイブの時点で、琴巳は栩麗琇那を好いていたらしい。それに関しては心中複雑だ。あの日はデート直後だった筈だから尚更。もしかしたら、デート中に相手とささいな行き違いが生じて、栩麗琇那を懐かしんでしまったのかもしれない。以降は上手くいっているのか、付き合いは続いているようだ。
やる瀬無かったが、琴巳が翠界に来てしまうよりはましだった。栩麗琇那はこれまで通り、恋人がいるかのように振る舞っている。
ただ、今年に入ってから、故意に琴巳との間に距離を作るのはやめた。家族としてごく自然と思われる時は、二人きりにもなる。それは、孤独な皇子にとって何物にも代えがたい時間になっていた。
栩麗琇那はふわつく足をせかせか動かし、美容院カガへ入った。クラッカーを渡し、缶ビール三ダースを抱える。千鶴子と弟子の新田嬢が目を丸くした意味を察する間も惜しんで、それじゃ、とドアを開け、早々に店を後にした。
家に帰り着き、わざと開けたままにしておいたらしい門を閉めた時、ひゅ、と強めに春風が吹き上げて来た。手の傍を何かがすり抜ける。
風下に目を流すと、宙を舞って行く深い赤色の点が映った。
花びらのようだった。




