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例えばこんな恋語り  作者: K+
15章 恋再び(コイフタタび)

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 翌日曜日の朝八時前、電話がかかってきた。

 オレかも、と出た弟は、はい、と何度か返答した後、保留ボタンを押した。朝食の片づけをしていた琴巳を横目に見ながら、受話器を置く。

朝倉(あさくら)クン」

「え――こんな早くにどうしたんだろ」

 琴巳は何となく二階へ上がり、子機を取った。近くの部屋ではまだ母が寝ているので、私室へ入る。「お待たせしました」

〔おはよう〕

 静かに低声が聞こえてきた。〔加賀、薔薇、どうしよう……〕

「あらら、もう傷んできてるの?」

 あぁ、と言う返事に、琴巳は机に駆け寄った。「昨日、ドライフラワーにする手順を教えてもらったの」

 机の前の小さなコルクボードに、昨朝、台所のボードに留めてあった母からのメモがある。見ながら説明しかけると、武が言った。

〔これから、来て。〝坂杉橋(さかすぎばし)〟まで迎えに行く〕

 メモを読んで聞かされても解んないか、と琴巳(ことみ)は合点した。じゃ行くね、と諒解し、電話を切る。

 階下へ戻ると、栩麗琇那(くりしゅうな)公士(こうし)とで片づけを終わらせてくれていた。琴巳は礼を言いながら、二人を見やる。

「今日、お昼作れるか判んないから、悪いけど適当に済ませて?」

「オレ、部活あるから外で食うし」

 公士が言うと、続いて栩麗琇那も言った。

「俺は九十五里(くじゅうごり)に用事がある。気にしないでいい」

「あ、良かった」

 三人はそれぞれ動き出し、琴巳は八時半前、自宅を後にする。

 九時をだいぶまわって、朝倉家最寄りのバス停に着いた。バス停の近くに佇んでいた武は、どことなく暗い顔つきだった。三千円も出した薔薇が二日ももたずで、ショックなのかもしれなかった。

 琴巳が近づくと、(たけし)はきゅっと手を握ってきた。すぐさま歩き出す。琴巳は小走り気味について行きつつ、背中に問うた。

「そんなに、傷んでるの?」

「……半分ぐらい」

「中には大丈夫なのもあるんだ?」

「あぁ」

 そう応じた声が奇妙に低く、琴巳は何やらそれ以上話しかけられなくなった。二人は黙々と歩き、マンションに着いた。

 お邪魔しまーす、と小声で言い、琴巳は出されたスリッパを履く。

 一昨日豪華な食事を楽しんだテーブルに、クリスタルの花瓶と薔薇がそのまま置いてあった。

 花のボリュームが減って見え、テーブルに歩み寄った琴巳は隣を見上げた。

「傷んだヤツ、捨てたの?」

 武は奥へ目を流す。視線を追った琴巳は、瞬いた。部屋に向け、深紅の花びらがちらほら落ちている。「何……?」

「前に映画で観たんだ。ああやってベッドに誘うシーンを」

 息を呑み、琴巳は武を見た。異様に静かな双眸が見返してくる。「花瓶探してた時、ついでにゴムも見つけた。使うから安心しろ」

「そ、そ……ゆ、問題じゃ……」

 声が掠れ、琴巳は後ずさった。「ヤだ……わた……か、帰る」

「帰さない」

 つい、と武は脇を通り過ぎた。ぎょっとして振り返った琴巳の目前で、玄関の鍵をかけてしまう。御丁寧にチェーンまで。「今日一日、居てもらう」

 武が戻って来て、琴巳は震える足を動かした。バッグを抱き締め、テーブルを回り込む。

 テーブルを挟んだ向かいで、武は足を止めた。花瓶を持ち上げると、向けてくる。

「昨日は、冗談だった。けど、今は本気だ」

 何の話か解らないまま、琴巳は向けられた花をちらっと見る。深紅の間に純白。花に、カードが引っ掛かっていた。恐る恐る手にすると、何か書いてある。

【結婚しよ】

 ぞっとして、琴巳は凍りついたように身を固めた。

 何故いきなりこんな展開になってしまったのか、まるで解らない。一昨日は、指一本触れずに帰す自信があると言ってくれた人が――

 今は本気――昨日は、冗談……?

 琴巳はカードをテーブルに置いた。焦燥する頭で、引っ掛かりを口にする。

「き、昨日、こんな冗談、聞いてない」

 武は花瓶を置き、悠然とさえ感じる仕種でカウンタに寄りかかった。

「エープリルフールだ、って嘘や冗談が許されるなら、やっぱり加賀を引っ掛けたかった。で、蘇中に行く途中で思いついた。だから、トバして、早引けして、家の近くまで行って……」

 台詞を切ると、武はダンッとカウンタを叩いた。「なんで別れた男と家から出て来るっ!?」

 琴巳は目を見開き、両手で口を覆った。

「どうなってんだ、お前等っ。ああやって週末にあいつと会ってて、キスが忘れられないって――当たり前じゃんかっ!!」

「お、お兄ちゃん、ウチに、下宿してるんだもの。どうしても顔合わせ――」

「お兄ちゃん、って、お前――」

 ハッとして琴巳は口を結ぶ。武はせわしく髪をかき回した。「下宿だ? 今まで実の兄貴の話だと思ってたのは、全部あいつ? 前の男の話を、俺は面白がって聞いてたのか!?」

 琴巳は、震える声を必死に紡いだ。

「い、言い出せ、なくて……お兄ちゃ……親戚、なの」

 カウンタに叩きつけた少年の拳が、ぶるぶる震えた。

「何でもかんでも、我慢できると思ってるのか……? 自分の女が他の――前の男と同居なんて、傍観してられるか」

 キッと見据えられ、琴巳は息が止まる。思わず足を引く。

 武は、ゆっくり歩み寄って来た。

「加賀、あいつに、余所に移ってもらえ」

「そ、そんなの無茶――」

「じゃ、加賀がここに来な。俺と一緒に住もう」

 ふるふると琴巳は首を振った。

「同居してるって、言っても、兄妹みたいな、モノなの。もう四年以上、お兄ちゃんとわたし、何もない。キスなんて、一度も、してくれなかった」

 眉を上げた武を見上げ、琴巳は目頭が熱くなってきた。「でも、幸せだった。付き合ってた時、わたしだけ、幸せで……全部、一方通行で……」

 武は、動かなかった。先刻までの異様な気迫が消え、琴巳はバッグを抱き直す。妬いて迫る程のことではないと、解ってもらえたのだろうか。

 ややして、ぽつんと、低声が言った。

「違うよ、加賀」

「え……?」

「あいつ、抑えてるんだ……多分、今でも……」

 武は途中で口をつぐみ、琴巳の指先を手にかけた。「今まで何もないなら、俺は尚更、加賀を手に入れておきたい」

 ぎくんとする琴巳に、武は続けた。

「その気が無いなら、帰りな。俺には抑えられない。だったら終わるしかない」

 何故そうなるのか、琴巳には解らなかった。何が、違うのか。

「今、決めないと、駄目なの……?」

 武は手を放した。玄関に行くと、チェーンと鍵を外す。

「迷うなら、俺がキレないうちに早く帰れ」

 ポーンポーンとカウンタの時計が鳴り出した。

 ……三回、四回、五回……

 四、三、と低声がカウントを始め、琴巳はぱたたっと玄関に走った。細かい部分はさっぱりでも、彼の要求ははっきりしている。それに対してだけは、琴巳の答も。

 一、と十回目の音を数え、武は琴巳とすれ違いに部屋へ上がった。

 二人は、同時に言った。

「さよなら……」




 一日を九十五里で潰すつもりだったが、朝の電話で栩麗琇那は予定を変えた。

 朝っぱらから琴巳が他の男の元へ行くと判っては、心穏やかに養父母と過ごせそうにない。

 シェリフから手紙が来たら、知らせてくれるように頼んでいた。昨夜、その知らせが来た。だから、今日は手紙を取りに行き、ついでに両親と団欒しようと思っていたのだ。しかしもはや、そんな気分ではない。さっさと手紙を取って来て、部屋で不貞寝したい。

 姉弟が相次いで出て行き、九時を少しまわると、いつも通りに千鶴子(ちづこ)が起き出して来た。琴巳が作り置きしていた朝食をとり、十時前、仕事に出かけて行く。毎日よくよくパワフルな三十八歳だ。

 いってらっしゃい、と見送ってから、栩麗琇那は台所の電話で九十五里の加賀家へかけた。用が入ってゆっくりできなくなったので、これから部屋に瞬間移動すると伝える。

 分かった、と返答を得て、電話を切ると馬安(うまやす)の家から姿を消す。

 九十五里の自宅で封筒を手にし、階下に居た養父母に挨拶して、栩麗琇那は十分もかけずに馬安の書斎に戻って来た。机に封筒を置くと、ベッドに倒れ込む。

 琴巳の相手の名は、アサクラというらしい。今朝、電話を取った公士が口にした名だ。アサクラというと、以前、琴巳が、根気強くて云々と言っていた少年だろう。解ると、彼女の隣に居た後ろ姿は、かの少年だった気もしてくる。

 あいつなら、コトミを大事にしているだろう……

 ぼんやりと部屋の片隅を目に映した。疲労を感じ、瞼を閉じる。こんな現実を生きるくらいなら、眠って、幸福な夢だけを見ていたい。甘いキスの、夢を。

 複雑な心境で口づけを思い返した所為か、希望に反して今日はなかなか寝つけなかった。枕に顔をうずめ、栩麗琇那は切ない心を持て余した。

 小さくドアがノックされ、栩麗琇那は心臓が飛び上がった。誰か、家に帰って来ていたらしい。目を走らせた時計は、もうすぐ十一時を示そうとしていた。千鶴子はあり得まい、公士も違う気がする。そうなると、琴巳――?

 栩麗琇那はばっと身を起こすと、急いで身なりを整えた。

 そろっとドアが開き、愛しい姿が現れた。居住まいを正す栩麗琇那に、琴巳は微かな笑みを見せた。

「これから、出かけるの……?」

「いや――もう、行って、帰って来たんだ」

 琴巳は、持って出たバッグを胸元で抱き締めるようにした。帰って来たばかりらしいと見てとる栩麗琇那に、少女はうつむきがちに言った。

「じゃ、お昼、一緒に、どう……?」

「――あぁ、悪い。頼む」

 喜んだ反面、訝しさも感じた。琴巳の表情は、感情を抑えている時のものだ。口調に元気が無いところからしても、つらい気持ちをしまい込んでいる。

 琴巳は口をつぐんで、床に目を落とした。何か立ち去りがたそうな風情で、栩麗琇那はぞくぞくっとした。

 まずい、と思う。包んでしまいたい、この腕に――

 衝動に、立ち上がった。机の封筒を掴む。

「用意始める時、呼んでくれ。手伝うから」

 琴巳は肩をすくめた。漆黒の瞳が潤んだのが判って、栩麗琇那はハッとする。琴巳は素早く踵を返すと、ドアを閉めた。

 何があった――

 少女を追い、栩麗琇那はドアを開けた。階段を駆け上がる音に、唇を噛む。部屋まで追えない。そういう立場を、自分は作り上げてしまった。

 黙って、居てやれば良かった。彼女の望みは、それだけだったろうに。

 栩麗琇那は、くしゃっと髪をかき上げた。考えろ、と自己をあおる。

 頼まれたから、泣きたい気分だろうと、琴巳は昼食を作りに降りて来るだろう。

 部屋を出て、栩麗琇那は台所に入った。野菜駕籠を覗く。思う物を見留め、一人頷いた。

 他の材料も上手い具合に揃っていて、よし、と口の中で呟いた。後は気晴らしに、シェリフからの手紙に目を通すことにする。

 封筒の中身は、昨年末から届くようになった、ラル家及び皇領アル地区の記録だ。先日、六年前のモノまで目を通した。また次が来たのだ。今度は、五年前の。

 私室に戻り、栩麗琇那はこれまでの記録を取り出した。ぱらぱらとめくってから、新しく持って来た封を開ける。

 添えられた蒼杜(そうと)の手紙には、それなりに太平らしい翠界(すいかい)事情が記されていた。平安は何処の世界でも歓迎すべきだ。

 翠界も本来は、ルウの民など居なくとも、大陸の人間だけで地域を保っていくのが理想だ。ただ、どうも昨今、大陸ではまともな術者の数が減少傾向にあるらしい。益々、大陸の守護者としてルウの民の責任は重くなっている。

 奇妙な留学生活で時を費やしたこの身が、主家の当主のみならず、一族をまとめる皇帝としてやっていけるのかは霧の中だ。

 一つ息をついて手紙を閉じると、細く開けておいたドアから、鼻声がかかった。

「お兄ちゃん……」

 栩麗琇那はやんわりと目を流した。琴巳は、恐らく懸命に、小さな笑みを浮かべた。「御飯、そろそろ作る」

「あぁ」

 椅子から立ち上がり、歩き出しながら胸が痛んだ。残すところ三年。三年しか、こうして居られない。琴巳が何かに絶望しても、傍に居ることさえ、三年後はできない。

 一緒に居る時間を削るのは、本当に正しい選択だろうか。

 部屋を出て、栩麗琇那は自問してしまった。

 苦しんで出した結論に、間違いは無い筈。けれど、結果、琴巳が傷ついている様を見ると、悩む。三年で傷が癒されなかった時、彼女の前から栩麗琇那が姿を消したら、更に傷口が広がるのではないかと……

 台所に入り、琴巳は訊いてきた。

「何か、食べたいのある?」

「ナポリタン」

「入れる物あるかな」

 呟いて、琴巳は野菜駕籠を見てから冷蔵庫を開ける。勢揃いだ、と栩麗琇那は内心で答えた。腕前はからきしだが、しょっちゅう傍で見ている。何を材料にしているかは、記憶している。

 琴巳は記憶に違わぬものを次々取り出した。テーブルに置くと、スペシャル版が作れそう、とほんの僅か口許をほころばせる。栩麗琇那はテーブル上のひと品を見て、ちょっとだけ口の端を上げた。

 早速、二人は用意にかかった。栩麗琇那は使う器具や食器を出す。琴巳は、玉葱の皮を剥き出した。栩麗琇那は距離をおき、素知らぬフリをする。

 やがて琴巳は、すん、と鼻を鳴らした。

 タオルを取って、栩麗琇那は差し出した。

「染みたか」

「……ん」

 琴巳は受け取り、顔をうずめた。「染みちゃっ……た……」

 嗚咽を洩らし出した少女を、青年は黙って傍で見つめていた。

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