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馬安中学出身者は文化祭を経験していない。
余計に、高校で初めて体験できた興奮は大きかった。準備の日々も当日も、後夜祭が終了し、後片づけをしている時さえ、この非日常が終わるのが惜しかった。
だが、人がいくら熱心に願っても時間は止まらない。宇宙は常に動いている。
日が沈みまた昇り、琴巳はいつもの場所で順子と合流して学校へ向かった。今日からはもう、通常通りの授業に戻る。本分の再開だ。
とはいえ、朝からそんな話題を持ち出す二人でもない。
興味津々の顔つきで、順子が昨日のことを尋ねてきた。
「朝倉氏は如何でしたかなぁ?」
「ボウリングとお好み焼きを教えてもらっちゃった」
はにかみつつも琴巳は報告する。「お好み焼きね、初めてお店で作ったの。とっても美味しかった。ばっちりメモしたし、今度フライパンで作ってみる。味見しに来ない?」
「ラッキー。食べる食べる」
順子は顔を輝かせる。
「メモとるの楽だったんだぁ。お好み焼き屋さんの小父さんと小母さんが親切で、ネタ生地の隠し味まで教えてくれたの」
「わぉ。感じのいいお店に行ったんだねぇ」
「蘇座中バスケ部の御用達なんだって」
琴巳は言って、くすくす笑った。「他にもそういうラーメン屋さんとかが、あるみたい。今度はそっちに連れてってくれるって」
「あはは。そしたら今度は手打ちラーメンの作り方を教えてくれたりして?」
「ふふっ、教えて欲しいかも」
「そしたら、あたしも御相伴にあずかれるし」
にっと順子が笑い、琴巳はうんうんと相槌を打つ。
なるほどねー、と順子は鞄を後ろ手に持った。
「ボウリングにお好み焼きなんて、顕著にタイク会系な行き先だわ。健康的」
「そう、わたしは楽しかったのに、朝倉君はソコを気にしてたみたい」
琴巳は、昨日の別れ際を思い出した。「もっと気の利いた所を見つけておくから、また何処か一緒に行ってくれる? って……やたら腰が低かった。信じられないでしょ、OKするまで物凄く押しが強かったのに」
へーえ、と順子はおどけたように応じた。なるほどねー、とまた言う。
「女としてはそっちの方がいいんじゃないかな。居るみたいじゃん、知り合った頃は優しかったのに、付き合い出したらぞんざいになる奴。朝倉氏、逆パターンだ。琴巳にぞっこんってヤツぅ?」
順子は、にやにやしながらこちらを見た。琴巳は冷たい秋空の下で頬がほてった。さするうちに歩道橋が見えてきて、少年の言葉を思い出す。
『朝、歩道橋の上に居るから、手ぇ振って。そしたら、少なくとも青高の連中はナンパしてこなくなるから』
近づく歩道橋の上に、ブレザー姿の少年が欄干に頬杖をついているのが見えた。今日も真っ直ぐ、こちらを見ている。
琴巳は、恥ずかしかったが片手を上げた。ふるふるっと振る。武は、やんわり目を細めた。応じて、向こうも片手を上げる。
気づいた順子が、つんと肘で小突いてきた。
「上がってかないの?」
「目立つもん」
手を下ろし、琴巳は肩をすくめた。「朝に女子校通りから上がって行く梛女生なんて居ないでしょ」
「それもそっか」
歩道橋へ上がる階段前を通り過ぎつつ、琴巳は少年との約束を打ち明けた。
「朝は手を振るだけで、その代わり、放課後、裏公園で会おうって」
「今日は遅くなるんじゃなかった? 梛祭の会計部で、集計やるんでしょ」
「それ言ったら、尚更待ってる、って」
言いながら、ドキドキしてくる。「日が短くなってるから一人で帰るなんて駄目だ、って。家まで送る、って断言されちゃった」
「おやおや。肝心なトコでは押しの強さも健在か」
順子は相好を崩した。「こりゃあ、今日、送り狼に気をつけなきゃ、だ」
ひぇ、と琴巳は引っ繰り返った声をあげてしまう。順子はけらけら笑った。
武は橋の上から、そんな二人の少女が見えなくなるまで、幸せそうな眼差しで見送っていた。
午後六時半、梛女子高校の会計部役員達は、あてがわれていた部屋を引き払った。会計として同じメンバーが集まることは、二度と無い。
ねぎらいの言葉を交わしながら、総勢六人は来賓用玄関から外に出る。校舎内もそうだったが、冬へ近づく季節、外は真っ暗だった。大通りの明るさを目指し、皆校門へ向かう。
校門を出て、琴巳は一人、道が逆だった。他に誰も同じ方角が居ないと判り、お疲れさまでしたー、と挨拶する。五人が口々に、気をつけてよ? と言ってくれて、琴巳は会釈で応じた。
公園の方は住宅地に変わっていくので、日が暮れると人通りも減り、女性が一人で歩くには物騒だった。女子校がある所為か、痴漢が出るという噂もある。
公園はすぐそこだったが、琴巳は皆と離れると心持ち早足になった。一番近い明かりはその公園の街灯以外に無い。道の先は暗く、やはりどことなく怖かった。
通称〝裏公園〟は、箱庭程度しかない広さで、ブランコ、滑り台、砂場、鉄棒が密集している。そして、おまけといった感じで、ベンチが一つ。必要な物だけ取り敢えず詰めたような公園だ。
遠くで車の走る音が聞こえるが、公園に入った琴巳の周りは深閑としていた。ベンチに座った少年が街灯に照らし出されていて、琴巳はホッとする。彼は雑誌らしきモノに目を落としていた。
「遅くまでごめんね」
声をかけたが、武は反応してくれなかった。琴巳は首を傾げる。「朝倉君?」
すぴー、と聞こえ、琴巳は瞬いた。首を傾けたまま、腰を折る。覗き込むと、少年は目を閉じていた。すぴー、とまた聞こえる。寝ている。
気持ち良さそうな寝顔だったが、こんな寒い所で居眠りは良くない。琴巳は、ちょんちょん、と少年の冷たい手をつついた。ぴくん、と動いた手が、雑誌を握る。
薄目を開けて顔を上げ、武は目を見開いた。おたおたと両手で雑誌を持ち直す。
「っあ――」
「おはよぅ」
琴巳は、笑みを見せた。「お待たせ」
「あー、あぁ……」
武は胸をさすった。「バクバク云ってら」
「あ、驚いた? 風邪ひいちゃうと思って起こしたの、許して?」
「ん、サンキュ」
言って、武はぷるるっと身をすくめた。制服にマフラーを巻いただけのいでたちに、琴巳は眉をひそめる。
「ごめんね、遅くまで。身体冷えちゃったんだ、あったかくしなきゃ、ホントに風邪ひいちゃう」
武はぽやんとした顔で見上げてきた。表情に違わぬ口ぶりで、あぁ、と言う。琴巳は口をすぼめた。「寝惚けてるな?」
少年は表情を改めた。胸をごしごし擦ると、その手を向けてくる。
「手、つないで」
きゅっと琴巳は両手で包んだ。あ、と思う。擦った所為で、少し温かくなっていた。冷えた手をそのまま握らせたくなかったらしい。栩麗琇那によく似た、さり気無さ……
心が温かくなった琴巳に、武は目を細めた。
「目ぇ覚めた」
少年は片手で荷物を手にしながら、尋ねてきた。「今日も晩飯の買い物してくのか」
昨日、お好み焼き屋を出た後、武は琴巳を家まで送ってくれた。途中、琴巳は家で炊事を担当していることなどを話し、スーパーに寄り道した。武は嫌がりもせず、荷物持ちをしてくれたのだ。
行くなら付き合う、と言いたげな少年に、琴巳は首を振った。
「今日は何時になるか判らなかったから、作れません、ってメモしておいたの」
「じゃ、兄貴とコーシは外食か何かか」
立ち上がる少年を引っ張り上げながら、琴巳は瞳を上向けた。
「公士はどうかな。部活で疲れてるから外かもしれないけど、あの子も料理が好きだから。冷蔵庫あさって何か作るかも。安上がりだし」
「見かけによらないもんだな」
言ってから、武は琴巳の手を握ってきた。「加賀は今晩、外食しない?」
「いいけど……お家の人、御飯作ってくれてるんじゃない?」
公園を出つつ、言ってなかったっけ、と武は短く喉を鳴らした。
「俺は高校入ってから一人暮らししてる。親父がドイツに赴任中で、四月からおふくろもついてった」
琴巳は少なからず驚いた。
「大変そうねぇ」
「まぁ、どっちかって言うと、気楽さをより感じてる」
大通りに足を向け、武は言った。「何も気にせずに加賀と居られるからな。何かあったら夜中でも何でも呼びな。すぐ行く」
かっこいい台詞に、琴巳はドッキンとして見上げた。武は見返してきて、肩をすくめた。
「兄貴かコーシを呼んだ方が早いか」
「でも、嬉しかったよ?」
琴巳が笑んだら、そうか、と武は歯をこぼす。
大通りに出ると、少年はふと顔を背けた。へくしっ、とくしゃみの声が響き、琴巳は焦ってしまう。
「ヤだ、責任感じる。早くあったかいトコ――御飯、そこのファミレス入ろ?」
情けなさそうな顔で、武は鼻声を洩らした。
「んぁ……まさか昨日の今日で、また一緒に食事できると思わなかったからなぁ」
武は琴巳の手を持ったまま、脇に挟んでいた雑誌を取った。「ま、俺がセレクトしとくより、加賀の選んだ所に行った方がいいか」
雑誌が向いて、琴巳は空いた手で受け取った。表紙を見る。タウン誌で、見出しに〝噂のスポット30選〟とあった。昨日の別れ際に言っていたことを、彼は早速に実行していたのだ。気の利いた場所探し。
琴巳は雑誌を胸に抱えると、武を見上げた。
「せっかくだから、それぞれ行きたい所選んで、重なった場所に行かない?」
「なるほど」
「ファミレスだったら、時間粘れるからじっくり探せるでしょ?」
「あぁ」
武は笑った。「ただで珈琲お代わりできるし?」
そうそう、と琴巳も笑声をこぼす。
「この際たくさん飲んで、しっかりあったまろ? 一人暮らしなら気をつけなきゃ。行き場所決めても、風邪ひいたら、行けないでしょ?」
「あぁ、気をつける」
武は、握った手に僅かに力を込めてきた。「こんな近くに、心配する奴が居るもんな」
「うん。解ればヨロシー」
少し、少年は顔を寄せてきた。低声が、耳元で響いた。
「好きだよ」
気持ちが、ふわんと胸に降りてくる。
幸せそうに見つめてくる武に、うん、と琴巳はえくぼを見せた。




