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例えばこんな恋語り  作者: K+
13章 仮初め(カリソめ)

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 栩麗琇那(くりしゅうな)の月曜日三講義目は、モグリで受けている経済学である。

 十月まで、咲子(さきこ)と共通に受けているのはこの講義だけだった。だが、例の契約をした為、同じ講義は現在三つに増えている。この後の教育学もその一つだった。

 次も一緒の教室に行くのだが、栩麗琇那と咲子が並んで歩くのは帰りの時ぐらいだ。ところが今日は、咲子は同じ学科の友人と別れ、こちらにカッカッと靴音を響かせて来た。

「ちょーっといいかしら、加賀君」

 栩麗琇那は立ち上がりつつ、無言で疑似恋人を見た。視線を受け、咲子は口紅を塗った口を開く。「どうなってるの、貴方達って」

 言わんとするところが解りはしたが、それにしても出し抜けだ。栩麗琇那は眉を上げ、応じるまで間を要した。

「どうと訊かれても、質問の意図が解らないな」

「わたし、今朝、加賀琴巳(ことみ)ちゃんと話したのよ」

 名前を耳にした瞬間、動揺し、それを隠せなかった。出かかっていた出入口の角に、強か肩をぶつける。声はあげず、栩麗琇那は打ちつけた肩に手をやった。教室を出て、痛む箇所をさすりながら咲子に目を向ける。

 咲子は、上目づかいに見返してきた。

「やぁーっぱり、まだ好きなのね。名前だけで強烈な反応だこと」

「たまたまぶつかっただけだ」

「早口になってる」

 咲子はバインダノートを小脇に抱え、わけ解んないわ、と言った。「貴方達、喧嘩別れじゃないでしょ? 琴巳ちゃん、まだ加賀君のコト好きよ? で、加賀君も琴巳ちゃんが好き。わたし、加賀君がフられたんだと思ってたのに、逆みたいね、びっくりしちゃった。琴巳ちゃんは、貴男がホントに好きなコと居ると思ってる。どうなってるの、さっぱりだわ」

 栩麗琇那は視線を前に向けた。手を放した肩が、速い鼓動に合わせてずくずく疼く。

「決めつけるなと、何度も言ってる」

「琴巳ちゃん、いーい男と待ち合わせてたわよ?」

 思わず目を戻してしまった。見られた咲子は半眼を閉じる。「嘘じゃないわよ。タッパが加賀君と同じぐらいあったかな。それだけでデートする気になっちゃったのかもね」

「コトミはそんな軽はずみなことはしない」

 投げるように言って、栩麗琇那は足を速める。名前を口にしただけで、ずきっと肩が痛んだ。咲子はカカッ、とヒールを響かせながら後に続いた。

「そうね、そうやって琴巳ちゃんをよく解ってるのよね、加賀君――これはわたしの決めつけじゃないわ、事実よ――貴男、ずっとずっとあの子のことしか考えてない。今だってそうでしょっ?」

 ぐいっと咲子は袖を引いてきた。「今ならまだ間に合う。取り戻せる。今日のカレとは始めたばかりだったみたいだもの――」

「分かった」

 栩麗琇那は、立ち止まった。「それだけ聞けば充分だ。手を放せ」

 咲子はするっと手を放した。腕に掛かったショールを、肩に掛け直す。

「ふふ。残念だけど、契約社員は簡単に解雇されちゃうのよね。ま、頑張って、また仲良く一緒に登校して」

「何を言ってる。退職したいならやむを得ないが、解雇はしない」

 栩麗琇那は袖を正すついでに、肩を押さえた。手の震えも同時に抑え込む。「よりを戻す気は無い。彼女が新しく男を見つけたなら重畳だ」

「……何を言ってるって、こっちの台詞よ……」

 咲子は得体の知れないモノを見る目をした。「琴巳ちゃん、加賀君のコトちょっと話しただけで、泣きそうだったわよ……?」

「確かに、俺の方がフったからだろう」

 歩き出した栩麗琇那は、肩から胸に激痛を感じた。

 望んでいたことなのに。琴巳を包んでくれる人物が現れて欲しいと、切実に思っていた。しかし、泣きながらその人物と付き合う彼女を思うと、身を切られる心地がする。

 笑っていてほしいんだ、コトミ。俺は最近、コトミの泣き顔しか浮かんでこない。極上の笑顔を瞼に焼き付けて、この世界から消えたいのに。別の奴に笑いかけてる、明るい顔を見てから……

 ソンナノ見タクナイ――

 深淵で、本音中の本音が声をあげた。

 が、ルウの皇子(みこ)は心に栓をした。振り返り、半ば茫然としている咲子に声をかける。

「授業始まるぞ」

 栩麗琇那は事務的に告げた。「教育学はレポートや試験よりも出席重視だろ。本人が出ないことにはサポートのしようがない」

「わたし、退職する」

 ショールの端をくるりと振ると、咲子は首に巻き掛けた。「風の悪戯だったけど、琴巳ちゃんと話しちゃったもの。加賀君と一緒のトコ見せたくないわ。可哀相」

「…………」

十分(じゅっぷん)も話さなかったけど、可愛くて妹みたいな気がしちゃった。機会があったらまた話そって約束したの。次に会った時も落ち込んでるようなら言ってあげなきゃ、別れて良かったのよ、って」

 言葉の刃に、栩麗琇那は鋭く胸をえぐられた。

 僅かに目を落とし、皇子は感情のこもらない台詞を紡いだ。

「それでいい」

 とったばかりの経済学のノートを出し、栩麗琇那は放った。「解約手形だ。後期は追試にならないことを祈る」

 受け取った咲子が眉をひそめたのを最後に見て、栩麗琇那は背を向けた。四講義目の予定が無くなり、校舎を出る。


 教育学の講義が行われる教室の窓から、咲子は淡い茶色の髪を見た。スクールバスの中に消えて行く姿に、独り言を洩らす。

「どうなってるのよ……」




 孤独感をいだき、栩麗琇那は車窓から流れる景色を目に映していた。

 誰も居なくなってしまった。傍に居てくれる人が。

 窓硝子に、隣に座る見知らぬ女性が映っている。もはや、咲子をこうして見ることもないだろう。

 咲子でもいいから、隣に居て欲しくなった。彼女の話も、思えば風変わりで面白かった。落ち着かない心を、少し紛らせてくれていた。

 これから、どうするか……帰る度に誰かに声をかけ、途中まで歩いてもらうしかないか……

 はっきり言って、気乗りがしなかった。そもそも柄じゃない。

 琴巳は未だ栩麗琇那の嘘を()に受けているようだから、今後はとにかく、一人のところを見られないようにして切り抜けよう。

 そうしよう、と心の内で頷く。

 スクールバスは歩道橋の下を通り過ぎ、少し行った停車地で停まった。プシュー、と空気の抜ける音と共にドアが開く。隣の娘も席を立ち、栩麗琇那はスムーズに降りられた。今日は、日曜にあった文化祭の振替休日だから、琴巳の姿を捜す必要は無い。歩道に出て、家路へ足を向ける。

 ふと前方に目をやった栩麗琇那は、足を射抜かれたように立ち止まった。

 忘れようのない後ろ姿が、先を歩いている。見覚えのあるトートバッグを、見覚えのあるコートを着た肩に掛け……細い足が動く度に、綺麗に編み込んだ漆黒の髪の先が、背の中程で揺れている。

 そして、栩麗琇那は足の他に胸も射抜かれた錯覚に陥っていた。華奢な姿と手をつないで、自分以外が歩いている。短髪で長身。服装や肩幅からしても、男。

 先程打ちつけた肩が痛んだ。

 栩麗琇那は、ふらりと踵を返した。当ても無く歩き出す。

 消えてしまいたい……

 そのまま、のろのろと恋人達から遠ざかった。何歩か歩いた後に、ふっと姿を消す。


 さり気なく青年の後を追っていた女子大生が、声をあげた。

「あれ――?」

「ちょ、ちょっと、彼、何処!?」

 今一人が走り寄って問う。先の娘はぼうとした口ぶりで応じた。

「珍しく一人だったから……声かけてみようかと……」

「あたしも……思ったんだけど……」

 二人は顔を見合わせる。

「……一緒に白昼夢見たってこと……?」

「そんな馬鹿な――」

 彼女達には、それ以上の説明がつけられなかった。加賀琇那が瞬間移動を会得しているなど、正気の沙汰では思いつけない。


 二人の女子大生が茫然としている遥か後方で、漆黒の髪の少女は己が横を走ったスクールバスに気がついた。僅かに身を固くして、うつむく。

 隣の少年は、無言で振り返った。微かに唇を噛んで、少女に目を落とす。

「居ないよ」

 少女は肩をすくめた。

「っご、ごめん、なさい」

「あぁ」

 少年は穏やかな顔になった。「俺は、加賀が離れずにいてくれただけで充分だ」

 少女は、気持ち寄り添った。寄り添われた少年は、つと鼻を動かした。

「加賀って、いい匂いがする。今まで嗅いだことない匂いだけど、シャンプー? 香水?」

 少女はぽっと頬を染め、はにかみ顔で応えた。

「多分、石鹸の匂い。ハーブ製で防虫効果もあるらしくて、箪笥とかにも入れてるから」

「へぇ。普通の防虫剤よか、ずっといいな」

 少年が言うと、少女は笑顔を見せた。

「何か嬉し。友達は、好きって言ってくれたんだけど、公士(こうし)には、女臭い、って一言で片づけられちゃった。男の人はあんまり好きじゃない臭いなのかな、って思ってた」

 くっ、と少年は喉を鳴らした。

「コーシは本心を言ってない。俺も姉貴がいたら同じ反応をしたかもな」

 少女は少年を見上げ、ナルホド、と笑みを浮かべた。

 それは、栩麗琇那が、他の男に向けて欲しくなかった顔。


 恋人達が笑みを交わしている頃、青年は九十五里(くじゅうごり)の海岸に座り込んでいた。ぼうっと、寄せ返す波を目に映す。

 赤い日が傾き、やがて辺りが闇に包まれ。

 それに溶け込んだかのように、長いこと、青年は身動きさえしなかった。

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