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二学期の終業式、後はHRのみとなった教室で、琴巳は例の如く順子と居た。
約束を書き込む琴巳の手元を覗き込みながら、順子は机に頬杖をついた。
「クリスマスが空いてるとは思わなかったなぁ。朝倉氏、二日共ばっちりキープしてると思ってたよ」
「ドイツからお母さんが帰って来るんだって。空港までお迎えに行くそうなの」
琴巳は手帳の二十五日を埋めつつ、言った。「渋ってたけどね。お父さんは三十日なんだって。だから、一緒に帰って来りゃいいのにさ、って言ってた。でも、お母さんとしては、大事な一人息子に一日でも早く会いたいんだよねぇ」
くくっと順子は笑声をこぼした。
「親の心子知らずってね。青春真っ只中の朝倉氏としては、琴巳とスイートな二日間を過ごしたかったんだろな」
「イブはそれなりにムードのある所で過ごせるケドね」
琴巳は手帳を閉じながら、えくぼが浮かぶ。「ソップスに行くから、ヨリちゃんの分もケーキ買って来る。楽しみにしてて?」
順子は思わずか、身を乗り出して来た。
「まさか、イブにリザーブしてるの!?」
ソップスは、女性に大人気のケーキ店だ。馬安市の最も都心寄りに広がる繁華街の一角、高級高層ホテルの十一階にある。
休日等に店内で食べるには予約が必要で、その代わり注文数に関わらず、一時間半というゆったりした時間と、十一階からの素晴らしい眺めが提供される。洒落た拘りが人気に拍車をかけ、武の持っていたタウン誌にも紹介されていた。
「えへ。ひと月前に、運良く滑り込めたの」
言って、琴巳は頬をさする。
本当は、先月の二十八日、たまたま日曜だった琴巳の誕生日に行こうとしてくれたのだ、武は。けれど、何せ二人共慣れないことで、前日に予約の電話をした時にはとっくに席は埋まっていた。
隣で聞き耳を立てていた琴巳は断念したのだが、少年はそこで諦めなかった。すかさず、じゃ、次の休み――そだ、クリスマスかイブは? と切り換えたのだ。結果、なんとキャンセルで空いたばかりだった一席を手に入れたのである。
『事後承諾になっちゃったけど、イブ、空けといて』
かっこ良かった彼を思い出すと、琴巳は顔がほてってしまう。
順子は両手に頬をあずけ、面白そうに言った。
「朝倉氏にそんなセンスがあったのかぁ。今までお好み焼きだのラーメンだの聞いてたから、ちょっぴり意外ー。ケーキを前にお茶してる姿なんて、あんまり想像できないよ」
琴巳は瞳を上向けた。
「そうね……普通にお茶してるけど、想像しろって言われると難しいかな」
その点、お兄ちゃんは簡単に浮かんでくるな。お茶を飲んでる時の優雅ーな感じ。
脳裏に栩麗琇那が浮かんでから、琴巳はふと、哲朗と付き合っていた時のように、嫌な比べ方をしない自分に気づいた。栩麗琇那と武の違いを単純に受け入れている。
朝倉君のコト、お兄ちゃんくらい好きになってきてる……?
複雑で、不思議な心地だった。
クリスマスイブの街に夕暮れが近づき、ネオンが燈り出した。その下を、小さな粒がそれぞれの方角へ動いて行く。
シルトンホテルの二十一階は、ひと階が丸々展望台となっている。ソップスで素敵なひと時を過ごした後、琴巳は武とそこに来ていた。
硝子越しに眼下の景色を一通り眺めやり、琴巳は夕日が沈んだ辺りに目を移した。一面をオレンジ色に染めている、名残の夕焼けが綺麗だ。
「明日もいい天気みたい」
「あぁ」
並んで見やっていた武が応じた。「この辺でホワイトクリスマスは無理だな」
「ちょっと残念だなぁ」
琴巳は呟くように言いながら、再び階下を見た。十一階からとは十階分違う眺めだ。形として見えていた物が、殆ど点にしか見えなくなっている。
街路樹に絡まされた白い明かりが点滅を始め、夕日の欠片がチラチラ散っているように見えた。
わぁ、と琴巳は感嘆の声を洩らす。武も手摺の上で腕を組んで、下方を見た。
「これだけ大勢が動いているのを見るのは初めてだ」
武は、白い光よりその下を行く黒い点に感慨をいだいたらしい。琴巳も目を凝らし、人波を見つめた。
まったく、何処から集まって来るのかと思うくらい、結構な数だ。キリスト教徒でもないのに、クリスマスに合わせてこれだけ蠢く。日本人は風変わりだ。
しかも、どういう理由か、カップルが盛り上がる。琴巳達の周りも、男女の二人連れだらけだった。中には、思わずこちらがうつむいてしまうくらい熱々の二人も居る。
「こんなにたくさんの中から加賀に会えたのって、目茶苦茶ラッキーだ」
下を見たまま、独り言のように武は言った。「あれだけ歩いてる中に、加賀は居ないんだもんな」
トクンと胸が鳴り、琴巳は隣を見た。少年は視線に気づき、照れ臭そうに額に手をやった。正真正銘、独り言だったらしい。
琴巳は、半歩隣に寄った。
「確率から言ってもびっくりね。朝倉君も、ここにしか居ないんだもん」
あぁ、と応じると、武は琴巳の手を取った。
「良かった……夢じゃない」
手を握りながら、琴巳は数度瞬いた。付き合い出してからというもの、武は度々その台詞を言う。
「まだ信じられないの?」
「時々」
武は軽く笑った。「クラスの奴等もイマイチ信じてない。実はさ、付き合い出してすぐに賭けが持ち上がった。俺がいつ加賀にフられるかって」
えぇ? と琴巳は少年を見上げる。武は見返してきて、ホントは〝加賀には内緒〟って話だけど、と悪戯っぽく言った。
「頑張ろーな。賭けの対象期間は五組の面子が揃ってる間ってことで、三学期の終業式までになってる。今日までの何処かに賭けてた奴等が結構居たみたいで、長谷川の話じゃ、この分だと大穴だ、って。デートを豪華にできるかもな」
琴巳は頬が緩んだ。
「今日も相当豪華なのに?」
「そうか。豪華か」
武は嬉しそうに言ったが、そうだった、と琴巳は僅かに目を落とした。この場所は、二人共来たがったわけじゃない。タウン誌から選んだのは琴巳だけだった。武は付き合ってくれただけだ。
「今度の〝豪華〟は、朝倉君がそう思えるとこね?」
琴巳は、夜景になりつつある景色を目に映した。「次はわたしが付き合う」
展望台にやや暗めの照明が燈り、硝子に二人が映って見えた。半透明の武は、優しい笑みを浮かべていた。
「俺は、加賀と居られれば何処に行っても豪華な気分なんだけど」
武は琴巳の手を放すと、手摺にもたれかかった。指折り言い出す。「志羽駅で俺を見つけた時の表情も、並んで手をつないでくれた時も、人込みと高速エレベーターのダブルパンチで少し酔ったような顔も……」
「な、何の話?」
「加賀がやたら可愛かった時の話」
武はさらっと言った。「全部リアルタイムな上に隣や真向かいの特等席で見れるなんて、超豪華だ。まだあるぞ――浮足立ってソップスの席に座る仕種も可愛かった。ケーキが来た時の目のきらきら加減もなかなかだった。おまけに一口食べただけで目が潤んできてて……」
ひゃあぁ、と琴巳は熱い顔で両手をおたおたさせた。
「ストップ――っ」
ぱふっと琴巳は少年の口を両手で塞いだ。「び、びっくり――そんな、よく、そんな、見てて、覚えてて――」
ふわっと琴巳は両の手首を掴まれた。あ、と浮かせた手先に、それまで塞いでいた唇が触れた。きゃ、と小さく声を上げると、武はパと手を放す。放して、拗ね顔になった。
「キャはないよ、加賀。自分から触ってきといて」
琴巳は両手を胸元で組んだが、自分の手じゃないような気がしてしまう。
「て、手にキスされたことなんてなかったんだもん」
図らずも出した単語に、武は微妙な沈黙をした。気がついて、琴巳も口をつぐむ。
どきどきしつつ見やると、目が合った。
武の顔が近づいてきて、何となく、琴巳は瞼を閉じた。
唇に、温もりが訪れる。
生まれて初めての、口づけだった。




