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〔一、二年の級長、副級長は、会議室にお集まりください。繰り返します――〕
校内放送に、琴巳は食べかけの弁当箱の蓋を閉めた。間に合わなかったぁ、と洩らしつつ、机からノートと筆入れを取り出す。
机を向かい合わせて食事していた順子が、気の毒そうに言った。
「お昼もゆっくり食べられないなんてなぁ」
「でも、放課後に集まるよりはいいんだよね」
言いながら、琴巳は小さな手提げに弁当を片づける。「ごめんね、ヨリちゃん、食べてる前でバタバタしちゃって」
副級長の少女が、行こ? とやって来て、順子は二人に手を振った。
「いってらっしゃーい」
「いってきまーす」
二人は揃って応えると、足早に教室を出る。
一年五組の副級長は、楼閣寺理佐と言う。天然パーマだそうで、ウエーブのかかった栗毛が可愛い。大学までエスカレーター式の名門私立女子中に通っていたのに、梛女子高校を受験した。その理由が、曰く、男に飢えてるの。
彼女と話すと驚きの連続である。
いかにもお嬢様然とした理佐は、会議室に向かいながら、又も琴巳の目を丸くさせる発言をした。
「いいなぁ、琴巳。わたしも男に囲まれたぁい」
「り、リっち、誤解を招くような言い方だよぅ」
「事実じゃないのっ」
理佐は声をあげる。「わたしは選択できないのよ!? 変な男が五組の級長だったら最低よっ。それに比べて、琴巳は向こうの副がダサダサでも、他に物色できるじゃないっ」
すれ違う生徒達が奇異の目を向けてくる。琴巳は顔が熱くなってしまう。
ここから徒歩十分もしない場所にある男子校、青葉高校との交流は伝統となっている。創立三十二年目の今年も廃れていない。
交流の一つに、春と秋の交歓会がある。先程から理佐が興奮して語っているのは、それについてだった。四日後の五月一日、一、二年の級長は、それぞれ互いの学校に春の体験入学をする。今日はこれから、それについての確認会議なのだ。
役目を代われるなら代わりたい琴巳の横で、理佐は尚も言い募った。
「一年も級長は立候補制にすべきだと思わない? そしたら絶対、わたしは立ち上がってたわっ」
副級長の理佐は、青高から来る一年五組の、男子級長の案内係をやることになっている。青高の男子目当てに梛女に入学した彼女は、一人しか相手取れないのが不満らしい。琴巳にはできない発想だ。
そんなに男子との出会いを求めるなら共学校を受験すれば良かったのだが、そこは両親がどうしても折れなかったようだ。そんな話を聞くと、琴巳は、母が何も拘らずにすんなり認めてくれたことに改めて感謝したものだった。
慌ただしい女子校での一日が終わり、琴巳は順子と並んで校門をくぐった。高校に入ってから、二人の帰り道は馬安図書館近くまで二十分ほど一緒だ。
大きな通りに出ると、琴巳達と同じように下校する男子生徒が、ちらほら見え始める。通りに架かった歩道橋を渡るとある、青葉高校から出て来ているのだ。
渋い青のブレザー姿を見ると、このところの琴巳は憂鬱だった。
「リっちとこっそり代わっちゃいたいなぁ」
思わず琴巳が洩らすと、順子は苦笑した。
「頑張れよぅ、琴巳。青高には男版リっちが居るぞ、きっと」
「ヨリちゃん、脅かさないで」
琴巳はトートバッグを抱き締める。「ただでさえ、リっちのカレシ募集パワーには、たじたじなんだから」
順子はけたけた笑った。
「リっちにお兄さんを見つけられないようにした方がいいよね。見つかったら、お兄さん、食べられちゃうかも」
琴巳は、ちくんと胸が痛んだ。
今朝、栩麗琇那に話しかけてきた美人が思い出された。親しげだったけれど、その割に誤解していた。まるで、彼が遊び人のような……
あの時、そんなヒトじゃありません、と口を挟みかけ、琴巳はやめてしまった。本当の栩麗琇那を知ったら、この人は彼を好きになってしまう。そう気づいたら言えなくなった。
お兄ちゃん、あの後どうしただろ。急いで弁解したのかな。あの人とはいつ知り合ったの? ゴールデンウイーク、もしかして四日以外はあの人と出かける約束してる?
心の内に又も新しい不安が生まれた時、琴巳達の横手を青葉大学のスクールバスが通り過ぎた。少し先の停車地で停まり、学生達が次々に降りて来る。
「お兄さん乗ってないかな」
順子が楽しそうに身を寄せて来た。琴巳は腕時計に目を落とす。
「木曜は三時間目まで……時間的にはこの辺なのかなぁ」
でも乗ってなさそう、と琴巳は小さく笑って隣を見た。見ると、順子が前方を示す。
「あの綺麗な茶パツは?」
示されるまま目を向けると、淡い茶色の髪の青年が降り立ったところだった。降り立ってすぐ、こちらに顔を向ける。「やっぱりお兄さんだ。琴巳、ラッキー」
青年が降りて立ち止まると、先に降りた女子学生の四、五人が周りに集まった。何か口々に話しかけている。
何となしに琴巳と順子は足を止めた。遠巻きに、人気アイドルへのサイン攻めを見る雰囲気だ。
不安が、むくむくと琴巳の中で膨張した。順子が、感心するような口ぶりで言う。
「さっすがモテてるねぇ、お兄さん。一緒に帰れるかな」
琴巳は、ぎごちなく笑った。
「無理じゃないかな」
バスから、最後に今朝の美女が降りて来た。ぎく、とした琴巳の視線の先で、美女は栩麗琇那を諦め顔で見やった。肩を落とし気味に去って行く。生まれたばかりの不安は、杞憂だったらしい。
そうと判っても、琴巳はホッとできなかった。彼女の後ろ姿が、近い将来の自分のような気がして……
「ね、お兄さん、あの人達をまるで相手にしてないよ」
順子が肘でつついてきて、琴巳は数十歩先に居る美青年を見た。紅茶の色に似た瞳と目線が合う。寸時見つめ合ってしまって、頬が熱くなった。
動けない琴巳の手を、順子が取った。
「行こう」
勇気づけるように、順子はきゅっと握ってきた。「お兄さん、琴巳しか見てない。大丈夫、一緒に帰れる」
まさか、と琴巳は近づきつつある栩麗琇那を見やる。再び目が合い、どきんとした。
歩き出しただけなのに、琴巳は胸が苦しかった。順子がはきはきと、こんにちはぁ、と声をあげた。
美しい低音が、応じた。
「久しぶり」
えっ、と言いたげに、美青年を囲んでいた女子大生達は、二人の女子高生を見る。
栩麗琇那は、失礼、と言うと、さらりと集団から抜けた。琴巳に並んで歩き出す。
「コトミと同じクラスなんだって?」
話しかけられ、順子は嬉しそうに応じた。
「そうなんですよ。風邪もひいてみるもんです」
栩麗琇那は短く笑ってから言った。
「来年は成績順じゃないんだろう? また同じだといいな」
順子は、琴巳に向かってにこっと笑いかけた。
「だといいねぇ」
琴巳は順子への感謝で胸がいっぱいだった。声を出せずに何とか頷く。
歩きながら、青年は普段より口を開いた。琴巳は途中で、それが順子の為だと解った。並んで居づらくないよう、配慮している。
不安以上の幸福感が、琴巳を包んだ。両脇に、幸せが在る。
二人共、大好き――
琴巳は、しみじみと心の中で告げた。
ゴールデンウイークが始まった。
梛女子高校と青葉高校は、この期間中にある飛び飛びの登校日に、通常の授業は行わない。交歓会のような変わった行事ができるのも、そんなカリキュラムだからだ。
交歓会の日、一、二年の級長と副級長以外の生徒は、自習形式でプリント学習をやることになっている。級長達はプリントをやらなくていいのかというと、そうではない。各自、その日の宿題だ。
五月一日、琴巳は他の級長達プラス唯一の三年生である生徒会長と共に梛女を出た。集団登校のように、列になって青高へと向かう。
琴巳は級長を任じられ、自分の時間が減ったり、慣れないことに心労が嵩んだりと損が多かったが、得したこともあった。その一つが、簡単に新たな友達を作れたこと。各級長ともなると、高校生活が始まってひと月足らずだというのに、中学の頃から付き合いがあるような仲になっている。
特に琴巳は、一組と六組の級長とウマが合った。
「琴りん、プリントやった?」
大通りを跨ぐ歩道橋を渡りながら、後ろを歩いていた少女が問うた。一五七㎝の琴巳より頭半分は小柄で、たまに小学生に間違えられるらしい。一年六組の級長、三隅有美だ。
琴巳は半ば並んで、半分くらい、と答えた。
自習用のプリントは、級長、副級長には昨日の放課後に配られている。一日分の量があるので、昨日のうちからやっておかないとつらい。
有美は、甘えるように腕を組んできた。
「物理のやった?」
「お兄ちゃんに教わりながら、何とか」
正直に答え、琴巳はえくぼを浮かべた。「変てこりんな式があるよね。ヒントを教えてもらったから、今晩、電話しよっか」
「きゃーん、やったぁ。わたしから電話する。九時頃、いい?」
「分かった。用意しとくね」
すると、二年生の後に続いていた一組の級長が、つつつ、と来た。学年首位の根崎珠洲は、一六五㎝ある順子よりも背が高く、切れ長の双眸が美しい。
「琴りん、あたしも電話する」
意外そうに、有美が訊いた。
「流石の珠洲りんも物理は苦手?」
「なんの。あたしの場合はラブコール」
琴巳は慌てた。
「お兄ちゃんに!?」
珠洲は、考え深げに顎に手をあてた。
「琴りんの兄貴、かっこいい?」
「え――え、と……」
口ごもる琴巳の腕を、有美が抱き寄せた。
「珠洲りん、琴りんはわたしのよっ」
「負けないよ、有美りん」
もう一方の腕を珠洲に掴まれ、わたし!? と琴巳は動転した声をあげる。
後ろを歩いていた七組の級長が、ぼそっと言った。
「女子校でも三角関係があるんだー」
前を歩いていた四組の級長が相槌を打つ。
「となると、やはり男子校でもあるってか」
聞いていた二組と三組の級長が吹き出し、一年生は全員で笑声をあげる。
「こーらー、さっさとおいでー」
生徒会長から声が飛んで、はぁーい、と後輩達は駆け出す。
歩道橋の階段を降りた辺りで、梛女子高校に向かう男子の一団に会った。皆もっともらしい表情になり、互いに会釈しながらすれ違う。
琴巳達は青葉高校の校門をくぐった所で、男子副級長陣に出迎えられた。
交歓会が、始まった。
青葉高校一年五組の副級長、朝倉武は、端整だが目が鋭く、いかにも不機嫌そうな表情をしていた。全員の自己紹介後、他の二人組が談笑と共に教室へ向かう中、琴巳は、こっち、と面倒臭そうに言われただけである。
はなから怒ったような少年の目に琴巳は怖じ気づいたが、背中を向けて歩き出されると、ふっと怖さが消えた。長身の、広い背中を見ながら後に続く。
校舎内は、思ったより綺麗だった。少女チックに改装を重ねられた梛女子高校とは違った意味で、さっぱりとした小綺麗さがある。ワックスの臭いが鼻先に漂うところをみると、今日の為に磨いたのだろう。梛女もつい前日に大掃除をしている。
生徒用昇降口を上がった所には、梛女には無い、布張りの掲示板があった。何も張り出されておらず、画鋲だけが幾つか留めてある。
琴巳は呟くように言った。
「普段から使ってないのかな」
億劫そうに、武は足を止めた。肩越しに、ほんのちょっと振り返る。
「何が」
「この掲示板」
「普段はくだらない伝言でいっぱいだ」
「駅みたいな?」
「あぁ」
あれっ、と琴巳は思った。よく聞く応答だ。再び歩き出した少年の背中を見て、確信する。
お兄ちゃんだ――
背丈も似ている。怖くないわけだ。琴巳は、こういう態度の相手に、慣れてしまっている。背中を見ながら歩くことも。
ふふっ、と琴巳は思わず笑声をこぼした。こぼすと、可笑しさがもっと込み上げた。くすくす笑いながら歩き出す。
武少年は、訝しげにこちらを見た。何だよと言いたげな表情に、琴巳は笑いをおさめる。無愛想だが、こちらはポーカーフェイスではない。
「ごめん、なさい」
琴巳がおずおず言うと、武は軽く口を曲げ、ふいっとそっぽを向いた。無言で階段を上がり始める。琴巳も上がりながら、踊場を見上げた。大きく開けた窓から、鮮やかに青空が見えた。爽やかな風が、春の空気を届けてくる。
二階に上がると、教室が登場した。女子校とそっくりの楕円形の札が、戸の上方に掛かっている。クラスも同じで三年二組。
おぉ、と低い声が起こった。琴巳は札から目線を下げ、ぎょっとした。戸の隙間から、たくさんの目がこちらを見ていた。
「一年はもう一つ上」
武の声が階段に響き、琴巳は慌てて彼の背中を追った。今の何!? と訊きたかったが、声が響いてしまいそうで訊けなかった。
次の踊場に差しかかると、ふと武は速度を緩めた。何か落としたのか、降りて来て琴巳に並び、並んだと思うと、背後に回る。すれ違いざま、小声が口早に告げてきた。
「スカート気をつけろ」
え? と聞き返しかけ、琴巳は瞬時に理解した。下から、風が吹き上がって来たのだ。
押さえたスカートの裾を、風がふわふわ揺らして行く。
さっきの教室からだろう声も、風に乗って上がって来た。
「――んだ、肝心のところでっ。陰になっちまったぜ」
「ま、アンラッキーもあるっしょ。次に期待」
唖然となる琴巳の背後で、武がぶっきらぼうに言った。
「早く上がれよ」
琴巳は踊場まで上がると、少年を振り返った。囁くように問う。
「わざと下の窓開けてるの?」
「だろうな」
武が平然と応じて、琴巳は眉をひそめた。
「青高の人達は、みんな知ってるんだ?」
「さぁ」
武は僅かに目を落とした。「俺は、上着が風を孕んだから気づいた」
どうやら彼は、咄嗟に機転を利かせてくれたらしい。非難めいて言ってしまった琴巳は、後悔した。
「あの、教えてくれてありがと」
「え、あぁ」
武は照れ臭そうな顔になった。それを隠すように琴巳の横をすり抜ける。そのまま階段を上がって行ってしまい、琴巳は迷った。
「わっ、わたし、落とし物しちゃった」
琴巳は声をあげた。「一階かな。ちょっと探して来ます」
風に気をつけながら一階まで降りると、丁度、珠洲達がやって来た。
「琴りん、一人でどうした」
「良かった、珠洲ちゃん――」
不審そうな珠洲に、琴巳は声量を落とすと手早く事情を説明した。説明している間に、武も降りて来た。近くの壁にもたれかかり、話には加わらなかったが。
自己紹介の時に〝睦月賢二〟と名札を掲げた一組副級長は、困惑気味に両腕を胸の前で組んだ。珠洲が口を開く。
「ここは気づかないフリをした方がいいかもな。何気無く窓を閉めてもいいけど、また開けたら同じだ」
「じゃ、ここで次の組が来るまで待って、次々伝言していこうか」
賢二が提案した。「そうすれば、僕等も三年と波風を立てずに済むよ」
「会長のペアが来たら、何とかとりなしてくれるかもしれないね」
一組の二人は頷き合うと、琴巳を見た。
「落とし物が見つかったみたいにして上がって行きな。後はこっちで伝えていく」
「良かった。ありがとう」
「有美りんなんて、スカート超短くしてるもんなー。助かったよ、琴りん」
「わたしより、初めに気づいたのは朝倉君」
琴巳は武に目を向けた。「わたしはお蔭で助かっちゃった」
「よく気づいたよ。僕は風なんて、あんまり気にしてないし」
言って、賢二は武に親指を立てて見せる。武は苦笑気味に唇の端を上げた。壁から離れると、階段へ歩き出す。
「行くぞ、加賀」
「あ、うん」
じゃね、と珠洲達に手を振ると、琴巳は少年の後を追いかける。
賢二少年は、羨ましそうに言った。
「あの二人、結構お似合いだな」
「琴りんは競争率高いぞ」
少年は、ほぼ同じ背丈の珠洲を見やった。眼差しを受け、珠洲は告げる。「あたしは、そうでもない」
賢二は、面白そうに目を細めた。
「僕もそうでもない」
「気が合うな、ムツキ君」
「そうだね、ネザキさん」
あはは、と一組の二人は笑い声をあげた。




