5
栩麗琇那は朝靄の中、顔の見えない少女の手を引いて歩いていた。足元だけが見える道の先は気だるい上り坂だ。
この道が終わると、彼女は栩麗琇那をおいて、行ってしまう。何故か、それだけがはっきりしている。
道が終わる前に、言わなければ。
行くな――俺をおいて行くな。
言わなければいけないのに、声が出ない。口が開けない。
言えないまま、道は終わってしまった。少女が、つないだ手を放そうとする。
手が離れる前に、言わなければ。
離れたくない――一日も離れたくない。
「お土産買って来るから」
憧憬的に澄んだ声が顎の下から聞こえた。栩麗琇那は、かたかたと震えが起こった。
土産なんて要らない――行くな、離れたくない――っ。
するりと少女の手が離れた。突然、距離が開く。セーラー服の白い背中が、みるみる遠ざかる。
栩麗琇那は叫んだ。
「コトミ――っ」
やっと声が出せた。
「俺の傍に、居て……っ」
ぎょっとして目を開いた。慌てて視線を巡らせる。自分の部屋だ。馬安の加賀家の、私室。見慣れたアングルからの景色――ベッドに寝ている時の。
身を起こし、ゆっくりと息を吐き出した。こめかみの辺りで猛スピードの脈動を感じつつ、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
コトミはとっくに帰って来た。中学の修学旅行なんて、ふた月前の話だ。コトミは家に居る。ちゃんと二階に居る。
時計に目をやり、下に居るか、とベッドを降りた。言い聞かせても落ち着かない。姿をこの目で確かめないと。近くに居ることを感じないと。
部屋を出て、台所を覗いた。セーラー服にエプロンを着けた細い後ろ姿が、菜箸で味噌を溶かしているようだ。小さく、楽しげな鼻歌が聞こえる。
栩麗琇那は手櫛で髪を梳き上げた。踵を返して洗面所に向かう。居るのが判れば、その場に長居は無用だ。不安が消えると、別の感情が湧き起こってくるから。
馬安中学校の女子の夏服は、白色のセーラーが灰色になる。淡いグレー地の半袖に白い襟。グレーのリボンとスカートは変わらないが、生地が薄手のようだ。一般的に白の方が涼しい感があるので、夏と冬が逆のような気もする。敢えて逆なのは、白は透けるからだろう。
栩麗琇那は、馬安中の夏服が白地でなくて助かっている。ただでさえ、短い袖からのびる細身の腕などに誘惑を受けているのだ。これで他校のように白地で、ちらちら下着の線などが透けて見えたらたまらない。
この二年半、栩麗琇那にとって夏場は、冬場より一層、己との闘いだ。
生地が薄くなろうと、肌の露出が増えようと、琴巳は信用しきって傍に来る。隣に居る男が考えていることを知ったら、彼女は逃げ出すだろう。逃げられたら精神的に立ち直れそうにないので、口にも出さないし、行動にも移さない。しかし、それを貫徹するのは必死のことだ。
諸々の支度を済ませて部屋を出ると、丁度、玄関から公士が上がって来た。新聞を手に、おはよ、と目を細める。
二人で台所に入ると、おはよー、と琴巳が極上の笑顔で迎えてきた。
「お兄ちゃん、お母さんが、今年はいつ帰っちゃうの? って言ってるよ」
コルクボードに目を向ける栩麗琇那に、公士の高い声が下から甘えてきた。
「兄ちゃん、今年は五日まで居ようぜー。オレ、姉ちゃんと二人きりで飯食いたくねーよぅ」
「失礼しちゃうわね、わたしの作った物がっついといて」
「へっ。仕方無く食ってんじゃんか」
「おかず没収っ」
「児童虐待って近所に言いふらすぞっ」
食卓を挟んで恒例の姉弟喧嘩が始まり、栩麗琇那は一段落するまでと新聞を広げる。
琴巳と公士はどうか知らないが、栩麗琇那はこんなひと時が好きだった。ごくありふれた、平凡さが。
心の何処かで、平凡の貴重さを、ルウの皇子は解っていたから。
期末テストが終わり、中学校は半日だけの日課が続いて夏休みに向かう。
アブラ蝉が勢い良く合唱する昼前、琴巳は順子と校門を出た。
何かと縁の近い二人だが、自宅だけは別の方角だ。学校の横手を真っ直ぐ行き、角に来たら道は別れてしまう。エメラルドグリーンのフェンスに囲まれた敷地の横、直線二、三百mだけが同じ通学路だった。その僅かな距離を、二人の少女は一緒に帰る。
順子がハンカチをぱたぱたさせながら、こちらを見た。
「今年はいつ九十五里に行くの?」
「いつも通りのつもりだったんだけど」
言葉を切り、琴巳は瞳を上向けた。「模試を受けときたいなぁ」
「お互い塾に行ってないからね」
言いながら順子は額を拭う。「レベルがどの辺か、模試でしか判んないもんな」
「〝勉強会〟始めたての時に受けたヤツでは、合格率五〇%だったでしょ」
判定はC。ひょっとしたら合格するかもねーという感の、かなりシビアな位置だった。
「あれからもっと合格ラインに入れたか――」
「それとも外れたか」
琴巳は肩をすくめる。でもね、と順子はハンカチを向けてきた。
「兄ちゃんがこの前出してきた数式、割と簡単に解けなかった?」
「思ったより難しくなかった。応用だったよね、あれって」
「兄ちゃん、お前等には無理だろー、って思ってたみたい。あたしが解いたら、むきになって次の問題作り出してさ」
くくっと順子は笑った。「まんまとあたしらの為に働いてるよ、アレは」
「少しはレベル、上がってるかなぁ」
「梛女狙いの面々が、あたしら以上に上がってないことを願うしかないね」
順子は再び額を拭った。「んー、模試を受けて確かめておきたいか」
「模試、八月二十日だよねぇ」
「例年は九十五里に居る日かぁ」
「二十日までこっちに居るか、二十日だけ帰って来るか、それが問題なのだ」
フェンスが直角に、早稲家の方角へ向かう。順子は今少し学校に沿って帰り、琴巳は馬安図書館の方へ行く。
取り敢えず最終受付日までには決めなきゃね、と締め括り、琴巳は順子と手を振り合って別れた。
二人で並んでいる方が暑い筈なのだが、気分的なモノが作用するのか、一人になるとより暑い。今日は風があまり無く、逃げ水で遠くの道路が揺らめいて見える程だ。
木陰を選んでほてほて歩き、馬安図書館前まで来ると、こっとみちゃんやんか、と呼び声がかかった。
入口から、宗一がパックジュースを片手にやって来る。何となしに、琴巳は立ち止まった。
「田沼クン、こっちの方だったんだ?」
んにゃ、と答え、宗一は口からストローを放した。
「パック自販機、ここらじゃここだけなんだぜ」
「あ、パックは安いね。九十円だねぇ」
「よくお分かりでぇ」
宗一はにいっと笑い、琴巳の足が向いた方を見やった。「早稲は?」
「ヨリちゃんチは、あっち」
方角を指差し、琴巳は今し方、親友と別れたばかりの角を振り返る。ふぅん、と言いながら、少年は鞄を肩から担ぐように持ち替えた。
琴巳は、宗一が少々苦手だった。例の、キスまだ? という問いかけが来るからだ。それさえ無ければ、〝トランプメンバー〟だし、話し易い少年なのだが……
「わたしは、こっちなの」
道の先を示し、じゃあね、と琴巳は再び歩き出した。次の日陰を目指す。
たっ、と軽い足音がして、宗一が並んだ。追い越さずに、横を歩く。琴巳は瞬いた。
「こっちに用事?」
「飲む?」
問には答えず、宗一はパックジュースを向けてきた。琴巳はふるふる首を振る。少年は、にやにやした。「間接キスになっちゃうし?」
又だぁ、と琴巳はうつむいた。きっと、宗一の内では〝琴巳=キス〟の図式ができあがっているに違いない。
歩調を速めながら、そのうちするもん、と琴巳は口をすぼめた。
時々、栩麗琇那は琴巳の唇を見る。琴巳が見上げて、彼が見返してきて、目線が少しずれることがある。初めに気づいた時、今度はどうして避けるの? と不安になった。けれど、さほどせずに、唇を見ていると判った。
たまに、栩麗琇那はぼんやりと唇に目を落とす。ちょっとは興味があって、見てくれているんだと思う。
だからそのうち、きっとそのうち――
してね? とはにかみながら心の中で告げた時、つん、と後ろから髪を引っ張られた。
「ッワ」
振り返ると、宗一が三つ編みの先をつまんでいる。「何?」
「本物かなーと思って」
「付け毛じゃないよぅ」
琴巳は少年を軽く睨んだ。「痛いよ」
ぱ、と宗一は手を放した。一つに束ねた結い目をなぞってほつれが無いことを確かめ、琴巳は止めていた足を再度動かし始める。
「こっとみちゃんて、意外と歩くの速いな」
田沼クンが居るから、とは口に出さずに、琴巳は黙って歩を進める。
速いと言う割に平然と隣について来つつ、宗一は訊いてきた。
「なぁ、高校もう決めてる?」
「梛女って知ってる?」
「知らんな」
答えてから、宗一は夏空を仰いだ。「女子校行け、てカレシに言われたんだ?」
「まさかぁ。言わないよぅ、そんなこと」
栩麗琇那はぶっきらぼうだし命令形の言葉も多いが、利己から他人に何かを強制したり命令したりしない。琴巳は彼のそんなところも好きだったりする。
ところが、宗一には別の見解があったようだ。
「なんしか、カレシ、無関心と違う?」
「え、なんで」
「キミが何処の学校行こうと、どうでもいいってトコないか?」
痛いところを突かれ、琴巳は言葉が出なかった。よもや全くの第三者に、ずっと気にしていることを指摘されるとは。
傍に居な、と言った栩麗琇那の台詞は、居たいなら居な、と琴巳の意思に任せる言葉。実際、彼は琴巳のコトをどう思っているのかイマイチなのだ。順子や友人達は、栩麗琇那も琴巳を好いていると判断しているようだけれど……
宗一は、歌うように追い打ちをかけてきた。
「こっとみちゃん、無関心のカレシとキスできるんかいなぁ」
むかっとした。
そもそも、なんで琴巳と栩麗琇那がキスすることが宗一に関係あるのだ? 関係無いではないか!
丁度、最寄りのスーパー前に差しかかり、琴巳は少しつんとして言った。
「わたし、ここに寄るから。じゃあね」
本当は後で来るつもりだったが、せっかく入ったので買い物をする。財布の中身を確認してから、夕飯の献立を決め、二十分ほどして店を出た。
白いレジ袋二つと鞄を提げた琴巳は、外の暑さに顔をしかめる。やっぱり夕方に来るんだった、と思ったが、今更だ。
仕方無く歩き出しかけた琴巳は、目を丸めた。店の前には煙草や飲料の自動販売機とベンチが並んでいる。そのベンチから、よっこいせ、と立ち上がった者が。宗一だった。
「ほんまに主婦なんだ」
「わたしを、待ってたの?」
「えらい長いから何してんのかと思った」
「お店の中に居れば良かったのに。熱中症になっちゃうよ?」
眉をひそめて言うと、少年は黙ったまま鞄でばったばった扇いできた。琴巳は訝しみつつ問うた。「わたしに用事なの?」
「んー、暇やから、こっとみちゃんチ見てみよかな、と思て」
宗一は手を差し出した。「重い方、貸し」
琴巳は、言われた通りに渡す。宗一は口を曲げた。
「ようこんなん、持って帰ろと思うよなぁ」
「いつもは自転車で来るんだけど……」
この際、琴巳は正直に言うことにした。「田沼クンが変なコト言うから、逃げ込んじゃったの」
「……だからって、こんなに買ってくことないやんか」
「せっかく入ったんだもん」
「適当にちょこっと買えば済むやろー」
「うん、分けた方が消費税少なく済むこともあるけど。こんな暑い日に二度手間するの、ヤだったんだもん」
言い切ると、琴巳は家へ向かう。
炎天下をしばらく歩いたところで、宗一が尋ねてきた。
「梛女って偏差値幾つ?」
「平均六十五」
「げ。めっちゃ高いな」
そうよねぇ、と琴巳は無謀かもしれない自分に苦笑する。
「田沼クンは、何処を目指してるの?」
「ウチから近いトコかな」
「家、何処?」
「八実団地」
「あの辺って言ったら、庭高?」
「知らんな」
「……つまり、まだ決めてないってことデスカ」
「ぴんぽーん」
陽気な返答に、琴巳は笑声を洩らす。
道の左手に美容院カガが見えてきて、琴巳は指差した。
「そこね、お母さんのお店なの」
「髪結いのおかんか。食うには困らんな」
看板を見やって現実的な感想を述べ、宗一は言を継いだ。「だから髪にいいハーブを育ててるんか」
そうそう、と琴巳は頷いてから、脇で聞いてただけなのによく覚えてるね、と言いかけた。
からんからん、とカウベルの音をたて、店のドアが開いた。
すい、と淡い茶色の髪の長身が出て来る。ありがとねー、と母の声が聞こえ、美少年は無言でそれに顎を引いた。
琴巳は顔をほころばせ、暑さをややの間忘れていた。
「お兄ちゃん」
栩麗琇那はこちらに美しい眼差しを流し、ほんの少し眉を上げる。駆け寄りかかった琴巳は、宗一の存在を思い出した。
見やると、宗一は口を片手で覆っていた。くぐもった声で、うーわー、とよく解らない呟きを洩らす。
距離が縮まると、荷物、と栩麗琇那は手をのばしてきた。琴巳は言葉に甘えて袋を渡す。受け取ると、彼は宗一を見た。
「クラスメイト?」
宗一に訊いた気もしたが、そうなの、と琴巳は答えた。
「春に大阪から転校して来た、田沼クン。あ、そう、あのね、修学旅行のお土産に買って来た美味しい生八ツ橋あったでしょ。あれのお店を教えてくれたの、田沼クンなんだよ」
ふぅん、と栩麗琇那は相槌を打つ。この時ようやく、どうも、と宗一は言った。
同性でも見とれちゃうかな、と琴巳は整った栩麗琇那の顔を見上げる。
「ウチを見たいんだって」
告げてから振り返ると、宗一はげんなりした顔で見返してきた。琴巳は小首を傾げる。
「じゃ、行こう」
栩麗琇那が言って、家へ足を向けた。コンパスのある足がすたすた歩き出し、琴巳は慌てて後を追う。
「お昼御飯、まだ?」
「公士が待てないと言って、素麺を茹でた」
やられた、と琴巳は肩を落とす。将来を思って弟に家事一切を仕込んだが、最近では料理の腕など琴巳と同等になり、栩麗琇那に作ってしまえる。琴巳が栩麗琇那の為にできることは食事作りぐらいなので、弟に先を越されると他には何もしてあげられなかった。
琴巳は加えて、とほほ、と思った。宗一が居るから、栩麗琇那と手をつなげない。うだるような暑さの中でも、僅かな時間でも、触れたかったのに。
何やら三人は縦に並び、黙々と歩き続けた。小道を通り、家に着く。
ここよ、と琴巳が言うと、宗一は二階家を仰いでから荷物を向けてきた。どうもありがとう、と琴巳が受け取ると、ほなさいなら、と少年はくるっと踵を返す。
門を開けた栩麗琇那が、肩越しに振り返った。
「寄らないのか」
この暑い中を荷物持ちさせてしまったので、琴巳も言葉を繋ぐ。
「何か飲んでいかない?」
宗一は、上目づかい気味の目を向けてきた。用事があんねん、とぼそっと言い、さっさと帰ってしまう。
後ろ姿を見送った琴巳は、変なの、と独り言を洩らした。さっきは、暇だと言っていなかったか……
コトミ、と低声が呼んだ。
栩麗琇那が手を差し出してきて、琴巳は無意識に手を重ねる。重ねてから、もう家なのに、と気がついた。どきどきしてくる。
お兄ちゃんも、手をつなぎたかったのかな。
「腹減った」
甚だムードに欠ける台詞を口にし、栩麗琇那は玄関に手をかける。琴巳は瞬いた。
「お昼、食べたんでしょ」
「半分も食べないところへ、千鶴子おばさんから電話がかかってきたんだ。素麺の他に何か作ってくれないか」
お母さんタイムリーっ、と琴巳は内心でガッツポーズをしつつ、手を引かれて家に入って行った。
二学期終業の日も、残るはSHRだけだ。
琴巳は教室で、ミニ手帳にカラーペンで予定を書き込んでいた。
「――じゃ、この日までにリクエストを電話してね?」
「何をリクエストしようかなぁ。その為に料理の本買ったりしたら間抜けだよねぇ」
順子はボールペンでメモをしつつ、数学の問題より真剣に考えねば、とおどける。
そこへ、お二人さん宜しいかいな、と宗一がやって来た。手に、ポケットアルバムを持っている。
「卒業アルバムに修旅の写真を、各クラス三枚ずつ載せるんだ」
二冊のアルバムと、紙を一枚、少年は机に置いた。番号が列挙され、各横手に〝正〟の字ができかけていたり幾つか並んでいたりする。「みんなの人気があるヤツにするから、一人二枚、気に入った番号に清き一票を」
オッケー、と琴巳と順子はアルバムを一冊ずつ手にした。
琴巳が二枚目を決めたところで、加賀っちー、と廊下の方から声がかかった。
「音楽委員会でー、卒業アルバムの写真を何処で撮ろうかー、って訊いて廻ってるんだけどー」
「あ、うん」
お先に、と琴巳は紙に手早く二票書き入れ、席を立った。急いで委員会仲間の方へ行く。
目で追ってから、順子はボールペンをひと回しした。
「たっちゃん、最近、琴巳を諦めた?」
「……いきなりキたな、早稲」
「そういえば今週初めて寄って来たなぁ、と思って」
宗一は、大袈裟に嘆息した。
「こっとみちゃんに、キミの勘の良さの半分でもあればなぁ」
順子は笑みをこぼした。
「琴巳は、自分がどれだけカワイイか、解ってないの」
だよなぁ、と宗一はぼやいた。
「こっちの思惑にはまるで気づいてもらえん上に、あのカレシが出て来た日には……」
「ふぅーん。お兄さんに会ったんだ?」
順子は、にやにやした。「流石のたっちゃんも、あの美形には勝ち目が無いと悟ったか」
「それもあるが、最大の理由は他や」
少年は鼻先をこりこり掻いた。「カレシがホンマジやって判ってん」
「お兄さんに何か言われたの?」
意外そうに順子が訊くと、宗一は首を振った。
「最初にこっち見た時、なんで俺の女の隣におんねんって感じで、目がものごっつう怒った。蛇に睨まれた蛙状態。こりゃあかんて思た」
「ははぁ、目は口ほどにモノを言うってヤツか」
納得したように順子は頷く。宗一は溜め息まじりに言った。
「あのカレシ凄いわ。あれで手ぇ出してないってことは、もう目茶苦茶こっとみちゃんが大事なんやな」
「あ、なるほどね。奥手の他にそういう解釈もあるか。新発見」
順子が言うと、宗一は利いた風なそぶりで両手を掲げた。
「そういうトコがあかんなぁ、女のヒトは。男は基本的に心の奥は純粋なんが解ってへん」
「とか言う同じ男のたっちゃんは、キスぐらいやってまう、って言ってなかった?」
「そう言ったんは俺だけやなかったろ。大抵の男は心の奥の手前にあるホンノーに負けるのサ。せやから、負けてないあのカレシは尋常やない」
宗一は肩をすくめた。「ま、俺は完敗だ。この夏は傷心を癒す旅に出るぜ」
「いまいち受験生らしからぬ発言だけど、意思を尊重しましょう」
順子は線を入れた紙を手渡し、言った。「けど、九十五里方面には行かない方がいいよ」




