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例えばこんな恋語り  作者: K+
6章 心咲く(ココロサく)

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 馬安(うまやす)の加賀家は、名義だけが〝加賀千鶴子(ちづこ)〟となっているようなものだった。

 千鶴子は経営している美容院で一日の殆どを過ごしている為、家の中の一切のことは子供達が切り盛りしている。家で生活している時間も、子供達の方が圧倒的に長い。

 琴巳(ことみ)は齢十二の半ばで既に家事全般を体得しており、弟の公士(こうし)もほぼ同様だ。栩麗琇那は、どうりで、と納得するところがあった。九十五里の加賀家に来ても、姉弟は食事の片づけなど率先して行っていたし卒が無かった。日常茶飯事だったからだ。

 馬安に来てから二日ばかり、栩麗琇那(くりしゅうな)は家事を分担させられなかった。が、妹弟がきっちり役割を担って保っている家で、のうのうと寝起きをしているだけでは、いかにもばつが悪い。俺もまぜてほしい、と頼むと、じゃオ言葉ニ甘エテ、と琴巳が三人での分業表を作り、様々な家事を日替わりでやるようになった。

 但し料理だけは連日、琴巳の担当だった。公士もそこそこの腕前だったが、姉には負けている。栩麗琇那はといえば、これまで養母に頼りきりだった上、味音痴の実父の遺伝か、どうしようもなく下手であった。

 妹弟がレクチャーしてくれたが、食べられない物体と生傷が次々出来上がる。栩麗琇那はめげずに挑戦を続けるつもりだったが、派手に指を切ったのを機に琴巳から包丁を取り上げられた。

『このままじゃ、絆創膏の他に胃薬が欠かせなくなっちゃう』

 結局、料理ができない分、栩麗琇那は力仕事を引き受けることにした。膂力逞しいルウの民だ、並の大人より役立つ自負がある。

 春休み最後の一週間は、そんなこんなで瞬く間に過ぎた。公士はとうに小学校が再開しており、琴巳も一足早く中学校の入学式を終えた。

 四月十二日、加賀家の子供の最後の一人も、新生活の始まりとなった。今日は、水晶高校の入学式だ。

 早朝、栩麗琇那は洗顔を済ませ、台所に入った。制服の上にエプロンを掛けようとしていた琴巳と、挨拶を交わす。

 手伝うことは? と尋ねると、もうちょっとしたらお願いするから新聞でも読んでて、と返ってきた。新聞は郵便受けかと台所を出かかると、公士がテレビ欄に目を落としながら廊下をやって来る。栩麗琇那は廊下に出した片足を引っ込め、所在無く目を投げた。

 台所に入ってすぐの横手には、大きなコルクボードが掛けてある。琴巳と公士はそこに、学校であったことのメモ書きや、保護者への連絡事項などをピンやクリップで留めている。千鶴子は、返事を書いたメモを留めていた。

 栩麗琇那は、自分宛のメモを見つけた。

【琇那君へ  よっ、県トップの水高生!】

 千鶴子らしさに、知らず、口許がほころんだ。自分も家族の一員なようで、嬉しくもある。

 メモを外し、栩麗琇那は自室に持ち帰った。


 家から最も近い学校は水晶高校で、徒歩で十分弱。次いで、馬安東小学校が徒歩十五分。馬安中学校が徒歩二十五分の所にある。

 小学校は中学、高校と逆の方角にあり、公士は家を出るとすぐ、集団登校の列に加わる。栩麗琇那と琴巳は、二百mほど同じ方角だった。

 桜の散り舞う小道を歩きながら、琴巳は楽しそうに言った。

「お兄ちゃんの学校も詰め襟だったんだね。中学校って、大体そうなのかな」

 水晶高校は制服の無い学校だが、入学式の今日は〝正装或いは中学の制服で〟と案内に書かれていた。光乃は礼服を用意してくれていたが、栩麗琇那は着慣れていた制服にした。制服は、もう着る機会が無い。着おさめの気分である。

 カラーを付けていない黒い襟元を軽くつまんで、栩麗琇那は桜の花びらを落とした。

「大差無ければ、公士に譲るよ」

「制服代が浮くかも」

 主婦的な発言をする琴巳のスカートが、風を孕んでふわんと揺れた。九十五里南(くじゅうごりみなみ)中学校の女子の制服は、ブラウスとジャンパースカートだった。馬安中はセーラーだ。白地にグレーの襟と同色のリボン、プリーツスカート。

 何となしに、栩麗琇那は風に流れた前髪をかき上げた。二日前から中学校は始まったが、琴巳の制服姿はサマになっている。

 つい半年前は子供だったのに、急に大人になってしまった気がする。同居して、それまで知らなかった面を知ったのも一因だろう。しっかりしているのは知っていたが、家のことを全てこなす程だとは流石に思っていなかった。

 車の入って来られない細い一本道を抜けると、高校と中学へは左右に道が別れる。右に足を向け、琴巳は笑みを見せた。

「じゃあね〝県トップの水高(スイコウ)生!〟」

 眉を上げる栩麗琇那から、琴巳は三つ編みの髪を揺らして歩き去る。

 栩麗琇那は左へ足を向けた。内心ささやかに、己が情けなかった。

 ルウの皇族として生まれた身で、人の世話になり続けている自分。守護を司る立場にある筈なのに、この不甲斐なさ。その上、妹のような小娘に親のような態度を取られては、威厳も格式もあったものではない。

 しかし、どうしようもない。

 感情を顔に出さぬまま、されど力無く、栩麗琇那は足を動かした。



 ルウの皇子(みこ)が新しい学校生活に慣れた頃、巷は五月の連休に入った。

 とはいえ、所詮、小中高生には飛び石の休みだ。それでも三連休はあって、栩麗琇那は公士と二人で遊園地に行った。

 琴巳と公士は好みの乗物が正反対だとかで、どちらが兄と出かけるかジャンケンで決めたらしい。栩麗琇那はそれを知って、来年は琴巳と行くと約束したが、取り敢えず今年の埋め合わせもすることとなった。

 その日、Uターンラッシュのピークを告げる声をラジオで聞きながら、栩麗琇那は琴巳に数学を教えていた。

 居候の私室は一階だ。元は書斎だった部屋で、据え付けの書架がある。栩麗琇那が持ち込んだ本を並べたので、今やミニ図書館のようになっている。

 中央に出した折り畳みテーブルで、琴巳はプリントの数式と睨めっこをしていた。宿題だ。その向かいで、栩麗琇那はパズル雑誌のクロスワードに挑んでいた。

 琴巳は理数系が苦手らしかった。兄に訊きに来るのは、専ら数学。

「なんでイコールの間を行き来するだけでプラスがマイナスになっちゃうのかなぁ、さっぱり。イコールなんだから、左に居ようが右に居ようが、プラスはプラスじゃない?」

 雑誌から目を上げ、栩麗琇那は淡々と応じた。

「その問題上では、イコールは異質同士を結んでいる道というだけで、左右の空間は別物だ。プラスとマイナスは道を通過して逆物に変わる性質がある」

 んー、と琴巳は瞳を上向けた。

「お水みたいなモノかな。冷凍庫に入れるとマイナス温度で氷になって、コンロにかけるとプラス温度で沸騰するでしょ」

「……そんなモノだ」

 栩麗琇那は言いながら、雑誌で顔を覆う。いかにも琴巳らしい例え方が可笑しい。自然と、日常生活に深く関わっている事物が出て来たようだ。

 何となく納得できた、と言って、琴巳はシャープペンシルを持ち直す。数式を解き始めたので、栩麗琇那もパズルに目を戻しかけた。ふと、プリントの端を押さえる左手が目に留まる。揃えた指が、細い。

 己が手を目の前にかざし、まじまじと眺めた。自分の指と比べると、琴巳の指は繊細な気がする。

 女の子だもんな、と認識をいだいていると、琴巳は訝しげに顔を上げた。五? と言うとプリントに目を落とす。栩麗琇那が開いた手をかざしているので、勘違いしたらしかった。

 顎を撫でつつ、栩麗琇那は雑誌の頁を示した。

「答を考えてた」

「あ、そっか。ね、これ、できたかも。あってる?」

 栩麗琇那はプリントを見やった。素早く暗算し、確認する。

「今のところな」

「よし。全問正解目指すぞ」

 細い手が握り拳を作ったのを見た時、胸中に言葉が訪れた。

 可愛いんだよな――

 続けて、己が鼓動の音を感じた。とくん、と心に響く。

 無意識に胸元を押さえ、栩麗琇那はパズルに目をやった。クロスワードの問題を読む間も、鼓動の高鳴りが消えない。

 問題文を目に映したまま、首を傾げた。

 中学校にも、可愛いとか綺麗だと思う異性は何人か居た。高校にも、私服を上手く着こなし、洒落た印象の少女が居る。

 けれど、琴巳に対していだくことは少し具体的だ。仕種が可愛い。頑張り屋で一所懸命なところも、可愛い。毎日顔を合わせるようになって、夏休みの期間に漠然といだいていた事々が、確かになってきた。

 琴巳は、可愛い――

 更に鼓動が速まり、胸元を握り締めた。何気無しに、向かいを見やる。

 どきんとした。

 琴巳は熱心に数式を解いている。

 伏せ気味の長い睫毛を、栩麗琇那は、茫然として見つめた。

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