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馬安駅は、無人駅の白貝塚駅に比べれば月とスッポンに都会的だ。が、さほど規模は大きくない。
三箇所ある改札の一つから出て、栩麗琇那は視線を巡らせた。改札の所まで琴巳を迎えにやるから、と昨夜の電話で、千鶴子が言っていた。
水晶高校に無事合格した栩麗琇那は、中学の卒業式も終わった今、春休みを過ごしている。
他の学年より長めの休暇ではあるけれど、引っ越しする身には慌ただしかった。
先々週、卒業式ラッシュと入学式ラッシュの合間をぬって、養父母と一緒に千鶴子の店と自宅を訪問した。九十五里の家よりは敷地面積も建坪も狭かったが、充分立派な平屋の店舗と二階家だった。
両親はすっかり安堵し、生活費等に関して折り合いをつけた。ルウの皇子は、三年間正式に、馬安の加賀家で暮らすこととなった。
決まってからは、自室の整頓をし、荷作り。向こうで必要な物を、宅配で送った。
そうして、本日、三月二十九日、栩麗琇那当人がやって来た次第だ。
〝迎え〟といっても、栩麗琇那は加賀家までの道順をちゃんと覚えている。どうしても来てもらわないと困るわけでもない。それでも、琴巳が来ると言うので断らなかった。
先週、春分の日、フランスからいつも通りの葉書が届いた。
期待するだけつらいから、期待していなかった。だが、全く望みを捨ててもいないから、それなりにショックだった。
ひどく、心細い。琴巳の和やかな空気を感じて、行く末の不安を忘れたかった。
栩麗琇那は腕時計に目を落とした。五時半。時間通りに着いている。
皇子の憂鬱などお構いなしに、周囲は雑踏だ。定時終了の会社員をはじめとした姿が、改札や西と東の出入口を行き来している。
水晶高校にも加賀家にも、東口の階段を降りて向かった。数年前、初めて千鶴子に会いに来た時も、東口から出た覚えがある。
あの時は、電車に酔ってフラフラだったよな。
養父母がいたく心配して、券売機脇の椅子に座らされた……
栩麗琇那は、今もそこにある簡易ベンチへ歩み寄った。両手に持っていた荷物の一つを空席に置く。置いて、東口の階段へ目をやった。
タイミングを待っていたかのように、階段を駆け上がって来た少女が居た。肩で息をしながら、こちらに手を上げる。
ほんの一瞬、それが自分を見てのことだと思わなかった。少女が、琴巳に見えなかったから。去年の夏に会った時と、印象が少々違った。毎日纏めていた長い髪を結わず束ねず垂らしている姿が、栩麗琇那の同年代とさして変わり無い。
少女が駆け寄って来ると、埃臭かった空気がすうっと澄んだ。間違い無く琴巳だと思う栩麗琇那に、そうよ? と言いたげに、少女はあどけない笑みを見せた。
「ごめんね、先に来て待ってるつもりだったのに。お夕飯の準備を張り切ってたら、遅刻しちゃった」
栩麗琇那は軽く眉を上げ、えくぼの浮かんだ顔を見た。
「千鶴子おばさん、仕事は?」
「今日もバリバリ。あ、今夜も多分遅いんだって。だから、お兄ちゃんに、〝いらっしゃい〟って直に言えなくてごめんね、って言ってた」
「……じゃ、琴巳が夕御飯作ってくれるのか」
「えへへ。今日はコウも遊びに行かずにいたし、二人で頑張って仕上げるよー」
琴巳は言いながら、栩麗琇那が提げた荷物を見やった。「何か持たせて?」
土産の入った紙袋を無言のまま向ける。琴巳は受け取ると、軽く揺らした。
「もいっこ持てそう」
「それだけでいい」
ベンチに置いていたスポーツバッグを持ち直し、栩麗琇那は階段を見た。琴巳も目を向け、じゃ行こっか、と歩き出す。
階段を降り、駅を出て、少し歩くと駐輪所がある。琴巳は中から、中学の入学祝いに買ってもらったという、真新しいシルバーの自転車を押して出て来た。荷物を前駕籠に乗せ、代わって栩麗琇那が自転車を押し、二人は歩き出した。
隣を歩く少女の足元を見ながら、栩麗琇那はホッとしている己を自覚した。説明のできない、安堵感がある。異世界に在るという孤独感が薄らぐ、穏やかな心地……
首飾りの先が見つからなくても、後三年は待てる。何故か落ち着く琴巳の傍でなら。夏だけでなく、春も秋も冬も、辛抱できる。してみせる。
栩麗琇那は人知れず、琴巳との出会いと水晶高校との巡り合わせを、遥か故郷に居る運命神に感謝した。
自邸の小部屋を歩き回っていたマーニュ家の次期当主は、窓辺で立ち止まると短く嘆息した。
手にしていたペンダントの鎖から、細く結わえた手紙とヘッドを取り外す。
外から差し込む春の光を背に、シェリフはヘッドを掲げた。プラチナ細工に囲まれた石が光を透かし、ライトベージュの壁に、緑がかったプリズムを生む。
「プラチナの純度が違うのか……それとも、翡翠じゃなくてエメラルドか……?」
はたまた、細工が違う所為で質量に微妙な差異があるか。半ば隠遁中の天才児は独り言を続け、シャツの胸ポケットに鎖をしまった。「何にせよ、また失敗だ」
シェリフは窓枠にもたれかかると、焦燥的に髪をかき上げた。
【四月から、通学の為、妹弟の家に下宿する】
先日、日本から届いた葉書にはそうあった。
異世界から迷い込んだ皇子は、どんどんこの世界の枠に嵌まってきている。
本当は、学校という極めてシステマチックなモノに行く前に、故郷に帰してやりたかった。学校に行くことになったと知らせてきた時、止めれば良かったかもしれない。
ここに呼び戻して、同時に俺も帰って来れば良かった。
カナダへ行ったことに関しては、未だに反省するばかりである。
史実的には、シェリフのカナダでの二年間は抹消された。昨年、研究結果を踏まえて発表された論文には、参加メンバーとして載る筈の、シェリフの名前が無かった。シェリフだけ外されていた。明らかに、作為と悪意が感じられる仕業だ。
お蔭で、そこで研究すると知らせていた知己からの問い合わせや追究のメールが殺到し、しばらくメールボックスを開く気になれなかった。
裏で手を回しただろう例の教授と助手について、詳らかに暴露して叩き潰しても良かったがやめた。他にやることがあったから時間が勿体無かった。
小部屋から出て、シェリフはリモコンでセンサーのスイッチを入れる。皇子が、最初にこの辺りに出た、と言っていた場所に仕掛けている物だ。
帰国してから、ドアに自前の鍵も取り付けた。
シェリフはロックすると、肩を軽く揉みつつ、廊下を歩き出す。
階段を上がりかけたところで、上からメイドのイザベルが降りて来た。
「坊ちゃん、奥様のお部屋でした?」
「そう」
きざはしにかけていた足を、シェリフは下ろした。「そろそろ昼だったか」
「はい。御用意できましたんで、お捜ししてたんです」
うん、と応じ、シェリフは階段を降り始める。イザベルがついて来るので、降りながら問うた。
「父さんは?」
「ボネさんがお呼びしに行ってます」
「二人がかりか。手のかかる親子だね」
「ホントに」
イザベルの気さくな声が言った。「坊ちゃんをお捜しするのはコツが要りますね。わたし、ようやくこのところ、察しがつくようになりました」
「あぁ、それで最近、君が迎えに来るんだね」
「ふふ。わたし、坊ちゃんならボネさんより早く見つけられますよ」
オレリア・ボネは、マーニュ家の古参メイドだ。現当主が結婚する前から居る。
イザベルは、幼い時分、通いのメイドだった母親に連れられて来ていた。その母親が亡くなり、十八歳の時に住み込みのメイドとして祖父に雇われ、今年で五年目である。
一階まで降りると、シェリフはズボンのポケットから先刻のヘッドを取り出した。
「長年の経験にこれを捧げよう」
「えぇ? いただけません」
「授与は建前さ。本音は、似たようなのを幾つか持ってるんだ。そんなに持ってても仕方無い」
イザベルは当惑気味に石を受け取った。まじまじと手の中を見る。
「とっても素敵な物だわ――坊ちゃん、どうせならガールフレンドに差し上げた方が良くないですか」
いつまで経っても〝坊ちゃん〟な筈だ。
まぁ、彼女は今年二十三歳になる。十四になったばかりのシェリフなど、子供にしか見えないのだろうが。
シェリフは、ニッと笑いかけた。
「あのね、俺にはイザベルもその範疇だから」
は? と呆気に取られたような顔をしたメイドにウインクしてから、シェリフは背を向け歩き出す。追って来ない。呆然としているらしい。
廊下の向こうに、やはり食堂を目指す父の姿があった。
互いに歩み寄り、食堂前で父がぽそっと先制した。
「年増には興味無いんじゃなかったっけ」
「年増と呼ぶには若いな」
しれっとしてシェリフは言った。「三十路に入っても誤魔化せる童顔だ」
「ふぅん」
父はにやにやした。「男になったなぁ」
「褒めるのは早い。単に、この時期の気の迷いかもしれない」
淡々と言うと、父は肩を抱いてきた。
「相変わらず老境に片足を突っ込んでるな」
「うん」
――っははは、と親子は笑い合いながら、食堂のドアを開けた。




