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例えばこんな恋語り  作者: K+
5章 宿り木(ヤドりギ)

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 電車は、昼前の九十五里(くじゅうごり)駅を過ぎた。

 田舎の景色が、窓の外を流れて行く。

 隣に座っている母が、手首を捻って腕時計を見た。待ってるだろうな、と呟く。

 人身事故の影響で、電車は十五分遅れて来た。その後も、通過待ちとかいう理由で、三分くらい一つの駅で停まっていた。都合、二十分弱、予定より時間がかかっている。

「コウが心配して、又べそをかいてるかもしれない」

 台詞に、琴巳(ことみ)は顔を傾けて母を見た。

「コウが、迎えに来るって言ってたの?」

「うん。琴巳のコト心配してたよ。姉ちゃん、大丈夫? って」

 琴巳は軽く瞬いた。

「珍し。雨降っちゃうかも」

 母は笑った。

「コウは、琴巳が泣いたところなんて、見たことなかったんじゃないかな。こっちに来てても、ずっと気にしてるんだよ」

 あぁ、と琴巳は九日前の朝を思い出した。

「あの子って、気にしなくていいことは気にするんだから。わたし、なんで泣いちゃったのか、自分でもよく解んない。解んないけど、あの時は涙が出て来ちゃった」

 琴巳が泣き声をあげたら、母は弟の頭をこつんと叩いた。その上受話器を取り上げられ、公士は見る間に顔をくしゃくしゃにした。その前で琴巳は顔を拭いながら、ちょっぴり、いい気味だと思ったのだ。

「なんだー、琴巳、解ってなかったんだ」

 母は可笑しそうに言った。「プライバシーを自分の口からじゃなくて他人の口からお喋りされたら、誰だって嫌でしょ? あれはコウのデリカシーが無さ過ぎたから、お母さんは怒ったの。琴巳は、怒るより恥ずかしーって方が勝って、かーってなって、だーって泣いちゃったんだね」

 琴巳は照れ笑いを浮かべる。琴巳らしいと言えば琴巳らしいなぁ、と母は目を細めた。

「コウが喋ったのが琇那(しゅうな)君だったから、余計だったのかな」

 かな、と琴巳は碧い海の煌めきを目に映す。

 兄には、昨年もいろんなことを話した。学校の事、母の事、弟の事、面白かった漫画や本の粗筋、気に入ってる歌……琴巳の内にあった殆どのネタを披露している。今年も、お兄ちゃんに話そう、と思って溜め込んでいる話をたくさん抱えて来た。

 それでも、確かに、大人の女の子の仲間入りをしたの、などという話は持ち出さなかった気がする。いくら最新のホット情報とはいっても。

「みんな揃って成長期だね。琴巳と一緒で、琇那君もまた大人っぽくなってそう。去年は声変わりしちゃって、お母さん、迎えに来て驚いたよ」

 楽しそうに母が言って、琴巳は覚えていることを話した。

「お兄ちゃん、わたし、風邪かと思ってた。喉に何か引っ掛かってるみたいで、よく咳払いしてたの。その声が別の人みたいに低くて掠れてて。結局、お話も咳も、似たような声になっちゃった」

「ふんふん」

「お祖母(ばあ)ちゃんが、男の子はお兄ちゃんぐらいの歳になると声が変わるのよって教えてくれた。コウも、そのうち変わるんだって。お祖父ちゃんが、ウィーンの合唱団に入ってる男の子の綺麗なソプラノは、そういう儚さも併せ持ってるから録音しておきたくなるって言ってた」

「あ、じゃ、琇那君の声も録音しておいたのかな。歌声じゃなくても、ホントに綺麗な声だったもんね」

「それがね、録音してないんだって」

「あらら。勿体無かったね。残念」

 琴巳も、聞いた時にそう思った。思ったから、言ってみた。そうしたら、祖母はこう応えた。

『形にして残しておくのもいいけど、心の中だけに残しておくのもいい時があるの』

 何がいいのか、よく解らなかった。でも、そうかもしれない、と何故か思った。

 巧く言えないので、琴巳は黙って母に頷いた。

〔まもなく、白貝塚(しろかいづか)、白貝塚〕

 車内アナウンスが流れ、琴巳は荷物を手に確かめる。

「あ、コウだ」

 座席から立ち上がりながら、母が外を指差した。「右に居るのって――琇那君だぁ。ぐんと背が伸びてる」

 ドアの窓から、琴巳にもチラッとだけ三人連れが見えた。左から、祖父、弟、そして――

 琴巳は口を開けた。

「えぇ!?」

「あはは。今年は来るなり驚かされた」

「一番右の人、お兄ちゃんだった!?」

 プシューッとドアが開き、噎せ返りそうな程の熱気が舞い込んで来る。

 母は、ぽんと琴巳の背中を押した。

「行って確かめようっ」



 一年ぶりの波音を耳にした。夜になると、ひた寄せるように聞こえてくる。

 紛れて廊下から微かな足音が近づき、琴巳ちゃん? と窺うように祖母の声が呼んだ。

「花火しないの? 今日は疲れちゃってる? 電車にたくさん乗ったものね。先にお風呂に入ってお休みした方がいいかしら」

「ううん、花火したい」

 琴巳は急いで立ち上がった。部屋を出て祖母に並ぶ。「あぁあ。女の子の日なんか始まっちゃうから、八月半分過ぎちゃった」

「ふふっ、そうねぇ」

「損しちゃった気分」

 階段を降りながらぼやくと、あら、と祖母は目を丸めた。

「そうでもないんじゃない? コウ君がお姉ちゃんをとっても大事に思ってくれてるって、解ったでしょ。こういうコトって、近過ぎる所為で、こんな機会でもないと、なかなか気づけないものよ?」

「そっか」

 琴巳は納得して両手を合わせた。「お祖母ちゃんにも見せたかったな。駅前で、コウったら、ちっちゃい子みたいにしがみついてきたんだよ」

 二階も一階も静かだ。男性陣は既に外らしい。祖母のくすくす笑う声が、廊下に柔らかく響いた。

「お姉ちゃんを見て、ほっとしたのね。コウ君、ずっと元気無かったのよ」

 祖母が玄関内の電気を点けた。「琴巳ちゃんが来るまで、いっつもシュウ君にくっついてたわ。心配なのを我慢してたのね」

「え、そうなの?」

 靴に足を入れつつ、琴巳は口をすぼめた。「お兄ちゃん、受験生なのに。邪魔だったんじゃないかな」

「シュウ君は、ちゃんと時間を見つけてるわ。気にしなくても平気よ?」

「……そうなら、いいけど……」

 琴巳は、上がり口で立ち止まっている祖母を見上げた。「行かないの?」

「ふふ。新発明のデザート作っておくから、楽しんでらっしゃい」

 その作り方を教わる方が花火より楽しそうだと、ふとよぎる。口にしようとすると、祖母が先に言葉を継いだ。「あ、ほら、噂した所為かしら。シュウ君だわ。迎えに来てくれたのね」

 玄関のすり硝子の向こうに、丈高い姿があった。ゆったりした動作で、横開きの戸に手をかける。からからと軽い音と共に、戸が開いた。祖母の言う通りの人物が現れる。

「早く始めようって、公士(こうし)が言ってる」

 いい低声が、頭上から降ってくる。いってらっしゃい、と祖母が手を振り、琴巳はぎごちなく頷いた。

 少年が踵を返し、庭を歩き出す。歳は少年でも、後ろ姿はもはや大人だった。暗闇に浮かび上がった真っ白なTシャツが、やけに大きく見える。琴巳は後ろを歩きながら、だいぶん上に行ってしまった淡い色の髪を見つめた。

 何センチになったんだろう。わたし、去年より五センチも伸びたんだけどな。

 今、琇那の背中が琴巳の目の高さにある。向かい合っても、胸元しか見えないだろう。

 前を歩いている人が誰か、知っているのに、知らないように思えた。

 賢いのは知っていたけれど、水晶高校を目指せるくらい頭がいいなんて、知らなかった。

 琇那は、来年そこを受験するという。今日の昼食時に、祖父母がそう打ち明けた。夏休み前の模擬試験で合格率が九八%と出たそうだ。担任の先生もこれは狙うべきだと言ってくれたので、第一志望は水晶高校に決めたらしい。

 昼食に同席した母は琇那の成績にびっくりしていた。琴巳も同様だった。

 二度の夏で彼を割と知ったつもりになっていたのに、実のところは大して知らないんじゃないかと心がうろたえる。

 庭の端から浜へ降りる階段を、弱い月の光に照らされ、白いTシャツが降りて行く。開いた距離に、鼻の奥がつんとした。

「お、お兄ちゃん……?」

 琇那は振り返った。何段か降りていた所為で、目線が合う。

「何?」

 理由も無く呼んでしまったので、琴巳は戸惑った。うつむく。

 二人の合間を、さ……と風が吹いた。

 うつむいた視界に線の綺麗な片手が差しのべられて、琴巳は目を上げた。深い色合いの双眸が、真っ直ぐ見ていた。

「おいで」

 やんわりとした低音に誘われ、琴巳はそろりと二、三本の指を重ねた。ほんのりとした温度が指先をくるむ。「そっちの手を手摺にかけておけば、大丈夫だから」

「……うん」

 怯え自体は見抜かれてしまったようだから、言われた通りにした。琇那は琴巳の手を引いて、ふわりふわりと段を降り始める。

 潮の香と別の匂いを鼻が捉えた。日の光を含んだ幸せな匂いが、ゆったりと届く。

 コレは、知っている。兄の匂い。

 少しだけ安心して、琴巳は長い指に包まれた指先を馴染ませる。

「琴巳、去年花火をした時は一人で降りなかったっけ」

「えっ」

 急に質され、琴巳は慌てた。「えと、えっと、とっ、年とった、から」

 くっ、とこもった笑い声が起こった。横に広くなった気のする肩が、小刻みに震えている。琴巳は顔が熱くなった。

「あの、あの、お兄ちゃんは、今年は花火なんかやっててもいいの?」

 あぁ、と笑みを含んだ低声が美しく響いた。

「花火をしたくらいで落ちるようなら、最初から狙わない」

 ほころんだ頬を風が心地好く撫でた。

 そっか、と応じた声は、待ち切れなかったのだろう、弟が打ち上げた花火の音に混ざり込む。不意の音に指先が震えたけれど、そんなささやかな怯えも兄の温度が溶かして消した。



 和菓子の洒落た空き箱に綿をあしらい、琴巳はとりどりの貝殻を並べた。色合いと形を吟味した末に決めた順番だ。

「それ、自由課題?」

 公士が後ろから訊いてきて、そう、と琴巳は答えた。十日前、裏海岸で花火をやった時に、珍しい形の貝殻を拾った。何となく持ち帰ってから、課題にしようと思いついたのだ。

「コウは終わったの? 植物採集」

「薬草だけでスケッチブック一冊分集めた」

 自慢げに返ってきたので、琴巳は布団に両手をついて振り向いた。

「見せて見せて」

「できてはいないよ。テープで貼り付けるのはもう少し乾燥したら、って兄ちゃんが言ったもん。で、古い電話帳とかに挟んで、二回目の押しをしてる」

「ふーん」

「解説はできてるよ。図書館で調べたから」

「あぁ、この前行った時ね」

「その前も行って調べたんだぜ。苦労したんだもんね」

「……わたしも、明日一回じゃ無理かな」

 琴巳は箱の中身を見やって呟く。「でも、コウのはスケッチブック一冊分って言ったら結構あるよね」

「兄ちゃんが散歩に出る度に、これもこれもって教えてくれたから、何だか集まっちゃったんだ」

 光景が想像できて、琴巳はくすくす笑った。

「お兄ちゃんて、ホントに何でも知ってるね」

「たまたま知ってる薬草が目に留まったんだ、ってケンソンしてたけどね」

 公士は可笑しそうに相槌を打つ。琴巳は、それはもうケンソンだねー、と同調した。

「虫の名前も、わたしが拾った貝殻の名前も全部知ってたよ」

「うー。オレもやっぱ、明日行こうかなぁ。兄ちゃんと遠出すると楽しいよね」

「海水浴は明後日にしたら?」

 琴巳は誘惑した。「視聴覚で映画観る約束もしてるんだ。『となりのトトロ』っていうアニメを野宮の小父さんがキープしてくれてるんだって。一緒に観ない?」

「オレ、それ観たことあるよ」

 けろりと言われ、琴巳は少し目を見張った。

「えー、いつ?」

「友達の家にDVDあった。観たことない、って言ったら驚かれた。有名みたいだぜ?」

「へぇ、そうなの」

 琴巳は、あまり友達の家に遊びに行く機会が無い。自宅には、DVD再生機器が無い。つまり、観る機会と機械が無かった。弟も似たり寄ったりだが〝トトロ〟には縁があったのだろう。

「面白かったよ。粗筋は言わないどく」

「ありがと」

 琴巳が言うと、公士はぽりぽり頭を掻いた。

「じゃ、やっぱのやっぱ、海にしようかなぁ」

「ん。そういうコトなら、わたしも無理には誘わない」

 すんなり琴巳は退いて、明日着て行く服を考え始める。兄がすっかり大人のみてくれになってしまい、一緒に歩くとなると、何やらいい加減な恰好をしたくない。

 季節柄か、琇那は毎日ラフないでたちをしている。なのに、何処となく上品さを感じさせる。不思議である。

 明日もお天気らしいから、お祖母ちゃんが帽子かぶるように言うだろうなー……

 持参した数少ない服を頭の中に浮かべる琴巳の脇で、公士は布団に寝転がった。

「あのさぁ、姉ちゃんは兄ちゃんが勉強してるとこ、見たことある?」

「んー? 本を読んでるとこはよく見るけど」

 琴巳は弟を見た。「後、クロスワードパズルやってるとこ」

「オレも、そういうのしか見たことない」

 公士は腕枕をしながら、言った。「クラスの何人か、私立の中学にお受験するって塾に通ってるんだ。来年から通うって奴も居る。私立の中学は、高校みたいに、テストに合格しないと入れないんだって」

「ん。わたしの友達も一人、私立を目指して塾に行ってる」

 来年、多分、琴巳は市立の馬安中学校に入学する。近所の中学校は、そこと、二つ隣町の市立蘇座中学校の二校だ。「塾って、学校より楽しいって言ってたなぁ。でも、ウチは塾に通えるような余裕無いしね」

祖父(じい)ちゃんチも余裕無いのかな」

「お祖父ちゃん、お金持ちだと思うけど……?」

 何せこんなに大きな家に住んでいる。しかも祖父母は働いていない。なのに、のんびり暮らしている。加えて琇那も養っている。

「なんで兄ちゃんは、勉強もしないし塾にも行かないんだろ。水高(スイコウ)に合格しないとウチに来れないんでしょ」

 琇那の志望校の話をした時、祖父母は下宿の話も出した。もし受かったら、三年間、馬安の加賀家に寄せてもらえないだろうかと。

『この子達が頷くなら、わたしは構いません』

 母はそう言い、やったっ! と弟は歓声をあげたものだ。

 ころんとこちらに転がると、公士は(はす)に見上げてきた。

「オレ、姉ちゃんが来るまで、兄ちゃんが受験生なんて解ってなかった。母さんも一緒にみんなでお昼食べた時、初めて、ふーん、て思った」

「ここに来る前、勉強の邪魔しないようにねって、お母さんから言われたけど……」

 琴巳は布団につけていた膝を、抱え込んだ。「でも、お兄ちゃん、去年や一昨年と変わんないね」

「合格しなくても、ウチには来れるの?」

「……お兄ちゃん、落ちるような所は狙わないって言ってたよ」

「全然勉強しないで水高って合格できるの?」

 困惑気味に公士は口をすぼめる。琴巳は小首を傾げた。

「ちゃんと時間をみつけて勉強してるって、お祖母ちゃんが言ってたけど」

「それって、今?」

 公士は半身を起こした。「確かめるっ」

「えっ、コウっ」

 身軽に部屋の入口へ達した弟に、琴巳は焦って言った。「もう寝なきゃ――第一、駄目よ、邪魔しちゃ」

「ホントに勉強してたらすぐ戻って寝るよぅ」

「してなかったら?」

「遊んでもらうっ」

 はしゃいだ声で言い切り、公士は駆け出す。狡いっ、と琴巳は本音が出た。立ち上がって走り出しかけ、慌てて電気を消す。消えた時には弟の足音は遠ざかっていて、急いで後を追った。

 階段前を通り過ぎ、角を曲がって、廊下を進んだ一番奥の右手が琇那の部屋だ。

 公士がノックしているところへ、琴巳は駆けつけた。どうぞ、と返事が聞こえた。

 琴巳は小柄な弟の後ろから、そうっと兄の部屋を覗き込む。三度目の夏ともなると一階の各部屋は勝手にうろつくようになってしまった。が、祖父母や兄の私室には滅多に赴かない。

 適度に整頓された部屋の奥、窓際にある机と椅子は空いていた。琇那は、手前のベッドの上で壁に寄りかかっていた。雑誌を見ていたらしい。

「今日は夜更かし?」

 琇那はベッドサイドのアナログ時計に目を流しつつ問うた。時刻は十時半に向かっている。琴巳と公士は、いつも十時には消灯していた。今夜は、寝る寸前のお喋りが、何となしに長引いてしまったわけだ。

「勉強してた?」

 公士が、しおらしげな口調で訊いた。琇那は形のいい双眸を、優しげに細めた。

「十一時くらいから、始めようかな」

 ふぅん、と姉弟は声を揃えてしまう。やはり兄は、きちんと勉強していたのだ。

 入っていいよ、と言われ、わぁい、と公士は琇那の方に行く。琴巳もそろそろと入り、ふと、どっしりした雰囲気の本棚に目が留まった。並んでいる本の題が半分近く読めない。アルファベットだった。

「クロスワードじゃないや」

 公士の声に目を移すと、弟はちゃっかりベッドの上に座り込み、琇那が読んでいた雑誌をめくっていた。「全部英語ー?」

 中学生になると、大抵の人はそんなモノを読めるようになるんだろうか。琴巳は、来年からの自分が不安になってくる。

 自分は、たった三年間で、丸々英語の雑誌が読めるようになるだろうか。

 琴巳はベッド脇の床に座り込んで、弟が閉じた雑誌の表紙を見た。題名さえ全部読めない。最初の〝ナショナル〟だけ、電気メーカーと同名で辛うじて判る。続く長い単語はちんぷんかんぷんだ。

「パズルやりたいのか」

 琇那はベッドを降り、机の上の本立てから少し厚めの本を取った。紙とペンも手にする。「たまにはクロスワード以外のをやってみない?」

 やってみる、と公士が即応すると、琇那は本を開いて向けてきた。

「論理パズルってヤツだ」

 本を手渡し、ベッド上の公士を間に、琇那も床に腰を下ろした。

「〝四種十個のケーキがあります。次の条件を満たしてAからDの四人が分け合うとしたら、誰がどれを幾つ貰えるでしょう〟?」

 公士はうつ伏せに寝転ぶと、すらすら問題を読み上げた。聞いていた琴巳は、答が浮かんだ。ベッドの上に両肘をつき、述べる。

「全部半分に切って二十個にして、皆五個ずつ貰えば良くない? 取り敢えず四種類を一通り食べれるよね」

「倫理的に望ましいな」

 琇那が面白そうな口ぶりで言う。琴巳がはにかんでえくぼを浮かべると、だーめだよぅ、と公士が問題をつついた。

「姉ちゃん、条件知る前に答えてどうすんの。そんな、みんな満足できて良かったねって問題じゃないよ、これ」

「あれれ。そっか、条件があるのか」

 琴巳はふわふわの布団に突っ伏すようにして問題を見た。

 条件とは、ケーキの種類と、誰はどれを食べましただの、誰はそれを食べてませんだの、誰と誰は一個以上食べていますだのと、断片的な情報のことだった。

「みんな好き勝手に食べちゃったんだ。最後の人は食べたくないのがあったかも。可哀相」

「だからぁ、そういう感情的なコトはこの際抜きで考えるんだってば」

「んー。難しいねぇ」

「姉ちゃんが私情挟んで勝手に難しくしてるんだよ」

 紙を寄せ、公士はペンを握った。「苺とチョコとチーズとマロンだろ。でー、苺とチョコはAとDが取ってるから、二個ずつ消える……」

 紙に大きな字を踊らせ、公士は初めぶつぶつ言っていたが、徐々に黙った。

 琴巳は熱心に書き込みをしている弟を眺めているうち、うとうとしてきた。干したての布団の香がして、気持ち良かった。今日布団を干して匂ってくるのか、それとも兄の匂いが布団に染み付いているのか……どちらにしろ、眠気を誘う香だった。

 ややの間、眠った気がした。

 事実は、どっさり眠った。

 朝日に瞼を撫でられて目を覚ました時には、琴巳は自分達の部屋で、いつものように公士と並んで横になっていた。

 姉弟揃って慣れないパズルに眠らされたことは、後に琇那の口から知るところとなる。

 何だかんだ言って邪魔をしてしまったのではないかと気にする妹弟に、勉強したよ、と兄は言った。

「二人にあのパズルは早過ぎたって、学んだ」

 真顔の冗談に、何故か、兄は必ず合格すると琴巳は確信できた。

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