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例えばこんな恋語り  作者: K+
5章 宿り木(ヤドりギ)

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 八月三日、今日は馬安(うまやす)から子供達がやって来る。

 数日前に、今年は姉弟二人だけで来ると知らせてきた。

 たまたま電話に出た栩麗琇那(くりしゅうな)に、オレが姉ちゃんを連れてくから、と公士(こうし)が宣言したものだ。受話器の向こうから、千鶴子が可笑しそうに笑う声が聞こえていた。

 午前六時半、九十五里(くじゅうごり)の加賀家では普段より早めの朝食を囲んだ。楽しみにしてる所為か早く目が覚めちゃったのよねぇ、と光乃が言い、亘が頷く。栩麗琇那も同感だった。

 一時間後、電話がかかってきた。

 一家は、それぞれ何かを洗っていた。

 (わたる)は駐車場で車を。光乃(みつの)は台所で食器を。栩麗琇那は浴室を。

 玄関口にある固定電話に最も近かったのは養母だが、栩麗琇那は手を拭って風呂場を出た。丁度、終わったところだったから。

 板張りの廊下を小走りに抜け、受話器を取る。名乗ると、元気な少年の高い声が響いた。

〔兄ちゃん、おはよー。オレだよーっ〕

「あぁ、おはよ」

 子供だけの旅行だから、出がけに連絡してきたか。歳を経る毎に、弟には如実な成長を感じる。

 と、予想外のことを公士は告げてきた。

〔あのね、これからオレだけ出ます。姉ちゃんは一週間ぐらいしてから行くことになった〕

 胸が騒いで、栩麗琇那は受話器を持つ手に力が入った。

琴巳(ことみ)、どうかしたのか」

〔赤ちゃんが産めるんだって〕

「は?」

 こっ、コウの馬鹿馬鹿! と妹の声が聞こえてきた。ふぇええん、と泣き声に変わり、栩麗琇那はおたおたしてしまう。「あの、えと、公士――?」

 カタカタッと受話器が手から手へ移る物音がした。千鶴子(ちづこ)の声が、琇那君? と近づいた。

〔えっとね、えっとー、お義母(かあ)さんに代わってもらえるかな?〕

「は、はい」

 栩麗琇那が急いで踵を返すと、台所から光乃が気づかわしげな顔を覗かせていた。「千鶴子おばさんなんだけど」

 まぁ、と言う形に口を開くと、光乃は出て来て受話器を受け取る。

「代わりました。おはよう、千鶴子さん」

 何やら緊迫感の無い調子で光乃は挨拶する。日頃から、万事こうである。「――あら、まぁまぁ、おめでとう」

 おめでとう?

 頭の中で反芻して、栩麗琇那は横手で首を傾げる。

「そうそう。旅行前とか旅行中とか、精神的なモノかしらねぇ。琴巳ちゃんもそれねぇ」

 琴巳に代わったのだろうか。よく判らない。「あ、そうしていただけるとありがたいわ。実はね、千鶴子さんにお話があったのよ。今年はコウ君がお姉ちゃんを連れて来るって言ってたから、水を差せなくて。後々に、そちらに伺おうかと思ってたんだけど――え? えぇ、ちょっとお電話やお手紙で済ませるのはどうかしらって、お話なの」

 その〝お話〟は栩麗琇那の件だろう。両親は、養子が水晶高校へ行くことに賛成している。

『淋しくなるが、お前にとっては視野が広がるし、いいかもしれない』

 亘は、そう言った。

 千鶴子が承諾してくれれば、馬安の加賀家に下宿。無理ならば学校の近くで住まいを探そうかという話になっている。栩麗琇那としては、心の安寧の為に、前者を切望しているのだが……

 光乃が電話を切り、栩麗琇那は問いかけの眼差しを向けた。養母はふっくらした手を頬にあて、ちょっと微笑んだ。

「琴巳ちゃん、今朝、初めて生理になったんですって。琇那君、解るかしら」

「あぁ――はい」

 だから〝赤ちゃんが産める〟だの〝おめでとう〟だのと出て来たわけだ。

「少しナーバスになるのよね。初めてで動揺しているところで、コウ君に言い触らされちゃって、泣いちゃったみたいだわ」

 なるほど、と栩麗琇那は納得する。解らないでもない。

 元の世界に帰れず困惑していた時、もしシェリフがマーニュ家の面々に何から何まで事情を露呈していたら、皇子は大層プライドを傷つけられたことだろう。

「琴巳、電話切るまで泣いてるみたいだった?」

「コウ君が、怒られたのか、べそをかいてるのは聞こえたわ」

 光乃は言って、くすくす笑った。



 八月十一日、夏休みに加えて日曜日の九十五里中央図書館は盛況だった。椅子や机は、老若男女で粗方埋まっている。

 雑誌が並んだラック近くの柱に寄りかかり、栩麗琇那は学術誌を立ち読みしていた。シェリフが二年間、一体何の実験をしていたのか、些少の興味からだ。

 天才児がカナダから葉書を送ってきていた時の住所は、と或る理系大学の寮だった。付属機関の研究チームに入れてもらえたと言っていたから、論文でも出るとしたら、その大学の名前も出るだろう。ずっと探しているのだが、見つけられずにいる。

 とはいえ、シェリフの名前は何度か目にした。彼は栩麗琇那に会った時、既に物理学系の博士号を取得していたようだ。柔軟な発想で導き出したのだろう、彼の名前がついた方式だの理論だのが時折、他人の論文に参考として出て来る。

 手にしていた冊子からは探し出せず、栩麗琇那は紙面から腕時計に目を移した。もう数分で十一時半になる。約束の時間だった。

 ここには、公士と来た。今年の自由課題は植物標本にしたとかで、図鑑を見に訪れたのだ。運良く百科事典の書架脇の席が空いていて、弟はそこで調べ物をしている。

 空席は一つだけだった。栩麗琇那は借りていた本をついでに返しに来ただけだったので、すまなそうな顔の弟に、気にするな、と告げ、待ち合わせの場所と時間を約束し、別れた。そうして、後はひたすら友人の参画した実験報告を探していたのだ。

 途中で会えるだろうが、一応決めた場所は出入口前だ。

 栩麗琇那は雑誌をラックに戻し、出入口へ足を向けかけた。

「あの、加賀君?」

 若い女性の声に、視線を流す。同い年くらいの少女が二人、互いに寄り添うように立っていた。どちらも知らない顔だ。

 足を止めたが、面倒だな、と栩麗琇那は目線を逸らせた。

 彼女達には、或る種の緊張を含んだ風情がある。栩麗琇那は今年に入ってから、異様なほど頻繁に、この手合いの異性と向き合うようになった。お蔭で、察知できてしまう。

「わたし達、北中(キタチュウ)の三年なんだけど、塾で南中(ナンチュウ)の子達から貴男のこと聞いてて……」

 俺の毛色は目立つんだな。

 げんなりした気分で、ラル家の皇子(みこ)は薄い色の髪に指をうずめる。

 ぽーん、と云う音が館内に響いた。十一時半の合図だ。

 栩麗琇那が無言であるにも関わらず、少女の一人が続けた。

「それで、ずっと、話してみたかったの。この後、お昼御飯とか、一緒にどう?」

「俺は、全て断ってるんだ」

 ラックを挟んだ陰で立ち尽くしている弟に気づき、栩麗琇那は残りの台詞を口早に紡いだ。「それは聞いてなかった?」

 二人が口ごもった隙に、栩麗琇那はちょいと指先をしゃくって歩き出す。

 公士はすぐさま横に並んで、抱えていた栩麗琇那の鞄を手渡しながら、訊いてきた。

「フっちゃって良かったの?」

「あぁ」

「他に好きなコがいるんだ?」

「いないよ」

「じゃ、一緒に御飯食べてやったら良かったのに。オレ、一人で家まで帰れたよ?」

 あぁ、と応じつつ、栩麗琇那は肩から鞄を掛ける。

「この季節にナンだけど、雪だるま式、って言葉を知ってる?」

「知ってる」

「意味も?」

「どんどん量が増してくって意味でしょ?」

「そういうコトだ」

 自動ドアを通り抜け、館内と外との温度差に、栩麗琇那は寸時、間を置いた。「あの二人だけじゃ済まない。大体、好きでもない人と食事しても楽しくないだろ?」

 敷地を横切り、渋い金文字の嵌められた石の脇を通過して、公士はやっと言った。

「兄ちゃん、オレと御飯食べてて――」

「楽しいよ」

 栩麗琇那は短く喉を鳴らした。「いつもより賑やかになる。今年は何だか、控えめだけどな」

 理由は、推測できている。

 陽光の下で青々とした稲が揺れる田んぼの畦道を歩きながら、公士は小石を蹴った。てんてんと先に転がって行くのを凝視し、一言一言、吟味するように言う。

「オレ、兄ちゃんや祖父(じい)ちゃん、祖母(ばあ)ちゃんが嫌いじゃないんだよ。でも、何か、今年は、御飯食べてる時、あんまり、楽しくない」

「一人、欠けてる所為かな」

 延々線路の方まで続く青田は、緑色の絹布がはためくようにも、さざ波のようにも見えた。眺めたまま、栩麗琇那は問うた。「琴巳と、気まずいまま来てしまったな?」

「……オレが家を出る時、部屋にこもったまま出て来てくんなかった」

 公士は先程の石を蹴る。石は、畦から田の隅に転がり落ちてしまった。

「今はもう、喧嘩したこと自体、忘れてるよ」

「でも姉ちゃんて、つまんないこと、いつまでも覚えてるんだよ」

「公士にはつまらないことでも、琴巳には大事だからかもしれない」

 栩麗琇那は足元からオオバコを摘むと、これは薬草だ、と公士に向けた。受け取る手を見て告げる。「覚えてるからって、根に持ってるわけじゃないだろ? それは、公士の姉さんらしくない」

「じゃ、なんでこっちに来ないんだろ」

「明日頃には、来るよ」

「母さん、一週間くらいって言ったんだ。過ぎちゃった」

 潤んできている丸い瞳が、不安そうに見上げてきた。「姉ちゃん、病気だったらどうしよう」

 難しいことを訊くようになってきたよな。

 踏み切りを渡って、栩麗琇那は尋ねた。

「琴巳は赤ちゃんが産めるようになったって、聞いたわけ?」

「準備できるようになったんだって」

「そうだな。間違ってない」

「病気じゃないよね?」

「女の人の体は、少し大人になると、毎月、お腹にある赤ん坊の為の部屋を掃除するようになるんだ」

 知識を咀嚼して、栩麗琇那はぽつぽつと語った。「ぴかぴかにするには、平均で一週間かかるらしい。今月の琴巳は、初めての掃除だから少し念入りにやってるんだろうな」

 ふーん、と公士はオオバコの葉を指先でくるくる回しながら言った。

「一週間も掃除するなんて、大変だね」

「疲れるだろうな」

「今日ぐらいには終わるかなぁ」

「今晩辺り、電話が来るんじゃないか」

 栩麗琇那は、ぽふっと弟の頭に手を乗せた。「そしたら、一緒に迎えに行こう」

 掌の下で、小さな頭がこくりと頷いた。

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