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理事長室の密約

屋敷の執務室で連絡を受けた柊暁は、思わぬ事態に絶句していた……。


どうやら、孫がまたトラブルに巻き込まれたようだと頭を抱えた。



「やれやれじゃのう……」



その呟きは、単なる祖父としての嘆きではなかった。ひのきヶ丘という箱庭を統べる王として、そして世界の裏側に通ずる超有力者として、彼は確信していた。


あの金髪の転校生――オルガ・リピンスキー。


彼女の周囲で起きる事象は、もはや「偶然」や「個人の資質」で片付けられる範疇を超えている。











翌朝。


ひのきヶ丘中学校の教室に、朝の爽やかな光が差し込んでいた。しかし、担任がオルガの席に近づき、緊張した面持ちで告げた言葉が、その静寂を破る。



「オルガさん。一時間目が始まる前に、理事長室まで来てほしい。柊理事長がお呼びだ」



クラスの空気がわずかにざわつく。吹奏楽部の面々も、何事かと顔を見合わせた。オルガは感情の読み取れない無機質な瞳を瞬かせ、小さく頷いた。



了解アファーマティブデス。理事長サン直々のご指名とは、光栄の至りデスネ」



オルガは軽やかな足取りで満里奈に手をふりながら教室を後にした。


廊下を進み、重厚な扉の前に立った。ノックをして入室すると、そこには巨大なデスクに深く腰掛けた柊暁が待っていた。窓を背にした彼の姿は、逆光で深い影を纏っている。



「失礼しマス。転校生のオルガ・リピンスキー、参上いたしマシタ」



暁は柔和な、しかし眼光の鋭い笑みを浮かべた。



挿絵(By みてみん)



「……」



オルガの瞳の中で、高速のバイオメトリクス・スキャンが走る。表示された数値は、彼女の予測を大きく裏切るものだった。



(……驚き(サプライズ)デスネ。外見年齢から推測される筋密度を300%以上上回っていマス。皮下脂肪は極限まで削ぎ落とされ、その内側には高密度の筋繊維が、まるで編み込まれたカーボンワイヤーのように張り巡らされていマス……)



目の前に立つ老人は、ただの権力者ではない。


自らの肉体を極限まで練り上げ、死線を幾度も超えてきた「現役の捕食者」のそれだ。


暁がわずかに動くたび、仕立ての良いジャケットの背中が、逃げ場を失った筋肉の躍動によってミシミシと音を上げる。



「驚いたかのう? 儂は見ての通り、ただの枯れ木のような老人じゃよ。フォフォフォ」


「ご冗談デスネ。どう見ても、格闘技でもやってるかのヨウナ体格デスヨ。百戦錬磨の大将軍を力任せに馬ごと叩き飛ばしそうな雰囲気デスネ」


「フォフォフォ」



そう笑って見せた暁の喉仏は太く、その声は空気を震わせる重低音を伴っていた。枯れ木どころか、それは数百年を生き抜いた巨大な神木。あるいは、獲物を前にして敢えて牙を隠した猛虎の余裕であった。



「よく来たのう、オルガ君。……さて、転校してからの学校生活はいかがかな? 宇宙からの転校生殿。フォフォフォ」



空気が凍りついた。


オルガの思考回路が、コンマ数秒で膨大な演算を開始する。



(……正体判明の確率、98.7%。隠蔽は無意味と判断。口封じのための強制洗脳プロトコルを実行しマスか?)



彼女が指先に微かな思念波を込めた瞬間、暁は待っていたと言わんばかりに、デスクの上に一束の書類をそっと置いた。



「何かは知らぬが、無駄なことはせん方がいい。オルガ君、君の両親はモスクワ出身とのことだが、儂の息がかかった現地のエージェントに調べさせたところ、どこにもそのような人物の痕跡は発見できなかった。全て偽造じゃ……。日本国内の偽造は見事なものじゃったが、海外にまでは手が回らんかったようじゃのう…。ああそうじゃ、もしも儂の身に何かがあれば、この情報は即座に世界各国の諜報機関にリークされる手筈になっておる。……そんなことになれば、君にとっても都合が悪かろう?」



オルガは数秒の沈黙の後、ふっと肩の力を抜いた。無機質だった表情に、人間味のある、しかしどこか超然とした笑みが浮かぶ。



「……感服いたしマシタ。地球の、それも一地域の長と侮ってイマシタが、これほどの手腕をお持ちとは。ワタシの敗北ルーズデスネ。……それで、柊会長。これほどの脅しをかけてまで、ワタシに何を求めマスか?」



暁は不敵な笑みを深め、身を乗り出した。



「単刀直入に聞こう。君の素性と来訪目的。そして、あのワシントンでのUFO撃墜事件との関連……さらに、現在地球に向かって進行中の艦隊と君との関係は何じゃ? あの艦隊の目的は何だ」



暁の問いは、もはや一学園の理事長のレベルを超え、地球の一代表としての重みを持っていた。



「きちんと答えてくれるなら、柊家は総力をあげて君を守り、この地上での身の安全を完全に保障しよう。……どうかのう?」



オルガは窓の外、青い空の向こうにあるはずの「故郷」を想起するように視線を投げ、静かに口を開いた。



「いいでしょう。柊会長の覚悟に免じて、全てお話ししマス。ワタシの名はオルガ・ペルセフォネ・デルタ。……そしてその正体は、銀河辺境を統べる『ノースライビア帝国』の第三皇女でありマス」


「……なん……じゃと……?」



百戦錬磨の柊暁が、その言葉に絶句した。


単なる調査員か、あるいは亡命した兵士程度に考えていた。まさか、一国の、それも星間国家の重要人物が、たった一人でこのような辺境の惑星に降り立っているなど、彼の常識では到底考えられないことだったからだ。



「皇女……。一国の王女が、なぜ、単身でこのような場所に……?」



暁の震える声に、オルガはただ、いつも通り少しおどけたような、しかし冷徹な光を宿した瞳で微笑み返すだけだった。


……少しの沈黙の後、柔らかい唇が真実を語りだす。それを聞いた柊会長が驚いた表情で問い返す。



「……地球文化の学習エデュケーション? それが、皇女たる君がこの辺境の惑星まで足を運んだ理由か」



暁の問いに、オルガは窓の外を眺めながら、どこか遠い目をして頷いた。



肯定アファーマティブデス。当初は専用機で自由気ままに地球観光サイトシーイングを楽しみ、気に入った場所に当面滞在する予定デシタ。しかし……ワタシは『領空侵犯ボーダー・バイオレーション』という野蛮な概念を全く理解してイマセリダ」



オルガは苦々しげに、しかし淡々と語り始めた。



「アメリカ上空で、現地の戦闘機が群れをなして追い回してきマシタ。ワタシにとっては止まっているも同然の鈍亀タートルデシタから、少々余裕を見せて回避運動(舐めプ)を続けていたのデスが……あろうことか、正面からの幸運な一撃をまともに受けてしまいマシタ。墜落クラッシュデス。その後はワシントン近郊で特殊部隊のハンターどもに執拗に追い回され、這々の体で日本まで逃げ延びた……というのが真相データデスネ」


「……あのワシントンの事件は、君の『舐めプ』の結果だったというのか」



暁は思わず天を仰いだ。


世界を震撼させたUFO撃墜事件の裏側が、まさか皇女の慢心によるものだったとは。



「そして、この極東の島国に辿り着いたワタシは、そこで『くたばりかけの下等生物』を発見いたしマシタ。それが、鷺ノ宮満里奈さんデス。彼女は瀕死の重傷を負ってイマシタが、ワタシは条件付きで彼女の生命を再構築リカバリーしマシタ。その条件とは、ワタシに地球の文化と常識を教える『師匠』になること。……かくして、銀河帝国皇女オルガは、彼女の弟子となり現在に至るワケデス」


「………………」



暁は言葉を失った。


目の前の、オーバーテクノロジーをその身に宿した宇宙の支配階級が、よりによってあの、喧しくも騒々しい教え子の「弟子」になっている。理解の範疇を完全に超えていた。



(……あの満里奈君が、帝国の皇女を従えているだと? まさか、逆ではないのか? 満里奈君がオルガ君に教えられることなど、せいぜいタヌキのような世渡りと、無鉄砲な喇叭ラッパの吹き方と大喰らいの方法くらいではないか……)



散々な言われようの満里奈。


暁は一度、深く息を吐き、熱くなった頭を冷やすように目を閉じた。


……数分間の沈黙。


彼はこれまで築き上げてきた情報網と経験を総動員し、この荒唐無稽な現実を「戦略的状況」として再定義しようと試みた。


ようやく落ち着きを取り戻した暁が目を開けると、オルガは退屈そうに指先で空中に浮かぶホログラムを操作していた。



「……落ち着かれマシタか? 柊会長」


「うむ……。オルガ君、一つ確認したい。現在、太陽系外縁部から地球に向かって進行中の大艦隊……あれは何じゃ。君を追ってきた追っ手かのう?」



オルガは、なんでもないことのように笑った。



「いいえ。あれはワタシの直属部隊、ノースライビア帝国宇宙軍第四艦隊。別名第3皇女親衛艦隊デス。ワタシとの定期連絡が途絶したため、捜索と制圧のために派遣されマシタ。ワタシが『帰還リターン』の命令を下さない限り、彼らは予定通り地球軌道上に展開し、不確定要素の排除……つまり、ワシントンでワタシを攻撃した勢力への報復を開始するでしょうネ」



暁の背中に冷たい汗が流れた。


彼女と友好関係を結ぶこと。それが、この青い星が明日を迎えるための唯一の、そして絶対の条件であることを彼は確信した。


その様子を見たオルガがクスクスと含み笑いを浮かべた。



「オルガ君。提案がある」



暁は背筋を伸ばし、一人の指導者として彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。



「君の素性は秘匿し、柊家の総力を挙げて君の『学習』と『安全』を保障しよう。我が教え子、満里奈君との奇妙な縁も、柊家としては最大限尊重する。その代わり……君の艦隊には、地球への一切の攻撃を控えさせてほしい。我々と君は、対等な『相互協力関係』を構築できるはずだ。……これは、地球の運命を賭けた取引ディールだ。受けてくれるかな?」



オルガは一瞬、機械的な冷徹さを見せたが、すぐに満里奈の影響か、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。



「面白いデスネ。吹けば飛ぶような小さな民族の王が、ワタシと対等に渡り合おうというのデスか。……いいでしょう。柊家がワタシと師匠の『日常スクールライフ』を邪魔せず、最大限の便宜を図ると約束するなら、ワタシも艦隊を待機スタンバイさせマショウ。…ところで、ワタシは柊会長のお孫さんに地球の基準に照らせば、カナリ酷い事をしています。責任トカ追及されないのデスカ?」


「フォ…そうじゃったのう。それは気にせんでくれてよい。地球の存亡を考えれば、追及などできんわい。フォフォフォ」


「自分の孫なのに、あっさりしてマスネ。ま、どーでもイイデスガ…」



こうして、ひのきヶ丘中学校の片隅で、地球の存亡を左右する密約が交わされた。


宇宙の皇女と、地方の有力者。そしてその中心にいるのは、何も知らない「師匠」である鷺ノ宮満里奈であった……。











(クスクス…あいつらの本当の目的は地球文化の視察と観光なんデスけどネ…。ワタシにカマをかけたお返しデスネ…)



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