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エレナ・リピンスキー

「……もうやだ、この宇宙人……。論理が飛躍しすぎてて、叩かれた痛みより頭の痛さの方が勝ってきたわよ……」



満里奈がこめかみを押さえて呻くと、オルガは事もなげに笑って、ひのきヶ丘の坂道を指差した。



「ソレでいいのデス。さあ、シャキっとして歩きマショウ。ほら、前を見てクダサイ。あそこに立っているのが……」


「あそこに……? ……え、待って、あの子……オルガにそっくりじゃない?」



満里奈は思わず足を止めた。




挿絵(By みてみん)




街灯の下、ガードレールに背を預けて立っている少女。オルガより一つ下くらい幼く、その奔放さをすべてマイナス零度の冷徹さで凍らせたような——そんな「静」の気配を纏った少女が、じっとこちらを見つめていた。


その瞬間だった。少女の瞳が、カメラのレンズが絞られるように青く発光した。



「ッ!?」



満里奈の視界がぐにゃりと反転する。


それは視覚情報のバグではない。少女から発信された高密度の量子データが、満里奈の脳内にある感覚野を無理やりジャックしたのだ。







漆黒の宇宙空間を、無数の「光の糸」が縫いとめていた。


それは単純な熱線兵器ではない。球体型戦闘機『エンドレス・ハイペリオン』隊が展開した可動式リフレクター・パネル。それらが数千、数万の単位で連携し、低出力の指向性ビームを複雑怪奇な角度で反射・増幅させ、宇宙そのものを巨大な「光の檻」に変えていた。


敵艦隊本隊、10万隻。


圧倒的な物量を誇るはずの軍勢は、自分たちが何に焼かれているのかさえ理解できずにいた。センサーは異常数値を叩き出し、自動迎撃システムは虚空に踊る「光の残像」を追いかけて自滅していく。



『全機、反射角を第4フェーズへ。収束を開始します』



冷徹な少女の声が通信網(量子リンク)に響く。


次の瞬間、乱反射していた虹色の光が一箇所に凝縮された。虫眼鏡が太陽光を一点に集めるように。敵旗艦のシールドに穴が空き、艦橋が眩い光を放つとそこだけ蒸発した。


それは「戦闘」というよりは、冷徹な「計算」による解体作業。損害ゼロ。敵旗艦殲滅までの所要時間、わずか432秒。


そして、宇宙を焼き尽くす無慈悲な艦砲射撃の無数の閃光が、満里奈の意識の裏側で弾けて消えた。



「……はっ!?」



満里奈が我に返ると、そこはいつもの穏やかな「ひのきヶ丘」の歩道だった。


膝をつき、激しい目眩に耐えながら顔を上げる。目の前には、感情の欠落した瞳で自分を見つめる少女——エレナ。そして、その横で直立不動の姿勢を取る少女が、影のように控えていた。



「——以上が、戦術案『プリズム・ギャンビット』の実行記録です。情報の解凍に失敗した形跡を確認。これ以上の転送は脳の物理的損傷を招くため、中止します」



エレナは淡々と、機械的な口調で告げた。満里奈は脂汗を拭いながら、震える指をエレナに向けた。



「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ。今の映像、何……? 10万隻を、あんな……物理法則を無視したデタラメなやり方で……。それに、今の挨拶代わりなわけ!?」



「否定。私はただ、自身のスペックを定義する最も効率的な方法として、過去の戦果を共有したに過ぎません。地球の言語による自己紹介は冗長であり、非効率的です」


「結構よ! 紹介なら名前だけで十分なの!」



満里奈が叫ぶと、エレナの背後に控えていた少女がわずかに眉を動かした。


その少女はエレナと同じく地球人の少女の姿をしていたが、纏っているオーラが決定的に違った。精悍な顔立ちに、一切の無駄がない立ち居振る舞い。オルガと同い年くらいに見えるが、その瞳には幾多の戦場を潜り抜けた猛者の光が宿っている。



「改めて紹介シマス。コノ子が妹のエレナ。」


「い、妹ぉ!?」


「そしてコチラが護衛のオタ・マキンでス。よろしくお願いしますネ、センセー♡」




挿絵(By みてみん)




「お、おたまきん!?下ネタかよっ!?しかも、なんで二人とも宇宙人なのにそんなにフツーに馴染んでるのよ! その格好、どう見てもこっちの女のコじゃない!」



満里奈の指摘通り、エレナは完璧なカジュアル服を、オタ・マキンは動きやすさを重視したようなスクールジャージ風の私服を、驚くほど自然に着こなしていた。



「フフフ、驚くのも無理はありマセン。今、我が母星ノースライビアでは『空前絶後の地球ブーム』が巻き起こっているのデスヨ!」



オルガが誇らしげに胸を張る。



「地球ブームぅ……?」


「そうデス。私が送った地球の文化データ——ファッション、娯楽、そして『可愛さ』という概念は、戦うことしか知らなかった我が民族に未曾有の衝撃を与えマシタ。特異な文明を知らなかった我らにとって、この星の文化はまさに未知のテクノロジー! 今や本星の戦士たちは、いかに『地球人らしく』振る舞うかを競い、姿形まで模倣するのが最先端のステータスなのデス。絶賛文化侵食中。」



エレナが無表情のまま補足する。



「肯定。現在、ノースライビア第3居住区における『地球服』の着用率は85%を突破。精神的充足感の向上が確認されています。私は潜入および効率化のため、この形態を最適解として選択しました」



オタ・マキンは一言も発せず、ただ深く、武人のような礼節をもって一礼した。その仕草と、地球の「ジャージ」というアンバランスな組み合わせが、逆に異様な威圧感を生んでいる。



「……文化浸食ってレベルじゃないわよ、それ。地球のファッションが戦闘民族を制圧してるじゃない……」



満里奈は天を仰いだ。宇宙を蹂躙する虹色の破壊兵器が、カジュアル服を着て目の前で「効率」を説いている。そのあまりにシュールで圧倒的な現実に、満里奈は再びこめかみを強く押さえるしかなかった…。






これより時は少し遡る…。



海抜4,200メートル、ハワイ島マウナケア山頂。


ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡(JCMT)の観測室に、凍りつくような電子警告音が鳴り響いた。



「……何だ? 重力レンズのバグか?」



天体物理学者のデイヴィッド・ミラー博士は、モニターに表示されたエッジワース・カイパーベルト付近の数値を二度見した。そこには、絶対零度の静寂があるはずの暗黒空間に、突如として咲いた「光の華」が記録されていた。


最初は、氷の小惑星同士の衝突だと思われた。しかし、分光器が弾き出したスペクトル解析(光の成分分析)を見た瞬間、デイヴィッドの顔から血の気が引いた。



「ありえない……。これは黒体放射(自然な熱)じゃない。純粋な核融合、いや、対消滅反応の輝きだ。……それに、この光の軌跡は…。慣性の法則を完全に蹂躙して、ジグザグに跳躍している!」



モニターの中では、ナノ秒単位で明滅する無数の閃光が、統制された暴力のダンスを踊っていた。それは、ノースライビア帝国第四艦隊——10万隻の巨獣たちが放つ艦砲射撃の残光。そして、それを迎え撃つ「未知の敵」との間で繰り広げられる、物理法則を否定した殲滅戦の記録だった。



「デイヴィッド、NASAのディープスペースネットワークからも緊急入電だ! ニュー・ホライズンズの重力波センサーが、外縁部で異常な『空間の曲率変化』を検知した。……自然現象である確率は、零だ」



助手の震える声が、静かな観測室を戦場へと変えた。


デイヴィッドは震える指でキーボードを叩き、最新の観測データをホワイトハウス直通の最高機密回線へと転送した。



【技術注釈:量子バーストの観測について】

本来、量子通信の内容を第三者が盗み見ることは物理的に不可能である。しかし、これほどの規模の艦隊が超光速・量子レベルでの戦術制御を行う際、周囲の空間には「空間のさざ波」とも呼べる高エネルギーのニュートリノ・バーストが副次的に漏れ出す。人類の技術は、その「手紙の内容」は読めずとも、「誰かが信じがたいエネルギーで手紙を送り合っている事実」だけは、暴力的なまでのノイズとして検出してしまったのである。



「……神よ。我々は今まで、この暗闇の中で孤独だと思っていた。だが現実は違った…。我々は、たまたま戦場の端にいた羽虫に過ぎなかったんだ」



デイヴィッドはメリーランド州のNASA本部、そしてホワイトハウスへの緊急最高機密回線レッドラインを開いた。



「こちらマウナケア。……至急、大統領に繋いでくれ。天文学の歴史が変わった。……今、太陽系の玄関口で、人類の想像を絶する規模の『戦争』が起きている」







ワシントンD.C.、深夜11時45分。


NASA長官からの極秘報告を受けたホワイトハウスは、文字通りひっくり返ったような騒ぎに包まれていた。


地下の危機管理室シチュエーションルーム。大型スクリーンに映し出された、ノイズ混じりの解析映像を前に、統合参謀本部の将官たちが言葉を失っている。



「相手の数は?」



大統領が、低く掠れた声で問う。



「観測された熱源反応から推定される軍事ユニットの数は……約10万。……繰り返します、大統領。10万隻です。それも、一隻一隻が我々の現用核兵器の総量を上回る出力を瞬時に放出しています」



長官の報告に、室内を重苦しい絶望が支配した。10万隻。地球上の全国家の軍事力をかき集めたところで、彼らの一小隊にも及ばない。



「彼らは……地球に気づいているのか?」


「判別不能です。しかし——」



長官が、一枚の新たな解析グラフをスクリーンに重ねた。



「奇妙なことが一つ。この艦隊戦のピークと完全に同期して、極めて指向性の強い『高エネルギー・バースト信号』が、地球の特定の一点に向けて照射されています」



「一点だと? 通信施設か?」


「いえ。日本の……地方都市です。大気圏内での散乱を補正し、GPS座標を特定しました。◯◯県、ひのきヶ丘市。そこに何らかの『受信機』か『送信源』が存在する可能性があります」


「ひのきヶ丘市だと!? 柊家のたぬきじじいのお膝元ではないか!? まさか、あの会長が絡んでいるのか!?」


「不明です。とにかく、現地にエージェントを派遣して調べさせます」


「うむ。よろしい」



大統領は、モニターに映し出された穏やかなワシントンの夜景を見つめた。市民たちはまだ何も知らない。この瞬間、自分たちの生存圏の境界線で、神々の如き軍勢が火花を散らし、その「鍵」が東洋の小さな町に隠されているかもしれないことを。



「パニックを最小限に抑えろ。だが、全軍をデフコン2に。……それと、日本の首相に連絡しろ。今すぐだ。『ひのきヶ丘』という地名に関わるあらゆる特異事象、不審な転入者、未確認飛行物体の報告を洗わせるんだ。エージェントの派遣だけでは不足かもしれんからな」



大統領の眼差しが鋭くなる。



「データが示している。……この宇宙規模の嵐を招き寄せた『目』は、その町にある」


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