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Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に  作者: 篁 玖月
亡国の残響

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五十二話:空へ還る翼、海より来たる影

 飛行艇団の整備庫には油と煤、削られた金属の匂い。その奥に、湿った土と若い枝を思わせる香りが混じっている。


 風竜たちの森から譲り受け、長い時間をかけて乾燥させ、削り、ホークの翼骨へ組み込んだ木材、天脈樹。。


 金属の補助軸に沿って伸びた木目は、継ぎ当てられた部材には見えなかった。淡い光を帯びながら艇体の奥へ続き、初めからホークを支えていた骨のように、周囲の構造へ馴染んでいる。


 セラ・アベンシスは開かれた点検口へ上半身を差し込み、制御核と翼骨を繋ぐ導路を確かめていた。


 狭い艇内に、工具の触れ合う音が響く。


 やがて彼女は身を起こし、煤のついた指先で接続部の縁をなぞった。目を閉じ、指に伝わる微かな振動へ意識を澄ませる。


「補助導路、異常なし。冷却管も安定してる。翼骨との接続部も……ずれなし」


 確認するたび、傍らの整備員が記録板へ数値を書き込んでいく。


 誰も余計な言葉を挟まなかった。


 修理が始まってから、どれほどの日数が過ぎただろう。裂けた船腹を塞ぎ、冷気に侵された部品をひとつずつ交換し、制御核を開いては閉じた。整備庫に泊まり込んだ者もいる。


 その仕事が、ようやく終わろうとしていた。


 セラは点検口の覆いを戻し、留め具を締め、短く息を吐いた。


「……起こして」


 その一言を待っていたように、整備庫の空気が動いた。


「制御核、始動!」


「左右翼、固定具解除準備!」


 声が飛び交い、整備員たちが持ち場へ散る。


 艇内の深い場所で、低い音が生まれた。


 遠くで鳴る雷のような振動が床を伝い、壁面を揺らす。眠っていた補助灯が端から順に灯り、ホークの輪郭が暗がりの中からゆっくりと浮かび上がっていった。


 ノア・ライトエースは、少し離れた場所でその様子を見守っていた。


 その向こうでは、ラクティス・ジーニアが腕を組み、制御灯を見上げていた。折れていた腕の固定具はすでに外れている。それでも動かすたびに硬さが残るらしく、ときおり肩を回していた。


「ようやくだな」


 声はいつもと変わらず軽い。


 けれど、その目はホークから離れなかった。


 海へ墜ち、水竜たちに曳かれて港へ戻った旗艦の姿。


 ここにいる者は、誰も忘れていない。


「団長」


 セラが呼んだ。


「何だ?」


「今日の試験飛行、無茶をしたら降ろすから」


 ラクティスが眉を上げた。


「団長を?」


「団長を」


「飛行中にか?」


「必要なら」


 整備員たちの間に、堪えきれない笑いが広がった。


 ラクティスは肩をすくめる。


「怖ぇ機関士長だな」


「誰のせいだと思ってるの」


「竜と、怪しい飛行艇」


「ひとつ抜けてる」


「何がだ?」


「追いかけた団長」


「追わねぇ団長よりはましだろ」


 ラクティスは悪びれずに言った。


 セラの視線が、記録板から彼へ移る。


「帰ってこない団長より、帰ってくる団長の方がまし」


 その声は平坦だった。


 けれど、そこに込められたものを聞き違える者はいなかった。


 ラクティスの表情から、からかうような色が少しだけ消えた。


「……分かったよ」


 セラは何も返さなかった。


 ノアは二人のやり取りを見つめ、胸の奥に残っていた息を静かに吐いた。


 壊れたものが、もう一度形を取り戻していく。


 それだけで、受けた傷が消えるわけではない。


 海へ落ちた恐怖も、負傷した者たちの痛みも、アルピーヌの意思を奪った仮面の赤も、すべて残っている。


 それでも、直そうと伸ばされた手の数だけ、先へ続く道は生まれる。


「固定具、全解除!」


 整備庫に声が響いた。


 正面の大扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。


 夜明けの光が細い筋となって床を走り、ホークの船首へ届いた。補修された船腹を撫で、閉じていた翼へ流れていく。


 * * *


 ホークが発着場へ引き出されると、岸壁に集まっていた人々から声が上がった。


 甲板では、ラクティスが船首に立っている。


 朝の光を受けた橙色の髪が風に揺れた。


「浮上準備!」


 腹の底まで届く声に、艇内から復唱が返る。


「制御核、出力二割!」


「左右翼、展開!」


「高度固定索、解除します!」


 ホークの翼が、ゆっくりと開いていく。


 地上に伏せていた艇体が、長い眠りから身を起こすように、少しずつ重さを手放していく。


「出力三割!」


 艇体が上昇し、歓声が港を渡った。


 ノアは息を呑み、空を見上げた。


 朝の光の中へ、ホークが戻っていく。

 

 ほどなく、団員たちの間を抜けてきたレクサス・アルファードが、ノアの隣に並んだ。


「きれいだね」


「……はい」


 声が掠れた。


 ノアは一度、瞬きをする。


「戻ってきましたね」


「うん」


 レクサスは空を見上げたまま頷いた。


「みんなで戻したんだ」


 ホークは王都の上空を大きく旋回した。


 翼の先が朝日を受け、空に細い光を引いた。


 やがて艇体は沖へ向かい、試験航路へ入る。


 セラの指示どおり、急な上昇はしない。旋回は広く取り、速度を上げては落とし、左右の翼へ順に負荷をかけていく。


 船体に乱れはなく、機関の振動も、翼の軋みも、風の中へ溶けていくように小さい。


 長い試験を終え、ホークが発着場へ戻ったとき、ラクティスは甲板から大きく手を振った。


「問題なしだ!」


 抑えていたものが一斉にほどけたように、岸壁から歓声が上がった。


 セラは船縁に片手を置き、記録板の数値を追っている。


 最後の最後まで確認するつもりなのだろう。


 やがて彼女は記録板を閉じた。


 着地した翼へ手を伸ばし、天脈樹の組み込まれた部分をそっと撫でる。


「おかえり、ホーク」


 小さな声だった。


 風に紛れかけたその言葉を、ノアは確かに聞いた。


 そのとき。


 港の監視塔から、低い鐘が鳴った。


 歓声が止まる。


 試験終了を告げる鐘ではなかった。


 所属不明の飛行艇が、港へ接近している。


 その警戒を知らせる音だった。


 ラクティスの表情が変わった。


 甲板の団員たちが、喜びの余韻を振り切るように持ち場へ走る。


「北西沖、飛行艇一!」


 監視塔から声が落ちてきた。


「帆なし! 全面金属製! 白旗を掲げています!」


 ノアの指先から、ゆっくりと温度が引いていった。


 ラクティスは返事をしなかった。


 沖を見つめている。


 水平線の上に、黒い点が浮かんでいた。


 やがてそれは細長い船影となり、朝の光を鈍く返しながら近づいてくる。


 金属だけで組み上げられた艇体。


 腹の奥へ沈むような、低い駆動音。


 ラクティスの顔から、残っていた笑みが消えた。


「……あれだ」


 低い声だった。


 ノアが振り向く。


「団長?」


「ホークを落とされたとき、俺が追った船だ」


 ラクティスは船影から目を逸らさない。


「形も音も覚えてる。間違いねぇ」


 セラが記録板を閉じた。


「全員、ホークから降りて。機関は止めないで。いつでも上げられるようにして」


「白旗だぞ」


 ラクティスが言う。


 セラは沖を見たまま答えた。


「一度ホークを落とした船よ。旗の色だけで信用はしない」


 短い沈黙のあと、ラクティスが息を吐いた。


「そのとおりだな」


 レクサスはすでに港の護衛へ指示を出していた。


「接岸は軍用岸壁に限定してください。上陸を許可するのは使節と随員だけです。武装解除を確認するまで、港内へ入れないように」


 声は落ち着いているが、その眼差しには鋭い光が宿っていた。


 金属製の飛行艇は、港の外で停止した。


 やがて艇腹から小型艇が下ろされる。


 白旗の下には、見慣れない紋章が掲げられていた。


 小型艇が水面を滑り、岸壁へ近づいてくる。


 誰も言葉を発しなかった。


 修理を終えたばかりのホークの翼だけが、朝の風を受けて静かに震えていた。


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