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Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に  作者: 篁 玖月
亡国の残響

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四十八話:折れた翼と天脈樹

 セラ・アベンシスが港に現れたあと、ホークの周りはにわかに慌ただしくなった。


 裂けた船腹を見たセラは、まずホークを整備庫へ移すよう手配した。港の潮風と湿気の中で制御核を開けるわけにはいかない。翼骨を揺らさないよう固定具を増やし、吊り上げる位置を細かく指示し、飛行艇団員たちに制御部へ触れないよう念を押す。


「ここで中を開けたら駄目。整備庫に入れてから見る。固定は五点。翼の根元を揺らさないで。制御核には誰も触らないこと」


「は、はい!」


 団員たちが慌ただしく動き出す。


 セラはようやく顔を上げた。港に横たわるホークを見て、それから周囲の顔ぶれを見渡す。


「……で、団長は?」


 その問いに、近くの団員が少しだけ言葉を選んだ。


「城に戻られています。腕を折っていますが、命に別状はありません」


「腕?」


 セラの声が一段低くなった。


「はい。ただ、歩ける程度にはお元気で……その、すでに報告書を確認するとおっしゃって」


「馬鹿なの?」


 あまりにも平坦な声だったので、団員は返事に詰まった。


 セラは短く息を吐き、もう一度ホークを見た。


「ホークは夜のうちに整備庫へ。私は一度、城に戻る。明日の朝、私が見る」


 その言い方は落ち着いていた。けれどノア・ライトエースには、セラの指先が一瞬だけ強く握られたのが見えた。


 *  *  *


 ラクティス・ジーニアは自室にいた。


 片腕を吊ったまま、机の上に広げた報告書へ目を通している。寝台の脇には医務官が置いていったらしい薬瓶が並び、そのどれにもほとんど手をつけた様子がなかった。


「……休めって言われなかった?」


 セラが言うと、ラクティスは顔を上げ、いつもの調子で笑った。


「腕を折っただけだ。目と口は無事だぜ」


「そういうところ」


「怒ってる?」


「まだ。明日のホーク次第」


「そりゃ怖いな」


 軽口を叩く顔色は、いつもより少し悪かった。セラは何も言わず、吊られた腕の固定を見た。


「無茶した?」


「団長として必要な分だけな」


「じゃあ、次からその必要な分を減らす方法を考える」


 ラクティスは少しだけ目を細めた。


「頼もしいな、俺の機関士長は」


「怪我人は黙って休む」


「へいへい」


 セラは溜息をついた。けれどその声は、怒りきれていなかった。


 ――ホークが王都港の整備庫へ運び込まれたのは、夜明け前だった。


 裂けた翼骨。歪んだ制御軸。外装に走った、蜘蛛の糸みたいな細い亀裂。


 飛ぶために作られた艇体が地上で動けずにいる姿は、空から無理やり引き剥がされた生き物のように見えた。


 セラは、しばらく何も言わなかった。


 けれど、立ち尽くしていたわけではない。


 その手はもう工具を選んでいた。指先は傷の深さを測り、耳は軸の歪みを拾い、目は壊れた場所ではなく、まだ生きている場所を探している。


 ノアは、その背を見つめていた。


 整備庫の空気は冷えている。夜明け前の石床に残った冷気が、靴底からじわりと上がってきた。


 その中で、セラの手つきだけが妙に温かく見えた。


「……直せる?」


 レクサス・アルファードが静かに問う。


 セラはホークの翼の付け根から顔を上げた。額にかかった髪を手の甲で払う。その指先には黒い煤と、淡い銀の粉がついていた。


「形だけなら、直せる。飛ばすだけならね」


 ノアの胸が、きゅっと強張った。


 “飛ばすだけなら”。


 その言い方が、セラらしくて、少しだけ怖かった。


 セラは工具を置き、制御核の覆いを開いた。内部は、急激な冷気に晒されて白く脆くなっていた。


「でも、同じことが起きたらまた折れる」


 整備庫の中に、重い沈黙が落ちた。


 セラは腰の工具袋から、一枚の紙を取り出した。角は擦れ、折り目には何度も開かれた跡がある。


 図面だった。


 ホークの翼骨、補助軸、制御核の周辺構造。余白には細かな計算と、いくつもの素材名がびっしり書き込まれている。


「セラさん、それ……」


「妹の手伝いで実家に戻ってる間、少しずつ考えてたの」


 セラは紙の端を指で整えた。


「湯を沸かしてる時も、布を干してる時も、頭のどこかでずっとホークのこと考えてた。竜のそばを飛んでも、風や魔力の乱れに振り回されない方法はないかって」


 彼女は、裂けた翼骨を見た。


「で、今出せる中で一番いい案がこれ」


 図面の中央に、見慣れない文字があった。


 天脈樹。


「てんみゃくじゅ……?」


 ノアが読み上げると、セラは小さく頷いた。


「風竜の棲家に生える樹よ。風竜の羽ばたきと魔力を長い年月受けて育つ。軽くて、しなやかで、外から流れ込む魔力を散らせる」


 レクサスが図面を覗き込んだ。


「それを翼骨に使うんだね」


「うん。ホークの骨に天脈樹の芯材を組めば、急旋回の負荷も、冷気や魔力干渉も今より逃がせる。制御部の補助軸にも使える」


 そこで、セラは言葉を切った。


 続きを言いづらそうに、ほんの少しだけ唇を結ぶ。


「ただし、場所が問題。人里からかなり離れた風竜の棲家にあるものよ。風竜にとっても大事な樹だし、人間が『ください』って頼んで、「はいどうぞ」って分けてもらえるようなものじゃない」


 整備庫から、工具の音が消えた。


「話してみましょう」


 ノアの声は、思ったよりもまっすぐ出た。


 セラが顔を上げる。


「天脈樹を分けていただけるか、風竜にお願いしに行くんです。事情を話して、許してもらえる道があるか確かめましょう」


「ノア……」


「氷竜のことを、風竜たちも知っているかもしれません。もしそうなら、これは私たちだけの問題ではないはずです」


 レクサスが静かに息をついた。


 迷っている顔ではなかった。もう、段取りを組み始めている顔だった。


「森へ入る者の責任は、僕が負う。今日は確認と交渉のため、少人数で行こう。必要な素材を確かめて、風竜が許してくれるなら、改めて搬出班を編成する」


 セラは図面を握ったまま、ホークを見た。


「……分かった」


 彼女は小さく笑った。疲れた顔だったが、その目だけはもう前を向いていた。


「机の上で終わらせるより、ずっといい」


 折れた翼骨の影が、整備庫の床に長く伸びている。


 その日のうちに出発するには、準備が足りなかった。


 風竜の棲家は、人の道が通っている場所ではない。地図の上では山脈の一角に印があるだけで、そこから先は飛行艇団の古い航路記録と、竜たちの目撃談を頼るしかなかった。


 レクサスはすぐに、机の上へ地図を広げさせた。


「大人数では行かない方がいい。まずは交渉だ。森へ踏み込む前に、風竜にこちらの目的を伝える」


「護衛は?」


 近くにいた騎士が問うと、レクサスは少し考えてから首を横に振った。


「最小限にする。武装した集団に見えれば、相手を警戒させるだけだ」


 その判断に、ノアも頷いた。


「私も、その方がいいと思います。お願いに行くのに、剣を並べるのは違いますから」


 セラは図面を丸め、工具箱の中身を選び直していた。いつもの整備用具ではない。測定器、魔力の流れを見るための細い針、木質を傷つけずに反応だけを確かめる小さな探査具。それから、天脈樹の芯材が本当に使えるかを確かめるための試験板。


「持っていけるのはこれだけ。現地で削ったり切ったりはしない。許可が出るまでは、触るのも最低限」


「セラさん」


 ノアが声をかけると、セラは顔を上げた。


「大丈夫。分かってる。相手にとって大事な樹なんでしょ。材料を見る目じゃなくて、預かるものを見る目で行く」


 その言葉に、ノアの胸が少しだけ温かくなった。


 整備庫の入口では、モコが鞍具をつけられていた。工具箱を固定するための革帯が背に回され、大きな羽は邪魔にならないようにゆるく畳まれている。モコは鼻先で革帯をつつき、不思議そうに喉を鳴らした。


「くるる……」


「ごめんね、モコ。少し荷物をお願いしてもいい?」


「きゅ!」


 返事のように鳴いて、モコは前脚を踏み直した。頼られることが嬉しいのか、羽先が少しだけ揺れている。


 レクサスはその様子を見て、静かに表情を緩めた。


「出発は昼前にしよう。山に入るなら、日が傾く前に風の流れを見たい」


「分かった」


 セラは短く答え、もう一度ホークを見た。


 整備庫の中央で、傷だらけの艇体はまだ動かない。けれど、その周りでは人の手が動き、地図が開かれ、荷が整えられていく。


 壊れた翼の前で、次の空へ向かう準備だけが、静かに始まっていた。


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