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四章 その五

 結局そのまま退院して、俺はその日のうちに自宅へ戻った。時刻は夜の七時を回っていた。

 家族は俺の姿を見て、誰もが悲鳴を上げた。まぁ、体中アザだらけにして、しかも利き腕の指を二本も折って帰ってきたのだ。そりゃあ、ビビるだろう。

 怪我の理由をしつこく追求してくる家族を適当にいなして、俺は自室へと急いで戻った。

「……ふぅ」

 やっと、人心地ついた。やはりなんだかんだ言っても、自分の部屋が一番落ち着く。

 本当はこのままベッドに突っ伏したい気分だったが、その前に、今の俺にはやることがある。

「――いるんだろ、アンジュ」

 静まり返った暗い部屋に、俺の声は思いのほかよく響いた。しかし、返事はない。

 まぁ、返事がなくても、勝手に喋るけれど。

「今日は、助けてくれてありがとう」

 返事はない。

「お前なんだろ?神達と海法を呼んでくれたの。あれ、本当に助かったよ。アンジュが助けを呼んでなかったら、冗談じゃなく、俺、死んでたかもしれない」

 返事はない。

「それと、ごめんな。昨日、ひどいこと言っちゃって。あのとき、俺、どうかしてた。だって、アンジュが一連の事件を――こんなことを起こすわけ、ないもんな」

 返事はない。

「俺にこんなこと言う資格ないのはわかっているけれど……。でも、言う。アンジュ、謝るから、また俺の前に、姿を見せてくれないか? また俺に、力を貸してくれないか?」

 返事はない。

「俺、もう迷わない。もう疑わない。一切の曇りなく、アンジュを信頼しているよ。だから、お願いだ。身勝手だけれど、事件の真相を解くために……」

 俺は言葉を切って、大きく息を吸って。

「……力を、貸してくれ」

 もう一度、力強く言った。

 返事は、ない。

「……それだけ。じゃあ、俺、体中痛いし、疲れてるから。……おやすみ」

 言いたいことだけ言うと、なんだか妙に恥ずかしくなってきた。……アンジュ、聞いているよな?

 俺は顔の火照りをごまかすために、そそくさとベッドの中へ潜り込んで、小さく丸まった。

 それから、どれくらい時間が経っただろうか。

 不意に、ブゥン、とパソコンの電源がつく音がした。もちろん俺は何もしていない。ひとりでについたのだ。パソコンから背を向ける形で寝ているが、それでもわかる。明かりの消えた部屋で、ディスプレイだけが煌々と光る気配がした。

「……まったく。本当に身勝手だな、初は」

 背後のデスクトップから、一日ぶりに、だけど妙に懐かしく感じるソプラノボイスが聞こえてきた。俺は声に返事はせず、ただもぞもぞと動いて、寝たふりをした。

「勝手に勘違いして、勝手に疑って。んで、勝手にキレて。……そういう男はモテないぞ? ああ、だから初は彼女がいないのか」

 ほっとけ。心の中でだけ答えて、俺は寝たふりを続けた。

「挙句、泣き言を言って不貞寝とは。女々しいにも程があるな。大体、そんな謝罪で許す奴がいるとでも思っているのか? いやいない。つまり、許されざる男だよ、初は。女泣かせの、ダメ人間の、ポンポコピーの長助だ」

 アンジュは言いたい放題に俺を罵った。いや、罵っているのか? 後半はなんだか意味がよくわからなかったが。

「でも」アンジュは声を小さくして、呟くように言った。「私は天使だからな。だから、初のおバカなところも、その……。許してやらなくも、ないぞ」

 恥ずかしそうにもごもごと喋るアンジュ。顔を見なくても、容易に想像できた。きっと耳まで真っ赤にして、目はあっちこっちに泳いでいることだろう。

 考えただけで、吹き出してしまいそうな絵ヅラだ。こみ上げてくる笑いの波をなんとか我慢して、俺は寝たふりを続けた。

「だから、その、ええと……。って、あああ面倒くさい! 初、本当は起きているんだろう!?いい加減返事をしろ!」

 ついに限界を迎えたのか、アンジュはおもいっきり感情を爆発させた。

 そうか。前もそうだったけれど、アンジュの奴、恥ずかしいと誤魔化すために怒るのか。なんか、いいな、それ。そういうの、すごく可愛い。

 こらえきれなくなって、俺はとうとう笑い出してしまった。プルプルと震えながらアンジュの方を向くと、案の定、彼女は真っ赤になって挙動不信に視線を泳がせていた。

「な、何笑っているんだ!? 失礼な奴め! バカにしているのか!? バカはお前だ! バカ馬鹿ばか、バカ初!」

「ご、ごめん……」

 謝りつつも、笑いは絶えず漏れ出ているのだから、説得力なんてあったものじゃない。そんな俺の様子に、ますますアンジュは顔を赤くしてバカバカを連発した。

 五分ほど経って、ようやく俺の笑いの波は引いていった。アンジュも不機嫌そうに唇を尖らせてはいるが、もうバカバカは言っていなかった。

「ごめんな、アンジュ」俺は改めてアンジュに言った。

「ふん」ツンとすまして、彼女はそっぽを向く。

「本当にごめん。その、疑ったことも」

「許してやると言っただろう。しつこいぞ」

「ごめん」

「……まったく」呆れたようにアンジュはため息をついた。

 俺はこほん、と咳払いを一つして、俺は彼女の目を見た。

「その、アンジュ。……また力を貸してもらっても、いいか?」

 ほんの数秒、まるで時が止まったように俺たちは見つめ合っていた。目をそらした方が負けだとでも言うように。ただただ、じっと互いの瞳を注視していた。

 永遠にこの時間が続くのかも、と思った矢先。先に視線を外したのは、アンジュだった。

「……仕方ないな。初も充分反省しているようだし、それに、約束だしな」

 アンジュは腰に手を当てて、大きく胸を張った。

「『美鶴ヶ丘高校裏サイトについて』の謎。この人工知能アンジュが電脳天使の名において、必ずや解き明かしてみせるさ」

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